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第5回令和記念西国33カ所ツーリング [旅行]

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 5回目の西国33箇所巡礼。善峰寺から中山寺の5ヶ寺が目標。出発は6時00分。
 まずは、京都に向かう定番ルート。国道24号線、鍋谷峠、外環状線から国道1号線バイパスだ。鍋谷峠では少し雨に降られた。久御山で左折しナビの指示通り走るといつの間にか淀川を渡っていた。途中休憩はせずノンストップだった。
 狭い道を抜け、さらに急な道を登って9時00分頃善峰寺に着いた。駐車場は大型ショッピングセンターのような堅牢なつくりだ。料金ゲートの横にはバイクは無料とあったが、それを知らなかったので、駐車場入口の付近の勾配のある路側に停めた。
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↑この建物の下に駐車場がある
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↑駐車場ゲート
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↑ショッピングセンターのような駐車場
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↑山門手前
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↑山門
 入山料は500円。「おちないお守り」の看板がある。阪神大震災の際高架橋から落ちる寸前だった運転手がこの善峰寺のお守りを持っていたことから、交通安全、学業成就にお利益があるとポスターに書いてある。
 平成30年10月を持って釈迦堂の薬風呂が終了したのと貼り紙。そんなのがあるとは全然知らなかった。一度体験してみたかった。
 手水舎には花が飾られていた。手水舎には龍の置物が定番だが、何となく女子的な雰囲気を感じる。燈明は50円、線香は2本10円と良心的だ。写経は本殿に上がって納めた。
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↑手水舎
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↑扁額
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↑線香
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↑蝋燭
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↑写経台
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↑納経所
 参拝を済ませた後、日本一の松を見る。何が日本一かというとその長さで40mはある。それもかつては54mあって松食い虫で切ったという。上空ではなく横に伸びているのも特徴で、その形から遊龍松という異名がある。長すぎて1枚の写真では迫力を表現できないほどだ。
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↑紫陽花とともに
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↑遊龍松
 善峰寺は一度は戦乱で荒廃したが、徳川綱吉の母、桂昌院が多額の寄進をして、伽藍が復活した。そのため境内は桂昌院の名が多く残されている。
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↑紫陽花とともに淀川を望む
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↑幸福地蔵
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↑御朱印 左・令和 右・平成 
 ここに来たときはいい天気だった。境内は広く歩き疲れた。10時00分頃寺を辞した。
 続いて穴太寺を目指す。国道9号線は亀岡市内が混んでいた。途中出光で給油。そこからは予想よりも燃料の減りがはやい。バイクを傾けて駐輪していたせいか、燃料のタンク内に不具合が生じたらしく、満タンになっていなかったようだ。
 やがて国道を外れ、田園風景が広がり、11時00分前に正面に穴太寺の山門が見えた。例によって駐輪場はなかった。いや駐車場にバイクが停まっているのが見えるが、有料みたいだった。バイクは寺の近くの球場前の空き地に停めた。穴太寺は平地にある。階段は山門にあっただけだった。こじんまりした寺で、街中の檀家寺という感じ。それでも西国巡礼の寺だけに、参拝者が多い。燈明と線香2本で50円。参拝、合掌、読経。
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↑穴太寺山門
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↑穴太寺本堂
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↑線香
 本堂と庭は有料。その玄関には靴を並べているあたりに桶が置いてある。なんでこんなところにと思って、上を見上げると燕が巣を作っていた。落ちてくる糞を受ける桶であった。庭のある円応院から斜め廊下を渡り、堅い障子を開けて、本堂に入る。写経は内覧の後ろに丸めて置いた。布団をかぶっている釈迦如来大涅槃像で有名。具合の悪いところを撫でるといいというので、肩こりに悩まされている私は肩を撫でた。
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↑燕の巣
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↑廊下
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↑写経台
 札所本尊の聖観世音菩薩は重要文化財であるが、盗難に遭って、現在安置しているのは模造品である。本尊の薬師如来は秘仏で開帳されたことはないという。
 庭の縁側には明治天皇が使われた茶碗などが置かれている。疲れたのでじっくり座っていたいが、時間がない。御朱印を書いてもらって。11時30分に辞する。
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↑中庭
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↑由緒ある陶磁器
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↑御朱印 左・令和 右・平成
 峠を越えて茨木の総持寺へ。かなり細い道であった。途中崩落した箇所があり、交互信号になっていた。3台の大形バイクと競争になったが、急カーブは大型バイクにとってはスピードを出せないらしく、アドレスは容易に追いついた。
 12時30分に総持寺に着いた。これは本当に街中にあって、山門の前に近代的なマンションが建っている。駐輪場とは明記されていないが、山門前のチェーンに囲まれたところがそうであるらしい。このあたりで天気が曇ってきた。
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↑総持寺山門
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↑山門の反対側は市街地
 山門前に手水舎があるのは珍しい。センサ付きで近づくと水が出る。入山料は不要。
 都会の寺らしく、あらゆるところで、近代化が進んでいる。蝋燭と線香は冷蔵庫の中に入っている。ほとんどの寺は蝋燭の火が消えないようにガラス戸の中に立てることが多い。この寺は破格の立派さで中華料理の回転テーブルのようなところに蝋燭を立てる。そんな豪華な燈明立てが2基もある。しかも蝋燭30円、線香1束20円と良心的である。
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↑山門
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↑仁王様
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↑蝋燭
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↑線香
 石敷きの境内の左側にある不動堂は、前年の大阪北部地震の影響で解体撤去されたという。さっきの峠の道路崩落もその地震の影響かもしれない。
 寺の管理者は新しいもの好きらしく、納経所はアルミサッシでガラス張りの明るい建物である。御朱印は300円の現金決済なのだが、スーパーのレジのようなお支払い額表示とレシート発行。ここまでする寺は初めてだ。銀行の窓口のような感じだ。写経は納経所の奥の掛け軸の前に積み重ねて置いていく。目に入った塗香を衝動的に買った。今後写経をする時に身を清めるために使おうと思う。
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↑納経所
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↑塗香
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↑御朱印 左・令和 右・平成
 13時20分、国道171号線沿いのマクドナルドの昼食。身体のことを考えて、フィレオフィシュバーガーとスイートコーンにした。座席は満員だったがどうにか座れた。
 次に行く勝尾寺に向かう府道4号線はバイク通行禁止だ。しかし、箕面警察署で許可証を発行してもらえばバイクで乗り入れできる。そんなことは勝尾寺のウェブサイトにも載っていない。あまり知られたくないのだろう。大阪府には昔から暴走族に悩まされ二輪車の通行禁止が数多い。これについては下記URLが詳しい。
↓日本二輪車普及安全協会
https://www.jmpsa.or.jp/society/roadinfo/201207.html
 14時00分、箕面警察署に着いた。許可証の発行にはバイクの自賠責保険証と運転免許が必要。印鑑を押す欄があった。認め印は持ってきていたが必要なかった。手続きには約10分要した。
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↑箕面警察署
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↑許可証
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↑指定された道
 許可証があるといっても、どの道でも走れるわけではなく、指定された道を走らねばならない。勝尾寺へは東方面から入らないといけない。そのためここまで来た道を戻ることになる。しばらく走ると「勝尾寺」の看板が上がっている。しかしこの道は自動車用なのでバイクは入れないのである。警察署の人が丁寧に道を教えてくれたし、要所に「勝尾寺」の標識があるので迷うことはなかった。道は確かに細いが、これより劣悪な道路は日本にいくらでもある。未だにバイクを禁止している理由としては、近道で大型トラックが通ることが多いのと、西国巡礼で参拝者の多い勝尾寺行きのバスがあるからではなかろうか。
 このツーリングでナビゲーションしている「ツーリングサポーター」アプリはバイクの排気量別にルートを検索してくれる優れものだが、今走っている道は本来バイクは通行禁止なので、別の道に案内しようとする。これは仕方がないだろう。許可証を持っているかどうかはアプリはわからないのだから。
 若干遠回りしながら、勝尾寺に15時40分着。バイクは「下馬」の碑のある歩道に置いた。サイクラー達も歩道に置いている。
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↑勝尾寺入り口(筆者のバイクが見える)
 入山料は400円。噴水が出迎えてくれる。池を渡る橋には霧が立ちこめている。境内は広い。池には弁天さんの赤い鳥居が見える。正面に観音菩薩と多宝塔が見える。数多くのダルマを横に見ながら階段を登ると本堂に至る。こも樽四斗特撰献酒奉納者の看板には漫才師の「西川きよし・西川ヘレン」の名がある。ある参拝者が西川きよしさんは箕面に住んでいるんやと思うで、と言っていた。この樽四斗特撰は10万円程度するようだ。
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↑山門
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↑山号
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↑噴水
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↑西川きよしヘレン夫妻の名がある
 この寺は元々「弥勒寺」という名前だったが、元慶4年(880年)、当時の住職行巡が清和天皇の病気平癒の祈祷を行い、「勝王寺」の寺号を賜るが、「王に勝つ」という意味の寺号は畏れ多いとして勝尾寺に差し控えたという。清和天皇は源氏の始祖であるので、鎌倉時代以降も源頼朝の庇護を受け栄えた。
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↑手水舎
 本堂は朱色で十一面千手世観音菩薩が本尊である。勝尾寺は朱色の伽藍が多いが、もしかするとダルマの色に合わせているのかもしれない。灯明は20円、線香は3本30円である。
 「勝」という文字のある寺は得である。それだけで合格祈願や心願成就の寺となるからである。本堂の前には大小様々のダルマが売られている。確かに他の寺で買うよりも勝尾寺で買った方がありがたみが増すだろう。
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↑縁起物のダルマ
 納経受付所はログハウスのような建物だ。写経は納経帳に書いてもらうところで手渡した。端に所定の位置があるようだ。
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↑本堂
 至る所に小さなダルマが置かれている。建物の格子戸や欄干、瓦、植木の根元や縁石の上にまで置かれている。参拝者が勝手に置いたにしては秩序を感じるので、一部寺の人が置いたのだろう。
 例外は法然上人第五番霊場二階堂でそこには1個の小さなダルマが置かれていただけであった。
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↑至る所に置かれたダルマ
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↑御朱印 左・令和 右・平成
 祈祷の声が境内のスピーカーで流されている。住所と名前が読み上げられる。個人情報の保護は、といいたくなるがそんなのお構いなしとばかりに、気合いのこもったかけ声と太鼓の音が響き渡る。
 この寺は観光施設と同じように土産物店を経由しないと外に出れない仕組みになっている。土産物の中には西川ヘレンが監修した出汁なども売っている。
 15時35分に寺を辞す。次に予定していた中山寺までナビで検索すると到着予定が16時43分となっていた。納経の受付は17時00分までなので中山寺は諦めることにした。
 帰りもナビに従うことなく来た道を戻る。途中どうみても許可証をもらっていないような不良少年の連中がバイクで走っていた。
 新御堂筋を南下する。大阪の中心部を抜ける。肥後橋にある高砂堂できんつばを買う。かつて大阪市内の各地に出店していた高砂堂も、世間の嗜好が変わってきたせいで衰退し、この本店を残すのみだ。それも人を雇う余裕がないらしく、男性の職人らしい人が応対していた。
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↑大阪の老舗和菓子「高砂堂」
 この訪問の約1年後の2020年6月、高砂堂は4億円の負債を抱え自己破産した。時代の流れとはいえ残念でならない。
 ナビの指示は国道26号線の走行だったが、距離的には遠回りになるものの、信号が少なく、阪神高速が屋根代わりになる臨海線経由で帰る。途中泉大津のローソンイートインで休憩。
 今回はツーリング中睡魔に襲われなかった。昨晩よく寝たおかげだろう。やっぱり睡眠は大事。
 雄ノ山峠経由で和歌山県に戻った。
 19時10分頃車庫に戻る。今回のツーリングの走行距離は295.6km。

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ムーンライトながら廃止 [旅行]


 JRから2021年をもって東京-大垣間を運転していた夜行快速「ムーンライトながら」の廃止が発表された。この報道に対してかつての利用者による惜別の声が寄せられた。総じて廃止を惜しむというよりも、「来るべき時が来た」「今までよく頑張った」という声が多かった。高速バスなど他の交通手段が発達した現在にあっては夜行普通列車はその役割を終えたというべきだろう。
 筆者が「ムーンライトながら」の存在を知ったのは、小学生の頃に読んだ「鉄道のわかる本」からであった。その本には「いちばん長いドン行電車(347M、344M)」として東京-大阪間を安く移動できる列車として書かれていた。その頃は「ムーンライトながら」という愛称はなく、俗に「大垣夜行」と呼ばれていた。当時は「ドリーム号」という夜行高速バスがあったものの、鉄道に対して運賃、設備ともさほどの優位性はなかった。だから普通運賃だけで眠りながら移動できて時間を有効に使える「大垣夜行」はとても人気があった。当時の車両は153系という急行型の電車で、4人掛けのボックスシートはとても快適とはいえなかった。しかしグリーン車が連結されていて、リクライニングシートが普通グリーン料金で乗れるとあって人気を博していた。当時の私は気軽に旅行に行けるような身分ではなく、そういう列車があるのだと知っただけだった。
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↑鉄道のわかる本
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↑1978年8月の大垣夜行時刻表
 上の時刻表は東京発の下り時刻表で、赤線が「大垣夜行の」時刻である。当時は定期の寝台急行「銀河」の他に多客期にはオール座席の臨時急行「銀河」が運転されていたのに驚く。
 やがて筆者が自由に旅行に行けるようになった平成時代には、夜行高速バスが台頭し、JR夜行列車を脅かしはじめた。特に大阪-博多間の夜行バス「ムーンライト」は3列シートを採用し居住性を高め、やがてこれが夜行バスの主流仕様となった。また東京-弘前間の「ノクターン」は地方都市でも収益性の高い路線となることを証明し、雨後の竹の子ように大都市と地方都市を結ぶ夜行バスが設定された。筆者の住む和歌山も東京へ直通する夜行バスが開設され、利用してみると、寝苦しさはあるもののとても便利で安価に東京に行けるようになり重宝した。
 大垣夜行は鉄道ファンを中心にまだ根強い人気があったものの、旧態依然としたボックスシートであり、勢力を伸ばしつつある高速バスに対抗するためにも、何らかのてこ入れが必要だった。そして1996年3月、大垣夜行は「快速ムーンライトながら」として生まれ変わった。車両は身延線の特急に使われていた373系が使われた。これは足乗せ付のリクライニングシートで快適になった。また基本的に全車指定席を採用した。大垣夜行時代はグリーン車を含めて自由席であり、多客時には通路に横になったり、デッキに身を沈めたりしていた。指定席料金500円は必要ではなるものの快適な特急車両に乗れるわけだから、納得できる話だ。
 しかしムーンライトながらは安泰とはいかなかった。規制緩和で観光バスを利用した低価格なツアーバスが運転されるようになり、さらに航空規制緩和で早期購入割引のような安い運賃の導入、さらに格安航空会社による価格破壊により、高速バスですら廃止するところも出現した。徐々に一般客は飛行機とこれまた安くなったビジネスホテルを選ぶようになり、ムーンライトながらは徐々に客が離れていった。特に普通列車ならJRの普通列車に乗り放題となる青春18きっぷの使える学校の休みの期間以外は閑散とするようになった。
 そして2009年からはその青春18きっぷの使える時期しか走らない季節列車となった。青春18きっぷを使えば高速バスよりはるかに安く、東京-大阪間を移動できるので、続行の臨時列車も運転されるほど人気があった。もっとも多客時の続行臨時列車は昭和時代から設定されてた。
 このような形で運転されていた「ムーンライトながら」だが、2020年の新型コロナウイルス対策としての外出自粛要請は、これ列車の存在意義を問い直す結果となった。2020年3月29日の大垣行きを持って「ムーンライトながら」は多客時でも運転されなくなり、2021年1月車両の老朽化と乗客の減少を理由に列車の廃止が発表された。
 そんな「ムーンライトながら」だが、筆者は2度の乗車経験がある。東京に早く前述したように和歌山からは高速バスで東京に出る方が、安くて快適なのだが、東京到着時刻に問題があった。1998年4月の中山競馬場、同年11月の東京競馬場を訪ねる旅だった。当時の競馬場の指定席は事前予約はなく、朝早くから窓口の前に並ばなければならなかった。高速バスで東京に着いて移動したのでは並ぶのが遅くなるからであった。当時はスマートフォンはもちろんデジカメもなく、競馬場用にフィルムを確保する必要があったので「ムーンライトながら」の写真は一切残っていない。当時の日記にはこのように記述されていた。

1998年4月17日 (原文ママ)
 阪和線から環状線に乗り、大阪駅で友人と合流。21時00分発の新快速に乗る。はじめ神戸方面の間違って5番線に上がり、続いて京都方面の7番線に上がったが新快速は9番線からの発車だった。階段の上り下りでいい運動になった。
 近江八幡でやっと座れた。22時23分米原着。22時25分発大垣行きに乗り換え。117系系4両編成。進行逆方向、車端、窓が開いていたので寒かった。
 23時3分大垣着。橋を渡って1番線にムーンライトながらが待っていた。我々は最後尾の1号車。指定席は3両。前の6両が自由席となる。
 23時8分、1号車に約10名の客を乗せて出発。久しぶりのウィスキーが気持ちが悪くなるほど睡魔を誘う。名古屋で8割ぐらいが埋まった。そして岡崎で記憶がとだえた。
 翌日4時16分、横浜到着に気付く。しばらく夢と現実がごっちゃになった。いつのまにか9割5分埋まっていた。
 洗面所の数が少なすぎる。この車両は昼行用としては合格でも夜行用としては難点がある。上の送風機からの風も冷たく、特に腹が冷えた。
 定刻4時42分東京着。未明とはいえ東京の電車は1両20名の客がいる。



1998年11月20日 (原文ママ)
 阪和線快速の車両、クハ111-7041。阪和線はゲームで過ごすも眠気が襲ってきた。
 環状外回りで大阪着は19時53分。その3分後に友人と合流。彼は皮ジャンにジーンズ。
 予定を早めて20時00分発の新快速に乗る。石山で私が座り、草津で友人が座った。
 米原からの豊橋行き快速は113系。相席にならずに座れた
。  大垣到着。予定通り西側ローソンに向かい、つまみと朝食を買う。
 マフラーなしでは寒い大垣であった。ところで今回私はコートにフードをつけ忘れていることに気がついた。これがあると思ってイヤーパットを持ってこなかったのに競馬場で心配だ。
 23時03分、ムーンライトながらが入線。半分の乗車率。我々の席は3号車4CDで大阪よりのドアから2列目で比較的揺れてうるさい。ついでに車両の真ん中のグループもうるさい。車両を見ると1番2番がグループ用のシートで大阪よりから3番から14番まで並んでいる。今日の指定席は完売しているという。
 その通り満員で女性はディズニーランドに行く人が多かった。
 持ってきた焼酎のおかげでよく眠れたが、沼津ではドアからの風が冷たかった。結局2時間ぐらいしか眠れなかった。お尻が痛くなった。
 定刻4時24分川崎着。トイレに行く。ホームは寒いので階段を2往復した。
 南武線は103系。5時25分府中本町到着。競馬場への連絡通路はまだ暗い。また人影も少ない。西門から見える1コーナーがライトに映える。

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↑当時の上りムーンライトながらの発車時刻

 東京行きは名古屋からの乗車が多く、大船あたりからも初電として利用されていたのがわかる。11月の青春18きっぷの使えない時期でも指定席が売り切れていたというのに驚く。競馬場やディズニーランドのように早くから入場門に並んでおきたい人たちにとっては、5時前に東京に到着するのはかえって都合がよかったのだろう。ムーンライトながらがこんなにも早く東京に到着するのは通勤通学ラッシュを避けるためだ。従ってムーンライトながらもしくは大垣夜行は伝統的にこの東京に向かう上りより、到着時間帯が利便性に優れていた下りが多く利用されていた。
 その下りに乗る機会はついに恵まれず、2008年3月東京-大阪間の寝台急行銀河も廃止された。その翌年に季節運転になったムーンライトながらはその後、車両もJR東海の373系からJR東日本の185系という古い車両に変更され何とか命脈を保ったが、前述のように2020年3月の運転をもって廃止された。
 JR東海にとっては客単価の安い青春18きっぷの乗客のために、車両を仕立て、客扱いのための人員を配置することに費用対効果を見いだせなくなったというところだろう。これでかつては全国各地に走っていた夜行普通列車は全て廃止された。夜行旅客列車は東京-高松を結ぶ「サンライズ瀬戸」とそれに併結して走る出雲市行きの「サンライズ出雲」のみとなった。それ以外の夜行列車としては七つ星のようなクルーズトレインがあるとはいうものの、これらは乗車券を買っていつでも乗れるものではなく特殊な列車だ。あとは近い将来北海道新幹線が全通したら、もしかすると飛行機に対抗するためにカシオペアのような豪華寝台電車が走るかもしれないが、可能性は高くない。結局夜行列車の最後の牙城「サンライズ瀬戸・出雲」に頑張ってもらうしかないだろう。まだ乗られていない方は早い目に乗っておいた方がいい。廃止が報道されると寝台券を入手するのが難儀するからだ。

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第4回令和記念西国33カ所ツーリング [旅行]

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↑1日目のルート
2019年7月7日 曇
 今回は数多くの寺院がある京都が中心なので泊まりがけで行く。10番札所の三室戸寺から19番札所の革堂まで対象とする。
 5時55分、自宅の車庫を出発。バイク専用ナビゲーションアプリ、ツーリングサポーターを起動する。三室戸寺の到着は10時30分となっていた。予想よりも遅い。これでは上醍醐への登山は無理ではないかと思われた。とにかく国道24号線、鍋谷峠、外環状線、国道1号線バイパスを通った。途中、富田林のガススタで給油も兼ねて休憩した。楽天ポイントが使える出光を選んだ。平日なので外環状線の八尾以北は当然のように混んでいた。大型トラックのすり抜けは緊張する。1号線バイパスは路肩が広く、高速道路同然で進むことができる。ここで一気に時間を詰めた。
 10時8分に三室戸寺に着いた。入山料は800円と高い。この寺はあじさい寺という異名があり、実際に広大なあじさい園がある。しかしあじさいはもう枯れはじめており、むしろハスの花が見頃であった。中国人や巡礼ツアー客がいたせいもあって、平日なのに30人を越える参拝者が訪れていて活況を呈していた。おそらくあじさい寺のブランド力だろう。
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↑入り口
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↑山門
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↑紫陽花が咲いている
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↑さらに階段を登る
 「強打禁止」と書かれた鐘をついた。本堂の前に「勝運の牛」と「福徳兎」の御影石の像がある。なんかとってつけた感がある。蝋燭と線香はそれぞれ50円。線香は祈願線香しかなかった。「心願成就」を選んだ。納経と書かれた白い状差しみたいなのが置かれていたが、何も入っていなかったので、御朱印をいただく前に手渡した。三室戸寺の朱印はシンプルな筆使いだ。帰りはあじさい園を抜けて帰った。動物園にあるような回転扉を押して退園したのは10時50分。出たところのテントで土産物を売っていた。
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↑新旧御朱印
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↑「強打禁止」と書かれた鐘
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↑勝運の牛
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↑福徳兎
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↑線香
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↑あじさいを強調
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↑あじさいも見頃を過ぎて
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↑動物園の出口のような回転扉
 11番札所醍醐寺へはバイクで20分ほど。駐輪できるようなところが見つからなかった。「五大力うどん」の昼食を食べている時に、背中に「原付で日本一周してます」と書いた男が店に入ってきて「バイクはどこに停めたらいいですか?」と着物を着た店員に聞いていた。店員は「トイレの前のスペースに置いて下さい。そこなら無料です」と返答した。食べ終わってから私はバイクをそこに移動した。
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↑醍醐寺駐車場
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↑五大力うどん
 入山料はいわゆる宝物殿たる霊宝館と三宝院を含めて800円。受付の人は「西国巡礼の方は観音堂で朱印をお受けいたします」とのことだった。西国巡礼の対象は上醍醐寺となっているが、その伽藍は落雷で焼失しており、醍醐寺内の観音堂が11番札所になっているのだ。上醍醐は現在再建中で、入山料600円を払って登ることができるのだが、そこには建物の一部が残るだけらしい。何より3.6キロ1時間の山道だ。体力的に問題がなくても、時間がなさ過ぎる。醍醐寺の現状を見てからお参りするのは断念した。
 ツアー客がさっきのうどん屋にゾロゾロ入っていったのを見たが、他には10数人の参拝者数。昨年の豪雨で木がなぎ倒され、醍醐寺全体としては再建に4億6千万円以上要するとのこと。寄付を募っていた。日本の神社や寺院は古来そのような自然災害に見舞われるので、その度有力者の寄進や民衆の浄財を集めて再建していた。
 金堂、五重塔を抜けて日月門を過ぎて観音堂がある。広大な寺域の割に伽藍は少ない。
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↑参道
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↑五重塔
 観音堂も損傷しているらしく裏から入らないといけない。無地の蝋燭と線香3本で100円。写経は納め札入れの横に積み重ねられていた。参拝者は私一人だけだった。なのに納経所には二人いた。
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↑新旧御朱印
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↑観音堂
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↑仮設看板
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↑納経
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↑燈明線香
 池の先には金網越しに上醍醐への登山道が見える。上醍醐へは後日、天気のいい日に、バイクではなく電車で訪れることにする。
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↑上醍醐への道
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↑通行注意の看板
 三宝院は立派な唐門と庭園が素晴らしい。襖絵は時代を超越した色彩だが撮影禁止である。
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↑庭園
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↑写経所
 霊宝館も仏像がまた素晴らしい。五大力王像はさっき食べた五大力うどんの由来だろう。たぶん五大力は醍醐にも掛けているのではないか。
 次の12番札所岩間寺を目指す。上醍醐から岩間寺までの直線距離は短く、古来は山道を通って行き来していた。しかも醍醐寺と岩間寺は親戚のような関係がある。しかしバイクはもちろん、徒歩でも行き来は難しい。大津を通って大きく迂回しなければならない。国道1号線で道を間違え、気がつくと敦賀方面の湖西道路を走っていた。
 道案内はすべてツーリングサポーターにお任せした。岩間寺は平成の西国巡礼で最後に訪れた寺だ。その時は石山から自転車を借りて、岩間寺を目指したものの、自転車で急な山道を登る困難さを考え、途中から寺まで3キロほど走ってようやく御朱印を書いていただいた。前回訪問時に自転車を停めた上千松バス停は、当時あった待合ベンチが撤去され、参議院議員選挙のポスターが掲示されてた。
 そのような思い出があるので、見る風景に確かな記憶があった。自転車で登る猛者を見かけた。かなり苦戦していた。私のアドレスもエンジン全開で頑張っている。
 13時45分、岩間寺に着いた。平日で閑散としている。駐車場には2台しか停まっていなかった。受付らしき小屋には誰もおらず、「入山料500円は納経所にてお支払い下さい」とある。
 前回7年前に参拝した時には、醍醐寺の住職が岩間寺に入ってから、旧檀家と揉めていて嫌がらせの立て看板があったが、和解したのかそれは撤去されている。去年の台風の影響か建物があちこち壊れていた。本堂の両脇に納経所とお守りやお札の置き場があるというこじんまりした造りだ。
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↑境内は一部損壊している
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↑本堂
 燈明1本と線香2本で100円。燈明は願掛けしかなく「ぼけ封じ」を選んだ。写経は賽銭箱の横に積み上げていく。読経と参拝を済ませてご朱印をいただいた。
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↑新旧御朱印
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↑燈明
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↑祈祷御札
 岩間寺というのは通称で、正式名は岩間山正法寺という。西国33カ所の12番札所であると同時に、ぼけ封じ近畿十楽観音の4番札所でもある。
 岩間寺をあとにし、13番札所石山寺を目指す。
 20分ほど走って、14時30分に石山寺観光駐車場に着いた。毎度駐輪場に苦労するのが面倒なのでそこに停めることにした。料金所の横に停めるよう促され、200円を徴収された。なんだか罠にかかったような気分だ。
 石山寺といえば、紫式部がここで源氏物語を執筆したことと、かつて切手の意匠に採用された多宝塔で有名だ。寺としては紫式部を前面に押し出した商売をしている。あちこちに紫式部だらけである。入山料は400円。
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↑石山寺山門
 石段を登ると岩の上の向こうに多宝塔が見えた。ただし木が邪魔してよく見えない。さらに石段をあがって近づく。石山寺の多宝塔は1194年に建立された日本最古の塔だが、おそらく日本一美しい形を伝えている。
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↑有名な多宝塔
 経堂の下の空間にある岩には座布団が置かれている。ここに座ると安産になるとの言い伝えがある。岩がちょうど座椅子のような形になっている。
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↑ここに座ると安産
 本堂は多宝塔より古く、1096年に再建されたもので、滋賀県で最も古い建物だ。源頼朝が鎌倉幕府を開くより100年も前に建てられたわけだから、当然国宝に指定されている。国宝を煙から保護するためか、線香はなく、燈明のみだ。蝋燭は1本50円だ。写経は賽銭箱の横に積み上げていく方式だ。読経と参拝して御朱印をもらった。
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↑新旧御朱印
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↑歴史を感じさせる本堂内
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↑線香は禁止
 紫式部の人形が飾られているのは当然として、MURASAKIというデジタルアートも存在している。
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↑石山寺といえば紫式部式部
 母親からお土産を頼まれていた。石山寺の近くにある「茶丈藤村」という店の和菓子である。彼女の遠い記憶を元に「千山万水」というのを買った。あとで食べると記憶とは違ったそうだ。しかし胡麻入り白あんの菓子は美味であった。
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↑茶丈藤村の店
 次に14番札所の三井寺を目指す。琵琶湖湖岸の大津市の中心街を通る。大形商業施設やホテルが並んでいる。
 20分ほど走って16時00分頃三井寺に着いた。嬉しいことに下は砂利ながら駐輪場が用意されていた。西国巡礼を始めて明確に駐輪場がある寺は三井寺が初めてであった。
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↑三井寺には駐輪場がある
 三井寺は通称であり、正式には長等山園城寺と称する。境内に三つの井戸があることから三井寺と呼ばれるようになった、というのは俗説で、実際はこの寺に湧く霊泉が天智、天武、持統の3代の天皇の産湯に使われたことから「御井(みい)」の寺といわれていたのが転じて三井寺となったらしい。
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 三井寺の境内は広大だ。仁王門、釈迦堂、金堂、経蔵の他に、伝説の名鐘「弁慶鐘」というのがある。弁慶が三井寺にあったその鐘を奪って比叡山に引き上げた際、三井寺に帰りたがる鐘を谷底に投げ捨てたという伝説がある。それ以降変事の前兆がある時には音が鳴らなくなったりしたという。
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↑弁慶鐘
 珍しいものとしては孔雀明王として実際に孔雀が飼われている。孔雀は不思議な鳥である。鳥類の場合、オシドリのように雌を誘うために派手な色彩をした雄がいるが、孔雀は人間が改良して作ったのではないかと思うほど派手である。
 そんな広大な三井寺境内を7言語で説明してくれる無料のナビアプリがある。アプリの場合、保存性に難点があるものの、一時的な解説には便利だ。令和時代は電子マネーも含めた寺社のIT化は進行することだろう。
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↑寺もIT化が進む
 創設時の風景を維持するために、境内の道は砂利であえて舗装されていない。そのため映画の撮影に使われ、それを示す立て看板がある。
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 微妙寺という変わった名前の寺を通って、観音堂に着いたのは16時25分。もっとじっくり見たかったのに足早で歩いたのは、だいたい寺というのは16時か17時になると朱印の受付が終わってしまうからだ。
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 燈明は50円、祈願線香は1本100円だった。納経は賽銭箱の横の納札入に「写経は受付へ」と貼り紙していたのでそのようにした。読経、参拝、ご朱印をいただいた。
 もう寺は後片付けに入っていて、私のあげた蝋燭の火は消され、楼を掻き落とす作業を行っている。何はともあれ予定通り5ヶ寺の御朱印はいただいた。
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↑新旧御朱印
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↑本堂
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↑線香立て
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↑燈明
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↑本堂全景
 今夜は宿泊し、明日は京都市内の6カ寺を巡礼する。ホテルは大津市内ではなく、草津市内とした。大津市内のホテルは駅前にあり、駐輪できるかどうかわからなかったなかったからだ。駅前の駐輪場は125ccは不可というところもある。それなら駅から離れた郊外のホテルの方がいい。それと宿泊費、快適性などを考慮して選んだのは「草津第一ホテル」だった。
 近江大橋を渡り、17時20分ホテルに着いた。駐輪スペースはなかったものの、駐車場の空き地に停めることができた。吹きさらしだが仕方がない。盗難防止にU字ロックを掛ける。
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↑草津第一ホテル
 ホテルの部屋は喫煙室で臭いが鼻についた。しかしすぐに馴れた。最近リニューアルされたらしく、特にベッドがスッキリしている。しかしユニットバスは旧来のままだ。
 近鉄百貨店草津店へ夕食の買い出しに行く。ここの食料品売り場は成城石井が入っていた。今夜は外食せず、スーパーで買ったものをホテルの部屋で食べることにした。
 酩酊して22時頃横になって寝た。

2019年7月8日
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↑2日目のルート
 何回か目を覚ましながら7時30分起床。
 朝食はバイキング。内容は東横イン並みで少々残念だった。客も5人ほどだった。
 8時30分にチェックアウトし、8時45分に出発。天気は雨は降っていないものの、今にも雨が降りそうで、バイクのシートは濡れていた。
 まずは、番外札所山科の元慶寺を目指す。ツーリングサポーターの到着予定時刻は9時32分。ほぼ予定通りの9時26分にナビの指定場所に到着した。住宅地を縫う曲がりくねった道を進んだ先は砂利の駐車場で行き止まりだった。どこに寺があるのかわからなかった。駐車場の札をみると「元慶寺」とあり、「寺→」の看板に従い、その横の小径を抜けると確かにその寺はあった。ツーリングサポーター恐るべし。バイクは邪魔にならない場所に置いた。
 元慶寺は唐風の門を持つこじんまりした寺で、まるで街中の檀家寺のようだ。青々とした木が眼にまぶしい。本堂以外に何もない。手水場もなく、火鉢くらいの大きさの壺に水が溜まっているだけだ。
 燈明は1本30円、線香は1本10円で賽銭箱に直接入れる。写経は郵便受けのような箱に直接入れる。おそらく私は本日最初の参拝者らしく、線香も蝋燭も人気がなかった。
 読経、参拝、合掌。
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↑唐風の山門
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↑石畳の参道
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↑本堂
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↑燈明線香
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↑手水所
 奥に進むと納経所があり、とても僧侶に見えない普通の初老の男性に御朱印を書いていただいた。普通の寺なら維持費にも事欠くだろうが、西国33カ所の番外札所の看板は大きく、それなりに裕福に見える。
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↑新旧御朱印
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 次に15番札所今熊野観音寺に向かう。10時5分に着いた。今熊野観音寺は泉涌寺の敷地内にある。泉涌寺の門の手前にレンタサイクルを置いていたので、そこにバイクを停めた。
 泉涌寺は皇室の菩提寺である。明治以降は天皇の神秘性を高めるために仏教を切り離すことになったので、公式な関係はないが、それでも年に数回皇族の私的訪問がおこなわれ、宮内庁の事務所も設置されている。
 そこから歩いて8分ほどで今熊野観音寺に着いた。ここには駐車場があり、駐輪スペースもある。ただしクルマはギリギリ通れる道幅しかない。
 今熊野観音寺は「いまくまさん」の通称で知られるが、正式には新那智山観音寺と称する。
 下から見上げると清水寺の舞台のような鉄筋コンクリート造りの建物があるが、そこが僧侶の学習施設らしい。弘法大師ゆかりの寺なので大師堂が存在する。その向こうに赤い三重塔がある。
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↑山門
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↑舞台風の本堂
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↑本堂
 燈明は小が1本50円、大が100円、線香は1本10円である。写経は靴を脱いで上がった本殿内に「写経箋」と書いたところがあるので、そこに積み重ねた。
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↑線香立て
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↑写経は積み重ね
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 読経、参拝、合掌。
 御朱印をいただいた。ここの住職はなかなか気さくで参拝者と話をしながら書いている。
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↑新旧御朱印
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↑寺をあとにする
 次は16番札所清水寺に向かう。京都で最も参拝者の多い寺。京都観光する場合はこの清水寺と金閣寺は外せないだろう。最近は外国人旅行者が増えてテーマパークのような雰囲気になっている。クルマも満車なのに待っていて身動きできなくなっている。バイクはその横を軽くすり抜けた。それにしても駐輪スペースがないので、諦めて有料駐車場に置いた。前払いで400円だった。2時間以内でお願いしますと書いているが、係員がいちいち把握しているわけではない。
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↑清水寺駐車場
 11時15分、ずらりと並ぶ土産物店を抜けると、朱色の仁王門が出迎えてくれる。レンタル浴衣を着た外国人が自撮り棒を使ってインスタグラムしていた。日本人より中国人の方が多い。
 本堂は参拝料400円が必要だ。とにかく人が多く、大きな鐘を叩くのすら15分ほど並ばないといけない。前回訪れた時にはこんなことはなかった。
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↑山門
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↑舞台から見た音羽の滝
 燈明は1本50円。蝋燭は鐘を打つ人の行列に少し割り込むようにして立てた。線香は探したが売っているところも香炉もなかった。写経は靴を脱いで上がる本堂の中の賽銭箱の前に積み重ねていく。中にはボールペンで写経している人もいる。それもありなのだろう。ここで読経と合掌をする。
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↑燈明
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↑写経
 納経所は少し離れたところにある。音羽の滝から上がれば本堂に入らずに御朱印をいただくことも可能だ。清水寺は観光客は多いが、巡礼者はさほどではなく、ほとんど並ぶことなく御朱印をいただけた。私は散華はダイソーで買ったビニールケースに入れている。御朱印を書いてくれた人が「これ何?」と覗いていた。
 最近は外国人でも御朱印をもらっている人がいるようだ。その外国人が手にしていたのは浅草寺の朱印帳だった。
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↑新旧御朱印
 せっかく清水寺に来たのだから、音羽の滝の霊水をいただこう。音羽の滝の清らかさにちなんで清水寺と名付けられたのだ。並んでいるのは一部の白人を除き、全て中国人だった。みんな手水場の作法に従って、勺に口をつけることなく飲んでいる。マナーは確実に向上しているようだ。
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↑音羽の滝の行列
 清水の舞台は修復工事中で黒い幕と足場で覆われていた。
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↑舞台は工事中
 喧噪な清水寺を去り、17番札所六波羅蜜寺に向かう。そこで駐輪できるかどうかわからなかったので、バイクを置いたままそこまで歩いて行くことにした。
 12時15分、歩いて10分ほどで六波羅蜜寺に着いた。周辺は民家は外国人向けのゲストハウスになっているところがある。
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↑街中にある六波羅蜜寺
 六波羅蜜寺は平家盛ゆかりの寺で朱色の本堂こそ立派だが、山門もなく、街中の小さな寺に見える。道路から本堂は丸見えであり、その距離は20mも離れていない。
 燈明は1本30円、線香も3本で30円。蝋燭の種火は香炉の近くにあり、火がついても蝋燭立てに持って行くまでに風で消えてしまう。手で囲むようにしてようやく立てることができた。
 靴を脱いで本堂に上がる。写経は賽銭箱の中に「御写経御納経」という箱の中に積み重ねていく。
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 参拝、読経、合掌。
 本堂の端の方に納経所があり、そこで御朱印をいただいた。ここのおみくじは乱数によるものでなく、「四柱推命」をもとにした生年月日と性別で占う開運推命おみくじというもので、400円もするが、結構評判が高いらしく、私の前にいる参拝者はそのおみくじの結果で盛り上がっている。このおみくじは13歳未満と88歳以上は対象外となっている。
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↑新旧御朱印
 清水寺に戻り、昼食はどうしようかウロウロする。こんな時は混んでいる店に入れというわけで、選んだのは「京都勝牛」という牛カツ屋。田舎者の筆者は知らなかったが、既に全国展開しているチェーン店らしい。豚カツではなく牛カツ。関西では串かつは豚肉ではなく牛肉を使うのが主流だ。
 狭い店内は混んでいたが、テーブル席にありついた。客は目の前の着物を着た男女以外はすべて中国人だった。ここの特徴は肉の他に、ソース、山椒、山葵醤油、ポン酢と付ける物が豊富なことと、ご飯のおかわりが自由な点だ。
 食べてみると味は悪くない。山椒と山葵醤油が私の好みだ。もう昼には遅い時間帯だが外には行列ができている。これで1280円+税は安いかもしれない。
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↑京都勝牛
 次は18番札所紫雲山六角堂頂法寺に向かう。京都の道は一方通行が多いのでナビに頼った方が賢い。
 バイクで15分ほど走り、13時30分頃六角堂に到着。例によって駐輪場には苦労したが、納経所の横にバイクを停めているのを見て、その後ろに停めた。よく見ると「参拝者以外のご利用はご遠慮下さい」とあるから、ここは駐輪場らしい。前の民間駐車場はバイクは400円取られるようだし、周辺では違法駐輪の取締もしているみたいだし、これは助かった。
 六角堂は聖徳太子が創建したという古い寺だが、もしそうならそれは京都に都が移る前ということになる。そんな昔からあると思えないから、これはおそらく伝説だろう。しかし聖徳太子はともかく、古い時代に誰かが建てたのは間違いない。特徴は本堂が六角形をしていることで、京都の中心部に位置することから「へそ石」が境内に残る。また生け花の発祥の地でもある。
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↑山門
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↑コラボ?
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↑手水所
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↑本堂
 建物が六角形であるかどうかは周辺の高いビルから見れば一目瞭然なのだが、狭い敷地から見るとそれを実感できない。となりのウエスト18というビルからはよく見える。
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↑六角堂の一部
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↑寺はビルの狭間にある
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 境内は松の木と柳の木が何やら生け花か盆栽のように彩りを添えている。
 燈明は赤と白がありどちらも1本20円。線香は2本10円。2本というのはちょっと他に例がないが、ここではそれが普通なのだろう。香炉の灰の真ん中に練炭が仕込まれていて、それで点火する。
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↑蝋燭は赤と白
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↑線香
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 写経は賽銭箱の横に箱に積み重ねていく。
 鳩の数が尋常でない。どうやらちょっと頭のおかしい男が餌を蒔いているせいだ。納経所には「鳩が入るので扉はすぐに閉めて下さい」と書かれている。
 御朱印をいただき、外に出ると、少し雨が落ちてきた。
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↑納経所
 これはずいぶんあとに気づいたのだが、平成に西国33箇所参りは終わったと思ったのだが、なんとこの18番札所は参拝していなかったのである。順番はバラバラでどこかにいったついでに参っていたので見落としていたのだ。令和になって全部参ったのだから、巡礼はできたことになるのだが、平成でも1回やったという自負があっただけに打ち砕かれたような気分になった。
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↑御朱印は令和のみ
 次は19番札所革堂に向かう。14時15分、ツーリングサポータにしたがって到着した目的地は革堂ではなく、隣の下御霊神社であった。元慶寺で発揮したあのナビ能力はどこにいってしまったのか。駐輪できるところは見当たらず、その神社の壁に沿うようにして駐輪した。
 革堂は通称で、正式には霊麀山行願寺という。革堂の由来は開基の行円上人が元猟師で自分が射止めた牝鹿の皮に経文を書き、それを寒暑に関係なく身に付けていたことに由来する。本名の行願寺よりも革堂が有名で寺町通りから見える看板にも「こうどう」とあるし、赤大提灯にも「革堂観音」とある。小さな寺だが、蓮の花が咲きかけでもうすぐ見頃を迎えることだろう。
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↑山門
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↑本堂
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↑燈明線香
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↑線香立て
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 燈明は1本30円、線香は3本で20円。六角堂が2本10円だったが、この違いは一体なんだろう。細かいことだが考えさせられる。
 写経は賽銭箱の横に、正月の鏡餅を置く三宝のような台があり、「写経はこちらに置いて下さい」とある。20cm角ぐらいの小さな台なので、きれいに折って置いた。
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 参拝、読経、合掌。
 納経所は本堂の横にあり、御朱印をいただいた。14時30分に寺を後にした。
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↑新旧御朱印
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↑看板
 時間はまだあるので、東寺に行くつもりでナビをセットしたものの、降り続く軽い雨が心配なので、自宅に直行することにした。
 ツーリングサポーターのよる到着時刻は18時50分頃となっていた。4時間強の長いツーリングである。
 皮肉なことに、自宅に向かいだすと、天気は回復し、晴れ間も覗くようなった。しかしもう遅い。
 国道24号線を南下し、国道1号線バイパスと合流。ここからは事実上高速道路で寝屋川から外環状線をひたすら南下する。もうこのルートを通るのは4回目だ。外環状線で印象的なのは大東市の大阪桐蔭高校の校舎と富田林のPL教団の塔だ。
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↑PLの塔が見える@富田林
 16時10分、東大阪のマクドナルドで休憩する。疲れていたので休憩時間は30分を越えてしまった。
 外環の河内長野を過ぎるとガススタが減るので早い目に給油した。コスモ石油に「楽天ポイントが貯まる」という幟があったので反射的に入る。しかしポイントカードは受け付けなかった。嘘つきだ。いや私のやり方が悪いのだろう。
 ここからはノンストップで走った。鍋谷峠を越えたらもうこっちのものという感じだ。あとは慣れた道をひたすら走るのみ。
 19時02分、車庫に戻ってきた。走行距離は358.4km。この日もアドレスは頑張った。次の出撃までにエアクリーナーを掃除してあげよう。
ーーーつづく

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隠岐の島スーパー弾丸ツアー [旅行]

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 皆生温泉に滞在中、予定外に一日の空白ができたので、どこに行こうかと思案し、隠岐の島に渡ることを決めた。
 隠岐諸島は島前といわれる小さな島3つと島後といわれる大きな島とで構成されていて、島前が西ノ島、知夫里島、中ノ島で島後が隠岐の島である。隠岐の島が人口約1万5千人で面積も人口も全体の3/4を占める。隠岐の島にはローソク島やよろい岩など奇岩や隠岐牛による闘牛など見所も多いが、小さな島も無視できないほど景勝地に恵まれていて、中ノ島には後鳥羽上皇が配流されたところであり、諸島でもっとも権威のある隠岐神社が存在する。
 このような魅力的は隠岐の島だが、調べると日帰りで行くには難しいことがわかった。
 もっとも滞在時間が長いのは出雲空港から9時00分発の隠岐行きの飛行機に乗り、9時30分に到着。そして島後の最大の町西郷15時10分発の船に乗って17時35分に隠岐の対岸にある七類港に戻るルートである。これだと約5時間半の滞在時間がある。
 その次は七類9時00分発のフェリーに乗って西郷に11時25分着、15時10分発の船に乗って17時35分に七類に戻るルートで、3時間45分の滞在時間がある。
 しかし行こうかと思った時点で、すでに8時半であり、出雲空港はもちろん、七類港にもたどり着かないことがわかった。
 結局実行可能な計画は、12時00分境港発の高速船に乗って13時23分西郷港着、そして15時10分発のフェリーに乗って17時35分に七類の戻るルートで、滞在時間は約1時間半だ。
 滞在は1時間半だからできることは限られる。西郷港から遠く離れることはできない。やることは、昼食を食べる、レンタサイクルを借りる、玉若酢命神社に参拝、お土産を買う。これらに絞ることにした。

 皆生温泉へはクルマで来ていた。だからクルマで境港にやってきた。隠岐汽船のウェブサイトには無料駐車場があるということだが、明確な看板はなく、岸壁にある駐車場らしきところに停めた。それらのクルマの中には「違法駐車厳禁」の警告書が貼られていた。だからそこが公式駐車場かどうかわからないが、道路交通法違反ではないと開き直った。
 JR境港駅に隣接したビルの1階に隠岐汽船の乗船券売り場がある。警備員に乗船名簿の記入を促され、それを提出して乗船券を買う。高速船は6280円。切符は今時珍しい硬券である。買った直後に警備員が検温。
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↑切符売り場
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↑乗船名簿
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↑乗船券
 待合室で待っているいると、まもなく乗船開始のアナウンス。高速船レインボージェットの係留されている岸壁まで歩く。乗客は10人ほどで寂しい。
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↑待合室
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↑高速船レインボージェット
 12時少し前に出港。東京ゲートブリッジのような境水道大橋を潜る。
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↑境水道大橋(地上から)
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↑境水道大橋(船上から)
 レインボージェットは船体を海面から浮かせて航行する水中翼船だ。船内は飛行機とよく似ていて、シートベルトも装着しなければならない。船内放送は海洋生物を交わすために急旋回することがあるといっている。
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↑船内
 船はエンジンの音を囂々と水しぶきを派手にぶちまきながら西郷港を目指している。船内ではほとんど寝ていた。
 定刻13時25分に西郷港に着いた。離島でひなびた船着き場を想像していたが、本州でもここまであるかというフェリーターミナルだった。降りるより乗る方が多い。外は軽く雨が降っている。まずは食事と思ったが、先に道路を渡ったところにある観光案内所で自転車を借りた。3時間500円。3段変速付きママチャリ。
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↑乗船客の方が多い
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↑空港みたいなタクシー待ち
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↑竹島は日本のものだ
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↑観光案内所
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↑レンタサイクル
 外の雨は強くなった。雨宿りがてらMS Homeといううどん屋に入る。先客が4人いた。藻塩うどんを食べる。少し臭いが強いが、鯖にうまみがある。塩辛いがそれが個性。
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↑MS Home
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↑藻塩うどん
 まだ外は雨が降っている。雨宿りするところもない。目指す玉若酢命神社は3キロほど離れている。雨の中自転車を漕ぐ。漕いでいるうちに雨が止んだ。
 玉若酢命神社は立派な本殿があるが誰もおらず、お守りは無人販売。御朱印は隣の宝物館で書いてくれた。狭い料金所ブースのようなところにある呼び鈴を押すと年配の女性が現れた。
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↑玉若酢命神社鳥居
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↑茅葺きの山門
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↑本殿
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↑無人販売のお守り
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↑白い看板の右を歩いた先に宝物殿がある
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↑御朱印はここで書いていただいた
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↑玉若酢命神社御朱印
 もう15時10分の出航まで30分しかない。あちこち巡るわけに行かず、岸壁に係留されているフェリーを眺めただけだった。
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↑島内バス
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↑出航を待つフェリー
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↑隠岐汽船本社
 お土産はなるべく安く実用性があって、他では手に入らないものという基準で、隠岐汽船の社章を模したマスキングテープにした。さらにおやつに藻塩クリーム大福というのを買った。
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↑土産物店
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↑マスキングテープ
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↑藻塩クリーム大福
 帰りのフェリーは2等で3300円。乗船すると混んでいた。しかし混んでいたのは横になれるカーペット席で椅子席は空いていた。真ん中の空いているカーペットに座った。隣で毛布で脚を隠した女性が横になっている。
 疲れて横になった。老若男女にかかわらず今はスマホいじりだ。新聞や本を読んでいる人は少ない。テレビは放映しているものの、音声は小さめで、その代わり字幕を出すようにしている。
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↑七類港ターミナル
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↑七類港入港
 17時30分。七類港接岸。係留作業を見る。このターミナルビルも真新しい。松江行きのバスはすぐに発車した。米子行きは普通の路線バスで17時45分にやっていた。あとから来たフェリーの客と10人乗せて、18時00分に発車した。
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↑七類港ターミナル
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↑米子駅行きバス
 境港駅に着いた。筆者の他に降りたのは一人だけ。彼は駅の写真を撮って境線の列車に乗り込んでいった。境港は「ゲゲゲの鬼太郎」の作者水木しげるの出身地なので、街中鬼太郎だらけである。
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↑境港駅
 埠頭まで歩き、クルマと対面。何も貼られておらず無事だった。
 ホテルの夕食は豪華だった。ウナギの凌ぎが旨かった。あとハモの柳川風、ヒラメの刺身、キスの天ぷらもよかった。
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↑その日の夕食
 隠岐の見所は全く無視した弾丸ツアー。今回はまさに船に乗りに行ったようなものだった。隠岐空港へは全国各地から直行便があるので機会があればもう一度訪問したい。皆生温泉も温泉・料理とも素晴らしかったと付け加えておく。
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アルポットで作る豚肉ともやしの蒸し煮 [旅行]

 コロナウイルス対策で外出自粛が呼びかけられ、不要不急の外出はもちろん、飲食店も三密を避けるために休業しているところもある。県外に出ることも不可で、旅行などはご法度だ。食料を調達するための外出ならよく、県内の近場ならば外に出てもまあいいだろうということで、世間ではバーベキューやキャンプがブームだ。
 といってもバーベキューを新たにはじめるとなると、材料はもちろんのこと、コンロに木炭に着火剤、火箸に、皿に、ちょっとした机、それに飲み物や食材を入れるクーラーボックスが必要だ。さらに贅沢をいえば、日よけに椅子にとあれもこれも買わないといけない。家族ならば、すでに持っていたり、これから買ったとしても今後もつかえるからいいとしても、筆者のような独り者はどうすればいいのか。ひとり用のバーベキューセットはあるにはあるが、火を起こすのが面倒だし、そもそもこのご時世のバーベキューは世間の目も冷たい。ましてはひとりバーベキューなど変態扱いされても仕方がないだろう。何よりも片付けが面倒くさすぎる。
 そこで登場するのがアルポットだ。アルポットはアルコールを燃料とする湯沸かしぽっとだ。容器が密閉されているので風の影響を受けずにお湯を沸かすことができ、他に煮る、蒸す、炊くの料理が可能だ。要するに理科の実験やコーヒーサイフォンで用いるアルコールランプなので火力が弱く、お湯を沸かすにも時間が掛かるし、バーベキューのような焼き物もできないけど、点火と換気さえ気をつければ車中泊でも使える。
 今回、アルポットを使ったレシピとして「豚肉ともやしの蒸し煮」をやってみることにする。
用意するもの
・アルポット
・燃料用アルコール
・マッチ
・水
・皿
・割り箸
・茶こし
・ポン酢
・豚バラ肉
・もやし

 ここではひとり用として話を進める。アルポットはアマゾンで購入するのが安い。7700円もするが、アルポットは停電など非常用としても使えるので、助かることもあるかもしれない。付属のアルコールはすぐになくなるので、別の新品を買っておくべき。燃料用アルコールなのでメチルアルコール。これは消毒用どころか人体に害があるので注意すべきだ。
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↑アルポット
 蒸し煮をするにあたって必須なのは茶こしだ。これはダイソーで買ったものだが、これを柄の部分を写真のように曲げてアルポットの内部に納めるようにする。端にリングを付けているのは片付け時に網を箸で持ち上げられるようにするためだ。
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↑茶こしはこのように改造する

 豚肉はバラ肉にした。アルポットの内部は狭いのでできるだけ細かい方がいいのだ。
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↑買った豚肉
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↑豚肉ともやし
 下ごしらえは必要ない。気になる人はもやしをザルにあげて洗った方がいいだろう。
 アルポットの燃料を注入する。アルポットは火加減ができない。だから調理は一気にする必要がある。そのため最大の燃料を入れる。
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↑燃料を注入
 ポットに水を注ぐ。量は茶こしの網に掛からない程度だ。
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↑網をセット
 アルコールを点火し、ポットを乗せる。湯が沸くまで待つ。
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↑点火
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↑窓から点火を確認
 湯が沸き始めたら、もやし、肉、もやし、肉・・・の順番に入れる。これで蒸し上がるまで待つ。
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↑材料を入れる
 皿にポン酢をいれて準備する。皿はダイソーで買った。箸や飲み物置き、タレも複数入れられて便利だ。
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↑ポン酢は必須
 豚肉のピンクの色が消えたらできあがり。ただしポットの内部は上の方が温度が高いので、内部もよく見ること。
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 できあがったら、取り出してポン酢を付けて食べる。何の調味料も入れていないのに、その旨さに驚くはずだ。
↑出来上がり
 ポット内の肉を食べ終わったら、もう一度材料を入れ、繰り返す。ここで燃料が少ないと火が消えてしまい、もう一度追加するハメになる。再点火時は芯がアルコールで湿っているので注意すること。
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↑追加する
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↑シンプルながら美味しい
 食後はポットの中は脂で汚れているのでしっかりと洗うこと。キャンプで何が面倒ってこの片付けだろう。
 本来、この料理は竹のせいろでするのが本道で、実際その方が美味しいのだけれど、このやり方でも遜色ない。
 是非お試しあれ。
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にっぽん丸クルーズ&ロシア・ユジノサハリンスク弾丸ツアー [旅行]

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↑ユジノサハリンスクの眺め
0.はじめに
 日本地図を見ると北海道の北に大きな細長い島がある。サハリンである。かつては樺太と呼ばれロシアと度々国境紛争の舞台となった。大雑把にいえば、樺太の存在を意識した日露両国は、まず江戸時代末期に樺太は国境を定めず、ロシア人と日本人が一緒に住む地域とされた。明治の初めになり政府は北海道の開発を優先するため、樺太をロシア領、千島列島を日本領とする千島樺太交換条約を締結した。その後日露戦争の結果、樺太の南半分を日本領、北半分をロシア領となった。そして太平洋戦争で日本は惨敗し千島列島と樺太の領有権を全て失うことになった。この千島列島のうち択捉、国後、色丹、歯舞の4島は日本固有の領土であるとして、占拠を続けるロシアとに生じているのが北方領土問題である。樺太に関してはロシア領であることは確定しているのだが、日本政府は日露間に平和条約が締結されていないので、国境未確定地域という立場だ。

 ともあれ現在サハリンはロシアの支配下にあるということだ。当然パスポートもビザも必要だ。
 このサハリンへの交通は簡単ではない。直行の航空便はあるがその便数は少なく、しかも土日を絡めるには不便だった。船便も稚内からあるにはあるが客が少なく度々運休に追い込まれている。運賃も距離にしては割高で、日本統治時代の建造物が残るとはいえ、十分整備されているとは言いがたく、観光地としての魅力に欠けるのだから仕方がない。
 筆者はかつてロシアのハバロフスクとウラジオストクに行ったことがある。日本にほど近いのにヨーロッパの雰囲気のある街並みに軽くない感動を覚えたものだった。北方領土訪問はどうやら存命中に無理そうなので、ここはサハリンに行ってみたい。日本文化とロシア文化がどんな風に混ざっているのか興味を持った。
 おあつらえ向きのツアーを見つけた。それはにっぽん丸小樽発2泊3日秋のサハリンツアーというものだった。時期は9月の3連休で休みも取らなくてもいい。にっぽん丸とは日本の3隻あるクルーズ船のひとつで、商船三井が運航している豪華客船だ。しかし知名度は今一歩だ。自分の周辺には豪華客船に無縁な世帯が多いので、「にっぽん丸?あああの帆船ね」という反応が多かった。あれは「日本(ニホン)丸」で海技教育機構の練習帆船だ。もちろん我々一般人がツアーで乗る船ではない。ちょっと考えたらわかりそうなことでもおかしいと考えないところに、いかに筆者の周辺にとってクルーズ船が遠い存在であるかがわかろうというものだ。
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↑クルーズ船のパンフレット
 それはともかくクルーズ船は人気がある。富裕層の中には自分が行けるかどうか別にして、とりあえず予約して前金を払って部屋を押さえる人がいる。だから早い段階で予約が満室になったりする。事実、このツアーも1月の段階でほぼ満室で最下級のコンフォートステートが数室残っている状態だった。筆者はすかさず予約を入れた。予約した段階で手付金を払い、7月に残金を払うとのこと。しかしクレジットカードの場合前金は不要だった。代金は99000円とあるが、シングルユーズなので割高で125000円となった。
 7月頃商船三井から旅行の日程表などが送られてきた。
※※日程※※
9月14日(土)
18:00 小樽港出港
9月15日(日)
11:00 コルサコフ入港
21:00 コルサコフ出港
9月16日(月)
10:00 小樽港入港

 コルサコフはサハリンの南端にある港町である。夕食が2回と朝食が2回、コルサコフは入港後すぐに上陸できるはずはないから船内で昼食となるだろう。
 ロシアは査証(ビザ)が必要である。ただし商船三井が主催するオプショナルツアーに参加する場合は不要だという。自由行動の場合は必要でビザ取得代行は10000円とある。しかし調べてみると、ロシアのサハリン州と沿海州はビザの電子申請が可能でしかも無料だという。筆者はそれを利用することにし、商船三井に確認すると、コピーを事前に送付していただければ可能ということだった。
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↑電子ビザを取得したロシア外務省のサイト
 8月末、ロシアビザ電子申請サイトにアクセスした。メールアドレスなど必要項目を入力していくと、渡航日のところでつまづいた。この電子申請は渡航の2週間前からしか申請できないことがわかった。そんなことは冒頭で書いてあったのかもしれないが全然気づかなかった。やっぱりロシアだと思った。1週間後、再度挑戦して入力完了。次の日にはビザがダウンロードできた。注意点としては申請の各項目入力には30分ほど必要なこと、写真のサイズに気をつけることだ。極端に顔が大きいとはねつけられる。
 そのように準備をした上であとは出発の日を待った。
 旅行記が読むのが面倒くさい方はこの動画をご覧下さい。




1.にっぽん丸に乗り込む
9月14日(土)曇
 新千歳空港に降り立ち、札幌で少し遊んでから、電車で小樽にやってきた。駅前広場から正面に停泊しているにっぽん丸が見えた。
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↑駅からにっぽん丸が見える
 時間があるので運河めぐりをしてから、にっぽん丸の停泊している岸壁にやってきた。あいにくの曇り空で船体は映えていないが、紛れもなく写真で見たにっぽん丸だ。これからクルーズに乗ろうという人か、片足を海に乗り出し、両手を広げるポーズで記念撮影していた。
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↑濃紺と白のツートンがにっぽん丸の特徴
 16時30分、乗船受付は屋外である。乗船券を見せて荷物を預けた。仮設テント内のパイプ椅子に座って待機。パイプ椅子も普通の会議室で置いているのと少し違う上質なデザインだ。
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 船というものは上等の客から優先して乗船する。下等の私は大方の客とともに待機し、乗り込んだのは17時5分だった。乗船券は取り上げられた。ここで予め用意された入国カードにサインし、それとパスポートを渡す。入国手続きは船会社が代行してくれるのだ。
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↑レセプション
 指定された部屋にやってきた。カードキーをかざすと緑色に点灯した。部屋は東横インを思わせるほど狭い。しかし内装のグレードは別物だ。ふたつのベッドは離れた互い違いに配置されている。3人用のエキストラベッドが壁に収容されている。セットしようしたが、ロックが掛かっているようだった。
 ソファーは小さいもので荷物置き場にした。窓は小さいが海は見える。湯沸かし、金庫もある。シャワーがあるがバスタブはない。
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↑部屋はツイン
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↑タオル掛けも洒落ている
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↑船内新聞
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↑上にはエキストラベッド
 17時35分から法律で定められた避難訓練。ほとんど聞き流した。小樽市民の太鼓演奏を聞きながら17時45分に出航。スパークリングワインとオレンジジュースが振る舞われた。テープ投げはなかった。見送り客は10人もいないからやっても無意味であったろう。
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↑太鼓でお見送り
 展望風呂に向かった。何はなくとも風呂に入ってから夕食するのが自分の流儀なのだ。
 風呂は「さんふらわあ」と大して変わらない。しかしサウナもあるしジャグジーなのでグレードは上だ。桶はピラミッド状に置かれている。こうした細かいところが豪華客船なのだ。
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 18時30分より三遊亭圓丸さんの落語。あまり客が入っておらず「空席を除けば満席でございます」と言っていた。こんな近くで本物の落語家を見るのは初めてだ。近くのバーでジントニックを頼んだ。客席まで持ってきてくれた。ファーストフードみたいに札を持っていなくても顔を覚えている。椅子をひとつどけて机に飲み物を置いてくれた。VIP気分である。
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↑ジントニックを飲みながら落語
 夕食までまだ時間があるのでカフェでダージリンティーを飲む。ここのお茶は本格的なものではなく、ファミリーレストランのドリンクバーに近いものだ。
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↑フェリーと一線を画する内装
 20時00分より瑞穂で夕食。おひとりさまの相席を希望した。見知らぬ4人が座り、私が会話の口火を切った。となりの女性に「クルーズは初めてですか?」と。
 以下、会話内容を箇条書きにする。
●女性A
・クルーズは初めて(船外手続き前に不安げに立っていた)
・1週間前にキャンセル待ちを拾った
・電子ビザを取得
・家にプリンタがないので近くのセブンイレブンに行ったら、ロシア語のフォントがないので文字化けした。
●男性A
・クルーズは5回目。
・次は飛鳥2に乗る・
・日本船が1泊5万円としたら外国船は3万円
・クルーズ船は人気が高くあるツアーは1年前でもう満席だった

●女性B
・関西在住
・友達を誘ったが「えっサハリン??」という感じで断られ、結局一人で来た。
・ユジノサハリンスクツアーに参加する
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↑初日の夕食は和食
 その他私の左横にも女性が座ったが、会話には入らず、先に立ち去った。申し訳ない。
 夕食後は21時30分より1時間、ブラジル音楽のライブを見た。楽器はピアノとベースのみ。ボサノバピアニスト今井亮太郎ブラジル音楽は全て二拍子なので手拍子が楽だ。「オバ、オバ、オバ」というかけ声はポルトガル語で「お~っと」という感じらしい。日本人の年寄りの客が多いのでどうしてもノリが悪いのが仕方ない。耳を塞いで途中で退場した人もいる。筆者はもちろん音楽好きなので楽しめた。だいたい日本人はタンゴとかラテンのリズムがあっているのだ。ヒット曲が欲しければラテンかビートルズ。
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↑ライブ会場
 22時50分、よせばいいのに夜食を食べる。その場で握る鮭おむすびと明石焼きと柏餅。明石焼きは別に頼む必要がある。
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↑夜食のおにぎり
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↑夜食の明石焼き
 23時15分部屋に戻る。携帯の電波は入らない。Wifiはあるが有料だ。0時30分頃寝る。

2.サハリンに上陸
9月15日(日) 晴
 8時00分起床。目覚ましはかけていなかった。寝坊したと思ったら、もう船内はサハリン時間。日本より2時間進んでいるので実際はまだ6時00分なのだ。
 とりあえず朝風呂へ。誰もいなかった。体重は57,4kg。あれだけ大食したのに増えていない。不思議だ。
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 風呂は船尾にある。彼方に見える陸地はサハリン島だ。外は晴れ渡って天気がいいが風がやや冷たい。
 6階のダイニング春日での朝食は満席だった。2階に降りて夕食と同じ瑞穂に行く。和食を選んだが洋食のバイキングは全て食べることができる。牛乳、フルーツ、ヨーグルトを追加した。洋食バイキングは東横インとかルートインホテルのそれと比べることすらできないくらい上質だった。和食は1泊3万円の旅館の朝食に近い。さすが食のにっぽん丸である。
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↑和食+洋食の朝食
 売店に行く。とりあえず邪魔にならないものをということで、クリアファイルとオリジナルクリップを買った。クリップは爪のような大きさのが3つで850円とバカ高い。昨日のブラジル音楽でドラムを叩いていた人が売店にいた。
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↑エレベーター
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↑図書館
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↑遊戯室
 リドカフェに行く。お腹がいっぱいなので何も食べないし飲まないつもりだった。しかし結局GODIVAのショコリキサーを頼んだ。ちなみにクルーズ船の食事は基本的にアルコール飲料以外はすべて料金に入っている。
 ここにはプールサイドに併設されたカフェである。泳いでいる人は常に客の視線に晒されることになる。それでも泳いでいる人が一人だけいる。あとで中年女性がやってきた。ちょっと浸かっただけで上がってきた。水着姿を見せたかっただけかもしれない。
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↑屋内プール
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↑カフェの中にプールがある
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↑GODIVAのショコリキサー
 右舷にコルサコフの港が見えてきた。携帯電話はローミングを拾いはじめ「MegaFon RUS」と表示され時刻が現地時間に修正された。
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↑コルサコフ港が見えてきた
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↑ロシアルーブル
 両替は1100ルーブルの入った封筒を2000円で買うことになる。タクシーでかなり使う予定なので10000円分買った。
 デッキに出て接岸作業を見る。空も海も青く申し分のない天気だ。
 10時50分予定通り接岸された。コンテナとガントリークレーンのある殺風景な岸壁だ。船内放送でロシアの入国手続きに3時間ほどかかるのとのこと。上陸は14時00分から14時30分になるとのことだった。
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↑まもなく接岸
 12時30分ラウンジ春日でオムライスの昼食。ここでテーブルに置いたコップの水をこぼしてしまう醜態。何事もなかったかのようにウェイターは片付けた。
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↑昼食
 自由行動の方へというパンフが配られていて、そこには「私をコルサコフ港に連れて行って下さい」という意味のロシア語が書かれていた。船会社としては何かと面倒な自由行動の乗客は歓迎されないのだろう。
 14時前、預けていたパスポートを受け取り、船内でロシアに入国手続き。ゲート手前に設置された保安検査を通り、入国審査官がパスポートを確認する。事前の審査が終わっているでちょっと見ただけであった。
 ラッタルを降りるとオプショナルツアーのバスが待っていた。自由行動の人はこのままどこでも行けるというわけではなく、貨物用のため道が荒れているという理由でゲートまで1BOXカーで送迎されるという。14時20分黒いクルマが現れ乗り込む。乗ったのは6人。その内おひとりさまは2人、カップルが2組の計6人。
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↑ツアーバス
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↑送迎用ミニバン
 1分ほどでゲートに着いた。写真を撮ろうとしたら、ゲートを守備するおばさんにダメだといわれた。ここでもう一度パスポートコントロールがある。ブラックリストに載っていないがチェックしているようで進みが遅い。しまいに捜査官が面倒になったのか、フリーパスになった。フランス式のバーが回転する自動改札機のようなゲートを通った。審査官の控え室ではサッカーのテレビ中継が放映されていた。
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↑関門と自由行動の人たち
 いよいよロシアサハリンコルサコフの土を踏んだ。舗装されていないからほんまものの土だ。鉄道の線路を乗り越える。貨車が何両か留置されているが活気がない。というか人の気配がない。ガイドブックにはフェリーの降り場にはタクシーが待っていると書いていたが、自家用車が4台停まっているだけだ。フェリーは稚内からのであり、フェリーターミナルはここから離れている。にっぽん丸は貨物船の岸壁に着岸したのだ。
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↑ゲートを出るといきなり線路がある
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↑ゲート前の道路
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↑農業機器販売店
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↑湾岸道路
 目の前には4車線の湾岸道路が横切っている。典型的な沿岸地方の臨海地区だ。正面の崖の上には展望台らしき施設が見える。左手にバス停があるが小銭がないので乗ることができない。中心部に向かって歩いた。稚内公園にやってきた。ベンチで座っている人がいる。それだけのことだが、その雰囲気は確かにヨーロッパだ。
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↑稚内公園
 公園の先にある食料品のスーパーマーケットに入る。ここまで普通の個人商店はほとんどなく、スーパーマーケットに喰われてしまったようだ。日本の食材はほとんど見かけない。むしろパスタやヨーグルトなどヨーロッパの食材の方が充実している。スーパーに入ったのは小銭を作るためだから、何を買おうかと思ったが、メルシーのチョコレートが約600円と安かったので2つ買った。
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↑スーパーの品揃え
 自由行動は18時までにコルサコフ港のゲートに戻ってこなければならない。今15時だから3時間ある。コルサコフは徒歩観光するほど魅力のある町ではないし、時間を持て余すだろう。ここから北に40キロ走ったところにサハリン州の州都ユジノサハリンスクがある。ユジノサハリンスクへのバスはある。しかしここから歩いて30分のバスターミナルから発着する。バスターミナルに向かう市内バスもあるが、未知の土地で限られた時間で観光客にとって難度の高い路線バスに乗るのは無謀と思えた。筆者は運賃はかかるがタクシーでユジノサハリンスクまで往復することにした。
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 タクシーは3台ほど見つけたが、手を上げても反応してくれない。稚内公園近くの交差点で手を上げると、黒い日産ノートが反応してくれた。タクシーが指示した交差点の突き当たりで交渉した。ユジノサハリンスクまでの相場は1000ルーブルと聞いていた。まずはスマホの電卓で1000を示した。向こうは1500を入力。こちらは1200を入力。最終的に1300で折り合った。運転手はロシアのプーチン大統領に似ている。IMG_4908.jpg
↑タクシーは日本車
 行き先はユジノサハリンスクの市街を一望できる「山の空気」という展望台にした。おそらく他を回る時間はないし、それなら街の全体的な規模を感じた方がいい。それにロープウェイに乗るというところも乗り物好き筆者にはポイントだった。
 プーチンは走り出すとクルマの屋根の上にあるタクシーを示す行灯を片付けた。無許可の白タクかもしれない。
 途中、運転手プーチンは私に断った上でタバコを買いに立ち寄った。そしてクルマを走らせ窓を開けて一服すると、無造作に投げ捨てた。彼はロシア語で何か話しかけるが、私が言葉ができないとわかると黙り込んだ。クルマは日本車なのでタッチパネルには日本語が表示されている。彼はFMラジオを流しはじめた。流れる曲は英語だった。
 サハリンは平坦なイメージだったが意外にアップダウンが多くそれ長く急なのが多い。運転手が助手席に座る私の右肩を叩き、指差す方向を見ると、ロシア軍の基地だった。IMG_4914.jpg
 一概に単調とはいえない景色が展開する。勾配はあるが急カーブはない。基本対面2車線だが、時々追い越し車線があり、プーチンはさかんに追い越しをする。
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↑ユジノサハリンスクを目指す
 馬がいる牧場がいた。馬はまだ未開の地では需要があるのだろうか。点在する小さな街では日本と同じような郊外店舗がある。しかし日本のようにあらゆるものがあるというものではなく、ひとつかふたつというところで、それもロシア語なので何屋かもわからない。
 誰が住んでいるのかわからないようなところにもバス停がある。ロシアのバス停には系統番号と時刻表があり、その点は親切である。外国にはバス停すらないところもある。
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↑ロシアのバス停
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↑看板を見るとSUBARUの文字
 走りだして30分たった。徐々にクルマの数が増えて、歩いている人も増えた。ユジノサハリンスクに入ったようだ。オフラインで作動させているGPSロガーのジオグラフィカもそのように示している。自分のスマホは格安SIMなので海外ではデータ通信がつかえない。わずか6時間のためにプリペイドSIMやWifiルーターを用意するわけにいかず、インターネットは使わなかった。地図はあらかじめ日本でプリントアウトしたのを用意していた。ジオグラフィカは本来登山用なので電波の届かないところでも軌跡を追うことができる。地図も電波がある時に先読みしておけば表示される。非常用としてはソフトバンクのローミングで音声とショートメッセージがつかえる。筆者のSIMは2枚入るようになっているのだ。
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↑唯一見たコンビニ
 しばらくすると右手にセブンイレブンがあった。軍人が横断歩道を渡り店に入っていった。
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 プーチンはスマホのナビを起動させた。どうやら「山の空気」に行くのは初めてらしかった。ロシア正教教会を通り過ぎて、山道に入った。広大な赤土の駐車場をクルマを揺らしながら通り過ぎて、適当なところで停めた。
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↑ユジノサハリンスク中心部
 ここまでタクシーに全くといっていいほど遭遇しなかった。このままタクシーを帰らせてしまうと途方に暮れる可能性がある。まして今回はクルーズ船であり、さらに何かと面倒なロシアだ。このタクシーで乗って帰るしかない。
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↑山の空気展望台を目指す
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↑この黒い車が白タク?
 私はこれから展望台へ行く。君は私が戻ってくるまでここで待ってほしい。そしてコルサコフ港まで連れて行ってもらいたい。というようなことを身振り手振りで説明した。ただし最後の「コルサコフ港まで連れていって」はにっぽん丸が用意してくれた自由行動用のパンフレットにロシア語で書いていたのを活用した。
 運転手はクルマを降りると、歩く方向を指差した。どうやらチケット売り場まで連れて行ってくれるようだ。そりゃそうだ。相場の3割増しの運賃を払っているのだからと思った。
 しかし彼はロープウェイのチケット売り場を聞き出すと、2枚分のチケットを買えという。300ルーブル支払った。どうやら一緒に展望台に登るらしい。私の身振り手振りが通じていなかったようだ。そういえば彼は私がクルマを離れる際、両手を上に広げるポーズを撮っていたが、「この手のかかるヤツめ」と思っていたのかもしれない。
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↑チケットブース
 ロープウェイというか4人乗りのゴンドラである。冬はここはスキー場になるらしい。本来はスキーのリフトなのだ。
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↑リフト乗り場
 眺めがいい。ユジノサハリンスクは戦前は日本領で豊原市を名乗っていた。豊原市は南樺太庁の首都とされ、今でもいくつかの当時の建物が残っている。神社も数多くあったがその価値を知らないロシア人によって破棄されている。
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↑山上方向
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↑山下駅
 首都にふさわしい景観であった。プーチンはやがて有料の双眼鏡に連れて行った。どうやら先ほどの筆者の身振り手振りで、右手を額に当てるポーズが遠くを見たいと解釈されたようだった。私の10ルーブルは返却されてしまい、50ルーブル立て替えて3分間見る。ろくにメンテナンスしていないのかレンズが曇っている。大して見たくもない景色をみる。時間を過ぎ去るのも待つしかない。駅を探すが見つからない。そして探しているうちに時間切れとなった。
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↑まもなく頂上
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↑調子の悪い双眼鏡
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↑ユジノサハリンスク中心部
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↑街の反対側は長野っぽい
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↑軽食レストラン
 トイレを借りてゴンドラで降りる。もう少し眺めていたい気分だが、あまり時間がないのだ。振り返ると市街地が見える。せめて旧樺太庁だけでも通ってもらうか。しかしロシア語で説明できるか。無理だ。ネットが使えれば翻訳アプリを使って問題解決なのだが。
 そのままクルマに乗って来た道を戻る。当たり前のことながら同じ景色だ。17時10分頃、コルサコフ港のゲートに戻ってきた。双眼鏡とチップを含めて2700ルーブル渡した。彼の方から握手を求めてきて「スパシーボ(ありがとう)」と言って別れた。
 ユジノサハリンスク弾丸ツアーに要した費用は3050ルーブル。日本円では5540円ぐらいだ。船会社のユジノサハリンスクのみのバスツアーは18500円で、樺太神社跡あどいくつか観光はするものの、土産物店に寄るし、しかも山の空気展望台には行かない。損得勘定は微妙ながら3分1の費用で行けたのだから十分な成果だろう。
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↑停泊地の背にある崖
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↑崖の頂上に展望台がある
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↑この日の足跡
 最終バスの出発は18時20分なのであと1時間と少しある。この時間を利用してコルサコフ港を望む展望台に行こうと思う。ゲート近くの岩の上にそれらしいモニュメントが見える。しかしここにたどり着くにはU字型の道で大きく迂回しなければならない。再び稚内公園から市役所を目指す。上り坂なので走ろうとしてもすぐに足が止まってしまう。市役所(と思われる場所)から木の階段を上り団地を抜ける。全体的に古びているが、建設中なのもある。作られた時期からして共産主義的な臭いがする。
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↑集合住宅
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↑公的掲示板
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↑新しいアパート
 グーグルマップが利用できないので、ジオグラフィカで位置の見当をつける。この道で間違いなさそうだが、その途中で17時45分になってしまった。これより先に進んでしまうと18時20分までにゲートに戻ることができない。やむなく引き返すことにした。
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↑ここで引き返した
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↑引き返した地点からの眺め
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↑アパートの住人のクルマ
 時々走ったりしてどうにか18時10分にゲートにやってきた。18時20分、5人の客を乗せて船に戻った。車内ではプリベイトSIMを買ったが認識しなかったとか、世界対応のケータイを使っているとか話をしている。今の旅人はネットを使えないと旅行できないほどスキルが下がってしまったのか。
 車内では私が最後かと思ったが、出発が遅れたせいでツアーバスがまだ到着していなかった。
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↑船に戻る
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↑夕陽に映えるコルサコフの街
 20時00分の夕食まで時間がある。スポーツジムでサイクルを30分やった。窓から異国の景色を見ながら運動するのはめったにできない体験だ。
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↑スポーツジム
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↑窓から街が見える
 その後風呂に入り、部屋で着換えて、2階のダイニング瑞穂に降りた。相席を期待したが一人席に案内された。会話もなく黙々と食べる。相席希望を伝えればよかった。料理は最高だったが、これが今回の旅行で一番残念な出来事だった。
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↑素晴らしい夕食
 口直しに寿司バーに行った。カウンター5人の小さな店。カウンターの後ろは通路だ。寿司は3巻握りの他キンメ、ニシン、ホッキ貝を食べた。キンメは白身の王様と言われる。寿司職人と話をする。回転寿司のネタは腐らない。シャリを握るのは機械。それを高校生のバイトがネタを乗せる。船内のアーティストは上等でない普通の部屋に泊まっているそうだ。自分たち従業員は1階以下の窓のない部屋で起居しているという。この寿司の勘定は別で3500円ほどだった。
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↑寿司も食べた
 22時15分より隣のホールで三遊亭圓丸の落語を聞く。時間帯からかお色気話をやっていた。
 満腹のはずだが夜食を食べる。夜食はにゅうめん。締めのラーメンと一緒で何故かお腹に入るのである。
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↑夜食は煮麺
 日本時間23時30分、サハリン時間1時30分に寝る。

3.小樽に帰港
9月16日(月) 曇
 4時30分に一旦起きた。これでも5時間睡眠である。
 6時15分朝風呂に行く。洗い場の空きがないほど混んでいた。風呂上がりの体重は58kg。寿司の分だけ太った。
 風呂に行く前に洗濯をセットしていた。縦型の洗濯乾燥機。乾燥時間30分ではポリエステルの下着しか乾いていなかった。
 7時00分、ダイニング春日で朝食。フレンチトーストは絶品だった。このダイニング春日は夜は上級客室専用のレストランとなる。
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↑朝食のフレンチトーストは絶品
 部屋に戻って荷造りする。8時までに荷物を廊下に出しておけば、下船時に手渡してくれる。
 9時前にリドデッキへ。とりあえずデッキチェアを確保した。まずは甲板へ。小樽港は間近だ。出港時のような曇り空だ。
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↑小樽が見えてきた
 ショコリキサーを求める客が並んでいる。このゴディバのデザートは特に女性に人気である。座るところがなく部屋に持って帰った人もいる。私はハンバーガーを試した。身体を寝かせたデッキチェアで食べるのは難儀だ。服を汚さないように胸にハンカチを広げた。満腹なので食べる必要はないのだが、もう最後のチャンスなので食べた。筆者は富裕層ではなく貧乏人なのだ。クルーズ船なんてもう乗る機会はないかもしれないのだ。
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↑最後にハンバーガーを食べる
 10時00分予定通り小樽入港したが、10時30分現在でも入国準備中だそうだ。そうこうするうち10時33分に上級客室から下船開始。11時10分ようやく筆者の下級船室の乗客の出国準備ができたとアナウンス。まずは乗船証と引き換えにパスポートを受け取る。瑞穂に仮設された出国審査場で面接。荷物を受け取って通路にある税関。荷物はタラップを降りるまで船員が持ってきてくれる。
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↑タグボートで接岸
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↑船尾から見る小樽駅
 駅までのシャトルバスには乗らなかった。歩いている途中で抜かれた。しかしこの日のにっぽん丸は乗り込みと逆に船尾を市街方向に向けていた。もちろん写真を撮った。もしバスに乗っていれば、この写真は撮れなかったはずだ。
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↑さようなら「にっぽん丸」
 このあと筆者はレンタカーで神威岬と登別温泉に向かった。このクルーズの前後の旅行については別の機会としたい。
 ロシア滞在はわずか4時間。史上最短の海外旅行であった。ユジノサハリンスクに行くオプショナルツアーは2万円。しかも山の空気展望台に行かず、さっと回って買い物だけ。余計なところに時間をかけず、コルサコフの市内観光とユジノサハリンスクを俯瞰できたので満足だ。もうあと2時間あればバスでユジノサハリンスクに行けたかもしれない。
 できれば船中でもう1泊したかったところだ。少なくともサハリンは4時間で決着がつくようなところでなかった。

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富士山日帰り登山をやってみた(富士宮から御殿場) [旅行]

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↑浜石岳から望む富士山

1.なぜ富士山に登ろうとしたか
 富士山は日本で最も標高の高い山である。同時に誰もその山容を思い浮かべることのできるほど美しい山であり、知らぬ人がいないほど有名な山だ。またその頂上から日の出を迎える「ご来光」は他の山にはない特別な意味を持っている。
 富士山は見る山だ。登って楽しい山ではない。
 実際に富士山に登った人もそのようにいう。岩ばかりで歩きにくい。下界の景色は雲に遮られて見えない。山小屋では眠れない。彼らはそのようにいう。しかし富士山はおそらく日本で一番登頂者の多い山である。これは古来より信仰の対象となっていて登山道が整備されていたことが大きいし、何より日本一の山であることで、登り切った時の達成感が大きいのが理由だろう。もちろんその魅力に取り憑かれて何度も登っている人がおり、それが多くの人が富士山を目指しているのだろう。
 かくいう筆者も「富士山は見るに限る」と決めていて、富士登山に全く関心がなかったのだ。そんな筆者は富士登山を思いついたのは、2018年の7月に入ってからであった。何故急にそう思ったのかわからないが、何となく富士山が呼んでいるような気がしたからだ。それは現実的でないにしても、要するに歳を取ってからではできなさそうなことに挑戦したくなったのだろう。
 富士山というのは一般客が登れるのは7月から8月の間。大雑把に言って学生の夏休み期間中だ。しかし別に学生に合わせているのではなく、富士山の夏は短く、それより前や後は雪の残る氷の世界なのだ。当初私は9月の登頂を考えていた。その方が空いていると考えられたからだ。しかし9月になると山小屋が閉鎖されてしまい、トイレをするのもままならないという。小用の近い私としては死活問題だ。何しろ富士山は岩ばかりで樹木がない。つまり身を隠すところがないので小用もできないのだ。さらに汚物の処理も問題だ。したがって、富士登山は山開き中の7月か8月に行くことに決めた。
 次にどのような日程で登るかである。富士登山で検索すると初心者は山小屋で泊まることを推奨している。一般的なツアーは昼間に五合目から八合目を目指し、夕方にそこにある山小屋に泊まる。深夜1時頃から山頂を目指し、寒さで震えながらご来光を待つ。明るくなったら登山道を下りて五合目に戻る。1泊2日の行程だ。ご来光を前提とする限り、頂上に近いところにいる必要があるから山小屋の宿泊は避けられない。5合目から頂上までは6時間ほどかかり、夜通し歩かないといけないからだ。しかし山小屋というのは雑魚寝で混雑時は畳一畳に3人ぐらい押し込められることもあるという。プライバシーもなく、一人旅が多く他人のいびきを気にする筆者としては山小屋は避けたかった。ご来光を仰げるのは魅力的だが、その場合暗い夜道を歩いて頂上を目指さなければならない。初めての富士登山で景色が見えないというのは何だか損した気分になるのではないか。
 そんなわけで富士登山は日帰りで挑むことにした。つまり朝早くから五合目から登り、昼に頂上に到達し、夕方に五合目に戻るというものだ。本来登山とはそのように計画するものだ。富士山を目指す人はご来光という言葉に惑わされているのではないか。
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↑富士登山4大ルート(http://www.police.pref.shizuoka.jp/osirase/sangaku/fujiyamamap.htmlより引用)
 富士登山は大きく分けて4つのルートがある。吉田、富士宮、須走、御殿場の各ルートである。
 吉田ルート(黄色)は富士山の北側に位置する山梨県富士吉田市から登るルートで首都圏から最も行きやすく、山小屋の数も多い。富士登山者の約半数が利用しており、いわゆるツアー客もここを利用することが多い。
 富士宮ルート(青色)は富士山の南側に位置する静岡県富士宮市から登るルートで、4ルートの中で最も歩行距離が短い。その代わり勾配がきつく体力が必要とされる。各合目の休憩所から次の休憩所や頂上が見えるので目標を定めやすく、各合目がほぼ1時間ごとに存在するのでペースを掴みやすいという利点がある。また関西圏から行くのに便利だ。
 須走ルート(赤色)は富士の樹林からスタートするので日陰になって体力的に負担が少ない。また下山道が砂地なので膝の負担が少ない。しかし山小屋の数が少なく、歩行距離が長いという難点もある。
 御殿場ルート(緑色)はスタート地点の標高が低く、走路も比較的なだらかとなっている。しかしその分歩行距離が長く、山頂まで時間がかかる欠点がある。利用者が少ないために山小屋が少なく、しかも等間隔になっておらず配置が悪い。下山道は大砂走りという細かい溶岩に足を埋めながら走ることになる。その間には山小屋もトイレもなく、休憩できるような岩場もないという過酷なコースとなっている。
 富士山のことは何も知らない筆者は、マイカー規制のない御殿場五合目までレンタカーで乗り付け、車内仮眠後、御殿場ルートを日帰り往復するという今思えば過激な日程を考案していた。しかし御殿場ルートは登りに8時間かかるという。これでは日帰り登山は無理だ。それに睡眠不足で高山病の危険がある。
 検討の末、登りは富士宮ルート、下りは御殿場ルートとした。富士宮ルートは前述した利点の他に、富士山の真の頂上である剣が峰に近い。またゴール地点に富士浅間神社の奥宮が鎮座しており、御殿場ルートへの出口も近いのだ。


 富士宮五合目へは麓の新富士駅、富士宮駅からバスが通じているが、富士宮駅発の始発に乗っても五合目到着は7時55分。新富士駅からだと10時30分になってしまう。登りに6時間、頂上滞在に1時間、下山に4時間かかるとすると、御殿場五合目到着は19時を回ってしまう。ところが御殿場五合目から御殿場駅に向かう最終バスは17時45分発。タクシーで15分乗ったところある水ヶ塚公園から19時30分発の富士宮駅行きのバスがあり、これが本当の最終便である。これではあまりにも余裕がなさ過ぎる。登山に無理は禁物だ。登山の基本は疲れたら休む。それでいて暗くなるまでに降りる。19時ともなると夏とはいえ相当暗くなっているだろう。他に水ヶ塚公園までレンタカーで行き、そこからタクシーに乗って、富士宮五合目または御殿場五合目まで移動するという手段がある。しかし疲れている身体で自らレンタカーを運転し、事故でも起こせば大損だ。
 結局、往きはタクシーを利用して富士市から直接富士宮五合目に行くことにした。タクシーの運賃は10000円ほどかかるが、これなら6時30分頃から登り始められるので、おそらく正午には登頂できる。帰りは御殿場五合目発御殿場駅行きの最終バスに乗ることにした。御殿場からは鉄道を乗り継いで戻る。宿泊地は関西から便利な東海道新幹線新富士駅付近とした。金曜日は早い目にチェックインしてぐっすり眠って高山病に備える。不要な荷物はホテルに置いていき、土曜早朝にタクシーに迎えに来てもらって富士山をめざす。そしてホテルに戻り、シャワーを浴びてから祝杯を上げ、ぐっすり眠る。日曜日はゆったりと途中下車しながら和歌山に戻ることにした。
 基本計画はできたので実行あるのみ。登山用のザックと靴、それにストックはすでに持っている。足りない物を買いに行く。綿のジーパンは汗を吸収するが乾きが遅く、重くなるので登山に不適ということで速乾ナイロン製のズボンと同じ理由でメリノ羊毛製の下着も買った。
 当初、7月の3連休を予定していたが、2週間前の「てんきとくらす」週間天気予報では土曜日の天候が登山にやや不適のBとされていたのに、1週前になって適のAとされ、そこで新富士駅付近のホテルを予約したら何処も満室だった。決行は7月21日土曜日とした。金曜日は仕事を定時で終えてから夜に投宿するつもりだったが、半日有給を取り余裕を持ってチェックインできるようにした。

2.富士宮ルートで富士山を目指す
 前日新幹線で新富士にやってきた筆者は、東横イン新富士に投宿した。この6月に開業したばかりで真新しかった。
 4時25分起床。暑くてよく眠れなかった。昨日コンビニで買ったおにぎりとサンドイッチの朝食。
 5時少し前、迎えのホンダタクシーに乗る。客は私だけ。運転手は地元の人だが富士登山の経験はないという。富士山は雲に隠れて見えない。途中黄色い服を着た集団を見かけた。富士山の麓から登山する人達で3日は掛かるという。
 6時5分雲海を抜け富士宮口五合目に到着。晴れ渡った青空に富士の頂上がはっきり見えた。運転手は「今日は日差しがキツいですよ」と言った。運賃は定額で9850円だった。
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↑富士宮五合目(頂上が見える)
 ここですでに標高2350m。寒さを感じたのでトイレで昨日買った長袖アンダーシャツを着込んだ。しかしその後あるツアーリーダーが「これから登りますけどどんどん暑くなりますよ」と言っているのを聞いて脱力した。携帯酸素が1500円。ペットボトルのドリンクが300円で売られていた。しかし何も買わなかった。
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↑五合目から下界を望む
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↑いよいよ登山開始
 任意の入山料1000円を払う。缶バッチを貰える。6時25分、高地順化もほとんどすることなくさっそく登りはじめる。なだらかな土の道を歩き、10分程で六合目。まだ先は長い。
 まだまだ楽勝。ここからは新七合目、元祖七合目、八合目、九合目、九合目五勺と続く。おおざっぱにいえば、それぞれの合目の間を50分歩き10分休憩する感じになる。
 下から山頂を見上げるとそれぞれの各合目の次の山小屋が見える。それはとても近くに見えるのだが歩くととてつもなく遠いものだった。7時25分、新七合目着。人々は山小屋の陰で休憩している。高山独特の紫外線の強さを感じた。
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↑日陰で休む人々
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↑頂上はまだ遥か先
 8時15分、元祖七合目からはストックを利用した。このストックを使うのは初めてである。数年前にに会社の先輩と登山の計画をしていて、そのために購入していたのだが、悪天候のために中止。それ以来自分の部屋で放置されていた。ストックは両手に持つ。ストックは登りには不要との記事も見たが、実際使ってみると、4つ足で歩いているようなもので圧倒的に楽だった。あと日差しを避けるためのサングラスとつばのある帽子は必需品である。
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↑七合目に到着
 9時0分、八合目着。もう行程の半分を過ぎたはずだ。足下は溶岩と砂。植物は生えていない。おそらく虫もいないに違いない。こんな世界に人間がいるのは不思議に思えた。徐々に勾配がきつくなり、道というより、階段いや崖という趣を呈しはじめた。ここで富士山が噴火したらどうなるかとか、ストックで山ガールのスカートを捲ってみようとか、無事に下りた時のビールはさぞ旨いだろうなとか、そのような想像をしなければやっていられないほど、とにかく単調な道で嫌気が差してきた。
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↑八合目から見る雲海
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↑まもなく九合目
 10時0分、九合目着。ここまで600mlのペットボトルで給水していたが、どうやら頂上で飲み干しそうである。五合目から一緒に登ってきた人もこのあたりで見かけなくなった。どうやら休憩を多く取って脱落したようだ。しかし会話を聞いているとペースの速い人には追い抜けれたようでもある。登山者の8割は日本人。しかし外国人も目立つ。中国人が多いようだが、韓国人や欧米人、褐色の肌をした人もいる。富士山は世界遺産となり一気に知名度が上がったようだ。外国人は軽装が多い。それはそうだ。富士登山のためにわざわざ靴やストック等の装備を用意しないからだ。あくまで彼らにとっては観光ポイントのひとつなのだろう。筆者はニュージーランドでマウントクックのトラッキングに行ったことを思い出した。観光客はそのような認識なのかもしれない。
 このあたりから少し寒さを感じるようになったが、ヤッケを着るほどのこともない。着込んだ下着でちょうどいい感じだ。ただし酸素が不足しているのか頭が痛くなってきた。
 11時0分、九合目五勺着。ここから天気が悪くなり霧が立ちこめはじめた。下界の雲海はもう見飽きたが、一応写真に撮る。今回は使用期限の近づいた写ルンですも持ってきていた。写ルンですで撮った雲海はただ真っ白な写真となっていた。腰を下ろすと金輪際動きたくなくなるほど疲労を感じた。長嶋茂雄氏がいう「疲労からくる疲れ」である。標高が高くなるほど休憩時間が長くなるのは誰しも同じで私も例外ではない。昼前なので食事をしている人も多く、カーリング娘のように「もぐもぐタイムが終わらね~」と言っている人がいた。私は昼食は頂上でと思っていたので我慢した。
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↑九合目五勺を目指す登山者
 ここからは頭にアクションカムを取り付ける。最初で最後になるかもしれない富士山登頂の瞬間を動画で記録するためだ。ここからは艱難辛苦の道のりだった。何しろ脚が上がらないので一歩を踏み出すのに時間がかかる。小休止できる岩場があれば腰を下ろした。何人もの人に抜かれた。登山は登りだけに力を出し尽くしてはいけない。下りる体力を残しておかないといけない。無理は禁物なのだ。
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↑まもなく頂上
 重い腰を上げて歩き出し、また休憩するのを2,3回繰り返した。やがて白木の鳥居が見えた。頂上はもうすぐだ。あとで動画を見ると道ばたの岩ばかり映っている。疲れてうつむいていることが多かったのだ。頂上は近くて遠かった。乳酸の溜まった脚を気力で引き上げ鳥居を通過したのは12時を少し回ったところだった。標高3777m、日本最高峰の富士山に登頂したのだ。頂上には山小屋と山頂郵便局、浅間神社奥宮がある。ほとんどの登頂者は達成感と安堵感を顔に浮かべていた。700円のカップラーメンを美味しそうに食べている人もいる。
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↑富士山登頂
 奥宮では交通安全の白いお守りを買い、御朱印を押してもらった。御朱印は相場の3倍近い1000円だが希少価値があるので文句をいう人はいない。奥宮をバックに記念撮影。若い男性にシャッターを頼んだ。彼はどうやら写ルンですを触るのは初めてのようであった。できあがった写真は不鮮明だが昭和の味に満たされたどこか懐かしさを感じさせるものだった。
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↑頂上浅間大社奥宮
 富士山の火口を望む。底には白い雪が残っている。いつの日かここが爆発するのだろうか。
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↑富士山の火口
 さて自分が立っているところは実は富士山の頂上ではなく、ここから50m高いところにある剣が峰が富士山の最高峰なのだ。私はそこを目指すことにした。道は急斜面の砂地で滑りやすく実際難度も滑った。ロープがあれば楽なのだが、風の強いこのあたりにそれは設置できなのであろう。手すりを頼りに登る人が多い。
 剣が峰の入口に苦労して到着した。剣が峰には閉鎖された富士山測候所があり、その前に「日本最高峰の碑」があるのだ。それを撮るために50mほどの行列ができている。当初並んでいた私も、このペースで待っていてはバスに乗り遅れると思い、碑の撮影と記念撮影は断念した。13時に戻る。下りは横の鉄柵を頼りに降りた。
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↑剣が峰にある測候所跡
 ディーゼル発電機の音がうるさい小屋の前で腰を下ろし、乾パンと蜂蜜の昼食。乾パンは軽く日持ちのする完璧な行動食だ。蜂蜜は乾パンにはないビタミンCを補給できる。
 特に尿意はなかったがトイレに行った。トイレは300円と高価だが御殿場ルートでは休憩するところが少ないのだ。

3.御殿場ルートで下りる
 御殿場ルートを下りはじめた。実のところ、御殿場ルートについては詳しいことを調べていなかった。大砂走りがあるのは知っていたがどこで休憩できるのかは知らなかったし、正直下りは勢いで何とかなるだろうとなめていたところがあった。
 下りは溶岩性の赤い土でやたらと滑りやすかった。実際、何度も滑って転けそうになった。追い抜いた男性は「滑ってばかりや」と嘆いていた。やっとたどり着いた赤岩八合館という山小屋は閉鎖して廃屋のようになっていた。
 気を取り直して歩き出した。前述したように御殿場ルートの知識がなかったのでどのあたりで休憩できるのかわからない。4ルートの中で最も長く閑散としているので、行き交う人は少ない。下りる人の方が多いのだが、登ってくる人もいる。今からだと頂上の山小屋に泊まるのだろうか。「それで大丈夫なのだろうか」と思うような軽装の人もいる。
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↑御殿場ルートの山小屋
 やがて砂走館という山小屋に着いた。しかしほど近くにわらじ屋と日の出屋という山小屋がある。わらじ屋で腰を下ろした。「静岡」というビールを飲んでいる人がいる。美味しそうだが、アルコールは水分補給にならないし、酒は下山してからと決めていたので食指は動かない。1泊7900円空き室ありと看板が上がっていた。下界を見下ろすと日本ではあまりお目にかかれないような平原が広がっていて、御殿場の町並みが遠くに微かに見えていた。
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↑砂走館入り口
 日の出屋を過ぎると標高3040mの七合目。ここから登山道と下山道が別れ、下山道は「大砂走り」と言われる細かい溶岩道を走ることになる。
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↑御殿場ルートは基本こんな感じ
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↑ここから大砂走り
 ここからは楽になるだろうと思ったがとんでもなかった。確かに先ほどまでの階段状の道に比べれば速く下りられるが、足が砂にめり込んで、とても疲れるのだ。「大砂走り」といわれるだけあって、走っている下っている人もいる。しかしそれはジョギングのような格好をした軽装であり、私のような重い荷物を背負っている人はなかった。ストックを上手く使って一歩一歩を足を踏み出すしかなかった。
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↑大砂走り、下界は遥か先
 我慢がならないのは休憩するところがないことであった。腰を下ろせるような岩もほとんどない。かといって上から見下ろすと気がつかないほどの急勾配なので、足を止めると却って疲れてしまう。どうにもならないから砂に腰を下ろすしかないのだ。雄大な景色は日本離れしていて、行ったこともないくせに「まるで月面にいるようだ」とか「火星みたいだ」とコメントしたくなるほどであった。遥か先に平らに見える道があっても、近づいてみるとまだ先には道が続いているのであった。道の先に見える建物がおそらく御殿場五合目なのだろうが、一向に近づかない。
 水筒の水を飲み干した。水を手に入れる売店はない。私は気力で脚を動かした。途中、疲労困憊になって脚が動かなくなった女性がいた。しばらくすると赤い消防車のような救護車が登っていった。私もああいう風になるのか。初めてのフルマラソンだった福知山マラソンを上回る苦しみだ。
 下山道と登山道との合流点である五合五勺を過ぎるとようやく砂が浅く勾配も緩く感じるようになった。御殿場五合目らしき建物も現実的な視界に入ってきた。
 「大石茶屋まで400m、五合目まで800m」の標識が現れた。あと少しだ。重い脚も少し軽くなった。御殿場ルートの登りは確かに過酷で不人気なはずだ。五合目から最初の休憩所の大石茶屋までたったの400m。そこから砂地に足を埋めながら2時間も歩いて、短い間隔で3連続の休憩所。そこからは休憩なしで滑りやすい溶岩に気をつけながら頂上に挑まなければならないからだ。
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↑まもなく大石茶屋
 大石茶屋を見た時、まさにそこは砂漠のオアシスのように感じられた。広い敷地のベンチに腰を下ろす。あと400mで御殿場五合目。もう着いたも同然である。頂上の方向を見やり、来た道を振り返るとかなりの急勾配だ。こんな道を歩いてきたのかと思うと感無量というか、自分でもよくやったなと思った。ご褒美にかき氷でも食べようかと思ったが、5分ほど腰を下ろしただけで、また歩き始めた。
 御殿場五合目に着いた。バス停を発見したので時刻表を確認しているとすぐに御殿場駅行きのバスがやってきた。少し離れたベンチには15人ほど待ち客がいた。それぞれ荷物が多いのですぐに満席になった。御殿場五合目をもう少し探索したかったがそんな時間はなかった。バスは定刻17時45分に発車した。揺れるバスの最後部の座席に身を押し込めひたすら目的地に着くのを待った。それにしても咽が渇いた。バス停の近くにあった自販機でジュースを買ったらよかった。少し高かったのでやめたのである。

4.登ったあとで
 約30分でバスは御殿場駅に着いた。売店で買ったお茶で喉の渇きを一気に癒やした。
 18時34分発の沼津行きに乗り、沼津で19時09分発の三島行きに乗った。三島から新幹線こだま679号に乗って新富士に着いたのは19時34分。わずか10分しか乗らないのに860円の特急料金。実は沼津から東海道線の鈍行で富士駅まで乗り、そこから徒歩23分で新富士駅に着く。時間も5分程度遅いだけだ。しかしもう重い荷物を背負って歩くことなど考えられなかった。選択の余地なしと思った。
 泊まった東横インは新富士駅のすぐ前にある。東横インの会員証がそのまま部屋のカードキーとなる。カードキーがないとエレベータに乗れないようになっているが、カードを持つ正規客のあとに付いていく、いわゆるコバンザメを使えばエレベータには乗れてしまう。
 風呂に入ってさっぱりしてから無事安着の祝杯を上げるべく飲み屋に向かう。まずは昨日から目をつけていた「魚民」という店に向かった。もう20時で一次会も終わっている時間でもあるし、外からも空き部屋が見えたのに、お店の人は「本日は予約で埋まっております」との返事であった。カウンターのない個室中心の店だからこういう突然の個人客は歓迎されないのだろう。仕方がないので駅前のビルの2階にある「さかな屋道場」という店に入った。結構混んでいて私が座った席も片付けが終わったところだった。ラストオーダーは22時ですけどよろしいでしょうかと聞かれた。問題ありません。
 まずは生ビールで枝豆で一人で乾杯。このビールは人生最高に旨かった。続いて頼んだマグロの3種盛りは水っぽくてもう一つ。八海山という日本酒でかなり酔った。日本酒とワインはほどほどにすべきだ。
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↑ビールで乾杯
 最後に〆のお茶漬けを頼むともうご飯がないとのこと。やむなく名物の富士宮やきそばにした。しかし出された焼きそばはどこにでもあるような何の特徴もない代物だった。
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↑残念な富士宮やきそば

5.はじめての富士登山を終えて
 御殿場五合目からバスに乗った時は「尋常でない疲れ方だ。もう二度目はない。」と思った富士登山だが、不思議なことに日に日にもう一度登りたくて仕方がないそんな感覚に襲われた。それはおそらく日本一の山に登ったという高揚感に満たされ、疲労を吹き飛ばしてしまったのだろう。疲労の回復が早かったのは、筆者が普段からジョギングで身体を鍛えていたことや、登った次の日に行ったマッサージ師の手腕がよかったこともあると思うが、やはり高揚感や満足感が大きいのだろう。「富士山は見るための山」という考えは撤回した。そこには何か魔力的な魅力がある山なのだ。こうして書いている間にもその時の疲労は頭になく、もう一度登りたいという衝動だけが心を支配し続けた。
 次に登る時は吉田ー須走ルートで山小屋泊まりご来光を仰ぎたい。
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オーストラリア旅行記2017 [旅行]

オーストラリア2017
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■■■1.まえがき■■■
 2017年の5月の大型連休。今年も海外旅行に行こうと思う。当初は30000マイル貯まったユナイテッド航空のマイルを使って中国旅行に行くつもりであった。中国で行きたいところは空中楼閣の異名を持つ昆明、美人が多いというウイグル人のいるカシュガル、中国随一の水墨画的景勝地桂川といったところであった。しかしマイルを使っての旅程では乗り換えの待ち時間が長く、5日の旅程でも2日しか滞在できないとことがわかった。それに自分も年老いて、中国語をしゃべるのが面倒くさくなってきた。英語は得意とはいえないがまだ何とかなる。
 では英語の使えるところに行こうというわけで、マカオに目的地を変えた。日本からマカオやその隣の香港は30000マイルでは往復できないのだが、香港のすぐ隣の中国新センは行ける。なので新センまでの往復でマイルを使い、そこから鉄道で香港経由マカオに行けばいいと考えた。マカオに行く大きな理由は、2012年にマカオに行ったときに、マカオタワーからのバンジージャンプをやり損ねたからだ。勇気がなかったこともあるが、人気があって順番待ちが長かったこともある。
 今度こそという気持ちもあった。しかしマカオタワーのウェブサイトにアクセスすると、1回降りるのに4万円程の費用がかかる。ほんの数秒の緊張感と恐怖心を味わうだけに、その費用は高すぎる気がした。しかもビデオと写真は別途料金だ。何だか割に合わない気がしてマカオはあきらめることにした。
 それではスカイダイビングはどうか。これなら地上に降りるまで3分ぐらいは楽しめる。いやこちらの方がいいだろう。そうだスカイダイビングだ。スカイダイビングだ。私はもうそれしか考えれなくなった。
 ではどこでスカイダイビングをしたらいいのだろう。サイパン・グアムは何となく近すぎて面白くない。オーストラリアはどうか。筆者はオーストラリアは2001年にゴールドコースト、2003年にケアンズに行ったことがある。できればまだ行ったことのないシドニーに行きたい。シドニー近郊でスカイダイビングできないか探した。シドニーから送迎付きで約2万1千円のツアーを見つけた。写真動画撮影は約1万5千円の追加が必要だ。ちょっと高すぎの感があるが、一生一度の経験だからやむを得ない。
 シドニーといえば誰もが頭に思い浮かぶのは、屋根が貝殻を重ねたような形をしたあのオペラハウスだろう。さらにシドニー港をまたぐ美しいアーチ橋のハーバーブリッジもその写真を見れば「ああ、あれか」というぐらい有名だろう。とにかくオペラハウスとハーバーブリッジでほとんどシドニーを語れるぐらい有名である。そのハーバーブリッジにはアーチの鉄骨部分を歩いて頂上に登る「ブリッジクライム」というツアーがある。3時間半のツアーが約2万5千円とこれもいい値段だが、スカイダイビング前の度胸試しとしてやってみることにした。
 海外でバイクに乗ったことがないので、オーストラリアで実現できないか検討した。筆者は日本の中型免許しか持っていない。しかし国際免許には中型という区分がなく、中型免許で1000ccの大型バイクが乗れるという。どうせなら日本で乗れない大型に乗ろう。しかしバイクというのは面倒な乗り物である。まず天候に左右される。海外旅行に必須なスーツケースを固定するのが難しい。かぶり慣れたヘルメットを持って来ようとすれば余計な荷物になってしまう。そしてバイクはクルマより事故率が高い。海外で事故したときに面倒臭さは想像しただけでも嫌になる。さらにバイクの事故は自分自身の怪我に直結する。そしてレンタルバイク屋を調べたところ、結構な額の保証金が必要でレンタル費も高い。バイクの車検のない外国では整備がしっかりなされていないとも聞いた。
 そんなわけでレンタルバイクは断念し、レンタカーを借りることにした。ただできるだけ大排気量でゆったり走りたいと考え、日本でいうクラウンクラスを借りることにした。
 さてシドニーまでのルートだが、まず関西から香港までは格安航空のピーチアビテーションを利用する。香港からユナイテッド航空の30000マイルを使ってシドニーに向かう。ここで片道だけではあるがビジネスクラスを利用する。航空会社はタイ航空である。シドニーからの帰りは当初シンガポール経由のシンガポール航空を利用して5月8日月曜日の朝に到着するような便を予定し、実際に購入していたが、キャセイパシフィック航空の香港経由なら月曜日の朝シドニー発当日夜関西着にでき、滞在時間を延ばすことができるので、出発直前に変更した。キャセイ航空の方が約1万円運賃が高い上に、シンガポール航空のキャンセル料が2万円もかかった。
 往路が香港・バンコクを経由するので直行便の倍ほど時間がかかるが、香港の朝食は飲茶を楽しみ、バンコクの4時間の乗り換え時間はタイ式マッサージやビジネスクラス快適なラウンジで過ごすことにする。

 日程は大雑把に次のようなものになった。
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5月2日
関空からピーチ航空で深夜香港着
5月3日
香港で飲茶。午後タイ航空でバンコクへ。夕刻バンコクから夜行便でシドニーへ。
5月4日
朝、シドニー着。市内観光後ブリッジクライム
5月5日
スカイダイビング
5月6日
シドニー市内観光。オペラ鑑賞。
5月7日
レンタカーでシドニー近郊観光。
5月8日
キャセイ航空早朝便で香港経由で夜関空着。
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■■■2.まずは香港へ■■■
2017年5月2日 晴
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↑関西空港ターミナル2
 関西空港に着いたのは19時頃だった。シャトルバスで第2ターミナルへ移動。
「インチョン行きのお客様はおられませんか~」という係員の声を聞きながら、少し歩いて国際線乗り場へ。ピーチ航空の香港行きは機械でチェックインする。搭乗案内書のQRコードとパスポートを読み込んで終了。
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↑ガシャポンが並ぶ
 ガシャポンが異常な数で並んでいるが、誰も利用者はなかった。まだ時間があるので到着口に行ってみる。レンタルWIFIとかプリペイドSIMとかがあるのが、もはやこの世がネット接続が前提になっていることを如実に示している。
 保安検査はまだ空いている。トレイがコンベアの下から出てくる新型だ。数に限りがあるせいかキャリーバックはトレイに載せない。検査器も全身スキャンになっている。
 第2ターミナルの利用は2014年の台湾行き以来3年ぶり。しかし免税品店街は見違えるようにきれいになっている。
 待ち時間は退屈なので、ビールでも飲もうと思ったら売店には売っていなかった。大阪ゴチ食堂にたこ焼きとビールで1000円というのがあったが家で夕食を食べてきたので重すぎる。結局カフェラテにした。メニューには陶器製のカップが描かれていたが、大げさな受信機が鳴って示されたカフェラテは紙コップだった。
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↑搭乗ゲートへ
 これを飲んでくつろいでいると、20時30分頃に搭乗開始。外人も多いが8割が日本人。飛行機はボーディングブリッジではなく、タラップから乗り込む。航空会社は空港に支払う機材使用料を減らすために沖止めにしているのだが、筆者は乗る前に飛行機をみたいので沖止めの方がいい。
 機体はエアバスA320-200で左右3列ずつ座席がある。左はおそらく香港が初めてな日本人カップル。飲茶ガイドなどを読んでいる。
 21時10分に飛行機はA滑走路から南に向かって離陸した。
 離陸後20分ほど経って、飲み物の販売があり、ウォッカトニックを頼む。おつまみ付きで500円はさっきのカフェラテより安いと思う。缶とプラスチックカップを渡された。
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↑これで500円は安いかな
 飲んでいると機内の照明が少し暗くなり、読書灯が必要になった。読書をしたり、これをポメラで書いたり、機内モードでの使用を解禁されたスマホで香港での交通を確認したりした。
 香港到着30分前を告げるアナウンス。
 飛行機は23時50分に着岸した。LCCとはいえ一般のボーディングブリッジを利用する。
 滑走路の下を走るAGTでターミナルを移動。入国審査は長蛇の列。ようやく到着ロビーに着いたのは0時30分だった。
 前回香港に来たときは到着後すぐに両替所が閉まって難儀した経験がある。それに香港行きの列車は深夜は運転していなかった。しかし今は何と列車は動いているし、両替所も開いていた。5年も経てばいろいろ状況が変わるらしい。しかし私は深夜バスのルートにホテルを予約していたので、予定通り深夜バスに乗ることにした。
 ATMでH$500を引き出す。セブンイレブンでミネラルウォーターを買う。これで小銭を作るわけだ。さらに私は前回の旅行で余った香港ドルを持ってきていた。
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↑深夜バスを待つ
 NA11バスは30分程待った。結構な客でどうにか座れた。隣の男性の日本人2人はプリペイドカードを使おうとしてうまくいかず、何とか運転手と交渉してうまくいったようだ。
 案内表示を見てみると、停まると思っていたバス停には停まらないことがわかった。フェリーターミナルから歩く必要があることがわかった。
 1時15分にバスは発車し、NA11は特急バスなので高速道路をすっ飛ばす。しかしなかなか目的地に到着しない。フェリーターミナルに着いたのは1時52分。
 バスが着いた向こう側にタクシーが並んでいる。これに乗れば確実にホテルに着く。しかし私は自力で歩くことにした。深夜でほとんどの店は閉まっているとはいえ、さすがは香港で歩道にはバス待ちの人がいるし、人が絶えない。
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↑金色のホテルのフロント
 多少遠回りしながらも、予約していたベストウエスタンハーバービューホテルに着いたのは2時30分。金色を基調にしたロビーには誰もおらず、レセプションに一人だけ男がいた。バウチャーとパスポートを見せると、カードキーを渡された。カードに書いている手書きの数字が1710に見えたのでその部屋に行くとドアが開かず、レセプションに戻り確認するとそれは2710号室であった。
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↑簡素な部屋(ピンボケで残念)
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↑天井にはシャンデリア
 部屋は刑務所の独房のようだ。ベッドとテレビ、トイレとシャワーのみ。そのシャワーもカーテンはあるものの、使用後はトイレの床が水浸しになるものだった。ただ天井を見上げるとシャンデリアがあった。
 シャワーを浴びて3時に寝た。

■■■3.香港からバンコクへ■■■
2017年5月3日 晴
 8時20分起床。と思ったら携帯電話アラームのセットミスで6時20分であった。この時刻は筆者がいつも起きている時刻だ。
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↑ホテルを出発
 この香港に来たのは飛行機の乗り継ぎの都合であるが、出発まで時間があるので、香港名物の飲茶を楽しむことにした。このホテルを予約したのも近くに地元で有名な店があるからであった。
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↑飲茶「蓮香居」
 その「蓮香居」に着いたのは7時過ぎ。すでに満員で相席になった。ちなみに飲茶は相席が基本である。お茶は普通茶を頼む。焼売、春巻、その他3品を頼む。後から隣に座った同年代の男が見事な手つきで食器を洗う。動画に撮りたいくらいだった。奥には日本人カップルも見かけた。ネットで有名になりつつあるのだろう。
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↑普通茶
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↑伝票
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↑焼売
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↑春巻
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↑店内
 ホテルまでの帰り道を散策する。周辺は海産物の乾物屋が多い。生鮮食料品も多い。
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 面白かったのは坂を登ったところにあった「和歌山物産」という不動産屋で、ご丁寧に「秋田グループ」とも書いてあった。しかしなんで「和歌山」なんだろう?香港人が適当に日本の都市を選んだのだろうか。
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↑秋田グループ和歌山物業
 9時15分、ホテルをチャックアウト。
 近くの地下鉄駅から中環駅に向かう。2004年の香港旅行から使っている交通系プリペイドカード八達通はもはやチャージすらできなかった。窓口もないのでこの使用はあきらめ、現金で片道切符を買った。その片道切符もICカードになっている。
 香港に来たもう一つの目的は、ノキアの端末のカバーを探すことだった。筆者のガラケーはNOKIA301で、今や日本では骨董品のストレート型なのだ。またあわよくば今使っているNOKIAの予備も入手したかった。しかし1軒だけ見つけた電話屋にはスマートフォンしかなく、香港ではもはやガラケーは過去のものとなっている感じだった。
 10時50分発の空港快速に乗る。6割ほどの乗車率で30分ほどで空港に着いた。香港の公共Wifiの電波は拾うのだが、なかなか認証ができず、結果としてつながらなかった。
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↑空港快速改札口
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↑乗車券
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↑空港快速車内
 この香港からはバンコク経由でシドニーまでタイ航空のビジネスクラスを利用する。航空券引き替え書にはビジネスクラスと明記されていなかったが問題なかった。荷物は預けて上級客らしく振る舞うことにした。
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↑香港国際航空タイ航空カウンター
 保安検査が厳重で、鞄を開けさせられ、モバイルバッテリーを示しこれは何かと説明させられた。
 外は曇っている。ビジネスクラスなのでラウンジを利用できる。しかし搭乗時間まで時間がなく、わずか10分の滞在だった。12時45分には搭乗ゲートに着いた。本屋を覗くと「自衛隊史」「東京裁判」「明治維新」といった中国語の本が並んでいた。日本語のファッション雑誌もある。
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↑ラウンジ
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↑軽食とトマトジュース
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↑バンコク行きタイ航空
 飛行機に乗り込んだ。ビジネスクラスは別世界だ。空いていたので指定された席ではなく、脚を伸ばせる非常口前の席にしてくれた。
 離陸前から飲み物が振る舞われる。アイスティー。日本語の新聞も持ってきてくれた。読売新聞の一面は「安倍首相憲法改正に意欲」だった。
 13時17分に離陸した。離陸するとファーストクラスとの仕切りの青いカーテンが閉められた。
 下界に香港島が望める。しかしすぐに雲に遮れられた。
 ビジネスクラスの座席は大きく、フルに倒しても後ろの客に迷惑を掛けることがない。しかも電動で細かい動きを調節できる。
 ビジネスクラスの食事は豪華で量も多すぎるくらいだ。食前酒の赤ワインに付いているつまのアーモンドからして量が多い。終わったと思ったら、果物とケーキもある。テーブルクロスの上に陶器製の皿が並べられた。ウォッカ、ウーロン茶、コーヒーを飲んだ。
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↑ビジネスクラス
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↑食前酒ワイン
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↑前菜
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↑紅茶と持ってきた本
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↑メインディッシュ
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↑フルーツ
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↑ケーキ
 せっかくのビジネスクラスだから座席を思いっきり倒し足りない睡眠時間を補った。
 14時30分頃頃、バンコク郊外が下界に望めた。ビジネスクラスをもう少し楽しみたいところだがもう到着である。
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↑バンコク上空
 バンコクは香港に比べて1時間遅い。14時過ぎに機体が停止した。ボーディングブリッジではなく沖止めであった。ビジネスクラスは優先的に降りてランプウェイバスの座席を確保できる。ファーストクラスは特別のミニバンに乗る。
 ターミナルビルは新しく建設されたはずだがどうも古くさい。バンコクはとても暑く、空調が追いついていない。保安検査場では大型扇風機が回っていた。
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↑バンコク空港の搭乗ウイング
 シドニー行きの出発は19時30分なのでまだ時間がある。この時間を利用してタイ式マッサージを体験することにした。しかし全身をやってくれる本格的なのはなく、足もみか肩と背中のどちらかだ。施術する場所はガラス張りで外から丸見えである。足もみをしてもらっている人の方が多い。それにしても施術中にスマホを触っている人の多いこと。世界中の人がスマホに取り憑かれている感じだ。
 肩と背中をやってもらった。30分600バーツ。実際は30分以上やってもらった気がする。日本のタイ式マッサージに比べて、さすが本場で上手い。痛くもなく疲れがとれる感じだ。
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↑タイ式マッサージ受付
 まだ17時20分だ。それからはタイシルクラウンジで過ごした。Wifiがつながったのをいいことにtwitterばかりやっていた。飛行機に乗ってもたくさん料理が出るので、このラウンジで食べる量は抑えたが、それでも滅多にない機会なので腹3分目に食べた。
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↑シドニー行き搭乗口
 機体はB747-400。2階席に案内された。ビジネスクラスは窓際での楽にトイレに立つことができる。だから2便とも窓際にした。
 前から2列目だった。離陸前にシャンパンを飲んでテンションを上げる。
 飛行機は19時45分に離陸した。
 約1時間後に機内食。スープが韓国料理のカルビタンに似ていた。トイレは2カ所、操縦席の後ろにある。
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↑食前酒
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↑メインディッシュ
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↑スイーツ
 22時0分、眠りに入る。思い立って小説を書き始めたが、その後完成することはなかった。

■■■4.シドニー初日はブリッジクライム■■■

2017年5月4日 曇
 シドニー時間の4時に目が覚めた。
 5時30分頃機内食。食べて後悔するほど量が多い。
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↑ビジネスクラスは朝食も豪華
 やがて左舷に日差しが照りつけ、その後座っている右舷にも日が差した。下界は厚い雲に覆われている。そのうちに陸が見えて海が見えた。目的地シドニーは近い。
 7時17分、飛行機はシドニー国際空港に接岸した。
 8時に入国管理を突破した。ニュージーランドと違って税関や植物検疫は混んでいなかった。とりあえずATMでA$200下ろした。あと残った230香港ドルをA$29.85に両替した。
 まずはシドニーでスマホを使えるようにする必要があるので、プリベイトSIMを購入する。ヴォーダフォンAUとOPUSの2強が鎬を削っている。並んでいる列の長さは同じような感じだったが、前年にニュージーランドでヴォーダフォンを試したので、違う方をということでOPUSにした。黄色と水色を基調にしたポロシャツを着た白人店員、5日間の滞在、データ回線のみで希望すると、A$20で7日間のプランを勧められた。スマホはあらかじめセキュリティーを解除し、システム言語を英語にしていて、店員にセットアップをやってもらった。難なく4G回線が接続された。これでグーグルマップを使えるので道に迷いことがない。しかし同時にyahooやtwitterのせいで無駄な時間を過ごすことになる。
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↑プリペイドSIM屋OPUS
 市内までは地下鉄で向かうことにしていた。OPALカードを入手した。OPALカードはJR西日本のICOCAのようなICカードで、フェリーを含む市内交通はこれ一枚で済む。A$40チャージしてもらった。ICOCAと違って保証金は不要である。
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↑OPALカードを購入
 空港から2号線でセントラル駅へ。このセントラル駅は多層式になっていてわかりにくい。表示もしっかりしておらず、都市交通になれている筆者でも戸惑った。
 ようやく4号線に乗り、キングスクロス駅に着いた。シドニーの電車はすべて2階建てだ。着席できるのはいいが、扉が2つしかないので乗り降りに時間が掛かっている。
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↑シドニーの電車は二階建て
 予約していたホテル「ホリデイインポッツ」は駅のすぐ近くにある。9時30分にホテルに到着。とりあえずトイレで、ジャケットに着替える。オーストラリアのトイレの出入り口は宇宙船のエアロックのように二重扉になっているところが多い。
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↑ホテル「ホリデイインポッツ」
 部屋の用意まで1時間かかるということなので、荷物を預けて外出する。本日の予定はシドニータワーアイの最上階の回転レストランで昼食。その後ハーバーブリッジのブリッジクライムを体験し、夜はディナークルーズとなっていた。ジャケットに着替えたのは一応レストランでの食事が予定されたからだ。初日から詰め込みすぎの感があるが、とにかく時間が足りないから仕方がない。
 シドニータワーの昼食は11時チェックインなので、まだ十分な時間がある。地下鉄で最寄り駅まで乗る。OPALの特典として、一日8ドル以上利用すると、その後はどれだけ乗ってもそれ以上請求されることがない。空港から乗ったのですでにこの条件を満たし、その後は請求はなかった。
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↑電車のドア
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↑二階建て電車内
 シドニーの繁華街の印象は、ブランド物の店が並んでいて日本の銀座みたいだ。でも建物はヨーロッパ風。道路が狭くてクルマも走りにくく、人も歩きにくい。歴史の浅い国なので特徴のある建造物が少ないという点だ。筆者からするとどうもヨーロッパになりきれない中途半端さを感じてしまう。ブランド物を買うのなら、値段はともかく日本の方がいい物が手に入ることだろう。
 ハイドパークのベンチで時間を潰す。小学校の遠足や地元の老人が憩う。オーストラリアにはシギがたくさん居て、人を恐れずベンチなどに止まっている。
 大道芸人は電子ピアノを弾いていて、マイウエイ、ニューヨーク・ニューヨーク、ミッシェルなどを演奏していた。
 シドニーは秋のはずだが、ジャケット一枚でちょうどいい感じだ。ベンチで座るよりも、ホテルの部屋で寝ていたい気持ちだ。強行日程を組んだ自分が悪い。
 それにしても中国人の観光客が多すぎるほど多い。あと韓国人も幅を利かせている。日本人はこの旅行を通じて確認されたのは10人に満たない。案内標識も中国語は普通にあるし、韓国語も重要なところにはある。しかし日本語の看板は本当に数えるほどだ。そうされてしまうほど日本人観光客が減っているということだろう。オーストラリア海軍が確実だった日本の潜水艦の発注をやめてドイツ製に切り替えたのは、やはり中国を刺激したくないという思惑もあるのだろう。
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↑ハイドパーク
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↑シギは近づいても逃げない
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↑公園から見たシドニータワー
 回転レストランはタワーの4階でチェックインする。4階といっても実質は2階でエスカレータを一段上がったところにある。
 11時10分にそこに行ったが、早すぎたらしく11時30分にもう一度来てくれとのことだった。フロアは筆者には縁のないブランド品ばかり並んでいる。SUSHI RIOという回転レストランがあった。客はまだいない。寿司は本当に世界食になった。
 11時30分にカウンターに現れると、既に先客がいた。観光客よりも、地元の人の方が多い感じだった。扇型のエレベータに乗り込む。筆者は押し込まれるように扇の要の位置に立たされた。ドアの上にモニターがある。これはこの別のエレベータ内部を映しているようだ。どういう意図なのだろう。
 窓際の席に案内された。曇り空でもう一つだが、強い日差しに悩まされることはない。料理は好きなものを自分で取るビュッフェ形式。味はとりわけ旨いわけでないが不味いわけでもない。平凡そのものだろう。それよりも眺めのいい回転レストランというところに意味がある。
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↑回転レストラン(窓側席)
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↑料理1
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↑料理2
 中国人や韓国人の団体観光客がいるが、彼らは窓際でなく上の方に座らされている。この回転レストランで残念なのは、ビルに阻まれて、シドニーの象徴たるハーバーブリッジとオペラハウスがよく見えないことだろう。これはほとんどの観光客が残念に感じるはずだ。
 シドニー観光の最初にシドニータワーに訪れたのは、高いところが見た方が地理を把握しやすいからだ。その目的は概ね達成された。
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↑軍艦が見える
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↑ハーバーブリッジが見える
 食事はバイキングだが、飲み物は別だ。このあとブリッジクライムなので、高所で足元がふらつくことがないようアルコールを控える必要があったので、酒は飲まなかった。コーヒーも飲まず水だけで過ごした。
 窓の脇に黒い鞄があった。客の誰かが置き忘れたのだろう。回転レストランらしい光景だ。レストランは約1時間で一周する。1時間10分後に退出した。何も追加料金はないのでそのままエレベータで降りた。
 タワーからはそのまま北に向かって歩く。メインストリートはライトレールか地下鉄の工事中で車線が狭くなっている。
 フェリー乗り場にやってきた。桟橋が6つあり、行き先別に分かれている。ここでもOPALが使えるので、自動改札がある。ほとんど駅と変わらない。
 豪華客船が停泊している。この船はイギリス船籍のクルーズ船、「ゴールデンプリンセス」だ。総トン数10万トン超。海に浮かぶホテルともいうべき偉容で、標準の乗客定員は2600名。驚くべきは船員は1100名に達することだ。さすがは人的サービスを売り物にする豪華客船だ。
 船とオペラハウスの写真は絵になる。というか船の行き交うシドニーでは船を映さずにオペラハウスやハーバーブリッジを撮影するのは難しいくらいだ。ハーバーブリッジの偉容もさすがである。だが曇り空のせいか、オペラハウスの白い屋根がクリーム色に見える。なんだか思ったほどきれいではないなあ、とその時は思った。
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↑オペラハウスが見えてきた
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↑曇空でちょっと残念
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↑ゴールデンプリンセスの船首
 オペラハウスに近づいてみる。テラスではお茶を楽しんでいる人が多い。ざっとみて半数は中国人だ。本当にどこにでもいる。
 ハーバーブリッジを見ながら、明日のスカイダイビングの事務所へ「明日行かせていただきます」と再確認の電話をする。
 次はブリッジクライムだ。これはハーバーブリッジのアーチ部分を通って歩いて渡るツアーで大変人気があると聞いている。しかし料金はとても高くて2万円以上する。ここの受付には当てすっぽうで歩いて行くと道に迷い、グーグルマップのおかげで予定より少し前の14時30分にようやくたどり着いた。
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↑ブリッジクライムの受付
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↑待合ロビー
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↑参加チケット
 ツアーは11~12人一組で行われ、専用のスーツを着る。橋から物を落とさないように、ポケットには一切物が入れられない。腕時計も不可である。ほぼ下着の上からスーツを着ることになる。そのスーツは欧米人に合わせているのでブカブカである。脱衣所で着替えた服はロッカーに入れる。さらに金属探知機のゲートを通る。
 同意書は英語である。ほぼNoにチェックしておけばよかったが、ひとつだけYesにチェックしなければならないところがあった。筆者は隣の人のをカンニングしていたのでOKだった。
 私のツアーは米国人が2人、英国人の家族が4人、インド人の4人と11人だった。なぜそれがわかったかというと、円陣を組んでそれぞれ自己紹介したからである。
 案内は中国系オーストラリア人の男性。ちょっと幼なじみの顔に似ている。まずは保護ベルトを着ける。そして命綱をつける。橋の柵にはカーテンレールのようなものが並行して走っていて、それに取り付けるわけだ。80kgの重量まで耐えられるという。
 最初に屋内に設置された階段を使って昇り降りの練習する。一段一段登るところを間違えて、命綱を引っ張ってしまい、右腕に傷を負った。意外に深手で2週間ほど治らなかった。
 さていよいよアーチに登る。私は米国人に続き3番だ。ツアーガイドは英語でいろいろ橋や目にする建物について解説してくれるが、英語を理解しない筆者は有益な情報をほとんど捨てていることになる。それでもスティーブン・ジョブズに似た米国人は何となく筆者のことを気に入ってくれているようであった。
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↑ハーバーブリッジ(これは別の日に撮影)
 ブリッジクライムはこの写真の橋のアーチの鉄骨部をグループで登る。上面アーチを登るツアーと下面を移動して中心部で最上部に上がるツアーがあり、参加費はもちろん眺めのいい上面アーチを登るツアーが高く人気もある。

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↑日没時が一番人気のある時間帯
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↑シドニーの夜景(アーチにいる人が見えるだろうか)
 前述のようにカメラは持ち込めないのでこの上の2枚は参加者に配布させる画像データを引用している。
 カメラも録音機も時計もないので、記憶に頼るしかない。はじめに腰をかがめながら狭い通路を通って橋桁へ。そこからしばらくしたところで2人のインストラクターが安全のために待機していて、狭い階段を登っていく。インストラクターは「スクイズ」と言っていたので一人ずつ登っていくことになる。
 あとはアーチの上面の高いところを歩いて行く。思ったよりも幅が広いし、傾斜も緩やかで恐怖感もない。怖いのは階段を登るところだけではなかろうか。
 このツアーの特権としてはオペラハウスがよく見えることだ。ハーバーブリッジの歩道からも見えるが、落下防止用の柵が邪魔だ。それに邪魔されずに見るにはこのツアーに参加するしかない。難点はカメラを持って行けないので、ツアー会社の高い写真を買わないと行けない点だろう。写真は集合写真は標準で付いている。ただし3カ所で行われる個別の撮影は気に入ったのを買う別料金である。欧米人は年配の人でもポーズを取るのが上手い。感心する。自分のより彼らの方をもらって勉強したいくらいだ。
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↑購入写真
これはスタッフに撮ってもらった写真。オペラハウスは当然として、ゴールデンプリンセスが映っているのはお得感がある。
 17時を過ぎると日没を迎え、寒気を感じはじめた。腰に収容されていたヤッケを着る。シドニーのサンセットをこんな高く開放された場所で見れたのはよかった。一度は経験した方がいいと思うがそれでも料金は高いと思う。
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↑ブリッジクライム認定証
 オフィスに戻ってきた。着替えるときにやや失敗した。最後に輪になって背中のフックを外すのだが、しなくてもいいジッパーを下ろしてしまったのだ。前のインド人はおかしいとは思ったが英語の理解しない日本人だから仕方ないかと複雑な表情だった。
 しかし背中のジッパーを下ろすのは身体の堅い私には難儀だった。その時ジョブズが助けてくれた。
 着替えの際、アンケート用紙が渡されたが、当然英語で読むのに時間が掛かる。私の着替えが終わったのは最後だった。
 しばらくオフィスで休憩してから、18時20分に出る。
 次はキャプテンクックのサンセットディナー。正直食べてばかりでこの上にディナーは不要かなと思っていた。あまり乗り気でなかったが、船の上の食事なので楽しみにしていた。
 しかしヴァウチャーに書かれたチェックインの19時より前に指定された6番桟橋にやってきたのに、キャプテンクックの窓口は閉まっている。これはいったいどういうことだと思っているうちに、停泊していたクルーズ船は出港してしまった。案内書をよく読むとクルーズ船は19時に出港と書いている。しかも船は実際に19時に出港した。つまり主催のキャプテンクックに落ち度はなく、仲介したベルトランのヴァウチャーの表記が19時チェックイン、19時30分出港と書いていたのが間違いのもとだったのだ。後でベルトランにメールして返金を依頼することにした。
 ホテルに戻りチャックインした。オーストラリアは英国式の階数表記で1階すなわち日本では2階である。エレベーターはカードキーを近づけないと、階数を押せないようになっている。カードはなぜか2枚ある。
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↑英国式エレベータ(2階が1階、1階が地階G)
 部屋は2階で窓が馬蹄形の建物の内側に向いているので眺望はゼロに近かった。設備もそんなによくない。ダブルベッドは1台。枕は硬いのと柔らかいのを選べる。客室金庫あり、アイロンと台がある。Wifiはあるようだが有料なので利用しなかった。LANケーブルがある。バスタブはあるのはありがたいが、シャワーの高さが変えられず使いにくい。女性用のコスメは充実しているのに、歯ブラシやカミソリがない。洗面所は蛇口が固定されていて使いにくかった、ミネラルウォーターが冷蔵庫にあるが、初日の1本だけだった。
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↑ベッド
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↑テーブル
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↑バスタブ
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↑洗面台
 ホテル内に洗濯機はなくクリーニング代は高い。下着だけで3000円はかかる。この利用は現実的でないと考えた。次に近所にコインランドリーがないか探す。グーグルマップでコインランドリーとカタカナで入力すると、近くのコインランドリーが検索される。コインランドリーの英語名を入れる必要がないのである。グーグルのビックデータ蓄積による言語解析技術は目を見張るものがある。あと5年もすれば同時通訳や観光案内通訳案内人は失業するのでないだろうか。
 実際にそのコインランドリーに行ってみた。閉店していたが中身が見える。洗濯機と乾燥機が2台ある。しかしこれを観光客である私が使えるだろうか。コインランドリーはあきらめ部屋で洗濯して干すことにする。
 オーストラリアではHOTELと書いたバーが多い。これは禁酒法の影響でホテルであれば酒を売っていいという頃の名残だ。そこでの食事も考えたが、どうも騒々しいので退散した。といってSubwayのホットドッグで夕食というのもさみしすぎる。結局ホテルに戻り、ホテルのレストランを利用することにした。チキンパスタを選んだが出てきたのは雑炊のようなものであった。ここ数日大食気味だったので、量には不満はないが、ビール込みの値段がA$31と高すぎる。2500円もするのは自分からすると詐欺に近い。しかしこれはホテルのレストランのお約束なのである。
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↑ビール
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↑雑炊みたいなパスタ
 風呂に入り、洗濯をする。テーブルと椅子を使って物干し台を作る。
 寝たのは0時。

■■■5.さあスカイダイビングだ■■■

2017年5月5日 晴
 6時45分起床。洗濯物はほぼ乾いている。朝食はビュッフェ形式で主食はシリアルに牛乳にした。海外独特のカリカリベーコン。野菜が堅いと思ったらそれはジューサー用だった。MOCHAを選んだがそれはココアだった。このあたりのいい加減さはオーストラリアらしい。
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↑シリアルの朝食
 エレベータでカードキーをかざしていると、一緒に居た入れ墨の男が「パインデアース」と言っていた。どこの国の言葉かわからない。
 8時、ホテルの前に大型のバスが待っていた。これがスカイダイビングツアーのバスだ。乗り降り口に座っている恰幅のよすぎる男に名前を告げると、他に待っていた3人の東洋人とともに乗り込んだ。
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↑スカイダイビングの送迎バス
 シドニーの道は狭く一方通行が多い。渋滞も日常的でバスも走りにくそうだ。今日は金曜日で出勤ラッシュの只中である。
 セントラル駅の近くで長時間停車する。ここでの乗車が大多数だ。30人乗りのバスはたちまち満員になった。バスはなかなか発車しなかった。韓国人の連れが寝坊しているのかまだ現れていないようなのだ。その他何とか乗れるように交渉したりする人がいた。急いでいる人は前のミニバンに乗って先行した。
 結局バスは9時10分に動き出した。隣の韓国人は来なかった友人に連絡を取ろうとホテルに連絡しているようだ。その英語は確かに筆者より上手かった。
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↑ダイビングオフィスに到着
 10時50分、WooloonのStuartParkに到着した。ここにスカイダイビングの事務所がある。バスは草むらに停車し、ぞろぞろと降りていった参加者が同意書にサインしていた。英語はおそらく「もし死んでも責任はとりませんよ」といった趣旨の内容なのだろう。しかしこの同意書はどこで入手したのかわからなかった。あとでさっきの運転手が参加者に配っているのを見て「ミートウ」というと、彼は面倒くさそうに無言で渡した。
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↑同意書に署名する
 この同意書とバラシュート協会の入会金A$30と任意の傷害保険A$30が必要だ。
 参加者は白人よりも有色人種が多く七割を占める。その中の半数は中国人で半分は韓国人だ。男女比率は半々だ。日本人は大型連休だというのに筆者だけであった。
 12時00分、名前を呼ばれた。同意書を渡し、タブレットで入会手続きした協会入会金と保険金を支払う。荷物をロッカーに預ける。当然財布、パスポートを含む貴重品は身に付けて飛び降りることはできない。ロッカーといってもただの棚で鍵はない。パスポートを盗られたがどうする気なのだろう。それも自己責任だろうか。
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↑入会と保険契約はタブレットに直接入力する
 すぐに私の名を呼ぶ男がいた。私と一緒に飛ぶミック氏である。サッカーのジーコに似ている。 砂袋の入ったウエストベルトとスパッツ、安全ベルトを身につける。すっかり落下傘部隊だ。
 一緒に飛行機に乗る7人が集められ、簡単なレクチャーを受ける。まず飛び出すときは両手で肩紐を持ち膝を外側に曲げる。空中では両手を広げる。着地の際には両手で腿を持ち上げ脚を伸ばす。これだけである。
 12時10分、参加者とインストラクターを乗せたバスが発車した。12時30分に空港に着いた。小型機専用というわけでなく、カンタス航空の大型機も停まっていた。
 格納庫を抜けるとセスナ機が待っていた。SKYDIVERと書いた青い機体の高翼機だ。
 私が乗り込んだのは最後だった。しばらくすると飛行機は動きしばらく待機した。私の身体の横にある透明のシャッターは開いたままだ。ミックから「お前が最初に降りる」と告げられた。横のシャッターは開いたままで機体は動き、離陸寸前になって閉められた。
 飛行機は高度を上げる。離陸してから5分ほど経っただろうか。ミックがシャッターが開いたら脚を外に出し、合図で飛び出すと言われた。そして扉が開いた。筆者の脚は外に出てブラブラしている。下界を見ると脚がすくむ。まさに地に足がついていない。反射的に左手で扉の上のバーを掴んだ。ミックと私はそれをふりほどくように飛び出した。私は何やら叫んだようだが、高度4000mからの落下はなかなか下界の景色が近づかない。ミックが手を伸ばしてと日本語でいう。ハンディカメラに向かってポーズ。英語でグレイトとコメントする。思ったよりも顔に受ける風圧を感じない。高速道路を走るクルマから顔を出した方がそれを感じるのではと思ったほどだ。
 1分ほど経過してからパラシュートが開いた。こうなると空中に浮いているようなものだ。ミックは体重移動で方向を変える。下界は一面の草原というわけでなく、製鉄所もあるし、民家もある。シドニー方面に続くビーチが息を飲むほど美しかった。
 ケーブルを手渡されお試しで方向を変える。右を引くと右に曲がる。このあたりの融通は日本だと許可されないだろう。
 徐々に事務所近くの芝生が近づいてきた。私は指示された通り脚を伸ばしドンピシャのタイミングで着地した。
 私はカメラに向かってのインタビューで「死ぬ前にいい経験ができた」と英語で応えた。戻ったのは13時であった。つまり乗ってから降りるまで1時間ということだ。
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↑飛行機に乗り込む
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↑ダイビング前の不安な筆者
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↑飛行機は徐々に高度を上げる
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↑ついに飛び降りた
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↑風を顔に受けて
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↑見事に着地
 帰りのバスが発車するのは16時30分だと聞いた。時間が有り余っている。
 事務所に一番近いレストランは入り方がわからず、少し離れた海辺のDIGGIESCafeというレストランに行く。DIGGIES CHEESE BURGERとアイスレモネードを頼む。海を見ながら、海風を感じながら食事するのはなんともいえないよい気分であった。これにはスカイダイビングの高揚した気持ちも作用しているに違いない。無意識に声が出ていたのか声がやや枯れている。
 この店はさすがに観光地化しておらず中国人はほぼ皆無だった。
 DIGGIES CHEESE BURGERのメニューをあらためて見てみると、wagyu beef partyとあった。実際に和牛を使っているかどうかは問題ではなく、オーストラリアの日本人のほぼ寄りつかないようなレストランでこのような言葉が使われているということに軽い衝撃を覚えた。wagyuはブランド化しているのだろうか。
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↑レストランDIGGIESCafe
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↑DIGGIES CHEESE BURGER
 ハンバーガーはとても大きく口を開けて食べられるものではない。ナイフとフォークで切ったが、どうも違うような気がする。正しい食べ方を調べようと思う。フライドポテトが山ほど付いている。オーストラリアではこれがご飯代わりだ。こんな油の塊を毎日食べていれば、そりゃおなかがポンポコンリンのメタボになるはずである。
 10分ほど歩いて事務所に戻る。
 予定の16時30分を過ぎてもまだハーネスをつけている人がいる。戻ってくるのに1時間かかるから、バスが出発するのは早くて17時30分となろう。スマホの音楽を聴いたり、草むらを歩くカモと遊んだりして時間を潰す。
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↑まだ飛んでいる人がいる
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↑黄昏が迫ってきた
 予想通り17時30分バスは出発した。外はもう黄昏時であった。往路は満員だったのに、帰りは8割ぐらいしか乗っていない。残りはどうやって帰ったのだろうか。帰国後に調べてみると、歩いて10分ぐらいのところにFairy Meadow駅がある。そこから電車で帰ればこの無駄な時間を過ごすことはなかったのだ。
 19時20分、バスが停まった。筆者は乗り込んだホテルの前まで送ってもらえると思ったので、バスの中で一人残っていた。するとスタッフが「まだ一人いるぜ」とタバコをふかしている運転手に声を掛け、私に「降りろ」と指示した。
 どこに停まったのかわからなかったが、グーグルマップを起動してセントラル駅の近くだとわかった。セントラル駅はその名のとおりシドニーの中央駅で上野駅のような行き止まりホームと高いドームを有している。金色に照明された構内は美しく、ホテルまで送ってもらえなかった不満は消えてしまった。
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↑金色に輝くセントラル駅
 ところで今夜の夕食はオーストラリアのビーフステーキをがっつり食べたい。スマホで店を検索する。
 19時46分発のライトレールという路面電車に乗る。車内で運賃収受は行わず、ホームにあるカードセンサーにタッチする。これではただ乗りをしようと思えばできる。いわゆる信用乗車である。
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↑路面電車で一駅乗る
 一駅なのですぐに着いた。ジョージストリートを北上する。この周辺はシドニーの中心街だ。写真を撮ったが不鮮明で店の名前は不明だが、「六○○串」というような名前の店に中国人が行列を作っていた。
 20時00分、Scruffy Murphyという店に入った。2階に上がる。BISTROとあるが実態はバーに近い。カウンターで注文して、渡されたバイブが鳴ったら、厨房へ取りに行くというシステムだ。ティーボーンステーキを注文した。露出度の高い衣装を着ているバーガールに「バーボンが欲しい」というと通じなかったらしく、XXXGOLDというビールに切り替えた。代金はその都度払う。
 店内には大型テレビがあり、オーストラリア対ニュージーランドのラグビーテストマッチを放映していた。店内はスポーツバーのごとく盛り上がっていた。盛り上がっているのは若者で年寄りは冷淡だった。奥の方に日本人観光客らしきカップルが見える。
 10分ほど経ってステーキを取りに行った。座ろうと思った席は予約席の札が置いてあった。仕方がないのでカウンターで食べる。カウンターでステーキを食べるというのは変だが仕方がない。
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↑オージーステーキ
 ステーキの量はちょうどよかったが、肝心の味の方は牛肉らしいコクはなかった。しかしこれが14ドルということを考えれば妥当だといえる。
 半時間ほど経って店を出る。地下鉄で帰る。エスカレータに乗ると「SUPER DRYJPN極度乾燥」と書いた上着を着た女性が前にいた。日本人から見たら全然お洒落に見えないが、欧米人から見たら日本の英語をプリントしたTシャツは相当おかしいのだろう。
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↑SUPER DRYJPN極度乾燥
 晩酌しようと酒を求め、近くのスーパーに入る。残念ながらアルコールは置いていなかった。品揃えは外国では標準的なもので、バカみたいにでかい牛乳瓶がある。キッコーマン醤油を置いていた。何も買わずに外に出た。
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↑Colesはオーストラリアを代表するスーパー
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↑中段右にキッコーマン醤油がある
 21時20分ホテルに戻る。
 風呂に入ってから、テレビを見る。NHKは映らないが、中国のCCTVは3チャンネルもある。

■■■6.シドニーを走る・動物園・オペラ鑑賞■■■
2017年5月6日 晴
 8時起床。朝食はルームナンバーを告げるだけだ。スタッフがマーカーでチェックする。レーズンパンにヨーグルト。しっかりと栄養補給する。
 このホリデーインは飛行機の客室乗務員の宿泊としても利用しているらしい。制服姿の女性がフロントの前やこの朝食会場にいる。
 9時25分ジョギングに出発。今回はこの旅行用に小さくたためるナイキのフライニットのシューズを持ってきた。このフライニットは大雑把にいえば、厚い靴下にゴム底をつけたシューズで、軽量かつフィット感に優れている。欠点は雨に濡れると水が染みこんで、レースでは戦闘力を失うことである。
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↑フライニットのシューズ
 目的地はハーバーブリッジだ。その歩道を往復する。ハーバーブリッジはオペラハウスが見える方に歩道がある。自転車道は反対の鉄道線側にある。つまり景色のいい方を歩く人の多い観光客用にしているのだ。
 地図を見るのだが、この歩道にどうやって入っていけるのかわかりにくい。最初に入った道は自転車道だった。行ったり来たり迷っている内についに入り口を見つけた。Cahill Walkの看板があった。左に行くとオペラハウス、右に行くとハーバーブリッジ。勝負は終わった。ついに入口を発見した。あとはただひたすら走るだけだ。
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↑歩道への入口を発見
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↑階段を上がる
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↑ハーバーブリッジは右へ
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↑歩道を進む
 ハーバーブリッジにやってきた。歩道は十分な広さがあり、のろのろ横に広がって歩く観光客がいても、ジョギングする人はかわすスペースがある。実際、ジョギングしている人は多い。
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↑ハーバーブリッジの歩道
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↑無骨な金網
 この歩道の残念なのは両側に金網があって、眺望がすごぶる悪いことだ。しかし安全のためには仕方がない。オペラハウスだけを撮るのであれば隙間があるので大丈夫だ。
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↑オペラハウスも肉眼ではこんな感じ
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↑金網の隙間から撮影
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↑歩道を引き返す
 橋の向こうに着いた。着いたところに電車の駅がある。大概の人は片道は電車を利用するようだ。
 道路の向こう側にあるATMで現金を引き出す。来た道を引き返す。もう十分に撮ったはずのオペラハウスをまた撮った。歩道をまっすぐ進むと、ハーバーブリッジを左、オペラハウスを右に見えるところにやってきた。ここはサーキュラーキー駅の真上で、眼下には船着き場がある。
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↑サーキュラーキー駅の真上の休憩所
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↑左にハーバーブリッジ右にオペラハウス
 歩道の途中にバス停のような休憩所があり、ここで記念撮影。逆光なのでフラッシュを点灯させるが、それでも顔は黒く潰れる。すでにさんざん撮ったハーバーブリッジだが、ここから見るのもきれいだ。
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↑晴天のハーバーブリッジ
 車道に降りる。もしジョギングするならここから入った方が抜群の景色を堪能できる。しかしこの歩道への入り口には何の案内標識がないのは不思議だ。
 シドニーの歩道に立っているポールには自転車を固定しやすいように円形のパイプが設置されている。いいアイデアである。
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↑ポールに固定された自転車
 11時50分、ホテルに戻る。シャワーで汗を流してから2度目の洗濯。まだ部屋の掃除は来ていない。
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↑ジョギングしたコース(橋のたもとで道に迷っている)
 12時半に再び外出する。目指すはタロンガ動物園。地下鉄のセントラル駅で迷う。ここの案内板はわかりにくい。あれでは観光客が迷うのも無理ない。
 タロンガ行きのフェリーの出発まで30分近くあるので、波止場の近くのカフェで昼食。テラスに座る。背中に受ける日差しがまぶしい。カフェモカとフィッシュアンドチップス。今夜はオペラを観るので、夕食は観劇後の21時ごろとなる。腹持ちのいいフライドポテトを選んだというわけだ。量は期待通りであった。
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↑フィッシュアンドチップ
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↑カフェモカ
 5番桟橋にやってきた。運賃はOPALカードで支払える。緑とクリームに塗装されたLADY NORTHCOTTという名の船は既に接岸しているが、まだ乗ることはできない。
 船は14時に出港。内部には椅子があるが、ほとんどの人はデッキに出て景色を楽しんでいる。船は12分ほどでタロンガ動物園に着いた。
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↑ヨットの白い帆も映える
 歩いて3分ほどのところに動物園の入り口がある。A$46の料金を払うと右掌に赤いスタンプを押される。
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↑タロンガ動物園入り口
 さて園内は確かに動物はいるのだが、動きがなく元気がない。カンガルーは寝てるし、コアラは起きているがこちらに向いてくれない。アシカはいるが遠く離れたところで寝ている。象はいったいどこにいるのかわからなかった。なんだか日本の動物園の方がいいと思うし、これで約4000円の入場料は高いと思う。
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↑ヒツジ
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↑コアラ
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↑キリン
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↑ゴリラ
 でもまあせっかく入場したのだからとせっせと歩き回った。一番いいのはハーバーブリッジとオペラハウスの眺め。シドニーの魅力は結局この二つの建造物で9割表現できる。
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↑動物園から見たハーバーブリッジとオペラハウス
 この動物園で面白い試みは園内の上空にロープを張り巡らし、縄梯子を渡ったりとアスレチックをしながら園内を巡るツアーがあることだ。日本では危ないといって許可されないだろう。面白そうだがおそらく家族連れが対象なのでやめておく。
 不思議なのは土曜日で客もそこそこいるのに、園内のカフェとかはほとんど閉まっていることだ。その客層だが、半分はオーストラリア人で残りが観光客。その8割は中国人だ。
 つまらないので予定より1時間早く退園した。入ったところとは違って、目の前にフェリー乗り場がある。
 案内板にサーキュラーキー行きと書いているの確認して船に乗る。16時30分出港。
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↑間違った船に乗る
 後方のデッキに立っていると、オペラハウスがどんどん遠ざかっていく。どうやら逆方向に進んでいるらしかった。そういえば、この船はさっきの緑クリームの公営フェリーではなく、キャプテンクック・クルーズの船だ。焦りはするが時間は十分ある。いやかえって時間つぶしにはちょうどよかったかもしれない。
 船はワトソンズベイ、マンリーを経由して結局タロンガに戻ってきた。船内に時刻表があるが、到着時刻は10分ほど遅れている。その後サーキュラーキーの外国船ターミナル寄りの船着き場に着いた。日は暮れてハーバーブリッジはライトアップをはじめている。その写真を見ると船の揺れでほとんどぶれていた。
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↑黄昏の揺れる船上からの撮影ではブレるのは仕方がない
 オペラの開演までまだ時間があるので、お土産を買うことにした。グーグルでおみやげと入力すると、いくつか店が出てきた。高架駅の向こうの道路を渡ったところにあるオーストラリア・ギフトという店に行った。ここでTシャツやらぬいぐるみやらカンガルーの革製のポーチなどを買った。
 雨が軽く落ちてきた。傘がいるほどでもないが折りたたみ傘を買った。女性向きの派手なやつにした。
 雨宿りしながらオペラハウスに向かった。沿道のテラスには雨も気にすることなく大勢の人が食事を楽しんでいる。
 18時30分、オペラハウスは神々しいまでにライトアップされていた。正面の大階段を上がり、オフィスボックスに予約しているヴァウチャーを見せる。すると女性はエスカレータで下に降りてくれという。オフィスボックスはふたつあるらしい。
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↑幻想的な夜のオペラハウス
 しかしこれがなかなか見つからず、OFFICE BOXの表示にしたがって歩くと元に戻ってしまった。右往左往しているうちにようやく、別のオフィスボックスが見つかった。あとで考えるのこのオペラハウスは複数のホールがあり、最初に行ったのは大ホールだったようだ。
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↑チケットハウス
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↑チケット
 ヴァウチャーを示すとチケットと引き替えてくれた。DOOR1からは入りQ2席に座れと書いてある。時間があるのでオフィス前のベンチに座って待つ。ここでも人々は酒など飲んで開演を待っている。筆者は水と昼食のポテトの残りを食べる。買ったMOUNT FRANKINというミネラルウォーターは4.5ドルもした。炭酸水だった。
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↑劇場内
 19時20分、会場に入る。もぎりの女性はチケットのQRコードをチェックする。Q2席は端っこであった。ホールは想像していたよりもずっと狭く、地元の映画館と同じくらいに思える。実はこの公演は大ホールであるオペラシアターではないく、プレイハウスという小ホールを使用しているらしい。前に座っている男の頭が邪魔でステージが見にくい。
 演目は「Two Weddings,One Bride」。古典的なオペラではなく、新作のオペレッタである。どうせなら誰でも知っているのにしたかったが、この日はこれしかないから仕方がない。料金は8459円だった。
 19時30分開演。自分の英語力ではある程度のストリーが頭に入っていても理解できないも同然だった。観客が笑ってもなぜ笑うのかわからない。歌舞伎のように外国語のイヤホン解説があればありがたいがそんなものはない。英語は理解できて当たり前でしょ。そんな感じなのだ。まあいい。こっちが勉強すればすむことだ。もっと英語を頑張ろう。
 ただ言葉はわからなくても、演技はわかる。時間と空間を共有する演劇の素晴らしさを堪能できた。役者は8人程度で音楽はピアノのバイオリンのみ。最後にかかっていた曲は「天国と地獄」だった。
 1時間半ほどでオペラは終了。まずまず楽しかったが、言葉がわからないという苦痛も同時に味わった。
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↑ライトアップされたオペラハウス
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↑実際はもっときれいな夜のハーバーブリッジ
 夕食はフェリー乗り場近くのCity Extraに入った。赤く照明された店内。ヴィクトリアグリルを食べた。ワインを2杯飲んでしたたかに酔いしれた。シドニーでの最後の本格的な夕食であった。
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↑本日の夕食
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↑白ワイン
 地下鉄を乗り継いでホテルに戻ったのは23時15分だった。

■■■7.オーストラリアをドライブ■■■

2017年5月7日 晴
 目が覚めたのは8時33分だった。レンタカーは8時に営業所に行くといってあったから寝坊である。レンタカー会社に遅れる旨連絡しようとしたら、用件承りセンターみたいな音声案内が流れ超面倒くさいので途中で切った。慌てて朝食をとり、9時前にチェックアウトした。
 幸いAVISレンタカーの営業所は歩いて5分くらいのところにある。日本で予約したヴァウチャーを提出し、パスポートと運転免許証と国際免許証とクレジットカードを見せる。
 太った女性が下の階にある車庫に案内してくれて、借りたクルマと対面した。オーストラリアのホールデン・CALAISという白いクルマだ。最後の海外旅行のつもりだったので大型車をしたのだ。排気量は3000ccだ。
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↑営業所の車庫に待機するCALAIS
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↑センターコンソール
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↑メーター回り
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↑運転席
 装備も立派でシートは電動で、近接センサもある。最初電動シートの位置合わせがわからず、もう一度女性を呼んだ。エンジンはブレーキを踏んでボタンを押すだけメーターの照明はドアを開けることで消える。サイドブレーキも電動で、小さなスイッチを引き上げるだけだ。何だかどうでもいい機能だけが充実している。
 ナビの設定やカメラの取り付けなどで出発したのは10時だった。インターフォンを押して車庫のシャッターを開けてもらう。
 ナビはクルマのと自分のスマホのグーグルマップを併用した。
 左に曲がるべきところを右に曲がってしまい行き止まりでUターン。しかも曲がるところを間違えて、しばらく走ってUターンした。とにかくナビの指示通りに走る。
 まずはAirportを目指す。道路が滑走路の下を走っている。タイミングよくJETSTARの飛行機がタキシングしていた。
 片側3車線の道路を走る。人口400万人のシドニーなのでクルマはそれなりに多い。快走というわけには行かない。10時45分頃には渋滞に捕まった。沿道はそれなりに店はあるが簡単に休憩に入れるような店はない。
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↑シドニー郊外は混んでいる
 しばらくすると自動車専用道路に入った。オーストラリアの自動車専用道の特徴は路側帯を自転車が走行できることだ。走っているのは見かけなかった。しかし幅は十分なので横に100キロで走っていても恐怖感はないだろうと思う。
 11時40分、沿道にロードサイド店が現れた。小便をしたくなったので、THE GOOD GIVEという店の駐車場に停めた。店に入ってみると、厨房用品だらけで今の自分には必要ないものばかりだった。トイレが見つからないので、隣のガソリンスタンドのトイレを借りた。併設のコンビニで水とSHAPESというクラッカーを買った。店員は親切にもポリ袋に入れてくれた。帰国後そのクラッカーを食べたがBBQの辛みが効いてなかなか旨かった。
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↑沿道の店に停める
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↑買ったクラッカー
 クルマはキアーマというところを目指していた。途中のウーロンゴンまでは一昨日にスカイダイビングをしたときに来たので、沿道の風景を覚えている。ウーロンゴンの直前で4キロほどの連続の下り勾配があり、トラックとバスは左車線でセカンドギアで走ることが義務づけられている。
 ウーロンゴンを過ぎるとクルマは少なくなった。ようやくオーストラリアにやってきたのだという実感が湧いてきた。
 12時38分、キアーマに着いた。ここまで126km走った。クルマを停めるところに見つけるのに町を一周した。
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↑キアーマにやってきた
 リゾート地のような街を散策する。まずは腹ごしらえ。適当に入った「short black coffee」レストランでチキンサンドとサンライズジュース。ウエイトレスが3人いる。店主の男は老人で痛そうに腰を曲げながら料理を作っている。あまりおいしくはなかった。あとで調べてみるとグーグルでのこの店の口コミは最悪だった。
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↑チキンサンドを食べる
 このキアーマの代表的な観光スポットはブローホールBlowholeという海辺の洞窟に波がぶち当たり、飛沫が舞い上がるところである。周期性があるようだが、私がカメラを向けたときに限って飛沫が小さかった。灯台をバックにセルフタイマーで記念撮影。しかしこの写真ではオーストラリアに行ったというのがわからないだろう。
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↑灯台を目指して歩く
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↑波打ち際
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↑ブローホールBlowhole
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↑芝生と南太平洋
 こぎれいな観光案内所に入り、立派なパンフレットをもらった。
 14時20分キアーマをあとにする。
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 次に目指すのはカンガルーバレー。ここには歴史ある橋があるらしい。
↑この日のドライブコース(GoogleMapで設定)
 クルマは脇道にそれ、対向も難儀な道に入った。制限速度は80キロだがとてもそんなスピードは出せない。前年に行ったニュージーランドでもこんな狭い道はなかった。
 ニュージーランドの沿道は本当にのどかで美しかった。今回の旅行もそれを期待して、全行程で動画撮影するために、アクションカムとダッシュボードに取り付けるための吸盤付き固定台まで持ってきてた。しかしこの風景は期待以下だった。「ここは日本だ」といってもそれで通用しそうな動画であった。
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↑これで動画撮影
 15時20分、カンガルーバレーにあるハンプデン橋HAMPDEN BRIDGEに着いた。この橋は1898年5月19日に完成した古い橋で道幅は狭く交互通行になっている。しかし信号などはなく、運転手の判断で交互通行している。
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↑ハンプデン橋HAMPDEN BRIDGE
 沢に降りてみる。橋が逆光に輝いている。水辺の風景は年初に京都の高尾に行ったときのことを思い出した。
 観光案内所も機能しておらず、土産物店などはない。私の他にも3台ほどクルマが停まっていて周辺を散策していたがまもなくクルマに乗ってどこかに行ってしまった。
 さて筆者もシドニーに帰ることにする。明日の朝は4時30分起きなので早く寝たいのだ。
 予約しているホテルをナビに入力する。ナビにしたがって走った。中にはかなり狭い道があって大丈夫かと思ったが、まもなく高架のハイウエイに乗った。
 17時14分、セブンイレブンとガソリンスタンドが見えた。ここで休憩する。トイレは仮設で日本と比べものにならない貧弱さ。ちなみにガソリンはスタンダードで129.9ドルとある。ハイオクで131.9、軽油で127.9、ガスで67.9である。ガス以外はどれも差がない。
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↑セブンイレブンとガススタ
 シドニーに近づくにつれて道が混み出した。ハザードを出さないといけないくらいの渋滞になった。
 18時を過ぎるとさらにひどい渋滞となった。といっても日本の宝塚IC付近のようなひどさでない。オーストラリアは都市部では有料道路となっている。日本と違って料金所はなく、ETCのような機械で通信し登録されたクレジットカードから引き落とされる。通信できなかったクルマはナンバーを撮影され、運転していた人は48時間以内に電話かインターネットでクレジットカードを登録して支払う。もし支払わないない場合はクルマの所有者に請求がいき、段階的に加増金を徴収され、最終的には2万円程度の罰金を支払わないといけない。
 これのレンタカーの場合はそのETAGを取り付けているので、クルマを借りたときに使ったクレジットカードから引き落とされるという。のちに来た請求書には673円とあった。
 やがてランプを降りて一般道に出てきた。ホテルに入る前に給油した。もう空港は近いし、明日の朝は忙しいのでガソリンスタンドを探している余裕はないと思われたからだ。
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↑返却前の給油
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↑併設のコンビニで支払う
 オーストラリアの給油は自分でガソリンを入れてから、店に入り、ポンプの番号を告げて支払いとなる。35.03リットル入った。支払いは2964円であった。
 18時50分、予約していたIbisホテルにやってきた。キアーマから192km走ってきた。フロントではヴァウチャーを見せず、眼鏡のかけた若い男が筆者の名前を確認した。部屋は2階。しかしエレベータはない。
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↑味気ないホテルの入口
 ホテルは朝食のみで夕食は提供していない。ホテルはマクドナルドとケンタッキーに挟まれている。しかしまわりにはレストランがない。夕食はこのどちらかになるのだが、ケンタッキーに決めた。外国ではこうしたファーストフードの店は風紀が悪いので注意が必要だ。この日も不良グループのような奴や貧困層と思われる婦人が客としてやってきていた。
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↑ホテルはKFCとマクドナルドの間にある
 持ち帰ってホテルの部屋で食べることにする。
 部屋は狭い。トイレの横にシャワーがあるが、カーテンも段差もないので、シャワーを使うとトイレの床は水浸しになる。洗面台はベッドの横にある。石けんはあるがシャンプーはない。ヘアドライヤーもない。電話がないのでフロントにモーニングコールを頼めない。その代わりのつもりか目覚まし時計がある。しかし試してみると、アラーム音ではなくラジオが鳴るようだ。
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↑機能に徹しすぎの室内
 設備的には大いに不満だ。中でもモーニングコールがないのは不安点だ。明日朝が早いだけに、そして今日実際に寝坊しただけに何らかの対策が必要だ。まず、今日なぜか鳴らなかった携帯電話のアラームを動作チェックした。腕時計のアラームもセットした。スマホのアラームは電源を入れないと動作しないので、充電しようと思ったら、AC変換プラグがない。どうやら昨日まで宿泊していたホリデーインに置き忘れたようだ。ホリデーインまではここからクルマで15分ほどで行ける。酒も飲んでいないし、時間もまだ21時だ。しかし明日は早いしガソリンもそれなりに消費してしまう。リスクは避けるべきだと考えてあきらめることにした。
 スマホにはとりあえず乾電池で充電した。ガラケー、スマホ、腕時計。3つの目覚ましがあれば大丈夫だろう。
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↑KFCの夕食
 ケンタッキーを食べる。偶然にもこのOriginal Tenders Boxは昨年ニュージーランドで食べたのと同じであった。A$10.95 4029KJとある。
 明日の身支度をして22時に寝る。

■■■8.さらばシドニー■■■

2017年5月8日 晴
 1時頃携帯電話の着信音が鳴って目が覚めた。ローミングで接続したというメッセージであった。携帯の電源を切り忘れた。安眠妨害は痛い。
 ところでオーストラリアに入ってから気になるのは、ソフトバンク携帯のローミング先が一日に何度も替わることだ。5日間の滞在で40回だ。Telstra、Vofafone Australiaを交互に繰り返す。Telstraに繋がって、しばらくしてまたTelstraにつながるというのもあった。いずれにせよ、この状態は電池が消耗するので歓迎できない。
 それよりもなかなか眠れない。エアコンは動作しているがLEDは消灯している。
 2時頃ようやく眠れた。
 4時30分アラームが一斉に鳴った。忘れ物のないように身支度する。
 フロントには誰もいない。カードキーは「EARLY CHECK OUT KEYS」と書かれた黒い箱に入れる。
 まだ真っ暗なので動画撮影しても仕方がないが、空港のレンタカー駐車場へ入るところに興味があったので、カメラを据え付けた。
 5時30分、シドニー国際空港に到着した。クルマはAVISと書かれた枠の中に停める。係員は誰もいない。いやさっきは誰かいたがすぐにどこかに行ってしまった。
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 どうやら到着ロビーにあるレンタカーのカウンターにキーを返すらしい。行ってみると「燃料は満タンにしましたか?」と聞かれ、キーを返却して終了。パスポートの確認も、クルマのキズ確認もしなかった。クレジットカードがあるので何かあればそこから請求するつもりなのだろう。
 5時45分、カウンターBにやってきた。キャセイパシフィック航空の香港行きCX110の搭乗手続き。すで20人くらい並んでいる。荷物はふたつ預ける。
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↑クルマは無事に返却
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↑キャセイ航空のカウンター
 姉に頼まれていたクリニークの化粧水を買った。現金とカードで払った。関空の免税品店価格より安く買えた。ただしこれを買うのに時間が掛かり、ラウンジを体験できなかった。
 今日はまだ何も食べていない。機内食を当てにしていたからだ。しかし腹が減ったので、自動販売機でキットカットを買って食べた。クレジットカードで支払った。日本で100円くらいのチョコレートだが、256円もする。オーストラリアは物価が高い。
 7時20分機内に乗り込む。このA330-300は2列4列2列の座席配列だが、筆者の列からは中3列となるので、脚を通路側に伸ばしやすくなっている。
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↑機内
 約20分後北に向かって離陸した。
 9時15分、Connemara上空でお待ちかねの機内食。パンとオムレツと果物。私は普段パンにマーガリンはつけないが、機内食でそれがバターであればつける。
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↑機内食(朝)
 機内はやがて消灯した。日よけは下ろされる。寝不足で寝ている人が多い。あとは機内の映画を観ている人もいる。日本の映画では本能寺ホテルがあった。私はもっぱら旅行記を書くつもりだったが、機内サービスのアンケートが回ってきたのでそれに回答した。英語なので超面倒だった。景品のTWO RETURN TICKETが当たればいいのだが(結果は駄目だった)。
 オーストラリア大陸を抜ける頃に機体は揺れはじめた。ベルト着用のサイン。
 10時20分、室内灯が点灯した。食後の眠りだったらしい。
 香港時間12時に2度目の機内食。ピーナッツとワインから始まって、魚がメイン料理。Carlsuergというブランドのビールも飲んだ。あとでMOVENPICKというアイスクリームも出た。 機内映画は観なかったのでもっぱら地図を表示させていた。広告に「FTLife富通保険」と
いうのが出てくる。
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↑機内食(昼)
 ずっと座っていると脚の血流が悪くなるので、両腕で肘掛けを押して、腰を浮かせたり、ふくらはぎを浮かせたり、いわゆる「エコノミー症候群防止体操」をした。
 13時に消灯した。航空機では食後は消灯するのがお約束らしい。
 14時37分、機内外が急に静かになった。まもなくすると着陸態勢に入ったとのアナウンス。もう香港は近い。
 15時13分に香港国際空港に着陸。
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↑香港に到着
 保安検査を突破するのに半時間を要した。この香港では1時間半しか乗り換え時間がない。棚の下の方に隠れるように置いてあったメルシーのチョコレートを買った。これは筆者の海外旅行土産の定番である。3つ買うと1つおまけで付いてくる。
 免税品店街に寄っていたのでもう関空行きの搭乗開始時刻が過ぎている。49番ゲートは果てしなく遠かった。動く歩道に乗っていた筆者に向こうから走ってきた地上係員の女性が「急げ!」と促され一緒に走った。ゲートには既に乗客が誰もおらず、這々の体で間に合った。
 機体はさっきと同じA330-300。16時48分に離陸した。
 昼間から酒をチャンポンしたせいで頭が痛い。旅行記を書くものの筆は遅い。
 隣の男は香港人の用だが、入国カードでホテルの名前はひらがなで書いている。観ているのも日本のバラエティ番組を中国語字幕で観ている。しかもスマホも日本のXPERIA。画面をきれいに拭いている。どうやら日本製品のファンらしい。
 機内食はカレーライス。それを食べたい気持ちだったのでいいタイミングだった。
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↑タイミングよくカレーライスの機内食
 大隅半島上空を過ぎて半時間ほど経つと、徐々に高度を下げはじめ着陸態勢。21時ちょうど搭乗機は関西空港に着陸した。

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↑オーストラリアで買ったぬいぐるみ
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↑画像データUSBメモリ(上=ブリッジクライム 下=スカイダイビング)
「無事に着いた」と家に電話し、荷物を受け取る。税関ではどちらに行かれましたと聞かれたので「シドニー」と答え「結構です」とのことだった。
 無事に着いたことで祝杯を挙げようと思ったが、開いている店はエアロプラザにあるものの、明日から仕事であることだし、ということであきらめることにした。
 家に着いたのは23時を回っていた。明日から仕事だと思うと気が滅入るが、仕事があるからこうして海外に遊びに行けるのである。

■■■9.オーストラリア旅行を終えて■■■
 今回の旅行で最も気になった点は旅行費用が32万円と通算30回を迎えた自分の海外旅行で2番目の高価格となった点である。これはシドニーのホテル代や物価が想像以上に高かったことと、スカイダイビングやブリッジクライムなど高価なオプショナルツアーに参加したこと、帰国便をシンガポール航空からキャセイ航空に変更したためにキャンセル料が発生したこと、レンタカーはあとから考えれば必要性の低い大型車を借りたことなどによる。すべては終わったから「よかった」と思うしかないが、やはり「ボーナス1回分か。思い出作りにしては高いな」と反省した。キャンセル料とレンタカーを小型車にすれば3万円ほど節約できたはずである。
 さて、この旅行ではスカイダイビングのことに触れなければならない。これは本当にやってよかったと思う。帰国後1ヶ月ほどは感動に打ちのめされたものだ。あのグーグルアースで見るような風景をもう一度見たいと思った。そして想像以上に恐怖心がなかったので、マカオタワーのバンジージャンプの挑戦したいという気持ちをなかなか抑えられなかった。
 ブリッジクライムに関しては、確かにオペラハウスがよく見えてよかったけど、価格の割には合わないと思う。3時間に渡る案内人の説明はすべて英語で、カメラは持ち込めないので、つまらないのだ。オペラハウスを上から見たければ、ハーバーブリッジの塔から見たらいいのではないか。
 シドニータワーは肝心要のハーバーブリッジとオペラハウスが見えないのでがっかり度最大だった。その他はよかっただけにこれを承知の上で行くべきだっただろう。
 タロンガ動物園は正直日本の多摩動物園や旭山動物園の方が面白いと思う。4600円という高い入場料に見合っていない。ここに行くのなら他の観光地に行くべきだ。
 シドニーの飲食事情だが、ホテルのレストランは高いのは当然として、利便性の高いところにあるレストランは高い印象だ。Hotelいう名のバーは喧噪ではあるものの食事は安い傾向にあるので、もし次に行く機会があったら、そちらを利用するだろう。
 オーストラリアの道路事情は、少なくともシドニー近郊を走った限りは、まるで日本を走っているような感じだ。ニュージーランドやアメリカを走ったようないかにも外国を走っていますという感じはなかった。せっかくビデオカメラまで用意したのにこれは空振りだった。大陸だから地平線を目指しアクセル全開みたいな世界を想像して大型車をレンタルしたのに、意外と山がちでちょっと損した気分になった。
 オペラに関しては自分の英語力のなさを嘆くしかない。今後一生懸命精進して英語を学ぼうと思う。
 インターネットとスマートフォンはもはや旅の必需品である。今回の旅行では必要と鳴りそうな地図をプリントアウトして持参していったが全く必要なかった。グーグルマップを使えばことたるからだ。海外旅行の長年の友として「地球の歩き方」というガイドブックを持って行ったが、これもほとんど開かなかった。すべてインターネットでつなげば得られる情報だからだ。どうしても紙でないといけない情報を除けば、スマホに画像保存すればことたる。反面必要になるのが、ネット接続環境と電池だ。電気がなくなれば、一瞬にしてただの重い荷物となるスマホだけに、予備の電源の確保は重要で、それは意外に重かったりする。
 反省点は多々あったが、やっぱり海外旅行は面白いというありがちな結論になったようだ。
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ニュージーランド旅行記2016 [旅行]

まえがき
筆者はバリ島旅行を終え、ヴァージンオーストラリア航空夜行便でブリスベーン経由でニュージランドに向かっていた。
バリ島での旅行記は下記を参照
バリ島旅行記2016

この旅行の動機については下記参照
バリ島ニュージランド旅行~序章篇~


1.まずはブリスベンへ
5月1日(日)
 午前3時頃起こされた。背もたれがほとんど傾かないので、通勤電車で居眠りしているのと同じであり、首が痛くなって起きる。ほとんど眠れなかった。
 バリ島時間で午前3時とはいえ、オーストラリアはバリとは+2時間の時差があるのでもう5時なのだ。
 5時30分、オーストラリアブリスベン空港に着陸。外は雨である。
 乗り換えは厳重な保安検査はあったが、入国カードの提出はなかった。ポケットのものは全部出し、さらにシャワールームのようなカプセルの中で両手をあげてスキャンされる。2回受けた。左肩と右腿に異常反応があるらしい。最終的には手動で検査。
 エスカレータを上がると、出発エリアだ。設備は一通り揃っている。Wifiも使えるので、自宅にメール連絡。木製の大きな椅子は外人向きか。脚のせのあるソファーが人気がある。ここで3時間ほど待つことになる。免税店をざっと見て、食事をどうするか迷う。さっきのフライトで食事が出たのでそれほど腹は減っていない。今食べてしまうと、機内食を食べられなくなるかもしれない。行ったり来たり右往左往して結局食べず、出発する73Aゲートの近くで居眠りした。
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↑ブリスベン空港出発待ちエリア
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↑出発ゲート
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↑雨のブリスベン
 このヴァージンオーストラリア航空ではデルタ航空のマイルが付くはずだ。元に戻って同航空の乗り換え窓口にやってきたものの、先客が2名おり、搭乗時刻の8時45分を過ぎ、時計は9時を指していたので、ここで手続きするのは諦めて、出発ゲートに戻る。
 機内に乗り込み、席に座ると、前には韓国人のグループがいる。今回の席はこの旅行で唯一の窓際席である。
 飛行機は9時33分にB737-800は離陸した。雨で窓が濡れているので動画は上手く撮れなかった。
 ニュージーランドの入国カードを書き、とりあえず大まかなドライブルートを確定した。ふと座席のポケットを見ると「MENU」とあるではないか。どうやらこのフライトの機内食は有料らしい。これを知っていればブリスベンで何か食べていただろう。クライストチャーチに着いたら、食事、デルタ航空マイルの付加、携帯電話の購入とデータSIMの購入。それらが終わってからレンタカー営業所に行かねばならない。クルマを走らせられるのは16時30分になるかもしれない。そうするとホテル到着は21時頃になるかもしれない。ホテルのチェックインが22時以降の場合は連絡が必要なのでいずれにせよ携帯電話の契約は必要だ。
 ニュージーランド時間13時15分、機内でようやく水にありついた。コーヒーも無料のようだが、すき腹に飲むのは悪いのでやめた。
 隣の男性は機内食を頼んでいた。パンを残している。そのパンをもらおうかとも思ったがここは辛抱だ。
 14時15分、これまでひたすら海の上を飛んできたが、下界には陸地が見えた。ニュージーランド島である。自然のままの山容でその美しさに息をのむ。
 まもなく、下界は農地に変わった。円形に区画されたところや、競馬場のダートコースのようなところも点在している。
 14時35分、クライスチャーチ空港に着陸。5分後に31番スポットに接岸した。
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↑ひたすら海の上を飛ぶ
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↑やがて南島の山岳部へ
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↑まもなくクライストチャーチ
2.クライストチャーチからレンタカーに乗る
 入国審査ではかなり並んでいて、時間がかかり、手荷物受け取り場で、私の荷物はがっらすきのコンベアをグルグル回っていてすぐに取り出せる状態だった。時すでに15時20分。検疫は係官が少なく時間がかかった。ニュージーランドは農業国なので植物食品の持ち込みに神経をとがらせている。
 税関は何も申告はないが、手荷物の機械検査に時間がかかった。
 まずはニュージーランドでスマホを使うためのSIMを入手する。しかし日本から持ってきた自分のスマホSH01Fにニュージランドの電話会社のSIMを入れても電波をとらえることができなかった。もしかすると日本の電話会社のスマホはSIMフリーを謳っていても、海外のSIMは受け付けないのかもしれなかった。昨年フィリピンに行ったときは世界標準機のNexus5だったので問題なかったのだ。はじめはヴォーダフォンに持ち込んでだめで、となりのSPARKでもだめだった。後から考えればローミングの設定を変えればいけたのかもしれないが、その時はそんなことを考える余裕はなかった。
 バリ島で道に迷った経験から、スマートホンは必須だと思ったし、ホテルその他への連絡手段としても電話が必要だ。私は現地でのスマホ購入に踏み切ることにした。どうせなら以前から注目していたファーウエイ製のいいのが欲しかったが、ヴォーダホンのカウンターにはサムスンしかなく、その中でも2番目に安いのを選んだ。トラベラー用のデータ3GBを含むSIMが49ドル。それを含めての支払いが298ドルであった。
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↑購入したSAMSUNG GALAXY J2
 レンタカーを借りる前に腹ごしらえ。アメリカでレンタカーで走った経験から、外国では沿道にレストランがそれほどあるわけではないことを知っていた。空港で食べることにする。ベーコンと目玉焼きのサンドイッチにカフェラテ。これで遅い昼食、いや朝食は完了だ。
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↑朝食兼昼食
 買ったサムスンのGALAXY J2はシステムの言語を日本語に設定できない。すなわち技術適合がなされていないので本来日本で使えないことになる。パソコンにつなぐことで日本語化ができるようだが、それができなければWifi専用機となりそうだ。後日わかったことだが、このGALAXY J2は安っぽい造りでカメラの性能も劣るものの、動作は日本のスマホに比べて安定していた。韓国製を見下していた自分であったが、これは大きく蒙を啓かせた。
 とりあえず栄養補給はできたので、すぐ近くにあるAVISレンタカーのブースに向かった。日本で発行された予約確認書を見ることなく、パスポートとクレジットカードだけで手続きが進んだ。保険はフルカバーにした。これがあとで役に立つことになる。
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↑クライストチャーチ空港ビル
 ブースでキーを渡され、歩いてレンタカーの駐車場に向かう。17時00分、クルマとご対面。今回のクルマは茶色だった。予約時にはカムリを指定していたはずだが、カローラであった。しかしあまりに後部座席の足下が広かったので、これはカムリだと思っていた。ここまでの走行距離は12483km。鍵はスマートキーで、ポケットにキーを入れたままで、クルマのインパネにあるボタンを押すだけでエンジンが始動する。ドアロックもポケットにキーを入れたままでドアノブを引くだけで解除される。変速機はもちろんオートマチック。Dレンジを右に倒せば、1速から5速まで任意に選択できる。
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↑レンタカーとご対面
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↑足元が広い後席
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↑速度計
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↑ラジオ(タッチパネル)
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↑バックモニターも付いている
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↑カーナビは日本語対応
 借りたGPSはフロントガラスに吸盤で張り付けるタイプで日本語に設定できる。音声案内も日本語。ただしグーグルで翻訳したように変な感じの日本語である。
 17時15分、クルマを走らせる。ニュージーランドは日本と同じ左側通行。ワイパーと方向指示機のスイッチの位置も日本と同じである。中国人のためか「KEEP LEFT」というシールが速度計の下に貼られているし、シフトレバーにもその表記がある。
 空港を出てすぐにラウンドアバウトすなわち環状交差点がある。とにかく右側に環状部を走るクルマがあれば譲る。ルールはこれだけである。あと信号が赤でも左折可とか、対向の場合、日本と逆に左折より右折車が優先というのもあるが、その場面に出くわさなかった。
 ニュージーランドでは日本のような高架立体交差の高速道路はほとんどなく、一般国道をハイウェイと称している。平面交差のある街は70キロ制限となるが、道路の両脇にある100キロの制限標識を過ぎると、高速道路となる。実際は120キロで流れているようだ。もちろん交差する道路は皆無ではないし、自転車で走っている人や、歩いている人が全くいないわけではないけど、広い路側帯と防風林が両脇にあるおかげで、全く危険を感じない。日本とほぼ同じ面積でありながら人口300万人のニュージーランドならではである。
 走るほどに黄昏から暗闇に変わっていった。ニュージーランドの案内標識は小さいのが道路脇にあるだけで視認性が悪い。ただし、日本のように広告看板が全くないので、非常に景観がいい。環境に敏感なニュージーランドらしくていいので不満としないことにする。
 国道1号線をひたすら南下する。道路は基本的に対面交通片側1車線だが、適度に追い越し車線があるので、あまり問題ではない。
 クルマの加速は十分で追い越しでも遅れをとることはない。ただし自分はまだこの国の運転に慣れていないので、基本的に左車線を走り追い越しはしなかった。私は目的地に到着するまでこのクルマをカムリだと思っていたので、やはり中型車は違うなどと納得していたのである。
 筆者は日本でもレンタカーでカローラを利用することが多い。外装、内装はそれほど優れてはいないが、実に運転しやすいクルマだ。世界のベストセラーだけのことはある。エンジンは1800CCでクルマのサイズは大きいので、もしかすると日本では3ナンバーになるかもしれない。
 内装は速度計、回転計、水温計、燃料計と配置された真ん中に液晶表示があり、ここにシフトポジションや距離計ABと通算、外気温が表示される。わからないのは「CRUSING RANGE 553km」という表示。これは最後まで意味がわからなかった。シガーライターの他に、USBポートとAUX端子がある。
 ナビこそ付いていないが、ラジオ等はタッチパネルで操作する。もっぱらFMを聴いた。FM TEXTに対応していて演奏している曲名が表示される。さすが英語圏のニュージーランド、聴いていて楽しくなるような選曲だ。
 まもなくGPSナビが電池がなくなったと表示。クルマを停めてシガーライターから電源をとる。どうやら内部の電池が消耗し充電できなくなっているようだ。
 18時25分、沿道にケンタッキーフライドチキンを見つけ反射的に入る。これがどのあたりか知らないが、外国ではレストランを見つけたときに入っておかないと食事にありつけないのはアメリカで経験済みだ。
 客は意外に多く、どちらかというと柄が悪そうだ。インディビジュアルメニューの3ピースを選んだ。飲み物は紙コップを渡されて、レジの前で自分で注ぐ。世界どこにでもあるケンタッキーフライドチキンだが、どうも日本のに比べて味が落ちるような気がする。ニュージーランドでは鶏肉の需要は低いのか。そう思ったりした。付け合わせの量が多く、ポテトとパンは残して鞄に詰め込んだ。
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↑世界各地にあるケンタッキーフライドチキン
 1号線をひた走っていたクルマはまもなく79号線への分岐を迎えた。それはうまく行ったが、その後間違って未舗装の道路に入ってしまった。日本と違って滑りやすく、ハンドルが取られそうになった。ナビが示した代替ルートはこのまま直進だったが、身の危険を感じたので、スイッチターンして元の場所に戻った。
 79号線は丘陵地を走る。街頭も民家もほとんどなく暗闇の中をひた走る。ナビがなければ不安に感じていただろう。ただ対向車が結構頻繁にあって、ハイビームとロービームの切り替えが面倒である。対向車がいる場合ハイビームではまぶしいので、パッシングで注意するのは日本と同じである。
 右折して8号線に入るとさらに山深くなった。いったい世界のどこを走っているのか、という気分になった。
 まもなくオレンジ色の弱い光に包まれたテカポの街が見えた。20時44分、予約していたGodley Hotelに到着した。ここまで224.4Km走った。東京から浜松くらいの距離だ。走行距離は約3時間半。
 今回の予約はアップルワールドを通したので、バウチャーを見せるだけだ。ただし宿帳には記入する必要がある。ホテルはレセプションを含め、長屋が数軒並んでいる形式である。
 キーはカード式である。今回もバスタブがあってありがたい。ドライヤーは引き出しにあった。ダブルベッドとシングルベッドがある。ダブルベッドに寝ることにした。冷蔵庫と湯沸かし器、無料のコーヒーと茶がある。ただし客室金庫はない。空調はないが、温水暖房と電気毛布がある。バルコニーがあって、ここから湖を眺めることができる。ただし今は夜なので何も見えない。ふと空を眺めると満天の星だ。こんなにたくさんの星を見たのは初めてだ。見てすぐそれとわかるほどのくっきりした天の川を見たのもおそらく初めてだろう。
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↑Godley Hotelに到着
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↑部屋
 このテカポで2泊している間に、下着を洗濯するつもりだった。バリに滞在中いつも鞄に入れている洗濯用のロープや石鹸を持ってくるのを忘れているのに気づいていた。自分の部屋で洗濯ができないので、ここのホテルのラウンドリーを利用するつもりだった。しかしランドリーサービス用のチェックシートがない。どうやらサービスはないらしい。狼狽していると洗濯機と乾燥機はあるらしい。さっそくそれがある場所を確認しにいった。石鹸が2ドル、洗濯が2ドル、乾燥が4ドルとのことであった。仮に乾かなくても部屋にはアイロンがある。洗濯機の利用は21時までということだが、どうやら中国人が規則を無視して、乾燥機を回していた。まあこれは大目にみよう。
 ホテルの前にはガソリンスタンドがあり売店もあるのだが閉まっていた。そこだけでなく、ありとあらゆる店は閉まっていた。無事到着を記念してビールを飲もうと思ったのに残念だ。
 ここで新たな問題が発生した。ホテルのバウチャーを入れていたファイルをなくしたことに気づいたのだ。ホテルのバウチャーはあとはクライストチャーチを残すのみで、これはスマホからメールをアクセルすることで入手できるから問題はないが、ファイルの中には国際免許証が入っているのだ。念のために、クルマの中も探してみたけどなかった。しかしホテルのバウチャーを渡したので、少なくともそこまで持っていたことになる。だからおそらくはレセプションにあるものと推定された。しかしここのレセプションは22時で閉まってしまい、確認することができない。
 悶々とした気持ちで0時30分に寝る。不安からか気持ちが高ぶっているのかなかなか眠れなかった。
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↑写真では再現できてませんが満天の星空でした

3.テカポ散策
5月2日(月) 曇後雨後晴
 7時30分起床。まずはレセプションへ。果たしてファイルは昨晩ここで忘れていたのだ。洗濯をするのに2ドル硬貨が必要なので両替した。
 まずは石鹸を買う。ガチャガチャのように硬貨を差し込んでレバーで押し込むと黄色い箱に入った石鹸が落ちてきた。
 洗濯機もドラム式で乾燥機とそっくりだ。欧米ではこのドラム式が主流である。下が洗濯機上が乾燥機である。間違えないように硬貨を入れてスタート。
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↑石鹸の自販機
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↑買った石鹸
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↑上が乾燥器下が洗濯機
 洗濯している間に、すぐ近くにある「善き羊飼いの教会」という小さな教会まで歩く。ちょうど日の出を迎えるところだった。曇っているので日差しが弱いが、いい角度で撮ろうとしたら逆光になってしまう。それよりも次々と現れる中国人のせいで、なかなか人を写さずに撮ることができない。ちなみに自撮り棒を使っている人はほとんど中国人である。
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↑日の出の「善き羊飼いの教会」
 洗濯は終わっていたので、乾燥機に入れ、朝食に行く。今回のプランは朝食が付いていないので、別料金となる。中国人のツアー客が利用したと思われるバイキングをそのままいただくことにする。料金は26.5ドル。
 9時に食堂が閉まるので、少し急いで食べた。ヨーグルトの種類が豊富だった。食料自給率の高いニュージーランドだけにどれもおいしい。
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↑別料金の朝食バイキング
 スマホをいじっていろいろ情報を得る。スマホが使えるようになったのは便利だが、特にYahooをアクセスしてしまうと、今見なくていいような記事をついつい読んでしまう。結果として無駄な時間が生じてしまっている。本日の予定はテカポ湖周辺を観光し、夜は星空ツアーに参加することになっている。
 再びラウンドリーへ行く。乾燥終了3分前だった。洗濯物を取り出すと、完全に乾いていた。昔一人暮らししているときに、乾燥機は金ばかりかかって乾きも悪いと思っていたが、45分も作動させれば乾くらしい。今まで私は長期間の旅行では、部屋で洗濯して、ロープで部屋干ししていたが、自分で洗濯するよりも、このようにコインランドリーを使った方が時間を有効に使えることがわかったのは収穫だった。
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↑ホテル外観
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↑ホテルの前の道路クライストチャーチ方面
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↑ホテルの前のガススタ
 10時頃再び外出。少し小高い丘から湖を眺めることにする。なんだか荒れ地のような殺風景な道を登ると確かに民家越しに湖が見えた。水の色はエメラルドのようなで実にきれいだ。しかし逆光なので写真に撮るとこの異なった色になる。残念なことだが、このカメラには対応策はない。そもそもこれが眺めのいい場所なのかどうかも疑問だ。入り口にCowans Hill Walkwayとあっただけで、途中に何の標識もないし、誰もいないのである。しかしここ以外に高台となると、山の上しかない。そこは簡単に登れるようなものではなく、やはりここなのだろう。ガイドブックには距離は3km、一時間半とあるが、とてもそんなに歩いていない。釈然としない気持ちで丘を降りる。
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↑変哲もない道を登る
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↑紅葉の民家を抜ける
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↑何か看板があって入れない
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↑殺風景な道を歩く
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↑民家越しに湖が見えた
 次に湖畔を歩いてみた。湖畔といっても遊歩道があるわけではなく、足場の悪い石ころだらけの場所を歩かねばならない。何度も撮影を試みるが、どうしてもこの目で見た絵にならない。私は諦めた。
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↑湖畔は写真と印象が異なる
 さらに歩くと牧羊犬の銅像が見つかった。バウンダリー犬の像である。開拓時代の放牧地で柵のない境界線(バウンダリー)を守った犬たちの働きをたたえて1968年に作られた。ここには人が集まっている。中国人も多いが、日本人もいる。さっきの教会とこの銅像をバックに記念写真を撮るのが観光客のお約束だからだ。やはりここも人のいない瞬間を撮るのは難しい。
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↑バウンダリー犬の像
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↑常に周りに人がいる
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↑再び「善き羊飼いの教会」
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↑寄付金はこちらへ
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↑教会内部
 橋を渡ってホテルに戻る。銘板によると、この橋は2015年11月に開通したという。道理で新しいはずだ。橋の板には寄付者と思われる個人団体の名前が刻まれている。その数は橋の全長に対して全体の4分の1程だ。
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↑ホテルに向かう橋
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↑橋の板には
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↑寄付者の名が刻まれている
 昼食は山の上の天文台に併設されたアストロカフェに決めていた。車に乗り込み、ナビに従ってそこに向かうと、門があった。しかし閉まっていた。門があるとは聞いていなかったので、何かの間違いだろうと、そのまま直進した。どうやらひたすらテカポ湖湖畔を北上するだけで、何もなさそうであった適当なところで引き返す。ただし湖はきれいだったので写真を数枚撮った。
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↑テカポ湖
 いったんホテルに戻ったが、やはりアストロカフェは諦めきれず、もう一度おなじ道を走った。門の看板をよく見ると、風が強い日にはゲートを閉鎖するとある。そういえば今日はカメラの三脚も倒れるほど風が強い。あとで聞いた話では風速20m以上になると封鎖するらしい。ニュージーランドともなると、風速15mは当たり前で、風に乗った小石が飛んできて窓ガラスを割るらしい。確かにそれは危険だ。また、天文台は私有地にあるので自動車で行く場合は門の先の料金所で5ドルを徴収される。1時間ほどかかる徒歩では無料だが、風の強い日に登れないのは同様だ。
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↑天文台へは本日通行止め
 昼食は湖畔KOHANという日本食レストランに行くことにした。日本のガイドブックは必ずといっていいほどこの店を勧めている。特に「サーモン丼は絶品だ」と記載されている。私は海外ではなるべく日本食は食べない主義だが、そこまで書かれては行かない理由はない。当初予定では夕食はここだったが、昼食に変更した。
 店に入ってみると、日本人ばかりかと思ったら、欧米人、中国人の方が多く、大まかにいってそれぞれ3分の1の割合で利用しているようだ。20ドルのサーモン丼を注文するのは芸がないと思ったので、スペシャルと書かれた25ドルのイクラサーモン丼にした。結果的には失敗だった。サーモンがふた切れしかなかったからだ。サーモンの味だが、確かに評判通りで美味しい。養殖らしいが天然と変わらないような気がする。
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↑日本食レストランKOHAN
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↑窓からの景色
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↑イクラサーモン丼
 同じ建物のレストランの反対側には土産物店がある。どうせあとで買うのも面倒なのでここで買うことにする。しかし、あとでわかったことだが、このテカポの土産物店はクライストチャーチ市内に比べて、特にTシャツで5割ほど高いようだ。売り子が商売熱心なわけである。しかしそんなことも知らないので数点おみやげを買った。ニュージーランドでは一般的なのはクレジットカードの支払いの場合1.5%の手数料を取ることが認められることだ。それは知らなかったので、手数料を惜しんで、ここは現金で払うことにした。
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↑買った傘はすぐに壊れた(要注意)
 もう時刻は15時を回っていた。星空ツアーは17時にデスクに顔出ししなければならない。それまでにできることとして選んだのは、テカポスプリングスなる温泉である。しかし日本のような温泉ではなく、水着を着て男女関係なく入る屋外温水プールである。地下から沸いた温泉かどうかも知らない。
 15時35分過ぎにテカポスプリングスに着いた。空は暗くなり今にも雨が降り出しそうだ。夜に星が見えるのか心配になってきた。25ドル支払う。ロッカーは別料金で3ドルだ。水着は持ってきているが、タオルはポケットに入っていた日本手ぬぐいで代用した。
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↑テカポスプリングス(宣伝用写真)
 着替えてプールに入ってみる。少し寒い。水温はおそらく35℃前後で日本の温泉の感覚からするとぬるすぎる。プールに使っている状態ではついたてが邪魔して湖が見えない。湖を見るには立っていなければならない。これはちょっと看板に偽りありというところだ。しかし日本の温泉でも湯船につかると外が見えないところなどゴマンとある。だからこれは大きな問題ではないだろう。
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↑テカポスプリングス入口
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↑そこからの景色
 白人の女性は大胆なビキニを着用している。防水の写ルンですを持ってきているが、やはり何の許可もなしに撮ることはできず、偶然を装って撮るしかない。
 そのうちに雨が強く降り出した。写ルンですで撮った写真は暗くて露出不足でほとんど見れたものではなかった。湯温が低く急速に体温が奪われそうなので撤退する。ちょうど入れ替わりに20代の日本人男性2人組が入ってきた。
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↑写ルンですで撮った写真
 ニュージーランドは一日の間にも四季があるという。晴れたと思ったら雨が降り、気温が上がったと思ったら下がる。このテカポは晴天率が極めて高いところで、それゆえに天文台があるのだが、今日は雨だ。

3.マウントジョン天文台
 ホテルに戻り、星空ツアーのデスクのあるEARTH&SKYに顔を出したのは17時。ちなみにEARTH&SKYはGodleyHotelと同じ棟にあり、私の泊まっている407号室とは歩いて20秒程度のところである。ちなみに昼食を食べた湖畔KOHANも歩いて30秒。こんなに便利なホテルに泊まったのは前例がない。
 デスクの向こうには青いシャツを着た日本人女性が座っている。本日のツアーは21時に集合。ただし今も雨が降っているし、ツアーは確約されたものではないとのことであった。そうした情報をもらってホテルに戻る。
 昼食が14時前と遅かったのでまだ腹が減っていない。部屋でテレビを見た。NHK WORLDが写る。弘前の桜を取り上げていた。
 さて夕食にしようと外に出ると、店がぞろぞろと閉め始めていた。もう開いているところならどこでもいいという感じで、韓国料理の店に入った。客はおらず、BGMだけがむなしく鳴り響いていた。あとで3人組の客が入ってきたが、閉店が近いことを理由に断ったようだ。
 ビビンバは本日は用意できないということなので、豚肉の味噌炒めにした。意外や意外これが美味しかった。このテカポには日本食の湖畔とこの韓国料理の店の他に中華料理もあるが、ここは日本食が圧勝である。欧米人にとっては韓国料理は未知なものだし、中国人がわざわざ中華料理を食べるのは少数派だろう。やはり日本ブランドは衰えてはいないというところか。
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↑豚肉の味噌炒め
 店を出るとほとんどの店が閉まっていた。このあたりは夜でも賑やかだったバリ島と違うところである。
 21時10分、再びEARTH&SKYにやってきた。
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↑受付カウンター
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↑マオリ族のオブジェ
 すでに青い外套を着た長岡氏という天文台の研究員兼案内人が、人数のチェックをしていた。続々と参加者が集まりだした。これは日本人専用のツアーで、この組は17名だそうだ。ほとんどが夫婦ものだが、女性同士もいる。男性3人組もいる。また女性一人もいる。男性一人は3人だけだ。
 別組の16名と合わせ33名のツアーはマイクロバス2台で21時30分に出発した。この星空ツアーは風の強い日のみキャンセルとなる。雨で星空が見えない場合は、天文台の施設を見学することになる。星のマークのネックレスとダウンジャケットと太陽電池付きの赤いLEDライトが渡される。LEDライト以外は貸与である。赤いLEDにしているのは天体観測の支障のない弱い光にするためで、クルマも天文台に近づくとヘッドライトを消す。テカポ村は人口500名程度の小さな村。しかし観光のおかげで税収は潤っているだろう。村人も天体観測に協力して、外灯もなく、家の明かりも観測に妨げのないように弱いオレンジ色としている。
 天文台に着いた。真っ暗である。しかしこうしないと星空を見るための目慣らしができないのである。もちろんフラッシュは厳禁である。スマホのライトも白いのでダメ。周りが全く見えない状態で分厚いダウンジャケットを着るのは難儀であった。肝心の星空はやや雲に隠れているもののほぼ満天の星空だ。夕方には雨が降っていたことを考えればこれは奇跡に近いだろう。
 標高の1500m天文台。だんだん寒くなってきた。ホットチョコレートがふるまわれた。なお、このツアーではフラッシュ撮影が禁止されているので、写真が残っていない。ツアーの詳細については下記写真にリンクされているページを参照していただきたい。
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↑マウントジョン天文台ツアー
 まずは肉眼で星空の解説。まずは南十字星である。南十字星は4つそれぞれ明るさが違い、紛らわしいニセ十字もあって意外とすぐにはわからないらしい。「印象的な名前」の中尾倫太郎(ただし漢字名は不明)ガイドはレーザポインタを使って解説してくれる。
 南十字星はケンタウルス座のα星とβ星という明るい2つの星を目標に氏この二つの星の延長線に十字の頭が来る。これを目標にするのが発見のコツらしい。地球の南極点の延長線には星がないため、南極星というのは存在しない。おおまかにいって南十字星の柱を下に4.5倍したところが南極点となる。また南十字星の柱の延長線とα星β星の垂直2等分線の交点でもいい。
 あとはシリウス、アンタレス、大マゼラン星雲、天の川の解説。木星の衛星は望遠鏡で観測した。望遠鏡は意外に見にくいものである。
 このマウントジョン天文台は惑星探査専門の天文台という。火星に人類が移住することは可能だと述べた。ドライアイスを大量にまき、温暖化させ極の氷を溶かす。そこに植物を送り込んで光合成させ酸素を作る。そこまでして火星に住む人類は果たしているのだろうかという気がする。私はロボットによる惑星開発が現実的なような気がする。
 星空は一つ一つの星の解説を聞いていれば、退屈することはないだろうが、こちらは寒くなってきた。
 23時ににツアー終了。
 23時半に部屋に戻る。またもやスマホで遊んでしまい、寝たのは1時となった。隣の人のいびきが気になったが、すぐに眠れた。

4.マウントクック
5月3日(火) 晴
 7時15分起床。今日はマウントクックを見に行くので冬支度をする。持ってきたステテコを着用。ダウンジャケットも持ってきた。
 まずは朝食。ちょっと離れたところにある「RUN76」という店に入った。ここに来たのはインターネットで調べたテカポおすすめコースに入っていたからだ。
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↑RUN76
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↑店内
 カンタベリープレートとカフェラテを選ぶ。番号札をもらう。料理が運ばれた。これが26ドルとは高い気がしたが、地元の食材を使っているという言葉を信じて納得することにした。
 これを食べていると日本人の若者3人組が入ってきた。地球の歩き方を持っているのですぐわかる。
 私はスマホで粘っていたので彼らの方が先に出た。彼らも当然スマホをもっている。遠目でみたところどうやらLINEをやっているようである。
 しかし料理が終わっても札が片づけられないのは何故だろう。続きがあるのだろうか。それはいわないと出ないのか。外国ではこんなことでも考えさせられる。
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↑カンタベリープレート
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↑カフェラテ
 隣接したスーパーマーケットで水とビスケットを買う。これは昼食はおそらくマウントクックで食べることになるので、軽いものにしたのである。それと持ってきたはずのサングラスが鞄になかったのでこのスーパーで購入。安っぽい黒い袋に入れてくれた。ニュージーランドは日差しが強く、直線道路が続くので、ドライブにサングラスは必需品だ。
 ATMでさらに150ドル引き出す。1回3ドルの手数料が取られるが、日本円の現金両替よりレートがいいらしい。スルガ銀行のキャッシュカードは海外で使えるので、この旅行のためにあらかじめ入金しておいたのである。ここのATMは日本語表示を選択できる。
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↑ATM
 9時10分にチャックアウト。追加料金はない。ちょうど観光バスがやってきた。漢字で「JTB旅物語ニュージーランドベストハイライト9日間」の札がかけられていた。まさしく日本のゴールデンウィークに合わせたツアーである。
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↑JTB旅物語ニュージーランドベストハイライト9日間」
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↑ホテルに横付けされたクルマ
 クルマを走らせる。8号線を北上。3.4キロ走ったところでジョギングしている男と遭遇する。こんなところで走るとは気持ちがいいだろうが何かあったらどうするのだろう。みたところ最小限の装備しかしていなかった。
 羊がいる。牛がいる。そう、ここは牧畜の国ニュージーランドだ。
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↑ニュージーランドの道
 9時35分、プカキ湖が見えた。その美しさに「うわ~」と声を上げた。反対車線にマウントクックが見える休憩所があった。しかし入り口を通りすぎてしまい、やむえず道路上をスイッチターン。カーナビに「できる時、法律上のUターンをして下さい」と変な日本語怒られた。
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↑プカキ湖
 休憩所にはすでに中国人のツアー客が先乗りでたむろしていた。彼らもおそらくマウントクックを目指すのだろう。
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↑休憩所から見るマウントクック
 続いて10時頃、8号線展望所にやってきた。観光パンフレットで見たことのある風景だ。天気が良くマウントクックはよく見え、これ以上は望めないだろう。しかしここでも逆光で記念写真は苦労する。
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↑8号線展望所からみるマウントクック
 さらにクルマは北上し、11時にマウントクックトレッキングの出発点ホワイト・ホース・ヒル・キャンプ場White Horse Hill Camp Groundに着いた。本当はここから少し離れた地域の拠点にあるDOCビジターセンターで有料マップを手に入れたかったが、結果としてそれは必要なかった。
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↑マウントクックを目指して走る
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↑ホワイト・ホース・ヒル・キャンプ場
 ここまで106.3kmの走行。外気温は17度とある。この気温であれば、ダウンジャケットは不要どころか、汗をかいてしまうだろう。
 11時10分、靴紐を堅く締めて、フッカーバレートラックHooker Valley Trackのトレッキングを開始する。案内表示によると片道1時間半の行程だ。
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↑トレッキング開始
 歩き始めてまもなく、着てきたジャケットは暑くて、ジャケット横のチャックを開いた。
 道は基本砂利道で橋のところは板となる。吊り橋が3カ所あり、狭い上に結構揺れる。20人以上は超過重量となる。
 ところどころにルックアウトポイントがあり、そこではマウントクックがよく見える。中国人は記念撮影ばかりしている。
 天気はいいので不満を述べるのは間違いなのだが、常に逆光なのは写真撮影上具合が悪い。太陽の動きを見ると夏になれば、天頂寄りに太陽が通るので順光となるだろう。ただその時は気温が上がりすぎて、雨またはかすむ可能性がある。何しろこのマウントクックは年間のうち晴天は140日前後しかないという。今日は強運を喜ぶべきだろう。
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↑トラッキング途上の湖
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↑緩い階段もある
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↑吊り橋を渡る
 中国人ばかりいると書いているが、日本人も多い。さすがにゴールデンウィークで今年は休日の並びがいいので、遠方の旅行が好調だそうだ。高齢者は団体や、ガイドをつけての人が多いが、自由旅行の人も結構いる。かくいう私もその一人だ。男性一人で来てるのも5人はいた。同類はどこにでもいるものである。
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↑まもなくマウントクック
 12時25分、小さな湖が見えたと思ったらそこがトレッキングの終着だった。ここから先は登山用の装備がないと入ることができない。テーブルに座って記念撮影。フラッシュがうまく光ったが、顔がテカってしまった。そして食事。スーパーで買った水とキットカット。それとニュージーランドで人気のクッキー。買ったビスケットは量が多く、森永マリーのようなシンプルな味なので飽きてしまい、半分以上残してしまった。
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↑ここがトラッキングの終点
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↑少々わびしい食事
 水辺に降りる。風が強く、寒さを感じる。しかしマウントクックの眺めはよく、座ってしまうとなかなか腰が上がらなかった。
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↑水辺に降りる
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↑水辺から見るマウントクック
 いつまでもそうしていても仕方がないので13時15分に出発。下りはさすがに足が速く、14時25分にキャンプに戻った。驚いたのはこのあたりの携帯電話の電波状況でほとんど4Gの電波を拾っていた。いったいどこにアンテナがあるのだろう。
 今夜はどこに泊まるのか未定だった。クライストチャーチに近づく形でルートを選定。8号線を南下し、海岸沿いのオアマルで泊まることにした。

6.オアマルへ
 15時10分に出発。
 北斗の拳に出てくるような山を見ながら小高い丘をひたすら走る。対向車も追ってくるクルマも少ない。時々通り過ぎる街も至って小規模だ。しかし小規模でも必ずあるのがガソリンスタンドである。
 16時30分、左に曲がり8号線と分かれる。
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↑ダム湖を左手に
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↑こんな道をひたすら走る
 名も知らぬ町の路肩に停める。歩き疲れたのか疲労していて眠気に襲われた。こんな時は休むに限る。ドアをロックして、シートを後ろに倒した。
 再び走り続ける。17時00分、2度目の休憩。休憩所とおぼしき駐車場に停めているクルマは私だけだった。近くにダムが見える。もしかしてこれまで左手に見ていたのはダム湖かもしれない。
 17時15分、KUROWを通過。このあたりはワインの産地らしい。KUROWは日本の「苦労」のように発音するのかと思うと面白い。
 まもなくオアマルOamaru市内に入った。一応、地球の歩き方に載っているモーテルをナビに入力したのだが、見当違いのところを案内された。
 道の真ん中に銅像がある市内の中心部をUターン。このあと食事をするので、中心部を離れるほどレストランは少ないだろうと考え、最初に見つかったモーテルに入ることにした。モーテルはVACANCYと赤い文字で点灯していれば空き室があるという意味になる。
 18時20分、Bella Vista Motelにクルマを停めた。観光案内所のようなレセプションにはニューヨーク・メッツなどで活躍した吉井元投手のような顔をした中国人が座っていた。館内設備の他、観光ポイントなどを説明してくれた。
 部屋は2階にある17号室をあてがわれた。このモーテルの特徴はドアがなく、廊下に面したサッシから出入りする点である。もちろんチェーンはないし、カーテンをしなければ外から丸見えである。ただ設備は優秀である。コーヒー紅茶用の湯沸かし器はもちろん電子レンジやトースター、ナイフフォーク皿の食器類もある。そうなるとスーパーでビーフを買って豪快にステーキを食べたいと思ったが、フライパンがない。
 浴室はシャワーのみでガラス戸で仕切られている。暖房便座はないが、部屋の上部に電熱ヒーターがある。それと珍しいのはタオルかけにヒーターがあることだ。
 部屋の空調は壁の低いところに埋め込まれている。一応の温度調節はできるようだが、オン/オフを繰り返すのでかなりうるさい。
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↑オアマルのホテル
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↑裏口のような入口
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↑室内
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↑室内設備
 とにかく食事である。ところがレストランがなかなか見つからない。ホテルの近くにあるマクドナルドとタイ料理レストラン、Fish&chips、SUBWAYとアイスクリーム屋。それとホテルに併設されたちょっと高級すぎるレストランだけだった。というかまだ19時にもなっていないというのに、ほとんどの店が閉まっていた。オアマル市は人口1万3千人。それくらいの人口しかないのだからある意味当然である。
 カウントダウンという大きなスーパーマーケットがあるので入ってみる。明日の朝食や晩酌用のワインを確保したい。入り口の長いスロープにはバイクに乗ったちょっと老けた不良少年2人組がいて「hello」と声かけてきた。当然無視した。
 ニュージーランドの本格的なスーパーは初めてだ。チーズやベーコンの種類が豊富だ。ただ価格は日本とあんまり変わらないようだ。牛乳は小さなパックはなく、最低でも1リットルだった。
 10個以下の買い物客が並ぶExpressというレジに並ぶ。レジの若い女性はチンというベルを鳴らした。ワインを買っているので年齢確認におばさんがやってきた。年齢は?50歳です。fifteenではなくfiftyである。
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↑スーパーマーケット
 歩き疲れたので、結局最初に見つけたタイ料理のレストランに入ることにした。先客が一人いたのも安心材料だった。
 応対してくれたのはタイ人とは似ても似つかぬ、ディープパープルのイアン・ペイスのような顔をした眼鏡をかけた女性だった。お冷やはワインボトルに入れて持ってきた。最初に持ってきたのは半分しか入っていなかったので、改めて別のを持ってきた。タイ料理はトムヤンクンしか知らないのでそれにした。それとジャスミンライス小とシンガービールを頼んだ。トムヤンクンは辛くてあまり美味しくなかった。辛さをいやすためにライスを食べている感じだ。昨日は韓国料理、今日はタイ料理と、ニュージーランドに来たのに何のこっちゃわからないということになった。
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↑ワインボトルに入った水
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↑ビール
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↑トムヤンクン
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↑タイ料理レストラン
 ちょっと驚いたのは請求額だった。37.5ドル。トムヤンクンが25ドル、ジャスミンライスが3ドルなのはわかっている。しかしビールが9.5ドルとは高すぎないか。出されたのは小瓶で700円弱である。消費税の15%はニュージーランドの場合内税である。サービス料もここでは取られないだろう。レシートをもらっておけばよかった。
 20時15分ホテルに戻った。ワインとチーズとクルミの実で晩酌する。ワインは半分残した。0時前に寝る。
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↑晩酌用食材
6.オアマルからクライストチャーチへ
5月4日(水) 曇
 8時起床。港を望むオアマルルックアウトポイントという高台まで走る。往復約5キロの手軽なジョギング。ハーフパンツとTシャツでは寒気を感じる。ここの季節は秋なのである。
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↑市内中心部
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↑白い建物が並ぶ
 ここオアマルはオアマルストーンという良質の石灰岩が産出しており、それを使った建物が市内に立ち並んでいる。ジョギング中も白い建物をみる度に撮った。ただそれぞれのいわれは予備知識がないのでわからない。走っていると踏切に出くわし、その近くに駅があった。ホームは3両程度の長さで、掲示された時刻表によると一日5本程度しかこない。
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↑踏切
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↑駅舎
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↑窓の内側に時刻表
 そのような歴史的建築物を抜けて、急坂を登る。このあたりは住宅地となっている。
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↑道を真っ直ぐに歩き
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↑坂を登った
 結構な急坂で体力を消耗した。Lookoutという展望地にたどり着いた。クルマが3台ほど停まっている。海に向かって歩いていると、犬に軽く吠えられた。まだ朝早いということもあってか、観光客はおらず、地元の人の犬の散歩道となっている。
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↑たどり着いた展望地
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↑有名都市の方向を示す
 確かにいい眺めで、地元の入り江を思わせる。しかし朝日が逆光で写真を撮ると海に浮かぶボートが真っ黒になってしまう。このニュージーランドの観光は終始逆光に祟られた。
 この地点は緯度は南緯45°6′39″。日本の北海道の稚内をちょうど赤道で対称にしたようなところ場所だ。ここはオーストラリアはもちろんアフリカの最南端喜望峰より南にある。これより南に行くにはニュージーランドをさらに南下するか、南米チリに行くしかない。おそらく自分の生涯で地球上の最も南に位置していることになるだろう。
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↑オアマルLookout
 ホテルに戻る途中、歩道で親指を道路に突き出して立つ女性がいた。これはヒッチハイクのサインだ。アメリカでは禁止されているがニュージーランドでは認められているのか。
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↑ホテルに戻る
 シャワーを浴びて、荷造りをしてチャックアウト。ところがGPSナビを忘れていた。ベッドの上に置いてあった黒い毛布の上に、黒いGPSナビの入れ物があったので、カメレオンと同じ現象が生じていたのだ。もう一度鍵を借りて取り戻した。
 10時15分に出発。ここまでの距離。
 オドメータ13067km
 空港を出発してからの距離584Km
 テカポからの距離320.3km
 国道1号線を北上する。FMトランスミッターを持ってきたので、それにMP3プレイヤーを接続してBGMとした。地元のFMもいいが、聞き慣れた音楽を海外で聞くのもいい。太陽に向かって走っているので眩しい。サングラスを買っておいてよかったと思う。
 11時20分、オアマルから84.2km走ったティマルTimaruで給油。看板にはZとある。ニュージーランドではセルフ給油と聞いていたが、実際は店の人がやってくれた。料金は併設されているコンビニに給油機の番号を告げて支払う。
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↑給油したガススタ
 11時30分予期せぬことが起きた。追い越しをかけたときに、対向車からはねた小石がフロントガラスの右隅に当たり、ひびが入ってしまったのだ。車両保険は入っていて、しかもAVISは大手なので対応は大丈夫だと思うけど、不安な問題が生じた。
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↑ヒビの入ったフロントガラス
 やがて筆者と同じ茶色のカローラが現れて追い抜いていった。運転手は初老の男性で、自分のペースに合っているのでこのクルマについて行くことにした。
 13時00分、Rollestonというところのマクドナルドを見つけたので休憩兼昼食。マクドナルドはまあ世界共通のフォーマットだが、ニュージーランドではナプキンはロール状であるなど、細部では異なる点もある。
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↑マクドナルドで昼食
 レンタカー事故の事例などをスマホで調べていたので、出発は14時00分になった。
 14時45分、予約していたHEARTLAND HOTELに着いた。看板が小さく、しかも反対車線にあったので、回り道してホテルに入った。ホテルといってもモーテルでこの通りにはモーテルが林立している。
 オドメータ13319km
 空港を出発してからの距離835.8Km
 テカポからの距離133.9km
 ここはアップルワールドでなく直接予約していた。モーテルとはいえクルマは離れたところに置かざるを得なかった。
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↑ホテルに到着
 モーテルは一つの棟に宿泊設備が集中しているのでなく、宿泊部屋はいくつかの棟に分かれている。あてがわれた部屋はレセプションの真前である。カーテンを閉めないと丸見えなのは昨日のホテルと同じである。ドアはノブがなく、ノッカーのような取っ手を引くことで閉める。
 部屋は広く、キングサイズのダブルベッドがひとつと、窓際にソファーがふたつ。クッションが柔らかく座り心地がいい。テーブル付きの椅子とデスクもある。アメニティも高級ぽい。バスタブもちゃんとある。すこし古びているが高品質だ。クーラーらしきものはなく、温水ヒータのようなものがある。
 Wifiは名前と部屋番号をパスワードにして利用できる。いつも同じのを利用するよりも安全性は高いのでこれは評価できる。
 総じて中々いいホテルを選んだようだ。
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↑ホテルの部屋

8.クライストチャーチ観光
 15時00分に外出する。日が暮れるまでの短い時間だがクライストチャーチの市内観光する。まずは観光用の路面電車が走っているので、その停留所を目指すことにする。クライストチャーチは2011年の2月に大地震に襲われ、歴史ある建物が数多く倒壊した。その崩壊箇所は更地になってとりあえず駐車場で使っているところが多いが、数少ないところでは再建工事が始まっているようだ。しかしまた半壊状態な建物を壊しているところもあり、フェンスに囲まれて解体を待つ姿は痛々しい限りだ。
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↑ホテルの前の通り
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↑歩行者信号用押しボタン
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↑外見は普通でも立ち入り禁止の建物が多い
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↑空き地では再建工事が始まっている
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↑ニュージーランドのパトカー
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↑トラムの停留所
 停留所にやってきたものの、電車がなかなか現れず、線路沿いを中心部に向かって歩いた。
 クライストチャーチは自転車がよく走っている。レンタル用の自転車もいくつか提供されており、QRコードから専用アプリをダウンロードすることにより30分までは無料、それ以上は課金というシステムになっているらしい。
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↑レンタル自転車
 トラムは地元の足ではなく、完全に観光客に特化したもので、車両の真ん中はオープンデッキになっている。さらに商店街の店先のギリギリを通ったり、アーケードの下をくぐり抜けるといった趣向を凝らしている。あえてスピードを出さず、終電装置もレトロなポール式を採用している。
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↑ニューリージェントストリートは店のギリギリを通る
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↑この先のアーケードを目指し
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↑アーケード内に電車が停まる
 観光用なので、秋になると17時頃に運転を終えてしまう。トラムの運賃は20ドル。これを買っておけば一日何度でも乗れるが、今は時刻は16時10分であと50分しか乗れない。しかし一回りするのは十分な時間だろう。
 アーケードの下にある駅に止まっている電車に乗り、年季の入った車掌から切符を購入する。この電車に乗って元の駅に戻るまで乗り続けることにした。このトラムに乗れば、ニューリージェントストリート、カセドラルスクエア、震災後にコンテナを仮設商店街にしたリ・スタート、追憶の橋、カンタベリー博物館と観光スポットを素早く巡ることができるのだ。
 8人ほどの客を乗せて出発。40分ぐらいで一巡りする。
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↑電車に乗り込む
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↑オープンデッキに座る
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↑リ・スタート
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↑カセドラルスクエア
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↑チェスに興じる人たち
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↑ニューリージェントストリートに戻る
 ニューリージェントストリートのKIWIというおみやげ屋に入る。全体的にテカポの店より安い。店員のおばさんも愛想がいい。
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↑お土産のぬいぐるみ
 地震で崩壊したカセドラル大聖堂の跡地を見に行ったあと、カードボード・カセドラルという仮説大聖堂に足を向けた。この建物は日本人建築家坂茂が設計した。もう暗くなっているし、道路を隔てての撮影となるのであまりいい絵にならなかった。
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↑倒壊した大聖堂
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↑仮大聖堂
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↑中でミサ?をやっていた
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↑街の中のオブジェ
 夕食はホテルザ・ジョージの中にあるペスカトーレ・レストランに行くことにした。ここまでニュージーランドならでは食事は全くしていないので、最後の晩くらいはラム肉料理で締めたい。
 ホテルザ・ジョージに着いて、レストランに入った。そこがペスカトーレだと思ったがそうではなくて、50 BISTROというホテル内で中級のレストランだった。ワインはロゼにして、前菜は省略。スープは日替わりにして、メインはラム肉のステーキにした。あとはパンを持ってきてくれと頼んだ。欧米ではパンと水はただ、と思っていたからである。
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↑ホテルザジョージ
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↑日替わりスープ
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↑ラム肉のステーキ
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↑パン
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↑コーヒー
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↑左手下層の灯りが50 BISTRO
 結構人気のあるレストランらしく筆者が飲み食いしている間にどんどん客が増えた。料理は見た目に多少の奇抜さがあるものの、とても美味しかった。人気があるはずである。パンはごく普通のを持ってくると思っていたが、ちょっと凝ったパンであった。すっかり満腹でとても勧められるようにデザートいただく余地はない。
 ちょっと離れたところに一人の白人の女性客がいた。楽しそうにギャルソンと会話している。一緒に食事したいと思った。
 ホテルに戻る。Twitterで時間つぶしのあと風呂に入る。
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↑当時のガソリンの価格
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↑ニュージーランドの通貨

9.いったんシンガポールへ
5月5日(木) 曇
 6時45分、枕元の日本ではほぼ見かけないTEACの目覚まし時計にあるUSBポートに差したSAMSUNGスマホの目覚ましが鳴って起きる。
 シャワーを浴びて頭を洗い、白いものが目立つ無精ひげを剃った。
 朝食は昨日買ったオートミールを食べ、何故か冷蔵庫にあった牛乳とインスタントコーヒーを飲む。オートミールとかビスケットは歯にカスが残るのが難点だ。
 このところ忘れ物を連発しているので念を入れて確認した。
 居心地のいいホテルなのでもう一日ぐらいいたいがそうはいかない。8時にチェックアウトする。
 はじめは空港と逆方向にあるZというガソリンスタンドを目指した。しかし市内方向は渋滞していた。歩道には通学の学生が歩いている。女子学生は緑のジャケットにタータンチェックのスカートで品性がある。小学生はスケートボードに乗っているのが多い。
 脇道に入ってコの字でターンするも、右折禁止でできず元の道を再び走り、ナビの指示通りに走ってようやく空港に向かった。途中BPで給油。ニュージーランドはセルフもあるが、入れてくれる場合もあるらしい。今回は2回入れてくれた。燃料計がなかなか満タンに針が指さず結構焦る。
 ナビの指示がどうもおかしい気がしたので、道路標識の通りに走った。確かに空港に近づいたが、途中で標識を見失って、わけのわからないところに出てしまった。やっぱりナビの指示通りが正しいのかと思い、そのようにしたが、空港からどんどん離れていき、どうやら重機のレンタル業者に向かっていた。ナビにクライストチャーチと英字を打ち込むのは面倒なので、スマホのグーグルマップに頼った。さっき通った道であった。環状交差点を間違えずに右に曲がれば、クルマを借りた場所に戻ってきた。
 オドメータ13341km
 空港を出発してからの距離857.7Km
 オアマルからの距離273.7km
 クルマを借りたときのおばさんが立っていた。小石が飛んできてフロントガラスが割れたと説明すると、「よくあることだ」という感じで処理してくれた。名前と電話番号、E-MAILアドレスとサインするだけでよかった。何やら複雑な権利が書かれているようだが私の英語力では理解できなかった。こんなトラブルもあろうかと、大手のレンタカーAVISを選んでよかった。さらば茶色のカローラ!でもEメールを聞かれたということは、もしかすると請求があるかもしれないとあとになって考えた。なにしろクレジットカードの番号はAVISがわかっているのでいくらでも請求できるからだ。
 チェックインカウンターには誰も並んでおらず、数分で手続き完了。預けた二つの荷物は関空まで届けられることを念押しした。
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↑空港出発ロビー
 ニュージーランドの出国申請書を記入。観光客の場合、名前とパスポート番号国籍を書くだけで、サインすら必要でない。
 保安検査はシンガポール航空の乗組員が優先。私よりあとに並んでいた中国人がそれを無視し、先に並んでいたことを暗黙の理由に前にいたアルバニア人を追い越した。ほとんど並ぶこともなく順調だった。ただペットボトルはだめで、飲んでから廃棄せよと言われた。喉は乾いていないが少しだけ飲んで捨てた。
 9時40分出国審査。34番ゲートに向かう。免税店のほか簡単な飲食設備だけ。あとはゲーム機があった。自販機の横を抜けるとVIEWING Deckというのがあったのでいってみる。ガラス張りの眺めの悪いデッキには警備員が二人座っているだけだった。事実上、喫煙室として使っているみたいだ。
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↑珍しい自販機
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↑出発ゲート
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↑ゲームコーナー
 乗り込みが始まっているゲートの前で、家に電話する。まだまだ前払いの通話料金が残っているので自宅に電話する。ちょうど朝食を食べているところだった。こっちの事情を知らないからこちらが長電話しようとしても切ろうとする。
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↑飛行機に乗り込む
 10時30分に乗り込む。機体はB777-200ERで3列X3。後ろに座席がなく、トイレも近い。隣は30代の白人夫婦。男はキウイがちりばめられたシャツを着ているからニュージーランド人ではないかもしれない。
 まずはドリンクが振る舞われた。ジンを頼んだが通じなかった。ジンはティーに、ウォッカはウォーターに聞き間違えられやすい。しようがないので赤ワインにした。
 12時30分機内食。フィッシュを選んだ。タイガービールにバニラアイスクリーム、チーズですっかり満腹になった。
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↑1回目の機内食
 ここでトイレに行く。13時30分、シドニー上空。隣の女性がB6程度の手帳に細かい文字でなにやら記録を始めた。その後男性も同じことを始めた。何者だろうか?
 かく言う私も機内ではポメラで旅行記の記述に専念した。どうやらバリ島は今日明日で書けそうにない。
 16時00分、飛行機がオーストラリアのど真ん中アリススプリングス上空に差し掛かったところで、時計をシンガポール時間に合わせる。ちょうど現地では12時00分である。あと5時間。ニュージーランドからシンガポールまで10時間とは長く感じる。
 14時00分ようやく隣の男がトイレに行った。女性はまだだ。あれだけアップルジュースを飲んでいるのに膀胱が大きいのか。
 15時00頃2度目の機内食。チキンを選んだ。チョコレートケーキが美味だった。再びワインを飲む。
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↑2度目の機内食
 トイレは結局4回行った。前の男は電子辞書をさわっている。電子辞書に「見出し語」という日本語を見つけた。彼は日本人だとわかった。
 赤道を越えた頃、16時40分、まもなくシンガポールに着陸とアナウンス。
 ニュージーランド時間ではもう20時40分である。アルコールも入り、さすがに眠い。着陸態勢では電子機器も使えないので、目を瞑り瞑想する。
 17時19分にチャンギ空港に着陸した。
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↑シンガポールに到着
10.シンガポール市内へ
 シンガポールではバリ島やニュージーランドで手に入れることができなかったNOKIAの端末を入手すべく、シンガポールに一時出国し、地下鉄で市内まで行くことにしていた。
 入国カードの滞在先はホテルに泊まらないので「TRANSIT SIGHTSEEING」と書いた。係官は帰りの航空便名を書いていた。
 こうして受託手荷物はそのままに、身軽な格好でシンガポール市内に向かうことにした。市内へ出るには地下鉄に乗るのが一番早い。シンガポールのSuicaといえるEZ-LINKは最終使用から8年を経過しているので、チャージは失効していた。改めて購入するために窓口に並んだ。中国人は機械で切符を買うのに慣れていないので、窓口に並んでいる。しかし窓口の人に「機械で買え」と怒られていた。
 その点私はez-LINKをスムースに買えた。12ドル。しかしシンガポールに来る機会は今後もそれほど多くない。ez-LINKを買うよりも普通乗車券を買うほうが無駄にならない。ちょっと考えが足りなかった。
 18時20分、地下鉄に乗った。隣に立っているビジネスマンをみると、LINEをやっている。胸にはブラックベリーを入れている。言語はタイ語のようであった。
 バリ島、ニュージーランドでもそうだが、スマホを使っているのを横目で見ると、一番多いのはメッセージ、その次にゲーム。そして動画である。これは日本でもあまり変わりがない。
 3回の乗り換えでFarrer Parkに着いた。シンガポールの地下鉄は日本と同じで乗り換え通路が長く、かなり歩かされる。ここに来たのは近くにあるムスタファセンターという何でも屋があって携帯電話が安いと聞いたからだ。万引き防止のため店外で鞄のチャックをインシュロック。店内に入ると、電話屋はすぐに見つかったが、品ぞろえが薄すぎる。スマホにしても大して多くない。これは期待はずれと思いつつも、店内を偵察した。むしろ食品の方が主力なのでは感じてしまうほど充実していた。低級百貨店というところか。
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↑ムスタファセンターのある通り
 失意のうちにムスタファセンターを出ると、目の前に携帯電話屋があった。そこにはNOKIAがあった。ついに見つけたとショーウィンドーを見る。しかし欲しいNOKIA301がない。隣も店にもNOKIAがあったが、そこにもなかった。大橋巨泉に似た店員に聞いてみた。すると彼はそれは古いモデルだといい、NOKIA230がおすすすめだ、と言った。しかしこれは使える電波はGSMのみで3Gには対応していないのではないかと思った。彼は手持ちスマホで「NOKIA230 vs 310」と入力し調べてくれた。すると230は3Gには対応していないことが明らかになった。しかし彼は粘った。私のソフトバンクのSIMを抜き取って、230に挿入し、電波を受信できるとアピールした。それは日本で使えることを保証できるものではない。しかしNOKIAの携帯電話を単にさわってみたい気持ちがあったし、日本で使えないと分かっても、ヤフオクで売却すればいい。第一何も買わなかったら、わざわざシンガポールに来た意味がない。そのように考えて私は購入に踏み切った。120シンガポールドルだった。日本円なら約9000円。カウンターの中に入って、クレジットカードのPINを入力した。
 20時40分、Farrer Parkを後にする。シンガポールの電車は座席が少なく、真ん中は撤去されている。帰りは別ルートで帰った。シンガポール地下鉄の地上駅では昔の風呂屋の脱衣場のように天井に大きな扇風機がある。
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↑シンガポール地下鉄の車内
 駅に着いた。EZ-LINKの残高を確認。13.28ドル。結局これは失効することになりそうだ。スカイトレインでチャンギ空港ターミナル3に到着。
 シンガポールを出国。わずか5時間ほどの滞在だった。チャンギ空港は旅客の利便性を考慮して、保安検査は各ゲート前で行われていて、出国するといきなり免税店で買い物ができる。
 22時30分、プライオリティパスの使えるラウンジに入った。ビュッフェがあるのでビール付きの食事。だがそれほど食べなかった。
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↑ラウンジで休憩
 それにしても眠い。クライストチャーチの時間からすればもう3時か4時なのだ。徹夜しているのと同じだ。目をつむってしまうと眠ってしまいそうだ。寝過ごして、飛行機に乗り遅れては大変なので、早い目にゲートに移動することにした。ゲートにいれば、航空会社の人が起こしてくれるだろう。そんなわけで17番ゲートに移動。関空に向かう便なので、日本人が過半数。しかも家族連れが多い。深夜だというのに子供たちは元気だ。
 0時25分、すでに保安検査が始まっている。ソファーに座り、買ったNOKIAの端末を使ってみる。最近のスマホではできなくなった電源オフ状態でからのアラームが鳴る。次に空港の無料Wi-Fiの登録。コード番号がSNSで受信できた。これでソフトバンクSIMが外国で他の端末で使えるのが分かった。
 もう少しいろいろ試したいが、もう出発時刻である。1時頃乗り込んだ。
 40H席。隣はタイ人の女性。パスポートでそれがわかった。機材はA330-300。
 1時20分、機体は動き出した。ここまで書いたところで眠気全開。耳栓にアイマスクをして眠りに入った。
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↑機内は日本人が多い

11.関西空港に到着
5月6日(金)
 日本時間6時45分。男性客室乗務員に左肩を叩かれた。機内食の時間である。朦朧とした意識の中、サーモンを選んだ。鮭の照り焼きは大きな固まりでこれは結構うまかった。隣のタイ人もそれを食べていた。
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↑機内食
 食べて目が覚めたので旅行記の執筆。
 8時15分、あと30分で着陸とのアナウンス。ここからは電子機器は使えない。機内でかつては禁煙の表示をしていたところは、そんなことは当然だろうといわんばかりにplease turn off electronic devices(電子機器の電源を切って下さい)という表示になっている。予告通り、右手に和泉山脈を望みながら、8時44分関西空港に着陸。
 ここで隣のタイ人が日本語で「シンガポールはお仕事ですか?」と声をかけられた。キーボードを叩いていた私を日本のビジネスマンだと思っても無理からぬこと。しかし彼女にとっては勇気がいることだったろう。「タイは日差しが強いです」。私がサムイ島に行ったことがあるというと、「日本人はあまり有名でないでないところにどんどんいくのですごいです。私はそんな勇気はなくてありきたりのところばかりです」と言っていた。もっと話をしたかったが、8時52分に接岸し話は終了。
 9時7分に入国。日本に帰ってきた。筆者の29回目の海外旅行はここに終了した。
 荷物が出てくるのを待っている間、スマホと携帯電話のセット。スマホはSIMが裏表逆に挿入されていた。もしかするとニュージーランドで動かなかったのはそのせいかもしれなかった。携帯電話はバリ島ではあれほど何回もSIMの再挿入を繰り返したのに、あっさりと電波を捕まえた。NOKIAに入れて使えるようにしたのがよかったのか。せっかくソフトバンクにどなりこもうと思ったのに、そうせずにすんだ。
 9時30分税関突破。衣類を入れた方の鞄を開けさせれた。中には食べかけのビスケットが入っていて「おみやげですね」といわれた。携帯電話については何も聞かれずホッとする。
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↑関西空港に帰ってきた
 南海電車でりんくうタウンへ。外は雨が降っている。駅の近くのシークルというショッピングセンターにある「りんくうの湯」へ行く。一度ここに来たかったのである。長旅の疲れを癒すのにちょうどいい機会だ。
 荷物は預かってくれた。客は5人程度だが、旅行者は少ないようだ。しかし帰るときにフロントを見ると10数個のトランクを見たから、あとからきたのかもしれない。素利用で620円、フルセットで970円の価値はあるとは思う。ただ泉質は平凡である。
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↑りんくうの湯
 自宅に戻ったのは12時過ぎだった。

12.ニュージーランドの印象
 ニュージーランドの滞在はわずか4日であった。本当はクイーンズタウンとかミルフォードサウンドとか行きたかったのだが、レンタカーに乗ることは既定路線だったので、クライストチャーチからクルマで無理なく行ける、テカポとマウントクックに絞った。テカポの星空は昼間に雨が降って星が見えるがどうか心配だったが杞憂に終わった。さすが晴天確率の高いテカポだと感心した。マウントクックの秋は晴天の確率が低いのだが、これもいい天気だった。1時間半のトラッキングなんて何ともなかった。海外旅行の場合、再訪が難しいので、天候に恵まれたのは幸運だった。あとはクライストチャーチの市内観光。半日しか観光できなかった主要なところは回ることができた。レンタカーから見た風景の美しさは忘れられない。ニュージーランドの魅力が十分に濃縮された旅行だった。ただ食事面はニュージーランドらしい料理を食べていないのでそれは心残りであった。

↓今回のニュージーランド旅行を15分でまとめた動画


バリ島ニュージランド旅行~序章篇~

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バリ島旅行記2016 [旅行]

まえがき
 この旅行に行くことになった動機は「バリ島ニュージランド旅行~序章篇~」を参照して下さい。
バリ島ニュージランド旅行~序章篇~

1.まずはシンガポールへ
2016年4月27日(水) 雨
 仕事を終えた筆者は、トラブルに巻き込まれないように素早く帰宅し、関西空港に向かった。
 シンガポール航空の出発カウンターはH。列はさほどではなく、21時半に搭乗手続き完了した。まだ出発まで時間があるので3階を歩くも店は全て閉まっていた。
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↑関西空港出発カウンター
 入出国管理を突破するといよいよ日本を出国。ここからは日本であって日本ではない。免税店をブラブラ歩く。エミュレーツ航空のパイロットが札幌銘菓ロイズの生チョコのマイルドココアをまとめ買いしていた。口コミで美味しいことが広まっているのだろう。このマイルドココアだけが極端に減っていた。
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 その他誇らしげに「日本製」と貼られた電気炊飯器が並べられていた。この頃になると中国人の爆買いが収束していたので、物色する人はまばらだった。免税店巡りに飽きたのでシャトルで41番ゲートに向かいスマホで時間つぶし。Wifiが使えるがまことに遅い。床に目を落とすと、カーペットが汚れている。中国人の仕業か。
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↑「日本製」の電気炊飯器
 22時50分に機内に乗り込む。中の4列席の右側。隣はめがねをかけたシンガポーリアンの女性3人組。
 離陸前におしぼり。さすがシンガポール航空はサービスがいい。USB充電は当然としてヘッドホンは無料だし、機内設備も充実している。持ち込みDVDを見るための端子まである。
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↑飛行機に乗り込む
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↑充実の機内設備
 いつの間にか飛行機は離陸し、0時にはワインとピーナッツで乾杯した。といっても一人旅なのでグラスを持ち上げただけだ。旅立ちはうれしいものである。不安もあるが不安は押し殺すように酔って、まもなく眠りについた。
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↑ピーナツで乾杯

4月28日(木)
 日本時間3時50分。なにやらざわついて起こされる。アイマスクと耳栓効果で眠りは深かった。しかし眠いのは眠い。
 トイレは6分待ち。続いて機内食。ひざまずいたアテンダントが何を言っているのか聞き取れなかった。隣の女性客が「ソーセージ」と言ったので私もそうした。しかしワゴンにはなかったらしく座席に届けられたのは4時45分だった。
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↑機内食
 結果的にはソーセージにしてよかった。オムレツとポテトフライ。フルーツ。マーガリンでなくバターだった。アップルジュースはグラスだった。
 女性客には量が多いらしく残していた。もったいない話だ。世界の食料品の3分の1は食べられずに廃棄されているという。自分の老後の生活を考えたとき、残飯は家庭菜園の肥料にできないかと考える。
 機内照明が消えて、5時5分にシンガポールチャンギ空港に着陸。

2.シンガポールからバリ島へ
 まずはターミナル内無料Wifiのセッテング。スマホから電話番号を入力してSMSに送られてくるコードを入力すれば完了。
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↑チャンギ空港に到着
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↑床のパターン
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↑ターミナル内の日本庭園
 ターミナル2の店はこれから開店するところであった。ここでNOKIAなどの通話専用の携帯電話を手に入れるつもりだった。しかし家電売場にはスマホしかなく、しかも高かった。XPERIAが割と人気があるようだ。
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↑上から見た土産物店
 腕にはめていた電波時計の合わせ方がわからなかった。カシオのサイトをみると、説明書をダウンロードするには腕時計の裏の四角に囲まれた4桁の数字を入れよとあった。この数字が小さくてとても読みにくく、ダウンロードにとても時間がかかった。もう筆者も若くない。これからの旅行は老眼鏡か虫眼鏡が必要だ。
 時計を合わせるのに時間がかかり、バリ行きの保安検査が始まってしまった。7時20分にF50ゲートに向かった。保安検査はさほど厳重ではなかった。財布はポケットに入れたままでも反応せず。
 保安検査を終えるとガラス張りの部屋で待つ。ここには喫食設備などない。
 7時50分に乗り込む。さっきと同じエアバスA330-300だか微妙にシートピッチが狭いようだ。
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↑飛行機に乗り込む
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↑乗り込んだ飛行機
 座席は右通路側だ。隣はTシャツハーフパンツの白人男性で、私が座ろうとすると、軽く「ナウ」と言って先に座った。
 機体は8時35分頃に離陸したと思われる。はっきりしないのはその前に眠ってしまったからである。
 9時15分に機内食。今回はソーセージでなくシーフードを選んだ。ピリ辛で眠気覚ましにちょうどよい。
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↑機内食
 その後はインドネシアのガイドブックを読み、今日の行動を決定する。まずは両替してエアポートタクシーでウブドに向かうことにした。
 10時15分、間もなくバリデンパサールに到着するとのアナウンス。左後ろの日本人は花村満月の「惜春」を読んでいた。
 半時間後、飛行機の車輪が降りて、飛行機は雲の中に突っ込んでいった。バリ島が右手に見えた。10時53分、海に浮かぶ小舟に白波が寄せるのが見えると、デンパサール空港に着陸した。
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↑窓から見るバリ島(通路側から撮影)
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↑デンパサール空港に到着
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↑ターミナルビル
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↑床のパターン
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↑手荷物受け取り待ち
 手荷物はなかなか出てこず、スマホをいじる。無料のWifiがなかなか動作が安定せず、辛うじて自宅にメールを送れた。荷物をピックアップできたのは11時45分と遅かった。
 両替は空港のレートは悪いので1万円だけ両替した。1円=115ルピーである。大ざっぱにいって日本円の100倍と考えていい。
 まずはホテルを予約していたウブドまで移動しなければならない。はじめはホテルから送迎してもらうことを考えたが374000ルピーということだった。約3700円と高かったので、エアポートタクシーにしたのだ。事前情報では250000ルピーのはずだった。
 エアポートタクシーのチケットブースは到着ゲートを出てすぐにある。元々離れたところにあったのだが、タクシーの客引きが激しいのでここに移ってきたようだ。
 でも場所が違うように思えたので、いったん外に出た。タクシーの客引きを振り払うのが大変だ。
 やはりエアポートタクシーはここにしかなく、ウブドまで行ってくれというと、「フォーハンドレット・サウザント・ルピー」と言われた。つまり400000ルピーだった。これならホテルに送迎してもらった方がよかった。
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↑タクシーチケット売り場
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↑タクシーチケット
 売店を迂回するように外に出ると、青いポロシャツを着た運転手が待っていた。彼は荷物を引き取るとトランクに乗せた。チップを稼ぐつもりだろう。
 バリ島の天気はいい。私は英語は得意でないので会話が続かず、すぐに眠たくなった。
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↑ウブドを目指す
 バリ島は上空から見ると翼を閉じた鶏のような形をしている。バリ島の中心地デンパサールは、その鶏の足の付け根にある。筆者が目指すウブドは足からやや上にある腹の辺りになる。
 1時間半ほど走っただろうか。狭い道に入ったと思ったら、そこがウブドであった。予約していたChamplung Sari Hotelは猿の住むモンキーフォレストの近く、ウブド中心部の南端に位置する。急な坂を下り、もう一度登るとホテルがあった。運転手はチップを公然と要求。そのとき持っていた最も小額紙幣が20000ルピーだったのでそれをあげた。高い運賃に余計なチップで私のバリ島の印象は悪くなった。

3.ウブド散策と舞踊鑑賞
 Champlung Sari Hotelは南国らしい開放的な雰囲気で、客室はコテージとして独立している。レセプションで手続きしていると、ウェルカムドリンク。ただのオレンジジュース。一気に飲み干す。今回はアップルワールドで予約していたのでバウチャーを見せ、宿帳に書くだけだ。
 ペルボーイが部屋に案内してくれる。ちゃんと門があって外にバルコニーもある。
 ドアは内側の鍵もキーを使って閉める珍しいタイプ。これは初めて見た。バスタブがあるのはいい。ただしヘアドライヤーがない。あと客室金庫もない。
 タオルがどこにあるのかと思ったら、ベッドの上に鶴の形に畳んであった。さすが芸術の島バリ。芸が細かい。
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↑ホテル入口
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↑コテージの門
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↑さらにドアがある
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↑タオルはこんな感じ

 とりあえず外出する。外は暑い。日本の7月のようだ。ホテルに面している道路はモンキーフォレスト通りという名で、一方通行で比較的交通量が少ない。しかしバイクが多いので渡りにくい。レストラン、サークルKのようなコンビニ、観光案内所、伝統工芸品など何でもありそうだ。この旅行ではノキアの音声専用端末を手に入れるという目的があった。そんなわけで電話屋を探すが、この通りにはなかった。
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↑モンキーフォレスト通り
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↑サークルK
 徒歩圏内で行ける観光地としてまずはウブド王宮に行く。何やら工事中で興ざめしたが、あとで聞いた話ではこれは葬式の準備らしい。
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↑ウブド王宮
 その後また北上し電話屋を探す。持ってきた「地球の歩き方」の地図は誤りが多いので、王宮近くの観光案内所に入る。地図は有料のようだ。カウンターの人に無料のはないかと聞くと、広告だらけの冊子を手に取り、このページを見よと、地図を示した。
 もうすぐ郊外に出ようかという丘を越えるところに、辛うじてAppleの店があったが、それだけだった。フィリピンでは電話屋は簡単に見つかったのにどういうことだと思いながらも、とにあえず本日の電話購入は諦めることにした。
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↑唯一のappleショップ
 プリ・ルキサン美術館PURI LUKISAN MUSEUMに入る。手持ちの古いガイドブックには入場料が50000ルピーとあるが実際は85000ルピーであった。その物価上昇の感じからするとさっきのタクシーチケットが値上がりになっていても不思議ではないと考えた。
 美術館は一つ一つ丁寧に見ていくと時間がかかる。最後の方は飽きたが、まあバリ美術はこういうものだというのはわかった気がする。木琴のような楽器を館の前で演奏していた。
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↑プリ・ルキサン美術館
 今夜ウブドクロッド集会場でバリ舞踊があるのでそれに行くことにして、まずは腹ごしらえだ。日本語メニューがあるというDIANという店にした。日本式にA、B、Cセットがあって、私はBにした。計量カップのようなコップに紅茶が入っていて驚く。料理は要するにフライドチキンだった。しかしなかなかの味でこれが400000ルピーだからむしろ安いといえる。
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↑本日の夕食
 少し早いが集会場にやってきた。地球の歩き方によると、ここで舞踊を披露するのはリッタデウィとし「リッタ・デウィはウブドで一番ホットな公園を見せてくれると評判。伝統舞踊やコンテンポラリーの踊り手として国内外で活躍中の女性舞踊家デウィさんが率いる新進気鋭のグループでメンバーはスターぞろい」とある。チケットは門の露天で売っている。大きな札しかなかったので、おじさんのポケットマネーからお釣りが払われた。
 開演は19時30分と時間があるので、サッカー場まで歩く。サッカー場とはいっても空き地に芝生というか雑草が生えているだけだ。しかしここは子供たちが実際にサッカーをしているから紛れもなくサッカー場である。
 多くの店の前の道端にはお供え物の花が落ちている。今でもバリ島の人々にとってバリ・ヒンドゥの信仰は生活の一部となっているのだ。
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↑お供え物の花
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↑朽ち果てた公衆電話
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↑奇妙な形をした土産物

 18時50分、集会場に入る。入り口にいた女の子が、筆者の帽子に小さな水仙のような花をつけてくれる。
 舞台裏を通って客席へ。客席は黒いパイプ椅子。先客は白人の夫婦二人だけだ。しかし前列は予約の紙が貼っていたので、まだ来るはずである。 講演の開始時刻が近づき、最終的には20人ぐらいの客だった。これはきっと少ないほうだろう。
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↑ステージ
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↑客席
 19時30分、腰巻きをつけた男性の楽団がガムランという民族音楽を奏でだした。
 最初はペンデットという女性4人組による花まき踊り。歌舞伎の三番叟のようなものか。続いてはバリスという青年男子の戦士の踊り。肩を上に上げ、足をがに股にして、歌舞伎の六法を踏むような動きをする。その次にレゴン・クラトンとい女性3人による優美な踊り。最初にチョンドンという女官を演じる一人の女性が踊り、そのあとにラッサム王とランケサリ妃を扮する女性二人が踊る。最後の女性4人の踊りは分からないが、頭に動物の耳のようなものをつけていたからトペンの一種かもしれない。踊りには物語があるのだが、日本舞踊のそれも理解できない私が、バリ舞踊のそれを理解できるはずはない。ただカッと見開いた瞬きもしない目の動き、ピンと伸ばしたまま複雑な動きをする指先。バリ舞踊の魅力は理解できた。見るだけの価値はあったと思う。20時20分に終了。
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↑バリ舞踊(動きがないと面白くない)
 観劇の帰りにコンビニでアンカーというビールとKACANG KULITという南京豆と胃腸を整えるためのブルーベリーヨーグルトを買った。
 部屋でそれを食べる。南京豆を剥くと日本のそれのように甘皮がない。食べるのは便利だが味は少し落ちる。
 まもなく酔いが回って、疲れた身体を横たえた。
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↑晩酌用食材

4.バリ島をバイクで駆ける
4月29日(金) 晴
 7時起床。朝食はレセプションとは反対側の別棟で、ドアは昆虫や小動物の進入を避けるために常時閉まっている。朝食用のクーポンを渡す。
 窓際の席は白人観光客に占領されていたので、中段に落ち着く。ヨーグルトが見あたらないが、一通りのものはそろっているし、味も十分だ。
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↑朝食会場
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↑ビュッフェの朝食

 部屋に戻ると、ベルボーイに声を掛けられた。日本語が少しできるようだ。今日は自転車で散策するつもりだったので、レンタル自転車の店はどこにあるかと聞いた。この下のモンキーフォレストの下にあるといったが、ウブドは坂が多いので自転車よりバイクがおすすめだ、そのバイクなら一日600000ルピーだと説明した。
 その後ロビーで地図を開いていると、またそのベルボーイがやってきて、観光ならタクシーを雇った方がいい、と言ってきた。
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↑ロビー
 検討の結果、バイクを借りることにした。周辺の散策よりもバイクで遠くまで行こうという話になった。しかしほぼ一本道で行けるキンタマーニは明日オプショナルツアーで行くので却下。デンパサール方面は渋滞に突っ込みに行って事故をもらうと嫌なのでこれも却下。結局世界遺産の棚田ジャテルウィを目指すことにした。ただ問題は地図で見てもかなり複雑なルートを通る必要があるということだ。この筆者のスマホ契約ではインドネシアではローミングができないので使えない。つまりはグーグルマップが使えない。慣れない外国で道路標識も十分でないバリ島で目的地まで行き着けるのか不安に感じていた。
 10時15分、バイクに乗って出発。バイクというよりスクーターで、青いホンダのVARIOという車種だ。排気量は125ccらしい。ヘルメットは貸してくれた。免許の確認はしなかった。そもそも免許は必要ないのかもしれない。インドネシアは左側通行なので、さほど違和感がない。ただしクルマの運転は荒いので注意しなければならない。s-IMG_3986.jpg
↑借りたバイク(HONDA VARIO)
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↑沿道風景(どこなのかは不明)
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↑使ったGPSロガー
 最初は順調だったが、途中で怪しくなって、引き返した。あとでGPSロガーを見てみると、Mengwi付近のかなりいいところまで行っていた。そのまま西に向かえば目的地にたどり着いたかもしれない。
 引き返しを決めたのはいいが、今度は来ていた道が分からなくなった。かなり北のサンゲェSangheに近づいてようやく誤りに気づいた。ガソリンはもともと半分しか入っていなかったので、給油した。並んでいるバイクのあとについて待つ。給油は店の人がやってくれる。インドネシアは産油国なのでガソリンは安い。ガススタでトイレも借りる。便器の外に水を溜めた桶がある旧式だった。
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↑ガススタ
 14時15分頃、クモンKumonの水色の看板を見かけた。日本の算数塾はインドネシアまで進出しているのか。
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↑算数塾KUMON

 完全に迷子になりどうしようもなくなり、近くの携帯電話屋に駆け込んだ。やっぱり電話は諦めていなかったので、まずはNOKIAの端末があるか聞いた。するとNOKIAよりSAMSUNGがおすすめだとスマートホンを持ってきた。通話専用のはないのかと聞くと、中国製のがあった。試しに手持ちのSOFTBANKのSIMを入れてみた。画面が乱れ、電波を捕まえれないようだ。
 最後にここの現在位置を聞いた。彼はスマホのグーグルマップを起動させた。現在地はたちどころにわかり、ウブドまでの道も分かった。意外に近くにいる。その地図をカメラに撮った。これで帰れる。チップをあげて退散。
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↑筆者はここにいた
 まもなくタクシーでウブドに来るときに通った道にでた。これでほぼ間違いない。
 もう15時だが朝食で隠し持ってきたチーズを口にしただけで、ほとんど何も食べていない。COCOMARTというスーパーを見つけた。そこでトーストと牛乳、アイスクリームで栄養補給。ここで問題発生。スクーターの鍵穴をふさぐシャッターが開かなくなったのである。実はこのシャッター機能のあるバイクに乗るのは初めてだ。解除方法は悩まされた。10分ほど悩み、キーについている六角形の型をキー穴に差し込んで回せばいいことがわかった。
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↑入ったスーパー
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↑初体験のシャッター付き鍵穴

 問題は解決したが、渋滞に遭遇。車がバックしようとしているのに、我先にとクルマがすり抜けていくのが原因だった。誘導員もいるがまるで役に立っていない。
 その5分後モンキーフォレストにやってきた。そうホテルに帰ってきたのである。
 情報によるとここからやや離れたところにあるプリアタンPeliatanに電話屋が並んでいるというので行ってみた。ある確かにある。ただしSAMSUNGの看板をあげているのが多い。NOKIAと書いている店に入ってみる。お目当てのNOKIA301はなく低級の105しかなかった。これは日本では使えないのがはっきりしている。結局バリ島では目的のNOKIA端末は見つからなかった。
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↑唯一NOKIAがあった店
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↑無駄が多い本日のバイクの動き(ループしてます)
 16時40分ホテルに戻る。その足でモンキーフォレストの猿を見る。猿は人見知りはしないので近づいてくる。

↑モンキフォレストの猿
 このホテルにはプールがある。かなり深いのと浅いのがある。深いのは水が常に補給されて、温泉の源泉掛け流しのような状態である。白人のグループがプールサイドでくつろぐのを横目で見ながら、ひたすら背泳ぎで泳ぐ。20分ほど泳いだ。プールからあがるとさっきのグループからシャッターを依頼された。
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↑ホテルのプール

 風呂に入って、19時前に町に繰り出す。モンキーフォレストを通り過ぎたところにあるPETANIで夕食。Pork RibとGoatCheese。それと赤ワイン。これが結構旨かった。目の前にステージがあるが、今日のシンガーは来ないのか片づけられようとしていた。
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↑本日の夕食
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↑演奏されることのなかったステージ
 スーパーで買い物して21時15分ホテルに戻る。
 BINTANというビールとアーモンドで晩酌。日付が変わる前に寝る。

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↑スーパーの品揃え
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↑夜のウブドの街(刺青屋)

5.キンタマーニなどバリ島観光ツアー
4月30日 曇
 7時前に起きた。ソフトバンクの携帯電話の電源が切れていた。おかしいと思って再投入すると、SIMカードが入っていないとのこと。しかし何度も抜き差ししたものの、ダメだった。もしかすると、昨日、携帯電話屋で中国製の安い端末にSIMを挿入したことにより、おかしな情報が書き込まれたのかもしれなかった。
 説明を忘れていたが、筆者の携帯電話は2台持ちで、1台は格安SIMの入ったスマホ、もう1台は音声通話のみのソフトバンクのガラケーである。格安SIMの場合、海外でのローミングができない(と思う。もしできたら教えてほしい)ので、海外でプリペイドSIMを買って、現地の電話会社の電波を捕まえる。ガラケーの方はソフトバンクのままローミングで使う。電話料金が高いし、着信でも料金が発生するので、これは緊急用としている。
 8時15分にチェックアウト。
 今日はVELTRA社を通じて「ブサキ寺院+ティルタエンプル+ゴアガジャ遺跡 パワースポット貸切観光ツアー<現地ガイド日本語可/キンタマーニ高原絶景レストランのインドネシア料理食べ放題ランチ>」ツアーを予約してあった。バリ島のヒンドゥー教に関する主要な観光スポットとキンタマーニ高原を巡り、空港まで送ってくれる。特に私はバリ島に行ったらキンタマーニに絶対に行こうと決めていた。その理由は簡単で名前が非常に印象的だからである。男ならば絶対行かねばと思った。
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↑この日の観光ルート
 8時25分、ツアーのガイドさんに流暢な日本語で話しかけれた。
 ツアーの客は私だけで、つまり貸し切りツアーである。運転手さんとガイドさんはどちらも男性。ガイドさんはブリーさんという。「魚のブリで覚えて下さい」とのことだった。いや本当の発音は違うのだが、覚えやすいのでそうしてもらっているという。
 ウブドのモンキーフォレスト通りを北上する。一昨日昨日と散々歩いたところだ。
 クルマはスズキのAPVという車種で、これはスズキが東南アジア向けに開発したもので日本では走っていない。このバリ島ではごくまれにドイツ車や韓国車を見かける程度で、ほとんどすべてといっていいほど日本車だ。ただしオートマチックミッション車はまだ普及しておらず、一昨日のタクシーも今日の送迎車もマニュアルミッション車だ。
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↑スズキAPV
 8時40分、まずはゴア・ガジャ遺跡Goa Gajahにやってきた。
「ゴア・ガジャ」は「象の遺跡」という意味であるが、バリ島には象は生息しておらず、動物の象を指すだけではなく「大きいもの」も意味することから、「大きな洞窟」と名付けられたという。
 細い階段を下ると泉が見えた。バリの人たちはここで身を清めるのだという。しかし水の流れがないので苔で満たされ汚れている。
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↑身を清める泉
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↑洞窟
 続いて顔の形をした洞窟の中に入る。香の臭いがたちこめる。その奥の方にお地蔵さんのような彫刻がある。それには赤、黒、白の布が掛けられている。この赤黒白はヒンドゥー教で重要な色で、それぞれ次のような意味がある。
赤  BRAHMA ( ブラフマ )
     火と創造の神様  生き物を作る

 黒  VISNU ( ヴィシュヌ )
     水と維持・繁栄の神様  生き物を守る

 白  SIVA ( シヴァ )
     風と破壊の神様  生き物が増えすぎないように破壊する
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↑お地蔵さん?のようなもの

 境内には大きな木がある。その木には精魂が宿っているという。こういった信仰は日本の民間信仰と同じだ。
 白人の観光客は腰巻きを巻いている。この腰巻きはサロンといって、こういった神聖な場所では肌を露出することは厳禁なので、短パンを履いている人はこれを身に付けさせられる。
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↑何の木がわからないけど大きな木

 9時24分、ティルタウンプル寺院 pura tirta Empulに着いた。ティルタエンプル寺院(ティルタウンプル寺院・Tirtha Empul)は、ウブドの北、タンパクシリンにある寺院で「聖なる泉が沸く寺院」として、有名である。伝説によるとこの寺院に沸く泉は962年に発見され、魔王マヤ・ダナワと戦ったインドラ神が、大地を杖で突き不老不死の水アメルタを沸きださせた場所とされている。
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↑入口にある貸し出し用のサロン
 寺院の外には、寺院内に沸く泉の水を引いた沐浴場があり、祭礼の時には多くのヒンドゥー信者がここで沐浴(ムルカット・清めの沐浴)をし、寺院でお祈りを捧げる。また、この泉から沸く聖水は、無病息災の力があると信じられており、ペットボトルやポリタンクを持って聖水をいただきに来る人も多くいる。
 バリの人たちにとってはパワースポットであり、実際腰まで水に浸かりながら、湧き出た聖水を浴びている。合計20箇所くらいで水が湧き出ているが、それぞれで叶えられる願いが違うという。
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↑沐浴場
 別のところでは地元の人たちが何か祈祷をしている。白い衣装はバリ人の正装だが、ヒンドゥー教の僧侶もそれを着るという。ちなみに僧侶はここでは暮らしておらず、必要な時にやってくるという。この場所には我々観光客は入れない。
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↑只今祈祷中
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↑立ち入り禁止の看板
 ふと山の上を見ると、立派な近代的な建物がある。これは大統領の別荘だそうで、小泉元首相もここに招待されたという。
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↑大統領の別荘
 10時、SW AGROという観光向けのコーヒー農園にやってきた。ここではコーヒーの無料試飲がある。しかし最大の目玉はジョコウネココーヒーだろう。私は全く予備知識がなかったのだが、ジョコウネココーヒーとはluwak coffee(ルアク・コーヒー)ともいわれていて、完熟したコーヒーの実を食べた野生のジャコウネコの糞から採取される、未消化のコーヒー豆から作られたコーヒーである。ジャコウネコが食べたコーヒーの実の果肉部分は消化されるが、コーヒー豆になる種子の部分は消化されずに糞とともに排出される。このコーヒー豆がジャコウネコの腸内の消化酵素や、腸内細菌による発酵作用によって、独特な香りと味わいになるという。メスよりもオスの方が高く、また飼育されたネコより野生の方が高いのだそうだ。ちなみにネコといってもジャコウネコはイタチに近い。ジョコウネココーヒーは東京で飲むと1杯8000円はするという。
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↑ジャコウネコ
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↑これがジャコウネココーヒー
 しかしここでは約500円で飲めてしまう。ちなみにオスだと800円だが、そこまではいらないと思ったのだ。
 眺めのいいテラスで小分けされたコーヒーを飲む。筆者はコーヒーとか紅茶は大好きなので、全部飲んだ。だが中には甘いのもあって閉口した。
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↑小分けされたコーヒー
 さてジャコウネココーヒーはサイホンにより抽出される。これは本格的だ。飲んでみると、さすがにコクがあって美味しい。問題があるとすれば、あくまでウンコなので特に女性に抵抗があるのではということ。この農園は日本人ご用達らしく、他にも3グループほど日本人観光客がやってきている。3人の年配の女性グループはジャコウネココーヒーを飲んでいた。気にしない人は気にしないのだ。
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↑ジャコウネココーヒー
 ブリさんと少し話をする。最近は日本人観光客がめっきり減って、仕事が減ったという。職を変えようかと弱気なことをいっていた。これは自分にはどうすることもできない。
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↑ブリーさん登場
 インドネシアのスマホがサムスンが多い。ブリーさんのはマイクロソフト、つまりノキアである。彼はミクロソフトと言っていた。あと日本ではほとんど見かけないブラックベリーも健闘している。
 さてジャコウネココーヒーをお土産にと思ったが、やはり元がウンコと知った時点で特に母などは拒絶反応をするのが目に見えていたので購入を見合わせた。
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↑いよいよキンタマーニへ
 さらにクルマを走らせた。11時、ついにキンタマーニにやってきた。 このあたりは標高1500m。涼しく感じる。Batur Tengah通りにある展望台からバトゥール山が見え、麓にはバトゥール湖が広がる。バトゥール山は富士山に似ている。これは絶景といっていいだろう。しかし物売りのオバサンがうるさく興ざめする。徹底無視する。しかしガイドさんが彼女から果物を買って、私にくれた。ブリーさんによるとキンタマーニとは「北にある湖」という意味らしい。この湖はバリの人々の水甕である。
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↑ここがキンタマーニだ
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↑物売りから買った果物
 11時49分、ブサキ寺院pura besakihにやってきた。五重の塔のような建物があって何か日本の寺院と雰囲気が似ている。それもそのはず、ブサキ寺院は、もともと8世紀ごろまでは仏教徒の修行の場であったという。隆盛を極めて衰退した後、20世紀に入った頃から復興が進んでバリヒンドゥー教の聖地となり、多くのバリ人の心のより所となった。今も重要な祭典などもこの寺院で行われ、お供え物を頭に乗せて参拝する人が絶えない。その賑わいを見るためにバリ島の代表的な観光地となっているのだ。
 ここでは午前中に行ったゴア・ガジャでもそうであったが、バリのヒンドゥー教で信じられている破壊神シヴァ、繁栄神ヴィシュヌ、創造神ブラフマのヒンドゥー三大神が中心に祀られている。それぞれの神を意味する白、黒、赤の3色の幟がはためいている。この日も何か分からないが法事のような行事があるらしく、どこかの家族か一族か祈りを捧げていた。
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↑プサギ寺院
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↑お供え物
 バリ島の人は日本人と同じでお祭り好きだなと感じた。ブリーさんによると、最近はバリ人も会社勤めの人が増えて休みが取りにくくなり、こうした行事が平日にやりにくくなってきたという。これは日本も同じだ。
 またここは特に神聖な場所であるので、異教徒の私はジーパンであってもサロンを巻くことになっている。これはガイドさんが用意してくれていた。12時17分にそこを去った。
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↑寺院外ではサロンを売っている
 12時37分、Mahagiri Panoramic Resort & Restaurantにやってきた。ブリーさんによると「田圃を見ながら食事できます。大統領もお気に入りです。」と言っていた。昼食は出発後にキンタマーニかここかどちらでも選べる融通の利くツアーで、私はこちらを選んだというわけだ。
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↑レストラン入口
 席は一人掛けのテラス席が用意されていた。ウエイトレスがやってきて飲み物は何になさいますかと聞く。コーヒーと紅茶はツアー料金に入っていて無料だがそれ以外は有料なのだ。私はミックスジュースを頼んだ。ツアーの説明ではインドネシア料理ということで、ナシゴレンやミーゴレン、チャンプルやサテといったものである。ビュッフェなので好きなだけ皿に盛っていい。まあ無難な味で特筆すべきところはないが私には十分である。隣はオランダ人の夫婦。何故かこのレストランは白人と日本人が中心で、中国人が少ない。道理で上品な感じがするはずだ。このままこの路線を続けて欲しいものだ。
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↑店内
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↑料理
 さて景観だがなんといっても棚田が見事だ。棚田は日本にも存在するが、このバリ島は温暖な気候と豊富な水のおかげで年間に3度稲を収穫できる三期作にできる。だからほとんどの時期で青々とした稲を見ることができる。ただし、棚田の見栄えをよくするために、三期作とするのは農家にとっては負担になるので、政府が補助金を支給しているという。
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↑棚田
 13時37分に出発。
 対向車が来たらどうするの、という感じの細い山道を下り、トゥガナンTengananにやってきた。ここはバリ島の原住民が渡来した仏教やヒンズー教に改宗するのを拒んだ人々が、集団を形成して、異教徒との交流を避けて生活していたところだ。ただ、時の流れは逆らいようもなく、この村だけで自給自足の生活は難しくなり、周辺のバリ人との混血が進み、村人の生活も変わらなくなっている。
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↑細すぎる道
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↑トゥガナン
 村は階段状に建物が造られていて、全体として素朴な雰囲気である。ただテレビアンテナは立っているし、おそらく携帯電話も持っているだろうし、子供はバイクを乗り回している。村の人口は減っているらしく、静かな雰囲気である。
 この村の収入源はアタと呼ばれる籐製品や、ダブルイカットと呼ばれる独特の高級織物である。しかしここで売られているものは値札はなく、おそらく観光客にはふっかけるつもりなのだろう。実際あまり売る気はないらしく、その商品の多くは埃をかぶっていた。薄い木の皮にキズをつけて黒曜石で色づけした巻物は、村人でデモンストレーションしてくれている。バリ島の地図やバリヒンドゥのアイコンなどが描かれていて、食指が動いたが、どうせふっかけられるだろうし、一度見ただけでどこにいったかわからんという多くの土産物のひとつになる可能性大なので、写真を撮るにとどめた。
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↑バリマップを作った
 本来のツアーの日程では、このあとはどこか適当なレストランで食事をしてからバリ舞踊を観劇して、ホテルへ送ってもらって終了となる。しかし私の日程は22時発の飛行機に乗らねばならず、20時に空港に着いていなければならない。そもそもバリ舞踊はすでに見たし、夕食は空港のラウンジで済ますつもりだった。
 海沿いの道を走りながら、ブリーさんは「どこに行きましょうかね~」という。このままだと17時前に空港に着いてしまう。私はバリ島の最南端の岬に行くことを提案したが、そこに行く時間はないという。それに提携している店があるので、どこでも自由に行けるというわけではないらしい。
 そこで考えたのがマッサージである。バリ島といえば、特に女性の間ではエステが人気がある。私は男性なので肌の荒れは、歳のせいだと簡単に片づけられるので全く気にしないが、まあマッサージならいい時間つぶしなるのではないかと、ブリーさんに提案して了承された。
 クルマが走っているところは、バリ島随一の主要幹線道路で夕方ということもあって渋滞気味である。バス停は何故か駅のプラットホームのように高いところにある。
 16時45分、それでも時間が余るので、ギャラリアという免税店に寄ることにした。かつてはこうした免税店はブランド物を買い漁る日本人女性であふれていたが、今や中国人だらけで日本人はいるのかどうか分からない状態だ。免税店であるので、地元の人は買い物できず、航空券とパスポートを示し登録する必要がある。
 免税といっても高級品なのでTシャツ一枚買っただけだった。これがバリで買った唯一の土産物となった。
 ここでは30分の買い物した。
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↑バリ島のギャラリア
 ギャラリアからわずか3分走ったところでクルマが停まった。どうやらここでマッサージをするらしい。Galuh Bali Spaという店であった。
 入り口は日本の鳥居のようになっていて、JCBカードが使える。つまりターゲットは日本人であることを示している。こういうところは清潔で安心感はあるが、品質は中級程度であることが多い。
 マッサージは一番安い60分コースにした。今から思えば90分にしてもよかったが、ブリーさん達を早く解放させたいと思ったのだ。
 料金は先払いである。クレジットカードのブランドはJCBしか表記されていなかったが、ブリーさんが何でも使えるはずといったとおりの結果で、VISAでも全く問題なかった。
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↑入口
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↑待合
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↑日本語の注意書き
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↑マッサージのベッド
 ブリーさんに写真を撮ってもらったりして待っているうちに、マッサージ担当者とおぼしき女性が現れた。
 ベッドとシャワーのある小部屋に案内されると、ガウンに着替える。盗難防止のため、着替えはロッカーに入れ、鍵は身につけておく。マッサージ中は身動きがとれないので、これは必要な措置だろう。
 マッサージ自体は平凡で、日本で受けたタイ式マッサージの方が利いている感じがする。技術からすると4500円という値段設定は高い印象だ。マッサージを終えるとシャワーを浴びた。しかしヘアドライヤがないので、その旨をつたえると、別の部屋に連れて行ってくれた。ただしブラシがないので、手櫛となりヘアスタイルは絶望的になった。
 18時39分、ブリーさんお待たせしましたと、クルマに乗る。
 19時前空港着。ブリーさん達に別れを告げた。もう少し感動的なお別れをしたかったが、非常に素っ気ないものになった。
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↑ここでブリーさんとお別れ

6.さらばバリ島
 デンパサール空港はヒンドゥー教のイメージなどないほど、とても近代的だ。
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↑出発ゲート
 ヴァージンオーストラリア航空のブリスベン行きのカウンターはすでに長蛇の列ができている。
 ようやく筆者の番が来た。このヴァージンオーストラリア航空のブリスベン経由のクライストチャーチ行きは、Tripstaという代理店を経由して手配した。メールには、「この領収書とパスポートをチェックインカウンターにお示しください」とある。しかしこの日本語が係員が読めるのかと疑問に思っていた。案の定、係員は英語のはないのかという。こんな場合に備えて、出発前にヴァージンオーストラリア航空のウェブサイトにアクセスして英文搭乗者情報を印刷してあった。しかし私が英語の部分と予約番号を指し示すことで理解できたらしく、英文資料は出番がなかった。
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↑出発カウンター
 チェックインが完了したのは19時55分。空港に来てから1時間を経過していた。
 保安検査と出国審査を抜けてセキュリティーエリアへ。非常にきらびやかで、シンガポールのチャンギ空港よりは落ちるものの、関空よりは雰囲気は上だ。
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↑ターミナルビル内
 紙幣はすべて日本円に両替した。バリ島ではみやげを買うつもりはなかったので、本屋でニュージーランドの道路地図を書った。小銭をここで一部を残してすべて使い、残りはクレジットカードで払った。ここで買った地図は、現地ではGPSナビやスマホが活躍したので出番がなかった。
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↑この日の為替レート
 20時45分、中2階にあるラウンジに入った。プライオリティパスの使えるラウンジは今やお金を払えば利用できるところであり、高級感は全くなくなってしまった。しかしこれはある意味当然である。
 さてここでは食事をするつもりだった。しかし昼食を食べ過ぎたせいかあまり食欲がわかず、少し食べただけにとどまった。
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↑ラウンジ
 ここでは何をしていたのか思い出せない。書き物をしていたような気もするし、繋がりの悪いWifiに悪戦苦闘しながらスマホをいじっていたのかもしれない。
 21時35分、10番ゲートにやってきた。ゲートにはおそらくオーストラリア人と思われる人たちが椅子に座ったり、床にジベタリアンしながら待っている。家族連れも多い。
 飛行機は沖止めでランプウェイバスで移動する。ちょうど私のところでバスは満員となってしまい、立って待っていなければならなかった。深夜とはいえ発着数が多く、業務用車両が右に左に動いている。
 待つこと15分、やってきたバスに乗る。
 暗闇にVirsinの赤い垂直尾翼が浮かんでいた。タラップは2本あって、私は後ろから乗るように指示されていた。
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↑ヴァージン航空機
 機体はボーイング737-800で左右3列ずつ。筆者は通路側で右隣は赤ちゃんを連れた若い夫婦であった。窓側の男性が子供を抱き、母親は希望者に配られたWifi端末で機内エンテを楽しんでいた。
 機内は消灯し紫色の光が妖しく輝いていた。22時15分に離陸した。
 機内はほぼ白人という感じでまるで異物のような日本人は私だけのようであった。
 一秒でも早く寝たい気分だが、飲み物のサービスが始まるまで座席を倒すこともできない。
 23時に機内食。朦朧とした意識の中で食べた。
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↑白人が目立つ機内
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↑機内食
 食べ終わるとすぐに睡眠に入った。
 さらばバリ島。

 続きは「ニュージーランド旅行記2016」をお読み下さい。
ニュージーランド旅行記2016


7.バリ島の印象
 筆者は2009年の極東ロシア旅行記に書いたように、バリ島への航空券を購入しながら「求めているものがそこにない」という理由で、キャンセルした経緯がある。それなのに何故バリ島に興味を持ったかといえば、2015年のフィリピン旅行がきっかけだ。そこで一緒に泊まった日本人客から「バリ舞踊は見るべき価値がある」と言われたからだ。それ以来「そうなのか」と思いつつバリ島へ行く機会を伺っていたのだ。
 そうして、やってきたバリ島だが、最初に割高なエアポートタクシーに乗ったので、もう一つ印象が悪かった。しかし時間が経つとなかなかいいところだと思うようになった。昼間は暑いが夜は涼しいし、物価が安い。左側通行や宗教的概念など何か日本とよく似たところがある。インドネシアで最初にリゾート開発された島なので、観光客を扱い慣れているので、リゾートで長期滞在にも適していると思われる。その芸術性に魅せられて白人の移住者も多い。正直、筆者もここで暮らしてもいいとも思った。
 ただクルマの運転が荒いのと、社会インフラが清潔感に欠けることが難点だ。それに医療の面はどうしても不安を感じてしまう。さらにブリさんによると地震は結構あるらしい。やはり暮らすとなると日本人は日本で暮らすのが一番いいようだ。
 当初予定にはなかったことであったが、バイクで走り回ったのは面白かった。結局目的地には到着しなかったが、どうしても到着しなければならないところではなく、とりあえずの目標だったから問題はない。帰国後、125CCのスクーターの魅力にとりつかれ、購入を検討することとなった。
 このバリ島旅行はニュージーランドの日程を削ってでも来た価値はあったと思う。次回は豪華なリゾートホテルでのんびりしたいものだ。海辺でデッキチェアに座り、トロピカルアイスティーを飲みながら本を読む。そんなことを夢想している。



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