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ベトナム旅行記その3 [旅行]

最初一つ前一つ後最後

 6時15分起床。外は雨。身支度をしてから朝食へ。朝はまだ早いのに既に何人かの客が来ていた。ルームナンバーのチェックはなかった。昨日のウェイさんによるとこのホテルはビジネス客が多く観光客は少ないというが、どう見ても白人の観光客が多い。急いでいるので粥とシリアルで素早く食事。
 7時前にチェックアウトした。荷物をベルに預ける。20時に帰ってくることを伝え、引換券をもらう。
 ロビーで待っている間、家に電話する。今日はハノイから南へ約65kmにある中国名が香寺、ベトナム語ではChua Huo'ng、英語ではパヒュームパゴタへ向かうツアーに参加する。駐車場近くから小舟に乗り、川を1時間半ほど上ると、香寺のある岩山に到着する。香寺とは香山Huong So'nに散在する13の寺を総した呼び方で、このあたりは仏教の聖地とされている。
 7時30分にAPTトラベルのガイドさんが現れた。グエンさんというベトナム人の30歳ぐらいの男性だった。ちなみにベトナムではグエン姓が非常に多い。迎えはタクシーで先に日本人の4人家族が乗っていた。彼らはハロン湾ツアーに参加するそうだ。奥さんは「雨が降っても大丈夫か」などと聞いていた。
 APTツアーの事務所に着いた。ここでタクシーを降りる。
 事務所内でハノイの観光地図をもらった。これは有益な資料。ウェンディーツアーよりAPTトラベルの方がよさそうだ。
 8時頃、ミニバンに乗り込む。こまめに停まってホテルのツアー客を拾っていく。今日はクリスマスなので初対面のあいさつは「メリークリスマス」。白人観光客は意外とこぢんまりしたホテルに泊まっているものだ。ユーロもドルもドンに対して安くなっていて、節約志向なのだろうか。最終的には13名のツアー客。英語のできるガイドと日本語のできるガイド、それに運転手が加わる。中国人の5人家族と白人の観光客が7名。日本人は私だけなのでグエンさんは私専用のガイドとなった。ふたりで運転手の横の席に移動した。
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 グエンさんはなかなか日本語が上達しないと嘆いていた。私も毎日英語の勉強をしているがちっとも上達しない。やり方が悪いんちゃうかと思ったりする。しかし実際は毎日やれば間違いなく上がる。他人と比べるのでなく、以前の自分と比べろという。ただしそんなことをグエンさんに説明しなかった。日本語に関しては昨日のウェンさんの方が上手い。「ニホンデイチバンユウメイナテラハドコデスカ」と質問されたので、「奈良の東大寺」だと答えた。ただ外国人に一番有名なのは京都の清水寺だろうと答えた。「ドコカラキタノデスカ」というので、有名でない和歌山と答えず、関西と答えた。関西空港は海を埋め立てたすごい空港だといっていた。沿道で栽培しているバナナを見て「ニホンデハバナナがトレマスカ」というので日本ではバナナもコーヒーも産しないと答えた。ベトナムでは犬も猫も食べ、犬に人気がある。猫は飼っている家は少なく、あっても名前は付けられていないという。
 クルマにはルームミラーの下には干支のストラップがつり下げられていた。日本との違いは、牛の代わりに水牛、ウサギの代わりに猫、イノシシの代わりに豚が入ることである。
 途中、立派な高架道路の立体交差があった。日本のODAで建設されたという。そういえば、ベトナム国旗に並んで、日の丸が掲揚されているところがハノイ市内には結構ある。それらは日本の援助で造られたという意味だろう。国旗といえば旧ソ連の国旗も割とよく見かける。韓国や中国は皆無であった。
 9時15分にトイレ休憩。ここの土産物店はそれほど売り子が熱心でない。品揃えも昨日よりやや落ちるようだ。
 この土産物店は行く道からやや外れたところにあるらしい。ちょっと戻ると川沿いのガタガタ道を走る。ハロン湾に行った時と違って、センターラインもないような道で、時折未舗装の道や交互通行の古い橋などがある。
 HOUNG PARAGO FESTIVALの門をくぐる。このあたり川を遡上するボートの料金所があるらしく、ガイドさんが降りてチケットをもらって戻ってきた。このあたりは煉瓦工場が多い。煉瓦満載したトラックが前を走っていたが、これは法律で禁止されているとグエンさんは言う。ここまでいくつか小さな集落を通過したが、雑貨屋の他に必ず携帯電話屋があった。時代である。
 10時20分に船着き場に着いた。ここでトイレ休憩。ここのトイレはベトナム式というかバケツに溜めている水を桶ですくって便器に流すタイプであった。もちろん紙はない。トイレのある建物は大きな看板を取り付ける作業をしていた。動画で撮ろうとしたが、なかなかうまく上がらないので旅の途中で消去した。草むらには鶏がいる。人の姿を見ると草むらの中へ逃げていく。
 10時37分、ボートに乗り込む。ボートは本来は6人乗りだが、ガイドさんも乗るので7人となり、ボートは沈みそうで、喫水線が縁から100mmもない。ボートそのものはFRP製で椅子もプラスチックである。同乗者は中国人の5人家族。父、母、祖母、男子、女子。グエンさんが一番前に座り、その次に母親と私が座った。母親は中国語と英語ができ、グエンさんは英語と日本語ができるから、どこからが英語でどこからが中国語なのかわからない。彼女はティッシュで汚れた椅子を拭いていた。
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 漕ぎ手は何故か若い女性で、最後方に座っている。舳先を正面に座り、オールを前に倒れる時に水を掻く。オールの支点は船の縁に手ぬぐいで固定されている。
 行き交う船にはエンジン付きもあり、このボートも船外機にすれば労力の軽減になるのだが、雰囲気を出すために敢えてこの昔ながらの方法を採用してるのだろう。
 水中をのぞき込むと水草が水面近くまで伸びている。グエンさんは「フカサハ2ミリグライデス」というが、2メートルの間違いである。中国人は「forest in the water」と表現していた。
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 川を遡上するにつれて、漢文の教科書に出てくるような、やや霞んだゴツゴツした石灰岩でできた山容と水田が連なる風景が目に飛び込んできた。これは日本ではお目にかかれない風景で、ある意味ハロン湾より印象的である。天気が悪く、行く手には雨雲が見える。それだけに水墨画のような風景だ。

 11時30分、後続船のオールの1本が壊れ、船足が遅くなっているので待った。やがて追いついたようだが、予備のオールなどあるはずないし、壊れたのはオールではなくて、オールを固定している支点なのかもしれない。
 その後急に風が出て寒くなった。風は向かい風で漕ぎ手は苦労している。やがて雨が降り始めた。私も傘をさした。グエンさんが持ってくれた。
 11時50分に接岸した。まだ雨が降りそうなので、売りつけに来た青のビニールカッパを買う。1ドルまたは20000ドンである。その時はカッパを着たが、着た途端に雨がやんだ。
 まずは昼食である。大屋根の下にステンレス剥き出しのテーブルが並べられている。大皿に盛られた料理を取る。手の届かないところは、中国人に助けてもらった。卵焼きとか野菜炒めとか春巻きとか大したものは出なかった。飲み物は別料金でコカコーラは15000ドン。
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 土産物店がずらりと並んでいるが、誰一人して買わない。ロープウェイの駅に移動。往きは全員ロープウェイだが、帰りは60000ドン払ってロープウェイで降りるか、歩いて降りるが選択できるという。もちろん私は歩いて降りるといった。体力には自信がある。しかしグエンさんは東洋人は体力がないからと最後まで難色を示していた。
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 この駅での待ち時間は思いの外、長かった。グエンさんやもう一人のガイドさん話で連絡を取り合っている。
 30分後ようやくロープウェイに乗る。ゴンドラは緑色で循環式。どうやら必要な時しか動いていないようだ。かつてランカウイ島で乗ったロープウェイとよく似ている。途中に駅があるが、そこは減速するだけで通過する。
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 山上に着いた。トイレは有料で2000ドンのチップが必要。ただ監視人はおらず善意に委ねだれる。
 13時40分、階段を下りていくと直径50mはあろうかという大きな口を開けた洞窟がある。この中に洞窟寺院がある。開けた口は龍に例えられ、ご神体というべき入り口にある高さ5mほどの岩は龍の舌に例えられるとグエンさんは説明する。
 洞窟の中は鍾乳洞になっていて、様々な形に変形した鍾乳は、ご神体としてあがめられている。洞窟の中央部にはNU'I CAUという男の神 NU'I COという女の神などが祀られている。一番奥には3体の仏像があり、それは日本の物とはだいぶ異なっていて、中国のそれに似ていた。灯りはLEDなのが時代を感じさせた。
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 漢字の石碑などが彫られているが、グエンさんは漢字が全く読めないという。
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 14時18分、帰りはスポーツウェアを着て元気そうな、オリックスのコリンズ元監督みたいな顔をした白人夫婦と私だけが、歩いて降りるのを選んだ。グエンさんも私と同行することになる。道は下りで楽だが、膝の負担はかかる。土産物店はあるがほとんど開店休業。演奏しているCDが喧しい。2月の旧正月には大変な人出となるので、仮設の店を設営したりして、準備を進めている。また沿道にはいくつか寺があって、信仰心のあるベトナム人にとっては重要な存在だろう。
 グエンさんは「ナンデニッポンハアノカイメツテキナハイボクカラフッカツデキタノデスカ」と聞かれた。私は「諦めない気持ち」とアメリカの援助と答えた。ベトナム戦争のお陰とはさすがに言えない。「諦めない気持ち」はよくわからないとグエンさんは言った。さらに日本の尖閣諸島を中国が自国領としていることに同情してくれた。実はベトナム領の島を中国が不法占拠しているのだという。ベトナムは日本と違って軍隊が弱いので、中国に対抗できないと述べていた。
 ここで私はマラソン経験者であることを明かした。ゴールドコーストで走ったことがあるとも言った。風邪も治ったので体力は問題がない。上空のゴンドラが空中で静止している。約30分でロープウェイの山下駅に到着した。意外と早く感じた。
 15時20分に船着き場に戻る。ここからは来た川を下る。中国人とグエンさんとの会話の中に「マンドリン」という言葉が頻繁に聞かれた。何の意味かなと帰国後に調べてみたら、それは「マンダリンmandarin」のことで満大人が語源で北京語のことを意味することを知った。下りだけに1時間ほどで駐車場に着いた。
 船を下りる時ちょっと不愉快な思いをした。グエンさんからは降りる時1ドルチップをあげるのがお約束と聞いていた。しかし漕ぎ手の女は細かいお金を持っておらず、100000ドン札で膨れた私の財布を見て、グエンさんが50000ドンでいいというのに、結果として100000ドンをチップとして渡すことになってしまった。グエンさんは「ワカイヒトデスカラネ」と言った。若いからがめついという意味だろうか。地球の歩き方には「ベトナム人は他人の懐具合を気にするところがあり、お金を持っているとわかると、値をつり上げたりする。また『お金を取れないなら嫌がらせ』にシフトする傾向も強い」と書いているが、まさしくその通りだった。中国人の家族など5人で100000ドンしかチップを渡していない。流石である。私は貴重な経験をしたということにしよう。もっとも250円程度の被害でしかない。
 16時30分にバスが出発。帰りはハノイまで直行である。道路が混雑し、急停車することがあるのでシートベルトをつけてくれという。ツアー客は一同疲れ切っていて、グエンさんも居眠りしている。私も居眠りした。もう一人のガイドさんと運転手だけが喋り続けていた。やがて起きたグエンさんも運転手と会話しはじめた。ベトナム語は喉を鳴らすような声調があるのが特長で、何やらゲップしているようである。しかし発音数の多い母国語は外国語習得の面では有利である。日本語は発音数が少ないので、英語ですら苦労している。
 やがてバスはハノイ市内へ。もう外は暗い。まずAsia Place Hotelで中国人家族が降りる。18時10分、私もグエンさんと一緒に降りた。どこだかわからないが、シクロが数多くたむろしている。グエンさんが電話して、タクシーに乗り換えた。18時30分にホテルに着いた。ここでグエンさんと別れた。グエンさんは歩いてどこかに消えた。

 さてベトナムでやり残したのは、屋台でフォーを食べることと、お土産用にきれいに刺繍されたポーチを手に入れることだ。ホテルの周辺を歩く。日用品やレストランばかりで観光客向けの品物はない。免税品店はあるが洋酒のみだ。腹が減ったので、その免税店近くのバス停横で営業しているホットドッグを食べる。ホットドッグといってもアメリカのようなソーセージではない。細かく刻んだ肉や野菜が入っているのだ。ベースはフランスパンである。20000ドンというから約100円。これが美味しかった。写真を撮ったがピンぼけの上、本当の名前もわからなかった。屋台にはCAFE GOETHEとあるがこれは正解ではないだろう。地球の歩き方には「バイン・ミー」というサンドイッチがあるから、どうやらこれだろう。もう少し屋台の写真を下側に狙っていればわかったのだが。
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 どうやらポーチは手に入らない。諦めて空港で買うことにして、腹ごしらえだ。屋台で人気があるのは焼き肉であるが、一人では様にならないし、注文の仕方がわからない。焼き肉は中止。結局、ホテルに一番近い屋台で、隣の人と同じのをと指差してフォーを食べた。肉は鶏の丸焼きを切ったもの、それにタケノコは入っている。箸は使い回しのようだが大丈夫だろうか。真正面に作ってくれるおばさんがいる。麺も肉も旨かった。気になる値段はおばさんが指3本。30000ドンであった。
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 19時45分、ホテルに戻る。モト冬樹に似たベルボーイに頼んで荷物を取り返した。空港までのタクシーも頼んだ。グエンさんから相場は300000ドンぐらいと聞いていたので、その値段で頼んだ。実際は250000ドンぐらいでいけるらしいが、まあいいだろう。
 20時05分タクシーに乗る。メーターはあるが作動していない。ホテルの人がレシートが必要かと聞くのでお願いした。車両はトヨタのナディアのようなミニバンで一人では広すぎる感じだ。
 途中に料金所がある。このタクシーはAIRPORT TAXIという会社で空港に乗り入れ許可が得られているので料金は徴収されない。メーター制のタクシーはここで料金を払うことになる。これが客の負担ということになっている。
 20時45分に空港着。このノンバイ空港は国内便も国際便も共用で、しかも伊丹空港のように狭い。関西空港行きのJL5126便はまだチェックインが始まっていない。土産物店に探していた刺繍ポーチがあったので2つ買った。まだドンが余ったので気に入らないキーホルダーを買った。これで使い切ったと思ったら、帰国後まだ70000ドン余っていることがわかった。
 1階は混雑しているので薄暗い2階のベンチで待つ。
 21時45分、ようやく手続きをはじめたようなので、カウンターに並ぶ。ほとんどが日本人ですでに柵から溢れるように行列が伸びている。名古屋、関西、成田とほぼ同時刻に飛ぶようである。ようやく私の順番が来た。しかし私のチケットを見ると、「これはJALですね」といわれ、13番カウンターに行ってくださいといわれた。よく覚えていないがたぶん窓口嬢はベトナム人だった思う。せっかく長い時間並んだのにと不満顔だが、幸い13番カウンターには誰もおらず、すぐにチェクインできた。帰りは楽をしたいのと早く帰る必要もないので、荷物を預けた。22時40分にチェックイン終了。
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 入出国審査のあとに保安検査がある。順序が逆だと思う。保安検査もチェックが緩かった。
 出発ロビーはかなりの椅子が並べられているが、座る余地がない。免税品やお土産に不自由はしないが、時間が遅いだけに閉店をし始めている。ロビーの2階にフードコートと土産物店がある。座るところがないのでレストランでビールを飲んだ。隣の客はチェックインの時後ろに並んでいた男性2人。話を横から聞いてみると、佐川急便には硬式野球部の投手で入社したが廃部になり、海外営業に身を転じたという。同期にはドラゴンズに指名されたのもいるといっていた。
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 メニューにはビールは3ドルと書いていたが、税金込みでは3.5ドルとなった。どうやって50セントを調達するのかと思っていたら、10000ドン札を持ってきた。なるほど、これなら醤油のお金も割り勘できた。
 レストランを出る。もう閉店時間が近かったのだろう。店員が請求書を持ってきた。

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