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介護用車いすにカゴ置き場を設置 [介護]

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注意:この製作物はボール盤、旋盤などの工作機械が必要で、機械加工技術を要します。

 最近、母親の腰が悪くなり、歩くのも難儀になってきた。そこで知り合いから中古の車いすを譲ってもらった。実際に買い物に使ってみると不便な点があった。
 困ったのはスーパーでの買い物の際、カゴを置くところがないことであった。カゴを介助者が持つと車いすを押しにくいし、乗っている人の膝にカゴを置くと、タテにせざるを得ず不安定な上、買い物が進むうちに重くなるという致命的な欠陥があった。車いすに何らかのカゴ置き場を造る必要が感じた。
 まず、車いすの後ろにカゴ置き場を設けることにした。介助者が押すのは少し邪魔になるが、これには慣れるしかないだろう。さらに我が家では買い物に行く回数が少ないので、まとめ買いをする傾向がある。そのため買い物カゴは2つ必要である。そこで車いすの前に脱着できるテーブルを取り付け、その上にカゴを置くことにした。

1.後ろにカゴ置き場を取り付ける
 仕様としては以下の条件を満たす必要があった
 ・使わない時は収容できること
 ・車いすを折りたたんだ時に支障がないこと
 ・通常の買い物の重量に耐えること
 ・セッティングが容易であること
 ・安全性が確保されていること
 ・車いすの改変はできる限り避けること
 ・できる限り軽量であること
 ・使用者の年齢から長期間使用することはないので耐久性は最低限を確保する
 検討をした結果、車いすの車輪寄りのパイプに約50mm幅のL型アルミアングルを取り付け、そのアングル間に買い物カゴを置くことにした。アングルの根元は蝶番にして収容できるようにし、チェーンを三角形の斜辺を形成するステーとすることで強度を確保した。これはカゴの脱落防止も兼ねている。アングルにはカゴの底の穴に通るボルトを取り付け、同じく脱落防止とする。
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↑L型アルミアングル
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↑車いす側取付アングル
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↑蝶番
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↑蝶番を取り付けた
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↑アングルはこのように取り付ける
 チェーンの両端は釣りのルアーで使われるスプリットリングとした。普通のキーリングでは伸びてしまうからだ。車いす側のチェーン取り付け部は狭いので低頭ボルトを使用した。
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↑チェーン取り付け用アングル
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↑アングルは共締めにする
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↑隙間からチェーンを垂らす
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↑チェーン取付イメージ
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↑スプリットリングをかませる
 アルミアングルの固定はチェーンの余りを利用した。汎用のL型アングルを使用して、アングルをチェーンで巻き付け、犬の首輪にハーネスを取り付けるのに使うようなクリップで固定する。
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↑アングルはチェーンで巻き付けて固定
 実際に使用すると、チェーンがガチャガチャとうるさいので、チェーンにビニールチューブを挿入した。
 後ろに買い物カゴを置いた状態で介護者が椅子から離れると、重心が移動して椅子が前に持ち上がるので注意しなければならない。
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↑アングル収容時
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↑カゴ置き使用時
2.前テーブルを取り付ける
 前テーブルの基本イメージは板の両端に丸棒を取り付け、それをパイプに差し込み、板を肘掛けに渡して荷重を分散することにした。丸棒には蝶番を取り付け収容できるようにする。
 当初はベニヤ板の利用を考えたが、重量がかさむので、アマゾンで既製品を購入した。これは丸棒と受けのパイプがある。しかしこれには問題があった。丸棒が曲がらないので使わない時に邪魔になること、さらにパイプを車いすに取り付けると、丸棒が短くパイプ受けまで届かないことがわかった。つまりそのままでは使えないことがわかったのだ。
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↑開梱すると割れていた
 さらに根本的な問題として、送られてきたテーブルが割れて使い物にならなかったことだ。即刻、アマゾンにクレームを送った。その際梱包状態に問題がある旨を伝え再発防止を依頼した。何しろ樹脂製品なのに緩衝材がなく、中国からでなくても普通に扱えば割れるのが当然のような梱包だったからだ。アマゾンからは「直ちに代品を再送し、梱包を改善する。」との回答を得た。
 その後、代品が送られてきた。しかしあれほど梱包状態を指摘したのに、全く改善されていなかった。品物は割れていなかったが奇跡のようなものだった。
 しかし不幸中の幸いで、テーブルの脚となる丸棒が4本となったので、これを継ぎ足せば丸棒が短い問題は解決する。
 まずはテーブルの脚を折りたたみにする必要がある。折りたたみには蝶番を利用する。その蝶番を取り付けるのにアルミ角棒を用意する。その角棒に三つの穴を開ける。真ん中は丸棒を取り付ける。両端は蝶番を固定するのに使う。丸棒はその先端にあるM8ボルトで取り付けられている。そのめねじを利用する。蝶番の真ん中に穴を開けて、M8ボルトで固定する。ただし脚を立てた時に支障がないように、低頭ボルトを使用し、かつアルミ角棒にザグリを入れて逃がすようにする。
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↑使用した蝶番
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↑使用したアルミ棒
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↑アルミ棒を加工
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↑アルミ棒にはザグリ加工が必要
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↑テーブルに蝶番を取付
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↑脚の長さが足りない
 丸棒の延長については、延長分の丸棒を適当な長さに切り、塩ビパイプを差し込んだ。塩ビパイプの内径と丸棒の外形がハマらなかったので、塩ビパイプの内側を旋盤で加工して広げた。
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↑丸棒を切断
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↑丸棒を旋盤加工して塩ビパイプに入るようにした

 丸棒を受けるパイプは基本的にそのまま利用した。しかしパイプ径が太かったので、ゴムシートを巻いて調整した。
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↑テーブルの足を受けるパイプ
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↑足受け取り付け位置
 テーブル収納時は脚を内側に曲げる。脚が長いので交差してしまうが、脚は回転するのでかわすことができる。脚が暴れないようにダイソーで買ったバンドで固定する。
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↑完成イメージ
 テーブルは車いすを折りたたみ時は、座面に置き、車いすを使う時には、後ろに設けた袋に収容する。テーブルを使用する時に脚を立てて差し込むわけである。強度にやや不安があるものの買い物や食事用のテーブルとしては十分だろう。
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↑取り付けたテーブル
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↑かごを置いてみた(前)
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↑かごを置いてみた(後)
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第2回令和記念西国三十三カ所霊場ツーリング [バイク]

平成に西国三十三ヵ所霊場の巡礼を果たした管理人が、令和に改元されたのを記念してもう一度1番札所から順番にバイクで訪れるというこの企画。今回は2番から5番札所の紀三井寺、粉河寺、槇尾山施福寺、葛井寺を参拝する。
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↑今回のルート
 紀三井寺は和歌山市、粉河寺はほぼ隣接する紀の川市にある。和歌山市に在住する管理人にとって、もっとも参拝しやすい札所である。
 8時40分に紀三井寺に着いた。ほぼ通勤ルートを走ったので、はるばる来たぜという感覚は皆無だ。しかし実際に寺にやってきたのは平成6年以来だ。まだ朝早く、土産物店は閉まったままだ。バイクを置く場所に苦労する。そもそも駐輪場が存在しないからだ。さいわいアドレスは原付サイズなので、自転車を停めるスペースがあればどこにでも停められるので、適当な路肩に停めた。
 駐車場は充実している。オッサンが棒を振って呼び込みをしている駐車場は一日500円。しかしその反対側にある無人駐車場は30分100円なのでだまされないようにしないといけない。
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↑バイクは適当に停めた
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↑紀三井寺
山門
 入山料200円を支払い、石段を登る。この石段は若き紀伊国屋文左衛門が結婚と出世の契機となる出会いした坂で結縁厄除坂といわれる。25段、33段、42段、61段と厄年と同じ数の石段を踏む坂が続く。
 朝早いとはいえ6人ほど参拝者を見かけた。歳をとるにつれ階段の一歩が辛くなってきた。
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↑入山料が必要
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↑階段を登る
 階段を登り切って、右側にある大千手十一面観音像を拝観した。「総漆金箔張・木造立像では日本最大」というだけあって立派なものだった。ごく最近造られたのか新しかった。
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↑千手十一面観音像
 本来であれば境内からの和歌浦の眺めが素晴らしいところであるが、あいにくの天気で鉛色の雲と木の枝が眺望を妨げていた。
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↑境内から和歌浦を望む
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↑本堂に進む
 何故かポツンと立つ電話ボックスが気になった。今や一体どれ程の人が利用しているのだろう。
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↑気になる電話ボックス
 この寺の正式名称は紀三井山金剛宝寺護国院であるが、和歌山で生まれ育った筆者にしても紀三井寺という通称しか知らない。境内に清浄水、楊柳水、吉祥水の三つの井戸からあることから名付けられた。
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↑紀三井寺の水
 関西在住の人ならば、「早咲きで有名な紀三井寺の桜は~」で始まるニュースは、春を告げる風物詩となっていることだろう。その有名な桜は本堂の前にあり、和歌山地方気象台指定の標本木の高札が格調高く掲げられている。しかし今の季節は青葉をつけたそのように重要視される木には見えない。
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↑紀三井寺の桜
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↑桜は本堂の前にある
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↑本堂
 何はともあれ参拝しなければならない。蝋燭と線香2本で100円だった。蝋燭は「先祖供養」「水子供養」「厄除」「家内安全」「商売繁盛」「諸願成就」「南無観世音」「南無大師遍照金剛」の文字が書かれていて、この中から選ぶことになる。私は先祖供養にした。写経は賽銭箱の前に白木の箱があり、そこに横から差し入れる。白木の箱には賽銭箱がある。神社と寺はありとあらゆるところに賽銭箱がある。
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↑蝋燭
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↑納経処
 御朱印を書いてもらおうと朱印帳を差し出すと、男性職員は電話に出たので、隣の職員にお願いした。
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↑今回の御朱印
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↑平成の御朱印
 この寺はやたら変わったお守りが多い。写真に映っているものだけでも「桜お守り」「ふくろう守」「ラッキーかえる」「子ども守り」「健康祈願スプーン」「夢叶いますように」「ハローキティ」「学業ちえ守」などだ。願掛けの箸は寺社では一般的だがスプーンは珍しいのではないか。営業努力を感じさせた。
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↑豊富な種類のお守り
 急な階段を降りて紀三井寺をあとにする。階段の横に「享保六年三月」と書かれた石灯籠があった。享保六年(1721年)の出来事を調べて見ると、徳川吉宗が目安箱を設置したとあった。徳川吉宗といえば紀州藩出身の将軍であり、何かの縁を感じさせた。
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↑享保六年の石灯籠
 次に参拝するのは粉河寺だ。Yahooナビの指示通り、国体道路、宮街道、県道143号線、県道9号線から岩出橋を渡り、国道24号線で粉河寺を目指した。
 ここでナビに使っているスマートフォンが充電されていないことに気がついた。よく見るとUSBケーブルが断線していた。どうやら紀三井寺での駐輪中にサイドスタンドでケーブルをはさんでしまったようだ。スマートフォンはナビの他にツーリングの通った道を記録するGPSロガー、音楽プレイヤーが作動しているので、電池容量はまだ2時間ほどしか経っていないのにもう58%まで低下していた。新しいケーブルを購入しなければならない。
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↑USBケーブルが切断
 10時30分、粉河寺の赤い山門にやってきた。この山門から道なりに真っ直ぐ進むと粉河駅に至る。すっかり寂れてはいるがそこは門前町。それなりに商店や町医者がある。例によって駐輪場はない。仕方がないので邪魔にならなさそうな路肩に停めた。去り際に気づいたが、自転車は山門を過ぎたところに停めているようだ。
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↑粉河寺山門
 粉河寺は西国第3番である以前、安土桃山時代の頃までは、隣接する根来寺、高野山と並び、当時の中央政権の介入を許さない独立国の様相を呈していた。その後、豊臣秀吉の紀州征伐によって大きく勢力は削がれてしまった。しかしその権威は江戸時代になっても無視できないものであり、そのために広い寺域を安堵されていた。
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↑広い寺域
 そんな粉河寺の境内は広く、重要文化財もいくつか存在する。特に本堂前の庭園は石垣と植栽を組み合わせた力強いもので国の名勝に指定されている。
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↑名勝の庭園
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↑庭園は本堂の前にある
 何か低く響く音が本堂から聞こえた。熱心な巡礼者が法螺貝を吹いていたのである。
 本堂の階段を登り、まずは灯明と線香をあげる。蝋燭は無地が50円、家内安全か先祖供養と書かれたのが100円となっている。線香は2本で30円だった。この蝋燭と線香の種類と値段は寺によって大きく異なることに気づき、この西国三十三所巡礼の研究対象とすることにした。
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↑願掛け蝋燭は倍の100円
 大きな賽銭箱の前にやってきた。鐘を鳴らす紐が上から垂れている。これはどこの寺にもあるが、その横に白黒赤黄緑色の紐が垂れている。「お手綱にご縁をいただいて下さい」と書いている。そういう作法かどうかは知らないが、この手綱を握りながら般若心経を読経した。
 ふと右を見ると「PayPayでお賽銭が上げられます」と書いてあった。1000円、500円、300円、100円から選ぶことができる。賽銭でよく使う50円がないのが惜しいところだ。このあたり商魂の逞しさを感じる。
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↑Paypayでも賽銭できる
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↑納経所
 写経を納めるところが見あたらないので、納経所で手渡した。職員の男性はそれを隣のお守り売り場に静かに置き、御朱印を書き始めた。2020年末までは「西国三十三所草創1300年」を記念して、特別な印をいただける。草創1300年といえば、和歌山県にある西国三十三所の寺、青岸渡寺、紀三井寺、粉河寺の三箇所のスタンプを集めると、日本手ぬぐいが進呈されるサービスを和歌山県が展開している。この手ぬぐいも無事に手に入れた。
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↑今回の御朱印
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↑平成の御朱印
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↑いただいた日本手ぬぐい
 時間帯にもよるのだろうが、紀三井寺より参拝者が多い。中には本格的な白装束を着た30歳代くらいの男女もいる。こんなのを見ると何か不幸ごとがあったのかなとか邪推したくなる。もとよりインタビューするわけにいかないからそう想像するだけだ。
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↑粉河寺中門
 粉河寺をあとにし、次は大阪府和泉市にある槙尾山施福寺を目指す。その前にセリアでUSBケーブルを買った。これでスマホの電池切れはなくなった。
 施福寺は和泉山脈の向こう側にある。ここから最短で山脈を越える鍋谷峠は道幅も狭く隘路であったが、2017年に鍋谷トンネルができてからは紀北と泉州を結ぶ最短ルートとして機能しつつある。鍋谷トンネルは最高速度50キロで原付バイクは通行不可なのだが、125ccのバイクなら通ることができる。和歌山からバイクで京都に行くにはこの鍋谷峠を抜けて、大阪外環状線、国道1号線バイパスを通るのが最短ルートとなるので、管理人はよく利用する。トンネルを抜けて外環状線の河内長野までは信号も少なく快適である。
 Yahooナビは、鍋谷トンネルを抜けると側道に降りるよう指示した。このあたりは知らない道だが、とにかくナビを信じてバイクを走らせた。
 12時00分、昭和感全開の土産物店「槙尾観光センター」に着いた。10数台分の駐車場とシャトルバスの転回場がある。あと離れたところに旅館らしき建物もある。駐輪場はなく、土産物店の横に勝手に停めた。
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↑槙尾観光センター
 施福寺は西国三十三所巡礼の中でも難関といえる。クルマで来れるのはこの「槙尾観光センター」までであり、寺はここから急な石段を登った歩いて30分のところにある。しかも手摺りも十分でなく、足元も悪い。ここは登山をするつもりで杖を持っていった方がよろしい。
 悪いことに雨が降ってきた。粉河寺を出発した頃から少し降っていたのだが、山沿いに入って本降りになってしまった。最も歩く距離が長い寺で最も雨を避けたかったところで雨に遭う。これも運命、日頃の行いの悪さの表れだろう。
 傘を差して本堂を目指す。最初は幅の広い石段で楽勝を思わせたが、山門を過ぎると登山モードとなった。雨は強く降っているはずだが、深い木立が和らげてくれる。
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↑最初は幅広の石段
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↑だんだんと狭くキツくなる
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↑最後の階段
 10数人の参拝者と行き会った。西国三十三所巡礼は昔から女性の方が多い。漏れてくる会話を聞くとそれも定年後の楽しみで始めた人の方が多いようだ。信仰心とよりも物見遊山という感じで同行者とお喋るするのが楽しいのかもしれない。だがそれも悪いことではない。もともと西国三十三所巡礼は東国の人が伊勢参り、熊野三山参りのついでに花山天皇縁の寺を巡礼することから始まっているらしい。もちろん江戸時代のことだから旅は命がけだっただろうが、信仰心より物見遊山が優先していたに違いない。
 12時30分、境内に到着した。槙尾山の狭隘な山腹に位置する寺だけに、境内には本堂の他に灯籠とあと一棟が見あたるぐらいだ。愛染堂、大師堂、不動明王護摩堂、虚空堂、大日堂などは離れたところにあり、そこに足を運ぶ人は少ない。
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↑槙尾山
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↑本堂
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↑境内は狭い
 何はともあれ参拝をしなければならない。線香が2本で30円、蝋燭は白のみで50円。写経は賽銭箱の前に拍子木のような重しを除けて積み重ねていく。
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↑線香30円蝋燭50円
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↑写経は積み重ね
 こぢんまりとしているのでお守り売り場と納経所を兼ねている。職員というか住職の方は気さくな人で、参拝者と雑談している。遠くから来ている人も多いので話しは盛り上がっているようだ。「こんな不便な小さな寺に・・」と住職が恐縮していた。しかし果たして西国三十三所の札所でなければ、このように多くの参拝者が訪れるだろうか。
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↑お守りも売っている
 御朱印を書いてもらう際、「100円の追加で菊のご紋の印を押させていただきます」と言われた。こういう場合ケチと思われるのがイヤだから拒絶するのは難しい。いい商売を考えたものだ。ここの朱印の特徴として年号が漢字一文字となる点だ。すなわち令和なら令となるのだ。私としては令和と書いてほしいところだが、寺の方針だから受け入れるしかない。前回訪れた平成時代も平だったからずっと昔からそうなのだろう。
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↑今回の御朱印(菊印入り)
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↑平成の御朱印
 雨に濡れる山道を滑るのに注意しながら下山した。バイクを置いている土産物店に着いたのは13時15分だった。
 しばらく走ったところに自販機があったのでそこでジュースを買って昼食。今回は時間短縮のため非常食の乾パンを食べた。乾パンは軽く、調理の必要もなく、必要な栄養が得られる素晴らしい食品だ。不味いという声も聞くが、これは美味しすぎると一気に食べてしまうので、意図的に風味を落としているのだ。カニヤの乾パンは海上自衛隊で使っているのと同じで、一般には入手難だが、ネット通販で手に入る。
 第5番札所葛井寺を目指し、大阪外環状線を北上する。富田林市に入ると左手にPL教団の塔が見える。通称はPLタワーで正式名称は超宗派万国戦争犠牲者慰霊大平和祈念塔という。巨大な彫刻を彫ったような異様な形をしている。
 14時30分、葛井寺に到着した。施福寺と異なりこちらは閑静な住宅街の中にあり、駅にも近く、中山寺と並び、33ヵ所の中でも最も訪問しやすい寺である。
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↑葛井寺の山門
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↑境内
 ところで葛井寺は藤井寺市にある。葛井寺の門の前の石碑には藤井寺と刻まれている。おそらく古来、どちらの表記も許されていて、市名を藤井寺、寺名を葛井寺にしたのではないかと推察する。
 1時間の乗車でトイレに行きたくなった。トイレの看板を見つけた。手洗い・烏樞沙摩閣(うすさまかく)と書いてあった。葛井寺の由緒によると、「烏枢沙摩閣(お手洗い) 葛井寺のお手洗いは仏さまがいらっしゃる一つのお堂です。不浄を清す烏枢沙摩明王は炎の功徳により身も心も清浄にします。 手を合わせてお入りください。」これはあとから知ったので手を合わせて入ることはしなかった。この一件だけでも御利益をいただけなくなるだろう。
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↑烏枢沙摩閣(お手洗い)
 太鼓の音が聞こえる。誰かがご祈祷をしてもらっているようだ。御護摩の火も燃えている。
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↑ご祈祷中
 さあ参拝しよう。まずは蝋燭と線香。蝋燭(燈明)は50円。線香は1本20円。線香は紫雲香という願掛けを書いた祈願線香もありこれは1本100円である。蝋燭の種火は蝋が下に垂れてつけにくかった。線香は灰に立てるのではなく寝かせる。浄土真宗の作法だが、葛井寺は真言宗御室派である。
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↑燈明と線香
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↑紫雲香
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↑線香は寝かせる
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↑本堂
 納経所は外陣の脇にあるため土足厳禁。写経は納経所で御朱印をいただく時にそのまま納めた。職員は写経と書かれた箱に納めていた。
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↑今回の御朱印
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↑平成の御朱印
 さてこれで今回の巡礼する寺は終了となる。バイクを置いた南大門に葵屋という土産物店がある。葛井寺の門前は住宅街となっていて、商店はこの一軒だけだ。眩しい西日を遮るように銀色の幕を張っている。お土産に葛井餅を買った。
 店のおばさんが饒舌な人で葛井餅の説明をしてくれる。吉野葛を原料にした、いわゆる葛餅だ。説明を聞きながら、寒天と小豆の2種類を試食する。試食は特に制限はなくいくらでも食べられる。試食の結果、寒天を買うことにした。670円のところを20円まけてくれた。というよりそれが定価のようだ。さらに煎餅もオマケでくれた。逆にいうとそうしなければ客が来ないのか。餅は常温で保管しても2ヶ月は保つ。食べる1時間前に冷蔵庫に入れて冷やして食べると美味しいとのこと。帰宅後、その通りにしてみたら、京都の鍵善には及ばないが美味しかった。おばさんによると添付しているきな粉はこぼれるのでお勧めしない、黒蜜がお勧めと言っていた。
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↑葵屋
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↑藤井餅
 15時18分に出発。中央環状線で堺から国道26号線を走る。
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↑この日も頑張ったアドレスV125S
 さすがに眠たくなってきた。ヘルメットのシールドを開ける。風が目に当たって痛い。一時的に目が覚めた。根本的に解決するには休憩。なるべく安く休憩したい。それならイートインのあるコンビニでコーヒーを飲むのが一番だ。しかしイートインのあるコンビニが見つからない。もう我慢できなくなって入ったコンビニは店内飲食禁止だった。
 泉南から雄ノ山峠で和歌山へ。峠を下った紀ノ川沿いにある川辺の湯というスーパー銭湯で入浴した。温泉ではないが炭酸泉が秀逸だった。いつの間にか炭酸泉はスーパー銭湯に必要なアイテムとなっている。
 車庫に着いたのは19時39分、166.2kmのツーリングだった。到着した時間が自分の感覚よりも妙に遅いのでなんでだろう考えてみたら、スーパー銭湯の寝転び湯で30分以上寝ていたようだ。バイクは想像以上に神経がくたびれるのだろう。
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↑走行距離166.2km
 夕食はかっぱ寿司にした。「安かろうまずかろう」で、スシロー、くら寿司、はま寿司に遅れをとってしまっていたが、最近、業績を回復しているという。そういうこともあって試してみたかったのである。20時を過ぎているというのに店内はほぼ満席。しかしコンベアにはほとんど寿司は流れておらず、個別の注文用の特急レーンで対応していた。食べてみると・・・、やはりかっぱ寿司はかっぱ寿司だった。
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↑かっぱ寿司
 お疲れ様でした。次回ツーリングは奈良県の壺阪寺から興福寺の5箇寺を予定している。乞うご期待。
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平成最後の資格~刈払機安全衛生教育受講 [資格]

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 2019年3月、管理人はある資格の取得を目指していた。合格していればそれは「平成最後の資格」となるはずだった。しかし自己採点の結果不合格が判明した。平成はあと1ヶ月ぐらいしか残っていない。この失敗の穴埋めに何か資格が取得できないだろうか。
 この世にある資格は様々である。すでに管理人が取得したものでは、運転免許のようにそれがないと法律で罰せられるというのもあるし、特殊無線のようにそれがないと従事できないものののその必要性が低いものや、アロマテラピーのようにどうでもいいものから、赤十字救命士のように資格というよりも講習が意味があるものもある。
 そんな中でも既に持っている資格の中でも取得が容易だったのは、フォークリフト、クレーン、玉掛けの技能講習だ。これらはすべて勤務先で必要なものだったので、会社が費用を負担してくれた。初日は座学で、2日目は実技講習と試験。その後にごく簡単な筆記試験があって、ほぼ即日に受講証明書が発行されるというものであった。費用はおおむね1万円ぐらいで、お金と時間さえあればほぼ確実に取得可能だ。こういう技能講習はそれがないとその作業に従事できないというよりは、労働災害を防止するために厚生労働省が講習を受けるように企業に勧めているものだ。講習は厚生労働省の外郭団体が産業機器メーカーに委託して行っており、高い費用はおそらく外郭団体に天下りした役員報酬に使われているのだろう。
 そう思うと面白からずな気持ちになるのだが、とにかくほとんど無試験で取得できる資格として、その時点で急浮上することになった
 労働現場において、危険有害な作業を行うにあたって、一定の技能講習を受講したものを従事させるために、就業を制限したものや、就業を制限されたものに就くために受けるべき講習があり、学科と実技による講習と簡単な修了試験のある技能講習と、講習を聞くだけで修了証をもらえる特別教育がある。技能講習であっても実技・試験がなかったり、またその逆もあったりして例外もあるのだが、おおざっぱにいえば、技能講習の方が特別教育の方が格上であり、つまりは技能講習の仕事は危険度が高いというわけだ。
 管理人が持っているクレーン、玉掛け、フォークリフトはこの特別教育で修了したものだ。
 しかし特別教育のさらに下にほぼ講習のみという安全衛生教育というのがあり、以下のようなものが指定されている。

振動工具取扱作業者
造林作業の作業指揮者等
木造建築物解体工事作業指揮者
揚貨装置運転士
クレーン運転士
移動式クレーン運転士
フォークリフト運転業務従事
ボイラー取扱業務従事者
ボイラー溶接業務従事者
ボイラー整備
チェーンソーを用いて行う伐木等の業務従事者
機械集材装置運転業務従事者
ストラドルキャリヤー運転業務従事者
玉掛け業務従事者
刈払機取扱作業者
建設工事に従事する労働
丸のこ等取扱作業
車両系建設機械(基礎工事用)
車両系建設機械(整地、運搬、積込、掘削用)
職長

 要するに特別教育より取得を簡単にしたものだ。表向きの理由は労働者の安全意識を向上させて労働災害を防止するということだが、やはり天下り先の外郭団体の仕事を確保するためだろう。
 それはともかく管理人はこの中の「刈払機取扱作業者安全衛生教育」を受講することにした。刈払機とは要するに草刈り機でよく堤防とかで雑草を刈るに使っている、あの棒の先に小さな回転のこぎりを取り付けた機械だ。この刈り払い機はこの教育を受講しなくても使えるのだが、官公庁の仕事を受託する場合はこの教育を受けていなければならないといういうことで、企業に受講を勧めているわけだ。
 講習は地元和歌山でも行われていて、月1回のペースで4月は水曜日の実施だった。こういう講習は企業向けなので平日なのは仕方がないのだけれども、どうせ有給休暇を取るのなら次の日は休みにしたい。金曜日に近畿でやっているところはないのだろうか。あった。
 4月26日、大阪府茨木市のキャタピラー教習所で刈払機の講習があることがわかった。茨木とは遠いが、前泊するほどのことではない。講習が終わったら、大阪のホテルでのんびりしよう。そう決まったところで、講習費用10500円を払い込み、写真付きの申込書を郵送した。返送されてきた受講証の番号は5番だった。講習まで日がないのにこの若い番号は人気のなさを感じさせた。

4月26日金曜日、電車を乗り継いでJR茨木駅にやってきた。平日の通勤時間帯に大阪方面の電車に乗るのは久しぶりだった。8両編成でも混んでいて、進行方向逆に辛うじて座れた。サラリーマンが大股で歩く大阪駅に降り立った時、いつも田舎企業にバイク通勤なので、もしスーツを着ていればエリート社員になった気分になれるのになあと思った。しかしこの講習は作業服に安全靴が望ましいとされている。管理人は作業服ではなくジーパンだったが、靴は普段バイク通勤で履いているワークマンで買った防水シューズが安全靴そのものなのでそれを履いてきた。つまりエリートとは程遠いブルーカラーであった。
 キャタピラー教習所は国道170号線沿いにある。茨木駅からは阪急バスに乗る。下井バス停から歩いて5分。広大な敷地のキャタピラー教習にやってきた。販売ではなく講習専門の施設で、すでにクレーンの実習講習が始まっていた。
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↑茨木キャタピラー教習所
 講習予定表にベトナムの国旗があった。今や建設作業員は外国人労働者に頼っている状態であり、ベトナム人労働者にも当然安全教育を施さねばならない。しかし彼らは日本語はわからないので、女性の通訳が奔走していた。
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↑クレーンの教習中
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↑予定表にベトナム国旗
 受付を終えると2階の講習室に案内された。受講番号順に座る座席指定であった。ほぼ教室が埋まっていた。
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↑1階が事務所2階が教習室
 講義は9時から開始された。講師の顔はモノマネ芸人の松村邦洋に似ていた。
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↑教室

 刈払機講習は13名の参加。その内2名が私と同じ触ったことのない初心者。大体は会社から来ているらしく、作業服を着た人もいる。ジーパンを穿いた初心者は3名ぐらいだった。
 講習はパソコンと大型スクリーン。パワーポイントとメディアプレイヤーで動画再生と平成後期では一般的になった講義スタイルで突き進んでいった。

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↑テキスト
講習は超眠たく、何度もこっくり来た。特に法規の説明は法律で義務づけられているので割愛できないが、講師も受講者も我慢しなけければならなかった。動画では主に事故の事例が紹介された。

 昼食はQUOカードを使って幕の内弁当を買い、教室で食べた。ベトナムの人たちはコンビニの食事は口に合わないのか、自分たちで麺を持ち込んでフォーのようなものを作って食べていた。
 肝心の実技講習で激しい雨が降ってきた。やったことは教室の中で実際に刈払機を担いだことと、雨が上がってから外に出てエンジン始動を見学しただけである。
刈払機の持ち方
1.ベルトを肩に掛ける
2.機械を手に持たずに刃が地平に対して5度を保つようにベルトを調整する
3.左手は軽く添え、5cmほど沈めて、刃を傾ける。
4.右から左に刃を移動させる
5.キックバックを避けるため左から右には移動させない
6.半歩ずつ前進する
7.小石には注意する
8。蜂・蛇にも注意する

キックバックとは切断した草や石が作業者に向かって飛んでくることである。歯は上から見て反時計回りで回転しているので、左半分に当たったものはこちらに向かってくるわけだ。
 草むらには蛇や蜂がいる。蛇は何もしなれば大概は逃げるが怒らせると攻撃に転じ噛みにくる。蜂も同様である。足下と顔のガードが必要だ。それに蜂は休憩での飲み残しのジュースの中に潜んでいることがあるので注意しなければならない。
 あとこの作業は手に振動を受け障害が発症することがあるので、1日の作業は2時間以内し、30分以上の連続作業は避け、5分以上の休止時間か、鎌など手工具による除草作業に変えたりすることが規定されている。しかし実際に守られているかどうかはわからない。

エンジン始動要領
1.チョークを閉じる
2.スポイトのようなポンプを指で動かしシリンダーに燃料を供給
3.コイルコードを引き、ポンポンと初爆音を確認する
4.チョークを開きコイルコードを引く
5.エンジン始動を確認
6.エンジンを切るにはKILLスイッチを押すか、チョークを閉じる

 草刈り機は2サイクルエンジンを使用している。小型軽量で高速回転するこの用途にはふさわしいといえるが、シリンダー内でエンジンオイルが一緒に燃えるので排ガス規制をクリアするのが難しく、4サイクルエンジンに置き換わりつつあるらしい。このエンジンを見ていて疑問に思ったのはバッテリーがないことだ。セルモーターの代わりとなる始動はコイルコードがあるからいいとしても、スパークプラグの電気はどこから供給しているのだろう。いろいろ考えたがどうやら出力軸と同軸で回る発電機から直接供給しているらしい。間違えていたら指摘してほしい。
 それにしてもテキストを見てもエンジン付きの刈り払い機の説明しかない。ホームセンターでは電動式の刈り払い機も売っている。プロはそういうのを使わないのだろうか。
 16時30分に講習が終わり、写真付きの修了書が配れた。これが平成最後の資格となった。資格といっても何の勉強もしていない。講義を受けただけだ。資格といえるものではないかもしれないが、履歴書には書ける。それなりに意義があるのだと自らに言い聞かせる。
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↑修了証
 16時45分発のバスに乗って茨木へ。大阪駅から御堂筋線で難波へ。
 予約していたカプセルホテルアムザに着いたのは17時45分頃。ここは管理人の大阪の定宿である。カプセルなので運が悪ければ泥水者のいびきに悩まされるが、風呂が広く、くつろげるスペースも広い。漫画も新聞も置いてある。疲れていればマッサージもある。
 風呂に入って、ホテル内にある「男はつらいよ」で一献。このアムザは風呂もカプセルもいいが、食事が弱い。「男はつらいよ」は高い割に量が少なくしかも美味しくない。
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↑文句を言ってますがやっぱ酒はイイネ
 したたかに酔って21時にはカプセルで寝込んだ。0時頃宿泊客の口論で目が覚めた。また寝て4時頃起きて風呂に入りまた寝た。カプセルならでは行動だ。床で寝ている人がいるので踏まないように気をつけないといけない。
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↑カプセル内部(頭から足に向かって撮影)
 翌日8時に起きて朝食を食べ、次の目的地に向かった。
 令和初の資格はいったい何になるのだろう。勉強するのが面倒になれば、この「安全衛生教育」を利用するかもしれない。
タグ:刈払機講習
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第1回令和記念西国三十三カ所霊場ツーリング [バイク]

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 2019年4月30日をもって平成が終わり、翌5月1日より令和となった。管理人は新元号「令和」を生きた証として、ある企画を立案した。それは西国三十三カ所霊場巡礼であった。
 実は管理人は平成時代に既に西国三十三カ所巡礼を行っている。しかし如来と菩薩の違いもわからないなど、仏教に関する知識が足りない頃から始めていたので、当初は朱印を押してもらうにしても、まさしくスタンプラリー感覚であったし、他の用事のついでに参っていたので順番もバラバラだった。別に第一番札所からも参らねばならない決まりはないし、むしろ順番に参らない方がいいという人すらいるけど、管理人は次の元号を迎えた時には順番に巡礼しようと決めていた。
 当時、皇室典範には天皇が崩御した場合に限り、元号が変わることになっていて、それは、管理人が会社を定年を迎えた頃だろうと予想された。しかし特例法の成立により、明仁天皇は上皇になられ、徳仁皇太子が天皇になられる、譲位が実現することになった。よって予想より10年以上早く、新元号を迎えることになった。定年後の巡礼は体力的にきついと思っていたので、上皇陛下のご英断に感謝するしかない。
 また今回の2度目の巡礼に関しては、順番に参拝する以外に新たな条件を付け加えた。それはすべて自分のバイクで巡礼するということと、般若心経を写経して各寺院に納めることであった。
 まとめると次の3つを令和巡礼の条件とした。
1.第一番札所から順番に回る
2.自分のバイクで巡礼する
3.写経してそれを納める

 西国三十三カ所参り専用の朱印帳と写経セットを購入した。管理人はとても悪筆なので楷書のなぞり書きを購入した。
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↑買った写経用紙
 令和初日となる令和元年5月1日。記念すべき初めての写経をやってみた。本来は身を清め、香を焚いてするものらしいが、手を洗い、歯を磨いただけだった。極楽浄土があるという西に向いて写経を始めた。静かに筆を進めるため家族には「これから写経するので、邪魔しないで」と釘を刺しておいた。写経は約30分かかった。これを33カ所と番外3カ所、それにお礼参りの善光寺と高野山を含めると38枚書かないといけない。
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↑初めて書いた写経
 管理人のバイクはスズキアドレスV125S。通勤はもちろん中山道、東海道を駆け抜けた相棒だ。
 管理人は和歌山市在住である。那智勝浦町にある青岸渡寺を目指す最短コースは、すさみまで高速道路を利用するコースだ。しかしアドレスは125ccなので高速道路に乗ることができない。次に距離的には国道24号線で五条まで行き、そこから吉野を経由して、熊野川沿いに下るのが最短コースとなる。しかし管理人は未だ乗ったことのない高野龍神スカイラインを利用してみたかった。
 結局できあがったルートは、国道24号線を東進し、笠田から高野山に入り、高野山から高野龍神スカイラインで竜神に向かい、そこから中辺路を経由し熊野川を沿いを南下し新宮市を通り、那智勝浦町に至ることにした。帰りはひたすら国道42号線を串本、田辺、御坊、有田を通って和歌山市方面に進むことにした。距離は遠回りとなるが、帰りの半分は暗闇の中を走ることになるので、人口の多い紀南海岸沿い地域を走った方が安全だろうという判断であった。
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↑和歌山県のほぼ外周を走るルートになった。

 5月3日午前8時、いよいよ巡礼に出発した。
 9時20分、高野山のコンビニで休憩。景観に配慮して落ち着いた配色になっている。高野山はすっかり外国人に有名になった。我々日本人がインドのタージマハルに行くとの同じような感覚だろうか。
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↑景観に配慮したコンビニ
 高野龍神スカイラインは初めて走った。前を走るクルマは高齢者が運転しているのか、はなはだ遅い。しかしカーブが多く追い越しのタイミングも難しい。やがて前のクルマは左に曲がった。どうやら急ぐ必要のない地元の人だったようだ。紅葉の時期に走ったらさぞきれいだろうなという景色を走る。管理人は安全運転なので次々と走り屋のクルマやバイクに抜かれた。
 10時10分、高野龍神スカイラインの最高峰、ごま山スカイタワーに到着。クルマよりバイクの数が多い。展望台は有料。時間はあったが、どうせ山並みが見えるだけなのでやめた。
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↑バイクが多い
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↑ごまさんスカイタワー
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↑周りはこんな山並み
 ここからはひたすら下った。
 11時40分、田辺市中辺路町近露にある道の駅で休憩。無料で提供される茶がゆとめはり寿司さんま寿司の昼食。ここは世界遺産「熊野古道」の入口となっている。
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↑道の駅
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↑無料の粥と寿司の昼食
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↑ここは熊野古道の入り口
 熊野川沿いを下り、新宮を通って那智勝浦にやってきた。
 麓から果てしなく続くクルマの列をすり抜けながら、13時30分、那智の滝駐車場に到着。幸いバイクはどこにでも停められる。青岸渡寺まではここから急な斜面を登る。
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↑バスの後ろに駐輪
 やがて那智の滝が見えた。朱色の五重塔との取り合わせは絵はがきそのものである。
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↑絵葉書でよく見る那智山
 青岸渡寺に到着。さっそく参拝。前回の参拝は平成13年8月19日だから18年ぶりである。
 ご朱印を書いてもらった。寺院の場合、御朱印とは納経したことの証明書のようなものであった。だから御朱印をいただくところは「納経所」と書かれているのが普通だ。管理人はその看板に偽りなく納経して御朱印を書いてもらうのは初めてであった。写経は卒業証書の入っていた筒の中に丸めてあった。写経は丸めたまま「納経箱」と書いた白い箱に入れた。神社ほどではないが寺院もご朱印ブームになりつつある。
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↑今回いただいた御朱印
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↑前回いただいた御朱印
 折角だから那智の滝に近づいてみた。世界遺産にふさわしい偉容だ。レンタルのコスプレか古の装束を身につけた男女がいた。
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↑那智の滝に接近
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↑大きなおみくじ
 午後3時時前、那智を去る。ここからはひたすら帰宅への道。反対車線の那智の滝を目指すクルマの列は麓まで伸びていた。
 Bluetoothレシーバーが2個とも電池切れとなり、専用の充電ケーブルも持ってきていなかった。ここからは音楽なしで走ることになった。鞄の中に非常用小型ラジオがあることを思い出し、それをヘルメットにつけた。しかし山間部で電波が弱く、エンジンのノイズを拾ってしまい、雑音の中で断片的に聞こえただけだった。
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↑Bluetoothレシーバーとラジオ
 午後5時20分、国道沿いにある「椿はなの湯」で休憩。肌がすべすべになる良湯だった。
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↑椿はなの湯
 田辺のコンビニで軽く腹ごしらえ。ここからはほぼ闇の中を走る。
 午後9時前、下津のいきなりステーキで夕食。何で「いきなり」と思うかもしれないが、管理人はこのチェーン店に入ったことがないので、一度体験してみたかったのである。まさにいきなりの反射的行動であった。選んだのが国産牛だったのでサイゼリアのリブステーキの約3倍のお値段。確かに量も多いけど、値段ほどのものじゃない。時間が遅いとはいえ店内は空いていて先が思いやられる。
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↑ステーキで腹ごしらえ
 午後10時20分、無事に自宅に到着。走行距離は430km。一日のバイク走行距離としては新記録。
 お疲れ様でした。
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↑到着時のメーター


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リアボックスのステーを修理する [バイク]

 自分のバイクにはリアボックスが付いている。最初に買ったそれはデザインはいいものの収容力がなく使い勝手が悪かったので、早期に手放した。(この記事を参照)代わって取り付けたのは写真のような黒い大きなリアボックスだ。これはキャリアでの取り付けがノブボルトなので振動で弛みやすく、気がつくとボックスが外れそうになるという欠陥があるものの、フルフェイスのヘルメットが余裕で入る収容力と、ボックスの上にもさらに荷物が載せられる利便性で、お気に入りとなっている。
↓購入ページ
リアボックス 黒 40L
 そんなリアボックスにちょっとした不具合が生じた。リアボックスの蓋が90度以上開かないようにするためのステーが切れてしまったのである。ステーは樹脂製で厳しい環境下で何度も動いているうちに消耗したのであろう。片方のステーが切れると、もう一方に負担がかかり、両方とも切れる可能性が高くなる。ステーがなくなると、物をボックスに入れる時に蓋を手で支えておかねばならず、使いにくくなる。それに経年変化か樹脂の柔軟性がなくなり、蓋を閉めた時に、ステーが挟み込むようになった。修理の必要性を感じた。
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↑取り付けられたリアボックス
 まず考えたのは、ステンレスワイヤーでステーを作ることであった。ワイヤーの両端はカシメで固定して輪にした。しかしこの方法は左右の長さをそろえるのが難しい。長さを均等にしなれば、一方のステーに負担がかかるから避けないといけない。
 そこで、ステーはチェーンで製作することにした。チェーンなら目数で長さをそろえることが容易だからだ。これを採用することにして、次にチェーンの取り付け方法をどうするかであった。前の樹脂製ステーはワッシャをかましてタップボルトで固定していた。チェーンをそのままボルトで固定するのは難しそうだ。
 対応策としてチェーンの両端にキーリングを取り付けることにした。キーリングとはキーホルダーでよく使われる二重の金属の輪で切れ込みからキーを差し込めるようになったものである。こう書くと難しそうだが実物を見れば、ありふれた物である。これで両端の固定は問題ないかと思われた。しかし筆者は不安に感じていた。それはキーリングは二重の輪になっていることで伸びに弱いことである。そんなに力がかからないとはいえ、高頻度の蓋の開け閉めに耐えられるだろうか。
 解決策として考えついたのは、キーリングの代わりにスプリットリングを採用することであった。スプリットリングは釣りのルアーを固定するのに用いるリングで、形はキーリングとそっくりである。しかし強度はまったく段違いである。けれどもその代償としてリングは固く閉じていて、開くのは容易ではない。キーリングのように指で広げることはできない。できれば専用のリングブライヤーを使うのが望ましいが、ラジオペンチとマイナスドライバーでも、何とか広げることができる。ただし怪我をしないように注意しなければならない。こうしてようやくできあがったと思ったら、新たな問題が発生したのである。
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 チェーンは自重で蓋を避けるように落ちて、蓋を挟み込むことはないと思ったが、それはセンタースタンドでバイクを立てた場合であり、サイドスタンドを使うとバイクが傾くのでチェーンが挟み込んでしまうのである。いちいち手でどけるのは面倒だ。
 そこでチューブの中にチェーンを通すことにした。少しでも柔軟性を確保するため、やや値段が高いがシリコン製にした。これでようやく問題が解決した。
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↑完成した
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↑拡大しました
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↑小さなスプリットリングを付けた
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↑これで挟み込むことはない
 今後の課題としては、ステーを一時的に外せるようにしたい。これは蓋の上に荷物を置いた場合に蓋を開放すると、ステーに荷がかかるため、一時的に外せるようにしておいた方がいいからだ。仕様としてはチェーンの途中に小さなカラビナを設けることを考えている。その時のためにチェーンの途中に小さなスプリットリングを取り付けてある。
 以上、つまらないステー製作記でした。
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UVレジンでEdyストラップを作る [最近買ったもの]

注意:
 この改造作業は少なくとも簡単な機械加工や電気工作の経験が必要です。全く初めての人が行うと重大な結果を招くことがあります。新しい技術の取得も兼ねているので採算を度外視しています。
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はじめに:
 日本の電子マネーのさきがけのEdyはカード、おさいふケータイなどで利用できるが、ストラップ型というのも存在する。これはもともとiPhoneなどおサイフケータイに対応していない海外製のスマートフォンでEdyを使うためのものだ。おサイフケータイの代用である以上、カードを入れている財布を持っていない時でも使えないといけないからスマホに取り付けておこうというわけだ。
 そんなEdyストラップを筆者は使っている。筆者は格安SIMを利用しているので、海外製のAndroidのSIMフリー機の方が相性がいい。ドコモなどキャリアブランドの日本製スマホは、おサイフケータイが使えたり、ワンセグテレビが見れるなど利点もあるが、不要なアプリが邪魔をするし、テザリングが使えない、さらに日本製はどうも動作が不安定なのだ。しかし海外製のスマホはほとんどストラップをつけるところがなく、つけるとすれば、ケースに穴を開けるか、イヤホンジャックを利用するしかない。
 筆者はEdyストラップをスマホではなく、キーホルダーにつけている。スマートフォンは確かに万能化が進んでいるが、家、会社のロッカー、クルマの鍵を代替できるわけではない。ないと困るのは鍵の方だから、そっちに付けているというわけだ。
 Edyストラップは楽天市場に売っている。アマゾンでは売っていないところが、Edyの親会社が楽天であることを再確認させられる。
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 使い始めて1年半程経過すると、ストラップを止めている穴が欠けてしまった。EdyのIC基板が収められている素材が衝撃を吸収することを重視しているせいか柔らかすぎるのである。仕方がないので反対側に穴を開けて凌いだ。しかしまたも1年後に欠けてしまった。
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↑ストラップホールが欠けてしまったEdyストラップ

 これは抜本的に改良する必要があると感じた。その方法としてUVレジンを使ってこれと似たものを作ろうというわけである。
 最初にお断りしておくが、筆者はかなりいい加減な性格で、自分で使うものであれば、少々出来が悪くてもかまわないという主義だ。作業上精密なものはできないので、完成度を求める人は他の方法を選んでもらいたい。

必要工具・部材
1.おゆまる
2.湯沸かし機
3.コップ
4.UVレジン
5.紫外線ライト
6.ニッパー
7.電気ドリル
8.ストラップ
9.iPodシリコンジャケット
10.イソプロピルアルコール
11.カッター
12.収縮フィルム
13.シーラー
14.ヒートガン
15.細銅線
16.鋏


1.Edyストラップを分解する
 Edyストラップ本体は47mmX37mmぐらいの大きさだ。この中にEdyの心臓部というべき基板が収められている。その大きさは500円玉を四角にしたような大きさである。つまり本体はほとんど緩衝材のような役割だ。そのため柔らかくする必要があり、結果としてストラップ部分の引っ張りを繰り返すことにより穴が欠けてしまうというわけである。
 まずはこの緩衝材を分解し、基板を取り出す必要がある。その方法は簡単で、写真でいうとリッラクスマの絵柄を捲ってやればいい。いったん外すと復元は困難なので覚悟を決めてやること。
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↑絵柄を剥がす
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↑Edyの心臓部が見えた
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↑基板を取り出す

2.おゆまるで型どり
 「おゆまる」はお湯で柔らかくなる粘土。100均でも売っているらしいが、筆者の近所にはなかったので、アマゾンで購入した。
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↑おゆまる(ケースは別売り)
 湯沸かし器はリトルボコボコを使った。詳細は拙作ブログへ。
「旅行用湯沸かし器リトルボコボコ」↓
https://umayado.blog.so-net.ne.jp/archive/20111230
 これを沸騰させたお湯の中に入れ柔らかくする。そして指で形を整えて、さっき分解したストラップケースを押しつける。短時間で固まるので素早く行うこと。失敗したら、もう一度粘土をお湯に入れて柔らかくして再挑戦。
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↑型どりをする

 粘土が固まったら、ケースの高さに合わせて盛り上がった部分をカッターで切る。
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↑カッターで形を整える
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↑こんなもんかな
 ストラップの形も壊れているし、粘土だから型どりは正確ではない。大体のものしかできないが我慢する。
 
3.基板をセット
 いい形にできたら、基板の入っているケースを写真の位置に置く。これは基板の分だけ樹脂をへこませる必要があるからだ。
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↑基板を置く

4.UVレジンを流し込む
 UVレジンを型に流し込む。UVレジンとは紫外線で硬化する樹脂である。100均に行くと、アクセサリー製作用の型が多数売られている。筆者はアマゾンでレジンを購入した。
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↑UVレジン
 型にゴミがあるとその部分に穴があくのでよく確認してから流し込む。粘土の場合どんなに頑張っても平行は出ないし、樹脂の表面張力でこんもりなってしまう。その点は妥協するしかない。
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↑レジンを流し込む

5.紫外線ライトで硬化
 樹脂を紫外線に当てて硬化する。この紫外線ライトもアマゾンで購入した。
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 5分も光を当てれば硬化する。ただし紫外線が届きにくい底の方は液体が残りべとつくので注意すること。その部分はイソプロピルアルコールで除去する。

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↑紫外線で硬化中
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↑固めた樹脂を取り出す

6.はみ出た樹脂を整形
 はみ出た樹脂をニッパーで切る。より精密に行うにはヤスリを使ってもいいだろう。
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↑ニッパーではみ出しを切る

7.プロテクターの装着
 この固めた樹脂をダイソーで買った小さな革製のコインケースに入れ、ハトメをかましてストラップホールにしようと思った。しかしサイズが大きくなる点が気になった。そこで同じくダイソーにあったiPod nano用のシリコンジャケットが偶然にもサイズが合いそうなのでそれにめ込むことにした。
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↑当初利用予定だった革コインケース
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↑iPod nano用のシリコンジャケット
 早速はめてみる。さっきも書いたように、筆者はいい加減なので、ちゃんとハマらなくても気にしない。ストラップケースとプロテクターの寸法は本当は一致していない。

8.Edy番号の記録
Edy番号はケースに黒字に黒という実に見にくい色で書かれている。この番号は楽天ポイントのリンクに必要なので記録しておくこと。筆者は写真のように樹脂の裏側にシールを貼り、別に番号をPCに記録した。
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↑うまい具合に裏側には穴があいている

9.ストラップホールをあける
 ストラップを取り付ける穴を開ける。筆者は電気ドリルを持っているので、3mmのキリで簡単に開いた。樹脂なのでピンバイスも使えるかもしれない。
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↑ストラップホールをあけた

10.装飾用のシールを貼る
 無粋さをごまかすためにシールを貼る。ちょうどいい大きさのシールはないと思うので、プリンターで印刷した。できればステッカーで使うような耐候性が望ましいが、今回は普通の写真用紙を糊付けした。シールは元のストラップに描かれていたRILAKKUMAの画像を見つけ出して貼り付けた。権利については先代からの引き継ぎということで了承願いたい。
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↑リラックマのシールを貼った

11.熱収縮フィルムの用意
 筆者はEdyをキーホルダーに付ける。家、会社のロッカー、クルマ、バイク、自転車と鍵は多数ある。バイクはチェーンロックやリアボックスもあるので4本もある。これだけ多数の鍵があれば、Edyストラップのゴムは小さなポケットの中でぐしゃぐしゃになり脱落するだろう。これを防止するために、熱で収縮するフィルムで包むことにする。商品のパッケージでよく使われているあれである。筆者が使ったのは「PVCシュリンクフィルム140x180mm」というフィルム。100枚入りで350円くらいである。
 Edyをとりあえず写真のような感じで袋に入れてみた。ただしこれが一番いいのかはわからない。
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↑フィルムに入れてみた

12.ストラップホールに目印をつける
 シールを貼ってしまうと、ストラップホールの位置がわからないので、針先で穴位置に目印を付けておく。この作業をしておかないと、収縮させたフィルムを付けてから穴位置を探すのが難儀である。

13.シーラーで三方を塞ぐ
 フィルムを熱収縮させるには、大きさを品物にできるだけ近づけて密封しなければならない。シーラーはフィルムを熱で溶かして密封する道具で、セロテープやホチキスもいらないので梱包によく使われている。これを使って3方向を閉じて、その大きさに切る。
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↑シーラーで塞ぐ

14.ヒートガンでフィルムを収縮
 ヒートガンでフィルムを熱収縮させる。ヘアドライヤーでもできそうに思うが、熱容量が小さく、ヒートガンを使うのが望ましい。熱風が出るので、やけどに注意し、品物の置き場にも注意を払う必要がある。あと1800Wの消費電力があるのでたこ足配線から給電するのは避けなければならない。
 熱風をまんべんなく品物に当てれば、面白いようにフィルムが収縮していく。
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↑ヒートガン
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↑熱収縮させる
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↑フィルムが貼れた

15.ストラップを通す
 別に用意したストラップを通す。プロテクター部分とシールの穴位置は、丸棒で貫いて穴を大きくする。穴は小さいので通しにくので、細い銅線を通してこれを呼び線にする。
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↑穴をあける
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↑呼線を挿入
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↑ストラップを通す

16.完成
 道具が必要なのでちょっとお金がかかりすぎた感がある。これだけの作業のために投資するのは不適当だ。しかしUVレジンにしてもシュリンクフィルムにしても今後応用可能なものである。友達と共有するなどして活用するのも一案である。また基板は500円玉程度の大きさなのでその大きさのケース、もしくは型があれば、それをレジンで固めてもいいかもしれない。

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↑完成
追記:
シュリンクフィルムは1ヶ月を経ずして破れてしまった。二重にしても結果は同じ。今は当初予定していた革コインケースに入れて使っている。これは嵩張るが耐久性は申し分ない。
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ストラップホールのないスマホにストラップを取り付けよう [最近買ったもの]

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 かつてのスマートフォンが普及する前の日本では、多くの携帯電話にストラップが取り付けられ、そのデザインで差別化が図られていた。ある意味ストラップ文化があったといえよう。
 ところがスマホの普及により状況が一変した。海外製のスマホはほとんどストラップをつけるところがないのである。海外ではストラップ文化が存在しないのだろう。日本製のスマホは需要があるのでストラップホール付が多いが、もし海外製のスマホを手にしてストラップをつけるとすれば、ストラップホール付の外付けのケースを買うか、ケースに穴を開けるか、イヤホンジャックを利用するしかない。イヤホンジャックの場合、特別な仕掛けがなければ、落下で簡単に抜けてしまうし、イヤホン使用時にストラップが使えないばかりか邪魔になる。
 スマホ本体に穴をあけるのは難しい。やはりカバーに穴をあけるしかないだろう。ここではその方法を紹介する。
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↑オリジナルのASUS ZenFone 5Q
 筆者のスマホはASUS ZenFone 5Q。まずこれに適合するケースを買った。ZENFONE 5Qには透明のカバーが付いているが、これは柔らかすぎて穴をあけてもストラップに引っ張られて伸びてしまう。だからできるだけ硬いカバーを選ぶ必要がある。筆者のスマホは赤なので同じ色のケースにした。ケースの赤色は若干くすんでいて同じ色ではないが我慢しよう。
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↑ケースはアマゾンにて購入
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↑中国から送られてきた
 このケースは硬くていい感じだ。さてストラップの穴をどこに開けるかだ。ケースを見渡すと一カ所しかなかった。それは下の中央部であった。ここはUSBコネクタがあってその下にわずかな隙間が空いているのだ。何とかストラップの紐は入りそうだ。
 ストラップはセリアで買った。デザインは無きに等しいものの、税抜き100円と格安ながら、シリコン製で、ポケットに入れた時にスマホ本体を傷つけない優れものだ。色はスマホに合わせて赤にした。偶然ではあるが買ったケースの色とよく似ている。手触りはややすべりやすくなったものの、手持ちした時の大きさの違和感はない。
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↑セリアで買ったシリコンストラップ
 それではケースに穴を開けることにする。穴の大きさはストラップがギリギリ通る2mm。場所的にこれ以上大きな穴は開けられない。狙い所はケースの丸まっているアールの部分のほんの少し上。ちょうどアールのところがストラップの紐が通ることになる。
 穴を開けるには道具が必要だ。筆者は電気ドリルを持っている。いきなり高速回転するので、ドリル刃が横に流れないように、先の尖ったキリで切り込みを入れておく。ケースは樹脂なので1秒もかからず簡単に開けることができた。キリだけで穴が開けられそうだ。筆者は持っていないがピンバイスでも開けられるのかもしれない。こういう穴開けは経験者なら簡単な作業だが、「これが人生最初の穴開け」というのであれば、他の材料で練習することをお勧めする。
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↑穴をあけたところ
 次にストラップを通す。ストラップの紐はどのスマホでも通すのが難しいが、この小さな穴に通すのは誠に難儀である。そこでできるだけ細いステンレス線か銅線を用意する。これを呼び線にして、ストラップの紐に掛け、2本のステンレス線で引っ張る。これでストラップの取り付けは完了だ。
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↑ストラップを取り付ける
 実際使ってみると、効果は絶大だった。一番の利点はカメラ撮影である。船や展望台などで腕を伸ばして撮影する場合、スマホを海や谷に落としはしないかと心配しながら、シャッターボタンを押さねばならなかった。しかしストラップを指に掛けておけば、その不安をかなり軽減できる。今回買ったセレナのストラップは輪が小さくて手首には掛けられないが、ダイソーで売っているストラップなら手首に掛けることができる。これなら心配は皆無となろう。
 あと筆者の場合でいうと会社のロッカーでも有効だ。うちの会社はスマホの職場への持ち込みは禁止されていて、ロッカーに置いておく必要がある。ところがロッカーには棚がなくスマホの置き場がないのである。ズボンのポケットに入れたままでは通知のチェックに時間がかかる。しかしロッカーには棚はないがフックがあるのだ。ここにスマホを掛けておけば、着替えの前に通知をチェックできて便利なのだ。
 もう一つの効用として、スマホの向きがすぐにわかるというのがある。下側にストラップがあるのでそれさえ意識していれば上下逆向きで使うこともない。筆者の場合、左手の小指にストラップを掛けておけば、落下防止になる。
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↑こうしておけば落下防止
 いかがでしょうか。難しいのは穴開けだけ。それさえできればスマホの使い勝手がとてもよくなるので是非試されたい。


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富士山日帰り登山をやってみた(富士宮から御殿場) [旅行]

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↑浜石岳から望む富士山

1.なぜ富士山に登ろうとしたか
 富士山は日本で最も標高の高い山である。同時に誰もその山容を思い浮かべることのできるほど美しい山であり、知らぬ人がいないほど有名な山だ。またその頂上から日の出を迎える「ご来光」は他の山にはない特別な意味を持っている。
 富士山は見る山だ。登って楽しい山ではない。
 実際に富士山に登った人もそのようにいう。岩ばかりで歩きにくい。下界の景色は雲に遮られて見えない。山小屋では眠れない。彼らはそのようにいう。しかし富士山はおそらく日本で一番登頂者の多い山である。これは古来より信仰の対象となっていて登山道が整備されていたことが大きいし、何より日本一の山であることで、登り切った時の達成感が大きいのが理由だろう。もちろんその魅力に取り憑かれて何度も登っている人がおり、それが多くの人が富士山を目指しているのだろう。
 かくいう筆者も「富士山は見るに限る」と決めていて、富士登山に全く関心がなかったのだ。そんな筆者は富士登山を思いついたのは、2018年の7月に入ってからであった。何故急にそう思ったのかわからないが、何となく富士山が呼んでいるような気がしたからだ。それは現実的でないにしても、要するに歳を取ってからではできなさそうなことに挑戦したくなったのだろう。
 富士山というのは一般客が登れるのは7月から8月の間。大雑把に言って学生の夏休み期間中だ。しかし別に学生に合わせているのではなく、富士山の夏は短く、それより前や後は雪の残る氷の世界なのだ。当初私は9月の登頂を考えていた。その方が空いていると考えられたからだ。しかし9月になると山小屋が閉鎖されてしまい、トイレをするのもままならないという。小用の近い私としては死活問題だ。何しろ富士山は岩ばかりで樹木がない。つまり身を隠すところがないので小用もできないのだ。さらに汚物の処理も問題だ。したがって、富士登山は山開き中の7月か8月に行くことに決めた。
 次にどのような日程で登るかである。富士登山で検索すると初心者は山小屋で泊まることを推奨している。一般的なツアーは昼間に五合目から八合目を目指し、夕方にそこにある山小屋に泊まる。深夜1時頃から山頂を目指し、寒さで震えながらご来光を待つ。明るくなったら登山道を下りて五合目に戻る。1泊2日の行程だ。ご来光を前提とする限り、頂上に近いところにいる必要があるから山小屋の宿泊は避けられない。5合目から頂上までは6時間ほどかかり、夜通し歩かないといけないからだ。しかし山小屋というのは雑魚寝で混雑時は畳一畳に3人ぐらい押し込められることもあるという。プライバシーもなく、一人旅が多く他人のいびきを気にする筆者としては山小屋は避けたかった。ご来光を仰げるのは魅力的だが、その場合暗い夜道を歩いて頂上を目指さなければならない。初めての富士登山で景色が見えないというのは何だか損した気分になるのではないか。
 そんなわけで富士登山は日帰りで挑むことにした。つまり朝早くから五合目から登り、昼に頂上に到達し、夕方に五合目に戻るというものだ。本来登山とはそのように計画するものだ。富士山を目指す人はご来光という言葉に惑わされているのではないか。
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↑富士登山4大ルート(http://www.police.pref.shizuoka.jp/osirase/sangaku/fujiyamamap.htmlより引用)
 富士登山は大きく分けて4つのルートがある。吉田、富士宮、須走、御殿場の各ルートである。
 吉田ルート(黄色)は富士山の北側に位置する山梨県富士吉田市から登るルートで首都圏から最も行きやすく、山小屋の数も多い。富士登山者の約半数が利用しており、いわゆるツアー客もここを利用することが多い。
 富士宮ルート(青色)は富士山の南側に位置する静岡県富士宮市から登るルートで、4ルートの中で最も歩行距離が短い。その代わり勾配がきつく体力が必要とされる。各合目の休憩所から次の休憩所や頂上が見えるので目標を定めやすく、各合目がほぼ1時間ごとに存在するのでペースを掴みやすいという利点がある。また関西圏から行くのに便利だ。
 須走ルート(赤色)は富士の樹林からスタートするので日陰になって体力的に負担が少ない。また下山道が砂地なので膝の負担が少ない。しかし山小屋の数が少なく、歩行距離が長いという難点もある。
 御殿場ルート(緑色)はスタート地点の標高が低く、走路も比較的なだらかとなっている。しかしその分歩行距離が長く、山頂まで時間がかかる欠点がある。利用者が少ないために山小屋が少なく、しかも等間隔になっておらず配置が悪い。下山道は大砂走りという細かい溶岩に足を埋めながら走ることになる。その間には山小屋もトイレもなく、休憩できるような岩場もないという過酷なコースとなっている。
 富士山のことは何も知らない筆者は、マイカー規制のない御殿場五合目までレンタカーで乗り付け、車内仮眠後、御殿場ルートを日帰り往復するという今思えば過激な日程を考案していた。しかし御殿場ルートは登りに8時間かかるという。これでは日帰り登山は無理だ。それに睡眠不足で高山病の危険がある。
 検討の末、登りは富士宮ルート、下りは御殿場ルートとした。富士宮ルートは前述した利点の他に、富士山の真の頂上である剣が峰に近い。またゴール地点に富士浅間神社の奥宮が鎮座しており、御殿場ルートへの出口も近いのだ。


 富士宮五合目へは麓の新富士駅、富士宮駅からバスが通じているが、富士宮駅発の始発に乗っても五合目到着は7時55分。新富士駅からだと10時30分になってしまう。登りに6時間、頂上滞在に1時間、下山に4時間かかるとすると、御殿場五合目到着は19時を回ってしまう。ところが御殿場五合目から御殿場駅に向かう最終バスは17時45分発。タクシーで15分乗ったところある水ヶ塚公園から19時30分発の富士宮駅行きのバスがあり、これが本当の最終便である。これではあまりにも余裕がなさ過ぎる。登山に無理は禁物だ。登山の基本は疲れたら休む。それでいて暗くなるまでに降りる。19時ともなると夏とはいえ相当暗くなっているだろう。他に水ヶ塚公園までレンタカーで行き、そこからタクシーに乗って、富士宮五合目または御殿場五合目まで移動するという手段がある。しかし疲れている身体で自らレンタカーを運転し、事故でも起こせば大損だ。
 結局、往きはタクシーを利用して富士市から直接富士宮五合目に行くことにした。タクシーの運賃は10000円ほどかかるが、これなら6時30分頃から登り始められるので、おそらく正午には登頂できる。帰りは御殿場五合目発御殿場駅行きの最終バスに乗ることにした。御殿場からは鉄道を乗り継いで戻る。宿泊地は関西から便利な東海道新幹線新富士駅付近とした。金曜日は早い目にチェックインしてぐっすり眠って高山病に備える。不要な荷物はホテルに置いていき、土曜早朝にタクシーに迎えに来てもらって富士山をめざす。そしてホテルに戻り、シャワーを浴びてから祝杯を上げ、ぐっすり眠る。日曜日はゆったりと途中下車しながら和歌山に戻ることにした。
 基本計画はできたので実行あるのみ。登山用のザックと靴、それにストックはすでに持っている。足りない物を買いに行く。綿のジーパンは汗を吸収するが乾きが遅く、重くなるので登山に不適ということで速乾ナイロン製のズボンと同じ理由でメリノ羊毛製の下着も買った。
 当初、7月の3連休を予定していたが、2週間前の「てんきとくらす」週間天気予報では土曜日の天候が登山にやや不適のBとされていたのに、1週前になって適のAとされ、そこで新富士駅付近のホテルを予約したら何処も満室だった。決行は7月21日土曜日とした。金曜日は仕事を定時で終えてから夜に投宿するつもりだったが、半日有給を取り余裕を持ってチェックインできるようにした。

2.富士宮ルートで富士山を目指す
 前日新幹線で新富士にやってきた筆者は、東横イン新富士に投宿した。この6月に開業したばかりで真新しかった。
 4時25分起床。暑くてよく眠れなかった。昨日コンビニで買ったおにぎりとサンドイッチの朝食。
 5時少し前、迎えのホンダタクシーに乗る。客は私だけ。運転手は地元の人だが富士登山の経験はないという。富士山は雲に隠れて見えない。途中黄色い服を着た集団を見かけた。富士山の麓から登山する人達で3日は掛かるという。
 6時5分雲海を抜け富士宮口五合目に到着。晴れ渡った青空に富士の頂上がはっきり見えた。運転手は「今日は日差しがキツいですよ」と言った。運賃は定額で9850円だった。
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↑富士宮五合目(頂上が見える)
 ここですでに標高2350m。寒さを感じたのでトイレで昨日買った長袖アンダーシャツを着込んだ。しかしその後あるツアーリーダーが「これから登りますけどどんどん暑くなりますよ」と言っているのを聞いて脱力した。携帯酸素が1500円。ペットボトルのドリンクが300円で売られていた。しかし何も買わなかった。
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↑五合目から下界を望む
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↑いよいよ登山開始
 任意の入山料1000円を払う。缶バッチを貰える。6時25分、高地順化もほとんどすることなくさっそく登りはじめる。なだらかな土の道を歩き、10分程で六合目。まだ先は長い。
 まだまだ楽勝。ここからは新七合目、元祖七合目、八合目、九合目、九合目五勺と続く。おおざっぱにいえば、それぞれの合目の間を50分歩き10分休憩する感じになる。
 下から山頂を見上げるとそれぞれの各合目の次の山小屋が見える。それはとても近くに見えるのだが歩くととてつもなく遠いものだった。7時25分、新七合目着。人々は山小屋の陰で休憩している。高山独特の紫外線の強さを感じた。
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↑日陰で休む人々
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↑頂上はまだ遥か先
 8時15分、元祖七合目からはストックを利用した。このストックを使うのは初めてである。数年前にに会社の先輩と登山の計画をしていて、そのために購入していたのだが、悪天候のために中止。それ以来自分の部屋で放置されていた。ストックは両手に持つ。ストックは登りには不要との記事も見たが、実際使ってみると、4つ足で歩いているようなもので圧倒的に楽だった。あと日差しを避けるためのサングラスとつばのある帽子は必需品である。
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↑七合目に到着
 9時0分、八合目着。もう行程の半分を過ぎたはずだ。足下は溶岩と砂。植物は生えていない。おそらく虫もいないに違いない。こんな世界に人間がいるのは不思議に思えた。徐々に勾配がきつくなり、道というより、階段いや崖という趣を呈しはじめた。ここで富士山が噴火したらどうなるかとか、ストックで山ガールのスカートを捲ってみようとか、無事に下りた時のビールはさぞ旨いだろうなとか、そのような想像をしなければやっていられないほど、とにかく単調な道で嫌気が差してきた。
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↑八合目から見る雲海
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↑まもなく九合目
 10時0分、九合目着。ここまで600mlのペットボトルで給水していたが、どうやら頂上で飲み干しそうである。五合目から一緒に登ってきた人もこのあたりで見かけなくなった。どうやら休憩を多く取って脱落したようだ。しかし会話を聞いているとペースの速い人には追い抜けれたようでもある。登山者の8割は日本人。しかし外国人も目立つ。中国人が多いようだが、韓国人や欧米人、褐色の肌をした人もいる。富士山は世界遺産となり一気に知名度が上がったようだ。外国人は軽装が多い。それはそうだ。富士登山のためにわざわざ靴やストック等の装備を用意しないからだ。あくまで彼らにとっては観光ポイントのひとつなのだろう。筆者はニュージーランドでマウントクックのトラッキングに行ったことを思い出した。観光客はそのような認識なのかもしれない。
 このあたりから少し寒さを感じるようになったが、ヤッケを着るほどのこともない。着込んだ下着でちょうどいい感じだ。ただし酸素が不足しているのか頭が痛くなってきた。
 11時0分、九合目五勺着。ここから天気が悪くなり霧が立ちこめはじめた。下界の雲海はもう見飽きたが、一応写真に撮る。今回は使用期限の近づいた写ルンですも持ってきていた。写ルンですで撮った雲海はただ真っ白な写真となっていた。腰を下ろすと金輪際動きたくなくなるほど疲労を感じた。長嶋茂雄氏がいう「疲労からくる疲れ」である。標高が高くなるほど休憩時間が長くなるのは誰しも同じで私も例外ではない。昼前なので食事をしている人も多く、カーリング娘のように「もぐもぐタイムが終わらね~」と言っている人がいた。私は昼食は頂上でと思っていたので我慢した。
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↑九合目五勺を目指す登山者
 ここからは頭にアクションカムを取り付ける。最初で最後になるかもしれない富士山登頂の瞬間を動画で記録するためだ。ここからは艱難辛苦の道のりだった。何しろ脚が上がらないので一歩を踏み出すのに時間がかかる。小休止できる岩場があれば腰を下ろした。何人もの人に抜かれた。登山は登りだけに力を出し尽くしてはいけない。下りる体力を残しておかないといけない。無理は禁物なのだ。
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↑まもなく頂上
 重い腰を上げて歩き出し、また休憩するのを2,3回繰り返した。やがて白木の鳥居が見えた。頂上はもうすぐだ。あとで動画を見ると道ばたの岩ばかり映っている。疲れてうつむいていることが多かったのだ。頂上は近くて遠かった。乳酸の溜まった脚を気力で引き上げ鳥居を通過したのは12時を少し回ったところだった。標高3777m、日本最高峰の富士山に登頂したのだ。頂上には山小屋と山頂郵便局、浅間神社奥宮がある。ほとんどの登頂者は達成感と安堵感を顔に浮かべていた。700円のカップラーメンを美味しそうに食べている人もいる。
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↑富士山登頂
 奥宮では交通安全の白いお守りを買い、御朱印を押してもらった。御朱印は相場の3倍近い1000円だが希少価値があるので文句をいう人はいない。奥宮をバックに記念撮影。若い男性にシャッターを頼んだ。彼はどうやら写ルンですを触るのは初めてのようであった。できあがった写真は不鮮明だが昭和の味に満たされたどこか懐かしさを感じさせるものだった。
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↑頂上浅間大社奥宮
 富士山の火口を望む。底には白い雪が残っている。いつの日かここが爆発するのだろうか。
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↑富士山の火口
 さて自分が立っているところは実は富士山の頂上ではなく、ここから50m高いところにある剣が峰が富士山の最高峰なのだ。私はそこを目指すことにした。道は急斜面の砂地で滑りやすく実際難度も滑った。ロープがあれば楽なのだが、風の強いこのあたりにそれは設置できなのであろう。手すりを頼りに登る人が多い。
 剣が峰の入口に苦労して到着した。剣が峰には閉鎖された富士山測候所があり、その前に「日本最高峰の碑」があるのだ。それを撮るために50mほどの行列ができている。当初並んでいた私も、このペースで待っていてはバスに乗り遅れると思い、碑の撮影と記念撮影は断念した。13時に戻る。下りは横の鉄柵を頼りに降りた。
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↑剣が峰にある測候所跡
 ディーゼル発電機の音がうるさい小屋の前で腰を下ろし、乾パンと蜂蜜の昼食。乾パンは軽く日持ちのする完璧な行動食だ。蜂蜜は乾パンにはないビタミンCを補給できる。
 特に尿意はなかったがトイレに行った。トイレは300円と高価だが御殿場ルートでは休憩するところが少ないのだ。

3.御殿場ルートで下りる
 御殿場ルートを下りはじめた。実のところ、御殿場ルートについては詳しいことを調べていなかった。大砂走りがあるのは知っていたがどこで休憩できるのかは知らなかったし、正直下りは勢いで何とかなるだろうとなめていたところがあった。
 下りは溶岩性の赤い土でやたらと滑りやすかった。実際、何度も滑って転けそうになった。追い抜いた男性は「滑ってばかりや」と嘆いていた。やっとたどり着いた赤岩八合館という山小屋は閉鎖して廃屋のようになっていた。
 気を取り直して歩き出した。前述したように御殿場ルートの知識がなかったのでどのあたりで休憩できるのかわからない。4ルートの中で最も長く閑散としているので、行き交う人は少ない。下りる人の方が多いのだが、登ってくる人もいる。今からだと頂上の山小屋に泊まるのだろうか。「それで大丈夫なのだろうか」と思うような軽装の人もいる。
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↑御殿場ルートの山小屋
 やがて砂走館という山小屋に着いた。しかしほど近くにわらじ屋と日の出屋という山小屋がある。わらじ屋で腰を下ろした。「静岡」というビールを飲んでいる人がいる。美味しそうだが、アルコールは水分補給にならないし、酒は下山してからと決めていたので食指は動かない。1泊7900円空き室ありと看板が上がっていた。下界を見下ろすと日本ではあまりお目にかかれないような平原が広がっていて、御殿場の町並みが遠くに微かに見えていた。
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↑砂走館入り口
 日の出屋を過ぎると標高3040mの七合目。ここから登山道と下山道が別れ、下山道は「大砂走り」と言われる細かい溶岩道を走ることになる。
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↑御殿場ルートは基本こんな感じ
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↑ここから大砂走り
 ここからは楽になるだろうと思ったがとんでもなかった。確かに先ほどまでの階段状の道に比べれば速く下りられるが、足が砂にめり込んで、とても疲れるのだ。「大砂走り」といわれるだけあって、走っている下っている人もいる。しかしそれはジョギングのような格好をした軽装であり、私のような重い荷物を背負っている人はなかった。ストックを上手く使って一歩一歩を足を踏み出すしかなかった。
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↑大砂走り、下界は遥か先
 我慢がならないのは休憩するところがないことであった。腰を下ろせるような岩もほとんどない。かといって上から見下ろすと気がつかないほどの急勾配なので、足を止めると却って疲れてしまう。どうにもならないから砂に腰を下ろすしかないのだ。雄大な景色は日本離れしていて、行ったこともないくせに「まるで月面にいるようだ」とか「火星みたいだ」とコメントしたくなるほどであった。遥か先に平らに見える道があっても、近づいてみるとまだ先には道が続いているのであった。道の先に見える建物がおそらく御殿場五合目なのだろうが、一向に近づかない。
 水筒の水を飲み干した。水を手に入れる売店はない。私は気力で脚を動かした。途中、疲労困憊になって脚が動かなくなった女性がいた。しばらくすると赤い消防車のような救護車が登っていった。私もああいう風になるのか。初めてのフルマラソンだった福知山マラソンを上回る苦しみだ。
 下山道と登山道との合流点である五合五勺を過ぎるとようやく砂が浅く勾配も緩く感じるようになった。御殿場五合目らしき建物も現実的な視界に入ってきた。
 「大石茶屋まで400m、五合目まで800m」の標識が現れた。あと少しだ。重い脚も少し軽くなった。御殿場ルートの登りは確かに過酷で不人気なはずだ。五合目から最初の休憩所の大石茶屋までたったの400m。そこから砂地に足を埋めながら2時間も歩いて、短い間隔で3連続の休憩所。そこからは休憩なしで滑りやすい溶岩に気をつけながら頂上に挑まなければならないからだ。
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↑まもなく大石茶屋
 大石茶屋を見た時、まさにそこは砂漠のオアシスのように感じられた。広い敷地のベンチに腰を下ろす。あと400mで御殿場五合目。もう着いたも同然である。頂上の方向を見やり、来た道を振り返るとかなりの急勾配だ。こんな道を歩いてきたのかと思うと感無量というか、自分でもよくやったなと思った。ご褒美にかき氷でも食べようかと思ったが、5分ほど腰を下ろしただけで、また歩き始めた。
 御殿場五合目に着いた。バス停を発見したので時刻表を確認しているとすぐに御殿場駅行きのバスがやってきた。少し離れたベンチには15人ほど待ち客がいた。それぞれ荷物が多いのですぐに満席になった。御殿場五合目をもう少し探索したかったがそんな時間はなかった。バスは定刻17時45分に発車した。揺れるバスの最後部の座席に身を押し込めひたすら目的地に着くのを待った。それにしても咽が渇いた。バス停の近くにあった自販機でジュースを買ったらよかった。少し高かったのでやめたのである。

4.登ったあとで
 約30分でバスは御殿場駅に着いた。売店で買ったお茶で喉の渇きを一気に癒やした。
 18時34分発の沼津行きに乗り、沼津で19時09分発の三島行きに乗った。三島から新幹線こだま679号に乗って新富士に着いたのは19時34分。わずか10分しか乗らないのに860円の特急料金。実は沼津から東海道線の鈍行で富士駅まで乗り、そこから徒歩23分で新富士駅に着く。時間も5分程度遅いだけだ。しかしもう重い荷物を背負って歩くことなど考えられなかった。選択の余地なしと思った。
 泊まった東横インは新富士駅のすぐ前にある。東横インの会員証がそのまま部屋のカードキーとなる。カードキーがないとエレベータに乗れないようになっているが、カードを持つ正規客のあとに付いていく、いわゆるコバンザメを使えばエレベータには乗れてしまう。
 風呂に入ってさっぱりしてから無事安着の祝杯を上げるべく飲み屋に向かう。まずは昨日から目をつけていた「魚民」という店に向かった。もう20時で一次会も終わっている時間でもあるし、外からも空き部屋が見えたのに、お店の人は「本日は予約で埋まっております」との返事であった。カウンターのない個室中心の店だからこういう突然の個人客は歓迎されないのだろう。仕方がないので駅前のビルの2階にある「さかな屋道場」という店に入った。結構混んでいて私が座った席も片付けが終わったところだった。ラストオーダーは22時ですけどよろしいでしょうかと聞かれた。問題ありません。
 まずは生ビールで枝豆で一人で乾杯。このビールは人生最高に旨かった。続いて頼んだマグロの3種盛りは水っぽくてもう一つ。八海山という日本酒でかなり酔った。日本酒とワインはほどほどにすべきだ。
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↑ビールで乾杯
 最後に〆のお茶漬けを頼むともうご飯がないとのこと。やむなく名物の富士宮やきそばにした。しかし出された焼きそばはどこにでもあるような何の特徴もない代物だった。
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↑残念な富士宮やきそば

5.はじめての富士登山を終えて
 御殿場五合目からバスに乗った時は「尋常でない疲れ方だ。もう二度目はない。」と思った富士登山だが、不思議なことに日に日にもう一度登りたくて仕方がないそんな感覚に襲われた。それはおそらく日本一の山に登ったという高揚感に満たされ、疲労を吹き飛ばしてしまったのだろう。疲労の回復が早かったのは、筆者が普段からジョギングで身体を鍛えていたことや、登った次の日に行ったマッサージ師の手腕がよかったこともあると思うが、やはり高揚感や満足感が大きいのだろう。「富士山は見るための山」という考えは撤回した。そこには何か魔力的な魅力がある山なのだ。こうして書いている間にもその時の疲労は頭になく、もう一度登りたいという衝動だけが心を支配し続けた。
 次に登る時は吉田ー須走ルートで山小屋泊まりご来光を仰ぎたい。
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ホンダN-BOXスロープ(車いす仕様)にスズキアドレスV125Sを載せてみた [バイク]

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 筆者はN-BOX+にアドレスV125Sを載せたことを記事にした(ここを参照)。N-BOX+は2018年4月にモデルチェンジしその名もN-BOXスロープに変更された。スロープモードへの変更手順が簡略化された程度で基本的には変わっていないということだが、N-BOXスロープそれも車いす仕様でもアドレスV125Sが積載できるかどうかチェックしてみた。ちなみにN-BOX+はディーラーで借りたものだが、N-BOXスロープは自分のクルマである。数々のオプションを取り付けて楽しんだフィットは売却したわけだが、これについては別の記事で取り上げたい。
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積載するのはこのアドレスV125S。「私は如何にしてクルマに乗るのをやめてバイクに乗るようになったか」シリーズでブログでたびたび取り上げている筆者の愛車である。
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風防とリアボックスは積載に支障があるのが明らかなので取り外す。
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リアシートの背もたれを前に倒し、助手席の背もたれを倒し前に寄せる。
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この部分にアドレスのタイヤをはめ込む。助手席の下にあるのは車いすを引き上げるためのウインチモータ。前回実験したN-BOX+にはなかったもので、これがある分バイクを押し込めないので、一抹の不安を感じた。
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リアゲートを上げ、スロープを引き出す。自分のクルマだが何だがカッコイイ。
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このN-BOXスロープは車いす仕様なので、車いすの車輪を固定するための段差がある。段差を埋めるための板を付けてみたがそれでも50mm程度の段差がある。
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アドレスを「エイや!」と押し込む。スペースの関係でバイクは斜めにしないと入らない。スロープの右端から入り、段差を乗り越えたら、ハンドルを左に切り、前タイヤを助手席の後ろに落とし込む。最初に「エイや!」と書いたが、段差を乗り越えるのにかなりの力が必要だ。エンジンを掛ければ簡単だが、非常に危険なので、絶対やめておくこと。車いす仕様の場合、ウインチがあるのでこれを利用した方がいいかもしれない。さらに車内でバイクを持ち上げて、姿勢を整える必要があり、できるだけ軽くしておいた方がいいので、ガソリンは満タン状態は避けるべきだ。
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前タイヤはこのようにギリギリで収まる。
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バイクの上はまだ余裕がある。筆者のアドレスは可倒式のバックミラーなので倒しているが、そうでない場合もなんとギリギリ収まるのではないだろうか。
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後ろはマフラーが右側面に当たっている状態。しかもマッドガードが飛び出ていてる。これではスロープを収容できない。
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そこでスロープの底に付いているバンドにカラビナを付けて、バイクのリアキャリアに引っ掛けた。
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これでどうにかリアゲート閉めることができた。マッドガードは曲がるが柔軟性のある樹脂製なので問題はない。
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寸法ギリギリとはいえ、アドレスが軽自動車に積めるとは素晴らしいではないか。ただし、助手席を前に寄せないといけないので、乗員は一人だけとなる。

やや面倒な手順とはいえ、アドレスV125Sを積載することができた。筆者は和歌山に住んでいるので、例えば中国地方をツーリングするとなると、125ccの場合高速道路やバイパスは通れないので、大阪まで退屈な一般道を2時間程走らなければならない。しかしバイクを積んで高速道路は走れれば、現地で下ろしてツーリングといったことが可能になる。もちろん高速料金や駐車場代はかかるが、一般的に夜間にバイクを走るのは危険であるので、クルマで夜間に移動することにより、行動範囲が広がる。いつかまたそれを実践したいと思う。

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ホンダN-BOX+にスズキアドレスを載せてみた [バイク]

 あまりにも良すぎて他のクルマが売れなくなってしまったとメーカーが悲鳴を上げている(という噂がありますが・・・)ホンダの軽自動車N-BOX。いよいよ4月19日、そのアウトドア仕様ともいうべきN-BOXスロープが発売されます。N-BOXスロープの先代はN-BOX+となるのですが、このN-BOX+はスロープを取り付ければ、バイクも積載できるという、軽自動車とは思えない仕様となっているのです。
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↑ホンダN-BOX+カタログより(バイクはCRF50)

CRF50はかなり小さなバイクなのですが、(ここを参照))、もしかしたら筆者保有のスズキアドレスV125Sも積載できるのではないかと思い、ディーラーにお願いして実験してみました。本来はN-BOXスロープで試したかったですが、何しろ発売前で実車がなかったので。

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写真のように、
アドレスはN-BOX+に積載できます

ただし、下記のような条件があります。
1.斜めに乗せる必要がある
2.リアボックスは外す
3.風防は外す
4.バックミラーは畳む(可倒式に限る)

 実際に乗せると、スロープ折りたたんで引き上げるとマッドガードに当たるかどうかという感じ。もちろん後ろ扉は閉まります。マフラーも右側面ギリギリです。
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 前輪は上の写真のように折りたたんだリアシートの背もたれと、助手席シートに落とし込みます。したがって助手席は一番前に寄せる必要があります。
 バイクはエンジン下のフレームで安定させます。スタンドを立てる余地はないので、クルマを走らせる時にはこの状態でバンドで固定する必要があります。
 また、助手席が使えなくなるので、バイク積載時は運転手のみのひとり乗りとなります。

 以上、ホンダN-BOX+にスズキアドレスを載せるテストの報告でした。
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