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中日ドラゴンズ落合色を一掃 [野球]

中日ドラゴンズがユニフォームを変更した。モデルとなったのは1954年に日本一となった頃のデザインを目指したという。8年間に連覇を含む3回のリーグ優勝し、またシーズン2位ながら劇的なパーフェクトリレーで日本シリーズを制した実績もある、あの栄光に満たされた落合中日のユニフォームはあっさり捨て去られることになった。
 8年間に4回の日本シリーズ進出。それまでの中日ドラゴンズは半世紀で4回の進出しかなかった。連覇、日本一というこれまでにない最高の成績を残した落合監督との契約を更新しなかったのは、まず何より観客動員力の低下だろう。プロ野球は興業である以上、観客動員とメディア露出は重要な課題だ。極端なことをいえば、それが達成されるのであれば、勝敗はどうでもいいといえる。
 落合監督は投手力を整備し、守りの野球で実績をあげ、前述の栄光を勝ち取った。投手でいえば抑えの岩瀬、捕手の谷繁、荒木と井端の二遊間コンビで最少得点を守りきった。コーチ陣もあえて中日OBを採用せず、適材適所を貫いた。経営陣を悩ませたのは、落合監督がファンサービスに興味を全く示さないことだろう。落合監督のインタビューで「ファンの熱い声援のお陰です」という言葉があっただろうか。確かに勝つということには素晴らしい手腕を示したが、こと興業ということに関しては、プロの監督の発言としては不適切だろう。もちろん落合氏とすれば、ファンの声援ではなく選手が精進と工夫を重ねたから勝てたのであって、ファンの声援で勝てるものではないという意図があったのだろう。それはそれで落合らしいが、自分たちの給料は、ファンというお客さんが支払っているという感覚に欠けているのではないだろうか。彼の著作を読んでも、技術論は素晴らしいが、そうした感覚はどうやら欠如しているように思える。ただ内気な落合氏がファンに愛想を振る舞うのは彼らしくないことは確か。
 そうした監督の性格を見抜いたファンは球場を遠ざかるようなったのだろう。次期監督に中日OBの高木氏を据えたり、コーチに権藤氏をはじめ中日OBが入閣したり、落合氏が勝つために編成した強力スコアラー陣を解散させたり、また「開幕投手は山本昌」と、勝つために必ずしも最善でない発言をしてまで、旧来のファンの琴線に触れるようなことをしたり、また中日をFAでメジャーに移籍した川上憲伸を呼び戻したりして、これらは全て落合監督の勝つための野球を否定し、負けてもいいから観客を増やす野球を目指すと宣言したようなものだ。キャッチフレーズも「ファンと共に」である。
 そしてゲンのいいと思われる落合時代のユニフォームの完全破壊である。管理人はドラゴンズのロゴはゴシック体よりもドジャースを思わせる筆記体の方がいいと思うので、ホームのユニフォームは前よりもいいと思う。ビジターは胸の「CHUNICHI」がダサイがまあ親会社なのだし仕方がないだろう。管理人がもうひとつだと思うのは帽子の赤いCDマークのデザイン。これに関しては前のゴシック体のCDマークの方がいい。中日も読売、阪神と並ぶ伝統球団なのだから、あのクリスチャンディオールのマークのようなデザインを踏襲するべきだ。

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