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にっぽん丸クルーズ&ロシア・ユジノサハリンスク弾丸ツアー [旅行]

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↑ユジノサハリンスクの眺め
0.はじめに
 日本地図を見ると北海道の北に大きな細長い島がある。サハリンである。かつては樺太と呼ばれロシアと度々国境紛争の舞台となった。大雑把にいえば、樺太の存在を意識した日露両国は、まず江戸時代末期に樺太は国境を定めず、ロシア人と日本人が一緒に住む地域とされた。明治の初めになり政府は北海道の開発を優先するため、樺太をロシア領、千島列島を日本領とする千島樺太交換条約を締結した。その後日露戦争の結果、樺太の南半分を日本領、北半分をロシア領となった。そして太平洋戦争で日本は惨敗し千島列島と樺太の領有権を全て失うことになった。この千島列島のうち択捉、国後、色丹、歯舞の4島は日本固有の領土であるとして、占拠を続けるロシアとに生じているのが北方領土問題である。樺太に関してはロシア領であることは確定しているのだが、日本政府は日露間に平和条約が締結されていないので、国境未確定地域という立場だ。

 ともあれ現在サハリンはロシアの支配下にあるということだ。当然パスポートもビザも必要だ。
 このサハリンへの交通は簡単ではない。直行の航空便はあるがその便数は少なく、しかも土日を絡めるには不便だった。船便も稚内からあるにはあるが客が少なく度々運休に追い込まれている。運賃も距離にしては割高で、日本統治時代の建造物が残るとはいえ、十分整備されているとは言いがたく、観光地としての魅力に欠けるのだから仕方がない。
 筆者はかつてロシアのハバロフスクとウラジオストクに行ったことがある。日本にほど近いのにヨーロッパの雰囲気のある街並みに軽くない感動を覚えたものだった。北方領土訪問はどうやら存命中に無理そうなので、ここはサハリンに行ってみたい。日本文化とロシア文化がどんな風に混ざっているのか興味を持った。
 おあつらえ向きのツアーを見つけた。それはにっぽん丸小樽発2泊3日秋のサハリンツアーというものだった。時期は9月の3連休で休みも取らなくてもいい。にっぽん丸とは日本の3隻あるクルーズ船のひとつで、商船三井が運航している豪華客船だ。しかし知名度は今一歩だ。自分の周辺には豪華客船に無縁な世帯が多いので、「にっぽん丸?あああの帆船ね」という反応が多かった。あれは「日本(ニホン)丸」で海技教育機構の練習帆船だ。もちろん我々一般人がツアーで乗る船ではない。ちょっと考えたらわかりそうなことでもおかしいと考えないところに、いかに筆者の周辺にとってクルーズ船が遠い存在であるかがわかろうというものだ。
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↑クルーズ船のパンフレット
 それはともかくクルーズ船は人気がある。富裕層の中には自分が行けるかどうか別にして、とりあえず予約して前金を払って部屋を押さえる人がいる。だから早い段階で予約が満室になったりする。事実、このツアーも1月の段階でほぼ満室で最下級のコンフォートステートが数室残っている状態だった。筆者はすかさず予約を入れた。予約した段階で手付金を払い、7月に残金を払うとのこと。しかしクレジットカードの場合前金は不要だった。代金は99000円とあるが、シングルユーズなので割高で125000円となった。
 7月頃商船三井から旅行の日程表などが送られてきた。
※※日程※※
9月14日(土)
18:00 小樽港出港
9月15日(日)
11:00 コルサコフ入港
21:00 コルサコフ出港
9月16日(月)
10:00 小樽港入港

 コルサコフはサハリンの南端にある港町である。夕食が2回と朝食が2回、コルサコフは入港後すぐに上陸できるはずはないから船内で昼食となるだろう。
 ロシアは査証(ビザ)が必要である。ただし商船三井が主催するオプショナルツアーに参加する場合は不要だという。自由行動の場合は必要でビザ取得代行は10000円とある。しかし調べてみると、ロシアのサハリン州と沿海州はビザの電子申請が可能でしかも無料だという。筆者はそれを利用することにし、商船三井に確認すると、コピーを事前に送付していただければ可能ということだった。
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↑電子ビザを取得したロシア外務省のサイト
 8月末、ロシアビザ電子申請サイトにアクセスした。メールアドレスなど必要項目を入力していくと、渡航日のところでつまづいた。この電子申請は渡航の2週間前からしか申請できないことがわかった。そんなことは冒頭で書いてあったのかもしれないが全然気づかなかった。やっぱりロシアだと思った。1週間後、再度挑戦して入力完了。次の日にはビザがダウンロードできた。注意点としては申請の各項目入力には30分ほど必要なこと、写真のサイズに気をつけることだ。極端に顔が大きいとはねつけられる。
 そのように準備をした上であとは出発の日を待った。
 旅行記が読むのが面倒くさい方はこの動画をご覧下さい。




1.にっぽん丸に乗り込む
9月14日(土)曇
 新千歳空港に降り立ち、札幌で少し遊んでから、電車で小樽にやってきた。駅前広場から正面に停泊しているにっぽん丸が見えた。
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↑駅からにっぽん丸が見える
 時間があるので運河めぐりをしてから、にっぽん丸の停泊している岸壁にやってきた。あいにくの曇り空で船体は映えていないが、紛れもなく写真で見たにっぽん丸だ。これからクルーズに乗ろうという人か、片足を海に乗り出し、両手を広げるポーズで記念撮影していた。
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↑濃紺と白のツートンがにっぽん丸の特徴
 16時30分、乗船受付は屋外である。乗船券を見せて荷物を預けた。仮設テント内のパイプ椅子に座って待機。パイプ椅子も普通の会議室で置いているのと少し違う上質なデザインだ。
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 船というものは上等の客から優先して乗船する。下等の私は大方の客とともに待機し、乗り込んだのは17時5分だった。乗船券は取り上げられた。ここで予め用意された入国カードにサインし、それとパスポートを渡す。入国手続きは船会社が代行してくれるのだ。
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↑レセプション
 指定された部屋にやってきた。カードキーをかざすと緑色に点灯した。部屋は東横インを思わせるほど狭い。しかし内装のグレードは別物だ。ふたつのベッドは離れた互い違いに配置されている。3人用のエキストラベッドが壁に収容されている。セットしようしたが、ロックが掛かっているようだった。
 ソファーは小さいもので荷物置き場にした。窓は小さいが海は見える。湯沸かし、金庫もある。シャワーがあるがバスタブはない。
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↑部屋はツイン
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↑タオル掛けも洒落ている
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↑船内新聞
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↑上にはエキストラベッド
 17時35分から法律で定められた避難訓練。ほとんど聞き流した。小樽市民の太鼓演奏を聞きながら17時45分に出航。スパークリングワインとオレンジジュースが振る舞われた。テープ投げはなかった。見送り客は10人もいないからやっても無意味であったろう。
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↑太鼓でお見送り
 展望風呂に向かった。何はなくとも風呂に入ってから夕食するのが自分の流儀なのだ。
 風呂は「さんふらわあ」と大して変わらない。しかしサウナもあるしジャグジーなのでグレードは上だ。桶はピラミッド状に置かれている。こうした細かいところが豪華客船なのだ。
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 18時30分より三遊亭圓丸さんの落語。あまり客が入っておらず「空席を除けば満席でございます」と言っていた。こんな近くで本物の落語家を見るのは初めてだ。近くのバーでジントニックを頼んだ。客席まで持ってきてくれた。ファーストフードみたいに札を持っていなくても顔を覚えている。椅子をひとつどけて机に飲み物を置いてくれた。VIP気分である。
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↑ジントニックを飲みながら落語
 夕食までまだ時間があるのでカフェでダージリンティーを飲む。ここのお茶は本格的なものではなく、ファミリーレストランのドリンクバーに近いものだ。
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↑フェリーと一線を画する内装
 20時00分より瑞穂で夕食。おひとりさまの相席を希望した。見知らぬ4人が座り、私が会話の口火を切った。となりの女性に「クルーズは初めてですか?」と。
 以下、会話内容を箇条書きにする。
●女性A
・クルーズは初めて(船外手続き前に不安げに立っていた)
・1週間前にキャンセル待ちを拾った
・電子ビザを取得
・家にプリンタがないので近くのセブンイレブンに行ったら、ロシア語のフォントがないので文字化けした。
●男性A
・クルーズは5回目。
・次は飛鳥2に乗る・
・日本船が1泊5万円としたら外国船は3万円
・クルーズ船は人気が高くあるツアーは1年前でもう満席だった

●女性B
・関西在住
・友達を誘ったが「えっサハリン??」という感じで断られ、結局一人で来た。
・ユジノサハリンスクツアーに参加する
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↑初日の夕食は和食
 その他私の左横にも女性が座ったが、会話には入らず、先に立ち去った。申し訳ない。
 夕食後は21時30分より1時間、ブラジル音楽のライブを見た。楽器はピアノとベースのみ。ボサノバピアニスト今井亮太郎ブラジル音楽は全て二拍子なので手拍子が楽だ。「オバ、オバ、オバ」というかけ声はポルトガル語で「お~っと」という感じらしい。日本人の年寄りの客が多いのでどうしてもノリが悪いのが仕方ない。耳を塞いで途中で退場した人もいる。筆者はもちろん音楽好きなので楽しめた。だいたい日本人はタンゴとかラテンのリズムがあっているのだ。ヒット曲が欲しければラテンかビートルズ。
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↑ライブ会場
 22時50分、よせばいいのに夜食を食べる。その場で握る鮭おむすびと明石焼きと柏餅。明石焼きは別に頼む必要がある。
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↑夜食のおにぎり
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↑夜食の明石焼き
 23時15分部屋に戻る。携帯の電波は入らない。Wifiはあるが有料だ。0時30分頃寝る。

2.サハリンに上陸
9月15日(日) 晴
 8時00分起床。目覚ましはかけていなかった。寝坊したと思ったら、もう船内はサハリン時間。日本より2時間進んでいるので実際はまだ6時00分なのだ。
 とりあえず朝風呂へ。誰もいなかった。体重は57,4kg。あれだけ大食したのに増えていない。不思議だ。
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 風呂は船尾にある。彼方に見える陸地はサハリン島だ。外は晴れ渡って天気がいいが風がやや冷たい。
 6階のダイニング春日での朝食は満席だった。2階に降りて夕食と同じ瑞穂に行く。和食を選んだが洋食のバイキングは全て食べることができる。牛乳、フルーツ、ヨーグルトを追加した。洋食バイキングは東横インとかルートインホテルのそれと比べることすらできないくらい上質だった。和食は1泊3万円の旅館の朝食に近い。さすが食のにっぽん丸である。
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↑和食+洋食の朝食
 売店に行く。とりあえず邪魔にならないものをということで、クリアファイルとオリジナルクリップを買った。クリップは爪のような大きさのが3つで850円とバカ高い。昨日のブラジル音楽でドラムを叩いていた人が売店にいた。
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↑エレベーター
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↑図書館
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↑遊戯室
 リドカフェに行く。お腹がいっぱいなので何も食べないし飲まないつもりだった。しかし結局GODIVAのショコリキサーを頼んだ。ちなみにクルーズ船の食事は基本的にアルコール飲料以外はすべて料金に入っている。
 ここにはプールサイドに併設されたカフェである。泳いでいる人は常に客の視線に晒されることになる。それでも泳いでいる人が一人だけいる。あとで中年女性がやってきた。ちょっと浸かっただけで上がってきた。水着姿を見せたかっただけかもしれない。
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↑屋内プール
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↑カフェの中にプールがある
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↑GODIVAのショコリキサー
 右舷にコルサコフの港が見えてきた。携帯電話はローミングを拾いはじめ「MegaFon RUS」と表示され時刻が現地時間に修正された。
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↑コルサコフ港が見えてきた
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↑ロシアルーブル
 両替は1100ルーブルの入った封筒を2000円で買うことになる。タクシーでかなり使う予定なので10000円分買った。
 デッキに出て接岸作業を見る。空も海も青く申し分のない天気だ。
 10時50分予定通り接岸された。コンテナとガントリークレーンのある殺風景な岸壁だ。船内放送でロシアの入国手続きに3時間ほどかかるのとのこと。上陸は14時00分から14時30分になるとのことだった。
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↑まもなく接岸
 12時30分ラウンジ春日でオムライスの昼食。ここでテーブルに置いたコップの水をこぼしてしまう醜態。何事もなかったかのようにウェイターは片付けた。
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↑昼食
 自由行動の方へというパンフが配られていて、そこには「私をコルサコフ港に連れて行って下さい」という意味のロシア語が書かれていた。船会社としては何かと面倒な自由行動の乗客は歓迎されないのだろう。
 14時前、預けていたパスポートを受け取り、船内でロシアに入国手続き。ゲート手前に設置された保安検査を通り、入国審査官がパスポートを確認する。事前の審査が終わっているでちょっと見ただけであった。
 ラッタルを降りるとオプショナルツアーのバスが待っていた。自由行動の人はこのままどこでも行けるというわけではなく、貨物用のため道が荒れているという理由でゲートまで1BOXカーで送迎されるという。14時20分黒いクルマが現れ乗り込む。乗ったのは6人。その内おひとりさまは2人、カップルが2組の計6人。
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↑ツアーバス
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↑送迎用ミニバン
 1分ほどでゲートに着いた。写真を撮ろうとしたら、ゲートを守備するおばさんにダメだといわれた。ここでもう一度パスポートコントロールがある。ブラックリストに載っていないがチェックしているようで進みが遅い。しまいに捜査官が面倒になったのか、フリーパスになった。フランス式のバーが回転する自動改札機のようなゲートを通った。審査官の控え室ではサッカーのテレビ中継が放映されていた。
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↑関門と自由行動の人たち
 いよいよロシアサハリンコルサコフの土を踏んだ。舗装されていないからほんまものの土だ。鉄道の線路を乗り越える。貨車が何両か留置されているが活気がない。というか人の気配がない。ガイドブックにはフェリーの降り場にはタクシーが待っていると書いていたが、自家用車が4台停まっているだけだ。フェリーは稚内からのであり、フェリーターミナルはここから離れている。にっぽん丸は貨物船の岸壁に着岸したのだ。
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↑ゲートを出るといきなり線路がある
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↑ゲート前の道路
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↑農業機器販売店
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↑湾岸道路
 目の前には4車線の湾岸道路が横切っている。典型的な沿岸地方の臨海地区だ。正面の崖の上には展望台らしき施設が見える。左手にバス停があるが小銭がないので乗ることができない。中心部に向かって歩いた。稚内公園にやってきた。ベンチで座っている人がいる。それだけのことだが、その雰囲気は確かにヨーロッパだ。
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↑稚内公園
 公園の先にある食料品のスーパーマーケットに入る。ここまで普通の個人商店はほとんどなく、スーパーマーケットに喰われてしまったようだ。日本の食材はほとんど見かけない。むしろパスタやヨーグルトなどヨーロッパの食材の方が充実している。スーパーに入ったのは小銭を作るためだから、何を買おうかと思ったが、メルシーのチョコレートが約600円と安かったので2つ買った。
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↑スーパーの品揃え
 自由行動は18時までにコルサコフ港のゲートに戻ってこなければならない。今15時だから3時間ある。コルサコフは徒歩観光するほど魅力のある町ではないし、時間を持て余すだろう。ここから北に40キロ走ったところにサハリン州の州都ユジノサハリンスクがある。ユジノサハリンスクへのバスはある。しかしここから歩いて30分のバスターミナルから発着する。バスターミナルに向かう市内バスもあるが、未知の土地で限られた時間で観光客にとって難度の高い路線バスに乗るのは無謀と思えた。筆者は運賃はかかるがタクシーでユジノサハリンスクまで往復することにした。
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 タクシーは3台ほど見つけたが、手を上げても反応してくれない。稚内公園近くの交差点で手を上げると、黒い日産ノートが反応してくれた。タクシーが指示した交差点の突き当たりで交渉した。ユジノサハリンスクまでの相場は1000ルーブルと聞いていた。まずはスマホの電卓で1000を示した。向こうは1500を入力。こちらは1200を入力。最終的に1300で折り合った。運転手はロシアのプーチン大統領に似ている。IMG_4908.jpg
↑タクシーは日本車
 行き先はユジノサハリンスクの市街を一望できる「山の空気」という展望台にした。おそらく他を回る時間はないし、それなら街の全体的な規模を感じた方がいい。それにロープウェイに乗るというところも乗り物好き筆者にはポイントだった。
 プーチンは走り出すとクルマの屋根の上にあるタクシーを示す行灯を片付けた。無許可の白タクかもしれない。
 途中、運転手プーチンは私に断った上でタバコを買いに立ち寄った。そしてクルマを走らせ窓を開けて一服すると、無造作に投げ捨てた。彼はロシア語で何か話しかけるが、私が言葉ができないとわかると黙り込んだ。クルマは日本車なのでタッチパネルには日本語が表示されている。彼はFMラジオを流しはじめた。流れる曲は英語だった。
 サハリンは平坦なイメージだったが意外にアップダウンが多くそれ長く急なのが多い。運転手が助手席に座る私の右肩を叩き、指差す方向を見ると、ロシア軍の基地だった。IMG_4914.jpg
 一概に単調とはいえない景色が展開する。勾配はあるが急カーブはない。基本対面2車線だが、時々追い越し車線があり、プーチンはさかんに追い越しをする。
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↑ユジノサハリンスクを目指す
 馬がいる牧場がいた。馬はまだ未開の地では需要があるのだろうか。点在する小さな街では日本と同じような郊外店舗がある。しかし日本のようにあらゆるものがあるというものではなく、ひとつかふたつというところで、それもロシア語なので何屋かもわからない。
 誰が住んでいるのかわからないようなところにもバス停がある。ロシアのバス停には系統番号と時刻表があり、その点は親切である。外国にはバス停すらないところもある。
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↑ロシアのバス停
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↑看板を見るとSUBARUの文字
 走りだして30分たった。徐々にクルマの数が増えて、歩いている人も増えた。ユジノサハリンスクに入ったようだ。オフラインで作動させているGPSロガーのジオグラフィカもそのように示している。自分のスマホは格安SIMなので海外ではデータ通信がつかえない。わずか6時間のためにプリペイドSIMやWifiルーターを用意するわけにいかず、インターネットは使わなかった。地図はあらかじめ日本でプリントアウトしたのを用意していた。ジオグラフィカは本来登山用なので電波の届かないところでも軌跡を追うことができる。地図も電波がある時に先読みしておけば表示される。非常用としてはソフトバンクのローミングで音声とショートメッセージがつかえる。筆者のSIMは2枚入るようになっているのだ。
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↑唯一見たコンビニ
 しばらくすると右手にセブンイレブンがあった。軍人が横断歩道を渡り店に入っていった。
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 プーチンはスマホのナビを起動させた。どうやら「山の空気」に行くのは初めてらしかった。ロシア正教教会を通り過ぎて、山道に入った。広大な赤土の駐車場をクルマを揺らしながら通り過ぎて、適当なところで停めた。
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↑ユジノサハリンスク中心部
 ここまでタクシーに全くといっていいほど遭遇しなかった。このままタクシーを帰らせてしまうと途方に暮れる可能性がある。まして今回はクルーズ船であり、さらに何かと面倒なロシアだ。このタクシーで乗って帰るしかない。
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↑山の空気展望台を目指す
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↑この黒い車が白タク?
 私はこれから展望台へ行く。君は私が戻ってくるまでここで待ってほしい。そしてコルサコフ港まで連れて行ってもらいたい。というようなことを身振り手振りで説明した。ただし最後の「コルサコフ港まで連れていって」はにっぽん丸が用意してくれた自由行動用のパンフレットにロシア語で書いていたのを活用した。
 運転手はクルマを降りると、歩く方向を指差した。どうやらチケット売り場まで連れて行ってくれるようだ。そりゃそうだ。相場の3割増しの運賃を払っているのだからと思った。
 しかし彼はロープウェイのチケット売り場を聞き出すと、2枚分のチケットを買えという。300ルーブル支払った。どうやら一緒に展望台に登るらしい。私の身振り手振りが通じていなかったようだ。そういえば彼は私がクルマを離れる際、両手を上に広げるポーズを撮っていたが、「この手のかかるヤツめ」と思っていたのかもしれない。
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↑チケットブース
 ロープウェイというか4人乗りのゴンドラである。冬はここはスキー場になるらしい。本来はスキーのリフトなのだ。
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↑リフト乗り場
 眺めがいい。ユジノサハリンスクは戦前は日本領で豊原市を名乗っていた。豊原市は南樺太庁の首都とされ、今でもいくつかの当時の建物が残っている。神社も数多くあったがその価値を知らないロシア人によって破棄されている。
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↑山上方向
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↑山下駅
 首都にふさわしい景観であった。プーチンはやがて有料の双眼鏡に連れて行った。どうやら先ほどの筆者の身振り手振りで、右手を額に当てるポーズが遠くを見たいと解釈されたようだった。私の10ルーブルは返却されてしまい、50ルーブル立て替えて3分間見る。ろくにメンテナンスしていないのかレンズが曇っている。大して見たくもない景色をみる。時間を過ぎ去るのも待つしかない。駅を探すが見つからない。そして探しているうちに時間切れとなった。
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↑まもなく頂上
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↑調子の悪い双眼鏡
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↑ユジノサハリンスク中心部
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↑街の反対側は長野っぽい
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↑軽食レストラン
 トイレを借りてゴンドラで降りる。もう少し眺めていたい気分だが、あまり時間がないのだ。振り返ると市街地が見える。せめて旧樺太庁だけでも通ってもらうか。しかしロシア語で説明できるか。無理だ。ネットが使えれば翻訳アプリを使って問題解決なのだが。
 そのままクルマに乗って来た道を戻る。当たり前のことながら同じ景色だ。17時10分頃、コルサコフ港のゲートに戻ってきた。双眼鏡とチップを含めて2700ルーブル渡した。彼の方から握手を求めてきて「スパシーボ(ありがとう)」と言って別れた。
 ユジノサハリンスク弾丸ツアーに要した費用は3050ルーブル。日本円では5540円ぐらいだ。船会社のユジノサハリンスクのみのバスツアーは18500円で、樺太神社跡あどいくつか観光はするものの、土産物店に寄るし、しかも山の空気展望台には行かない。損得勘定は微妙ながら3分1の費用で行けたのだから十分な成果だろう。
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↑停泊地の背にある崖
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↑崖の頂上に展望台がある
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↑この日の足跡
 最終バスの出発は18時20分なのであと1時間と少しある。この時間を利用してコルサコフ港を望む展望台に行こうと思う。ゲート近くの岩の上にそれらしいモニュメントが見える。しかしここにたどり着くにはU字型の道で大きく迂回しなければならない。再び稚内公園から市役所を目指す。上り坂なので走ろうとしてもすぐに足が止まってしまう。市役所(と思われる場所)から木の階段を上り団地を抜ける。全体的に古びているが、建設中なのもある。作られた時期からして共産主義的な臭いがする。
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↑集合住宅
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↑公的掲示板
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↑新しいアパート
 グーグルマップが利用できないので、ジオグラフィカで位置の見当をつける。この道で間違いなさそうだが、その途中で17時45分になってしまった。これより先に進んでしまうと18時20分までにゲートに戻ることができない。やむなく引き返すことにした。
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↑ここで引き返した
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↑引き返した地点からの眺め
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↑アパートの住人のクルマ
 時々走ったりしてどうにか18時10分にゲートにやってきた。18時20分、5人の客を乗せて船に戻った。車内ではプリベイトSIMを買ったが認識しなかったとか、世界対応のケータイを使っているとか話をしている。今の旅人はネットを使えないと旅行できないほどスキルが下がってしまったのか。
 車内では私が最後かと思ったが、出発が遅れたせいでツアーバスがまだ到着していなかった。
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↑船に戻る
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↑夕陽に映えるコルサコフの街
 20時00分の夕食まで時間がある。スポーツジムでサイクルを30分やった。窓から異国の景色を見ながら運動するのはめったにできない体験だ。
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↑スポーツジム
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↑窓から街が見える
 その後風呂に入り、部屋で着換えて、2階のダイニング瑞穂に降りた。相席を期待したが一人席に案内された。会話もなく黙々と食べる。相席希望を伝えればよかった。料理は最高だったが、これが今回の旅行で一番残念な出来事だった。
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↑素晴らしい夕食
 口直しに寿司バーに行った。カウンター5人の小さな店。カウンターの後ろは通路だ。寿司は3巻握りの他キンメ、ニシン、ホッキ貝を食べた。キンメは白身の王様と言われる。寿司職人と話をする。回転寿司のネタは腐らない。シャリを握るのは機械。それを高校生のバイトがネタを乗せる。船内のアーティストは上等でない普通の部屋に泊まっているそうだ。自分たち従業員は1階以下の窓のない部屋で起居しているという。この寿司の勘定は別で3500円ほどだった。
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↑寿司も食べた
 22時15分より隣のホールで三遊亭圓丸の落語を聞く。時間帯からかお色気話をやっていた。
 満腹のはずだが夜食を食べる。夜食はにゅうめん。締めのラーメンと一緒で何故かお腹に入るのである。
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↑夜食は煮麺
 日本時間23時30分、サハリン時間1時30分に寝る。

3.小樽に帰港
9月16日(月) 曇
 4時30分に一旦起きた。これでも5時間睡眠である。
 6時15分朝風呂に行く。洗い場の空きがないほど混んでいた。風呂上がりの体重は58kg。寿司の分だけ太った。
 風呂に行く前に洗濯をセットしていた。縦型の洗濯乾燥機。乾燥時間30分ではポリエステルの下着しか乾いていなかった。
 7時00分、ダイニング春日で朝食。フレンチトーストは絶品だった。このダイニング春日は夜は上級客室専用のレストランとなる。
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↑朝食のフレンチトーストは絶品
 部屋に戻って荷造りする。8時までに荷物を廊下に出しておけば、下船時に手渡してくれる。
 9時前にリドデッキへ。とりあえずデッキチェアを確保した。まずは甲板へ。小樽港は間近だ。出港時のような曇り空だ。
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↑小樽が見えてきた
 ショコリキサーを求める客が並んでいる。このゴディバのデザートは特に女性に人気である。座るところがなく部屋に持って帰った人もいる。私はハンバーガーを試した。身体を寝かせたデッキチェアで食べるのは難儀だ。服を汚さないように胸にハンカチを広げた。満腹なので食べる必要はないのだが、もう最後のチャンスなので食べた。筆者は富裕層ではなく貧乏人なのだ。クルーズ船なんてもう乗る機会はないかもしれないのだ。
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↑最後にハンバーガーを食べる
 10時00分予定通り小樽入港したが、10時30分現在でも入国準備中だそうだ。そうこうするうち10時33分に上級客室から下船開始。11時10分ようやく筆者の下級船室の乗客の出国準備ができたとアナウンス。まずは乗船証と引き換えにパスポートを受け取る。瑞穂に仮設された出国審査場で面接。荷物を受け取って通路にある税関。荷物はタラップを降りるまで船員が持ってきてくれる。
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↑タグボートで接岸
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↑船尾から見る小樽駅
 駅までのシャトルバスには乗らなかった。歩いている途中で抜かれた。しかしこの日のにっぽん丸は乗り込みと逆に船尾を市街方向に向けていた。もちろん写真を撮った。もしバスに乗っていれば、この写真は撮れなかったはずだ。
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↑さようなら「にっぽん丸」
 このあと筆者はレンタカーで神威岬と登別温泉に向かった。このクルーズの前後の旅行については別の機会としたい。
 ロシア滞在はわずか4時間。史上最短の海外旅行であった。ユジノサハリンスクに行くオプショナルツアーは2万円。しかも山の空気展望台に行かず、さっと回って買い物だけ。余計なところに時間をかけず、コルサコフの市内観光とユジノサハリンスクを俯瞰できたので満足だ。もうあと2時間あればバスでユジノサハリンスクに行けたかもしれない。
 できれば船中でもう1泊したかったところだ。少なくともサハリンは4時間で決着がつくようなところでなかった。

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