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第3回令和記念西国33カ所ツーリング [バイク]

2019年6月24日 晴
 第3回令和記念西国33カ所ツーリングに出発。今日は奈良県内の壺阪寺、岡寺、長谷寺、法起院、興福寺南円堂の順に参拝する。
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 7時10分自宅を出発。まずは吉野家で朝食。納豆牛小鉢定食は390円のわりには食べ応えがあった。
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↑納豆牛小鉢定食
 国道24号線を東に進み、五條から国道370号線に乗って、壺坂寺に着いたのは9時15分。駐輪場は見つからなかったので、その先にあるハイキング用の駐車場の端に停めた。そこから草ボウボウの階段を降りたところが壺阪寺だった。その入口は山門というものはなく、学校の校門のようだ。入口の近くにクルマが数台置いてある。500円支払えばこの近くまで上がって来れるようだ。バイクも一台置いている。これはもしかすると駐車場の有料ゲートの脇の隙間を通り抜けたのかもしれない。
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↑草ボウボウの階段を降りる
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↑右手の門で入場料を払う
 壺阪寺は通称であって、正式名称は壷阪山南法華寺という。山号で呼ばれるという点では2番札所の紀三井寺と同じだ。
 壺阪寺は入山料が600円と高い。これは寺域の広さもさることながら、古来眼病に霊験あらかたな寺とされていて、養護盲介護施設を運営しているので維持費がかかっているからかもしれない。
 仁王門をくぐり、インドから取り寄せた石で造られた大釈迦如来石像を拝見し、車椅子エレベータのある階段を上がってさらに横にスロープのある階段を上がると、釈迦の生涯を描いた絵が出迎えてくれる。三重塔の横を抜けると本堂があった。本堂と八角堂は繋がっている。しかし八角堂の全容は敷地の関係で見ることはできなかった。
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↑山門
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↑三重塔
 靴を脱いで八角堂に上がる。中は十一面観音を筆頭に所蔵の仏像が安置されている。絵馬にひらがな一文字の「め」と書かれているのが慈眼観音といわれる壺阪寺らしかった。
 十一面観音の安置されている内陣の手前には椅子が数列置かれていて、さらにその後ろに燈明と線香が置かれている。小ろうそくは30円、線香も30円。大ろうそくは100円で祈願ローソクは200円であった。どの寺でもそうだが、寺で売られている線香と異なるのが立っていることがある。家から持ち込んだものらしいが、線香ぐらい寺のを買ってあげたらと思ったりする。
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↑木製スロープで本堂へ
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↑内陣
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↑写経奉納箱
 参拝をしようと思ったら、青いシャツをした年配の男性が経典を見ながら読経している。サンスクリット語のような聞いたことのない経で時折般若心経が混ざる。筆者としては般若心経を読経して参拝したかったので、彼が読み終えるのを待つことにした。しかしいつ終わるともしれなかったので、書いた写経を納経奉納箱において、般若心経の読経をはじめた。けれども隣の男性の読経に押されて乱れがちだった。やっぱり待った方がよかった。
 納経帳は女性職員の手によるものだった。期間限定西国33カ所巡礼草創1300年の印が誇らしい。売店は眼に関する薬やお守りが多く売られている。人間は内臓は丈夫でも眼は真っ先に老化する。私も老眼で本は読めず針に糸が通らなくなっている。
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↑左が平成、右が令和
 壺阪寺はインドとの交流に積極的で恵まれない人々への援助も行っている。私も500円の綿製ランドリーバッグを買って貢献した。
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↑ランドリーバッグは無人販売
 次に岡寺に向かう。保存された古い町並みを抜け、狭い石畳の道を上がったところに駐車場があった。この狭い道を上がれば無料駐車場があるのだが、その手前の駐車場は民間経営で有料だ。既に2台の大型バイクが置かれていた。バイクの自由自在さのありがたみを享受した。
 岡寺も通称であって正式名称は東光山龍蓋寺という。岡寺の由来は奈良県明日香村岡にあることによる。岡寺の方が知名度が高く、宗教法人名も岡寺である。
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↑岡寺の門
 天気がよく暑くなってきた。近鉄バスツアーの客が多い。明日香村を徒歩で巡っている人もいる。
 入山料は400円。濃い赤い色の仁王門を抜け、緩い階段を登った。鐘をつく。ゴーンという音が鳴った。鐘は参拝する前につくもので、帰りにつくのは「出鐘」「戻鐘」といって縁起が悪い。しかしそれをやっている人を見かけた。もしついたらもう一度お参りしないといけない。
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↑本堂
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 境内ではスピーカーで岡寺の由緒を紹介している。こういう寺は珍しい。線香、ろうそくとも30円であった。線香は本堂の手前、ろうそくは本堂の近くにあった。ろうそくは自分でマッチで擦って火をつける。マッチの火を消す水が用意されている。
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 写経は「御写経奉納所」というところに積み上げていく。結構若い夫婦も写経を納めていて驚く。
 作法通り読経してお参り。私はいつも特に願い事はせず、これまでの健康に感謝し、なるべく無心で般若心経を周りの人に迷惑にならないように小声で読経している。
 一字写経というのがある。「観音妙智力」の中から1字を選んで書けということだか、納められている紙に書かれている文字は「生」だった。
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 納経帳はほとんど待ち時間もなく書いていただいた。
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↑左が令和、右が平成
 モチの木に直径3cmくらいの木の玉がぶら下げられている。これは龍玉といって願い事を書いてぶら下げると御利益があるという。すでに付ける余地がないほどだ。
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↑龍玉
 前回、岡寺の近くには有名な石舞台がある。今回は時間がないので見なかった。
 次は長谷寺に向かう。Yahooナビの指示通りに30分ほど走ると、着いた場所は長谷寺ではなく、近鉄長谷寺駅であった。
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↑近鉄長谷寺駅
 12時00分前、そこからバイクで5分もかからずに長谷寺に着いた。しかし例によって駐輪場というものはなく、駐車場の片隅に勝手に置いた。近くに警備員が立っているのが気になるが、邪魔にならないから何もいわれないだろう。
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↑バイクはこの手前に置いた
 参詣者は多い。寺の近くの駐車場は満車だ。昼前という時間帯もさることながら、鉄道でのアクセスも良好な点や、長谷寺自体魅力のある観光地だからだろう。バスツアーの客も多い。
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 寺の位置口に旅館の歓迎○○ご一行様のような札が上がっている。そこには団参と書いてあって、埼玉四号・観音寺、越後・宝珠寺とある。どういう意味なのだろう。
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↑団参とは?
 入山料は500円。アジサイが咲き誇っている。しかし写真に撮ると迫力不足だ。
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↑この写真だけでは・・・・
 長谷寺の名物は、登廊と呼ばれる屋根付きの階段だ。登っていくうちにだんだんと急になっていく。参拝者の中には「槙尾山に比べれば大したことない」といいながらも必死の形相で登る人がいた。
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↑長谷寺といったらここでしょう
 参拝の前に長谷の舞台から下界を見る。寺の舞台といえば京都清水寺があまりにも有名だが、長谷寺も地味ながらなかなかの迫力だ。33カ所巡礼ツアーの人々が読経していた。
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↑舞台からの眺め
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↑舞台側の本堂
 まずは本堂の外にある線香をあげる。3本50円。蝋燭は本堂の中にあり、これも1本50円だった。ろうそく台にある赤いろうそく種火ということだが、これがガラス戸の端にあってつけにくく、服の袖が燃えやしないかと心配だった。
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 賽銭箱の近くに投票箱のような箱があり、そこには「西国三十三ヶ所巡礼納め札と写経にのみお納め下さい。」と書いてあった。せっかくの写経を折って入れるのは嫌なので、納経所で直接渡すことにした。
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 本堂にあるべき難陀龍王像は東京国立博物館に「出座中」とのことであった。
 納経所は長い列ができていて15分ほど待った。藤原定家の塚に行ってみたかったが、時間がないので断念し、往路の登廊をそのまま降りて下山した。
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↑左が平成、右が令和
 寺の入口に屋根と自販機と机と椅子がある休憩所があった。ここで昼食とした。今回も前回と同じ、非常食の乾パンだ。日差しが強いので屋根は助かる。
 長谷寺の近くには番外札所法起院がある。長谷寺から歩いて3分ほどだった。街中の檀家寺のような小さな寺で、お守り売り場などはない。入山料も必要ない。しかしお手洗いは立派で、本堂の横の住まいらしき場所もアルミサッシの近代的な様式となっている。
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↑道路から見た法起院
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↑本堂
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↑アルミサッシも違和感なし
 線香、ろうそくはお志ということなので100円玉を入れた。お守りはないが札は売っている。これらは無人信用販売だ。
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↑蝋燭線香は志
 写経はどこに置くのだろうとキョロキョロしていると、藍色の作務衣を着た納経所の住職から「写経は座敷に上がって、前にある納経と書かれた木の箱に納めて下さい」ということだったのでその通りにした。箱のまえに小さな賽銭箱があるので小銭を入れた。
 住職は「バイクで来られたんですか?何ccに乗っているんですか?」と朱印を書きながら私に尋ねた。彼は「私もハーレーに乗っているんです。乗る機会は年3回から4回ぐらいなんだけど、いじるのが楽しいのですね」と言っていた。私はやや負け惜しみながら「125ccは小型で取り回しがしやすくて楽ですよ」と言い返した。
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↑左が令和、右が平成
 13時30分長谷寺をあとにし、9番札所興福寺南円堂を目指す。
 日差しが強く、汗をかいていたが、夏用のメッシュのバイクスーツなので風がメッシュを通る時に強力になり、汗を乾かしてくれる。
 Yahooナビの指示に従ってバイクを走らせた。経路には全く予備知識がなかった。県道38号線で初瀬ダムの横を抜け、農道を通って名阪国道福住ICをくぐった。県道186号線に入ると山深くなり、クルマ一台が辛うじて通れるような狭い道で「おい、大丈夫か」と思った。曲がりくねった道をアップダウンする。後ろに大形二輪が2台ついてきているので道を譲った。ツーリングでは結構有名な道かもしれない。途中崩落している箇所があり、工事用のダンプカーが行き来していた。
 県道80号線に入り、間もなく若草山を抜けて、14時30分、奈良公園にやってきた。今や国際的観光地奈良。外国人があふれている。彼らは「日本では鹿ですらお辞儀をする」のを見て楽しんでいた。
 興福寺の敷地はバイク進入禁止と書いてあった。仕方がないので奈良公園の駐輪場に停めた。駐輪場といっても公園の端の駐輪スペースで下は土だ。もちろん鹿も徘徊しているので悪戯されないようヘルメットはリアボックスに隠した。
 興福寺は平安時代に栄華を誇った藤原氏の氏寺である。寺域は広いものの、建物は少なく空き気味である。これは古来から何度も焼失しながら、未だ再建が果たされていないからである。興福寺の中心施設というべき中金堂は昨年に再建されたばかりである。南大門は再建準備中らしい。
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↑東金堂
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↑五重塔
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↑南大門跡
 西国33カ所の対象になっているのは、興福寺で中金堂を除けば最も大きな伽藍である東金堂ではなく、小さな南円堂であるのは何故だろうか。この南円堂は度々焼失されてもいち早く再建されているのだ。これは建立当時の実力者藤原冬嗣がこの南円堂に深い縁があるらしかった。
 東金堂や中金堂は有料だが、南円堂の参拝は無料である。御朱印の手数料だけで十分経費を賄えるからだろう。
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 ろうそく、線香はそれぞれ50円。願い事を書いた祈願線香は100円だ。
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 お参りを済ませて、御朱印帳の行列に10分ほど並ぶ。外国人は南円堂に寄ってくるが写真を撮るだけで参拝はしない。作法がわからないということもあるが、キリスト教の宗教観からすると寺に手を合わせるのはおかしい。
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↑南円堂
 写経は納経所で手渡した。葉加瀬太郎みたいな顔をした職員が朱印を書いてくれた。
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↑左が令和、右が平成
 せっかく興福寺に来たのだから、阿修羅の像を拝んでおこう。東金堂と国宝館のセット入場券は900円だった。東金堂と国宝館は写真撮影禁止。興福寺は確かに見事な仏像が存在するが、それは国家安康や民衆の幸福ではなく藤原氏の栄華の持続を主目的にしているようなきがする。これは偏見かもしれないが、藤原氏が日本の歴史で貢献したのは、初代の鎌足と二代目の不比等ぐらいではないだろうか。あとは単なる権力者のような気がする。中堅では藤原定家のような歌人も生み出してはいるが。
 そんなことを考えながら東金堂をあとにし、国宝館へ。入口の人はパンフレットを100円で売りつけにくる。そんなのは無料で配るべきだと思う。国宝館は鉄筋コンクリート造りで、空調も効いている。館内は照明も落とされている。展示物には透明な水晶玉がある。今ならダイソーでも売っていそうな玉。しかし注意すべきはこれが650年頃のものであることだ。当時の人がこれを目にした時、それこそ我々がダイヤモンドを見た時以上の感動を得たことだろう。7世紀といえば、日本が天皇中央集権国家としてその歩みをはじめた頃。その草創期ともいうべき時代のものがこうして残されているのは素晴らしいことでないか。
 阿修羅は意外に小さい。もっとも有名な仏像なので、ほとんどの人が足を止める。
 さて興福寺のご朱印をもらうことにした。常識的には参拝した東金堂で書いてもらうのがいいのだろう。しかしそれでは中金堂も書いてもらわないとバランスを欠くことになる。もう一回来るかどうかわからないので、そのどちらでもない千手観音で書いてもらうことにした。これは私だけでなく前の人もそうしてもらっていたのも決断させた理由である。
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↑中金堂には入らなかった
 職員の人は書いてから、朱印帳の表紙を眺めた。「ええな」と言った。これは高山寺で買った鳥獣戯画が描かれた朱印帳だからだ。
 せっかく奈良まで来たのだから、お土産を買おう。まずは餅つきパフォーマンスで有名な中谷堂のよもぎ餅。その高速餅つきはすっかり人気で、行列はそれを間近で見るためもので、餅を購入するためではない。6個で900円。家人には好評だった。
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↑中谷堂のよもぎ餅
 次に萬々堂通則のぶと饅頭を買った。これは私の奈良土産の定番和菓子である。古くから伝わる春日大社のお供え物だというが、グラニューム糖をまぶしたその外観はどう見てもドーナツである。これがとても奈良時代に食されていたとは思えない。おそらく表面の砂糖は我々現代人が食べやすくするためだろう。中のこしあんとのバランスが絶妙で、ミスタードーナツのくどくなるような甘さはなく、それは上品に感じる。5個で1188円と高いがそれだけの価値はあると思う。
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↑萬々堂通則のぶと饅頭
 猿沢の池を通って、駐輪場に戻った。雨が少し落ちてきた。
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↑絵はがきでお馴染みの絵
 地下に近鉄奈良駅のある国道を西に進み、左折して右手にJR奈良駅を見ながら南下する。国道24号線に入ると雨が強くなってきた。風防のおかげで服はあまり濡れていないが、さすがに限界で、二階堂の京奈和自動車道の高架の下で雨宿りしレインコートを身につけた。
 あとはひたすら国道24号線を走れば、和歌山に到着するはずだ。しかし橿原あたりで問題が生じた。国道24号線の表示を見失ってしまい、いつの間にか国道165号線を走っていた。
 Yahooナビはすぐにルートを再検索してくれたが、それは京奈和自動車道に乗るルートであった。京奈和自動車道は125ccバイクは走ることができない。Yahooナビはそんなこちらの事情はお構いなしに、クルマであることを前提に、無料の京奈和自動車道に乗りなさいと指示するのである。
 24号線に進むべき道もわからない。雨もまだ強く降っている。私は奥の手を使うことにした。それはYahooナビを諦め、ツーリングサポーターというアプリを使うことだ。ツーリングサポーターはその名の通りバイク用のナビゲーションであり、バイクの排気量を設定することにより、最適なルートを計算してくれるのだ。125ccは通れない自動車専用道路を避けてくれるわけだ。難点は月に400円の料金が発生することだ。しかししばらくは西国巡礼は続くことだし、それをやっている間は使ってもいいと考えることにした。何よりも楽だ。グーグルプレイをアクセスすると、早速課金された。ちなみにツーリングサポーターは無料でも使えるのだが、1ヶ月の試用期間を過ぎると、ルート設定はできるものの、ナビの画面が「コンパスモード」という何の役にも立たない画面しか表示されなくなる。
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 ツーリングサポーターは有料だけあって優秀だ。Yahooナビはお節介な案内が多く、そのたびに音楽再生が止まってしまいイライラするが、ツーリングサポーターは必要最小限しか案内しない。それでいてオービスがある場所には「スピード注意」と肝心な情報を流してくれる。
 18時30分、御所市の「かもきみの湯」で入浴兼休憩。ちょうど雨が小降りになっていて、入浴している間に雨が止みそうだったのと、何度がここを通っていて、一度試してみたかったからだ。
 入浴料は600円。その他靴箱と脱衣場でコインリターンロッカーの100円が必要だ。かなり疲れていたので浴槽でこっくりきそうであった。実際こっくりしていたらしく、バイクに乗った時にある程度眠気が解消されていた。
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↑かもきみの湯
 あとはひたすら国道24号線。何度も走っている道なのでナビも不要なくらい。自動的に運転してきたような感覚で自宅の車庫に戻ったのは21時25分。241.2kmのツーリングだった。
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第2回令和記念西国三十三カ所霊場ツーリング [バイク]

平成に西国三十三ヵ所霊場の巡礼を果たした管理人が、令和に改元されたのを記念してもう一度1番札所から順番にバイクで訪れるというこの企画。今回は2番から5番札所の紀三井寺、粉河寺、槇尾山施福寺、葛井寺を参拝する。
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↑今回のルート
 紀三井寺は和歌山市、粉河寺はほぼ隣接する紀の川市にある。和歌山市に在住する管理人にとって、もっとも参拝しやすい札所である。
 8時40分に紀三井寺に着いた。ほぼ通勤ルートを走ったので、はるばる来たぜという感覚は皆無だ。しかし実際に寺にやってきたのは平成6年以来だ。まだ朝早く、土産物店は閉まったままだ。バイクを置く場所に苦労する。そもそも駐輪場が存在しないからだ。さいわいアドレスは原付サイズなので、自転車を停めるスペースがあればどこにでも停められるので、適当な路肩に停めた。
 駐車場は充実している。オッサンが棒を振って呼び込みをしている駐車場は一日500円。しかしその反対側にある無人駐車場は30分100円なのでだまされないようにしないといけない。
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↑バイクは適当に停めた
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↑紀三井寺
山門
 入山料200円を支払い、石段を登る。この石段は若き紀伊国屋文左衛門が結婚と出世の契機となる出会いした坂で結縁厄除坂といわれる。25段、33段、42段、61段と厄年と同じ数の石段を踏む坂が続く。
 朝早いとはいえ6人ほど参拝者を見かけた。歳をとるにつれ階段の一歩が辛くなってきた。
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↑入山料が必要
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↑階段を登る
 階段を登り切って、右側にある大千手十一面観音像を拝観した。「総漆金箔張・木造立像では日本最大」というだけあって立派なものだった。ごく最近造られたのか新しかった。
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↑千手十一面観音像
 本来であれば境内からの和歌浦の眺めが素晴らしいところであるが、あいにくの天気で鉛色の雲と木の枝が眺望を妨げていた。
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↑境内から和歌浦を望む
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↑本堂に進む
 何故かポツンと立つ電話ボックスが気になった。今や一体どれ程の人が利用しているのだろう。
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↑気になる電話ボックス
 この寺の正式名称は紀三井山金剛宝寺護国院であるが、和歌山で生まれ育った筆者にしても紀三井寺という通称しか知らない。境内に清浄水、楊柳水、吉祥水の三つの井戸からあることから名付けられた。
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↑紀三井寺の水
 関西在住の人ならば、「早咲きで有名な紀三井寺の桜は~」で始まるニュースは、春を告げる風物詩となっていることだろう。その有名な桜は本堂の前にあり、和歌山地方気象台指定の標本木の高札が格調高く掲げられている。しかし今の季節は青葉をつけたそのように重要視される木には見えない。
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↑紀三井寺の桜
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↑桜は本堂の前にある
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↑本堂
 何はともあれ参拝しなければならない。蝋燭と線香2本で100円だった。蝋燭は「先祖供養」「水子供養」「厄除」「家内安全」「商売繁盛」「諸願成就」「南無観世音」「南無大師遍照金剛」の文字が書かれていて、この中から選ぶことになる。私は先祖供養にした。写経は賽銭箱の前に白木の箱があり、そこに横から差し入れる。白木の箱には賽銭箱がある。神社と寺はありとあらゆるところに賽銭箱がある。
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↑蝋燭
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↑納経処
 御朱印を書いてもらおうと朱印帳を差し出すと、男性職員は電話に出たので、隣の職員にお願いした。
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↑今回の御朱印
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↑平成の御朱印
 この寺はやたら変わったお守りが多い。写真に映っているものだけでも「桜お守り」「ふくろう守」「ラッキーかえる」「子ども守り」「健康祈願スプーン」「夢叶いますように」「ハローキティ」「学業ちえ守」などだ。願掛けの箸は寺社では一般的だがスプーンは珍しいのではないか。営業努力を感じさせた。
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↑豊富な種類のお守り
 急な階段を降りて紀三井寺をあとにする。階段の横に「享保六年三月」と書かれた石灯籠があった。享保六年(1721年)の出来事を調べて見ると、徳川吉宗が目安箱を設置したとあった。徳川吉宗といえば紀州藩出身の将軍であり、何かの縁を感じさせた。
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↑享保六年の石灯籠
 次に参拝するのは粉河寺だ。Yahooナビの指示通り、国体道路、宮街道、県道143号線、県道9号線から岩出橋を渡り、国道24号線で粉河寺を目指した。
 ここでナビに使っているスマートフォンが充電されていないことに気がついた。よく見るとUSBケーブルが断線していた。どうやら紀三井寺での駐輪中にサイドスタンドでケーブルをはさんでしまったようだ。スマートフォンはナビの他にツーリングの通った道を記録するGPSロガー、音楽プレイヤーが作動しているので、電池容量はまだ2時間ほどしか経っていないのにもう58%まで低下していた。新しいケーブルを購入しなければならない。
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↑USBケーブルが切断
 10時30分、粉河寺の赤い山門にやってきた。この山門から道なりに真っ直ぐ進むと粉河駅に至る。すっかり寂れてはいるがそこは門前町。それなりに商店や町医者がある。例によって駐輪場はない。仕方がないので邪魔にならなさそうな路肩に停めた。去り際に気づいたが、自転車は山門を過ぎたところに停めているようだ。
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↑粉河寺山門
 粉河寺は西国第3番である以前、安土桃山時代の頃までは、隣接する根来寺、高野山と並び、当時の中央政権の介入を許さない独立国の様相を呈していた。その後、豊臣秀吉の紀州征伐によって大きく勢力は削がれてしまった。しかしその権威は江戸時代になっても無視できないものであり、そのために広い寺域を安堵されていた。
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↑広い寺域
 そんな粉河寺の境内は広く、重要文化財もいくつか存在する。特に本堂前の庭園は石垣と植栽を組み合わせた力強いもので国の名勝に指定されている。
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↑名勝の庭園
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↑庭園は本堂の前にある
 何か低く響く音が本堂から聞こえた。熱心な巡礼者が法螺貝を吹いていたのである。
 本堂の階段を登り、まずは灯明と線香をあげる。蝋燭は無地が50円、家内安全か先祖供養と書かれたのが100円となっている。線香は2本で30円だった。この蝋燭と線香の種類と値段は寺によって大きく異なることに気づき、この西国三十三所巡礼の研究対象とすることにした。
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↑願掛け蝋燭は倍の100円
 大きな賽銭箱の前にやってきた。鐘を鳴らす紐が上から垂れている。これはどこの寺にもあるが、その横に白黒赤黄緑色の紐が垂れている。「お手綱にご縁をいただいて下さい」と書いている。そういう作法かどうかは知らないが、この手綱を握りながら般若心経を読経した。
 ふと右を見ると「PayPayでお賽銭が上げられます」と書いてあった。1000円、500円、300円、100円から選ぶことができる。賽銭でよく使う50円がないのが惜しいところだ。このあたり商魂の逞しさを感じる。
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↑Paypayでも賽銭できる
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↑納経所
 写経を納めるところが見あたらないので、納経所で手渡した。職員の男性はそれを隣のお守り売り場に静かに置き、御朱印を書き始めた。2020年末までは「西国三十三所草創1300年」を記念して、特別な印をいただける。草創1300年といえば、和歌山県にある西国三十三所の寺、青岸渡寺、紀三井寺、粉河寺の三箇所のスタンプを集めると、日本手ぬぐいが進呈されるサービスを和歌山県が展開している。この手ぬぐいも無事に手に入れた。
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↑今回の御朱印
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↑平成の御朱印
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↑いただいた日本手ぬぐい
 時間帯にもよるのだろうが、紀三井寺より参拝者が多い。中には本格的な白装束を着た30歳代くらいの男女もいる。こんなのを見ると何か不幸ごとがあったのかなとか邪推したくなる。もとよりインタビューするわけにいかないからそう想像するだけだ。
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↑粉河寺中門
 粉河寺をあとにし、次は大阪府和泉市にある槙尾山施福寺を目指す。その前にセリアでUSBケーブルを買った。これでスマホの電池切れはなくなった。
 施福寺は和泉山脈の向こう側にある。ここから最短で山脈を越える鍋谷峠は道幅も狭く隘路であったが、2017年に鍋谷トンネルができてからは紀北と泉州を結ぶ最短ルートとして機能しつつある。鍋谷トンネルは最高速度50キロで原付バイクは通行不可なのだが、125ccのバイクなら通ることができる。和歌山からバイクで京都に行くにはこの鍋谷峠を抜けて、大阪外環状線、国道1号線バイパスを通るのが最短ルートとなるので、管理人はよく利用する。トンネルを抜けて外環状線の河内長野までは信号も少なく快適である。
 Yahooナビは、鍋谷トンネルを抜けると側道に降りるよう指示した。このあたりは知らない道だが、とにかくナビを信じてバイクを走らせた。
 12時00分、昭和感全開の土産物店「槙尾観光センター」に着いた。10数台分の駐車場とシャトルバスの転回場がある。あと離れたところに旅館らしき建物もある。駐輪場はなく、土産物店の横に勝手に停めた。
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↑槙尾観光センター
 施福寺は西国三十三所巡礼の中でも難関といえる。クルマで来れるのはこの「槙尾観光センター」までであり、寺はここから急な石段を登った歩いて30分のところにある。しかも手摺りも十分でなく、足元も悪い。ここは登山をするつもりで杖を持っていった方がよろしい。
 悪いことに雨が降ってきた。粉河寺を出発した頃から少し降っていたのだが、山沿いに入って本降りになってしまった。最も歩く距離が長い寺で最も雨を避けたかったところで雨に遭う。これも運命、日頃の行いの悪さの表れだろう。
 傘を差して本堂を目指す。最初は幅の広い石段で楽勝を思わせたが、山門を過ぎると登山モードとなった。雨は強く降っているはずだが、深い木立が和らげてくれる。
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↑最初は幅広の石段
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↑だんだんと狭くキツくなる
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↑最後の階段
 10数人の参拝者と行き会った。西国三十三所巡礼は昔から女性の方が多い。漏れてくる会話を聞くとそれも定年後の楽しみで始めた人の方が多いようだ。信仰心とよりも物見遊山という感じで同行者とお喋るするのが楽しいのかもしれない。だがそれも悪いことではない。もともと西国三十三所巡礼は東国の人が伊勢参り、熊野三山参りのついでに花山天皇縁の寺を巡礼することから始まっているらしい。もちろん江戸時代のことだから旅は命がけだっただろうが、信仰心より物見遊山が優先していたに違いない。
 12時30分、境内に到着した。槙尾山の狭隘な山腹に位置する寺だけに、境内には本堂の他に灯籠とあと一棟が見あたるぐらいだ。愛染堂、大師堂、不動明王護摩堂、虚空堂、大日堂などは離れたところにあり、そこに足を運ぶ人は少ない。
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↑槙尾山
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↑本堂
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↑境内は狭い
 何はともあれ参拝をしなければならない。線香が2本で30円、蝋燭は白のみで50円。写経は賽銭箱の前に拍子木のような重しを除けて積み重ねていく。
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↑線香30円蝋燭50円
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↑写経は積み重ね
 こぢんまりとしているのでお守り売り場と納経所を兼ねている。職員というか住職の方は気さくな人で、参拝者と雑談している。遠くから来ている人も多いので話しは盛り上がっているようだ。「こんな不便な小さな寺に・・」と住職が恐縮していた。しかし果たして西国三十三所の札所でなければ、このように多くの参拝者が訪れるだろうか。
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↑お守りも売っている
 御朱印を書いてもらう際、「100円の追加で菊のご紋の印を押させていただきます」と言われた。こういう場合ケチと思われるのがイヤだから拒絶するのは難しい。いい商売を考えたものだ。ここの朱印の特徴として年号が漢字一文字となる点だ。すなわち令和なら令となるのだ。私としては令和と書いてほしいところだが、寺の方針だから受け入れるしかない。前回訪れた平成時代も平だったからずっと昔からそうなのだろう。
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↑今回の御朱印(菊印入り)
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↑平成の御朱印
 雨に濡れる山道を滑るのに注意しながら下山した。バイクを置いている土産物店に着いたのは13時15分だった。
 しばらく走ったところに自販機があったのでそこでジュースを買って昼食。今回は時間短縮のため非常食の乾パンを食べた。乾パンは軽く、調理の必要もなく、必要な栄養が得られる素晴らしい食品だ。不味いという声も聞くが、これは美味しすぎると一気に食べてしまうので、意図的に風味を落としているのだ。カニヤの乾パンは海上自衛隊で使っているのと同じで、一般には入手難だが、ネット通販で手に入る。
 第5番札所葛井寺を目指し、大阪外環状線を北上する。富田林市に入ると左手にPL教団の塔が見える。通称はPLタワーで正式名称は超宗派万国戦争犠牲者慰霊大平和祈念塔という。巨大な彫刻を彫ったような異様な形をしている。
 14時30分、葛井寺に到着した。施福寺と異なりこちらは閑静な住宅街の中にあり、駅にも近く、中山寺と並び、33ヵ所の中でも最も訪問しやすい寺である。
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↑葛井寺の山門
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↑境内
 ところで葛井寺は藤井寺市にある。葛井寺の門の前の石碑には藤井寺と刻まれている。おそらく古来、どちらの表記も許されていて、市名を藤井寺、寺名を葛井寺にしたのではないかと推察する。
 1時間の乗車でトイレに行きたくなった。トイレの看板を見つけた。手洗い・烏樞沙摩閣(うすさまかく)と書いてあった。葛井寺の由緒によると、「烏枢沙摩閣(お手洗い) 葛井寺のお手洗いは仏さまがいらっしゃる一つのお堂です。不浄を清す烏枢沙摩明王は炎の功徳により身も心も清浄にします。 手を合わせてお入りください。」これはあとから知ったので手を合わせて入ることはしなかった。この一件だけでも御利益をいただけなくなるだろう。
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↑烏枢沙摩閣(お手洗い)
 太鼓の音が聞こえる。誰かがご祈祷をしてもらっているようだ。御護摩の火も燃えている。
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↑ご祈祷中
 さあ参拝しよう。まずは蝋燭と線香。蝋燭(燈明)は50円。線香は1本20円。線香は紫雲香という願掛けを書いた祈願線香もありこれは1本100円である。蝋燭の種火は蝋が下に垂れてつけにくかった。線香は灰に立てるのではなく寝かせる。浄土真宗の作法だが、葛井寺は真言宗御室派である。
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↑燈明と線香
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↑紫雲香
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↑線香は寝かせる
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↑本堂
 納経所は外陣の脇にあるため土足厳禁。写経は納経所で御朱印をいただく時にそのまま納めた。職員は写経と書かれた箱に納めていた。
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↑今回の御朱印
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↑平成の御朱印
 さてこれで今回の巡礼する寺は終了となる。バイクを置いた南大門に葵屋という土産物店がある。葛井寺の門前は住宅街となっていて、商店はこの一軒だけだ。眩しい西日を遮るように銀色の幕を張っている。お土産に葛井餅を買った。
 店のおばさんが饒舌な人で葛井餅の説明をしてくれる。吉野葛を原料にした、いわゆる葛餅だ。説明を聞きながら、寒天と小豆の2種類を試食する。試食は特に制限はなくいくらでも食べられる。試食の結果、寒天を買うことにした。670円のところを20円まけてくれた。というよりそれが定価のようだ。さらに煎餅もオマケでくれた。逆にいうとそうしなければ客が来ないのか。餅は常温で保管しても2ヶ月は保つ。食べる1時間前に冷蔵庫に入れて冷やして食べると美味しいとのこと。帰宅後、その通りにしてみたら、京都の鍵善には及ばないが美味しかった。おばさんによると添付しているきな粉はこぼれるのでお勧めしない、黒蜜がお勧めと言っていた。
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↑葵屋
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↑藤井餅
 15時18分に出発。中央環状線で堺から国道26号線を走る。
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↑この日も頑張ったアドレスV125S
 さすがに眠たくなってきた。ヘルメットのシールドを開ける。風が目に当たって痛い。一時的に目が覚めた。根本的に解決するには休憩。なるべく安く休憩したい。それならイートインのあるコンビニでコーヒーを飲むのが一番だ。しかしイートインのあるコンビニが見つからない。もう我慢できなくなって入ったコンビニは店内飲食禁止だった。
 泉南から雄ノ山峠で和歌山へ。峠を下った紀ノ川沿いにある川辺の湯というスーパー銭湯で入浴した。温泉ではないが炭酸泉が秀逸だった。いつの間にか炭酸泉はスーパー銭湯に必要なアイテムとなっている。
 車庫に着いたのは19時39分、166.2kmのツーリングだった。到着した時間が自分の感覚よりも妙に遅いのでなんでだろう考えてみたら、スーパー銭湯の寝転び湯で30分以上寝ていたようだ。バイクは想像以上に神経がくたびれるのだろう。
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↑走行距離166.2km
 夕食はかっぱ寿司にした。「安かろうまずかろう」で、スシロー、くら寿司、はま寿司に遅れをとってしまっていたが、最近、業績を回復しているという。そういうこともあって試してみたかったのである。20時を過ぎているというのに店内はほぼ満席。しかしコンベアにはほとんど寿司は流れておらず、個別の注文用の特急レーンで対応していた。食べてみると・・・、やはりかっぱ寿司はかっぱ寿司だった。
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↑かっぱ寿司
 お疲れ様でした。次回ツーリングは奈良県の壺阪寺から興福寺の5箇寺を予定している。乞うご期待。
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第1回令和記念西国三十三カ所霊場ツーリング [バイク]

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 2019年4月30日をもって平成が終わり、翌5月1日より令和となった。管理人は新元号「令和」を生きた証として、ある企画を立案した。それは西国三十三カ所霊場巡礼であった。
 実は管理人は平成時代に既に西国三十三カ所巡礼を行っている。しかし如来と菩薩の違いもわからないなど、仏教に関する知識が足りない頃から始めていたので、当初は朱印を押してもらうにしても、まさしくスタンプラリー感覚であったし、他の用事のついでに参っていたので順番もバラバラだった。別に第一番札所からも参らねばならない決まりはないし、むしろ順番に参らない方がいいという人すらいるけど、管理人は次の元号を迎えた時には順番に巡礼しようと決めていた。
 当時、皇室典範には天皇が崩御した場合に限り、元号が変わることになっていて、それは、管理人が会社を定年を迎えた頃だろうと予想された。しかし特例法の成立により、明仁天皇は上皇になられ、徳仁皇太子が天皇になられる、譲位が実現することになった。よって予想より10年以上早く、新元号を迎えることになった。定年後の巡礼は体力的にきついと思っていたので、上皇陛下のご英断に感謝するしかない。
 また今回の2度目の巡礼に関しては、順番に参拝する以外に新たな条件を付け加えた。それはすべて自分のバイクで巡礼するということと、般若心経を写経して各寺院に納めることであった。
 まとめると次の3つを令和巡礼の条件とした。
1.第一番札所から順番に回る
2.自分のバイクで巡礼する
3.写経してそれを納める

 西国三十三カ所参り専用の朱印帳と写経セットを購入した。管理人はとても悪筆なので楷書のなぞり書きを購入した。
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↑買った写経用紙
 令和初日となる令和元年5月1日。記念すべき初めての写経をやってみた。本来は身を清め、香を焚いてするものらしいが、手を洗い、歯を磨いただけだった。極楽浄土があるという西に向いて写経を始めた。静かに筆を進めるため家族には「これから写経するので、邪魔しないで」と釘を刺しておいた。写経は約30分かかった。これを33カ所と番外3カ所、それにお礼参りの善光寺と高野山を含めると38枚書かないといけない。
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↑初めて書いた写経
 管理人のバイクはスズキアドレスV125S。通勤はもちろん中山道、東海道を駆け抜けた相棒だ。
 管理人は和歌山市在住である。那智勝浦町にある青岸渡寺を目指す最短コースは、すさみまで高速道路を利用するコースだ。しかしアドレスは125ccなので高速道路に乗ることができない。次に距離的には国道24号線で五条まで行き、そこから吉野を経由して、熊野川沿いに下るのが最短コースとなる。しかし管理人は未だ乗ったことのない高野龍神スカイラインを利用してみたかった。
 結局できあがったルートは、国道24号線を東進し、笠田から高野山に入り、高野山から高野龍神スカイラインで竜神に向かい、そこから中辺路を経由し熊野川を沿いを南下し新宮市を通り、那智勝浦町に至ることにした。帰りはひたすら国道42号線を串本、田辺、御坊、有田を通って和歌山市方面に進むことにした。距離は遠回りとなるが、帰りの半分は暗闇の中を走ることになるので、人口の多い紀南海岸沿い地域を走った方が安全だろうという判断であった。
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↑和歌山県のほぼ外周を走るルートになった。

 5月3日午前8時、いよいよ巡礼に出発した。
 9時20分、高野山のコンビニで休憩。景観に配慮して落ち着いた配色になっている。高野山はすっかり外国人に有名になった。我々日本人がインドのタージマハルに行くとの同じような感覚だろうか。
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↑景観に配慮したコンビニ
 高野龍神スカイラインは初めて走った。前を走るクルマは高齢者が運転しているのか、はなはだ遅い。しかしカーブが多く追い越しのタイミングも難しい。やがて前のクルマは左に曲がった。どうやら急ぐ必要のない地元の人だったようだ。紅葉の時期に走ったらさぞきれいだろうなという景色を走る。管理人は安全運転なので次々と走り屋のクルマやバイクに抜かれた。
 10時10分、高野龍神スカイラインの最高峰、ごま山スカイタワーに到着。クルマよりバイクの数が多い。展望台は有料。時間はあったが、どうせ山並みが見えるだけなのでやめた。
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↑バイクが多い
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↑ごまさんスカイタワー
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↑周りはこんな山並み
 ここからはひたすら下った。
 11時40分、田辺市中辺路町近露にある道の駅で休憩。無料で提供される茶がゆとめはり寿司さんま寿司の昼食。ここは世界遺産「熊野古道」の入口となっている。
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↑道の駅
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↑無料の粥と寿司の昼食
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↑ここは熊野古道の入り口
 熊野川沿いを下り、新宮を通って那智勝浦にやってきた。
 麓から果てしなく続くクルマの列をすり抜けながら、13時30分、那智の滝駐車場に到着。幸いバイクはどこにでも停められる。青岸渡寺まではここから急な斜面を登る。
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↑バスの後ろに駐輪
 やがて那智の滝が見えた。朱色の五重塔との取り合わせは絵はがきそのものである。
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↑絵葉書でよく見る那智山
 青岸渡寺に到着。さっそく参拝。前回の参拝は平成13年8月19日だから18年ぶりである。
 ご朱印を書いてもらった。寺院の場合、御朱印とは納経したことの証明書のようなものであった。だから御朱印をいただくところは「納経所」と書かれているのが普通だ。管理人はその看板に偽りなく納経して御朱印を書いてもらうのは初めてであった。写経は卒業証書の入っていた筒の中に丸めてあった。写経は丸めたまま「納経箱」と書いた白い箱に入れた。神社ほどではないが寺院もご朱印ブームになりつつある。
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↑今回いただいた御朱印
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↑前回いただいた御朱印
 折角だから那智の滝に近づいてみた。世界遺産にふさわしい偉容だ。レンタルのコスプレか古の装束を身につけた男女がいた。
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↑那智の滝に接近
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↑大きなおみくじ
 午後3時時前、那智を去る。ここからはひたすら帰宅への道。反対車線の那智の滝を目指すクルマの列は麓まで伸びていた。
 Bluetoothレシーバーが2個とも電池切れとなり、専用の充電ケーブルも持ってきていなかった。ここからは音楽なしで走ることになった。鞄の中に非常用小型ラジオがあることを思い出し、それをヘルメットにつけた。しかし山間部で電波が弱く、エンジンのノイズを拾ってしまい、雑音の中で断片的に聞こえただけだった。
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↑Bluetoothレシーバーとラジオ
 午後5時20分、国道沿いにある「椿はなの湯」で休憩。肌がすべすべになる良湯だった。
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↑椿はなの湯
 田辺のコンビニで軽く腹ごしらえ。ここからはほぼ闇の中を走る。
 午後9時前、下津のいきなりステーキで夕食。何で「いきなり」と思うかもしれないが、管理人はこのチェーン店に入ったことがないので、一度体験してみたかったのである。まさにいきなりの反射的行動であった。選んだのが国産牛だったのでサイゼリアのリブステーキの約3倍のお値段。確かに量も多いけど、値段ほどのものじゃない。時間が遅いとはいえ店内は空いていて先が思いやられる。
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↑ステーキで腹ごしらえ
 午後10時20分、無事に自宅に到着。走行距離は430km。一日のバイク走行距離としては新記録。
 お疲れ様でした。
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↑到着時のメーター


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リアボックスのステーを修理する [バイク]

 自分のバイクにはリアボックスが付いている。最初に買ったそれはデザインはいいものの収容力がなく使い勝手が悪かったので、早期に手放した。(この記事を参照)代わって取り付けたのは写真のような黒い大きなリアボックスだ。これはキャリアでの取り付けがノブボルトなので振動で弛みやすく、気がつくとボックスが外れそうになるという欠陥があるものの、フルフェイスのヘルメットが余裕で入る収容力と、ボックスの上にもさらに荷物が載せられる利便性で、お気に入りとなっている。
↓購入ページ
リアボックス 黒 40L
 そんなリアボックスにちょっとした不具合が生じた。リアボックスの蓋が90度以上開かないようにするためのステーが切れてしまったのである。ステーは樹脂製で厳しい環境下で何度も動いているうちに消耗したのであろう。片方のステーが切れると、もう一方に負担がかかり、両方とも切れる可能性が高くなる。ステーがなくなると、物をボックスに入れる時に蓋を手で支えておかねばならず、使いにくくなる。それに経年変化か樹脂の柔軟性がなくなり、蓋を閉めた時に、ステーが挟み込むようになった。修理の必要性を感じた。
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↑取り付けられたリアボックス
 まず考えたのは、ステンレスワイヤーでステーを作ることであった。ワイヤーの両端はカシメで固定して輪にした。しかしこの方法は左右の長さをそろえるのが難しい。長さを均等にしなれば、一方のステーに負担がかかるから避けないといけない。
 そこで、ステーはチェーンで製作することにした。チェーンなら目数で長さをそろえることが容易だからだ。これを採用することにして、次にチェーンの取り付け方法をどうするかであった。前の樹脂製ステーはワッシャをかましてタップボルトで固定していた。チェーンをそのままボルトで固定するのは難しそうだ。
 対応策としてチェーンの両端にキーリングを取り付けることにした。キーリングとはキーホルダーでよく使われる二重の金属の輪で切れ込みからキーを差し込めるようになったものである。こう書くと難しそうだが実物を見れば、ありふれた物である。これで両端の固定は問題ないかと思われた。しかし筆者は不安に感じていた。それはキーリングは二重の輪になっていることで伸びに弱いことである。そんなに力がかからないとはいえ、高頻度の蓋の開け閉めに耐えられるだろうか。
 解決策として考えついたのは、キーリングの代わりにスプリットリングを採用することであった。スプリットリングは釣りのルアーを固定するのに用いるリングで、形はキーリングとそっくりである。しかし強度はまったく段違いである。けれどもその代償としてリングは固く閉じていて、開くのは容易ではない。キーリングのように指で広げることはできない。できれば専用のリングブライヤーを使うのが望ましいが、ラジオペンチとマイナスドライバーでも、何とか広げることができる。ただし怪我をしないように注意しなければならない。こうしてようやくできあがったと思ったら、新たな問題が発生したのである。
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 チェーンは自重で蓋を避けるように落ちて、蓋を挟み込むことはないと思ったが、それはセンタースタンドでバイクを立てた場合であり、サイドスタンドを使うとバイクが傾くのでチェーンが挟み込んでしまうのである。いちいち手でどけるのは面倒だ。
 そこでチューブの中にチェーンを通すことにした。少しでも柔軟性を確保するため、やや値段が高いがシリコン製にした。これでようやく問題が解決した。
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↑完成した
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↑拡大しました
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↑小さなスプリットリングを付けた
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↑これで挟み込むことはない
 今後の課題としては、ステーを一時的に外せるようにしたい。これは蓋の上に荷物を置いた場合に蓋を開放すると、ステーに荷がかかるため、一時的に外せるようにしておいた方がいいからだ。仕様としてはチェーンの途中に小さなカラビナを設けることを考えている。その時のためにチェーンの途中に小さなスプリットリングを取り付けてある。
 以上、つまらないステー製作記でした。
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ホンダN-BOXスロープ(車いす仕様)にスズキアドレスV125Sを載せてみた [バイク]

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 筆者はN-BOX+にアドレスV125Sを載せたことを記事にした(ここを参照)。N-BOX+は2018年4月にモデルチェンジしその名もN-BOXスロープに変更された。スロープモードへの変更手順が簡略化された程度で基本的には変わっていないということだが、N-BOXスロープそれも車いす仕様でもアドレスV125Sが積載できるかどうかチェックしてみた。ちなみにN-BOX+はディーラーで借りたものだが、N-BOXスロープは自分のクルマである。数々のオプションを取り付けて楽しんだフィットは売却したわけだが、これについては別の記事で取り上げたい。
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積載するのはこのアドレスV125S。「私は如何にしてクルマに乗るのをやめてバイクに乗るようになったか」シリーズでブログでたびたび取り上げている筆者の愛車である。
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風防とリアボックスは積載に支障があるのが明らかなので取り外す。
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リアシートの背もたれを前に倒し、助手席の背もたれを倒し前に寄せる。
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この部分にアドレスのタイヤをはめ込む。助手席の下にあるのは車いすを引き上げるためのウインチモータ。前回実験したN-BOX+にはなかったもので、これがある分バイクを押し込めないので、一抹の不安を感じた。
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リアゲートを上げ、スロープを引き出す。自分のクルマだが何だがカッコイイ。
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このN-BOXスロープは車いす仕様なので、車いすの車輪を固定するための段差がある。段差を埋めるための板を付けてみたがそれでも50mm程度の段差がある。
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アドレスを「エイや!」と押し込む。スペースの関係でバイクは斜めにしないと入らない。スロープの右端から入り、段差を乗り越えたら、ハンドルを左に切り、前タイヤを助手席の後ろに落とし込む。最初に「エイや!」と書いたが、段差を乗り越えるのにかなりの力が必要だ。エンジンを掛ければ簡単だが、非常に危険なので、絶対やめておくこと。車いす仕様の場合、ウインチがあるのでこれを利用した方がいいかもしれない。さらに車内でバイクを持ち上げて、姿勢を整える必要があり、できるだけ軽くしておいた方がいいので、ガソリンは満タン状態は避けるべきだ。
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前タイヤはこのようにギリギリで収まる。
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バイクの上はまだ余裕がある。筆者のアドレスは可倒式のバックミラーなので倒しているが、そうでない場合もなんとギリギリ収まるのではないだろうか。
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後ろはマフラーが右側面に当たっている状態。しかもマッドガードが飛び出ていてる。これではスロープを収容できない。
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そこでスロープの底に付いているバンドにカラビナを付けて、バイクのリアキャリアに引っ掛けた。
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これでどうにかリアゲート閉めることができた。マッドガードは曲がるが柔軟性のある樹脂製なので問題はない。
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寸法ギリギリとはいえ、アドレスが軽自動車に積めるとは素晴らしいではないか。ただし、助手席を前に寄せないといけないので、乗員は一人だけとなる。

やや面倒な手順とはいえ、アドレスV125Sを積載することができた。筆者は和歌山に住んでいるので、例えば中国地方をツーリングするとなると、125ccの場合高速道路やバイパスは通れないので、大阪まで退屈な一般道を2時間程走らなければならない。しかしバイクを積んで高速道路は走れれば、現地で下ろしてツーリングといったことが可能になる。もちろん高速料金や駐車場代はかかるが、一般的に夜間にバイクを走るのは危険であるので、クルマで夜間に移動することにより、行動範囲が広がる。いつかまたそれを実践したいと思う。

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ホンダN-BOX+にスズキアドレスを載せてみた [バイク]

 あまりにも良すぎて他のクルマが売れなくなってしまったとメーカーが悲鳴を上げている(という噂がありますが・・・)ホンダの軽自動車N-BOX。いよいよ4月19日、そのアウトドア仕様ともいうべきN-BOXスロープが発売されます。N-BOXスロープの先代はN-BOX+となるのですが、このN-BOX+はスロープを取り付ければ、バイクも積載できるという、軽自動車とは思えない仕様となっているのです。
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↑ホンダN-BOX+カタログより(バイクはCRF50)

CRF50はかなり小さなバイクなのですが、(ここを参照))、もしかしたら筆者保有のスズキアドレスV125Sも積載できるのではないかと思い、ディーラーにお願いして実験してみました。本来はN-BOXスロープで試したかったですが、何しろ発売前で実車がなかったので。

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写真のように、
アドレスはN-BOX+に積載できます

ただし、下記のような条件があります。
1.斜めに乗せる必要がある
2.リアボックスは外す
3.風防は外す
4.バックミラーは畳む(可倒式に限る)

 実際に乗せると、スロープ折りたたんで引き上げるとマッドガードに当たるかどうかという感じ。もちろん後ろ扉は閉まります。マフラーも右側面ギリギリです。
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 前輪は上の写真のように折りたたんだリアシートの背もたれと、助手席シートに落とし込みます。したがって助手席は一番前に寄せる必要があります。
 バイクはエンジン下のフレームで安定させます。スタンドを立てる余地はないので、クルマを走らせる時にはこの状態でバンドで固定する必要があります。
 また、助手席が使えなくなるので、バイク積載時は運転手のみのひとり乗りとなります。

 以上、ホンダN-BOX+にスズキアドレスを載せるテストの報告でした。
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淡路島を原付でツーリングしたい [バイク]

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↑大鳴門橋
 バイクを所有してから早一年が過ぎた。時が進むにつれ、自分の力ではどうしようもないもどかしさを感じることがある。それは淡路島に原付バイクで渡るのが難しいという現実である。
 淡路島はバイクで1周するには手頃な大きさで、かつては結構な人気を博していた。和歌山市のすぐ北にある大阪府岬町にある深日港からは淡路島の洲本行きのフェリーが出ていて、連休ともなると、フェリーに乗り込まんとするライダーであふれていたものだ。筆者も自転車で淡路島に渡ろうとしたものの、順番待ちで断念したことがある。
 状況が一変するのは1999年に明石海峡大橋が開通してからだ。大阪経済圏の南の端にある深日港から発着するフェリーはたちまち橋に客を奪われた。フェリーはより大阪中心部に近い泉佐野に発着するように変更したものの、客足は戻らず廃止となった。明石海峡大橋開通後も海峡間を往復していた「たこフェリー」も、橋の通行料金の相次ぐ値下げにより、廃業に追い込まれた。ただし別会社の淡路ジェノバラインが経営を引き継ぎ、明石ー岩屋間に高速小型船で運航している。クルマは橋の利便性に敵わないから、クルマの積載は諦め、淡路島のバス停から大きく離れた岩屋地区と明石を往復する住民を対象にすることで船を小さくし、運航コスト下げている。船には自転車と125cc以下の原付を積載できるスペースがある。現在のところ、淡路島に原付または自転車で乗り込むにはこのジェノバラインを利用するのが唯一の方法である。だから阪神地区にお住まいの方は原付ツーリングは支障なくできる。問題は筆者のように南大阪以南に住んでいる人たちだ。つまりこの記事は「淡路島を原付でツーリングしたい」というタイトルだが、あくまでそれは南大阪以南住民を対象にしていることをお断りしておく。
 ただし自転車に関しては最近状況が変化してきている。尾道-今治間を結ぶしまなみ街道がサイクリングのメッカとして知名度を上げつつあるのに触発されて、本州と淡路島を結ぶ明石海峡大橋と淡路島と四国を結ぶ大鳴門橋に自転車や歩行者を通れるようにして、観光の起爆剤にしようという動きがあるのだ。さらに深日港ー洲本間の航路を夏季のみ復活させる実験も行われている。これには自転車も台数限定で簡易な分解で乗せることができる。また関西空港-洲本間の高速船も復活した。この高速船には自転車は分解して輪行袋に入れれば積載可能だ。また2017年10月からは自転車をトラックに積んで大鳴門橋を陸送するサービスが始まった。一日3便で予約が必要の上、人は別のバスで利用しなければならないが、自転車を分解しなくてもいいのでその点は便利である。
 その他、鳴門海峡には渦潮観覧用の観光船が鳴門側と淡路島側から運航している。これらの船を互いの港に交互に行き来し、自転車やバイクを乗せるようにすれば、問題は一気に解決しそうに思うが、淡路島は兵庫県、鳴門市は徳島県と管轄が違う上に、観光船と乗合船では安全基準や営業の免許が異なるためにこのようなことは実現困難だという。
 実は大鳴門橋にはクルマが通っている部分の下には新幹線も走れるスペースが確保されている。しかし明石海峡大橋が建設費削減のため道路専用で設計されてしまい、そこに新幹線が走る可能性はほぼなくなった。そこで徳島県はその空間を利用して「渦の道」という観光施設が導入されている。徳島県と兵庫県はこの新幹線導入空間を利用して、自転車道や歩行者道を整備する構想がある。明石海峡大橋も保守点検用の通路を利用して、同様の構想があるという。
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↑この空間に自転車道を整備する
 ここまで見てみると、行政は自転車の利用者の利便性向上のみ考えていて、原付のことは全く考えていない。明石海峡はジェノバラインがあるから、今後何もしなくてもいいとしても、前述した関空からの高速船はもちろん、深日港からの高速船実験も原付バイクを乗せられるわけではない。そもそも自転車の場合、輪行袋を利用するのであれば、それぞれの橋を渡る高速バスのトランクルームに乗せることが可能である。もちろんトランクルームは狭く、必ずしも積載は約束されるものではないというものの、自転車は現状でも淡路島を渡るというのは可能だったのである。もちろん橋の上を風を切って走るという快感は得られないし、グループでの利用はできないだろう。しかし自転車のために多大な費用をかけて大鳴門橋にサイクリングロードを整備する必要があるのだろうか。
 自転車だけの問題ならば、鳴門と南淡路を結ぶバスに自転車を乗せるキャリアを設ければいい。アメリカの一部の都市では普通の路線バスの前方に自転車を乗せるキャリアがあり、バス利用者はそこに自転車を乗せている。大鳴門橋は高速道路で落下の危険はあるものの、確実にロックさせる機能を設けるのは難しくない。運転手も目の前に自転車があるのを監視できれば危険からの回避も可能だろう。ただしグループでの利用には限界があるのは変わりがない。
 しかし原付バイクはどうしようもない。バイクは重くてキャリアに乗せるのも難しいし、落下すれば即事故だ。バイクはどうすればいいのだろうか。
 筆者が考える最良の策は、現在実験的に運航している深日港-洲本間の船を定期便にした上でジェノバラインのように、原付と自転車を積載できる構造にすることだ。旅行者は一般的に来た道を戻るよりも、違う道で帰ることを好む。バイクで淡路島一周という目的を果たすのは、出入り口はひとつでいいのだが、リピーターを増やすにはふたつあった方が旅のバリエーションが増える。もちろん大阪府南部に居住する人にとっては朗報だろう。原付の場合、高速道路を使えないから、一般道で明石まで行かねばならないので、それを考えるだけで淡路島に行きたくないと思ってしまうものなのだ。深日港に出れば少し南にある和歌山港からは南海フェリーで徳島に渡ることができる。すごく遠回りになるとはいえ、最も追加投資を少なくしてとりあえず原付で淡路島から四国に渡ることは可能となる。しかしかつては明石大橋に完敗した航路である。果たして勝算はあるのだろうか。
 だからインパクトがあるのは大鳴門橋を歩行者、自転車、原付で通れるようにすることだ。ただしここには大きな問題がある。大鳴門橋は北東方向に架橋されているので、冬になると北西の季節風をまともに受けることになり、風の影響が大きいのだ。実際、大鳴門橋は二輪車を対象にして強風で通行止めになることが本州四国連絡橋で最も多く、ライダー達のツーリング予定をしばしば狂わせている。そんな調子であるから、自転車や原付では転倒の危険があり、少なくとも例の新幹線導入空間に板を敷いただけでは通行に供することはできないだろう。
 可能性があるのは重量のある鉄の箱で運行する、すなわち鉄道で運送することである。新幹線車両の幅であれば十分に強風でも安定した輸送ができる。渦潮観光用の窓の大きな車両とバイクと自転車を乗せた貨車を連結し、電気機関車で牽引する。スピードは全く必要ではない。コストはかかるが観光の目玉になるので、リピーターも期待できるし、鉄道となれば、全国に散在するいわゆる乗り鉄も黙ってはいないだろう。投資は長い目でみれば回収できるのではないか。ただ列車からの眺望は橋の鉄骨が邪魔になってあまりよくなく、リピータを呼び込むには工夫が必要だ。車内ではアルコール類を提供するバーも営業すれば面白い。酒をできるだけ飲んでいただくのが商売で最も利益率が高いのだ。もちろん売店では限定グッズを発売する。
 しかしながらバイクが乗せられないのであれば、筆者にとってはそれほど魅力ないアイデアとなる。バイクの場合、自転車と違ってガソリンを積載しているので危険物を抱えることになり、仮に鉄道ができたとしてもバイクを載せるようにするとは思えない。結局のところ、原付は今後ともジェノバラインのみとなるのだろう。淡路島の住民にとっては原付がこのような状況で、誠に不便なので、もっと声を上げてほしいと思うのだが、現状は原付に関しては離島扱いになり、自賠責保険が安くなるというメリットがあるのでそれほど積極的でないという話を聞いたことがある。
 筆者が住んでいるのは和歌山市なので、西に開けた海を見ると淡路島の山々は自然に目に入るとても身近な存在なのだ。しかし今は近くて遠い存在だ。是非とも深日港からのフェリーにバイクを載せて、淡路島に渡りたいものだ。
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↑この深日港から再び淡路島に渡りたい
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私は如何にしてクルマに乗るのをやめてバイクに乗るようになったか~アドレスに傘ホルダーを取り付け~ [バイク]

 バイクに乗り始めてしばらくすると、傘の置き場の必要性を感じはじめた。バイクに乗っている時は、もちろん傘など差せず、レインコートを着る。しかしバイクを降りてから用を済ますには傘が必要なのだ。折りたたみ傘を鞄に入れるか、フロントのポケットに入れておいてもいいのだが、収容に時間がかかるし、ポケットの場合内部が濡れてしまう。
 そこでアドレスに傘ホルダーを取り付けることにした。なるべく安く済ませようと、ダイソーで「自転車用傘ホルダー」を買ってきた。
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↑ダイソーで買った傘ホルダー
 傘の先端側はエンジンのボルトを利用して取り付け、傘の枝側は電気配線のサドルをかませてリアキャリアに取り付けた。しかしこの方法ではエンジンの振動でボルトが緩み、枝側もすぐに外れてしまうことがわかった。バイクの走行中に傘を落としてしまったら、落下物で刑事責任を問われかねない。
 そこで先端側はボディの樹脂カバーに穴を開けてボルト止めて振動をできるだけ避けるようにした。IMG_20170305_154150.jpg
↑この位置に穴をあけた
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↑ホルダーを取り付けた
 枝側は少々複雑な構造になった。
 1.自転車ホルダーの柄を固定する部品のうち、ハンドルへの取り付け部だけにする。具体的にはホルダーの写真の右側の部品から下のリング状の部品を取り外す
 2.その部品の環状の駆けている部分をゴムのスペーサーで埋める
 3.ゴムで埋めた穴にリアキャリアに取り付けるためのサドルを取り付ける
 4.回転カンを1で外した箇所に取り付ける。取付はステンレスキャップボルトを樹脂スペーサをかませる。
 5.ステンレスのカラビナを回転カンにインシュロックで固定する
 言葉で書くと複雑になるので下の写真を参考にしてほしい。樹脂スペーサが割れているのは作業時の失敗である。
 ダイソーの部品を一部利用して、サドルを取り付けるのは、バイクのエンジン部が湾曲しているので、柄取り付け部をなるべく外側に出す必要があるからだ。しかし僅かに傘を湾曲させた方が、傘を保持しやすくなる。アドレスの場合は20mm程度外に振るのがよかったので、これを利用するのが好都合だったのである。
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↑柄取り付け部完成参考写真
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↑購入した回転カン
 これでどうにか用を足せるようになった。振動で傘の先端部の受けが弛みやすいこと、カラビナが傘の軸のところしか通せないこと、樹脂のインシュロックの寿命がどの程度のものか、などの懸念材料はあるものの、半年経過しても問題なく使えている。
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↑リアキャリアに取り付け
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↑使用しない時はこの位置にする
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↑傘取り付け例
 筆者はこのように作ったが、あまり完成度が高くない。読者の皆さんをこれを参考にして、もっと格好のいいものを作ってもらいたい。
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私は如何にしてクルマに乗るのをやめてバイクに乗るようになったか~冬の寒さに勝つ~ [バイク]

 いうまでもなく冬のバイク乗りは寒さとの戦いとなる。長年自転車通勤していた筆者は、その寒さで手が凍え、手が荒れ、しょっちゅう指先はひび割れを起こしていた。バイクは自転車と比べはるかに高速で、指先に襲いかかる走行風で凍傷になることもあり得た。また自転車と違って身体を動かさないので、身体の防寒も考えないといけない。
 まずは防寒に関してはウィンドシールド、すなわち風防を取り付けることにした。筆者が選んだのは、スズキの純正でもなく、比較的選ばれているパーツ屋さんのでもなく、台湾製のこれである。このスズキアドレスは台湾製なので、こういうパーツ屋が存在するのである。
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 身体に当たる風を減らせば、体感温度が下がるのは自明の理である。見栄えよりも実用性を重視し、かなり大きな風防を取り付けた。意外だったのは、空気抵抗を減らす効果があること。夏場は暑いだろうと思って、風防を取り外してみたら、風を身体にまともに受けて疲れることがわかった。風防は空気の流れをよくする一種のエアロパーツ的な効果もあるのだろう。また虫除けにもなるので、風防は年中つけたままにすることにした。こうなれば冬における風防の効果は書くまでもないだろう。欠点があるとすれば、左横から風を受けると、風防がヨットの帆のような効果が生じ、反対車線に飛び出しそうになることと、やはり格好がよくないことだろう。
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 さて本題の手が凍えないようにしなければいけない。ハンドルカバーはオジン臭いとまずは却下。風よけのナックルバイザーの取り付けを考えた。しかしこれはすぐに駄目だとわかった。つまり家の駐輪スペースが狭いので、バイザーを付けると壁に当たってしまうのだった。そこで初っ端から否定したハンドルカバー購入に傾いた。オジン臭いと欠点は筆者自身がオジンであるから問題ないということで解決した。
ハンドルカバーOSS.png
 ハンドルカバーはブランドやデザイン、防水性により価格に幅がある。筆者が買ったのは以下の製品である。スーパーカブに取り付ければマッチしそうな、見るからにオジンなデザインだが、実用性を重視した。注意書きには「防水性はない」とのことだが、少しぐらいの雨なら問題はない。
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 実際に使ってみると、効果抜群だった。転倒時の安全を考慮すると、バイクに素手で乗るのは推奨されないが、素手でも十分暖かい。素手の方がスマートフォンを使いやすいということもある。ハンドルカバーの威力に感服した筆者であった。
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 ところが1月のえべっさんが過ぎて寒さに佳境に入るとハンドルカバーだけでは手がかじかんできた。防寒手袋をはめても改善されなかった。次の一手が必要になったのだ。
 まずはグリップヒーターだ。グリップにヒーターを仕込んだ代物でバイクによってはメーカー純正品が存在する。このアドレスにも上級車にその設定がある。筆者はグリップヒータ付きのPCXに試乗したことがあり、効果は確認済みだ。
 しかしこのグリップヒーターは取り付けが面倒なのだ。特にグリップが回転するアクセル側は特にそうだ。自分ならできないことはないが、もたもたしているうちに冬が終わってしまう可能性があった。
 グリップの回りに巻くヒーターもあるようだが、通販の口コミを見ると「おもちゃみたいなものだ」などと辛辣なことが書かれていた。
 そこでヒーター付きのハンドルカバーを購入することにした。手を温めるにはグリップヒーターよりも理想的だ。つまりグリップヒータは分厚い掌しか暖められないのに対して、ヒータ付きハンドルカバーならば、直接触れるのは皮が薄い手の甲だし、下のヒーターによってカバー内全体が暖められるからだ。
 そうと決めたからには通販サイトで購入した。9980円だった。
ハンドルヒーター.png
↑購入サイト
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↑梱包箱("Ride till die"="死ぬまで乗れ"って・・・)
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↑商品の中身

 このハンドルカバーを利用するには、ヒーターへ電源を供給しなければならない。大電流を要するヒーターはバッテリーから直結し、イグニッションキーをオフにしたら電源が切れるようにしなければならない。そのためリレーも購入した。
 早速取り付けてみよう。筆者はUSBコネクタを付けたことがあるので、その技術を応用した。そのUSBコネクタはイグニッションと連動させているので、これをリレーのスイッチし、電源はバッテリーから直接取り入れた。バッテリーターミナルは狭くケーブルでパンパンになったが何とか収まった。
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↑まずは前のパネルを外す
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↑呼び線(銅線)でバッテリーにヒーターの電源を引き込む
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↑狭いが何とか収まった
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↑購入したリレー
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↑リレーの説明書にしたがって配線する
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↑リレーはここに固定
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↑作動実験(赤LEDが点灯)
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↑ハンドルカバーに接続するコネクタ
 ヒーターの電源と強弱コントローラはメーターの前のマウントバーに取り付けた。
 ハンドルカバーは大きく見栄えも悪い。確実に取り付けるにはハンドルのエンド部とネジ止めするのだが、このアドレスにはそのネジがないため、単に紐で取り付けられるだけだ。このあたりは将来改良を要するだろう。
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↑取り付け後
 使用してみると、ヒーターの威力を見せつけられた。まるでコタツに入っているような感じで、手袋をするよりも、素手の方がよく暖めるようだ。ただヒーターの強弱は5段階で変えられるのだが、どうやらどこの位置でも最強らしかった。つまり温度調節ができないのだ。あえて調節するには自分で適当にオンオフするしかない。このあたりは中国製だと感じてしまう。もしかすると現在同製品を販売していないのはその欠陥が指摘されたのかもしれない。
 ところで、先に買ったヒーターのないハンドルカバーはどうしたかというとまだ使っているのである。ヒーター付きは威力は十分だが、図体も大きく、風雨にさらされることで寿命が低下する。だからヒーター付きは厳冬期に限定し、それ以外はノーマルハンドルカバーを取り付けることにしたのだ。
 装着カレンダーは以下のような感じだ。
 1月中旬(ヒーター付き)3月中旬(ヒーターなし)5月上旬(ハンドルカバーなし)9月中旬(ヒーターなし)

 何はともあれウィンドシールドとヒーター付きハンドルカバーで冬の寒さを乗り切った。格好さえいとわなければ、これが最強の「冬の寒さに勝つ」方法だと思う。


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私は如何にしてクルマに乗るのをやめてバイクに乗るようになったか~アクションカム~ [バイク]

 前作、「私は如何にしてクルマに乗るのをやめてバイクに乗るようになったか~カーナビ&動画撮影~」で、スマホがバイクツーリングの動画撮影には不適当だとわかった。そこでアクションカムを購入することにした。
 こういったアクション用のカメラはスノボとかスケートボードをする人が身体に取り付けて、そこからの動きを撮影するために設計されている。具体的にはカメラ本体が動いても、レンズとセンサーを一体として光学ユニットを空間に浮かせる「空間光学手ブレ補正」が搭載されている。アメリカのGoProとソニーのアクションカムがその手の二大メーカーとして君臨している。筆者は日本のソニーに頑張っていただきたいので、ソニーを選んだ。
 画質のいい4Kで撮れるアクションカムもあるが、そこまでの解像度は必要ない。選んだのはこのHDR-AS300であった。
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 いつも感心するのだが、ソニーの製品はどれもデザインが優れていて購買意欲をそそる。単にいいデザイナーを雇っているだけでなく、審美眼を備えた経営トップがいるのだろう。
 このカメラはどのように映っているのか確認するための液晶モニターはない。ではどうやって見るのかというと、別売りのコントローラで見るか、スマホにアプリをインストールして確認するのである。これらはアクションカムから発するWifi電波を介して画像を見ることになる。筆者はバイクに取り付けるという関係上、一度位置を決めれば画像を確認する必要性は低いので、コントローラは購入せずスマホアプリをインストールした。アプリは無料である。
カメラリモコン.png
 バイクへの取り付け位置だが、もともとナビ用スマホを取り付けていた、メーターの前のバーに取り付けることにした。
 カメラを固定する台としてミノウラのカメラマウントVC100-Sを購入した。これだけでは位置が低くメータが映り込んでしまうので、Velbenの自由雲台をカメラマウントの上に取り付けて高さを稼いだ。自由雲台というだけあって、上下左右にカメラを動かすことができる。安物の海外製は衝撃で簡単に首が振れてしまい、いらぬところが映ってしまい怒りを覚えることがある。しかしこのマウントと自由雲台は日本製。この組み合わせで首が振るようなら、動画撮影はあきらめよう。
ミノウラ.png
雲台.png
↑購入サイト
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↑商品入荷
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↑アクションカムと繋ぐ
 さてこのアクションカムの実力を確認しよう。
 アクションカムとスマホは写真のような位置に取り付ける。写真では見えにくいがそれぞれのカメラはストラップを介してステンレスワイヤーでマウントバーに連結している。これは「私は如何にしてクルマに乗るのをやめてバイクに乗るようになったか~カーナビ&動画撮影~」で指摘したように、カメラの万一の落下に備えてのものだ。
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 今回は比較のためにスマホのドライブレコーダーを起動させた。アクションカムはこの位置だと、風防のステーが映ってしまうので、画面の倍率を上げて、そこが映らないようにした。その結果は以下の動画のようになった。

 画面が揺れまくり、酔ってしまいそうなスマホに対して、アクションカムは揺れもないのがわかるだろう。これがアクションカムの実力かと舌を巻いた。問題があるとすれば、128MBのメモリーカードを入れれば8時間の動画撮影が記録可能だが、実際に撮影していると2時間ほどで電池が切れてしまう。使用時はUSBコネクタから常に電源を供給しておく必要がある。
 このアクションカムにはGPSが内蔵しており、付属ソフトを利用することで走行位置や速度を合成した凝った画面を作ることができる。
 アクションカムに問題があるとすれば、3万5千円と高価な割に利用率が低いと見込まれることだろう。クルマにはドライブレコーダーが付いているし、デジカメの代わりは務まらないからだ。帽子の庇に取り付けて、ジョギングの風景でも撮影しようか。

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