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第4回令和記念西国33カ所ツーリング [旅行]

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↑1日目のルート
2019年7月7日 曇
 今回は数多くの寺院がある京都が中心なので泊まりがけで行く。10番札所の三室戸寺から19番札所の革堂まで対象とする。
 5時55分、自宅の車庫を出発。バイク専用ナビゲーションアプリ、ツーリングサポーターを起動する。三室戸寺の到着は10時30分となっていた。予想よりも遅い。これでは上醍醐への登山は無理ではないかと思われた。とにかく国道24号線、鍋谷峠、外環状線、国道1号線バイパスを通った。途中、富田林のガススタで給油も兼ねて休憩した。楽天ポイントが使える出光を選んだ。平日なので外環状線の八尾以北は当然のように混んでいた。大型トラックのすり抜けは緊張する。1号線バイパスは路肩が広く、高速道路同然で進むことができる。ここで一気に時間を詰めた。
 10時8分に三室戸寺に着いた。入山料は800円と高い。この寺はあじさい寺という異名があり、実際に広大なあじさい園がある。しかしあじさいはもう枯れはじめており、むしろハスの花が見頃であった。中国人や巡礼ツアー客がいたせいもあって、平日なのに30人を越える参拝者が訪れていて活況を呈していた。おそらくあじさい寺のブランド力だろう。
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↑入り口
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↑山門
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↑紫陽花が咲いている
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↑さらに階段を登る
 「強打禁止」と書かれた鐘をついた。本堂の前に「勝運の牛」と「福徳兎」の御影石の像がある。なんかとってつけた感がある。蝋燭と線香はそれぞれ50円。線香は祈願線香しかなかった。「心願成就」を選んだ。納経と書かれた白い状差しみたいなのが置かれていたが、何も入っていなかったので、御朱印をいただく前に手渡した。三室戸寺の朱印はシンプルな筆使いだ。帰りはあじさい園を抜けて帰った。動物園にあるような回転扉を押して退園したのは10時50分。出たところのテントで土産物を売っていた。
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↑新旧御朱印
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↑「強打禁止」と書かれた鐘
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↑勝運の牛
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↑福徳兎
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↑線香
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↑あじさいを強調
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↑あじさいも見頃を過ぎて
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↑動物園の出口のような回転扉
 11番札所醍醐寺へはバイクで20分ほど。駐輪できるようなところが見つからなかった。「五大力うどん」の昼食を食べている時に、背中に「原付で日本一周してます」と書いた男が店に入ってきて「バイクはどこに停めたらいいですか?」と着物を着た店員に聞いていた。店員は「トイレの前のスペースに置いて下さい。そこなら無料です」と返答した。食べ終わってから私はバイクをそこに移動した。
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↑醍醐寺駐車場
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↑五大力うどん
 入山料はいわゆる宝物殿たる霊宝館と三宝院を含めて800円。受付の人は「西国巡礼の方は観音堂で朱印をお受けいたします」とのことだった。西国巡礼の対象は上醍醐寺となっているが、その伽藍は落雷で焼失しており、醍醐寺内の観音堂が11番札所になっているのだ。上醍醐は現在再建中で、入山料600円を払って登ることができるのだが、そこには建物の一部が残るだけらしい。何より3.6キロ1時間の山道だ。体力的に問題がなくても、時間がなさ過ぎる。醍醐寺の現状を見てからお参りするのは断念した。
 ツアー客がさっきのうどん屋にゾロゾロ入っていったのを見たが、他には10数人の参拝者数。昨年の豪雨で木がなぎ倒され、醍醐寺全体としては再建に4億6千万円以上要するとのこと。寄付を募っていた。日本の神社や寺院は古来そのような自然災害に見舞われるので、その度有力者の寄進や民衆の浄財を集めて再建していた。
 金堂、五重塔を抜けて日月門を過ぎて観音堂がある。広大な寺域の割に伽藍は少ない。
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↑参道
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↑五重塔
 観音堂も損傷しているらしく裏から入らないといけない。無地の蝋燭と線香3本で100円。写経は納め札入れの横に積み重ねられていた。参拝者は私一人だけだった。なのに納経所には二人いた。
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↑新旧御朱印
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↑観音堂
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↑仮設看板
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↑納経
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↑燈明線香
 池の先には金網越しに上醍醐への登山道が見える。上醍醐へは後日、天気のいい日に、バイクではなく電車で訪れることにする。
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↑上醍醐への道
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↑通行注意の看板
 三宝院は立派な唐門と庭園が素晴らしい。襖絵は時代を超越した色彩だが撮影禁止である。
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↑庭園
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↑写経所
 霊宝館も仏像がまた素晴らしい。五大力王像はさっき食べた五大力うどんの由来だろう。たぶん五大力は醍醐にも掛けているのではないか。
 次の12番札所岩間寺を目指す。上醍醐から岩間寺までの直線距離は短く、古来は山道を通って行き来していた。しかも醍醐寺と岩間寺は親戚のような関係がある。しかしバイクはもちろん、徒歩でも行き来は難しい。大津を通って大きく迂回しなければならない。国道1号線で道を間違え、気がつくと敦賀方面の湖西道路を走っていた。
 道案内はすべてツーリングサポーターにお任せした。岩間寺は平成の西国巡礼で最後に訪れた寺だ。その時は石山から自転車を借りて、岩間寺を目指したものの、自転車で急な山道を登る困難さを考え、途中から寺まで3キロほど走ってようやく御朱印を書いていただいた。前回訪問時に自転車を停めた上千松バス停は、当時あった待合ベンチが撤去され、参議院議員選挙のポスターが掲示されてた。
 そのような思い出があるので、見る風景に確かな記憶があった。自転車で登る猛者を見かけた。かなり苦戦していた。私のアドレスもエンジン全開で頑張っている。
 13時45分、岩間寺に着いた。平日で閑散としている。駐車場には2台しか停まっていなかった。受付らしき小屋には誰もおらず、「入山料500円は納経所にてお支払い下さい」とある。
 前回7年前に参拝した時には、醍醐寺の住職が岩間寺に入ってから、旧檀家と揉めていて嫌がらせの立て看板があったが、和解したのかそれは撤去されている。去年の台風の影響か建物があちこち壊れていた。本堂の両脇に納経所とお守りやお札の置き場があるというこじんまりした造りだ。
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↑境内は一部損壊している
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↑本堂
 燈明1本と線香2本で100円。燈明は願掛けしかなく「ぼけ封じ」を選んだ。写経は賽銭箱の横に積み上げていく。読経と参拝を済ませてご朱印をいただいた。
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↑新旧御朱印
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↑燈明
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↑祈祷御札
 岩間寺というのは通称で、正式名は岩間山正法寺という。西国33カ所の12番札所であると同時に、ぼけ封じ近畿十楽観音の4番札所でもある。
 岩間寺をあとにし、13番札所石山寺を目指す。
 20分ほど走って、14時30分に石山寺観光駐車場に着いた。毎度駐輪場に苦労するのが面倒なのでそこに停めることにした。料金所の横に停めるよう促され、200円を徴収された。なんだか罠にかかったような気分だ。
 石山寺といえば、紫式部がここで源氏物語を執筆したことと、かつて切手の意匠に採用された多宝塔で有名だ。寺としては紫式部を前面に押し出した商売をしている。あちこちに紫式部だらけである。入山料は400円。
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↑石山寺山門
 石段を登ると岩の上の向こうに多宝塔が見えた。ただし木が邪魔してよく見えない。さらに石段をあがって近づく。石山寺の多宝塔は1194年に建立された日本最古の塔だが、おそらく日本一美しい形を伝えている。
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↑有名な多宝塔
 経堂の下の空間にある岩には座布団が置かれている。ここに座ると安産になるとの言い伝えがある。岩がちょうど座椅子のような形になっている。
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↑ここに座ると安産
 本堂は多宝塔より古く、1096年に再建されたもので、滋賀県で最も古い建物だ。源頼朝が鎌倉幕府を開くより100年も前に建てられたわけだから、当然国宝に指定されている。国宝を煙から保護するためか、線香はなく、燈明のみだ。蝋燭は1本50円だ。写経は賽銭箱の横に積み上げていく方式だ。読経と参拝して御朱印をもらった。
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↑新旧御朱印
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↑歴史を感じさせる本堂内
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↑線香は禁止
 紫式部の人形が飾られているのは当然として、MURASAKIというデジタルアートも存在している。
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↑石山寺といえば紫式部式部
 母親からお土産を頼まれていた。石山寺の近くにある「茶丈藤村」という店の和菓子である。彼女の遠い記憶を元に「千山万水」というのを買った。あとで食べると記憶とは違ったそうだ。しかし胡麻入り白あんの菓子は美味であった。
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↑茶丈藤村の店
 次に14番札所の三井寺を目指す。琵琶湖湖岸の大津市の中心街を通る。大形商業施設やホテルが並んでいる。
 20分ほど走って16時00分頃三井寺に着いた。嬉しいことに下は砂利ながら駐輪場が用意されていた。西国巡礼を始めて明確に駐輪場がある寺は三井寺が初めてであった。
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↑三井寺には駐輪場がある
 三井寺は通称であり、正式には長等山園城寺と称する。境内に三つの井戸があることから三井寺と呼ばれるようになった、というのは俗説で、実際はこの寺に湧く霊泉が天智、天武、持統の3代の天皇の産湯に使われたことから「御井(みい)」の寺といわれていたのが転じて三井寺となったらしい。
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 三井寺の境内は広大だ。仁王門、釈迦堂、金堂、経蔵の他に、伝説の名鐘「弁慶鐘」というのがある。弁慶が三井寺にあったその鐘を奪って比叡山に引き上げた際、三井寺に帰りたがる鐘を谷底に投げ捨てたという伝説がある。それ以降変事の前兆がある時には音が鳴らなくなったりしたという。
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↑弁慶鐘
 珍しいものとしては孔雀明王として実際に孔雀が飼われている。孔雀は不思議な鳥である。鳥類の場合、オシドリのように雌を誘うために派手な色彩をした雄がいるが、孔雀は人間が改良して作ったのではないかと思うほど派手である。
 そんな広大な三井寺境内を7言語で説明してくれる無料のナビアプリがある。アプリの場合、保存性に難点があるものの、一時的な解説には便利だ。令和時代は電子マネーも含めた寺社のIT化は進行することだろう。
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↑寺もIT化が進む
 創設時の風景を維持するために、境内の道は砂利であえて舗装されていない。そのため映画の撮影に使われ、それを示す立て看板がある。
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 微妙寺という変わった名前の寺を通って、観音堂に着いたのは16時25分。もっとじっくり見たかったのに足早で歩いたのは、だいたい寺というのは16時か17時になると朱印の受付が終わってしまうからだ。
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 燈明は50円、祈願線香は1本100円だった。納経は賽銭箱の横の納札入に「写経は受付へ」と貼り紙していたのでそのようにした。読経、参拝、ご朱印をいただいた。
 もう寺は後片付けに入っていて、私のあげた蝋燭の火は消され、楼を掻き落とす作業を行っている。何はともあれ予定通り5ヶ寺の御朱印はいただいた。
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↑新旧御朱印
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↑本堂
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↑線香立て
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↑燈明
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↑本堂全景
 今夜は宿泊し、明日は京都市内の6カ寺を巡礼する。ホテルは大津市内ではなく、草津市内とした。大津市内のホテルは駅前にあり、駐輪できるかどうかわからなかったなかったからだ。駅前の駐輪場は125ccは不可というところもある。それなら駅から離れた郊外のホテルの方がいい。それと宿泊費、快適性などを考慮して選んだのは「草津第一ホテル」だった。
 近江大橋を渡り、17時20分ホテルに着いた。駐輪スペースはなかったものの、駐車場の空き地に停めることができた。吹きさらしだが仕方がない。盗難防止にU字ロックを掛ける。
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↑草津第一ホテル
 ホテルの部屋は喫煙室で臭いが鼻についた。しかしすぐに馴れた。最近リニューアルされたらしく、特にベッドがスッキリしている。しかしユニットバスは旧来のままだ。
 近鉄百貨店草津店へ夕食の買い出しに行く。ここの食料品売り場は成城石井が入っていた。今夜は外食せず、スーパーで買ったものをホテルの部屋で食べることにした。
 酩酊して22時頃横になって寝た。

2019年7月8日
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↑2日目のルート
 何回か目を覚ましながら7時30分起床。
 朝食はバイキング。内容は東横イン並みで少々残念だった。客も5人ほどだった。
 8時30分にチェックアウトし、8時45分に出発。天気は雨は降っていないものの、今にも雨が降りそうで、バイクのシートは濡れていた。
 まずは、番外札所山科の元慶寺を目指す。ツーリングサポーターの到着予定時刻は9時32分。ほぼ予定通りの9時26分にナビの指定場所に到着した。住宅地を縫う曲がりくねった道を進んだ先は砂利の駐車場で行き止まりだった。どこに寺があるのかわからなかった。駐車場の札をみると「元慶寺」とあり、「寺→」の看板に従い、その横の小径を抜けると確かにその寺はあった。ツーリングサポーター恐るべし。バイクは邪魔にならない場所に置いた。
 元慶寺は唐風の門を持つこじんまりした寺で、まるで街中の檀家寺のようだ。青々とした木が眼にまぶしい。本堂以外に何もない。手水場もなく、火鉢くらいの大きさの壺に水が溜まっているだけだ。
 燈明は1本30円、線香は1本10円で賽銭箱に直接入れる。写経は郵便受けのような箱に直接入れる。おそらく私は本日最初の参拝者らしく、線香も蝋燭も人気がなかった。
 読経、参拝、合掌。
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↑唐風の山門
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↑石畳の参道
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↑本堂
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↑燈明線香
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↑手水所
 奥に進むと納経所があり、とても僧侶に見えない普通の初老の男性に御朱印を書いていただいた。普通の寺なら維持費にも事欠くだろうが、西国33カ所の番外札所の看板は大きく、それなりに裕福に見える。
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↑新旧御朱印
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 次に15番札所今熊野観音寺に向かう。10時5分に着いた。今熊野観音寺は泉涌寺の敷地内にある。泉涌寺の門の手前にレンタサイクルを置いていたので、そこにバイクを停めた。
 泉涌寺は皇室の菩提寺である。明治以降は天皇の神秘性を高めるために仏教を切り離すことになったので、公式な関係はないが、それでも年に数回皇族の私的訪問がおこなわれ、宮内庁の事務所も設置されている。
 そこから歩いて8分ほどで今熊野観音寺に着いた。ここには駐車場があり、駐輪スペースもある。ただしクルマはギリギリ通れる道幅しかない。
 今熊野観音寺は「いまくまさん」の通称で知られるが、正式には新那智山観音寺と称する。
 下から見上げると清水寺の舞台のような鉄筋コンクリート造りの建物があるが、そこが僧侶の学習施設らしい。弘法大師ゆかりの寺なので大師堂が存在する。その向こうに赤い三重塔がある。
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↑山門
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↑舞台風の本堂
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↑本堂
 燈明は小が1本50円、大が100円、線香は1本10円である。写経は靴を脱いで上がった本殿内に「写経箋」と書いたところがあるので、そこに積み重ねた。
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↑線香立て
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↑写経は積み重ね
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 読経、参拝、合掌。
 御朱印をいただいた。ここの住職はなかなか気さくで参拝者と話をしながら書いている。
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↑新旧御朱印
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↑寺をあとにする
 次は16番札所清水寺に向かう。京都で最も参拝者の多い寺。京都観光する場合はこの清水寺と金閣寺は外せないだろう。最近は外国人旅行者が増えてテーマパークのような雰囲気になっている。クルマも満車なのに待っていて身動きできなくなっている。バイクはその横を軽くすり抜けた。それにしても駐輪スペースがないので、諦めて有料駐車場に置いた。前払いで400円だった。2時間以内でお願いしますと書いているが、係員がいちいち把握しているわけではない。
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↑清水寺駐車場
 11時15分、ずらりと並ぶ土産物店を抜けると、朱色の仁王門が出迎えてくれる。レンタル浴衣を着た外国人が自撮り棒を使ってインスタグラムしていた。日本人より中国人の方が多い。
 本堂は参拝料400円が必要だ。とにかく人が多く、大きな鐘を叩くのすら15分ほど並ばないといけない。前回訪れた時にはこんなことはなかった。
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↑山門
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↑舞台から見た音羽の滝
 燈明は1本50円。蝋燭は鐘を打つ人の行列に少し割り込むようにして立てた。線香は探したが売っているところも香炉もなかった。写経は靴を脱いで上がる本堂の中の賽銭箱の前に積み重ねていく。中にはボールペンで写経している人もいる。それもありなのだろう。ここで読経と合掌をする。
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↑燈明
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↑写経
 納経所は少し離れたところにある。音羽の滝から上がれば本堂に入らずに御朱印をいただくことも可能だ。清水寺は観光客は多いが、巡礼者はさほどではなく、ほとんど並ぶことなく御朱印をいただけた。私は散華はダイソーで買ったビニールケースに入れている。御朱印を書いてくれた人が「これ何?」と覗いていた。
 最近は外国人でも御朱印をもらっている人がいるようだ。その外国人が手にしていたのは浅草寺の朱印帳だった。
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↑新旧御朱印
 せっかく清水寺に来たのだから、音羽の滝の霊水をいただこう。音羽の滝の清らかさにちなんで清水寺と名付けられたのだ。並んでいるのは一部の白人を除き、全て中国人だった。みんな手水場の作法に従って、勺に口をつけることなく飲んでいる。マナーは確実に向上しているようだ。
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↑音羽の滝の行列
 清水の舞台は修復工事中で黒い幕と足場で覆われていた。
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↑舞台は工事中
 喧噪な清水寺を去り、17番札所六波羅蜜寺に向かう。そこで駐輪できるかどうかわからなかったので、バイクを置いたままそこまで歩いて行くことにした。
 12時15分、歩いて10分ほどで六波羅蜜寺に着いた。周辺は民家は外国人向けのゲストハウスになっているところがある。
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↑街中にある六波羅蜜寺
 六波羅蜜寺は平家盛ゆかりの寺で朱色の本堂こそ立派だが、山門もなく、街中の小さな寺に見える。道路から本堂は丸見えであり、その距離は20mも離れていない。
 燈明は1本30円、線香も3本で30円。蝋燭の種火は香炉の近くにあり、火がついても蝋燭立てに持って行くまでに風で消えてしまう。手で囲むようにしてようやく立てることができた。
 靴を脱いで本堂に上がる。写経は賽銭箱の中に「御写経御納経」という箱の中に積み重ねていく。
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 参拝、読経、合掌。
 本堂の端の方に納経所があり、そこで御朱印をいただいた。ここのおみくじは乱数によるものでなく、「四柱推命」をもとにした生年月日と性別で占う開運推命おみくじというもので、400円もするが、結構評判が高いらしく、私の前にいる参拝者はそのおみくじの結果で盛り上がっている。このおみくじは13歳未満と88歳以上は対象外となっている。
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↑新旧御朱印
 清水寺に戻り、昼食はどうしようかウロウロする。こんな時は混んでいる店に入れというわけで、選んだのは「京都勝牛」という牛カツ屋。田舎者の筆者は知らなかったが、既に全国展開しているチェーン店らしい。豚カツではなく牛カツ。関西では串かつは豚肉ではなく牛肉を使うのが主流だ。
 狭い店内は混んでいたが、テーブル席にありついた。客は目の前の着物を着た男女以外はすべて中国人だった。ここの特徴は肉の他に、ソース、山椒、山葵醤油、ポン酢と付ける物が豊富なことと、ご飯のおかわりが自由な点だ。
 食べてみると味は悪くない。山椒と山葵醤油が私の好みだ。もう昼には遅い時間帯だが外には行列ができている。これで1280円+税は安いかもしれない。
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↑京都勝牛
 次は18番札所紫雲山六角堂頂法寺に向かう。京都の道は一方通行が多いのでナビに頼った方が賢い。
 バイクで15分ほど走り、13時30分頃六角堂に到着。例によって駐輪場には苦労したが、納経所の横にバイクを停めているのを見て、その後ろに停めた。よく見ると「参拝者以外のご利用はご遠慮下さい」とあるから、ここは駐輪場らしい。前の民間駐車場はバイクは400円取られるようだし、周辺では違法駐輪の取締もしているみたいだし、これは助かった。
 六角堂は聖徳太子が創建したという古い寺だが、もしそうならそれは京都に都が移る前ということになる。そんな昔からあると思えないから、これはおそらく伝説だろう。しかし聖徳太子はともかく、古い時代に誰かが建てたのは間違いない。特徴は本堂が六角形をしていることで、京都の中心部に位置することから「へそ石」が境内に残る。また生け花の発祥の地でもある。
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↑山門
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↑コラボ?
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↑手水所
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↑本堂
 建物が六角形であるかどうかは周辺の高いビルから見れば一目瞭然なのだが、狭い敷地から見るとそれを実感できない。となりのウエスト18というビルからはよく見える。
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↑六角堂の一部
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↑寺はビルの狭間にある
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 境内は松の木と柳の木が何やら生け花か盆栽のように彩りを添えている。
 燈明は赤と白がありどちらも1本20円。線香は2本10円。2本というのはちょっと他に例がないが、ここではそれが普通なのだろう。香炉の灰の真ん中に練炭が仕込まれていて、それで点火する。
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↑蝋燭は赤と白
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↑線香
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 写経は賽銭箱の横に箱に積み重ねていく。
 鳩の数が尋常でない。どうやらちょっと頭のおかしい男が餌を蒔いているせいだ。納経所には「鳩が入るので扉はすぐに閉めて下さい」と書かれている。
 御朱印をいただき、外に出ると、少し雨が落ちてきた。
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↑納経所
 これはずいぶんあとに気づいたのだが、平成に西国33箇所参りは終わったと思ったのだが、なんとこの18番札所は参拝していなかったのである。順番はバラバラでどこかにいったついでに参っていたので見落としていたのだ。令和になって全部参ったのだから、巡礼はできたことになるのだが、平成でも1回やったという自負があっただけに打ち砕かれたような気分になった。
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↑御朱印は令和のみ
 次は19番札所革堂に向かう。14時15分、ツーリングサポータにしたがって到着した目的地は革堂ではなく、隣の下御霊神社であった。元慶寺で発揮したあのナビ能力はどこにいってしまったのか。駐輪できるところは見当たらず、その神社の壁に沿うようにして駐輪した。
 革堂は通称で、正式には霊麀山行願寺という。革堂の由来は開基の行円上人が元猟師で自分が射止めた牝鹿の皮に経文を書き、それを寒暑に関係なく身に付けていたことに由来する。本名の行願寺よりも革堂が有名で寺町通りから見える看板にも「こうどう」とあるし、赤大提灯にも「革堂観音」とある。小さな寺だが、蓮の花が咲きかけでもうすぐ見頃を迎えることだろう。
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↑山門
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↑本堂
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↑燈明線香
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↑線香立て
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 燈明は1本30円、線香は3本で20円。六角堂が2本10円だったが、この違いは一体なんだろう。細かいことだが考えさせられる。
 写経は賽銭箱の横に、正月の鏡餅を置く三宝のような台があり、「写経はこちらに置いて下さい」とある。20cm角ぐらいの小さな台なので、きれいに折って置いた。
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 参拝、読経、合掌。
 納経所は本堂の横にあり、御朱印をいただいた。14時30分に寺を後にした。
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↑新旧御朱印
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↑看板
 時間はまだあるので、東寺に行くつもりでナビをセットしたものの、降り続く軽い雨が心配なので、自宅に直行することにした。
 ツーリングサポーターのよる到着時刻は18時50分頃となっていた。4時間強の長いツーリングである。
 皮肉なことに、自宅に向かいだすと、天気は回復し、晴れ間も覗くようなった。しかしもう遅い。
 国道24号線を南下し、国道1号線バイパスと合流。ここからは事実上高速道路で寝屋川から外環状線をひたすら南下する。もうこのルートを通るのは4回目だ。外環状線で印象的なのは大東市の大阪桐蔭高校の校舎と富田林のPL教団の塔だ。
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↑PLの塔が見える@富田林
 16時10分、東大阪のマクドナルドで休憩する。疲れていたので休憩時間は30分を越えてしまった。
 外環の河内長野を過ぎるとガススタが減るので早い目に給油した。コスモ石油に「楽天ポイントが貯まる」という幟があったので反射的に入る。しかしポイントカードは受け付けなかった。嘘つきだ。いや私のやり方が悪いのだろう。
 ここからはノンストップで走った。鍋谷峠を越えたらもうこっちのものという感じだ。あとは慣れた道をひたすら走るのみ。
 19時02分、車庫に戻ってきた。走行距離は358.4km。この日もアドレスは頑張った。次の出撃までにエアクリーナーを掃除してあげよう。
ーーーつづく

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