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バリ島旅行記2016 [旅行]

まえがき
 この旅行に行くことになった動機は「バリ島ニュージランド旅行~序章篇~」を参照して下さい。
バリ島ニュージランド旅行~序章篇~

1.まずはシンガポールへ
2016年4月27日(水) 雨
 仕事を終えた筆者は、トラブルに巻き込まれないように素早く帰宅し、関西空港に向かった。
 シンガポール航空の出発カウンターはH。列はさほどではなく、21時半に搭乗手続き完了した。まだ出発まで時間があるので3階を歩くも店は全て閉まっていた。
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↑関西空港出発カウンター
 入出国管理を突破するといよいよ日本を出国。ここからは日本であって日本ではない。免税店をブラブラ歩く。エミュレーツ航空のパイロットが札幌銘菓ロイズの生チョコのマイルドココアをまとめ買いしていた。口コミで美味しいことが広まっているのだろう。このマイルドココアだけが極端に減っていた。
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 その他誇らしげに「日本製」と貼られた電気炊飯器が並べられていた。この頃になると中国人の爆買いが収束していたので、物色する人はまばらだった。免税店巡りに飽きたのでシャトルで41番ゲートに向かいスマホで時間つぶし。Wifiが使えるがまことに遅い。床に目を落とすと、カーペットが汚れている。中国人の仕業か。
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↑「日本製」の電気炊飯器
 22時50分に機内に乗り込む。中の4列席の右側。隣はめがねをかけたシンガポーリアンの女性3人組。
 離陸前におしぼり。さすがシンガポール航空はサービスがいい。USB充電は当然としてヘッドホンは無料だし、機内設備も充実している。持ち込みDVDを見るための端子まである。
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↑飛行機に乗り込む
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↑充実の機内設備
 いつの間にか飛行機は離陸し、0時にはワインとピーナッツで乾杯した。といっても一人旅なのでグラスを持ち上げただけだ。旅立ちはうれしいものである。不安もあるが不安は押し殺すように酔って、まもなく眠りについた。
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↑ピーナツで乾杯

4月28日(木)
 日本時間3時50分。なにやらざわついて起こされる。アイマスクと耳栓効果で眠りは深かった。しかし眠いのは眠い。
 トイレは6分待ち。続いて機内食。ひざまずいたアテンダントが何を言っているのか聞き取れなかった。隣の女性客が「ソーセージ」と言ったので私もそうした。しかしワゴンにはなかったらしく座席に届けられたのは4時45分だった。
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↑機内食
 結果的にはソーセージにしてよかった。オムレツとポテトフライ。フルーツ。マーガリンでなくバターだった。アップルジュースはグラスだった。
 女性客には量が多いらしく残していた。もったいない話だ。世界の食料品の3分の1は食べられずに廃棄されているという。自分の老後の生活を考えたとき、残飯は家庭菜園の肥料にできないかと考える。
 機内照明が消えて、5時5分にシンガポールチャンギ空港に着陸。

2.シンガポールからバリ島へ
 まずはターミナル内無料Wifiのセッテング。スマホから電話番号を入力してSMSに送られてくるコードを入力すれば完了。
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↑チャンギ空港に到着
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↑床のパターン
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↑ターミナル内の日本庭園
 ターミナル2の店はこれから開店するところであった。ここでNOKIAなどの通話専用の携帯電話を手に入れるつもりだった。しかし家電売場にはスマホしかなく、しかも高かった。XPERIAが割と人気があるようだ。
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↑上から見た土産物店
 腕にはめていた電波時計の合わせ方がわからなかった。カシオのサイトをみると、説明書をダウンロードするには腕時計の裏の四角に囲まれた4桁の数字を入れよとあった。この数字が小さくてとても読みにくく、ダウンロードにとても時間がかかった。もう筆者も若くない。これからの旅行は老眼鏡か虫眼鏡が必要だ。
 時計を合わせるのに時間がかかり、バリ行きの保安検査が始まってしまった。7時20分にF50ゲートに向かった。保安検査はさほど厳重ではなかった。財布はポケットに入れたままでも反応せず。
 保安検査を終えるとガラス張りの部屋で待つ。ここには喫食設備などない。
 7時50分に乗り込む。さっきと同じエアバスA330-300だか微妙にシートピッチが狭いようだ。
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↑飛行機に乗り込む
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↑乗り込んだ飛行機
 座席は右通路側だ。隣はTシャツハーフパンツの白人男性で、私が座ろうとすると、軽く「ナウ」と言って先に座った。
 機体は8時35分頃に離陸したと思われる。はっきりしないのはその前に眠ってしまったからである。
 9時15分に機内食。今回はソーセージでなくシーフードを選んだ。ピリ辛で眠気覚ましにちょうどよい。
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↑機内食
 その後はインドネシアのガイドブックを読み、今日の行動を決定する。まずは両替してエアポートタクシーでウブドに向かうことにした。
 10時15分、間もなくバリデンパサールに到着するとのアナウンス。左後ろの日本人は花村満月の「惜春」を読んでいた。
 半時間後、飛行機の車輪が降りて、飛行機は雲の中に突っ込んでいった。バリ島が右手に見えた。10時53分、海に浮かぶ小舟に白波が寄せるのが見えると、デンパサール空港に着陸した。
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↑窓から見るバリ島(通路側から撮影)
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↑デンパサール空港に到着
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↑ターミナルビル
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↑床のパターン
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↑手荷物受け取り待ち
 手荷物はなかなか出てこず、スマホをいじる。無料のWifiがなかなか動作が安定せず、辛うじて自宅にメールを送れた。荷物をピックアップできたのは11時45分と遅かった。
 両替は空港のレートは悪いので1万円だけ両替した。1円=115ルピーである。大ざっぱにいって日本円の100倍と考えていい。
 まずはホテルを予約していたウブドまで移動しなければならない。はじめはホテルから送迎してもらうことを考えたが374000ルピーということだった。約3700円と高かったので、エアポートタクシーにしたのだ。事前情報では250000ルピーのはずだった。
 エアポートタクシーのチケットブースは到着ゲートを出てすぐにある。元々離れたところにあったのだが、タクシーの客引きが激しいのでここに移ってきたようだ。
 でも場所が違うように思えたので、いったん外に出た。タクシーの客引きを振り払うのが大変だ。
 やはりエアポートタクシーはここにしかなく、ウブドまで行ってくれというと、「フォーハンドレット・サウザント・ルピー」と言われた。つまり400000ルピーだった。これならホテルに送迎してもらった方がよかった。
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↑タクシーチケット売り場
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↑タクシーチケット
 売店を迂回するように外に出ると、青いポロシャツを着た運転手が待っていた。彼は荷物を引き取るとトランクに乗せた。チップを稼ぐつもりだろう。
 バリ島の天気はいい。私は英語は得意でないので会話が続かず、すぐに眠たくなった。
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↑ウブドを目指す
 バリ島は上空から見ると翼を閉じた鶏のような形をしている。バリ島の中心地デンパサールは、その鶏の足の付け根にある。筆者が目指すウブドは足からやや上にある腹の辺りになる。
 1時間半ほど走っただろうか。狭い道に入ったと思ったら、そこがウブドであった。予約していたChamplung Sari Hotelは猿の住むモンキーフォレストの近く、ウブド中心部の南端に位置する。急な坂を下り、もう一度登るとホテルがあった。運転手はチップを公然と要求。そのとき持っていた最も小額紙幣が20000ルピーだったのでそれをあげた。高い運賃に余計なチップで私のバリ島の印象は悪くなった。

3.ウブド散策と舞踊鑑賞
 Champlung Sari Hotelは南国らしい開放的な雰囲気で、客室はコテージとして独立している。レセプションで手続きしていると、ウェルカムドリンク。ただのオレンジジュース。一気に飲み干す。今回はアップルワールドで予約していたのでバウチャーを見せ、宿帳に書くだけだ。
 ペルボーイが部屋に案内してくれる。ちゃんと門があって外にバルコニーもある。
 ドアは内側の鍵もキーを使って閉める珍しいタイプ。これは初めて見た。バスタブがあるのはいい。ただしヘアドライヤーがない。あと客室金庫もない。
 タオルがどこにあるのかと思ったら、ベッドの上に鶴の形に畳んであった。さすが芸術の島バリ。芸が細かい。
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↑ホテル入口
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↑コテージの門
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↑さらにドアがある
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↑タオルはこんな感じ

 とりあえず外出する。外は暑い。日本の7月のようだ。ホテルに面している道路はモンキーフォレスト通りという名で、一方通行で比較的交通量が少ない。しかしバイクが多いので渡りにくい。レストラン、サークルKのようなコンビニ、観光案内所、伝統工芸品など何でもありそうだ。この旅行ではノキアの音声専用端末を手に入れるという目的があった。そんなわけで電話屋を探すが、この通りにはなかった。
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↑モンキーフォレスト通り
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↑サークルK
 徒歩圏内で行ける観光地としてまずはウブド王宮に行く。何やら工事中で興ざめしたが、あとで聞いた話ではこれは葬式の準備らしい。
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↑ウブド王宮
 その後また北上し電話屋を探す。持ってきた「地球の歩き方」の地図は誤りが多いので、王宮近くの観光案内所に入る。地図は有料のようだ。カウンターの人に無料のはないかと聞くと、広告だらけの冊子を手に取り、このページを見よと、地図を示した。
 もうすぐ郊外に出ようかという丘を越えるところに、辛うじてAppleの店があったが、それだけだった。フィリピンでは電話屋は簡単に見つかったのにどういうことだと思いながらも、とにあえず本日の電話購入は諦めることにした。
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↑唯一のappleショップ
 プリ・ルキサン美術館PURI LUKISAN MUSEUMに入る。手持ちの古いガイドブックには入場料が50000ルピーとあるが実際は85000ルピーであった。その物価上昇の感じからするとさっきのタクシーチケットが値上がりになっていても不思議ではないと考えた。
 美術館は一つ一つ丁寧に見ていくと時間がかかる。最後の方は飽きたが、まあバリ美術はこういうものだというのはわかった気がする。木琴のような楽器を館の前で演奏していた。
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↑プリ・ルキサン美術館
 今夜ウブドクロッド集会場でバリ舞踊があるのでそれに行くことにして、まずは腹ごしらえだ。日本語メニューがあるというDIANという店にした。日本式にA、B、Cセットがあって、私はBにした。計量カップのようなコップに紅茶が入っていて驚く。料理は要するにフライドチキンだった。しかしなかなかの味でこれが400000ルピーだからむしろ安いといえる。
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↑本日の夕食
 少し早いが集会場にやってきた。地球の歩き方によると、ここで舞踊を披露するのはリッタデウィとし「リッタ・デウィはウブドで一番ホットな公園を見せてくれると評判。伝統舞踊やコンテンポラリーの踊り手として国内外で活躍中の女性舞踊家デウィさんが率いる新進気鋭のグループでメンバーはスターぞろい」とある。チケットは門の露天で売っている。大きな札しかなかったので、おじさんのポケットマネーからお釣りが払われた。
 開演は19時30分と時間があるので、サッカー場まで歩く。サッカー場とはいっても空き地に芝生というか雑草が生えているだけだ。しかしここは子供たちが実際にサッカーをしているから紛れもなくサッカー場である。
 多くの店の前の道端にはお供え物の花が落ちている。今でもバリ島の人々にとってバリ・ヒンドゥの信仰は生活の一部となっているのだ。
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↑お供え物の花
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↑朽ち果てた公衆電話
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↑奇妙な形をした土産物

 18時50分、集会場に入る。入り口にいた女の子が、筆者の帽子に小さな水仙のような花をつけてくれる。
 舞台裏を通って客席へ。客席は黒いパイプ椅子。先客は白人の夫婦二人だけだ。しかし前列は予約の紙が貼っていたので、まだ来るはずである。 講演の開始時刻が近づき、最終的には20人ぐらいの客だった。これはきっと少ないほうだろう。
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↑ステージ
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↑客席
 19時30分、腰巻きをつけた男性の楽団がガムランという民族音楽を奏でだした。
 最初はペンデットという女性4人組による花まき踊り。歌舞伎の三番叟のようなものか。続いてはバリスという青年男子の戦士の踊り。肩を上に上げ、足をがに股にして、歌舞伎の六法を踏むような動きをする。その次にレゴン・クラトンとい女性3人による優美な踊り。最初にチョンドンという女官を演じる一人の女性が踊り、そのあとにラッサム王とランケサリ妃を扮する女性二人が踊る。最後の女性4人の踊りは分からないが、頭に動物の耳のようなものをつけていたからトペンの一種かもしれない。踊りには物語があるのだが、日本舞踊のそれも理解できない私が、バリ舞踊のそれを理解できるはずはない。ただカッと見開いた瞬きもしない目の動き、ピンと伸ばしたまま複雑な動きをする指先。バリ舞踊の魅力は理解できた。見るだけの価値はあったと思う。20時20分に終了。
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↑バリ舞踊(動きがないと面白くない)
 観劇の帰りにコンビニでアンカーというビールとKACANG KULITという南京豆と胃腸を整えるためのブルーベリーヨーグルトを買った。
 部屋でそれを食べる。南京豆を剥くと日本のそれのように甘皮がない。食べるのは便利だが味は少し落ちる。
 まもなく酔いが回って、疲れた身体を横たえた。
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↑晩酌用食材

4.バリ島をバイクで駆ける
4月29日(金) 晴
 7時起床。朝食はレセプションとは反対側の別棟で、ドアは昆虫や小動物の進入を避けるために常時閉まっている。朝食用のクーポンを渡す。
 窓際の席は白人観光客に占領されていたので、中段に落ち着く。ヨーグルトが見あたらないが、一通りのものはそろっているし、味も十分だ。
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↑朝食会場
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↑ビュッフェの朝食

 部屋に戻ると、ベルボーイに声を掛けられた。日本語が少しできるようだ。今日は自転車で散策するつもりだったので、レンタル自転車の店はどこにあるかと聞いた。この下のモンキーフォレストの下にあるといったが、ウブドは坂が多いので自転車よりバイクがおすすめだ、そのバイクなら一日600000ルピーだと説明した。
 その後ロビーで地図を開いていると、またそのベルボーイがやってきて、観光ならタクシーを雇った方がいい、と言ってきた。
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↑ロビー
 検討の結果、バイクを借りることにした。周辺の散策よりもバイクで遠くまで行こうという話になった。しかしほぼ一本道で行けるキンタマーニは明日オプショナルツアーで行くので却下。デンパサール方面は渋滞に突っ込みに行って事故をもらうと嫌なのでこれも却下。結局世界遺産の棚田ジャテルウィを目指すことにした。ただ問題は地図で見てもかなり複雑なルートを通る必要があるということだ。この筆者のスマホ契約ではインドネシアではローミングができないので使えない。つまりはグーグルマップが使えない。慣れない外国で道路標識も十分でないバリ島で目的地まで行き着けるのか不安に感じていた。
 10時15分、バイクに乗って出発。バイクというよりスクーターで、青いホンダのVARIOという車種だ。排気量は125ccらしい。ヘルメットは貸してくれた。免許の確認はしなかった。そもそも免許は必要ないのかもしれない。インドネシアは左側通行なので、さほど違和感がない。ただしクルマの運転は荒いので注意しなければならない。s-IMG_3986.jpg
↑借りたバイク(HONDA VARIO)
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↑沿道風景(どこなのかは不明)
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↑使ったGPSロガー
 最初は順調だったが、途中で怪しくなって、引き返した。あとでGPSロガーを見てみると、Mengwi付近のかなりいいところまで行っていた。そのまま西に向かえば目的地にたどり着いたかもしれない。
 引き返しを決めたのはいいが、今度は来ていた道が分からなくなった。かなり北のサンゲェSangheに近づいてようやく誤りに気づいた。ガソリンはもともと半分しか入っていなかったので、給油した。並んでいるバイクのあとについて待つ。給油は店の人がやってくれる。インドネシアは産油国なのでガソリンは安い。ガススタでトイレも借りる。便器の外に水を溜めた桶がある旧式だった。
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↑ガススタ
 14時15分頃、クモンKumonの水色の看板を見かけた。日本の算数塾はインドネシアまで進出しているのか。
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↑算数塾KUMON

 完全に迷子になりどうしようもなくなり、近くの携帯電話屋に駆け込んだ。やっぱり電話は諦めていなかったので、まずはNOKIAの端末があるか聞いた。するとNOKIAよりSAMSUNGがおすすめだとスマートホンを持ってきた。通話専用のはないのかと聞くと、中国製のがあった。試しに手持ちのSOFTBANKのSIMを入れてみた。画面が乱れ、電波を捕まえれないようだ。
 最後にここの現在位置を聞いた。彼はスマホのグーグルマップを起動させた。現在地はたちどころにわかり、ウブドまでの道も分かった。意外に近くにいる。その地図をカメラに撮った。これで帰れる。チップをあげて退散。
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↑筆者はここにいた
 まもなくタクシーでウブドに来るときに通った道にでた。これでほぼ間違いない。
 もう15時だが朝食で隠し持ってきたチーズを口にしただけで、ほとんど何も食べていない。COCOMARTというスーパーを見つけた。そこでトーストと牛乳、アイスクリームで栄養補給。ここで問題発生。スクーターの鍵穴をふさぐシャッターが開かなくなったのである。実はこのシャッター機能のあるバイクに乗るのは初めてだ。解除方法は悩まされた。10分ほど悩み、キーについている六角形の型をキー穴に差し込んで回せばいいことがわかった。
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↑入ったスーパー
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↑初体験のシャッター付き鍵穴

 問題は解決したが、渋滞に遭遇。車がバックしようとしているのに、我先にとクルマがすり抜けていくのが原因だった。誘導員もいるがまるで役に立っていない。
 その5分後モンキーフォレストにやってきた。そうホテルに帰ってきたのである。
 情報によるとここからやや離れたところにあるプリアタンPeliatanに電話屋が並んでいるというので行ってみた。ある確かにある。ただしSAMSUNGの看板をあげているのが多い。NOKIAと書いている店に入ってみる。お目当てのNOKIA301はなく低級の105しかなかった。これは日本では使えないのがはっきりしている。結局バリ島では目的のNOKIA端末は見つからなかった。
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↑唯一NOKIAがあった店
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↑無駄が多い本日のバイクの動き(ループしてます)
 16時40分ホテルに戻る。その足でモンキーフォレストの猿を見る。猿は人見知りはしないので近づいてくる。

↑モンキフォレストの猿
 このホテルにはプールがある。かなり深いのと浅いのがある。深いのは水が常に補給されて、温泉の源泉掛け流しのような状態である。白人のグループがプールサイドでくつろぐのを横目で見ながら、ひたすら背泳ぎで泳ぐ。20分ほど泳いだ。プールからあがるとさっきのグループからシャッターを依頼された。
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↑ホテルのプール

 風呂に入って、19時前に町に繰り出す。モンキーフォレストを通り過ぎたところにあるPETANIで夕食。Pork RibとGoatCheese。それと赤ワイン。これが結構旨かった。目の前にステージがあるが、今日のシンガーは来ないのか片づけられようとしていた。
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↑本日の夕食
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↑演奏されることのなかったステージ
 スーパーで買い物して21時15分ホテルに戻る。
 BINTANというビールとアーモンドで晩酌。日付が変わる前に寝る。

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↑スーパーの品揃え
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↑夜のウブドの街(刺青屋)

5.キンタマーニなどバリ島観光ツアー
4月30日 曇
 7時前に起きた。ソフトバンクの携帯電話の電源が切れていた。おかしいと思って再投入すると、SIMカードが入っていないとのこと。しかし何度も抜き差ししたものの、ダメだった。もしかすると、昨日、携帯電話屋で中国製の安い端末にSIMを挿入したことにより、おかしな情報が書き込まれたのかもしれなかった。
 説明を忘れていたが、筆者の携帯電話は2台持ちで、1台は格安SIMの入ったスマホ、もう1台は音声通話のみのソフトバンクのガラケーである。格安SIMの場合、海外でのローミングができない(と思う。もしできたら教えてほしい)ので、海外でプリペイドSIMを買って、現地の電話会社の電波を捕まえる。ガラケーの方はソフトバンクのままローミングで使う。電話料金が高いし、着信でも料金が発生するので、これは緊急用としている。
 8時15分にチェックアウト。
 今日はVELTRA社を通じて「ブサキ寺院+ティルタエンプル+ゴアガジャ遺跡 パワースポット貸切観光ツアー<現地ガイド日本語可/キンタマーニ高原絶景レストランのインドネシア料理食べ放題ランチ>」ツアーを予約してあった。バリ島のヒンドゥー教に関する主要な観光スポットとキンタマーニ高原を巡り、空港まで送ってくれる。特に私はバリ島に行ったらキンタマーニに絶対に行こうと決めていた。その理由は簡単で名前が非常に印象的だからである。男ならば絶対行かねばと思った。
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↑この日の観光ルート
 8時25分、ツアーのガイドさんに流暢な日本語で話しかけれた。
 ツアーの客は私だけで、つまり貸し切りツアーである。運転手さんとガイドさんはどちらも男性。ガイドさんはブリーさんという。「魚のブリで覚えて下さい」とのことだった。いや本当の発音は違うのだが、覚えやすいのでそうしてもらっているという。
 ウブドのモンキーフォレスト通りを北上する。一昨日昨日と散々歩いたところだ。
 クルマはスズキのAPVという車種で、これはスズキが東南アジア向けに開発したもので日本では走っていない。このバリ島ではごくまれにドイツ車や韓国車を見かける程度で、ほとんどすべてといっていいほど日本車だ。ただしオートマチックミッション車はまだ普及しておらず、一昨日のタクシーも今日の送迎車もマニュアルミッション車だ。
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↑スズキAPV
 8時40分、まずはゴア・ガジャ遺跡Goa Gajahにやってきた。
「ゴア・ガジャ」は「象の遺跡」という意味であるが、バリ島には象は生息しておらず、動物の象を指すだけではなく「大きいもの」も意味することから、「大きな洞窟」と名付けられたという。
 細い階段を下ると泉が見えた。バリの人たちはここで身を清めるのだという。しかし水の流れがないので苔で満たされ汚れている。
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↑身を清める泉
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↑洞窟
 続いて顔の形をした洞窟の中に入る。香の臭いがたちこめる。その奥の方にお地蔵さんのような彫刻がある。それには赤、黒、白の布が掛けられている。この赤黒白はヒンドゥー教で重要な色で、それぞれ次のような意味がある。
赤  BRAHMA ( ブラフマ )
     火と創造の神様  生き物を作る

 黒  VISNU ( ヴィシュヌ )
     水と維持・繁栄の神様  生き物を守る

 白  SIVA ( シヴァ )
     風と破壊の神様  生き物が増えすぎないように破壊する
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↑お地蔵さん?のようなもの

 境内には大きな木がある。その木には精魂が宿っているという。こういった信仰は日本の民間信仰と同じだ。
 白人の観光客は腰巻きを巻いている。この腰巻きはサロンといって、こういった神聖な場所では肌を露出することは厳禁なので、短パンを履いている人はこれを身に付けさせられる。
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↑何の木がわからないけど大きな木

 9時24分、ティルタウンプル寺院 pura tirta Empulに着いた。ティルタエンプル寺院(ティルタウンプル寺院・Tirtha Empul)は、ウブドの北、タンパクシリンにある寺院で「聖なる泉が沸く寺院」として、有名である。伝説によるとこの寺院に沸く泉は962年に発見され、魔王マヤ・ダナワと戦ったインドラ神が、大地を杖で突き不老不死の水アメルタを沸きださせた場所とされている。
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↑入口にある貸し出し用のサロン
 寺院の外には、寺院内に沸く泉の水を引いた沐浴場があり、祭礼の時には多くのヒンドゥー信者がここで沐浴(ムルカット・清めの沐浴)をし、寺院でお祈りを捧げる。また、この泉から沸く聖水は、無病息災の力があると信じられており、ペットボトルやポリタンクを持って聖水をいただきに来る人も多くいる。
 バリの人たちにとってはパワースポットであり、実際腰まで水に浸かりながら、湧き出た聖水を浴びている。合計20箇所くらいで水が湧き出ているが、それぞれで叶えられる願いが違うという。
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↑沐浴場
 別のところでは地元の人たちが何か祈祷をしている。白い衣装はバリ人の正装だが、ヒンドゥー教の僧侶もそれを着るという。ちなみに僧侶はここでは暮らしておらず、必要な時にやってくるという。この場所には我々観光客は入れない。
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↑只今祈祷中
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↑立ち入り禁止の看板
 ふと山の上を見ると、立派な近代的な建物がある。これは大統領の別荘だそうで、小泉元首相もここに招待されたという。
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↑大統領の別荘
 10時、SW AGROという観光向けのコーヒー農園にやってきた。ここではコーヒーの無料試飲がある。しかし最大の目玉はジョコウネココーヒーだろう。私は全く予備知識がなかったのだが、ジョコウネココーヒーとはluwak coffee(ルアク・コーヒー)ともいわれていて、完熟したコーヒーの実を食べた野生のジャコウネコの糞から採取される、未消化のコーヒー豆から作られたコーヒーである。ジャコウネコが食べたコーヒーの実の果肉部分は消化されるが、コーヒー豆になる種子の部分は消化されずに糞とともに排出される。このコーヒー豆がジャコウネコの腸内の消化酵素や、腸内細菌による発酵作用によって、独特な香りと味わいになるという。メスよりもオスの方が高く、また飼育されたネコより野生の方が高いのだそうだ。ちなみにネコといってもジャコウネコはイタチに近い。ジョコウネココーヒーは東京で飲むと1杯8000円はするという。
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↑ジャコウネコ
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↑これがジャコウネココーヒー
 しかしここでは約500円で飲めてしまう。ちなみにオスだと800円だが、そこまではいらないと思ったのだ。
 眺めのいいテラスで小分けされたコーヒーを飲む。筆者はコーヒーとか紅茶は大好きなので、全部飲んだ。だが中には甘いのもあって閉口した。
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↑小分けされたコーヒー
 さてジャコウネココーヒーはサイホンにより抽出される。これは本格的だ。飲んでみると、さすがにコクがあって美味しい。問題があるとすれば、あくまでウンコなので特に女性に抵抗があるのではということ。この農園は日本人ご用達らしく、他にも3グループほど日本人観光客がやってきている。3人の年配の女性グループはジャコウネココーヒーを飲んでいた。気にしない人は気にしないのだ。
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↑ジャコウネココーヒー
 ブリさんと少し話をする。最近は日本人観光客がめっきり減って、仕事が減ったという。職を変えようかと弱気なことをいっていた。これは自分にはどうすることもできない。
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↑ブリーさん登場
 インドネシアのスマホがサムスンが多い。ブリーさんのはマイクロソフト、つまりノキアである。彼はミクロソフトと言っていた。あと日本ではほとんど見かけないブラックベリーも健闘している。
 さてジャコウネココーヒーをお土産にと思ったが、やはり元がウンコと知った時点で特に母などは拒絶反応をするのが目に見えていたので購入を見合わせた。
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↑いよいよキンタマーニへ
 さらにクルマを走らせた。11時、ついにキンタマーニにやってきた。 このあたりは標高1500m。涼しく感じる。Batur Tengah通りにある展望台からバトゥール山が見え、麓にはバトゥール湖が広がる。バトゥール山は富士山に似ている。これは絶景といっていいだろう。しかし物売りのオバサンがうるさく興ざめする。徹底無視する。しかしガイドさんが彼女から果物を買って、私にくれた。ブリーさんによるとキンタマーニとは「北にある湖」という意味らしい。この湖はバリの人々の水甕である。
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↑ここがキンタマーニだ
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↑物売りから買った果物
 11時49分、ブサキ寺院pura besakihにやってきた。五重の塔のような建物があって何か日本の寺院と雰囲気が似ている。それもそのはず、ブサキ寺院は、もともと8世紀ごろまでは仏教徒の修行の場であったという。隆盛を極めて衰退した後、20世紀に入った頃から復興が進んでバリヒンドゥー教の聖地となり、多くのバリ人の心のより所となった。今も重要な祭典などもこの寺院で行われ、お供え物を頭に乗せて参拝する人が絶えない。その賑わいを見るためにバリ島の代表的な観光地となっているのだ。
 ここでは午前中に行ったゴア・ガジャでもそうであったが、バリのヒンドゥー教で信じられている破壊神シヴァ、繁栄神ヴィシュヌ、創造神ブラフマのヒンドゥー三大神が中心に祀られている。それぞれの神を意味する白、黒、赤の3色の幟がはためいている。この日も何か分からないが法事のような行事があるらしく、どこかの家族か一族か祈りを捧げていた。
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↑プサギ寺院
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↑お供え物
 バリ島の人は日本人と同じでお祭り好きだなと感じた。ブリーさんによると、最近はバリ人も会社勤めの人が増えて休みが取りにくくなり、こうした行事が平日にやりにくくなってきたという。これは日本も同じだ。
 またここは特に神聖な場所であるので、異教徒の私はジーパンであってもサロンを巻くことになっている。これはガイドさんが用意してくれていた。12時17分にそこを去った。
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↑寺院外ではサロンを売っている
 12時37分、Mahagiri Panoramic Resort & Restaurantにやってきた。ブリーさんによると「田圃を見ながら食事できます。大統領もお気に入りです。」と言っていた。昼食は出発後にキンタマーニかここかどちらでも選べる融通の利くツアーで、私はこちらを選んだというわけだ。
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↑レストラン入口
 席は一人掛けのテラス席が用意されていた。ウエイトレスがやってきて飲み物は何になさいますかと聞く。コーヒーと紅茶はツアー料金に入っていて無料だがそれ以外は有料なのだ。私はミックスジュースを頼んだ。ツアーの説明ではインドネシア料理ということで、ナシゴレンやミーゴレン、チャンプルやサテといったものである。ビュッフェなので好きなだけ皿に盛っていい。まあ無難な味で特筆すべきところはないが私には十分である。隣はオランダ人の夫婦。何故かこのレストランは白人と日本人が中心で、中国人が少ない。道理で上品な感じがするはずだ。このままこの路線を続けて欲しいものだ。
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↑店内
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↑料理
 さて景観だがなんといっても棚田が見事だ。棚田は日本にも存在するが、このバリ島は温暖な気候と豊富な水のおかげで年間に3度稲を収穫できる三期作にできる。だからほとんどの時期で青々とした稲を見ることができる。ただし、棚田の見栄えをよくするために、三期作とするのは農家にとっては負担になるので、政府が補助金を支給しているという。
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↑棚田
 13時37分に出発。
 対向車が来たらどうするの、という感じの細い山道を下り、トゥガナンTengananにやってきた。ここはバリ島の原住民が渡来した仏教やヒンズー教に改宗するのを拒んだ人々が、集団を形成して、異教徒との交流を避けて生活していたところだ。ただ、時の流れは逆らいようもなく、この村だけで自給自足の生活は難しくなり、周辺のバリ人との混血が進み、村人の生活も変わらなくなっている。
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↑細すぎる道
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↑トゥガナン
 村は階段状に建物が造られていて、全体として素朴な雰囲気である。ただテレビアンテナは立っているし、おそらく携帯電話も持っているだろうし、子供はバイクを乗り回している。村の人口は減っているらしく、静かな雰囲気である。
 この村の収入源はアタと呼ばれる籐製品や、ダブルイカットと呼ばれる独特の高級織物である。しかしここで売られているものは値札はなく、おそらく観光客にはふっかけるつもりなのだろう。実際あまり売る気はないらしく、その商品の多くは埃をかぶっていた。薄い木の皮にキズをつけて黒曜石で色づけした巻物は、村人でデモンストレーションしてくれている。バリ島の地図やバリヒンドゥのアイコンなどが描かれていて、食指が動いたが、どうせふっかけられるだろうし、一度見ただけでどこにいったかわからんという多くの土産物のひとつになる可能性大なので、写真を撮るにとどめた。
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↑バリマップを作った
 本来のツアーの日程では、このあとはどこか適当なレストランで食事をしてからバリ舞踊を観劇して、ホテルへ送ってもらって終了となる。しかし私の日程は22時発の飛行機に乗らねばならず、20時に空港に着いていなければならない。そもそもバリ舞踊はすでに見たし、夕食は空港のラウンジで済ますつもりだった。
 海沿いの道を走りながら、ブリーさんは「どこに行きましょうかね~」という。このままだと17時前に空港に着いてしまう。私はバリ島の最南端の岬に行くことを提案したが、そこに行く時間はないという。それに提携している店があるので、どこでも自由に行けるというわけではないらしい。
 そこで考えたのがマッサージである。バリ島といえば、特に女性の間ではエステが人気がある。私は男性なので肌の荒れは、歳のせいだと簡単に片づけられるので全く気にしないが、まあマッサージならいい時間つぶしなるのではないかと、ブリーさんに提案して了承された。
 クルマが走っているところは、バリ島随一の主要幹線道路で夕方ということもあって渋滞気味である。バス停は何故か駅のプラットホームのように高いところにある。
 16時45分、それでも時間が余るので、ギャラリアという免税店に寄ることにした。かつてはこうした免税店はブランド物を買い漁る日本人女性であふれていたが、今や中国人だらけで日本人はいるのかどうか分からない状態だ。免税店であるので、地元の人は買い物できず、航空券とパスポートを示し登録する必要がある。
 免税といっても高級品なのでTシャツ一枚買っただけだった。これがバリで買った唯一の土産物となった。
 ここでは30分の買い物した。
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↑バリ島のギャラリア
 ギャラリアからわずか3分走ったところでクルマが停まった。どうやらここでマッサージをするらしい。Galuh Bali Spaという店であった。
 入り口は日本の鳥居のようになっていて、JCBカードが使える。つまりターゲットは日本人であることを示している。こういうところは清潔で安心感はあるが、品質は中級程度であることが多い。
 マッサージは一番安い60分コースにした。今から思えば90分にしてもよかったが、ブリーさん達を早く解放させたいと思ったのだ。
 料金は先払いである。クレジットカードのブランドはJCBしか表記されていなかったが、ブリーさんが何でも使えるはずといったとおりの結果で、VISAでも全く問題なかった。
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↑入口
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↑待合
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↑日本語の注意書き
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↑マッサージのベッド
 ブリーさんに写真を撮ってもらったりして待っているうちに、マッサージ担当者とおぼしき女性が現れた。
 ベッドとシャワーのある小部屋に案内されると、ガウンに着替える。盗難防止のため、着替えはロッカーに入れ、鍵は身につけておく。マッサージ中は身動きがとれないので、これは必要な措置だろう。
 マッサージ自体は平凡で、日本で受けたタイ式マッサージの方が利いている感じがする。技術からすると4500円という値段設定は高い印象だ。マッサージを終えるとシャワーを浴びた。しかしヘアドライヤがないので、その旨をつたえると、別の部屋に連れて行ってくれた。ただしブラシがないので、手櫛となりヘアスタイルは絶望的になった。
 18時39分、ブリーさんお待たせしましたと、クルマに乗る。
 19時前空港着。ブリーさん達に別れを告げた。もう少し感動的なお別れをしたかったが、非常に素っ気ないものになった。
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↑ここでブリーさんとお別れ

6.さらばバリ島
 デンパサール空港はヒンドゥー教のイメージなどないほど、とても近代的だ。
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↑出発ゲート
 ヴァージンオーストラリア航空のブリスベン行きのカウンターはすでに長蛇の列ができている。
 ようやく筆者の番が来た。このヴァージンオーストラリア航空のブリスベン経由のクライストチャーチ行きは、Tripstaという代理店を経由して手配した。メールには、「この領収書とパスポートをチェックインカウンターにお示しください」とある。しかしこの日本語が係員が読めるのかと疑問に思っていた。案の定、係員は英語のはないのかという。こんな場合に備えて、出発前にヴァージンオーストラリア航空のウェブサイトにアクセスして英文搭乗者情報を印刷してあった。しかし私が英語の部分と予約番号を指し示すことで理解できたらしく、英文資料は出番がなかった。
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↑出発カウンター
 チェックインが完了したのは19時55分。空港に来てから1時間を経過していた。
 保安検査と出国審査を抜けてセキュリティーエリアへ。非常にきらびやかで、シンガポールのチャンギ空港よりは落ちるものの、関空よりは雰囲気は上だ。
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↑ターミナルビル内
 紙幣はすべて日本円に両替した。バリ島ではみやげを買うつもりはなかったので、本屋でニュージーランドの道路地図を書った。小銭をここで一部を残してすべて使い、残りはクレジットカードで払った。ここで買った地図は、現地ではGPSナビやスマホが活躍したので出番がなかった。
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↑この日の為替レート
 20時45分、中2階にあるラウンジに入った。プライオリティパスの使えるラウンジは今やお金を払えば利用できるところであり、高級感は全くなくなってしまった。しかしこれはある意味当然である。
 さてここでは食事をするつもりだった。しかし昼食を食べ過ぎたせいかあまり食欲がわかず、少し食べただけにとどまった。
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↑ラウンジ
 ここでは何をしていたのか思い出せない。書き物をしていたような気もするし、繋がりの悪いWifiに悪戦苦闘しながらスマホをいじっていたのかもしれない。
 21時35分、10番ゲートにやってきた。ゲートにはおそらくオーストラリア人と思われる人たちが椅子に座ったり、床にジベタリアンしながら待っている。家族連れも多い。
 飛行機は沖止めでランプウェイバスで移動する。ちょうど私のところでバスは満員となってしまい、立って待っていなければならなかった。深夜とはいえ発着数が多く、業務用車両が右に左に動いている。
 待つこと15分、やってきたバスに乗る。
 暗闇にVirsinの赤い垂直尾翼が浮かんでいた。タラップは2本あって、私は後ろから乗るように指示されていた。
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↑ヴァージン航空機
 機体はボーイング737-800で左右3列ずつ。筆者は通路側で右隣は赤ちゃんを連れた若い夫婦であった。窓側の男性が子供を抱き、母親は希望者に配られたWifi端末で機内エンテを楽しんでいた。
 機内は消灯し紫色の光が妖しく輝いていた。22時15分に離陸した。
 機内はほぼ白人という感じでまるで異物のような日本人は私だけのようであった。
 一秒でも早く寝たい気分だが、飲み物のサービスが始まるまで座席を倒すこともできない。
 23時に機内食。朦朧とした意識の中で食べた。
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↑白人が目立つ機内
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↑機内食
 食べ終わるとすぐに睡眠に入った。
 さらばバリ島。

 続きは「ニュージーランド旅行記2016」をお読み下さい。
ニュージーランド旅行記2016


7.バリ島の印象
 筆者は2009年の極東ロシア旅行記に書いたように、バリ島への航空券を購入しながら「求めているものがそこにない」という理由で、キャンセルした経緯がある。それなのに何故バリ島に興味を持ったかといえば、2015年のフィリピン旅行がきっかけだ。そこで一緒に泊まった日本人客から「バリ舞踊は見るべき価値がある」と言われたからだ。それ以来「そうなのか」と思いつつバリ島へ行く機会を伺っていたのだ。
 そうして、やってきたバリ島だが、最初に割高なエアポートタクシーに乗ったので、もう一つ印象が悪かった。しかし時間が経つとなかなかいいところだと思うようになった。昼間は暑いが夜は涼しいし、物価が安い。左側通行や宗教的概念など何か日本とよく似たところがある。インドネシアで最初にリゾート開発された島なので、観光客を扱い慣れているので、リゾートで長期滞在にも適していると思われる。その芸術性に魅せられて白人の移住者も多い。正直、筆者もここで暮らしてもいいとも思った。
 ただクルマの運転が荒いのと、社会インフラが清潔感に欠けることが難点だ。それに医療の面はどうしても不安を感じてしまう。さらにブリさんによると地震は結構あるらしい。やはり暮らすとなると日本人は日本で暮らすのが一番いいようだ。
 当初予定にはなかったことであったが、バイクで走り回ったのは面白かった。結局目的地には到着しなかったが、どうしても到着しなければならないところではなく、とりあえずの目標だったから問題はない。帰国後、125CCのスクーターの魅力にとりつかれ、購入を検討することとなった。
 このバリ島旅行はニュージーランドの日程を削ってでも来た価値はあったと思う。次回は豪華なリゾートホテルでのんびりしたいものだ。海辺でデッキチェアに座り、トロピカルアイスティーを飲みながら本を読む。そんなことを夢想している。



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