第3回令和記念西国33カ所ツーリング [バイク]
2019年6月24日 晴
第3回令和記念西国33カ所ツーリングに出発。今日は奈良県内の壺阪寺、岡寺、長谷寺、法起院、興福寺南円堂の順に参拝する。
7時10分自宅を出発。まずは吉野家で朝食。納豆牛小鉢定食は390円のわりには食べ応えがあった。
↑納豆牛小鉢定食
国道24号線を東に進み、五條から国道370号線に乗って、壺坂寺に着いたのは9時15分。駐輪場は見つからなかったので、その先にあるハイキング用の駐車場の端に停めた。そこから草ボウボウの階段を降りたところが壺阪寺だった。その入口は山門というものはなく、学校の校門のようだ。入口の近くにクルマが数台置いてある。500円支払えばこの近くまで上がって来れるようだ。バイクも一台置いている。これはもしかすると駐車場の有料ゲートの脇の隙間を通り抜けたのかもしれない。
↑草ボウボウの階段を降りる
↑右手の門で入場料を払う
壺阪寺は通称であって、正式名称は壷阪山南法華寺という。山号で呼ばれるという点では2番札所の紀三井寺と同じだ。
壺阪寺は入山料が600円と高い。これは寺域の広さもさることながら、古来眼病に霊験あらかたな寺とされていて、養護盲介護施設を運営しているので維持費がかかっているからかもしれない。
仁王門をくぐり、インドから取り寄せた石で造られた大釈迦如来石像を拝見し、車椅子エレベータのある階段を上がってさらに横にスロープのある階段を上がると、釈迦の生涯を描いた絵が出迎えてくれる。三重塔の横を抜けると本堂があった。本堂と八角堂は繋がっている。しかし八角堂の全容は敷地の関係で見ることはできなかった。
↑山門
↑三重塔
靴を脱いで八角堂に上がる。中は十一面観音を筆頭に所蔵の仏像が安置されている。絵馬にひらがな一文字の「め」と書かれているのが慈眼観音といわれる壺阪寺らしかった。
十一面観音の安置されている内陣の手前には椅子が数列置かれていて、さらにその後ろに燈明と線香が置かれている。小ろうそくは30円、線香も30円。大ろうそくは100円で祈願ローソクは200円であった。どの寺でもそうだが、寺で売られている線香と異なるのが立っていることがある。家から持ち込んだものらしいが、線香ぐらい寺のを買ってあげたらと思ったりする。
↑木製スロープで本堂へ
↑内陣
↑写経奉納箱
参拝をしようと思ったら、青いシャツをした年配の男性が経典を見ながら読経している。サンスクリット語のような聞いたことのない経で時折般若心経が混ざる。筆者としては般若心経を読経して参拝したかったので、彼が読み終えるのを待つことにした。しかしいつ終わるともしれなかったので、書いた写経を納経奉納箱において、般若心経の読経をはじめた。けれども隣の男性の読経に押されて乱れがちだった。やっぱり待った方がよかった。
納経帳は女性職員の手によるものだった。期間限定西国33カ所巡礼草創1300年の印が誇らしい。売店は眼に関する薬やお守りが多く売られている。人間は内臓は丈夫でも眼は真っ先に老化する。私も老眼で本は読めず針に糸が通らなくなっている。
↑左が平成、右が令和
壺阪寺はインドとの交流に積極的で恵まれない人々への援助も行っている。私も500円の綿製ランドリーバッグを買って貢献した。
↑ランドリーバッグは無人販売
次に岡寺に向かう。保存された古い町並みを抜け、狭い石畳の道を上がったところに駐車場があった。この狭い道を上がれば無料駐車場があるのだが、その手前の駐車場は民間経営で有料だ。既に2台の大型バイクが置かれていた。バイクの自由自在さのありがたみを享受した。
岡寺も通称であって正式名称は東光山龍蓋寺という。岡寺の由来は奈良県明日香村岡にあることによる。岡寺の方が知名度が高く、宗教法人名も岡寺である。
↑岡寺の門
天気がよく暑くなってきた。近鉄バスツアーの客が多い。明日香村を徒歩で巡っている人もいる。
入山料は400円。濃い赤い色の仁王門を抜け、緩い階段を登った。鐘をつく。ゴーンという音が鳴った。鐘は参拝する前につくもので、帰りにつくのは「出鐘」「戻鐘」といって縁起が悪い。しかしそれをやっている人を見かけた。もしついたらもう一度お参りしないといけない。
↑本堂
境内ではスピーカーで岡寺の由緒を紹介している。こういう寺は珍しい。線香、ろうそくとも30円であった。線香は本堂の手前、ろうそくは本堂の近くにあった。ろうそくは自分でマッチで擦って火をつける。マッチの火を消す水が用意されている。
写経は「御写経奉納所」というところに積み上げていく。結構若い夫婦も写経を納めていて驚く。
作法通り読経してお参り。私はいつも特に願い事はせず、これまでの健康に感謝し、なるべく無心で般若心経を周りの人に迷惑にならないように小声で読経している。
一字写経というのがある。「観音妙智力」の中から1字を選んで書けということだか、納められている紙に書かれている文字は「生」だった。
納経帳はほとんど待ち時間もなく書いていただいた。
↑左が令和、右が平成
モチの木に直径3cmくらいの木の玉がぶら下げられている。これは龍玉といって願い事を書いてぶら下げると御利益があるという。すでに付ける余地がないほどだ。
↑龍玉
前回、岡寺の近くには有名な石舞台がある。今回は時間がないので見なかった。
次は長谷寺に向かう。Yahooナビの指示通りに30分ほど走ると、着いた場所は長谷寺ではなく、近鉄長谷寺駅であった。
↑近鉄長谷寺駅
12時00分前、そこからバイクで5分もかからずに長谷寺に着いた。しかし例によって駐輪場というものはなく、駐車場の片隅に勝手に置いた。近くに警備員が立っているのが気になるが、邪魔にならないから何もいわれないだろう。
↑バイクはこの手前に置いた
参詣者は多い。寺の近くの駐車場は満車だ。昼前という時間帯もさることながら、鉄道でのアクセスも良好な点や、長谷寺自体魅力のある観光地だからだろう。バスツアーの客も多い。
寺の位置口に旅館の歓迎○○ご一行様のような札が上がっている。そこには団参と書いてあって、埼玉四号・観音寺、越後・宝珠寺とある。どういう意味なのだろう。
↑団参とは?
入山料は500円。アジサイが咲き誇っている。しかし写真に撮ると迫力不足だ。
↑この写真だけでは・・・・
長谷寺の名物は、登廊と呼ばれる屋根付きの階段だ。登っていくうちにだんだんと急になっていく。参拝者の中には「槙尾山に比べれば大したことない」といいながらも必死の形相で登る人がいた。
↑長谷寺といったらここでしょう
参拝の前に長谷の舞台から下界を見る。寺の舞台といえば京都清水寺があまりにも有名だが、長谷寺も地味ながらなかなかの迫力だ。33カ所巡礼ツアーの人々が読経していた。
↑舞台からの眺め
↑舞台側の本堂
まずは本堂の外にある線香をあげる。3本50円。蝋燭は本堂の中にあり、これも1本50円だった。ろうそく台にある赤いろうそく種火ということだが、これがガラス戸の端にあってつけにくく、服の袖が燃えやしないかと心配だった。
賽銭箱の近くに投票箱のような箱があり、そこには「西国三十三ヶ所巡礼納め札と写経にのみお納め下さい。」と書いてあった。せっかくの写経を折って入れるのは嫌なので、納経所で直接渡すことにした。
本堂にあるべき難陀龍王像は東京国立博物館に「出座中」とのことであった。
納経所は長い列ができていて15分ほど待った。藤原定家の塚に行ってみたかったが、時間がないので断念し、往路の登廊をそのまま降りて下山した。
↑左が平成、右が令和
寺の入口に屋根と自販機と机と椅子がある休憩所があった。ここで昼食とした。今回も前回と同じ、非常食の乾パンだ。日差しが強いので屋根は助かる。
長谷寺の近くには番外札所法起院がある。長谷寺から歩いて3分ほどだった。街中の檀家寺のような小さな寺で、お守り売り場などはない。入山料も必要ない。しかしお手洗いは立派で、本堂の横の住まいらしき場所もアルミサッシの近代的な様式となっている。
↑道路から見た法起院
↑本堂
↑アルミサッシも違和感なし
線香、ろうそくはお志ということなので100円玉を入れた。お守りはないが札は売っている。これらは無人信用販売だ。
↑蝋燭線香は志
写経はどこに置くのだろうとキョロキョロしていると、藍色の作務衣を着た納経所の住職から「写経は座敷に上がって、前にある納経と書かれた木の箱に納めて下さい」ということだったのでその通りにした。箱のまえに小さな賽銭箱があるので小銭を入れた。
住職は「バイクで来られたんですか?何ccに乗っているんですか?」と朱印を書きながら私に尋ねた。彼は「私もハーレーに乗っているんです。乗る機会は年3回から4回ぐらいなんだけど、いじるのが楽しいのですね」と言っていた。私はやや負け惜しみながら「125ccは小型で取り回しがしやすくて楽ですよ」と言い返した。
↑左が令和、右が平成
13時30分長谷寺をあとにし、9番札所興福寺南円堂を目指す。
日差しが強く、汗をかいていたが、夏用のメッシュのバイクスーツなので風がメッシュを通る時に強力になり、汗を乾かしてくれる。
Yahooナビの指示に従ってバイクを走らせた。経路には全く予備知識がなかった。県道38号線で初瀬ダムの横を抜け、農道を通って名阪国道福住ICをくぐった。県道186号線に入ると山深くなり、クルマ一台が辛うじて通れるような狭い道で「おい、大丈夫か」と思った。曲がりくねった道をアップダウンする。後ろに大形二輪が2台ついてきているので道を譲った。ツーリングでは結構有名な道かもしれない。途中崩落している箇所があり、工事用のダンプカーが行き来していた。
県道80号線に入り、間もなく若草山を抜けて、14時30分、奈良公園にやってきた。今や国際的観光地奈良。外国人があふれている。彼らは「日本では鹿ですらお辞儀をする」のを見て楽しんでいた。
興福寺の敷地はバイク進入禁止と書いてあった。仕方がないので奈良公園の駐輪場に停めた。駐輪場といっても公園の端の駐輪スペースで下は土だ。もちろん鹿も徘徊しているので悪戯されないようヘルメットはリアボックスに隠した。
興福寺は平安時代に栄華を誇った藤原氏の氏寺である。寺域は広いものの、建物は少なく空き気味である。これは古来から何度も焼失しながら、未だ再建が果たされていないからである。興福寺の中心施設というべき中金堂は昨年に再建されたばかりである。南大門は再建準備中らしい。
↑東金堂
↑五重塔
↑南大門跡
西国33カ所の対象になっているのは、興福寺で中金堂を除けば最も大きな伽藍である東金堂ではなく、小さな南円堂であるのは何故だろうか。この南円堂は度々焼失されてもいち早く再建されているのだ。これは建立当時の実力者藤原冬嗣がこの南円堂に深い縁があるらしかった。
東金堂や中金堂は有料だが、南円堂の参拝は無料である。御朱印の手数料だけで十分経費を賄えるからだろう。
ろうそく、線香はそれぞれ50円。願い事を書いた祈願線香は100円だ。
お参りを済ませて、御朱印帳の行列に10分ほど並ぶ。外国人は南円堂に寄ってくるが写真を撮るだけで参拝はしない。作法がわからないということもあるが、キリスト教の宗教観からすると寺に手を合わせるのはおかしい。
↑南円堂
写経は納経所で手渡した。葉加瀬太郎みたいな顔をした職員が朱印を書いてくれた。
↑左が令和、右が平成
せっかく興福寺に来たのだから、阿修羅の像を拝んでおこう。東金堂と国宝館のセット入場券は900円だった。東金堂と国宝館は写真撮影禁止。興福寺は確かに見事な仏像が存在するが、それは国家安康や民衆の幸福ではなく藤原氏の栄華の持続を主目的にしているようなきがする。これは偏見かもしれないが、藤原氏が日本の歴史で貢献したのは、初代の鎌足と二代目の不比等ぐらいではないだろうか。あとは単なる権力者のような気がする。中堅では藤原定家のような歌人も生み出してはいるが。
そんなことを考えながら東金堂をあとにし、国宝館へ。入口の人はパンフレットを100円で売りつけにくる。そんなのは無料で配るべきだと思う。国宝館は鉄筋コンクリート造りで、空調も効いている。館内は照明も落とされている。展示物には透明な水晶玉がある。今ならダイソーでも売っていそうな玉。しかし注意すべきはこれが650年頃のものであることだ。当時の人がこれを目にした時、それこそ我々がダイヤモンドを見た時以上の感動を得たことだろう。7世紀といえば、日本が天皇中央集権国家としてその歩みをはじめた頃。その草創期ともいうべき時代のものがこうして残されているのは素晴らしいことでないか。
阿修羅は意外に小さい。もっとも有名な仏像なので、ほとんどの人が足を止める。
さて興福寺のご朱印をもらうことにした。常識的には参拝した東金堂で書いてもらうのがいいのだろう。しかしそれでは中金堂も書いてもらわないとバランスを欠くことになる。もう一回来るかどうかわからないので、そのどちらでもない千手観音で書いてもらうことにした。これは私だけでなく前の人もそうしてもらっていたのも決断させた理由である。
↑中金堂には入らなかった
職員の人は書いてから、朱印帳の表紙を眺めた。「ええな」と言った。これは高山寺で買った鳥獣戯画が描かれた朱印帳だからだ。
せっかく奈良まで来たのだから、お土産を買おう。まずは餅つきパフォーマンスで有名な中谷堂のよもぎ餅。その高速餅つきはすっかり人気で、行列はそれを間近で見るためもので、餅を購入するためではない。6個で900円。家人には好評だった。
↑中谷堂のよもぎ餅
次に萬々堂通則のぶと饅頭を買った。これは私の奈良土産の定番和菓子である。古くから伝わる春日大社のお供え物だというが、グラニューム糖をまぶしたその外観はどう見てもドーナツである。これがとても奈良時代に食されていたとは思えない。おそらく表面の砂糖は我々現代人が食べやすくするためだろう。中のこしあんとのバランスが絶妙で、ミスタードーナツのくどくなるような甘さはなく、それは上品に感じる。5個で1188円と高いがそれだけの価値はあると思う。
↑萬々堂通則のぶと饅頭
猿沢の池を通って、駐輪場に戻った。雨が少し落ちてきた。
↑絵はがきでお馴染みの絵
地下に近鉄奈良駅のある国道を西に進み、左折して右手にJR奈良駅を見ながら南下する。国道24号線に入ると雨が強くなってきた。風防のおかげで服はあまり濡れていないが、さすがに限界で、二階堂の京奈和自動車道の高架の下で雨宿りしレインコートを身につけた。
あとはひたすら国道24号線を走れば、和歌山に到着するはずだ。しかし橿原あたりで問題が生じた。国道24号線の表示を見失ってしまい、いつの間にか国道165号線を走っていた。
Yahooナビはすぐにルートを再検索してくれたが、それは京奈和自動車道に乗るルートであった。京奈和自動車道は125ccバイクは走ることができない。Yahooナビはそんなこちらの事情はお構いなしに、クルマであることを前提に、無料の京奈和自動車道に乗りなさいと指示するのである。
24号線に進むべき道もわからない。雨もまだ強く降っている。私は奥の手を使うことにした。それはYahooナビを諦め、ツーリングサポーターというアプリを使うことだ。ツーリングサポーターはその名の通りバイク用のナビゲーションであり、バイクの排気量を設定することにより、最適なルートを計算してくれるのだ。125ccは通れない自動車専用道路を避けてくれるわけだ。難点は月に400円の料金が発生することだ。しかししばらくは西国巡礼は続くことだし、それをやっている間は使ってもいいと考えることにした。何よりも楽だ。グーグルプレイをアクセスすると、早速課金された。ちなみにツーリングサポーターは無料でも使えるのだが、1ヶ月の試用期間を過ぎると、ルート設定はできるものの、ナビの画面が「コンパスモード」という何の役にも立たない画面しか表示されなくなる。
ツーリングサポーターは有料だけあって優秀だ。Yahooナビはお節介な案内が多く、そのたびに音楽再生が止まってしまいイライラするが、ツーリングサポーターは必要最小限しか案内しない。それでいてオービスがある場所には「スピード注意」と肝心な情報を流してくれる。
18時30分、御所市の「かもきみの湯」で入浴兼休憩。ちょうど雨が小降りになっていて、入浴している間に雨が止みそうだったのと、何度がここを通っていて、一度試してみたかったからだ。
入浴料は600円。その他靴箱と脱衣場でコインリターンロッカーの100円が必要だ。かなり疲れていたので浴槽でこっくりきそうであった。実際こっくりしていたらしく、バイクに乗った時にある程度眠気が解消されていた。
↑かもきみの湯
あとはひたすら国道24号線。何度も走っている道なのでナビも不要なくらい。自動的に運転してきたような感覚で自宅の車庫に戻ったのは21時25分。241.2kmのツーリングだった。
第3回令和記念西国33カ所ツーリングに出発。今日は奈良県内の壺阪寺、岡寺、長谷寺、法起院、興福寺南円堂の順に参拝する。
7時10分自宅を出発。まずは吉野家で朝食。納豆牛小鉢定食は390円のわりには食べ応えがあった。
↑納豆牛小鉢定食
国道24号線を東に進み、五條から国道370号線に乗って、壺坂寺に着いたのは9時15分。駐輪場は見つからなかったので、その先にあるハイキング用の駐車場の端に停めた。そこから草ボウボウの階段を降りたところが壺阪寺だった。その入口は山門というものはなく、学校の校門のようだ。入口の近くにクルマが数台置いてある。500円支払えばこの近くまで上がって来れるようだ。バイクも一台置いている。これはもしかすると駐車場の有料ゲートの脇の隙間を通り抜けたのかもしれない。
↑草ボウボウの階段を降りる
↑右手の門で入場料を払う
壺阪寺は通称であって、正式名称は壷阪山南法華寺という。山号で呼ばれるという点では2番札所の紀三井寺と同じだ。
壺阪寺は入山料が600円と高い。これは寺域の広さもさることながら、古来眼病に霊験あらかたな寺とされていて、養護盲介護施設を運営しているので維持費がかかっているからかもしれない。
仁王門をくぐり、インドから取り寄せた石で造られた大釈迦如来石像を拝見し、車椅子エレベータのある階段を上がってさらに横にスロープのある階段を上がると、釈迦の生涯を描いた絵が出迎えてくれる。三重塔の横を抜けると本堂があった。本堂と八角堂は繋がっている。しかし八角堂の全容は敷地の関係で見ることはできなかった。
↑山門
↑三重塔
靴を脱いで八角堂に上がる。中は十一面観音を筆頭に所蔵の仏像が安置されている。絵馬にひらがな一文字の「め」と書かれているのが慈眼観音といわれる壺阪寺らしかった。
十一面観音の安置されている内陣の手前には椅子が数列置かれていて、さらにその後ろに燈明と線香が置かれている。小ろうそくは30円、線香も30円。大ろうそくは100円で祈願ローソクは200円であった。どの寺でもそうだが、寺で売られている線香と異なるのが立っていることがある。家から持ち込んだものらしいが、線香ぐらい寺のを買ってあげたらと思ったりする。
↑木製スロープで本堂へ
↑内陣
↑写経奉納箱
参拝をしようと思ったら、青いシャツをした年配の男性が経典を見ながら読経している。サンスクリット語のような聞いたことのない経で時折般若心経が混ざる。筆者としては般若心経を読経して参拝したかったので、彼が読み終えるのを待つことにした。しかしいつ終わるともしれなかったので、書いた写経を納経奉納箱において、般若心経の読経をはじめた。けれども隣の男性の読経に押されて乱れがちだった。やっぱり待った方がよかった。
納経帳は女性職員の手によるものだった。期間限定西国33カ所巡礼草創1300年の印が誇らしい。売店は眼に関する薬やお守りが多く売られている。人間は内臓は丈夫でも眼は真っ先に老化する。私も老眼で本は読めず針に糸が通らなくなっている。
↑左が平成、右が令和
壺阪寺はインドとの交流に積極的で恵まれない人々への援助も行っている。私も500円の綿製ランドリーバッグを買って貢献した。
↑ランドリーバッグは無人販売
次に岡寺に向かう。保存された古い町並みを抜け、狭い石畳の道を上がったところに駐車場があった。この狭い道を上がれば無料駐車場があるのだが、その手前の駐車場は民間経営で有料だ。既に2台の大型バイクが置かれていた。バイクの自由自在さのありがたみを享受した。
岡寺も通称であって正式名称は東光山龍蓋寺という。岡寺の由来は奈良県明日香村岡にあることによる。岡寺の方が知名度が高く、宗教法人名も岡寺である。
↑岡寺の門
天気がよく暑くなってきた。近鉄バスツアーの客が多い。明日香村を徒歩で巡っている人もいる。
入山料は400円。濃い赤い色の仁王門を抜け、緩い階段を登った。鐘をつく。ゴーンという音が鳴った。鐘は参拝する前につくもので、帰りにつくのは「出鐘」「戻鐘」といって縁起が悪い。しかしそれをやっている人を見かけた。もしついたらもう一度お参りしないといけない。
↑本堂
境内ではスピーカーで岡寺の由緒を紹介している。こういう寺は珍しい。線香、ろうそくとも30円であった。線香は本堂の手前、ろうそくは本堂の近くにあった。ろうそくは自分でマッチで擦って火をつける。マッチの火を消す水が用意されている。
写経は「御写経奉納所」というところに積み上げていく。結構若い夫婦も写経を納めていて驚く。
作法通り読経してお参り。私はいつも特に願い事はせず、これまでの健康に感謝し、なるべく無心で般若心経を周りの人に迷惑にならないように小声で読経している。
一字写経というのがある。「観音妙智力」の中から1字を選んで書けということだか、納められている紙に書かれている文字は「生」だった。
納経帳はほとんど待ち時間もなく書いていただいた。
↑左が令和、右が平成
モチの木に直径3cmくらいの木の玉がぶら下げられている。これは龍玉といって願い事を書いてぶら下げると御利益があるという。すでに付ける余地がないほどだ。
↑龍玉
前回、岡寺の近くには有名な石舞台がある。今回は時間がないので見なかった。
次は長谷寺に向かう。Yahooナビの指示通りに30分ほど走ると、着いた場所は長谷寺ではなく、近鉄長谷寺駅であった。
↑近鉄長谷寺駅
12時00分前、そこからバイクで5分もかからずに長谷寺に着いた。しかし例によって駐輪場というものはなく、駐車場の片隅に勝手に置いた。近くに警備員が立っているのが気になるが、邪魔にならないから何もいわれないだろう。
↑バイクはこの手前に置いた
参詣者は多い。寺の近くの駐車場は満車だ。昼前という時間帯もさることながら、鉄道でのアクセスも良好な点や、長谷寺自体魅力のある観光地だからだろう。バスツアーの客も多い。
寺の位置口に旅館の歓迎○○ご一行様のような札が上がっている。そこには団参と書いてあって、埼玉四号・観音寺、越後・宝珠寺とある。どういう意味なのだろう。
↑団参とは?
入山料は500円。アジサイが咲き誇っている。しかし写真に撮ると迫力不足だ。
↑この写真だけでは・・・・
長谷寺の名物は、登廊と呼ばれる屋根付きの階段だ。登っていくうちにだんだんと急になっていく。参拝者の中には「槙尾山に比べれば大したことない」といいながらも必死の形相で登る人がいた。
↑長谷寺といったらここでしょう
参拝の前に長谷の舞台から下界を見る。寺の舞台といえば京都清水寺があまりにも有名だが、長谷寺も地味ながらなかなかの迫力だ。33カ所巡礼ツアーの人々が読経していた。
↑舞台からの眺め
↑舞台側の本堂
まずは本堂の外にある線香をあげる。3本50円。蝋燭は本堂の中にあり、これも1本50円だった。ろうそく台にある赤いろうそく種火ということだが、これがガラス戸の端にあってつけにくく、服の袖が燃えやしないかと心配だった。
賽銭箱の近くに投票箱のような箱があり、そこには「西国三十三ヶ所巡礼納め札と写経にのみお納め下さい。」と書いてあった。せっかくの写経を折って入れるのは嫌なので、納経所で直接渡すことにした。
本堂にあるべき難陀龍王像は東京国立博物館に「出座中」とのことであった。
納経所は長い列ができていて15分ほど待った。藤原定家の塚に行ってみたかったが、時間がないので断念し、往路の登廊をそのまま降りて下山した。
↑左が平成、右が令和
寺の入口に屋根と自販機と机と椅子がある休憩所があった。ここで昼食とした。今回も前回と同じ、非常食の乾パンだ。日差しが強いので屋根は助かる。
長谷寺の近くには番外札所法起院がある。長谷寺から歩いて3分ほどだった。街中の檀家寺のような小さな寺で、お守り売り場などはない。入山料も必要ない。しかしお手洗いは立派で、本堂の横の住まいらしき場所もアルミサッシの近代的な様式となっている。
↑道路から見た法起院
↑本堂
↑アルミサッシも違和感なし
線香、ろうそくはお志ということなので100円玉を入れた。お守りはないが札は売っている。これらは無人信用販売だ。
↑蝋燭線香は志
写経はどこに置くのだろうとキョロキョロしていると、藍色の作務衣を着た納経所の住職から「写経は座敷に上がって、前にある納経と書かれた木の箱に納めて下さい」ということだったのでその通りにした。箱のまえに小さな賽銭箱があるので小銭を入れた。
住職は「バイクで来られたんですか?何ccに乗っているんですか?」と朱印を書きながら私に尋ねた。彼は「私もハーレーに乗っているんです。乗る機会は年3回から4回ぐらいなんだけど、いじるのが楽しいのですね」と言っていた。私はやや負け惜しみながら「125ccは小型で取り回しがしやすくて楽ですよ」と言い返した。
↑左が令和、右が平成
13時30分長谷寺をあとにし、9番札所興福寺南円堂を目指す。
日差しが強く、汗をかいていたが、夏用のメッシュのバイクスーツなので風がメッシュを通る時に強力になり、汗を乾かしてくれる。
Yahooナビの指示に従ってバイクを走らせた。経路には全く予備知識がなかった。県道38号線で初瀬ダムの横を抜け、農道を通って名阪国道福住ICをくぐった。県道186号線に入ると山深くなり、クルマ一台が辛うじて通れるような狭い道で「おい、大丈夫か」と思った。曲がりくねった道をアップダウンする。後ろに大形二輪が2台ついてきているので道を譲った。ツーリングでは結構有名な道かもしれない。途中崩落している箇所があり、工事用のダンプカーが行き来していた。
県道80号線に入り、間もなく若草山を抜けて、14時30分、奈良公園にやってきた。今や国際的観光地奈良。外国人があふれている。彼らは「日本では鹿ですらお辞儀をする」のを見て楽しんでいた。
興福寺の敷地はバイク進入禁止と書いてあった。仕方がないので奈良公園の駐輪場に停めた。駐輪場といっても公園の端の駐輪スペースで下は土だ。もちろん鹿も徘徊しているので悪戯されないようヘルメットはリアボックスに隠した。
興福寺は平安時代に栄華を誇った藤原氏の氏寺である。寺域は広いものの、建物は少なく空き気味である。これは古来から何度も焼失しながら、未だ再建が果たされていないからである。興福寺の中心施設というべき中金堂は昨年に再建されたばかりである。南大門は再建準備中らしい。
↑東金堂
↑五重塔
↑南大門跡
西国33カ所の対象になっているのは、興福寺で中金堂を除けば最も大きな伽藍である東金堂ではなく、小さな南円堂であるのは何故だろうか。この南円堂は度々焼失されてもいち早く再建されているのだ。これは建立当時の実力者藤原冬嗣がこの南円堂に深い縁があるらしかった。
東金堂や中金堂は有料だが、南円堂の参拝は無料である。御朱印の手数料だけで十分経費を賄えるからだろう。
ろうそく、線香はそれぞれ50円。願い事を書いた祈願線香は100円だ。
お参りを済ませて、御朱印帳の行列に10分ほど並ぶ。外国人は南円堂に寄ってくるが写真を撮るだけで参拝はしない。作法がわからないということもあるが、キリスト教の宗教観からすると寺に手を合わせるのはおかしい。
↑南円堂
写経は納経所で手渡した。葉加瀬太郎みたいな顔をした職員が朱印を書いてくれた。
↑左が令和、右が平成
せっかく興福寺に来たのだから、阿修羅の像を拝んでおこう。東金堂と国宝館のセット入場券は900円だった。東金堂と国宝館は写真撮影禁止。興福寺は確かに見事な仏像が存在するが、それは国家安康や民衆の幸福ではなく藤原氏の栄華の持続を主目的にしているようなきがする。これは偏見かもしれないが、藤原氏が日本の歴史で貢献したのは、初代の鎌足と二代目の不比等ぐらいではないだろうか。あとは単なる権力者のような気がする。中堅では藤原定家のような歌人も生み出してはいるが。
そんなことを考えながら東金堂をあとにし、国宝館へ。入口の人はパンフレットを100円で売りつけにくる。そんなのは無料で配るべきだと思う。国宝館は鉄筋コンクリート造りで、空調も効いている。館内は照明も落とされている。展示物には透明な水晶玉がある。今ならダイソーでも売っていそうな玉。しかし注意すべきはこれが650年頃のものであることだ。当時の人がこれを目にした時、それこそ我々がダイヤモンドを見た時以上の感動を得たことだろう。7世紀といえば、日本が天皇中央集権国家としてその歩みをはじめた頃。その草創期ともいうべき時代のものがこうして残されているのは素晴らしいことでないか。
阿修羅は意外に小さい。もっとも有名な仏像なので、ほとんどの人が足を止める。
さて興福寺のご朱印をもらうことにした。常識的には参拝した東金堂で書いてもらうのがいいのだろう。しかしそれでは中金堂も書いてもらわないとバランスを欠くことになる。もう一回来るかどうかわからないので、そのどちらでもない千手観音で書いてもらうことにした。これは私だけでなく前の人もそうしてもらっていたのも決断させた理由である。
↑中金堂には入らなかった
職員の人は書いてから、朱印帳の表紙を眺めた。「ええな」と言った。これは高山寺で買った鳥獣戯画が描かれた朱印帳だからだ。
せっかく奈良まで来たのだから、お土産を買おう。まずは餅つきパフォーマンスで有名な中谷堂のよもぎ餅。その高速餅つきはすっかり人気で、行列はそれを間近で見るためもので、餅を購入するためではない。6個で900円。家人には好評だった。
↑中谷堂のよもぎ餅
次に萬々堂通則のぶと饅頭を買った。これは私の奈良土産の定番和菓子である。古くから伝わる春日大社のお供え物だというが、グラニューム糖をまぶしたその外観はどう見てもドーナツである。これがとても奈良時代に食されていたとは思えない。おそらく表面の砂糖は我々現代人が食べやすくするためだろう。中のこしあんとのバランスが絶妙で、ミスタードーナツのくどくなるような甘さはなく、それは上品に感じる。5個で1188円と高いがそれだけの価値はあると思う。
↑萬々堂通則のぶと饅頭
猿沢の池を通って、駐輪場に戻った。雨が少し落ちてきた。
↑絵はがきでお馴染みの絵
地下に近鉄奈良駅のある国道を西に進み、左折して右手にJR奈良駅を見ながら南下する。国道24号線に入ると雨が強くなってきた。風防のおかげで服はあまり濡れていないが、さすがに限界で、二階堂の京奈和自動車道の高架の下で雨宿りしレインコートを身につけた。
あとはひたすら国道24号線を走れば、和歌山に到着するはずだ。しかし橿原あたりで問題が生じた。国道24号線の表示を見失ってしまい、いつの間にか国道165号線を走っていた。
Yahooナビはすぐにルートを再検索してくれたが、それは京奈和自動車道に乗るルートであった。京奈和自動車道は125ccバイクは走ることができない。Yahooナビはそんなこちらの事情はお構いなしに、クルマであることを前提に、無料の京奈和自動車道に乗りなさいと指示するのである。
24号線に進むべき道もわからない。雨もまだ強く降っている。私は奥の手を使うことにした。それはYahooナビを諦め、ツーリングサポーターというアプリを使うことだ。ツーリングサポーターはその名の通りバイク用のナビゲーションであり、バイクの排気量を設定することにより、最適なルートを計算してくれるのだ。125ccは通れない自動車専用道路を避けてくれるわけだ。難点は月に400円の料金が発生することだ。しかししばらくは西国巡礼は続くことだし、それをやっている間は使ってもいいと考えることにした。何よりも楽だ。グーグルプレイをアクセスすると、早速課金された。ちなみにツーリングサポーターは無料でも使えるのだが、1ヶ月の試用期間を過ぎると、ルート設定はできるものの、ナビの画面が「コンパスモード」という何の役にも立たない画面しか表示されなくなる。
ツーリングサポーターは有料だけあって優秀だ。Yahooナビはお節介な案内が多く、そのたびに音楽再生が止まってしまいイライラするが、ツーリングサポーターは必要最小限しか案内しない。それでいてオービスがある場所には「スピード注意」と肝心な情報を流してくれる。
18時30分、御所市の「かもきみの湯」で入浴兼休憩。ちょうど雨が小降りになっていて、入浴している間に雨が止みそうだったのと、何度がここを通っていて、一度試してみたかったからだ。
入浴料は600円。その他靴箱と脱衣場でコインリターンロッカーの100円が必要だ。かなり疲れていたので浴槽でこっくりきそうであった。実際こっくりしていたらしく、バイクに乗った時にある程度眠気が解消されていた。
↑かもきみの湯
あとはひたすら国道24号線。何度も走っている道なのでナビも不要なくらい。自動的に運転してきたような感覚で自宅の車庫に戻ったのは21時25分。241.2kmのツーリングだった。