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ギャンブル専用口座を作ろう [競馬]

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 筆者はJRAの馬券はインターネットで購入している。インターネットによる馬券購入はもやは一般的になったといえる。この記事では筆者が馬券を含めたギャンブル口座をどのように運用しているかを紹介させていただく。

1.ギャンブル専用口座とは
 ギャンブル専用口座は筆者が発明した造語である。
 ギャンブルをインターネットで楽しむには専用の銀行口座を設定すべきだ。何故なら給料が振り込みれている口座を馬券購入に設定すると、馬券にのめり込んで、必要以上に購入してしまい、予算を超過し、生活費を使い込んでしまう可能性があるからだ。もちろん普通預金がゼロになったら自動的に融資される定期預金やカードローンは設定するべきではない。

2.ギャンブル用の資金を工面する
 ギャンブルの資金としては、もっとも一般的なのは自らの給料からお小遣いをもらいその範囲で予算化することだろう。
 世間ではギャンブル依存症について色々いう人がいる。筆者が思うにギャンブル依存症になるひとは負けつづける人より、一度でも大勝ちした一握り多いように思える。勝った快感が忘れられず、予算をオーバーして注ぎ込んでしまう。パチンコにしても競馬にしても負けた分は楽しんだことに対する必要経費と考えてしまう。たとえ収支トントンまたは黒字でも、長い時間拘束され、非生産的な人生を送ってしまうことになる。
 ギャンブル資金には何らかの歯止めが必要である。
 筆者が考えたのはその資金のネットオークションの売り上げを充当することである。筆者の場合、ヤフオクやメルカリで不要品の売却を行っておりある程度の資金を稼いでいる。ギャンブルのような非生産的行為に汗水流して稼いだお金を使いたくないという考えだ。

3.過去の実践法
 まずは馬券購入のためJRAのAPATに加入した。筆者が申し込んだ頃はインターネットがさほど普及しておらず、JRAもギャンブル依存症の批判を恐れてか、人数を絞るために抽選で募集していた。筆者は幸運にも初回で抽選に当たった。
 このAPATを利用するには専用の銀行口座が必要である。前述した理由から専用口座はありがたいが、これはJRAの都合で月曜日に馬券購入金額の引き落としと振り込みをまとめて行うためである。したがって月曜日は口座が封鎖され入金ができなくなる。またこの口座からの振り込みもできない。まさに馬券のための銀行口座である。
 しかし他の口座からの振り込みができないとネットオークションの売り上げを馬券購入にあてることができない。そこで同じ支店にもうひとつ銀行口座を作ってそれをネットオークションの売り上げを貯めていくことにした。通常同じ支店には同一人物が口座を作ることは基本的にできないらしく口座作成時は少し時間がかかった。同一名義の口座の資金移動は振替となり、手数料は無料である。
 余談になるが、若い人は知らないと思うので、インターネット普及前のAPatによる電話馬券購入はどんなものであったか紹介しておきたい。まず、馬券購入用の番号に電話して、競馬場名、レース番号、馬券種類、買い目、金額をポケベルのようなコードに変換してプッシュホンから入力する。正しい馬券を買い目を買ったかどうか不安になったものだ。レースの結果を知るにはラジオの他には、テレホンサービスというのがあり、そこに電話すると、レース結果を録音された音声で教えてくれる。電話代は当然こっちの負担だし、目的の情報を得るにも時間がかかった。
 閑話休題、ともあれ、みずほ銀行に2つ口座を持つことができた。この銀行は我が家から遠く離れており、馬券購入をためらわせるのに有効だった。残高確認と振替のため、インターネットバンキングも申し込み運用した。
 またみずほ銀行には宝くじオンライン購入システムというのがあり、わざわざ売り場に行かずともくじを飼うことができる。実際にくじは送られず、番号を書いた購入通知証が送られてくる。通知するハガキの料金は別途請求される。当選番号の照合は自動的に行われ、当選金はその口座に振り込まれる。はずれくじを対象にしたセカンドチャンスも自動照合される。
 ヤフオクの売り上げは馬券の他、宝くじにも充当されることになり、まさにみずほ銀行の口座はギャンブル専用口座となった。ただし馬券は長期的には成績がよく赤字に陥ったことはないので、ヤフオクの売り上げを充当することはなかった。
 もうひとつのオークションサイトであるメルカリは売り上げが1万円以上の場合は振込手数料が無料だったが、金額にかかわらず200円必要と改悪されてしまった。できるだけ貯めて現金化するか、メルカリ内の買い物に使うしかないだろう。
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4.ヤフオクが改悪
 このような体制で10数年運用して便利に使っていた。ところがヤフオクは2019年10月よりかんたん決済の売り上げの指定口座払いを廃止しすると発表。今後は口座への振り込みには100円の手数料が請求される。ただし電子マネーのPAYPAYかジャパンネット銀行の場合は手数料無料である。利用者の利便性よりもグループ企業への囲い込みを優先させた結果で腹立たしいかぎりである。
 ヤフオクの売り上げは数100円というのはよくある。そこへ振り込み手数料を取られたらお話にならない。かといってPAYPAYのように今後どうなるかわからない電子マネーで貯めるのは問題があるし、だいいち現状paypayでは馬券を買えないのである。

5.ジャパンネット銀行に一本化
 とりあえずヤフオクの売り上げはジャパンネット銀行に貯めることにした。売り上げの振り込み手数料に加えて、そこから三井住友銀行への振り込み手数料も無料であることも決断を後押しした。
 まずはジャパンネット銀行に口座を開設しなければならない。ネットで申し込み、本人確認書類は郵送した。通常1~2週間でキャシュカードを送るとのことであったが、3週間かかった。おそらく筆者と同様の理由で口座開設希望者が殺到しているのだろう。
 送られてきたキャシュカードは大きく書くべき口座番号が小さく書かれ、ぞの下には大きく16桁の番号がある。ジャパンネット銀行のキャシュカードは預金額を限度にしたクレジットカード、すなわちデビットカードとしても使えるのだ。
 まずはヤフオクの指定預金払い口座をみずほ銀行からジャパンネット銀行に変更した。これで手数料で売り上げが目減りする問題は解決した。

6.みずほ銀行の解約
 平日、会社の休みを取って、みずほ銀行にやってきた。解約する旨伝えると、「あまりご利用がないですか?」と聞かれたので、ヤフオクで手数料を取るようになったことを正直に伝えた。みずほ銀行はメガバンクのなかで一番危ないらしいとか証拠もないのにうっかりいうと取り付け騒ぎになるとまずいのでやめた。
 二つの口座のうち、APATの口座ではない方は即解約されたが、APATの方はJRAに解約届を提出し、手続きが終わってから解約となるそうだ。2週間後にまた来て下さいとのこと。そんなに会社は休めないので、解約は遥か先にし、口座の預金残高全額をジャパンネット銀行に入金した。ネット銀行であれば解約の場合、指定銀行口座に振り込んでくれるが、店頭の場合は高額な振込手数料が徴収される。自分で引き出して入金する方が賢明である。

7.即PATの加入
 即PATの加入は中央か地方どちらか競馬が開催されている時に限られる。入出金する銀行口座を指定し口座番号を入力。ぞの銀行にログインして鉄道完了。その後馬券投票履歴を見れるNET会員になるよう勧められ、任意のID番号とメールアドレスを記入する。受信したメールに記載されたURLにアクセスし、即PATの加入者番号とさっきのID番号を入力して手続き完了となる。
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8.即PATデビュー
 2019年マイルCSで即PATデビューした。馬券購入のスマホ画面はAPATとほとんど同じだ。違うのは入出金だ。
 APATは専用口座の残高がそのまま購入資金となり、不足すれば手数料を払って預金口座からPAYEASY入金する。
 それに対して即PATは最初に指定口座から入金することからはじめなければならない。手数料は1日3回目から15円かかる。競馬が終わった翌日に入金した金額から購入金と配当金が精算されて、全額指定口座に戻される。
 つまり即PATは最初に入金するのが面倒で、また預金通帳をみた場合、残念がわかりにくいので、競馬でどれだけ負けているのか分かりにくい。特に自分のジャパンネット銀行の口座はヤフオクと兼用なので分かりにくい。
 そこで次のような方法で予算を明確にした。
a,最初に20000円入金する
b,購入配当が精算されて口座にもどる
c,その戻された金額を次に入金する
d,これを繰り返す
e,最終的に20000より多ければ勝ち、少なければ負けとなる。

 さてマイルCSだが買ったダイアトニックが中団から外目をついたが、脚があがってしまい10着に敗れた。。

9.宝くじを買うには
 ジャパンネット銀行ではジャンボ宝くじは買えないがロトやナンバーズは買える。宝くじは銀行口座にクレジットカードを接続すれば買えるが、デビットカードでは買うことはできない。
 しかしジャパンネット銀行では逆にみずほ銀行ではクレジットカードを通じてしか買えなかったtotoを買うことができる。
 いつの日かtotoビックを当てて楽な老後を過ごしたいものである。
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オルフェーヴル [競馬]

 オルフェーヴルは2008年5月14日社台コーポレーション白老ファームで生まれた。父ステイゴールドは50戦7勝。G1競走の着順掲示板の常連ながら、長く重賞勝ちがなく主な勝ち鞍が阿寒湖特別のみという状態が続いたが、7歳となった2001年に急に強くなり、結局国内G1は勝てなかったものの、3月のドバイシーマクラシック(G2)に勝ち、12月の香港ヴァーズ(G1)では信じられないような末脚を繰り出して優勝した。引退後はブリーダーズスタリオンステーションとビッグレッドファームを移動するシャトル種牡馬となった。社台グループに残れなかったくらいだから、それほど大きな期待を背負っていたわけではなかった。しかし次年度産駒からドリームジャーニーが朝日杯FS、宝塚記念、有馬記念を制する大活躍。他にも宝塚記念を制したあと凱旋門賞を僅差の2着となったナカヤマフェスタ、皐月賞、菊花賞と有馬記念と2回の宝塚記念を制したゴールドシップなど大物を輩出している。牝馬もレッドリヴェールが阪神JFを制している。サンデーサイレンスの後継種牡馬しては、産駒の総取得賞金額こそディープインパクトに水を開けられているものの、大物の輩出という点では劣るところはない。母オリエンタルアートは現役時23戦3勝。繁殖馬となっての一番仔が前述のドリームジャーニーである。産駒の勝ち上がり率も高く、2014年現在未勝利で引退したのは10頭中1頭だけである。オルフェーヴルはオリエンタルアートの5番仔である。母の父メジロマックイーンは天皇賞・春2連覇、菊花賞、宝塚記念を制した日本競馬史上最強のステイヤーで殿堂入りしている芦毛の名優である。
 小柄な栗毛で明るい茶髪のオルフェーヴルは・・・・

続きは下記URLを参照
http://umayadoden.web.fc2.com/uma/orfevre.htm
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JRAG1競走メダリストというのを作ってみた [競馬]

 ソチ冬季オリンピックが終わり、パラリンパックが始まってしまいました。オリンピックといえば、各国別のメダル獲得数のリスト。筆者はあまり好きじゃないですけど、JRAのG1競走を対象にしたメダルリストを作ってみました。もちろん、1着が金、2着が銀、3着が銅です。ただし、4年に一度のオリンピックと年間23競走もあるJRAとは比較の対象でないし、だいたい、競馬は2着以下は表彰されません。まあお遊び程度と思って下さい。

JRAG1競走メダリスト↓
http://umayadoden.web.fc2.com/g1/medal.htm

 あまりに膨大なので、このブログに載せることができません。金メダル(1着)3個以上獲得した馬に絞って、掲載してみました。
 いずれ劣らぬ名馬揃いです。トップはテイエムオペラオーの金7銀4銅2。しかしメダル獲得数という意味ではブエナビスタの14個が最高。もしあなジャパンカップの降着がなければ、正真正銘のトップに立っていたところでした。けれども、ブレナビスタの場合、そうなっていたとしても、ウオッカのように殿堂入りしていたかどうか微妙です。やはりウオッカはダービーの勲章が大きいです。
 シンザンはG1級は銀も銅もなし。勝ったレース以外は出走すらしていない。狙ったレースは外さない勝負強さで、これはこれですごいことです。
 表を見て分かるとおり、G1級の勝利数は7勝の壁があります。テイエムオペラオーの場合、5歳の宝塚記念、天皇賞・秋、ジャパンカップ、有馬記念のどれかを勝っていれば8勝だったので、その可能性は大いにあったと思います。さすがのテイエムオペラオーも目に見えない疲れが蓄積していたのでしょう。ディープインパクトの実力ならば、3歳の有馬記念は勝っていても不思議ではないです。勝ったハーツクライも強い馬ですが、負けるような馬ではないでしょう。あまりに楽勝続きだったので馬が遊んでしまったのでしょうか。
 いつか8勝する馬がでてくるでしょうが、その価値は今後下がるかも知れません。何故ならば、日本の馬が凱旋門賞や英国チャンピオンステークスを勝つ日が近い将来訪れると思われるからです。8つ勝つよりも凱旋門賞を勝つ方が大きな価値があるでしょう。
 いずれ外国のG1もメダル獲得のリストの対象にしないといけないでしょう。
 筆者がむしろひかれるのは、G1をたくさん勝った馬よりも、G1を一度だけ3着した馬です。是非リストを最後までご覧下さい。

馬名 勝ち鞍
テイエムオペラオー 7 4 2 13 1着=2001天皇賞・春 2000天皇賞・秋 2000天皇賞・春 2000宝塚記念 1999皐月賞 2000ジャパンC 2000有馬記念
2着=2001天皇賞・秋 2001宝塚記念 1999菊花賞 2001ジャパンC
3着=1999ダービー 1999有馬記念
ウオッカ 7 2 3 12 1着=2009安田記念 2008安田記念 2009ヴィクトリアM 2008天皇賞・秋 2009ジャパンC 2006阪神JF 2007ダービー
2着=2008ヴィクトリアM 2007桜花賞
3着=2009天皇賞・秋 2007秋華賞 2008ジャパンC
シンボリルドルフ 7 1 1 9 1着=1985天皇賞・春 1984皐月賞 1984菊花賞 1985ジャパンC 1984ダービー 1985有馬記念 1984有馬記念
2着=1985天皇賞・秋
3着=1984ジャパンC
ディープインパクト 7 1 0 8 1着=2006天皇賞・春 2006宝塚記念 2005皐月賞 2005菊花賞 2006ジャパンC 2005ダービー 2006有馬記念
2着=2005有馬記念
3着=
ブエナビスタ 6 6 2 14 1着=2010ヴィクトリアM 2010天皇賞・秋 2009桜花賞 2009オークス 2011ジャパンC 2008阪神JF
2着=2011ヴィクトリアM 2011宝塚記念 2010宝塚記念 2010ジャパンC 2010有馬記念 2009有馬記念
3着=2009秋華賞 2009エリザベス女王杯
オルフェーヴル 6 1 0 7 1着=2012宝塚記念 2011皐月賞 2011菊花賞 2011ダービー 2013有馬記念 2011有馬記念
2着=2012ジャパンC
3着=
シンザン 6 0 0 6 1着=1965天皇賞・秋 1965宝塚記念 1964皐月賞 1964菊花賞 1964ダービー 1965有馬記念
2着=
3着=
ダイワメジャー 5 1 2 8 1着=2007安田記念 2006天皇賞・秋 2004皐月賞 2007マイルCS 2006マイルCS
2着=2005マイルCS
3着=2007有馬記念 2006有馬記念
ジェンティルドンナ 5 1 1 7 1着=2012秋華賞 2012桜花賞 2012オークス 2013ジャパンC 2012ジャパンC
2着=2013天皇賞・秋
3着=2013宝塚記念
ナリタブライアン 5 1 0 6 1着=1994皐月賞 1994菊花賞 1994ダービー 1994有馬記念 1993朝日杯FS
2着=1996天皇賞・春
3着=
メジロドーベル 5 1 0 6 1着=1997秋華賞 1999エリザベス女王杯 1998エリザベス女王杯 1997オークス 1996阪神JF
2着=1997桜花賞
3着=
アパパネ 5 0 2 7 1着=2011ヴィクトリアM 2010秋華賞 2010桜花賞 2010オークス 2009阪神JF
2着=
3着=2011エリザベス女王杯 2010エリザベス女王杯
オグリキャップ 4 4 1 9 1着=1990安田記念 1989マイルCS 1990有馬記念 1988有馬記念
2着=1988天皇賞・秋 1989天皇賞・秋 1990宝塚記念 1989ジャパンC
3着=1988ジャパンC
スペシャルウィーク 4 3 2 9 1着=1999天皇賞・秋 1999天皇賞・春 1999ジャパンC 1998ダービー
2着=1999宝塚記念 1998菊花賞 1999有馬記念
3着=1998皐月賞 1998ジャパンC
メイショウサムソン 4 3 1 8 1着=2007天皇賞・秋 2007天皇賞・春 2006皐月賞 2006ダービー
2着=2008天皇賞・春 2008宝塚記念 2007宝塚記念
3着=2007ジャパンC
メジロマックイーン 4 3 0 7 1着=1992天皇賞・春 1991天皇賞・春 1993宝塚記念 1990菊花賞
2着=1993天皇賞・春 1991宝塚記念 1991有馬記念
3着=
ダイワスカーレット 4 2 0 6 1着=2007秋華賞 2007エリザベス女王杯 2007桜花賞 2008有馬記念
2着=2008天皇賞・秋 2007有馬記念
3着=
シンボリクリスエス 4 1 2 7 1着=2003天皇賞・秋 2002天皇賞・秋 2003有馬記念 2002有馬記念
2着=2002ダービー
3着=2003ジャパンC 2002ジャパンC
スピードシンボリ 4 1 2 7 1着=1967天皇賞・春 1970宝塚記念 1970有馬記念 1969有馬記念
2着=1966菊花賞
3着=1968有馬記念 1966有馬記念
グラスワンダー 4 1 0 5 1着=1999宝塚記念 1999有馬記念 1998有馬記念 1997朝日杯FS
2着=1999安田記念
3着=
マヤノトップガン 4 1 0 5 1着=1997天皇賞・春 1996宝塚記念 1995菊花賞 1995有馬記念
2着=1996天皇賞・秋
3着=
ゴールドシップ 4 0 1 5 1着=2013宝塚記念 2012皐月賞 2012菊花賞 2012有馬記念
2着=
3着=2013有馬記念
タイキシャトル 4 0 1 5 1着=1998安田記念 1997スプリンターズS 1998マイルCS 1997マイルCS
2着=
3着=1998スプリンターズS
ミスターシービー 4 0 1 5 1着=1984天皇賞・秋 1983皐月賞 1983菊花賞 1983ダービー
2着=
3着=1984有馬記念
ロードカナロア 4 0 1 5 1着=2013安田記念 2013高松宮記念 2013スプリンターズS 2012スプリンターズS
2着=
3着=2012高松宮記念
アグネスデジタル 4 0 0 4 1着=2003安田記念 2001天皇賞・秋 2000マイルCS 2002フェブラリーS
2着=
3着=
トウカイテイオー 4 0 0 4 1着=1991皐月賞 1992ジャパンC 1991ダービー 1993有馬記念
2着=
3着=
ニッポーテイオー 3 4 0 7 1着=1988安田記念 1987天皇賞・秋 1987マイルCS
2着=1987安田記念 1988宝塚記念 1987宝塚記念 1986マイルCS
3着=
ビワハヤヒデ 3 4 0 7 1着=1994天皇賞・春 1994宝塚記念 1993菊花賞
2着=1993皐月賞 1993ダービー 1993有馬記念 1992朝日杯FS
3着=
ゼンノロブロイ 3 3 3 9 1着=2004天皇賞・秋 2004ジャパンC 2004有馬記念
2着=2005天皇賞・秋 2004天皇賞・春 2003ダービー
3着=2005宝塚記念 2005ジャパンC 2003有馬記念
スイープトウショウ 3 3 1 7 1着=2005宝塚記念 2004秋華賞 2005エリザベス女王杯
2着=2005安田記念 2006エリザベス女王杯 2004オークス
3着=2007エリザベス女王杯
デュランダル 3 3 0 6 1着=2003スプリンターズS 2004マイルCS 2003マイルCS
2着=2004高松宮記念 2005スプリンターズS 2004スプリンターズS
3着=
トウショウボーイ 3 2 1 6 1着=1977宝塚記念 1976皐月賞 1976有馬記念
2着=1976ダービー 1977有馬記念
3着=1976菊花賞
リユウフオーレル 3 2 1 6 1着=1963天皇賞・秋 1963宝塚記念 1963有馬記念
2着=1963天皇賞・春 1962菊花賞
3着=1964宝塚記念
タマモクロス 3 2 0 5 1着=1988天皇賞・秋 1988天皇賞・春 1988宝塚記念
2着=1988ジャパンC 1988有馬記念
3着=
ヤマニンゼファー 3 2 0 5 1着=1993安田記念 1992安田記念 1993天皇賞・秋
2着=1993スプリンターズS 1992スプリンターズS
3着=
グリーングラス 3 1 3 7 1着=1978天皇賞・春 1976菊花賞 1979有馬記念
2着=1978宝塚記念
3着=1979宝塚記念 1977宝塚記念 1977有馬記念
ミホシンザン 3 1 3 7 1着=1987天皇賞・春 1985皐月賞 1985菊花賞
2着=1985有馬記念
3着=1986天皇賞・秋 1986ジャパンC 1986有馬記念
ライスシャワー 3 1 1 5 1着=1995天皇賞・春 1993天皇賞・春 1992菊花賞
2着=1992ダービー
3着=1994有馬記念
イナリワン 3 1 0 4 1着=1989天皇賞・春 1989宝塚記念 1989有馬記念
2着=1990天皇賞・春
3着=
スーパークリーク 3 1 0 4 1着=1990天皇賞・春 1989天皇賞・秋 1988菊花賞
2着=1989有馬記念
3着=
スティルインラブ 3 1 0 4 1着=2003秋華賞 2003桜花賞 2003オークス
2着=2003エリザベス女王杯
3着=
ミホノブルボン 3 1 0 4 1着=1992皐月賞 1992ダービー 1991朝日杯FS
2着=1992菊花賞
3着=
ニシノフラワー 3 0 2 5 1着=1992スプリンターズS 1992桜花賞 1991阪神JF
2着=
3着=1993スプリンターズS 1992エリザベス女王杯
カネヒキリ 3 0 1 4 1着=2008JCダート 2005JCダート 2006フェブラリーS
2着=
3着=2009フェブラリーS
タケホープ 3 0 1 4 1着=1974天皇賞・春 1973菊花賞 1973ダービー
2着=
3着=1974有馬記念
テイエムオーシャン 3 0 1 4 1着=2001秋華賞 2001桜花賞 2000阪神JF
2着=
3着=2001オークス
ドリームジャーニー 3 0 1 4 1着=2009宝塚記念 2009有馬記念 2006朝日杯FS
2着=
3着=2009天皇賞・春
ニホンピロウイナー 3 0 1 4 1着=1985安田記念 1985マイルCS 1984マイルCS
2着=
3着=1985天皇賞・秋
ファレノプシス 3 0 1 4 1着=1998秋華賞 2000エリザベス女王杯 1998桜花賞
2着=
3着=1998オークス
クリフジ 3 0 0 3 1着=1943オークス 1943菊花賞 1943ダービー
2着=
3着=
コダマ 3 0 0 3 1着=1962宝塚記念 1960皐月賞 1960ダービー
2着=
3着=
セントライト 3 0 0 3 1着=1941皐月賞 1941菊花賞 1941ダービー
2着=
3着=
ダイナナホウシユウ 3 0 0 3 1着=1955天皇賞・秋 1954皐月賞 1954菊花賞
2着=
3着=
トランセンド 3 0 0 3 1着=2011JCダート 2010JCダート 2011フェブラリーS
2着=
3着=
ハクチカラ 3 0 0 3 1着=1957天皇賞・秋 1956ダービー 1957有馬記念
2着=
3着=
ヒシミラクル 3 0 0 3 1着=2003天皇賞・春 2003宝塚記念 2002菊花賞
2着=
3着=
マンハッタンカフェ 3 0 0 3 1着=2002天皇賞・春 2001菊花賞 2001有馬記念
2着=
3着=
メイショウマンボ 3 0 0 3 1着=2013秋華賞 2013エリザベス女王杯 2013オークス
2着=
3着=
メイヂヒカリ 3 0 0 3 1着=1956天皇賞・春 1955菊花賞 1956有馬記念
2着=
3着=
メジロラモーヌ 3 0 0 3 1着=1986エリザベス女王杯 1986桜花賞 1986オークス
2着=
3着=


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オークス馬とダービー馬の対戦成績 [競馬]

 オークス馬とダービー馬の対戦成績を調べてみました。戦前のオークス馬については詳細成績が不明なため対象外です。ご了承下さい。
 この記事の下に対戦表を掲載しましたが、ブログでは少々見にくくなっています。是非、拙作競馬サイト「厩戸光明伝」をご覧下さい。
http://umayadoden.web.fc2.com/g1/dotk.htm
 これまでにオークス馬とダービー馬は60回対戦しています。ダービー馬対決は26回しかないのに、意外と多い印象です。これはダービー馬は年1頭しか生まれないのに対して、オークス馬とダービー馬は年2頭生まれるから、対戦機会がその分増えるからでしょう。
 記念すべき第1回はトキツカゼとマツミドリがカブトヤマ記念で相まみえている。トキツカゼは牝馬で皐月賞を勝ち、ダービーでマツミドリの2着に敗れている。マツミドリの父は第2回ダービー馬カブトヤマである。そのカブトヤマはトキツカゼを管理していた大久保師が騎乗していた馬。その後トキツカゼは当時秋に施行されていたオークスを勝ち、カブトヤマ記念でマツミドリに雪辱するのである。マツミドリにとって父の名を冠した重賞を勝てなかったわけだ。
 特筆すべきはフエアマンナの怪女ぶりである。オークスから連闘で挑んだダービーはハクチカラの6着。ハクチカラと言えばのちにアメリカで重賞を勝つほどの名馬だが、フエアマンナはハクチカラと互角の戦いを展開する。セントライト記念と中山ブランプリ(現在の有馬記念)に負けたといえ惜敗。その後のオープンを3タテした。東京杯で故障し薬殺されたのが惜しまれる。
 このフエアマンナの活躍ぶりに触発されてか、オークス馬がダービーに連闘するケースが度々見られた。1957年のミスオンワードと1961年のチトセホープ。ミスオンワードは17着に敗れたが、チトセホープは3着。連闘という無茶をしていなければ、ダービーに勝っていたのではないだろうか。その間スターロツチがコマツヒカリ、コダマの2頭にダービー馬に土をつけている。
 その後、1969年にシャダイターキンとダイシンボルガードが対決したのを最後に、オークス馬とダービー馬の対決は途絶えた。1970年代は一度もなかった。ちなみにこの70年代はダービー馬対決もなかった。1981年天皇賞・春で対決が復活する。オークス馬ケイキロク、ダービー馬はカツラノハイセイコとオペックホース。これはオークス馬ダービー馬が3頭以上出走した初めてのケースである。復活した対決だが、オークス馬はダービー馬に対して劣勢だった。何回か先着はしているが、それは下位着順であり、勝負つけが終わった状態であり、評価の対象外であろう。
 1998年エアグルーヴが天皇賞・秋を勝ち、その頃からやたらと牝馬が強くなりはじめた。そのエアグルーヴはジャパンカップで2着なり、3着だったダービー馬スペシャルウィークに先着している。ちなみに勝ったのはエルコンドルパサーである。
 2007年クリフジ以来60数年ぶりに牝馬のダービー馬が誕生した。ウオッカである。ウオッカは先輩オークス馬カワカミプリンセスに1勝2敗。同期のオークス馬ローブデコルテはほとんど問題にせず2勝している。
 近年で目を引くのはブエナビスタとジェンティルドンナの活躍ぶりだろう。ダービー馬エイシンフラッシュを嫌というほど痛めつけている。エイシンフラッシュはダービー馬にしては壮健で長く活躍し天皇賞・秋も勝っているが、長く活躍したことにより、この2頭のスーパー牝馬との対戦も増えてしまい、このような結果になってしまったのは気の毒である。
 2013年は凱旋門賞でオルフェーヴルとキズナの2頭のダービー馬が激突した。今後は日本のオークス馬とダービー馬が凱旋門賞で激突することも絵空事ではなくなってくるだろう。
ダービー馬オークス馬対決
年月日 開催 競走名 オークス馬 勝敗 ダービー馬
馬名 人気 着  人気 馬名
11947/11/09 中山 カブトヤマ記念 トキツカゼ 1 1 ○● 6 3 マツミドリ
21949/04/29 京都 天皇賞・春 ヤシマヒメ 3 11 ●○ 1 1 ミハルオー
31951/04/01 中山 特ハン コマミノル 8 5 ○● 7 1 クモノハナ
41954/04/11 京都 優勝 ジツホマレ 5 5 ●○ 1 1 ボストニアン
51954/04/26 阪神 阪神記念 ジツホマレ 3 3 ●○ 1 1 ボストニアン
61954/11/23 京都 菊花賞 ヤマイチ 7 3 ○● 7 3 ゴールデンウエーブ
71955/03/06 東京 特ハン ヤマイチ 8 10 ●○ 7 1 ゴールデンウエーブ
81955/04/03 中山 特ハン ヤマイチ 2 2 ●○ 1 1 ゴールデンウエーブ
91955/04/17 中山 ダイヤモンドステークス ヤマイチ 3 8 ●○ 2 1 ゴールデンウエーブ
101955/10/23 中山 特ハン ヒロイチ 11 12 ●○ 10 12 ゴールデンウエーブ
111955/11/06 中山 中山記念 ヤマイチ 8 7 ●○ 6 3 ゴールデンウエーブ
121956/06/03 東京 東京優駿 フエアマンナ 4 6 ●○ 1 3 ハクチカラ
131956/10/07 東京 セントライト記念 フエアマンナ 2 3 ○● 4 3 ハクチカラ
141956/12/23 中山 中山グランプリ フエアマンナ 4 6 ●○ 5 5 ハクチカラ
151957/01/06 中山 ニューイヤーステークス フエアマンナ 3 1 ○● 3 1 ハクチカラ
161957/03/17 東京 オープン フエアマンナ 1 1 ○● 2 2 ハクチカラ
171957/04/06 中山 オープン フエアマンナ 2 1 ○● 4 1 ハクチカラ
181957/05/12 東京 東京杯 フエアマンナ 2 中止 ●○ 1 1 ハクチカラ
191957/05/26 東京 東京優駿 ミスオンワード 3 17 ●○ 1 1 ヒカルメイジ
201958/12/21 中山 有馬記念 ミスオンワード 1 7 ○● 10 3 ダイゴホマレ
211959/11/15 京都 菊花賞 オーカン 6 7 ●○ 6 3 コマツヒカリ
221960/12/04 中山 特ハン スターロツチ 1 1 ○● 5 4 コマツヒカリ
231960/12/18 中山 有馬記念 スターロツチ 9 1 ○● 6 5 コダマ
241961/05/28 東京 東京優駿 チトセホープ 2 3 ●○ 1 1 ハクシヨウ
251964/11/15 京都 菊花賞 カネケヤキ 9 5 ●○ 1 2 シンザン
261966/11/13 京都 菊花賞 ヒロヨシ 10 13 ○● 18 3 テイトオー
271969/01/05 京都 金杯・西 ヤマピット 1 2 ○● 5 2 タニノハローモア
281969/09/20 中山 オープン シャダイターキン 10 10 ●○ 1 4 ダイシンボルガード
291981/04/29 京都 天皇賞・春 ケイキロク 10 14 ●○ 1 2 カツラノハイセイコ
●○ 12 3 オペックホース
301981/06/07 阪神 宝塚記念 ケイキロク 9 13 ●○ 2 1 カツラノハイセイコ
●○ 6 6 オペックホース
311982/03/14 阪神 マイラーズカップ ケイキロク 11 5 ●○ 3 3 オペックホース
321984/10/07 東京 毎日王冠 ダイナカール 6 7 ●○ 2 2 ミスターシービー
331984/12/09 中京 ウインターステークス トウカイローマン 3 5 ○● 12 10 オペックホース
341984/12/23 中山 有馬記念 ダイナカール 9 7 ●○ 3 2 ミスターシービー
●○ 1 1 シンボリルドルフ
351986/12/21 中山 有馬記念 メジロラモーヌ 2 9 ●○ 1 4 ダイナガリバー
361987/12/27 中山 有馬記念 マックスビューティ 4 10 ○● 14 5 ダイナガリバー
トウカイローマン 12 11 ○●
371988/08/21 函館 函館記念 マックスビューティ 7 6 ●○ 2 3 メリーナイス
●○ 4 2 シリウスシンボリ
381989/06/11 阪神 宝塚記念 コスモドリーム 5 14 ○● 16 4 サクラチヨノオー
391993/12/26 中山 有馬記念 ベガ 6 9 ●○ 1 4 トウカイテイオー
○● 11 3 ウイニングチケット
401994/12/25 中山 有馬記念 チョウカイキャロル 9 8 ●○ 1 1 ナリタブライアン 
411995/11/05 京都 菊花賞 ダンスパートナー 1 5 ○● 6 5 タヤスツヨシ
421998/11/29 東京 ジャパンカップ エアグルーヴ 2 2 ○● 3 1 スペシャルウィーク
431999/11/28 東京 ジャパンカップ ウメノファイバー 8 12 ●○ 1 2 スペシャルウィーク
442000/11/26 東京 ジャパンカップ シルクプリマドンナ 16 16 ●○ 13 4 アグネスフライト
452007/06/24 阪神 宝塚記念 カワカミプリンセス 6 6 ●○ 2 2 メイショウサムソン
○● 8 1 ウオッカ
462007/10/14 京都 秋華賞 ローブデコルテ 4 10 ●○ 3 1 ウオッカ
472008/05/18 東京 ヴィクトリアマイル ローブデコルテ 7 14 ●○ 2 1 ウオッカ
482008/12/28 中山 有馬記念 カワカミプリンセス 6 7 ○● 8 4 メイショウサムソン
492009/04/05 阪神 大阪杯 カワカミプリンセス 4 3 ●○ 2 1 ディープスカイ
502009/05/17 東京 ヴィクトリアマイル カワカミプリンセス 2 8 ●○ 1 1 ウオッカ
512010/06/27 阪神 宝塚記念 ブエナビスタ 1 2 ○● 13 5 ロジユニヴァース
522010/11/28 東京 ジャパンカップ ブエナビスタ 1 2 ○● 8 5 エイシンフラッシュ
532010/12/26 中山 有馬記念 ブエナビスタ 1 2 ○● 7 5 エイシンフラッシュ
542011/06/26 阪神 宝塚記念 ブエナビスタ 1 2 ○● 3 3 エイシンフラッシュ
552011/10/30 東京 天皇賞・秋 ブエナビスタ 1 4 ○● 6 3 エイシンフラッシュ
562011/11/27 東京 ジャパンカップ ブエナビスタ 2 1 ○● 8 5 エイシンフラッシュ
572011/12/25 中山 有馬記念 ブエナビスタ 2 7 ●○ 2 7 エイシンフラッシュ
●○ 1 1 オルフェーヴル
582012/11/25 東京 ジャパンカップ ジェンティルドンナ 3 1 ○● 9 5 エイシンフラッシュ
○● 2 1 オルフェーヴル
592013/10/27 東京 天皇賞・秋 ジェンティルドンナ 1 2 ○● 3 3 エイシンフラッシュ
602013/11/24 東京 ジャパンカップ ジェンティルドンナ 1 1 ○● 10 3 エイシンフラッシュ


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朝日杯FSと阪神JFを同日開催、阪神カップは2歳上G1に [競馬]

 2014年度より、2歳G1路線に大きな変更がなされることが明確になった。
 まず、これまで中山1600mで行われていた朝日杯FSが阪神1600mに開催地が変更された。そしてこれまで阪神2000mで行われていたラジオNIKKEI2歳Sが中山2000mに移り、名称もホープフルSに変更される。グレードは現状G3だが、G2に格上げを申請中で、さらにG1への格上げも視野に入れるとしている。つまり、2歳G1は牝馬限定の阪神ジュベナイルフィリーズ、1600mの朝日杯フューチュリティステークス、2000mのホープフルステークスの3本立てとなる。
 このような番組にするのは、もちろん注目度の高いG1競走を増やして売り上げを拡大したいというのがJRAの思惑であろう。ホープフルSを有馬記念と同日開催にしているのはその証左であろう。けれども一番の動機は、朝日杯が開催されていた中山1600mが欠陥コースであることだろう。
 中山の1600mはスタートをしてすぐに右カーブがある。それも一番ペースの速くなるところで90度以上の鋭角カーブで、フルゲートを16頭に制限しているにも関わらず、外枠は不利となる。また3コーナーから4コーナーも緩やかな曲線で外を走る馬は大きく距離をロスすることになる。このため朝日杯は15番枠より外の馬が優勝した例はない。仕上がりが早く、小器用な馬が有利で、馬の実力が直接的に反映されないコースで、クラシックを狙う評判馬は2000mのラジオNIKKEI2歳Sに出走することが多くなってきた。それでも朝日杯の優勝馬がクラシックはともかく、短距離路線で活躍するようならば、朝日杯の価値も上がるのだが、近年活躍しているのはグランプリボスぐらいのもので、あとは早熟馬のために用意された勲章となっている。クラシック勝ち馬が目白押しの阪神JF優勝馬とあまりに対照的である。 そこでJRAは阪神JFが桜花賞と同じ阪神1600mで行われることから、皐月賞と同じ中山2000mで2歳G1を開催し、朝日杯は基本距離である1600mのG1としての存在価値を高めるために、枠順の不利の少ない阪神1600mで行うことにしたというわけだ。
 2歳G1番組としてはこれでいいだろう。けれども近年JRAの馬券の売り上げは低迷している。さらに魅力のある番組にしないと売り上げを伸ばすことはできない。3連単に重勝式、さらにネット投票拡大と、馬券の売り方でどうにかするにはもう限界だ。やはり、一般の注目を高めるのはG1競走を増やすのが効果的だ。特に12月は最大のライバル、プロ野球がシーズンオフであること、一般的な会社ではボーナスが支給されていることから、売り上げを伸ばすには好条件だ。
 2歳G1のホープフルSを売り上げ世界一で一般注目度の高い有馬記念の前走に開催するのは、大いに結構だ。テレビ中継にしても、3時からの1時間で何とか収まるだろう。かつてジャパンカップとジャパンカップダートを同一開催で行ったことがあったが、売り上げは大幅増を記録した。
 まず第一の提案は、これと同様に朝日杯FSと阪神JFを同日開催するのである。同じコースで同じ1600mであれば、牝馬が朝日杯FSに出走することはまずあり得ない。朝日杯に関しては、有力馬がホープフルSに向かうことから出走馬が手薄になるおそれがあるから、せん馬の出走も認めるべきだ。もちろん外国馬も歓迎だ。同一開催で2歳G1の注目度が増し、売り上げが増えるのは間違いない。
 同日開催すると、12月に1週だけG1の開催のない日曜日が生じてしまう。人気のない中山大障害にその役を務めることは無理だ。そこで阪神1400mのG2で開催している阪神カップをG1に昇格させる。もともと阪神カップはG1にするつもりで新設された。G2とはいえ斤量も定量で賞金も6500万円とG1並みだ。短距離界の有力馬は香港に遠征することから定例化していることから、スプリンターズSやマイルチャンピオンシップに比べるとやや出走馬は格落ちになるが、それでも国内短距離界の重要なレースであることに変わりはなく、優勝馬はG1勝ち馬が名を連ねている。1200mと1600mのどちらの得意な馬を集めることができるのも特徴だ。
 ただ今のままの阪神カップは短距離界の国内居残り組の残念会という感じであまり魅力がない。賞金は1億円にするのは当然として、さらに阪神カップに2歳馬の出走を認めるのである。現状の2歳馬はそれ以上の馬齢の馬に混ざっての出走は認められていない。しかしかつてアグネスワールドが勝ったフランスのアベイ・ド・ロンシャン賞などは2歳上のG1だ。実際問題として、2歳馬は限定の朝日杯をめざし、わずかな賞金の違いで阪神カップに挑戦する馬が多くいるとは思えない。しかし、2歳馬で1400mまでは持つけれども、1600mになると急に走らなく馬は結構いる。そんな馬が古馬相手に挑戦状を叩きつければ、盛り上がることは間違いない。斤量差は6キロを設定する。つまり2歳牡馬は52キロ、牝馬は51キロ、3歳以上は牡馬は58キロ、牝馬は56キロとなる。開催は有馬記念の前週がいいだろう。
 12月は4週で6つのG1競走が開催されることになる。単純に5割増しとはいかないだろうが、3割増しは見込めそうだ。
2014年1月26日筆

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ジャパンカップダート名称変更 [競馬]

 2014年度よりジャパンカップダートがチャンピオンズカップに名称を変更され、同時に開催地も阪神から中京に移されることになった。
 もともとジャパンカップダートは存在意義が今一つ薄いG1競走であった。設立された2000年においてはジャパンカップの前日土曜日の開催で一般の認知が低く、馬券売り上げも低迷した。2004年度はジャパンカップと同日開催で売り上げが100億円をようやく突破した。その後土曜日開催に戻ったが、2007年に売り上げを102億円台に乗せたものの、他のG1比べると見劣りする状況は変わらなかった。 ジャパンカップダートといういささか安直な名前も問題があった。いわゆるダートの本場アメリカでは芝をターフと呼ぶことがあっても、当然のことながらダートをそのようにわざわざ呼ぶことはない。そもそもダートはダーティという言葉で分かるように「汚い」というイメージの悪い単語である。それにアメリカの馬場はダートといっても、赤土であり、日本のダートのように砂を中心に構成されたものではない。アメリカ人が抱くダートとは別物なのである。
 またアメリカからの一流馬を招待しようにも、ほぼ3週前に一流馬の大目標であるブリーダーズカップが開催されている。ブリーダーズカップに参戦後、いかに輸送費持ちの招待制とはいえ、長距離遠征のリスクを背負って日本にやってくるアメリカの馬は、予備登録こそ多かったものの実際に遠征してくるのは数少なかった。
 仮に遠征を決意したところで海外陣営には困難が待ち受ける。日本の検疫はドバイや香港のそれに比べて厳しく、拘束時間も長く、調教にも不自由だ。さらに東京競馬場のコースにしても直線が長く、しかも坂がある。同じ左回りでも小回り平坦がほとんどのアメリカと大いに異なる。しかも2100mという微妙に長い中途半端な距離も、海外陣営にとって不安材料であった。
 こうした状況を鑑みて、JRAは2008年より、開催を1週繰り下げ、阪神1800mに開催を変更することになった。売り上げは6割り増しの160億円となり、売り上げ面での改善は果たされた。しかしアメリカでは存在しない右回りダートは外国馬を戸惑わせるに十分で、中には逸走気味に走る馬もいて、2008年こそ3頭の出走馬があったが、2009年のティズウェイを最後に外国馬は出走しなくなってしまった。
 このように賞金が諸外国に比べて高いという魅力だけでは海外の馬を呼ぶに十分でなく、やがて国際招待競走にも関わらず、招待馬ゼロという年が普通になってしまった。もはやジャパンカップダートは海外の強豪と日本馬の対決する場ではなく、JBCクラシックと東京大賞典に挟まれた、日本のダート馬のための高額賞金レースとなってしまった。ダート馬は高齢まで活躍し、馬資源も少ないので毎年同じようなメンバーで戦うことが多く、ファンも興味ももう一つで、ドバイワールドカップへの壮行レースいう意味合いのあるフェブラリーステークスよりも存在の薄いものとなった。
 そこでJRAは新装なった中京競馬場にジャパンカップダートを開催を移すことにした。また国際招待制をやめ賞金も減額した。しかしせっかくダート世界主流の左回りの中京に移したのに、もはや意味がないとはいえ、国際招待制をやめるのはどこか矛盾している。名称もジャパンカップダートからチャンピオンズカップに変更される。チャンピオンズカップとはジャパンカップダートと勝るとも劣らない安直さだ。どうせなら地元名古屋の大企業トヨタの名を冠してトヨタカップにしたほうがインパクトがあるように思える。
 秋のダート戦線はJBCクラシック、チャンピオンズカップ、東京大賞典が一流馬のとるローテーションとなるだろう。さらに年が変われば、川崎記念あるいはフェブラリーステークスを叩いて、ドバイを目指すことになるだろう。チャンピオンズカップに存在意義があるとすれば、左回りで坂がある1800mということだろう。東京大賞典が大井の右回り平坦2000mだから、左回りの得意な馬で距離が短い方がいい馬はチャンピオンズカップを狙ってくるだろうし、両方勝った馬は右にも左にも強い馬として評価されるだろう。JRAとしては単なるダート馬のG1としてではなく、このようなシリーズの下での重要なレースであることを大いに宣伝するべきである。地方競馬の宣伝力には限界があるので、一般人のJBCや東京大賞典の知名度は低いからだ。これらのレースの場外馬券場での馬券発売も奨励すべきである。
2013年10月27日筆
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宝塚記念兄弟出走馬 [競馬]

 親仔出走に続き、兄弟出走馬について調べました。さすがに10頭前後の産駒しか残せない牝馬にとって、G1に出走するような大物を2頭以上しかも同一レースとなると数少ない。10組が確認されています。兄弟姉妹制覇はまだいません。いちばん近かったのは姉ハギノトップレディが4着、弟ハギノカムイオーが1着、これに続くのは兄サイレンススズカ1着、弟ラスカルスズカが5着といったところでしょうか。
 その他のG1については、宝塚記念終了後に拙作サイト「厩戸光明伝」にアップ予定です。

宝塚記念の兄弟姉妹出走
出走馬
1
4 1963 コウライオー 3 リンボー ダイヤナルビー
5 1964 コウライオー 4 リンボー
5 1964 ヤマニンルビー 6 タカクラヤマ
2
14 1973 ナオキ 3 サウンドトラック エイトクラウン
16 1975 ナオキ 1 サウンドトラック
19 1978 クラウンピラード 7 ダイハード
3
22 1981 ハギノトップレディ 4 サンシー イットー
24 1983 ハギノカムイオー 1 テスコボーイ
4
23 1982 モンテプリンス 1 シーホーク モンテオーカン
25 1984 モンテファスト 13 シーホーク
5
29 1988 メジロデュレン 7 フィデオン メジロオーロラ
32 1991 メジロマックイーン 2 メジロティターン
34 1993 メジロマックイーン 1 メジロティターン
6
29 1988 メジロフルマー 9 ロンバード メジロチェイサー
32 1991 メジロライアン 1 アンバーシャダイ
7
36 1995 エアダブリン 3 トニービン ダンシングキイ
37 1996 ダンスパートナー 3 サンデーサイレンス
38 1997 ダンスパートナー 3 サンデーサイレンス
8
39 1998 サイレンススズカ 1 サンデーサイレンス ワキア
41 2000 ラスカルスズカ 5 コマンダーインチーフ
9
46 2005 アドマイヤグルーヴ 8 サンデーサイレンス エアグルーヴ
51 2010 フォゲッタブル 10 ダンスインザダーク
52 2011 フォゲッタブル 15 ダンスインザダーク
52 2011 ルーラーシップ 5 キングカメハメハ
10
49 2008 アドマイヤオーラ 14 アグネスタキオン ビワハイジ
51 2010 ブエナビスタ 2 スペシャルウィーク
52 2011 ブエナビスタ 2 スペシャルウィーク


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宝塚記念親仔出走 [競馬]

  宝塚記念で親仔出走の記録を調べてみました。古い馬の血統データは不明なので、完全ではありません。親仔制覇は母エイトクラウンの息子ナオキ、それと父グラスワンダーの息子アーネストリー。ちなみにナオキの息子チェリーテスコの1985年のカブトヤマ記念を勝っていて,翌年の宝塚記念に出走して親仔3代出走を期待したものだが、翌年は不調でそれは叶いませんでした。
 宝塚記念は牝馬の出走が少ないので、牝馬の仔が出走したのは宝塚記念を勝っているエイトクラウン、桜花賞馬ワカクモ、二冠牝馬ベガ、天皇賞馬エアグルーヴのみ。でも一流揃いですね。牡馬は種牡馬になっているわけだから、もちろん一流馬なのですが、シービークロス、リードワンダー、メジロイーグルといった面々もなかなかの産駒を出しています。少頭数の実力馬で開催されることの多い宝塚記念らしいですね。ちなみに有馬記念もほぼ同じ傾向です。これが桜花賞とかオークスになると、着外馬がまた着外馬を生んだり面白いです。ただし牝馬は生涯で10頭ぐらいしか産駒を残さないので、親仔出走というのもなかなか叶わないです。それから考えると立て続けにG1競走に産駒を送り出すエアグルーヴはすごいな。牡馬の大物を2頭出せば、顕彰馬の対象になると思います。

出走馬 父または母
14 1973 ナオキ 3 7 1966 エイトクラウン 1
14 1973 シンザンミサキ 7 6 1965 シンザン 1
15 1974 ハシストーム 7 6 1965 シンザン 1
16 1975 ナオキ 1 7 1966 エイトクラウン 1
16 1975 イナボレス 4 2 1961 ヘリオス 3
18 1977 テンポイント 2 8 1967 ワカクモ 7
19 1978 ハシコトブキ 6 6 1965 シンザン 1
19 1978 クラウンピラード 7 7 1966 エイトクラウン 1
20 1979 ハシコトブキ 11 6 1965 シンザン 1
22 1981 カツラノハイセイコ 2 15 1974 ハイセイコー 1
23 1982 メジロティターン 9 12 1971 メジロアサマ 2
24 1983 アサヒテイオー 12 6 1965 シンザン 1
26 1985 タイセンス 7 14 1973 タイテエム 2
27 1986 リワードウイング 9 19 1978 グリーングラス 2
27 1986 ニューファンファン 17 21 1980 カネミノブ 7
28 1987 マルカセイコウ 11 15 1974 ハイセイコー 1
29 1988 タマモクロス 1 20 1979 シービークロス 9
30 1989 シヨノロマン 9 23 1982 リードワンダー 13
31 1990 サンドピアリス 9 15 1974 ハイセイコー 1
32 1991 メジロマックイーン 2 23 1982 メジロティターン 9
32 1991 ホワイトストーン 4 20 1979 シービークロス 9
33 1992 メジロパーマー 1 21 1980 メジロイーグル 4
34 1993 メジロマックイーン 1 23 1982 メジロティターン 9
34 1993 セキテイリュウオー 4 18 1977 トウショウボーイ 1
34 1993 アイルトンシンボリ 5 26 1985 シンボリルドルフ
34 1993 メジロパーマー 10 21 1980 メジロイーグル 4
34 1993 ロンシャンボーイ 11 25 1984 ホリスキー 10
35 1994 アイルトンシンボリ 2 26 1985 シンボリルドルフ
35 1994 インターマイウェイ 10 28 1987 ニッポーテイオー 2
36 1995 アイルトンシンボリ 5 26 1985 シンボリルドルフ
36 1995 インターマイウェイ 13 28 1987 ニッポーテイオー 2
37 1996 カネツクロス 6 29 1988 タマモクロス 1
39 1998 メジロドーベル 5 32 1991 メジロライアン 1
39 1998 メジロブライト 11 32 1991 メジロライアン 1
42 2001 アドマイヤボス 6 35 1994 ベガ 13
42 2001 トーホウドリーム 10 32 1991 メジロライアン 1
44 2003 メジロランバート 12 32 1991 メジロライアン 1
44 2003 マイソールサウンド 16 29 1988 タマモクロス 1
45 2004 シルクフェイマス 2 38 1997 マーベラスサンデー 1
45 2004 チャクラ 9 37 1996 マヤノトップガン 1
46 2005 アドマイヤグルーヴ 8 39 1998 エアグルーヴ 3
46 2005 シルクフェイマス 15 38 1997 マーベラスサンデー 1
47 2006 チャクラ 10 37 1996 マヤノトップガン 1
47 2006 シルクフェイマス 12 38 1997 マーベラスサンデー 1
48 2007 カワカミプリンセス 6 40 1999 キングヘイロー 8
48 2007 インティライミ 7 40 1999 スペシャルウィーク 2
48 2007 マキハタサイボーグ 10 39 1998 メジロブライト 11
48 2007 マイソールサウンド 16 29 1988 タマモクロス 1
49 2008 インティライミ 3 40 1999 スペシャルウィーク 2
49 2008 サクラメガワンダー 4 40 1999 グラスワンダー 1
50 2009 ドリームジャーニー 1 39 1998 ステイゴールド 2
50 2009 サクラメガワンダー 2 40 1999 グラスワンダー 1
50 2009 スクリーンヒーロー 5 40 1999 グラスワンダー 1
50 2009 スマートギア 8 38 1997 マーベラスサンデー 1
50 2009 モンテクリスエス 9 44 2003 シンボリクリスエス 5
50 2009 インティライミ 12 40 1999 スペシャルウィーク 2
51 2010 ナカヤマフェスタ 1 39 1998 ステイゴールド 2
51 2010 ブエナビスタ 2 40 1999 スペシャルウィーク 2
51 2010 アーネストリー 3 40 1999 グラスワンダー 1
51 2010 ドリームジャーニー 4 39 1998 ステイゴールド 2
51 2010 ネヴァブション 5 38 1997 マーベラスサンデー 1
51 2010 スマートギア 7 38 1997 マーベラスサンデー 1
51 2010 フォゲッタブル 10 39 1998 エアグルーヴ 3
51 2010 ロジユニヴァース 13 44 2003 ネオユニヴァース 4
51 2010 セイウンワンダー 16 40 1999 グラスワンダー 1
51 2010 マキハタサイボーグ 17 39 1998 メジロブライト 11
52 2011 アーネストリー 1 40 1999 グラスワンダー 1
52 2011 ブエナビスタ 2 40 1999 スペシャルウィーク 2
52 2011 ルーラーシップ 5 39 1998 エアグルーヴ 3
52 2011 ハートビートソング 6 46 2005 ゼンノロブロイ 3
52 2011 トレイルブレイザー 8 46 2005 ゼンノロブロイ 3
52 2011 ドリームジャーニー 10 39 1998 ステイゴールド 2
52 2011 フォゲッタブル 15 39 1998 エアグルーヴ 3


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カツラノハイセイコ [競馬]

 カツラノハイセイコは1976年5月13日、北海道浦河の鮫川三千男牧場にて生まれた。父ハイセイコーは地方競馬大井で6戦6勝の実績を引っさげて中央入りすると、皐月賞を含む10連勝でダービーに挑むも、タケホープの3着に敗れた。その後大レースの勝ち鞍は宝塚記念を加えたのみながら、地方からのし上がり健気に走る姿は老若男女の心を打ちハイセイコーブームを巻き起こした。中央での成績は16戦7勝ながら、中央競馬への貢献を評価されて1984年に顕彰馬として殿堂入りしている。種牡馬としてもこのカツラノハイセイコの他、1989年エリザベス女王杯のサンドピアリス、1990年皐月賞のハクタイセイを輩出、ライフタテヤマなどダートにも強く、地方競馬でもキングハイセイコなど大きな足跡を残した。母コウイチスタアは現役時12戦1勝。鮫川牧場の仔分けでその母系は小岩井農場がイギリスから輸入した名牝フロリースカップにさかのぼる。フロリースカップの娘スターリングモアは1929年鮫川三千男の祖父が当歳で買い取り、帝室御賞典を含む10勝を挙げた。このスターリングモアの子孫としては桜花賞と天皇賞に勝ったヤシマドータや天皇賞馬リキエイカンなどがいる。コウイチスタアの父ジャブリンは1957年アイルランド産の名血で1965年より日本で供用された。コウイチスタアも当然繁殖馬として期待された。しかし4年間不受胎が続き、5年目の初産駒がカツラノハイセイコであった。祖先のスターリングモアは小柄な馬であったが、このカツラノハイセイコも大きく育たなかった。しかしこの黒鹿毛のハイセイコーの初年度産駒は、棹性が強く闘志は備わっている様子であった。
 桂土地の持ち馬としてカツラノハイセイコは・・・・

続きは下記URLを参照
http://umayadoden.web.fc2.com/uma/katsurano_haiseiko.htm
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競馬場謎のコース [競馬]

今日はJRAの競馬場のちょっとした謎に迫りたいと思います。
ひとつは東京競馬場の2000mポケットと本馬場をつなぐコース。ポケットへの近道として必要のなのは理解できますが、何故こんな立派なのがあるのでしょうか。
tokyo.JPG
これはかつて右回りだった頃の名残です。左回りの東京で1200mスタート地点を設置すると3コーナーにかかるので、短距離戦のみ右回りで実施していました。距離を確保するため2000mポケット方向に迂回していたようです。ゴールポストはいまの200ハロン棒近くにありました。1981年のジャパンカップの映像を見ると確認できます。騎手・主催者・観客のいずれの立場にとっても不便なので70年代で右回りは廃止になりました。あのカブラヤオーも新馬戦で走ったというコース。映像見てみたいです。
次は中山の芝1400mスタート地点。
nakayama.JPG
東京の1800を逆にしたようなコースですが、最近使われた形跡がないです。写真の芝も茶色のまま。しかも作られたのが1985年と比較的新しいにもかかわらずです。このコースは坂の上に設置されていてペースが速くなり危険なのでフルゲートが10頭と少ないのが使われない原因です。もう少し考えて設計してもらいたかったと思います。
秋華賞が行われるのは京都芝2000m。しかし普段は下級条件でしか使われない内回りコースを利用します。これは外回り2000mだと最初の直線が短くフルゲートが16頭に制限されるからです。おかげで秋華賞はとても紛れの多いコースとなっています。
春の中距離王を決める宝塚記念。しかし長距離カテゴリーに入る阪神2200mで実施されます。これは2000mにした場合フルゲートが16頭に制限されるのを嫌っているのではないでしょうか。2400mにすればスタート地点は同じでもフルゲート18頭で実施できます。
管理人は宝塚記念を2400mにして、京都の2コーナーポケットを延長して天皇賞春と秋華賞を2000mとする提案をすでに行っています。
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