フィリピン「シキホール島・ドゥマゲティ」旅行記 [旅行]
↑シキホール島VILLAMARINEから見る海
【何故フィリピンへ行くのか】
今回の行き先はフィリピンである。なぜフィリピンかといえば、フィリピンに行ったことがないからだ。行ったことがないので行くというのは動機としては十分だが、何故20回以上の海外渡航歴のある管理人がフィリピンに行ったことがなかったのかといえば、フィリピンが治安に不安のある国だということが一番で、次には主力マイルにしているユナイテッド航空のマイルが貯まる航空会社が就航していないということ、さらに他のアジアの都市に比べて航空運賃が割高という点だ。
フィリピンの治安の悪さは有名だ。乗ったタクシーで自分の荷物を開けて何かを探していると、タクシーの運転手で銃で撃たれたという。運転手は客が銃を探していると思ったという。殺人事件、強姦事件はもちろん、誘拐事件もたびたび起きる。生命の危険がなくとも、乞食が「社長、チップチップ」とうるさいし、コソ泥も多い。何しろ、他人の物を盗っても、教会で懺悔すれば潔白になると考えている国民だ。そんな調子であるから、物を買って釣り銭を誤魔化すなんてことは日常茶飯事である。
そんなわけでフィリピン行きは後回しにしていたのだ。
フィリピンの団体ツアーといえば、マニラとセブが主流だ。マニラはやたらと人だけ多くて見所がないし、それに犯罪も多いという。セブはもともとリゾートで発達したところだが、最近都市化がすすんで犯罪も多くなっているという。
そんな予備知識の下で、ガイドブック「地球の歩き方」を眺めていると「ドゥマゲティ」という聞き慣れない街の名前に目を留めた。ここはシリマン大学を中心とする学園都市で、治安もよく、街並みも美しいという。実際ガイドブックに載っている写真は海岸遊歩道に椰子の葉や揺れて雰囲気が良さそうだ。
目的地はドゥマゲティにしよう。航空券はフィリピン航空から直接購入するのが一番安かった。関西空港-ドゥマゲティ往復は税込みで76500円だった。購入したのは2月頃だった。
しかしドゥマゲティに行くのはいいとして、宿泊先をどうするかで悩んだ。リゾートホテルは市内から離れているし、シャトルバスもあるのかどうか分からない。いちいちトライシクルに乗るのは面倒だ。それに今回の旅行では自分の自転車を持っていくつもりだ。自転車はもう20年選手であり、部屋に置き場もなくなってきたので廃車するつもりでいた。それならまるで価値のない日本で処分するより、フィリピンで乗ってもらった方がいい。ところがドゥマゲティがあるネグロス島はとても大きな島で周回などできない。かといって同じ道を往復するのはつまらない。
そこでドゥマゲティの対岸にあるシキホール島に行くことにした。地球の歩き方には魔術師の住む島とある。怪しげな魔術師がいるためにスペインからの侵略から長い間逃れ、独自の文化が残ったという。その昔、ドゥマゲティからシキホール島全体がぼんやりと不気味に光って見えたという。それはおそらくこの島に多く生息するホタルが光っていたのだろう。魔術師の中でも最も知られているのは、ボロボロという呼ばれる伝統的なヒーリングで、ストローで石鹸の入ったコップをぶくぶく吹きながら身体をさすり、具合の悪いところにさしかかると水がいきなり白濁し、藻のようなものがわき出すのだという。さらに汚れた水を取り替え患部をなぞることを繰り返して水をきれいにすると、不思議なことに身体の悪いものが取り除かれるという。管理人からすると非科学的でどうもインチキ臭いが、フィリピン人には信奉者が多く、それを目的にシキホール島に訪れるという。残念ながらこのボロボロを会得していた唯一の老婆は2013年にお亡くなりになっていて、このボロボロは体験できない。それでも神秘的な(怪しげな)独自の治療法で症状を治すヒーラーや、薬草を調合して恋愛運や金運がよくなるお守りを作ってくれる人たちがいる。
地球の歩き方はシキホール島については、このようなことを1ページで説明しているだけで、宿泊先は1つしか記載されていない。それが日本人の経営するVILLAMARINEというホテルであった。シキホール島は1周80キロと手頃だ。メールのやりとりで予約は完了。不安だったドゥマゲティからシキホールまでの船便を含む交通も確認できた。
【第1日目:まずはマニラへ】
2015年5月2日午後12時半。自転車を梱包して、それ出発!
↑自転車とマイバッグ
関西空港着。Fカウンターでフィリピン航空チェックイン。当然、自転車は受託手荷物だ。しかし係員の女性は大きさが規定を越えているので追加料金1万円が必要です、と思わぬ発言をした。今更そんなことをいわれてもと思ったが、もしかするとフィリピンの国内線でも料金を取られるかもしれないので、合わせて約1万五千円は痛いと思い、一旦あきらめて、チェックインをすませてから一時預かり所に向かった。4Fにそれはあったのだが、一日1080円で5400円もかかる。それだったらお金を払っても自転車を持込んだほうがいい。もう一度カウンターに向かい、クレジットカードを掲示し自転車を預けた。ところが精算係の女性は、自転車などスポーツ用品は例外で大きさが越えても無料だと指摘してくれた。とんだ無駄手間となった。
そんなこんなでチェックインは14時10分ギリギリとなった。すぐに保安検査と出国手続き。
読みかけの文庫本を鞄に入れ忘れているのに気づき、有川浩の「レインツリーの国」を買った。出国したら消費税は不要で僅かながら安く買えた。
↑飛行機に乗り込む
33番ゲートでは既に搭乗が始まっている。フィリピン航空。機材はA321-200。3+3席。通路側。隣はおそらくフィリピン人の女性。脚にペイントしている。
15時19分、機体は南向きに離陸した。フィリピン政府の入国カード、検疫、税関書類をそつなく書く。
機内はモニターを含むエンタートメントはない。隣の娘たちはタブレットで映画を見ている。放送は日本語はない。どういうわけか乗務員の指示で日除けは下ろされている。
16時16分に機内食。肉じゃがを選んだ。さらに白ワイン。
↑機内食
機内では本を読んだり、資格の勉強をした。ただしいつものことながら勉強するとたびたび寝落ちした。
17時50分にマニラ空港に着陸。
↑マニラ空港に到着
18時40分に荷物を取り戻した。まずはフィリピンペソを手に入れる。空港の両替はレートは悪いのだが、何はなくとも現金である。5万円が18100ペソになった。
↑両替所
空港からホテルまではクルマを頼んでいる。指定された場所は到着ターミナルの車寄せの柱番号BAY16。NETWORLDホテルの女性が待っていた。彼女が持つリストには私の名前はなかったが、バウチャーを見せて納得してもらった。うだるような暑さのターミナルビル外で同乗者を待つ。脚を失くした男性が歩いてきてチップを要求する。そうここはフィリピンである。
↑ホテルのシャトルバスを待つ
他の利用客を待って、19時20分にやってきたバスに乗り込む。12人乗りのトヨタのライトバンで客は7名。しかし荷物が多いので窮屈だ。同乗者は年輩の男性でゴルフが目的らしい。
クルマはほとんど日本車。例外はフィリピン独特の乗り合いバスのジプニーだけだ。これとて種車は日本車かもしれない。クルマは渋滞を抜けると、マクドナルド、Snakey、yellow cubなどロードサイド店が展開する。日本と変わらない風景。日韓友好を想起させる、こんな看板を見つけた。
「新天下」日韓料理YAKMIX
19時48分ホテル着。7階の部屋である。タッチセンサのカードキー。荷物を運んでくれたボーイはサービスのつもりかNHKテレビをつけてくれた。
↑ホテルのレセプション(招き猫がある)
↑ホテルの部屋(NHKが映る)
SIMカードを求めて外出。自分のスマホはNEXUS5でSIMを入れ替えれば、現地の安い通信会社の料金でネットできるからだ。今回の旅行はそれを確認するのも目的のひとつだった。最初に入ったセブン-イレブンにはレジ奥にSIMカードありと書いていたが、サイズが標準SIMしかなかった。
高架鉄道のGil Puyat駅方面に歩く。店が多くなってきて、賑やかになってきた。しかし駅周辺のコンビニ2店にもSIMすらなさそう。あきらめてホテルに戻ろうとしたら、偶然小さな電気屋でGlobeのNANOSIMを見つけた。ちなみにフィリピンの携帯電話通信会社はGlobeとSMARTが2大キャリアである。フィリピンの街を歩くと、至る所にこの2社の看板を見かける。その場でサイズを変換するアダプタに格闘しながら、スマホに取り付け。電波を拾ってくれた。フィリピンではスマートフォンの普及率は50%弱といったところだ。それもiPhoneのような高い端末はなく、SamsungかHTCが主流だ。店員は私のNEXUS5を珍しげに見ていた。SIMの価格は120ペソ(以下P)で日本円で330円ほど。相場は知らないが安く買えた。
↑GlobeのSIMカードを入手
次に夜食用にセブン-イレブンでビールとポテチを買う。フィリピンのスナックにはメーカー無関係に何故か「Oishi」と書いているのだ。どう考えても意味は日本語の「おいしい」だろう。フィリピンの標準語とされるタガログ語には外来語としてOishiがあるのだろうか。
↑コンビニのスナック
ホテルに戻る。さっきまで動作していたのに電波を拾わなくなった。どうやらSIMだけでは通信できないらしかった。
【第2日目:そしてシキホール島へ】
5月3日、日本は憲法記念日である。
5時40分起床。朝食は2階である。客は2人ほどしかいない。料理はどこでもあるバイキング。ただし趣向はかなり日本人に振っている。
ふとテーブルをみるとオレンジジュースが置いてあった。赤いシャツに黒のズボンの男が料理を取っている。さすがサービスがいいなと思って、ジュースの席に座っていると。「イクスキューズミー、日本の方ですか。それ口付けてないでしょうね。そこ私の席なんですけど」といわれた。「ウワっ、失礼しました」と退散。スタッフの着ている服とよく似ていることによるミスだった。それに動揺したのかトーストを焼いているのに、ご飯を手に取ってしまった。トーストはナプキンにくるんで持ち帰り。この食堂は10時から昼過ぎまでフィリピンの英雄パッキャオと無敗の王者メイウエザーとのボクシングウェルター級統一王座決定戦の有料視聴のため貸し切りとなる張り紙がしてあった。
↑有料視聴の案内
↑朝食レストラン
空港行のバスは6時半に出発する。ドゥマゲテ行は8時半発なのにこんなに早く出る必要を感じなかったが、次のバスが10時なのだから仕方がない。
どこで待っていいかわからず、いったん玄関に降りるとたちまちタクシーが寄ってきた。するとボーイにここではないと指摘され、再び荷物を持ってロビーで待つ。6時35分ライトバンがやってきた。客は3人。その中にはさっきの朝食事件の男が含まれる。お互い気まずくて離れたところに座っていた。
クルマを走らせてしばらくするとホテルに戻り、再び客を乗せた。ターミナル1、2と順番に停まる。ターミナル2は混んでいるな、と思っていると、国内線が中心のターミナル3はそれに輪をかけて混んでいた。
ここに着いたのは7時だが、ビルに入るための保安検査で長蛇の列。これを突破するのに25分を要した。
↑ターミナルビルに入る長蛇の列
さらにチェックインでも当然のように並び、ようやく重い荷物から解放されたのは8時であった。
Globeのカウンターを見つけたので、SIMに5日分のプリペイドカードをロードしてもらった。スマホの表示は日本語だが、男性店員は慣れたもので、軽々と設定して使えるようにしてくれた。500p支払った。
↑ロード完了
再度保安検査を受けて、120番ゲートに急ぐ。出発時刻が近づいているので館内放送で自分の名前が呼ばれていた。
↑出発ロビー
ゲートで名前を名乗って乗り込み。指定された6F席にはおばちゃんが座っていたので、軽く指摘する。
ドゥマゲティ行のフィリピン航空の機体はA320-200。先日アルプスでドイツの航空機が操縦者が意図的に墜落させた事故があったがそれと同じ機体だ。
↑ドゥマゲティ行飛行機
しばらく地上走行し、セブパシック航空のターミナルが見えたと思ったら、急加速して離陸した。
8時55分には雲の上。ドリンクサービスは紅茶にした。パンを砂糖で固めた菓子が配られた
。
↑配られた菓子
機内では断続的に寝ていた。9時50分、「ドーン」と音がして目覚め、気がついたらドゥマゲテ空港に着陸していた。
↑ドゥマゲテ空港到着
ドゥマゲテ空港はきわめて小規模な空港だ。手荷物のU字型のコンベアは25mもないだろう。しかしコンベアのスピードはとても早くて取り上げるのに苦労する。
↑小型高速コンベア
↑ウェルカム・トゥ・ドゥマゲティ
↑観光案内デスク
10時過ぎ、プラカードを持った出迎えのクルマに乗り込む。乗船券を手渡される。彼はシキホール島のホテルから手配してもらった運転手で、本来はドゥマゲティにあるホテルの送迎をやっているらしい。
↑渡された乗船券
10時20分にフェリーターミナルに到着。すぐに灰色のポロシャツを着た男がやってきて、重い荷物を持ってくれて、受託手荷物のところに置いてくれてタグを貼り付ける。それはありがたいのだが、120p請求された。彼はポーターだったのである。
↑高速船チェックインカウンター
シキホール行の船は12時50分発だから、あと2時間半近く待ち時間がある。スマホで暇つぶし。
↑待合室
↑待合室の売店
↑待合室にあるコーヒーの自販機
↑停泊する船。左はフェリー、右はレトロな船
腹が減ったので、朝のトーストの残りと機内食のスナックでしのぐ。それでも足りなかったのでロビーの売店でビスケットとジュースを買う。店の女の子は値札のないのをいいことに1セット100pと主張する。最初に100pを出したのが間違いなのだ。さっそくボラれてしまった。
↑これが250円?高いな。
例のボクシングはパッキャオが判定で負けた。メイウエザーの堅固な防御を崩せなかった。フィリピン人は大いに落胆しただろう。しかし街の様子からはそれは読み取れない。後からの話では試合前に肩を痛めていたらしい。むしろ肩を痛めていたのに試合をして、賭けに負けたとかで、一部のフィリピン人が怒っているらしい。
↑"世紀の一戦"の新聞
何とか時間は潰せた。オーシャンジェットに乗り込む。指定された席は31I。定刻12時50分に出航。船内ではDVDが放映されている。この高速船はドゥマゲティ~シキホール航路で最もグレードが高く速いらしい。
↑オーシャンジェットに乗り込む
13時半に到着のアナウンス。右舷から降りた。
↑シキホール島が見えた
荷物は炎天下のケージ中に無造作に置かれる。自転車は自力で引き上げられたが、キャリーバックは中央部に取り残され、係員に「レッドバッグ」といって取ってもらった。
↑ようこそシキホールへ
↑船着き場の出口
13時45分、プラカードを持った男と1台のトライシクルが待っていた。自転車は後ろにくくりつけた。ポールというその男は、今夜宿泊するホテルのオーナーの友達なのだという。
↑トライシクルに自転車を載せる
ホテルは島内周回道路から海沿いに降りて、数軒の民家を通り過ぎたところにある。
14時頃ホテル着。私の他にも2人の欧米人、3人の中国人が待っている。
このホテルは日本人がオーナーだ。彼は平塚で小学校の教師をしていて定年後、このシキホールでホテルの経営を始めたのだ。
ホテルは孤立した藁葺きコテージ形式で最大15名泊まることができる。椰子の木が揺れる海を見て、ウェルカムドリンクを飲みながら待つ。
↑ホテルのフロント
↑ウエルカムドリンク
15時、ようやく部屋に案内された。部屋はTOMOという名付けられている。茅葺き屋根であることは前述の通り。2階式になっていて、上にベッドが2台、下に1台ある。キッチンはあるが使うことはできない。冷蔵庫はある。ミネラルウォーターは25P、ソフトドリンクは45P、ビールは60Pで飲んだらお金を箱に入れる。
↑1階ベッド
↑シャワー
↑キッチン(使用禁止)
↑2階のベッド
↑コテージの外観
↑部屋の見取り図
テレビはあるがNHKは映らない。というかほとんどテレビは見なかった。シャワーは島なので水が出ないかと心配したが、勢いはないもののそこそこ使える。どうやら井戸の水を使っているらしかった。海辺なのに何故か真水なのだという。湯もあるのだが、瞬間湯沸かし器なのですぐに湯にならない。バスタブはあるのだが底から20cmくらいしか溜まらない。これでは入浴とはいかないだろう。せいぜい行水といったところだ。
閉口するのは貴重品を預かる金庫がないことと、タンスがないことだ。それに服を吊すところがないホテルは自分の記憶にない。
↑部屋の冷蔵庫にあるビールと水
エアコンはなく、年季の入った扇風機が稼働している。網戸はあるのだが、扉の下の方に隙間があり、さらに屋根には大きな隙間があるので、蟻や蜥蜴は容赦なく入ってくるし、虫はいうまでもなくフリーパスだ。
まずはスマホの電池の充電をする。不思議なことに開けたところでは電波を捕まえるのに、建物の中では3Gを捕まえることができないのだ。Wifiも弱いし、ネット環境はあまりよくない。
テレビのあるテーブルは何故か白い粘りけのある粉が落ちてくる。
室内設備を点検が終わり、浜辺に繰り出した。初日は海、2日目は自転車で島内一周、3日目はドゥマゲテ観光と決めていた。
海はちょうど干潮で珊瑚が露出していた。かつてグアムに行った時、南の島を歩くのにサンダルが必須だと感じていたので、日本から用意してきたのだ。もし履いていなければかなり痛い思いをしただろう。直径20cmぐらいの大きなヒトデがゴロゴロいて正直気持ち悪かった。後ろを振り返るたびにヒトデの数が増えているような気がして、しまいにヒトデに囲まれるのではないかという錯覚に襲われた。
沖にむかって歩いた。珊瑚がなく砂浜のところはエメラルドグリーンに見える。そこなら深さがあって泳げるのだが、ヒトデの数は多いし、サンダルを履いているとはいえ、踏むのはイヤだ。さらに沖に行くと緊急時に足を付けたときに踏むと痛い珊瑚はあるし、毒のあるオニヒトデもいるかもしれない。またサンダルを履いたまま泳ぐのは難しい。
そんなわけで半時間もしないうちに撤退することになった。まあ南の島はこんなもんだろう。ただもう少し泳げると思った。
洗濯をする。洗面台に栓はなかったが、木製の手桶があったので代用。あとで知ったのだが、このホテルでは無料で洗濯をしてくれるらしい。
18時30分、自分の海外旅行で恒例となっているフィリピンのテレビ番組のスキャンをしていると、浴衣を着た現地雇用の女の子がやってきて「食事の時間です」。
食事は一人だと思っていたが、ホテルのスタッフやN氏という先客と同席だった。
N氏は八王子在住。職業は文筆業と聞いてびびったが、学習参考書の執筆らしい。ここに来た目的はダイビングである。
オーナーは大学で社会科の教員免許を取得したが、採用枠がなく、平塚で小学校教員の採用枠があったので、急遽特別枠で採用された。定年後はオランダにいたが、どうしたことかフィリピンに流れてきて、シキホール島を気に入って、ホテル経営を始めたという。趣味はテニスで実際宿泊客とコートで楽しんでいる。
↑テニスコート
明日、自転車で島内を一周するというと関心を持たれた。先日自転車で世界を回っているスイス人の夫婦がやってきた。しかし折からの台風で船は欠航。予定の飛行機に間に合わないということで、シキホールからセスナ機をチャーターした。しかし自転車に機内に持ち込めず、自転車はホテルに寄贈したという。あとで見てみたら普通のマウンテンバイクだった。一般人が走るにはちょうどいいかもしれない。
話題は自分たちの話から、フィリピン人についての話題に移った。
・フィリピン人の女の子は献身的だが金目当ての悪女もいる
・フィリピン人は家族を重視する
・家族で移動することが多い
・家族に限らず友達などと一緒にいて一人でいることが少ない
・家族が多い。12人兄弟でそれぞれ5人ほど子供がいるのは普通
・親戚が多いために日本人男性が結婚後たかられて破産することがある。
・フィリピンでは届け出で銃の所持が可能
・人を誤って殺しても日本円で5万円払えば、潔白となる
突然話しは変わり、N氏は結婚とは崖から飛び降りるようなものといった。それくらい勇気のいるものかもしれない。
シキホール島ではオーストラリア人が経営するリゾートホテルが一番評判がいいらしい。名前は忘れた(後日ココ グローブ ビーチ リゾート と判明)。そこはビーチがある。スタッフは「うちのホテルはビーチが弱いんですね」と正直に語った。確かに。あの珊瑚とヒトデだらけの海は泳げない。
21時40分、部屋に戻る。蚊取り線香の用意。外のベランダに置いている貝殻を灰皿にする。
↑貝殻の上の蚊取り線香
【第3日目:シキホール島一周】
5月4日、日本ではみどりの日。
午前3時、屋根を叩く雨音で目覚める。ただ茅葺き屋根のおかげで音が小さい。エアコンがないので暑いかと思ったが、想像していたよりも快適で、虫にも刺されなかっった。
7時40分にイギリススタイルの朝食。
↑ホテルの朝食
↑カラムンガイのジュース
↑晴れているが雲が微妙
さて今日は自転車で島内一周だ。自転車を組み立てながら、蛇口から出る水を沸かして熱湯消毒し、ボトルに詰める。自転車に水分補給は必須だ。しかしミネラルウォーターをわざわざ買うのも莫迦らしい。日本から湯沸かし器をあらかじめ持ってきていたのだ。その旅行用湯沸かし器リトルボコボコについてはここをクリック。
↑組み立てた自転車
9時15分に島内一周に出発した。出発直後はローギアの不調に悩まされたが、それは後輪タイヤの取り付けがずれていたのが原因だった。
今回はシキホル島の外周道路を一周する。地元ではこれをハイウェイと呼ぶ。正式名称は「シクィジャー・サーカムフェレンシャル・ロード」という。フィリピンは右側通行なので島を右周りに走ることにする。
↑曇ってきたぞ
↑雨が降ってきた
空は曇り空だが青空も見える。しかし走るほどに雨雲が現れ、路面は濡れ、向こうから歩いてくる人は傘をさしている。すると10時30分頃、SAN JUANの手前で急に雨が降ってきた。どこかで雨宿りをしようと、近くの民家の物置の軒下を借りる。そこは豚小屋であった。寝ていたのを起こされて怒っているのか鼻を突きだしてブーブー鼻を鳴らす。隣には子豚が眠っている。民家の勝手口から人影が見えるが、フィリピン人の大らかさなのか、見た目怪しくないと思ったのか、なにも言ってこなかった。20分ほど待つと雨がやんだ。南国特有のスコールであった。
↑民家の倉庫で雨宿り
↑そこは豚小屋だった
24km走ったところで、峠越えとなる。5kmで170mほど登る。ローギアの立ち漕ぎで何とか登れた。標高はMY TRACKアプリによると、275mとある。当然ながら下りは楽だった。最高速度は53km/hを記録した。
↑ここがどうやら最高地点
↑位置はこのあたりと思われ
峠を越えたところにあるLAZIでちょっと有名な教会と滝がある。とりあえず写真を撮った。滝の方はちょっとハイウェイから入らないといけないし、道も悪いし上り坂ということで中止した。どうせ期待以下の風景だろう(イソップ寓話『すっぱい葡萄』)。
↑滝の観光案内板
↑教会
LAZIを出発してしばらくした12時10分頃、またも急な雨が襲ってきた。木の下に待避した。同時に日本から持ってきた乾パンで昼食。
↑この辺で2度目の雨宿り
さて沿道風景であるが、これがどこを走っても民家があるところに雑貨店がある同じようなものだ。一言でいって単調である。時々コンクリートで固めれたあずまやで数名人が待っているが、彼らはバスを待っているのだろうか。トライシクルはこの島の主力交通。あとバイクは多い。一人で乗っているのは少なく、ほぼ3人乗りが標準である。自転車は1周回って2台見かけただけで、しかも近所を走っているだけのようだった。
↑日本の田圃のような風景
12時45分、海沿いを走る。大した景色ではないが、やっぱり海はイイね、というわけでここでセルフタイマーで記念撮影。
↑海が見えた
13時10分、シキホール島東岸で最大の街であるMariaに着いた。ここで自転車を置いて休憩する。公設市場がある。それなりに賑わっている。売店もあるのだが、ペットボトルが冷蔵庫に入っていないのだ。そういう店もあるのだが、反対車線だったりでついに入ることができなかった。それにしてもコカコーラの瓶に異常に赤い液体のジュースが無人販売のように置いているのはなんだろう。
追記--------
読者からの情報提供で謎が解明。コカ・コーラの瓶に入っていたのはガソリンだそうだ。
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↑Mariaの公設市場
↑典型的な雑貨店
↑沿道にはこんな売店が多い
13時51分、浜辺で子供が泳いでいる。このあたりは泳げるらしい。そこから10分ほど走ると、真新しい防波堤の向こう側に南国らしい風景が見えた。近くに役所がある。再びここで記念撮影。どうせならここは自転車も一緒に写すべきだった。
↑このあたりは泳げる
↑役所"Municipality of Enrique Villanueba"と書いてある
峠を越えてさら30分を走ると、整備中の海岸遊歩道が現れた。シキホール島北岸で島内最大の街LARENAが近い。
↑遊歩道を整備中
↑まもなくLERENA
やがてそのLERENAに着いた。消防署や役所、銀行。道路の上には運動会のように小さな黄色の旗が横たわっている。この街は通り過ぎただけ。もう出発から7時間を迎えようとしている。
↑LERENAの街
↑消防署
↑おそらく町役場
島内の小学校はだいたい道路に面してバスケットボールのコートがある。下はコンクリート。土の運動場はないようだ。
↑小学校
↑島内の民家
↑ホテルに戻る
そこから30分。ついにホテルに戻ってきた。到着時刻は15時50分。スタッフのマトさんから「おかえりなさい」とお声がけ。実走距離は80キロ。Movesでは79.2kmとなっている。MY TRACKSで補完していたが、途中正午頃雨宿りしたときに一時停止して再起動を忘れたので、途中が歯抜けになってしまった。残念ではあるが停まった地点がはっきりするので勝手に納得する。ちなみにMovesとMY TRACKSはスマートフォンのアプリで、Movesは加速度計で徒歩、自転車、乗り物を分析し、止まったところの滞在時間など一日の行動を全自動で記録してくれるアプリだ。電池の消費が激しいのと、精度が悪いのが難点だが、筆者には手放せないアプリなので、モバイルバッテリーを持ち歩いている。MY TRACKSはON/OFFを手動で行う必要があるが、位置精度がよく、初めて走るジョギングコースなどで使っている。かつてはグーグルアースと連動し、航空写真上に走った軌跡を再生する機能が付いていたが、Android5.0がリリースされてから機能しなくなってしまい残念である。
↑Movesによる記録
↑MY TRACKSによる記録(途中途切れたのが残念)
↑MY TRACKSによる高低差の記録
まずはシャワーを浴びた。汗びっしょりだ。
ベランダの籐製の椅子に座って、「レインツリーの森」を読む。関西空港で深く考えずに買った本だが、健常者と聴覚障害者の恋愛話でおもしろく引き込まれる。
↑ベランダで読書
18時30分に夕食。カラムンガイのアイスクリームがおいしかった。ちなみにカラムンガイとはフィリピンに存在する非常に栄養価の高い植物で、フィリピン人が貧しくても生きていけるのはこのカラムンガイのおかげだという。
↑2日目の夕食
昨日いなかった白人男性がいる。彼はスイス人でシェフとしてここで働いているという。祖父はシンドラーエレベーターの会長。実際オーナー夫妻がスイスの彼の家に行ったときにその部屋の広さに驚いたという。
他にもオーナーは前の連続ドラマ「あまちゃん」の脚本家、宮藤官九郎がここにやってきたと言っていた。このホテルはテレビでも取り上げられて結構有名らしい。
N氏はタイのサムイ島に行った思い出として浜辺に寝そべりながらの露天商が印象に残っているという。私は行ったことがあるが全くの初耳だった。それとバリ島の踊り娘のレベルは世界一だと称えた。指先の動きを注目せよとのこと。どうせ行くなら乾期の8月から9月に行くべきだと続ける。それを聞いて私はバリ島に行きたくなった。
今日は疲れていて取るもの手につかず。しかし疲れを理由に部屋のビールを飲んで寝る。旅行に行くと自分は酒ばかり飲む。
【第4日目:ドゥマゲティ観光】
5月5日(火)。日本はこどもの日である。
7時に朝食。今日は天気がよろしい。
↑本日の朝食
今日は対岸のドゥマゲティ市内観光に行くつもりだ。本日チェックアウトするカナダ人のアンドリューと一緒に港まで送ってもらう。ドライバーは私の分の乗船券を買いに行ってくれる。本来は本日分しか乗船券は買えないのだが、「顔」で前日予約ができるのだという。
到着するとすぐに乗船した。ここに来たときの船と違ってかなり古く、船の両弦にフロートが付いている。これは東南アジアでは一般的な形態でバンカーボートという。さっきはフロートと書いたがそれはアウトリガーと呼ぶらしい。高波でも安定性があるが、抵抗がある分船足が遅い。
↑船に乗り込む
8時定刻に出航した。シキホール航路は万事にいい加減なフィリピン人にしては意外に定時運行だが、客が少ないとそれを理由に休航になることがあるという。
英語の勉強もかねてアンドリューと話したいところだが、エンジン音がうるさすぎて断念。彼も音楽を聴き始めた。
出航半時間後、海を見ると鏡のように波が穏やかだ。
↑穏やかな海
↑海から見るドゥマゲティの街
9時半、ドゥマゲティ港に到着。アンドリューはトライシクルに乗って空港に向かった。
まずは帰りの乗船券を買わねばならない。ドゥマゲティ-シキホール島間は複数の船会社が運行している。クルマも積めるフェリーは遅い。高速船でも船によって設備や所要時間も違う。できるだけ滞在時間を長くして、また夕食の時間に間に合うように、16時発に乗ることにした。ついさっき乗ったのと同じ船会社だ。しかし往路は130Pだったはずだが、170P徴収された。理由はわからない。何しろ時刻表も運賃表も貼り出されていない。文句も言えない。40P横領されていても不思議ではない。ここはフィリピンである。
↑ここで乗船券を購入
↑ここでターミナルフィーを支払う
↑ドゥマゲティ港の待合
今日はドゥマゲティの街歩きである。まずは海岸沿いの遊歩道を歩く。遊歩道は港を目指して北に向かって工事中である。遊歩道は途中で途切れており、公衆トイレがでんと構えている。トイレは有料であるが、鍵がかかっていて利用できない。海は汚れている。
↑遊歩道
↑遊歩道で記念撮影
↑公衆トイレ(利用できない)
↑ドゥマゲティの中心部の地図
ドゥマゲティのランドマークとしてはベルタワーとなるだろう。そこを目指して歩く。10時半に着いた。スペイン領時代の見張り塔という由緒ある塔を外から眺める。1分ほどで見飽きてしまった。それよりも塔に違和感なく繋がっている有料トイレの方が気になった。
↑ベルタワー
ベルタワーの前にセブンイレブンがある。咽が渇いたのでジュースにミネラルウォーターを買う。フィリピンのセブンイレブンはどこも日本よりも狭く、万引き防止か警備員が常駐している。ここの女子店員はすごく愛想がよかった。これだけでもドゥマゲティの好感度が上がるというものである。
↑コンビニの飲料
公園に公衆トイレがある。ここも有料で1回5ペソ。番人がいるので彼に料金を払うと、切手のような領収書が発行される。有料の割には汚い。
↑有料トイレ
↑有料トイレの領収証
次に観光案内所に向かう。ドゥマゲティ市内からクルマで30分程のところでカサロロ滝という景勝地がある。ここは昨日のシンドラー氏が推薦していた。そこへ交通公共機関で行く方法を聞きに行く。
その行き方はドゥマゲティからヴァレンシアVALENCIAまでジプニーに乗る。運賃は150P。さらに滝への入場料が100P必要だという。そのジプニーはどこから乗ればいいのか聞くと、セントロサ通りだという。
さてそれはさておき昼食である。ドゥマゲティにはシリマン大学というアジアで最古のプロテスタント系の大学がある。昼食はそこのキャンパスに潜り込んで、格安の昼食にありつこうというわけである。
↑クルマは意外と多い
白い門をくぐると道路の両側にキャンパスが広がる。しかし食堂がどこにあるのかわからない。
↑シリマン大学入り口
↑学内道路
キャンパスの案内板をぼんやりと眺め、学内に一歩足を進めると、警備員がやってきて、両手人差し指で四角を描いた。許可証という意味だろう。そんなものは持っていないので退散した。
↑マクドナルド
↑ジョリビー
別に学食に拘らなくても、食べるところには困らない。フィリピンファストフードの最大手ジョリビーJollibeeはもちろんその向かいにはマクドナルドがある。一応両店とも覗いてみたが、席が少ないように感じたので、撤退。
↑ジョリビーの前で配られていたチラシ
結局CHIBOGというファストフードに入った。なんでファストフードに入ったのか、考えてみると、ぼられるのが嫌だったかもしれない。BABY BACK RIBが195P。番号札をもらって待つ。味は結構いけていた。ご飯はなくなったら店員が盛ってくれる。が、何故か私のところにはこなかった。もっともインディカ米は口にあまり合わず必要なかった。
↑CHIBOG
↑BABY BACK RIB
再び外へ。日本の8月のような暑さで日焼けする。トライシクルとオートバイが走りまくっているので、排気ガスで空気が汚れ、よけいに暑く感じる。
さてカサロロの滝を目指す。観光案内所で教えてくれた、セントロサ通りまで歩き、ヴァレンシア行のジプニーを探す。しかし確かにジプニーは次々やってくるのだが、行き先が南に位置するBACONGもしくはその先にあるZAMBOと書いているのしか来ない。その疑問は帰国後にわかった。ヴァレンシア行のジプニーはここではなく、公設市場の北側の通りから発着するのであった。
しかしこれがわかっていたところで、乗っていたかどうかわからない。もうすでに時間は13時を過ぎていて、シキホール行の出航時刻は16時。15時過ぎにはここに戻ってくるには2時間で往復しなければならない。グーグルナビによると、ここからの距離は14キロ。クルマでは30分もかからないとは思うが、不案内な現地で右往左往することを考えればとても余裕のある時間ではない。レンタルバイクは6時間で200Pぐらいだから、これを利用することも考えた。しかし万が一の事故を考慮しこれもやめた。
結局、カサロロ滝はあきらめて街の中をただウロウロするだけになった。公設市場を歩く。米はもちろん細長いインディカ米だが、数10種類ぐらい銘柄があり、1kgで30から50Pぐらいだ。日本円で140円ぐらいか。当然のことながら日本より安い。ただしフィリピンでは米は自給できず輸入に頼っている。
あと、フィリピンの特長として、小分け売りが多いことがあげられる。洗濯石鹸はもちろん、たばこも1本単位で売っている。これはフィリピン人の収入が低すぎるからであろう。
↑公設市場
↑スーパーマーケットもある
歩き回って暑いので、セブン-イレブンに入る。劇的に涼しくて快適。ソフトクリームが売れている。私も買ってみることにした。まずはレジで「アイスクリームプリーズ」と言って15P支払う。そのレシートをディストリビューターまで持っていって、味を指定してコーンに入れてもらう。レシートはかすれたマジックでチェックを入れられて返却。
↑セブンイレブン
↑買ったソフトクリーム
なんということのない普通のソフトクリームだがとてもおいしかった。ちなみにフィリピンのコンビニは必ずテーブルと椅子があり、飲食に供している。日本のコンビニもコーヒーやドーナツに力を入れているから、郊外店を中心にテーブル席が増えてくるだろう。
感心するのはフィリピンのファストフードやコンビニは必ずレシートが返却されることだ。中国、韓国、または欧米では請求しないとくれないことが多いがこれはいいことだと思う。
ATMという看板があったので足を止める。ATMといっても現金支払機ではなく、夜間金庫のような窓口が開いているだけだ。ATMの下には「AUTOMATIC TUBIG MACHINE」とある。TUBIGとはタガログ語で飲料水という意味らしい。あとDICTというのは「ここ」と意味らしいことが工事現場の看板で把握できた。
↑ATMといっても現金はでない
ドゥマゲティの街歩きをしての感想だが、まずはほとんどの物はここで揃えられるということ。SM、ロビンソンといったスーパーもあるし、公設市場もある。またファストフードも全国規模なのは全て存在する。散髪屋や美容院もあちこちにある。シリマン大学など学生が多いせいか、街に活気がある。逆に乞食が少ない。クルマの騒音は同規模の日本の地方都市に比べると激しいが、マニラのそれに比べれば静かなものである。信号機はなく、警官の交通整理もいまいち無視されている。歩道の整備がなされていないが、これもマニラに比べればはるかにマシである。フィリピン随一の大学病院や歯医者も町中に3院は見かけた。また銀行も多い。フィリピン人のほとんどは銀行口座を持っていないという。それに貧しい人は歯にお金をかけようとはしないだろう。つまりこの街には富裕層が多いことを示しており、それはつまり高い治安の裏返しだろう。ドゥマゲティが海外からの移住先第一位になるのはうなずける。私も日本の年金で暮らせないか検討してみる。問題は信頼のできる仲介者と現地で使える医療保険であろう。
↑PAENSHOP質屋
↑スマホが並ぶ
↑日本ではあまり見かけないブラザーのプリンター
↑フィリピンの有力スーパー「ロビンソン」
緑と赤の福山通運のトラックを2台見かけた。ハンドルは何故か左だった。
↑福山通運のトラック
15時20分に港に戻る。船は既に着岸しており、手荷物検査を受けて、すぐに乗り込む。船は往路と同じ老朽船で、もう80%は埋まっていた。カサロロ滝は諦めたのは正解だった。
どうにか座った2人掛けの窓側席の隣に女性が座った。その後女性は席を替わってくれと頼まれた。快く了承した。窓側の方が涼しいからだろうか。これはフィリピンではよくある風習なのか。こんな些細な出来事でも考えさせられる。
↑帰りの船
5分遅れの16時5分に出航。海路は順調だったが、16時40分、エンジンオイルかガソリンが噴出。後方に座っていた私にも少しふりかかった。もしガソリンなら火元があって引火すれば、福知山花火事故のような惨事になるところだが、さいわいにそのようなことにならなかった。ただ異臭が船内に充満し、水色のポロシャツを着た船員は日除けを開けるように促した。ちなみにこの船にはガラス窓はない。
スマホのバッテリー残量は16%を切っている。予備電源は持っているがケーブルを忘れたのでどうすることもできない。
船内はもっぱら眠って過ごした。17時30分に接岸。そのまま走ってホテルに戻る。約2.7キロを17分ぐらいで走った。トライシクルだと50Pだそうだ。
↑シキホール港に到着
シャワーを浴びて夕食。このホテルは海外では珍しく1泊2食付きだ。夕食はとても足りないだろうと思っていたが、歓談しながらということもあって、十分だった。夕食はアジのたたきだった。
↑最終日の夕食
↑カラムンガイのアイスクリーム
さて今回の旅行では自転車の処分も課題だった。ドゥマゲッティで放置することも考えたが、私はこのホテルに寄贈することにした。夕食も終わる頃、オーナーのダーマン原田に歩み出て、寄付を申し出た。喜んで受け取るとのことであった。すぐに自転車を見せた。ロードサイクルなので一般人が乗るには適していないが、フィリピンでは入手難なので日本よりも資産価値はあるだろう。スタッフが総出して代わりばんこで乗っていた。想定以上の好評でこちらもうれしかった。
↑スタッフに自転車を贈呈
明日の朝は早いので精算をする。1泊2食で2500P(ただし外人は食事なし1200pの二重料金)。これに送迎料金が加えられた。ドリンクはオーナーと一緒に食事したから無料だった。さらに自転車寄贈で値引きがあって、ちょうど9000pとなった。自転車に乗った私とともに記念撮影。
21時前に部屋に戻り、持ってきた湯沸かし器で、これも持ってきたティーパックでお茶を飲む。寝たのはいつだったか。
↑フィリピンの通貨
【第5日目:再びマニラへ】
5月6日(水)。日本では振替休日。
3時4時と目覚め、4時からは眠れず。5時に起きる。
↑さらばシキホール
5時半、スタッフの総出で出発。自転車を寄付したお陰だろうが、なんだか重要人物みたいである。
港に着いた。乗船券は昨日の時点で手にしていたが、座席の指定を受ける必要があるので、それを運転手が代行してくれた。12G席が指定された。
↑船内
船は定刻6時に出航した。船はそこそこよくて窓もある。船足も速く1時間後の7時に着いた。
↑ドゥマゲテ港着
ドゥマゲテ空港のマニラ行きは10時40分発。まだまだ時間がある。
↑フレームの中の船
朝食がまだだ。昨日海岸通に見つけていた「AWESOME DESSERTS」という店に入った。客はおらず開店しているのかどうかわからなかったが大丈夫だった。BIG BREAKFASTを頼んだ。コーヒー付きで200P。窓にはオーストラリア国旗が飾っている。まあ外人向けの店だ。
↑AWESOME DESSERTS
↑BIG BREAKFAST
8時に店を出た。まだまだ時間があるのだが、重い荷物を引っ張ってあちこち歩きたくないし、昨日さんざん歩いたところである。
あきらめて空港に行くことにした。ほどなく空車のトライシクルが現れた。赤いシャツを着た運転手は最初は相場の100Pと言った。私はダメ元で拒否した。そこで彼は80でどうだと言ってきた。断る理由はない。私は彼の不満を和らげるために軽く微笑んだ。海外では言葉よりもこれが利く。
10分もかからずに着いた。チェックインはまだ行われていない。窓口はフィリピン航空とセブパシフィックしかない。椅子も10程度しかない。こんな狭いチェックインカウンターは初めてだ。チェックインすると、搭乗券は関西空港まで出てきた。荷物はマニラでピックアップすることを確認した。
↑こぢんまりしたチェックインカウンター
ターミナル料金100Pを支払って、再度手荷物検査をして待合室へ。入ってすぐのところに売店がある。Tシャツなどを売っている。例によって値札がない。視覚障害者がマッサージをしている。その後彼らのうちに一人がギターを持って歌いだした。
↑空港待合室
↑視覚障害者によるマッサージ
ビル内ではGLOBEのFREEWIFIが使えるので意外に退屈しなかった。
10時に飛行機が着陸した。おそらくあれに乗るだろう。しかし出発予定時刻になってもなかなかアナウンスがない。10時50分にようやく乗り込めた。11時22分にようやく動き出した。セスナ機が離着陸していたから、おそらくそちらの方が優先度の高い重要人物なのだろう。
↑飛行機に乗り込む
機内ではマニラのどこに行くか決めた。マニラはかつては東洋の真珠と呼ばれたが、今は人口だけが多く排気ガスと交通渋滞と犯罪に満たされた街だ。有名な見所もなく、とりあえずサンチャゴ要塞とキアポ教会とその南にあるキンタマ-ケットを目指すことにした。
↑順調に飛行
予定より大幅に遅れた12時45分にマニラ空港に着陸。無愛想なターミナルビルを歩き、13時25分に漸く荷物を取り戻した。
ホテルから指定されたBAY6にはネットワールドホテルのクルマや係員はいなかった。到着予定が12時であるからこれは当然である。ホテルに電話し来てもらえるように頼んだ。しばらくするとNETWORLDHOTELの女性が現れた。これで安心である。13時50分にバスがやってきた。10分ほどでホテルに着いた。9階の部屋の窓から大きな観覧車が見える。
↑ホテルの部屋の外
↑9階の部屋
↑バスルーム
↑変わったところにあるクーラー
まずは最寄りのGil Puyat駅まで歩いた。そして腹ごしらえ。Chowkingという中華系のファストフードの店に入ってチャーハンを食べる。インディカ米はチャーハンには向いている。店内は混んでいて相席になった。
↑Chowking
↑チャーハン
高架鉄道1号線でセントラル駅を目指す。窓口でセントラルターミナルというと、「あっちだ」といわれた。反対ホームに来てしまったらしい。なお駅では形式的な手荷物検査が行われる。バッグを開けて見せ、警備員がドラムのスティックのような棒でさらに広げて目視。
↑出札口
↑乗車券
↑改札口
電車はとても混んでいる。ホームも幅狭で車両も小さい。まるで東京の銀座線や名古屋の東山線のようで、すでに限界を超えている。早急にバイパス線を造らないといけない。
↑狭いホーム
セントラル駅に着くと地下道を潜り、サンチャゴ要塞を目指す。しかしグーグルマップを持っていたいたにもかかわらず、道に迷い、イントラムロスという城郭にはたどり着いたものの、要塞には行けなかった。どうせ大して期待していなかったので後悔はしていない(イソップ寓話『すっぱい葡萄』)。
↑ウエルカムイントラムロス
↑イントラムロス城郭
↑城郭の上
↑ドアを開けたままのバス、ジプニー、自転車タクシー”ペディキャブ”
マッカーサー通りを歩いているとやがてキンタマ-ケットに到着した。キアポ教会ではミサが行われていた。私も脱帽する。壁際に電話ボックスのようなものがあり、僧侶が中に入っている。神とコンタクトをとっているのだろうか。
↑マッカーサー通りにある銅像
↑古びた鉄道の高架橋
↑キンタマ-ケット
↑キアポ教会
もうこれでマニラの見所は終えた。あとはどうするか。埋め立て地にSMモールオブアジアという東京ドーム8個分の巨大施設があるという。地元ではモアMOAと呼ばれている。ここを目指すことにした。最寄り駅はエドゥサEDSAでここからジプニーに乗ることにした。満員電車で駅に着いた。MOA行のジプニーはやってくるのだが、いずれも経由地だ。降り損ねたらどうするかとかいろいろ迷ってしまったのと、そこに行くことに意味があるのか自分に問いかけ始めた。ショッピングモールなんて日本の方が上に決まっている。
↑MOA行のジプニー
ジプニーはひっきりなしにやってくる。「モア、モア、モア」と叫んで呼び込む人がいる。実際に乗車したら運転手かチップをもらっているようである。
フィリピンに来たのにジプニーに乗らないのは残念な気がする。安全なドェマゲティで試しておけばよかった。
駅の近くの本屋に入る。本屋といっても文房具が主である。落ちている本をうっかり踏んでしまい、フィリピン人の女の人に睨まれた。目は口ほどに物をいう。日本人の印象を悪くしたのではないか。
↑店の外にいるネコ
20時過ぎ、ホテルに戻り海舟という日本食のレストランに入る。仲居さんが浴衣を着ていてそれは可愛いのだが、しっかりサービス料が請求される。客は日本人ばかり、ビビンバとニラレバ炒め。味ははっきりいって美味しくない。さらにうっかり日本のサッポロ黒ラベルを頼んだのはまずかった。輸入ビールなので300ml缶が600円もするのだ。
↑ビビンバはもうひとつ日本のビールは高い
一旦部屋に戻り、サウナに入る。一旦1階に降りて別のエレベーターで5階に上がる必要がある。宿泊者は無料である。まずは風呂に入った。やはり日本人は風呂である。外国でこのような立派な風呂には入れるとは素晴らしい。宿泊料金はやや高いが、日本人がマニラに滞在するにはここをおススメする。
サウナに入ると疲労は抜けたはずだが、脱力感も生じて、明日の準備をするだけで精一杯だった。
【第6日目:帰国する】
5月7日。この日は有給休暇をとってあった。6日の帰国便は理不尽なほど高かったからであった。
深夜、ドアの外で韓国人か中国人らしき女性が大声でわめく音で目が覚めた。まったく彼らはマナーが悪い。
朝食もそこそこに6時半前にチェックアウト。しかし6時半発のシャトルバスに乗れなかった。次は10時発しかない。前日に予約をしていなかった私のミスである。「予約要」とは書いていなかったので油断していた。仕方がないのでタクシーを手配する。運賃は400P。もったいない話だ。バスに乗れないならもっとゆっくりと朝食を食べていたことだろう。
日本帰国後わかったことだが、このネットワールドホテルでは2泊で予約の段階ですでに引き落とされていたのだが、3泊分引き落とされていた。おそらくクレジットカードの引き落としを取り消してくれるものと思われる。
7時に空港第2ターミナル着。保安検査もチェックインカウンターも10名程度しか並んでいなかった。ターミナル料金は航空券に含まれている。
↑ターミナル2チェックインカウンター
出国検査場はチェックインカウンターとパーティションで仕切られているだけだ。次に最後の保安検査。ベルトまでとられて結構厳重だ。
ターミナル2の免税店は貧弱な品揃えだ。両替屋もない。マッサージ室はある。喫煙ルームは繁盛している。
↑混んでいる喫煙室
↑閑散とした公衆電話
↑満席のラップトップステーション
今回の旅行ではお土産は全く買っていない。しかしお気に入りのドイツ製チョコ-レートMaicyがあったので衝動買いした。5個入り35Pとは安い、と思ったらそれは35ドルの間違いだった。それでも日本で買うよりは安い。ただし市内のスーパーではもっと安い。
↑買った唯一のお土産
↑さあ機内へ
8時20分機内に乗り込む。ここでも放送で名前が呼び出されていた。指定された49C席には先客がいた。アジア人のような顔をしたアメリカ国籍を持つオバチャンだった。後に英語で税関に関することで質問されたが、自分の英語力ではお答えできなかった。
フィリピン航空には4回乗ったが、エアシックバックは1枚しか手に入れることができなかった。9時10分に離陸した。さらばマニラ。さらばフィリピン。
離陸20分後に機内食。チキンを頼んだのに、テーブルに置かれたのはビーフだった。
↑機内食
日本時間13時10分、まもなく到着のアナウンス。もう着いたのか。あっけないな。13時26分関西空港に着陸。
驚いたのは日本に入国する外国人の数。日本の数100倍はいそうだ。
荷物をゲットするとビーグル犬の麻薬探知犬が近づいてきた。税関では特に質問はなかった。
泉州池田銀行で余ったフィリピンペソを日本円に両替する。予想通りレートは悪く1円=3.11pとなっている。ちなみにフィリピンでの交換レートは1p=2.78円。
帰宅は17時前。荷物をバラして風呂に入る。伸びきったひげを剃る。白髪が交ざってる。私も歳をとったものだ。
【旅行を振り返って】
こうしてフィリピンに行ってきたわけだが、その印象を端的に述べれば、「フィリピンは海に潜ってなんぼの世界」ということである。そういう自分は全く潜っていないわけだが、人づてに聞いた話を総合的に考えてのことだ。海でも泳ぐには日差しが強すぎて適していない。街歩きはドゥマゲティはコンパクトにまとまっていたが、それほど歩きやすく魅力的な風景があるわけではない。マニラは人が多すぎるし、はっきりとしたランドマークは存在しない。マニラは飛行機を乗り継ぐために泊まるのに限定するべきだろう。
物価が安いものの、治安が悪く、釣り銭も誤魔化されることの多いフィリピンは、リゾートとしてはあまりおすすめできない。日本人が考えるようなリゾートを体感するにはハワイかグアムを選ぶべきだろう。多分セブ島でも満足できないのではないか。
ただダイビングが目的であれば、一気に評価が上がる。小さな島の集合体のフィリピンは魚の多様性に富んでいるからである。体験ダイビングもあるようなのでフィリピンではダイビングを組み込むべきだと思う。
ただフィリピンにはトライシクルとかジプニーといった他所の国にはない乗り物がある。乗り物に興味がある人は一度経験しておいてもいいと思う。
次の旅行に続く
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