第5回令和記念西国33カ所ツーリング [旅行]
5回目の西国33箇所巡礼。善峰寺から中山寺の5ヶ寺が目標。出発は6時00分。
まずは、京都に向かう定番ルート。国道24号線、鍋谷峠、外環状線から国道1号線バイパスだ。鍋谷峠では少し雨に降られた。久御山で左折しナビの指示通り走るといつの間にか淀川を渡っていた。途中休憩はせずノンストップだった。
狭い道を抜け、さらに急な道を登って9時00分頃善峰寺に着いた。駐車場は大型ショッピングセンターのような堅牢なつくりだ。料金ゲートの横にはバイクは無料とあったが、それを知らなかったので、駐車場入口の付近の勾配のある路側に停めた。
↑この建物の下に駐車場がある
↑駐車場ゲート
↑ショッピングセンターのような駐車場
↑山門手前
↑山門
入山料は500円。「おちないお守り」の看板がある。阪神大震災の際高架橋から落ちる寸前だった運転手がこの善峰寺のお守りを持っていたことから、交通安全、学業成就にお利益があるとポスターに書いてある。
平成30年10月を持って釈迦堂の薬風呂が終了したのと貼り紙。そんなのがあるとは全然知らなかった。一度体験してみたかった。
手水舎には花が飾られていた。手水舎には龍の置物が定番だが、何となく女子的な雰囲気を感じる。燈明は50円、線香は2本10円と良心的だ。写経は本殿に上がって納めた。
↑手水舎
↑扁額
↑線香
↑蝋燭
↑写経台
↑納経所
参拝を済ませた後、日本一の松を見る。何が日本一かというとその長さで40mはある。それもかつては54mあって松食い虫で切ったという。上空ではなく横に伸びているのも特徴で、その形から遊龍松という異名がある。長すぎて1枚の写真では迫力を表現できないほどだ。
↑紫陽花とともに
↑遊龍松
善峰寺は一度は戦乱で荒廃したが、徳川綱吉の母、桂昌院が多額の寄進をして、伽藍が復活した。そのため境内は桂昌院の名が多く残されている。
↑紫陽花とともに淀川を望む
↑幸福地蔵
↑御朱印 左・令和 右・平成
ここに来たときはいい天気だった。境内は広く歩き疲れた。10時00分頃寺を辞した。
続いて穴太寺を目指す。国道9号線は亀岡市内が混んでいた。途中出光で給油。そこからは予想よりも燃料の減りがはやい。バイクを傾けて駐輪していたせいか、燃料のタンク内に不具合が生じたらしく、満タンになっていなかったようだ。
やがて国道を外れ、田園風景が広がり、11時00分前に正面に穴太寺の山門が見えた。例によって駐輪場はなかった。いや駐車場にバイクが停まっているのが見えるが、有料みたいだった。バイクは寺の近くの球場前の空き地に停めた。穴太寺は平地にある。階段は山門にあっただけだった。こじんまりした寺で、街中の檀家寺という感じ。それでも西国巡礼の寺だけに、参拝者が多い。燈明と線香2本で50円。参拝、合掌、読経。
↑穴太寺山門
↑穴太寺本堂
↑線香
本堂と庭は有料。その玄関には靴を並べているあたりに桶が置いてある。なんでこんなところにと思って、上を見上げると燕が巣を作っていた。落ちてくる糞を受ける桶であった。庭のある円応院から斜め廊下を渡り、堅い障子を開けて、本堂に入る。写経は内覧の後ろに丸めて置いた。布団をかぶっている釈迦如来大涅槃像で有名。具合の悪いところを撫でるといいというので、肩こりに悩まされている私は肩を撫でた。
↑燕の巣
↑廊下
↑写経台
札所本尊の聖観世音菩薩は重要文化財であるが、盗難に遭って、現在安置しているのは模造品である。本尊の薬師如来は秘仏で開帳されたことはないという。
庭の縁側には明治天皇が使われた茶碗などが置かれている。疲れたのでじっくり座っていたいが、時間がない。御朱印を書いてもらって。11時30分に辞する。
↑中庭
↑由緒ある陶磁器
↑御朱印 左・令和 右・平成
峠を越えて茨木の総持寺へ。かなり細い道であった。途中崩落した箇所があり、交互信号になっていた。3台の大形バイクと競争になったが、急カーブは大型バイクにとってはスピードを出せないらしく、アドレスは容易に追いついた。
12時30分に総持寺に着いた。これは本当に街中にあって、山門の前に近代的なマンションが建っている。駐輪場とは明記されていないが、山門前のチェーンに囲まれたところがそうであるらしい。このあたりで天気が曇ってきた。
↑総持寺山門
↑山門の反対側は市街地
山門前に手水舎があるのは珍しい。センサ付きで近づくと水が出る。入山料は不要。
都会の寺らしく、あらゆるところで、近代化が進んでいる。蝋燭と線香は冷蔵庫の中に入っている。ほとんどの寺は蝋燭の火が消えないようにガラス戸の中に立てることが多い。この寺は破格の立派さで中華料理の回転テーブルのようなところに蝋燭を立てる。そんな豪華な燈明立てが2基もある。しかも蝋燭30円、線香1束20円と良心的である。
↑山門
↑仁王様
↑蝋燭
↑線香
石敷きの境内の左側にある不動堂は、前年の大阪北部地震の影響で解体撤去されたという。さっきの峠の道路崩落もその地震の影響かもしれない。
寺の管理者は新しいもの好きらしく、納経所はアルミサッシでガラス張りの明るい建物である。御朱印は300円の現金決済なのだが、スーパーのレジのようなお支払い額表示とレシート発行。ここまでする寺は初めてだ。銀行の窓口のような感じだ。写経は納経所の奥の掛け軸の前に積み重ねて置いていく。目に入った塗香を衝動的に買った。今後写経をする時に身を清めるために使おうと思う。
↑納経所
↑塗香
↑御朱印 左・令和 右・平成
13時20分、国道171号線沿いのマクドナルドの昼食。身体のことを考えて、フィレオフィシュバーガーとスイートコーンにした。座席は満員だったがどうにか座れた。
次に行く勝尾寺に向かう府道4号線はバイク通行禁止だ。しかし、箕面警察署で許可証を発行してもらえばバイクで乗り入れできる。そんなことは勝尾寺のウェブサイトにも載っていない。あまり知られたくないのだろう。大阪府には昔から暴走族に悩まされ二輪車の通行禁止が数多い。これについては下記URLが詳しい。
↓日本二輪車普及安全協会
https://www.jmpsa.or.jp/society/roadinfo/201207.html
14時00分、箕面警察署に着いた。許可証の発行にはバイクの自賠責保険証と運転免許が必要。印鑑を押す欄があった。認め印は持ってきていたが必要なかった。手続きには約10分要した。
↑箕面警察署
↑許可証
↑指定された道
許可証があるといっても、どの道でも走れるわけではなく、指定された道を走らねばならない。勝尾寺へは東方面から入らないといけない。そのためここまで来た道を戻ることになる。しばらく走ると「勝尾寺」の看板が上がっている。しかしこの道は自動車用なのでバイクは入れないのである。警察署の人が丁寧に道を教えてくれたし、要所に「勝尾寺」の標識があるので迷うことはなかった。道は確かに細いが、これより劣悪な道路は日本にいくらでもある。未だにバイクを禁止している理由としては、近道で大型トラックが通ることが多いのと、西国巡礼で参拝者の多い勝尾寺行きのバスがあるからではなかろうか。
このツーリングでナビゲーションしている「ツーリングサポーター」アプリはバイクの排気量別にルートを検索してくれる優れものだが、今走っている道は本来バイクは通行禁止なので、別の道に案内しようとする。これは仕方がないだろう。許可証を持っているかどうかはアプリはわからないのだから。
若干遠回りしながら、勝尾寺に15時40分着。バイクは「下馬」の碑のある歩道に置いた。サイクラー達も歩道に置いている。
↑勝尾寺入り口(筆者のバイクが見える)
入山料は400円。噴水が出迎えてくれる。池を渡る橋には霧が立ちこめている。境内は広い。池には弁天さんの赤い鳥居が見える。正面に観音菩薩と多宝塔が見える。数多くのダルマを横に見ながら階段を登ると本堂に至る。こも樽四斗特撰献酒奉納者の看板には漫才師の「西川きよし・西川ヘレン」の名がある。ある参拝者が西川きよしさんは箕面に住んでいるんやと思うで、と言っていた。この樽四斗特撰は10万円程度するようだ。
↑山門
↑山号
↑噴水
↑西川きよしヘレン夫妻の名がある
この寺は元々「弥勒寺」という名前だったが、元慶4年(880年)、当時の住職行巡が清和天皇の病気平癒の祈祷を行い、「勝王寺」の寺号を賜るが、「王に勝つ」という意味の寺号は畏れ多いとして勝尾寺に差し控えたという。清和天皇は源氏の始祖であるので、鎌倉時代以降も源頼朝の庇護を受け栄えた。
↑手水舎
本堂は朱色で十一面千手世観音菩薩が本尊である。勝尾寺は朱色の伽藍が多いが、もしかするとダルマの色に合わせているのかもしれない。灯明は20円、線香は3本30円である。
「勝」という文字のある寺は得である。それだけで合格祈願や心願成就の寺となるからである。本堂の前には大小様々のダルマが売られている。確かに他の寺で買うよりも勝尾寺で買った方がありがたみが増すだろう。
↑縁起物のダルマ
納経受付所はログハウスのような建物だ。写経は納経帳に書いてもらうところで手渡した。端に所定の位置があるようだ。
↑本堂
至る所に小さなダルマが置かれている。建物の格子戸や欄干、瓦、植木の根元や縁石の上にまで置かれている。参拝者が勝手に置いたにしては秩序を感じるので、一部寺の人が置いたのだろう。
例外は法然上人第五番霊場二階堂でそこには1個の小さなダルマが置かれていただけであった。
↑至る所に置かれたダルマ
↑御朱印 左・令和 右・平成
祈祷の声が境内のスピーカーで流されている。住所と名前が読み上げられる。個人情報の保護は、といいたくなるがそんなのお構いなしとばかりに、気合いのこもったかけ声と太鼓の音が響き渡る。
この寺は観光施設と同じように土産物店を経由しないと外に出れない仕組みになっている。土産物の中には西川ヘレンが監修した出汁なども売っている。
15時35分に寺を辞す。次に予定していた中山寺までナビで検索すると到着予定が16時43分となっていた。納経の受付は17時00分までなので中山寺は諦めることにした。
帰りもナビに従うことなく来た道を戻る。途中どうみても許可証をもらっていないような不良少年の連中がバイクで走っていた。
新御堂筋を南下する。大阪の中心部を抜ける。肥後橋にある高砂堂できんつばを買う。かつて大阪市内の各地に出店していた高砂堂も、世間の嗜好が変わってきたせいで衰退し、この本店を残すのみだ。それも人を雇う余裕がないらしく、男性の職人らしい人が応対していた。
↑大阪の老舗和菓子「高砂堂」
この訪問の約1年後の2020年6月、高砂堂は4億円の負債を抱え自己破産した。時代の流れとはいえ残念でならない。
ナビの指示は国道26号線の走行だったが、距離的には遠回りになるものの、信号が少なく、阪神高速が屋根代わりになる臨海線経由で帰る。途中泉大津のローソンイートインで休憩。
今回はツーリング中睡魔に襲われなかった。昨晩よく寝たおかげだろう。やっぱり睡眠は大事。
雄ノ山峠経由で和歌山県に戻った。
19時10分頃車庫に戻る。今回のツーリングの走行距離は295.6km。
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