SSブログ

北京旅行記 [旅行]

 【注意】これは2009年12月の旅行記です。表現は当時の印象を優先して書いておりますのでご了承下さい。
IMG_2111.jpg
 日本が過去もっとも影響を受けた国は中国であることは間違いない。今読者が目にしている漢字は中国で作られたものであり、ひらがなカタカナにしても、漢字を崩したのを元にしている。漢字だけではなく、文化、技術ありとあらゆるものが中国伝来である。もし近隣に「先進国」中国がなかったら、日本はアフリカのマダガスタル島のような国になっていたかも知れない。
 今でこそ中国は経済的にも世界有数の国であるが、ほんの20年前ほどは、人口が多いだけで、彼らは総じて貧しく、先進国との格差も大きかった。海外からの旅行も大きく制限されていた。ところが20世紀末、低賃金を武器に先進国ブランドの製造工場が進出しはじめると、一気にその地位と高め、今やほとんどの家電製品はMADE IN CHINAとなり、かつて世界を席巻したMADE IN JAPANは民生品ではほとんど見かけなくなった。
 膨大な人口を有し、広大な国土を持つ中国が、国民所得が上がり、経済成長軌道に乗り始めるのにそれほど時間はかからなかった。貧富の差の拡大、共産党独裁政治による人権の抑圧など問題はあるものの、21世紀は中国の世紀となるのは確実である。
 文化技術の先生、そして世界の未来を担う国。そんな中国に行きたい。そう思っていた。かつて必要であったビザの発行要件も緩和され、短期間の観光であれば必要なくなった。
 そして決行の時は突然訪れた。2009年11月末、筆者の勤務している会社は生産調整のために、12月の金曜日を休業することになった。有給休暇を組み合わせれば4連休も可能だ。祝日を含む3連休だと、足元を見たように、値段が高くなる海外旅行も、普通の土日の前後ならそれほどでもない。実は筆者は年末年始にドバイに行くことをすでに決めていた。それに支障がないように低予算で日程を決定する必要があった。
 筆者は基本的に大手旅行会社の海外旅行ツアーを利用しない。そういったツアーはおひとりさま料金が高く、航空券とホテルをそれぞれ別に予約した方が安いからである。
 しかし今回、検討してみた結果、JTBのツアーが意外と安いことがわかった。行き先は北京か上海に決めていて、同時に2都市も不可能ではなかったが、今回は北京一本に絞ることにした。何といっても中国の首都。首都はその国の文化を分かりやすく教えてくれるものである。
 11月28日、JTBの営業所に足を運んだ。筆者が希望した12月11日発の北京4日間ツアーは最小施行人員の2名に達していないので、成立できないとのことであった。そんなに客が少ないのかと驚いた。しかし電話で問い合わせてもらったら、ちょうどオプショナルツアーのない客の申し込みがあったとのこと。これで契約成立。旅行代金50660円を支払った。

12月11日(金) 雨
 出発前、いつも海外旅行に持って行く腕時計の電池切れに気づく。思えば出発前に電池が切れていて良かったのかもしれない。現地で切れたらやっかいだからだ。尤も腕時計はどこでも手に入るが。
 降りしきる雨の中、8時半頃、関西空港着。まずは団体受付カウンターに並び、航空券控えを受け取る。JALのカウンターには長蛇の列。私は往路のみオンラインチェックインしていた。自動チェックイン機にパスポートをかざすだけで完了した。荷物を預け身軽になった。久々の関空なので、3Fレストランを一回りし、出国審査。シャトルに乗ってゲートで待機する。恒例の搭乗機体の撮影。窓が雨に濡れていたので、水滴を避けて写した。
IMG_2072.jpg
↑搭乗した飛行機
 中国行きは急に決めた。決定から実施まで2週間もかかっていない。筆者の場合、海外旅行は半年ぐらいはかけていたからこれは異常な短期間だ。北京に行くと決めたものの、北京のどこに行くのは決めていない。天安門広場や万里の長城があるのは知っていたが、どこにあるのかも知らない。飛行機の待ち時間ではガイドブックを読んでどこに行くのか研究した。
 10時10分に搭乗開始。出発予定が20分遅れ、10時50分に機体が動き出した。北向きに離陸した。まもなく雲の切れ目から眼下に神戸空港。
 機体はB767-300。座席の18Gは翼の前の右窓側。座席別の液晶モニターが設けられている。ただ水平飛行に入るまではインタラクティブプログラムが立ち上がらず、映画を見たいと思っても液晶には何も表示されない。作動するのはオーディオプログラムだけだった。離陸するまで待たされたのでこれは退屈だった。
 11時30分機内食が振る舞われた。ライスに牛肉の炒め物。それに茶蕎麦がついている。知らないメーカーのホワイトチョコレートもついている。白ワインにビールを追加し一番搾りを選んだ。お目当てのヱビスビールは前の客に取られたのだ。
IMG_2078.jpg
↑機内食
IMG_2080.jpg
↑冷めないように皿の下にプレートがある
IMG_2079.jpg
↑一番搾り
 11時55分韓国上空に差し掛かった。ガイドブックばかり読んでいる。本日の搭乗率は50%以下という惨状で、こんなに空いている国際線は初めてだ。隣の席も空いていてトイレが行きやすい。3時間のフライトで2回行った。なるほど、ツアー料金が安いわけだ。
IMG_2082.jpg
↑順調に飛行
 日本時間13時15分、間もなく北京とのアナウンス。北京は日本に対して1時間遅れている。12時45分に高度が下がりはじめた。
IMG_2089.jpg
↑北京上空
 13時05分着陸。511スポット着。この番号はゲートナンバーと関係ないらしい。
 到着した北京首都国際空港は2008年の北京オリンピックを期に改装されたらしく、世界の主要空港と何ら遜色がない。搭乗口から降りて、まずは検疫がある。先ほど書いた書類を渡す。「私はインフルエンザにかかっていない」と自己申告するだけである。次に入国審査。中国人用、外国人用、団体用と並んでいる。最初外国人用に並んでいたが、係員の指示により、中国人用に並んだ。
IMG_2093.jpg
↑北京空港ターミナルビル内
 シャトルという水平エレベータのような乗り物に乗って到着したターミナル3からターミナル1に移動する。シャトルといってもかなり長い距離を走る。
IMG_2095.jpg
↑シャトル
 次に託送荷物の受け取り。エスカレータから降りるとすぐに、目の前に自分の赤いバッグが現れた。こんな経験は初めてある。
 税関の前にある銀行で3万円両替する。レートは1円=0.0718元で、1元は約14円ということにある。手数料として50元徴収される。手持ちのガイドブック「地球の歩き方北京篇」には「両替ショップでは手数料60元徴収されるが、銀行は取られない」とあるが、中国工業銀行と表示があるにも関わらず、しっかり手数料を徴収された。
 税関は申告するものがないのでスルー。扉が開くと右側に「LookJTB」のプラカード掲示があり、担当の馬氏が迎えに来てくれた。名刺には「交通公社新紀元国際旅行社有限公司ルック営業部北京接待課ガイド 馬連傑」とある。満員のエレベータで1階に降りて、送迎の箱バンに乗る。13時45分出発。同行の客は男性2名で、年長の人がコテコテの関西弁をしゃべり、もうひとりが標準の丁寧語をしゃべっていた。話の内容を聞いてみると、どうやら出張で来ているようであった。その理由を北京からの帰りに知ることになる。
 交通量の多い高速道路を走る。途中渋滞していたが、追突事故が原因だった。クルマはフォルクスワーゲンが多い。ベンツとかBMWは少ない。アメリカ車はほぼ皆無。オフロード車も見かけない。日本車も多い。日本車にそっくりな中国車もある。クルマの後ろのエンブレムが漢字なのが中国らしい。あと韓国車も多い。かなりバラエティに富んでいる。フォルクスワーゲンが多いのはおそらく中国に工場があるからだろう。
 馬氏は右手を見るように促した。そこには奇妙の形をした建物があった。CBD地区にあるCCTVの社屋である。門のような形をしたその建物の下には、古い建物がある。どうやら火災であったらしかった。後ろの客がそのように説明している。
 14時30分、筆者の泊まる京倫飯店に着いた。関西弁の男も降りて外で煙草を吸っている。ここに泊まるのは私だけだった。エレベーターの操作盤の下にあるセンサーにカードキーをかざすことで、10階のボタンを押すことができる。しかし6基のうちの1基はサービス員用でセンサーに反応しない。
IMG_2109.jpg
↑ホテル入口
IMG_2100.jpg
↑ホテル室内
 部屋は北向きで、窓の外は空き地を隔てて殺風景な建物が建っている。遠方にはマンションかアパートが見える。部屋はツインルーム。ひとり分のソファーは1脚のみ。シャワーの湯の色は正常。しかしやや湯温が低く湯冷めしそうだった。洋服掛けは近づくと電気が点灯する。その下には金庫と洗濯物のかごがある。ミニバーの価格はヨーロッパよりは安い。ミネラルウォーターが無料なのはいいとして、コーヒー、紅茶まで有料なのはいただけない。嬉しいのは有線LANケーブルが使えること。さっそく持ってきたパソコンVAIOを接続した。外国には珍しくまともに動作する目覚まし時計がある。足元灯は常時点灯。照明は全体的に暗く、これはヨーロッパの基準に合わせたのだろう。ただこの京倫飯店はホテルニッコーインターナショナルという別名がある。つまり日航ホテルの系列で、表示は日本語が併設されているし、レセプションの女性も日本語を話す。全体的に日本人が滞在するのに不便がないように配慮されている。櫻花屋と「御苑」という鉄板焼きという日本料理店もある。私は今のところ外国に来てまで和食を食べたいと思わないが、年齢を重ねれば撤回するかもしれない。
 さて、観光である。今日は故宮を見に行こうと思う。この京倫飯店は地下鉄1号線の永安里駅と国貿駅の中間にある。私は天安門に近い永安里駅に向かったつもりだったが、そこは国貿だった。地下鉄のことを中国では「地鉄」と称する。
 北京の地下鉄の運賃は2元均一となっている。日本円にして30円弱。恐ろしく安い。その代わり定期券がないらしい。日本では通学定期券の大幅割引の減収分を普通乗車券で補っているので運賃が高いのである。乗車券は自販機で買える。北京でもSuicaのようなバスも使えるプリベルト式非接触カードがある。北京の観光では地下鉄を多用するはずで、ぜひそれを手に入れたい。しかしこの駅では窓口に人がいなかった。地球の歩き方には「交通カード一[上下]通の購入は一部地下鉄の『一[上下]通』という表示のある窓口か、バス終点近くにある専用キヨスクで」とある。全ての駅で買えないみたいなのだ。窓口には「一[上下]通加増」とある。ひょっとするとチャージしかできないのかもしれない。ここでの購入を諦めて、乗車券を買うことにする。しかし券売機は1元札を受け付けず、10元札か5元札だ。硬貨は対応していない。手持ちは100元と1元しか持ち合わせがない。やがて係員が近づいて両替してくれた。キップはICカードになっている。入場はタッチで出場は挿入口に回収される。
 駅の表示は漢字とローマ字。日本人の私でも全く問題ない。というか、やたらと乗り換え通路が長いところなど、日本の地下鉄とそっくりだ。ただ大きく違うのは、手荷物のX線検査があることと、乗客がすごく多いことである。
IMG_2118.jpg
↑地下鉄の乗車券
 天安門東駅で降りる。天安門が現れた。中国を象徴する建物である。しかし昔教科書で見た天安門は自転車があふれていたものだが、今や主役は自動車だ。天安門と広場との間には片側4車線の道路が横たわっている。しかも両端は自転車専用道になっていて柵で仕切られている。日本もこうあるべきだろう。歩道に自転車走行帯を設けるのは危険だ。
IMG_2115.jpg
 天安門は世界的な名所だから、日本人らしき観光客から白人まで色々。しかし圧倒的に多いのは地方から出てきたであろう中国人。天安門をバックに記念撮影するので、邪魔しないように歩かねばならない。
 天安門はもういいので、故宮の見物である。天安門の中央は開かずの門。両端のみ開いているのだが、どうも出てくる人ばかりで入れないようだ。ガイドブックを見ると故宮に行くには天安門を通っていく、と書いている。あとで調べてみるともう参観時間が過ぎているからであった。しかし、そのことをしらない私は故宮の横から入れないかと端の方の道路を歩いたり、中山公園や労働人民文化宮から入ろうとしたりした。もう歩き疲れ、日も傾いてきたので故宮見物を諦める。
 続いて地下鉄を乗り継いで、北京北駅に向かう。北京北駅は地下鉄西直門に隣接している。ところがどういうわけか、連絡通路のシャッターが下りている。しかも駅へ向かう階段が下り客と上り客用に分かれていて遠回りしなければならなかった。

Watch a??ao¬a?°a,?e?? in a??e!?a?≫a??a??  |  View More Free Videos Online at Veoh.com
 明日は万里の長城に行くので、その最寄り駅、八達嶺までの往復乗車券を買う。あらかじめそちらに向かう「和階長城号」の時刻を調べていたので、筆談で簡単に購入できた。漢字の国のいいところである。
+----------------------------+
|12月12日    |
|北京北→八達嶺 |
|9:33    |
|八達嶺→北京北 |
|13:10   |
|和階長城号1等1帳 |
+-----------------------------+
 中国の駅は列車の出発時刻が近づかないとホームに入ることができない。この北京北駅では出札口も別になっていて、切符を示さないと待合室にすら入ることができない。従って乗車券の窓口は別棟になっていることが多い。
 もうすっかり暗くなった。地下鉄を乗り継いで、18時30分、ホテルに戻る。西単駅の1号線から2号線の乗り換え通路は異常に狭い。1号線はいつ乗っても混んでいる。日本一混んでいると思われる御堂筋線でもここまで混んでいない。
 夕食はホテル内の「四合軒」に行くことにした。「四合軒」はその名の通り4階にある。北京料理ということなので、「北京ダック」を食べたいところだが、確か300元近い値段だったはずだ。ひとりで食べられるものでないし断念。写真入りのメニューを見て、食べられそうなものをビールと一緒に食べた。
IMG_2126.jpg
↑ビール
IMG_2128.jpg
IMG_2129.jpg
IMG_2130.jpg
IMG_2127.jpg
↑ひまわりの種
 羊肉の味噌炒め、豚肉の炒めもの、三色餃子と言ったものだった。味はホテルのレストランだけに可もなし不可もなしだった。
 部屋に戻り、風呂に入る。洋式バスなので、長くて脚を伸ばせるが、浅いのと湯温も低いので、どうも風呂に入った気がしない。ただバスロープがあるので、寝間着代わりになるのはいい。
 テレビはNHKワールドが映る。CNNなどの他に香港の放送局も映る。筆者の旅行記に何度も書いていることだが、海外に来ると、テレビチャンネルの豊富さに感心する。海外の客が日本に来ると、その貧弱さにがっくりするだろう。
 香港で東アジア競技大会をやっていて、その録画中継を見た。参加国は中国、日本、韓国、北朝鮮、香港、台湾。今やっているのは飛び込みである。23時頃寝る。

12月12日(土)
 6時45分起床。このツアーは朝食付きである。1階のレストランでバイキングである。ありがちな内容で特筆するところはないが、さすがJTB指定のホテルだけあって日本人の志向に合わせてある。
IMG_2132.jpg
↑朝食バイキング
 フロントで交通カードはどこで売っているのか聞く。鉄道の切符なら駅で売っているのが常識だが、かつて韓国で同様のカードが窓口で買えず、韓国人の大学生の助け船でキヨスクでようやく買えたという経験があるので、確かめてみたわけだ。応対に出た日本人の女性は「Suicaのようなカードですね。それなら駅で売ってますよ」と軽く言った。どうやら間違いないらしい。
 7時50分、ホテルを出る。駅の窓口で「一[上下]通」と書いた紙を渡す。保証金は20元だと知っていたので、乗車分として+50元と書いた。しかし最終的にはその女性係員は「20押+30乗」と書いて、合計50元の支払いとなった。結果的にはこの30元分の金額で十分だった。地下鉄の自動券売機は壊れていることが多い。ちなみにちゃんと動いているのは「服務中」と表示される。その服務中と書いていても、何故か窓口には切符を買うために常に列ができている。地方から出てきた人には自動券売機の使い方がわからない人も多いのだろう。何しろ12億人の人口の国だからそういうことがあっても不思議ではない。
IMG_2156.jpg
↑一[上下]通
 8時40分に北京北駅に着いた。切符を示して構内に入る。待合室のベンチに座る。「満州里」行きの改札をしている。「満州里」はロシア国境の街である。北の果てのまだ見ぬ街に思いを寄せる。構内の売店で腹の足しになるようなものを買う。パンとスナックとお茶で15元。お茶はあとで飲んでみると甘かった。よく見ると「微糖」と書いてあった。これは意外だった。
IMG_2134.jpg
↑北京北站
IMG_2136.jpg
↑待合室
IMG_2138.jpg
↑買った菓子
 出発15分前に改札が始まった。日本と同じように切符に判子を押していく。「和階長城号」は一見フランスのTGVのような動力集中型気動車である。5列座席の2等車と4列座席の1等車があるが、筆者は一等車を選んだ。お菓子と缶入り飲料ぐらいしかないが、食堂車も連結されている。すべての車両のドアが開くわけでなく、開いたドアにはホームとの段差を吸収する板が渡される。指定されてのは一番前の1号車6番。右側の窓際である。
IMG_2139.jpg
↑乗車券はJRとよく似ている
IMG_2141.jpg
↑3色LED案内も日本と変わらない
IMG_2137.jpg
↑閑散としたホーム
IMG_2144.jpg
↑和階長城号
 9時33分定刻に発車。2008年に運行が始まった新しい車両で妻部に電光表示板が設けられている。しかし「祝大家旅途愉快」とひたすら表示されるだけであった。
IMG_2151.jpg
↑一等車座席
 列車は北京郊外を走る。北京市民の本来の姿が見えて、降りて観察したくなった。残念なのは私の後ろの客が、ヘッドホンもせずに音楽を鳴らしていることで、やかましくて仕方がない。せっかく一等車を選んだのに悲しい。中国人のマナーの悪さには辟易とさせられた。老若男女に関わらず、床につばを吐くし、ゴミも平気で投げ捨てる。北京オリンピックのお陰でこれでも改善された方だろう。日本は観光立国を目指すというのなら、このようなマナーの悪い中国人を多数受け入れねばならないことを覚悟せねばならない。
 線路際に幼稚園の遊戯施設が見えたのだけ覚えている小さな街を抜けると、列車は山間部を走行する。
 左窓側の空いている席に観光客がやってきた。見るとそれは左側に万里の長城だった。写真でしか見たことのない長城をこの目で見たわけである。
IMG_2155.jpg
↑山腹の中央に長城が見える
 八達嶺の前の青龍橋駅で列車はスイッチバックする。八達嶺駅着。列車はこの先の延慶まで向かうが、ほとんどの客がここで降りる。山岳部のローカル線の終点のような趣である。駅員はいるが乗車券は回収されない。ここまでの運賃は17元。日本円で238円。JTBで万里の長城オプショナルツアーを申し込むと6000円だから半額以下で行けるわけである。
IMG_2159.jpg
IMG_2158.jpg
↑八達嶺駅に到着
 駅を出てどっち行けばが万里の長城なのか知らないが、観光客の流れについていく。近くに万里の長城があるとは思えないほどの立派な高架道路の側道の横にある歩道を進む。途中で歩道が途切れている。
 やがてバスの駐車場が現れた。土産物屋やレストランが並ぶ。長城方向の矢印に従って歩いた。沿道に停まっているバスを見ると「佐賀県立佐賀西高校」とある。県立高校の修学旅行に海外とは贅沢なと思ったが、このシーズンは国内よりも安いのである。自分もそれを狙ってこの時期に来たのにそれを忘れていた。
IMG_2163.jpg
↑土産物店
 途中トイレに入る。中国のトイレといえば、かつては大便でも扉がなく閉口したものだが、私が北京滞在中にはそのようなトイレはお目に掛からなかった。
 ついに万里の長城の入り口にたどり着いた。入場券はICカードになっている。料金表示は2色LED表示。これは中国の名所では一般的に採用されている。
IMG_2165.jpg
↑銘板
IMG_2167.jpg
↑入場券はICカード
 入場門の両側に城壁が伸びている。私は右側を選んだ。地図によるとこちらは女坂と書いてある。女坂といっても勾配が緩いわけではない。階段になっているところはまだいいが、30度くらいの傾きで階段のないところもある。手すりなしでは危険である。たちどころに脚は筋肉痛になった。
IMG_2169.jpg
IMG_2171.jpg
 さて肝心の景色だが、写真で何度も見ているので新鮮味はないものの、やはりさすがは世界遺産で、世界にここしかない風景である。興奮するような景色ではないが、写真で見た再確認したという単純な気持ち以上の、
「俺はついにここに来た」
と思わせるに十分な感動を呼び起こしてくれる。
 さてこの八達嶺長城は交通の便がいいために、一番人気の長城となっているが、北京オリンピックのキャッチフレーズの看板があったり、途中の土産物店からスライダーという滑り台のような遊戯施設があったりして、なにやらテーマパークに来ているような気がしてしまう。確かに明の時代に造られたものだろうが、かなり部分が手を加えられているようだ。本物の長城を見たければ慕田峪などに行くべきだろう。ただしクルマをチャーターする必要があるようだ。
IMG_2172.jpg
↑北京オリンピックの看板
IMG_2177.jpg
IMG_2178.jpg
imgs2174.jpg
 真下にスライダーの見える北四楼で引き返すことにした。万里の長城をバックに記念撮影。ひとりで来ている中年白人女性にシャッターを頼んだ。彼女はIt's my puleasureといって引き受けてくれた。その後私も彼女の写真を撮った。最後にThank youと言い忘れた気がして後悔した。
 土産物店を物色する。奥の方にラクダが一頭立っていた。乗る人もなく御者は暇そうに鞭を地面に叩き付けていた。結局土産物は何も買わなかった。
IMG_2185.jpg
↑暇そうなラクダ
 途中、トヨタのマークを上下逆にしたようなエンブレムを付けたクルマを見つけた。後ろを見ると「天津汽車」とあり「夏利」と書いている。夏利はダイハツシャレードのコピーと聞いたことがあるけど、ひょっとしてエンブレムはトヨタの了解済みなのかもしれない。
IMG_2186.jpg
IMG_2187.jpg
s-toyotamodoki.jpg
↑ほとんどトヨタ
 駅に戻る。中国の鉄道駅は「站」と書くのだが、面倒なので駅と書くことにする。待合室に手前に手荷物検査がある。機械は動いているようだが、係員がいない。私は何食わぬ顔で入っていった。待合室にはすでに6人ほどいた。往きの車両で一緒だった日本人の家族もいる。日差しがまぶしい。ここでパンとスナックで昼食。このスナックは塩味が効いてなかなか旨い。
IMG_2188.jpg
↑駅出札窓口
IMG_2189.jpg
↑駅待合室
 列車の到着が近づくと改札が始まり、ホームに出る。まもなく列車はやってきた。帰りは往きほど混んでいなかった。1号車1番席。次の駅で進行方向が変わる。しかし私の座席はペダルを踏んでも回転しなかった。さすがは中国製。というかわかっていても修理しないのだろう。駅の構内には「尊客愛貨」という看板が上がっていたが、それは現実はそうではないことの裏返しだろう。
s-IMG_2194.jpg
↑スローガンを書いているのだろうか
 私は食堂車に向かった。客は誰もいない。係の女性が5人ほどいる。その内のひとりが近づいてきて応対する。面倒なので大して飲みたくないがビールを頼んだ。4元である。約60円。すごく安いので100元札を拒否された。どうやら中国人にとっては1元の価値は日本人の100円に相当するらしかった。400円と考えれば、日本では妥当だろう。しかし中国人が日本でビールを買えば4000円に相当するわけだ。
s-IMG_2196.jpg
↑食堂車車内
s-IMG_2195.jpg
↑ビールばかり飲んでいますが
 進行方向と逆の席に戻る気にならず、食堂車のテーブルに北京交通旅游図を広げて、次に行く予定の盧溝橋にどのようにして行くのか検討する。気づかないうちに仮眠したようであった。
 北京北駅に戻った。ホームにはカーキ色の軍服に身を包んだ人民解放軍の新米と思われる兵隊が整列している。
s-IMG_2203.jpg
↑新米兵士か
 地下鉄2号線で復興門まで乗り、1号線に乗り換え天安門西で降りる。後で知ったことだが、地下鉄2号線はかつての城壁を壊して造られた線らしい。道理で駅名に門が付いているのが多いわけだ。
 天安門の東側の橋を渡る。手荷物検査はあるが誰もが無視する。料金も取られなかった。天安門を500mほど北に歩いたところに午門があり、ここが故宮の入り口である。この門の両側に入場券売り場がある。
IMG_2206.jpg
↑建国の父毛沢東の肖像画
 太和殿、中和殿、保和殿、乾清門、交泰殿、欽安殿と順番に見学。いかにも中国王朝らしい建物だが、正直これはすごいというのはなかった。写真は撮ったけどただそれだけである。むしろ故宮のすごさは空中写真や上からの見取り図の方が理解しやすいかもしれない。
IMG_2208.jpg
IMG_2210.jpg
IMG_2211.jpg
IMG_2215.jpg
IMG_2217.jpg
IMG_2223.jpg
IMG_2225.jpg
imgs2212.jpg
 残念だったのは清王朝の宝を納めた珍宝館は15時30分で閉門されるために入れなかったことである。ここの宝物を見れば、故宮に対する自分の評価は上がったはずだが、ただ広大な敷地を歩いて疲れただけだった。この故宮の見学は4時間はかけるべきである。
 故宮そのものも閉門時間が迫っているので、売店の明かりも消えつつあるし、出口に向かって人の流れができている。
 門を出ると歩道に人だかりができている。門から道路を隔てた向こう側にある天安門広場に国旗掲揚台がある。日没とともに国旗護衛隊員が天安門から掲揚台まで行進し、軍楽隊の演奏に合わせて国旗を降納する。クルマの流れを一時的に止めながら、護衛隊員は行進する。その光景を動画撮影したものの、遠すぎて何が何だかわからなかった。軍楽隊の演奏も聞こえない。ただ門内で隊員の行進練習を動画撮影できたのでヨシとしよう。
IMG_2231.jpg
↑国旗後揚を待つ人々
 さて、明日の観光だが、三輪リキシャによる胡同めぐりをすることにした。JTBのオプショナルツアーは2時間で250元と書いている。これに対して、地球の歩き方に載っている「北京胡同文化発展有限公司」が主催しているツアーなら、2時間180元。1時間なら150元だ。時間がないので1時間を申し込むことに決めた。公衆電話はいくらでもあるのに、カードしか受け付けない。わざわざカードを買うわけにいかない。ホテルに戻り、部屋から電話することにした。ホテルに戻ったのは17時30分。
IMG_2117.jpg
↑中国の公衆電話(ほとんど利用者はいない)
 早速電話すると流暢な日本語で応対してくれた。メモによるとクニサカ様とあるから日本人。当たり前である。このツアーの出発点は什刹海体育運動学校の近くで、地下鉄の駅からは歩いて30分離れている。バスはあるがアクセスは難しい。私はタクシーで行くことにした。位置に確信が持てなかったので、地図をFAXしてもらうことにした。中国ではFAXの受信も1枚あたり3元徴収されることを知った。
IMG_2242.jpg
↑ホテルのイルミネーション
IMG_2239.jpg
↑隣のホテルのイルミネーション
 再びホテルを出た。王府井に向かう。ここは北京の銀座というべき場所で夜だというのに多くの人々で賑わっている。ネオンサインも色鮮やかだ。さて今夜の夕食だが、上海料理とした。冬の上海蟹を食べて見たかったのである。地球の歩き方に載っている「美林閣」に入った。メニューを見ると蟹がない。仕方がなく、魚料理ととにかく蟹と書いている料理と水餃子を頼んだ。水餃子は安くて美味しかったが、魚料理はやたらと辛くて不可。とにかく蟹・・・は蟹の味は全くせず下に敷いているロースがやたらと油濃くて半分以上残した。ビールを頼めばノンアルコールと完全な失敗に終わった。やはり魚料理は和食に限る。
IMG_2251.jpg
IMG_2252.jpg
IMG_2254.jpg
↑この水餃子だけ食べられた
IMG_2248.jpg
↑これはノンアルコールだった
 帰りに王府井小吃街を歩く。いかにも中国らしい小物や食べ物が並ぶ。日本から上陸したと思われる「たこ焼き」もある。サソリの串焼きはさすがに私も無理である。日本と同じで店はクリスマスのデコレーションに凝っている。写真に収めている人も多い。
IMG_2256.jpg
↑気分はクリスマス
 20時55分ホテルに戻る。王府井では「カラオケ何とか」と行って声をかける女性がいたし、ホテルの前でも「Do you need a girl?」などと声をかけてくる。全て無視した。日本では絶滅した夜鷹かもしれない。
IMG_2240.jpg
↑中国の郵便ポストは緑
IMG_2243.jpg
↑地下鉄のホームの広告(左の侍が気になる)
 北京の特徴は寒いだけでなく、空気が乾燥していることだ。エレベータのスイッチを押す時、部屋のドアノブなどは火花が散るほど感電する。これは不快である。風呂に入り23時15分に寝る。


12月13日(日) 晴
 6時45分起床。たっぷりと朝食を取った。多少下痢気味である。
 8時30分にタクシーに乗る。流しを捕まえた。FAXに示す通り「什刹海体育運動学校」と書いたメモを渡す。渋滞はさほどではなく、8時59分に目的地に着いた。人力車が100台近く並んである。紫色の服を着た日本語のできる女性に促され、田舎のバスの待合所のようなところで100元支払う。ガイドブックでは150元と書いている。安いのはいい。
IMG_2284.jpg
↑什刹海体育運動学校
IMG_2285.jpg
↑人力車車夫
IMG_2283.jpg
↑胡同案内図
 ガイドさんはさっきの女性で鄭さんと名乗った。人力車に乗って写真を1枚。人力車といっても動力は自転車だ。歩くぐらいのスピードしか出ないが、景色を楽しむにはこれくらいがいい。ずっとこのまま座っていればいいと思ったが、この人力車は15分間乗っただけで、ある地点で鄭さんと合流し、ここからは歩いて胡同巡りをすることになる。胡同とは何か。
---------------------------------Wikipediaより引用
古くからの北京の街並みを留めていることから、近年は観光スポットとして内外から、主に海外からの観光客から人気を集めており、自転車タクシー(輪タク)での胡同めぐりが、新たな観光手段として注目を浴びている。旧市街(旧城内)の北部や外城部を中心に、いまでも多くの胡同が残っており、北京一の繁華街王府井あたりでも、一歩裏通りに入ると胡同が残されている。そのような地区では共同トイレを持ち回りで清掃する人や、台所のない家の住民向けの安価な食事場所である「小吃」(軽食堂)などが見られ、胡同に住む庶民の生活が垣間見られる。しかし、胡同の家の多くは各住居にトイレを持たず(台所を持たない家も多い)、そのために胡同ごとに共同管理のトイレを設置しているが不便なことは否めず(胡同の共同トイレは、北京の観光地ではほぼ絶滅した壁なしトイレが多い)、近年の中華人民共和国の経済発展や2008年の北京オリンピック開催に伴う都市整備や再開発で、保存地区とされる一部を除き改築や取り壊しが行われている。
---------------------------------
 要するに胡同とは町の名前ではなく、「古い町並み」のことである。什刹海にたまたま古い町並みが残っていたということだろう。今ではあふれるようにある三輪リキシャは元々なかったもののようだ。
 鄭さんと合流したのは銀錠橋。この橋は南の前海と北側の后海をつなぐ狭い海峡にある。海といっても池である。何故海かというと、昔は広かったのと海を見たことのない北方の民族から見れば海に見えたのだという。池の一部は凍っている。

Watch a??ao¬aooa??e≫? in a??e!?a?≫a??a??  |  View More Free Videos Online at Veoh.com
 鄭さんと町を歩く。民家の入り口に立って説明する。門の下の仕切りは高いほど身分が高い。9という数字は中国では尊ばれ、9段の石段は皇帝にしか許されていなかった。鄭さん他にもいろいろ解説してくれたが覚えていない。
IMG_2293.jpg
↑筆者の愛車と同じだ
IMG_2298.jpg
↑什刹海
 ある民家に入った。四方に建物が囲まれ中に庭がある。いわゆる「四合院」である。別に私は町並みを見るだけでよかったが、この中庭は門からは見えないから、ツアーとしては必要であろう。ある建物に入ると、家主の奥さんが出てきた。決まった台詞を奥さんが述べ、鄭さんが通訳する。私はその間、写真を見る。どうやらこの中庭で採れたものらしい。カボチャやザクロ、スモモ。どうも植物に関する記憶は定かではない。ただ覚えているのはザクロは種が多いので子宝に恵まれるという縁起があるらしい。奥さんの切り絵の紹介。三国志に出てくる関羽は商売の神様とされているという。最終日の北京空港でこの関羽のTシャツを買うことになる。
 中庭で記念撮影。九官鳥が「ニイハオ」としゃべる。きれいな中国語である。
 次に奥さんの切り絵を紹介された。確かにきれいだが、値段は高め。別に欲しくなかったが、何も買わないと悪いような気がして、「福」の漢字に干支の図柄が埋め込めた切り絵を買った。値段は100元。80元が最低価格。このツアーと同料金。強制ではないといえ、安いのにはワケがあるというわけである。
 次に土産物店街を歩く。鄭さんが「この後どこへ行くのですか?」と聞く。「まだ決めていない」と答える。夜の京劇のツアーを勧められる。ただわけもわからず観劇するよりは、鄭さんのような若い女性と一緒にいればちょっと嬉しいが、あまり芝居には興味がないし、他のことを優先させたい。鄭さん曰く、雑技はわかりにくいので京劇がお勧めといっていた。
IMG_2309.jpg
IMG_2300.jpg
 地安門外大街に出る。鼓堂が見える。この地安門外大街は故宮の中心線にあるという。左右対称を重んじる中国らしい。歩いてきた土産物店街の一部は工事中で「吉野家」の看板が上がっている。
 ある茶店に入った。ジャスミンティー、フルーツティー、牡丹茶などを飲む。茶はガラスの容器で少しずつ飲む。日本とは大分違う茶道だ。鄭さんは寒がりらしく、貧乏揺すりしながらお茶を旨そうに飲んでいる。茶をカエルの置物に掛けて色を変えたり、お茶を入れると色が変わる湯飲みなどデモンストレーションがある。鄭さんはここのお茶はツアーの代金に含まれるので購入は強制しないとのこと。その言葉に甘えることにした。ここでデジカメのメモリーカードが一杯になった。店をでて歩きながら交換した。
IMG_2310.jpg

Watch a,-a??a??e?¶e?? in a??e!?a?≫a??a??  |  View More Free Videos Online at Veoh.com
 鄭さんの趣味は山登りで富士山に登るのが夢だという。将来は日本で暮らし両親を呼びたいという。壮大な夢だが、そのころは中国の経済力は日本のそれを凌駕していることだろう。私の趣味は「旅行」と答えた。中国の携帯電話は小さい。おそらく音声通話だけだからであろう。しかし地下鉄内では携帯電話用のサイトを見ている人がいた。さすがに日本語のようにテンキーで漢字入力はできないようで、入力する人はiPhoneに似たのを使っている。
 1時間のツアーのはずだが、実際は1時間半あった。鄭さんは近くの地下鉄駅へ向かうバスを教えてくれた。メモにはこのように書いてくれている。
+-----+
|バス42 118|
|張自忠路で|
|降ります  |
|五号線   |
+-----+
しかしそれは東側にある5号線の張自忠路駅へだった。次に行く頤和園へは西側にある平安里駅に行く必要がある。もうバスを調べるのも面倒なので歩いて行くことにした。沿道にはトロリーバスが走っている。しかし何故かモーターの音がせずエンジン音がする。ポールは上がって集電しているのに不思議だ。北京の歩行者用信号は他のアジア諸国に比べて長く日本と同じくらいだ。信号表示はロシアと同じで、赤信号部分が2色表示で時間表示が付いている。
IMG_2319.jpg
↑北京の裏通り
IMG_2320.jpg
↑カエルみたいなクルマ

Watch a??ao¬a??a?-a?aa??a??a?1 in a??e!?a?≫a??a??  |  View More Free Videos Online at Veoh.com
↑北京の交差点
 平安里駅に着いた。ここから4号線に乗る。4号線は今年になって開通した線で、ホームドアがある。基本的にホームの先端部にトイレがあるようだ。北京の地下鉄は常に満員だったが、4号線の終端部は開通間もないということもあって、ガラガラとなった。ちなみに北京の地下鉄の椅子は樹脂製で堅い。海外ではこれが主流であるので、海外の人が日本の電車に乗ると「ソファーのようでふかふか」とびっくりするのである。
IMG_2328.jpg
↑地下鉄茶内
 終点のひとつ手前の北宮門で降りる。頤和園の最寄り駅である。地上に上がると、焼き芋やらいろいろな食べ物の露天が並ぶ。道の向こうにマクドナルドが見える。昼食はそこにしよう。まだ11時なので先に頤和園に行くことにしよう。
IMG_2386.jpg
↑駅を降り頤和園に向かう
 頤和園は清朝皇帝専用の庭園である。杭州の西湖を模した昆明湖や蘇州街など、かつて漢詩に詠われた江南地方の風景を再現している。宮殿区、湖岸区、万寿山区、後山・後湖区、昆明区の5つに地区に区分され、基本入場料は20元で、主だった建物それぞれに10元ずつ入場料金を支払うことになっている。フルセットは50元なのでそれを買って入場した。
IMG_2330.jpg
↑頤和園
IMG_2331.jpg
↑入場券
 私は北宮門から入った。まず現れたのは蘇州街という回廊である。堀の周辺に回廊がある。ただ堀の水は凍っていて、ゴミが目立つのが残念だ。
IMG_2335.jpg
IMG_2336.jpg
 万寿山に登れば昆明湖を遠望できると思ったのだが、見えるのは一部であり、何だかわからないうちに降りるとそこは湖岸区だった。昆明湖のほとりを歩く。食べ物屋や土産物店が並ぶ。中国の土産物店やトイレの入り口は防寒のためかごついビニールの暖簾がかかっている。ここで買っておけばよかったいえるものがいくつかあったが、結局それは無駄遣いなので買わなくてよかったのだろう。
IMG_2340.jpg
IMG_2343.jpg
IMG_2344.jpg
IMG_2346.jpg
 徳和園は観劇用のステージでちょうど演奏が始まるところだった。見ている時間はないので途中で撤退した。仁寿殿を見たところで失敗した。すなわちまだ十七孔橋という見所があるのに、仁寿門から外に出てしまったのである。この頤和園はもう一つ表示がしっかりしていない。園の外から橋が見えないものか思ったが、それは無理だった。諦めるにしてもここからは歩いて地下鉄の駅に行くには遠い。仕方がないので入場料を払ってもう一度入ることにした。
IMG_2349.jpg
IMG_2355.jpg
IMG_2357.jpg
IMG_2358.jpg
IMG_2361.jpg
IMG_2364.jpg
IMG_2366.jpg
IMG_2369.jpg
 十七孔橋はその名の通り17個のアーチで構成されている橋で、とても美しい。これをバックにセルフタイマーで記念撮影。20元を改めて支払う価値はあったと思う。はじめは昆明湖を1周して北宮門に戻ろうとしたが、予想以上に時間がかかりそうなので途中で引き返し、覚束ない表示に従って裏山を通り北宮門に戻った。故宮よりも頤和園の方がおもしろいと断言できる。
IMG_2378.jpg
imgs2376.jpg
 予定通り、マクドナルドで昼食。昼時でもないのに混雑していて、カウンター席をどうにか確保した。ビッグマックセットは日本のとさほど変わるところはなかった。ただカウンター席の向こうはテーブル席になっていて、目の前にテーブル席の客の顔がある。日本だったら目隠しを設けるところだが、さすが中国。そのような配慮はない。
IMG_2385.jpg
IMG_2383.jpg
↑世界各地にあるマクドナルド
 次に行くのは盧溝橋である。これは北京中心部から南西方向の郊外にあり、地下鉄駅からかなり離れていてバスかタクシーしかない。この橋における銃撃戦が支那事変の発端となったで、日本人は歴史の教科書でその名を知っている。中国人にとっても忌まわしい記憶であるらしく、この橋の近くに「中国人民抗日戦争記念館」がある。もうあまり時間がないので橋だけでも見ておきたい。問題はどのようにしてそこに行くかである。初日に手に入れた北京周遊地図を見てもよくわからず、「地球の歩き方」には六里橋長距離バスターミナルから309、339路バスに乗るとあるが、その六里橋長距離バスターミナルへの行き方がわからない。できるだけ盧溝橋に近い地下鉄駅からタクシーに乗ることにし、1号線の五裸松駅に向かうことにした。ここは最寄り駅という訳ではないが、五裸松には北京オリンピックの野球会場があり、それを見ようというわけである。
 五裸松にやってきた。交通量の多い道路を横目に広大な空き地をみると、荒れ地の向こうに球場らしき建物が見える。もう照明灯などはなく、球場としての利用もしていない様子である。いずれは取り壊すようで建物に近づくことすらできない。このような後利用ができない設備になるのなら、オリンピックに野球が復活する日は遠い。
IMG_2387.jpg
↑五輪マークが残る球場
まずは国際大会を増やして普及に努めるのが先決だろう。それに関してはいくつか私案があるのだが、ここでは詳説しない。球場は廃墟に近いが、周辺は公園になっていて市民が散歩やスケートボードを楽しんでいる。
imgs2388.jpg
↑この廃墟感が伝わるだろうか
 交差点で乗り込んだタクシーは、「盧溝橋」と書いたメモを見ると、乗車拒否された。そのタクシーは西向きに停まっていたのであるが、方向が逆だというのである。仕方がないので交差点を渡り、南向きに停まっているタクシーに乗った。はじめ運転手はメモを見ると何やらいったが、私は全然意味がわからずキョトンとした。渋滞で時間がかかるぞ、といったのかしれない。そう思った。運転手は諦めたのか、クルマを走らせた。渋滞していたのは最初だけで、京石客高速公路を走ると流れはじめた。盧溝橋までは22元。その他に税金か燃料調整金か何かわからないが1元余分に徴収された。中国のタクシーはレシートが発行されて明朗会計だ。運転手は指差してこの方向が盧溝橋などという。16時19分着。
IMG_2392.jpg
↑園内図
 私はその方向に歩いて行った。入った公園に園内図があって、盧溝橋の位置がつかめた。もう夕方なので人影もまばらである。やがて入ったときと同じような門が現れ、道路を隔てたところに目指す盧溝橋があった。観光客は10元必要だが地元住民はICカードで利用できるようだ。
IMG_2393.jpg
IMG_2394.jpg
IMG_2397.jpg
IMG_2401.jpg
IMG_2403.jpg
IMG_2404.jpg
IMG_2406.jpg
 盧溝橋は戦乱の発端という歴史的な意味以外に、観月の名所であり、欄干に並ぶ獅子が有名である。橋を引き返した頃にはまもなく日没である。
 往きに通った公園の門はすでに閉まっていて、園の外周を迂回して戻った。
 さてここからどのようにして帰るかである。タクシーは安直なのでバスを利用することにした。北京のバス停は系統ごとに全停留所が載っている。鉄道駅に向かうバスに乗るのがわかりやすい。458路バスの終着が北京南駅となっている。ずいぶん先なので相当迂回するようだが、これに乗れば確実である。もう一つ難関はバスの乗り方である。ソウルのように均一運賃であれば、乗るときにカードをタッチするだけでいい。「地球の歩き方」には「一律運賃のバスは乗車時に運賃箱にお金を投入。区間制は行き先を告げて支払う」とある。バス乗客の動きを観察するのだが、運賃を払っているように見えないし、センサーにタッチをしている様子もない。
 このバス停の近くの売店の呼び込みエンドレス音声が日本語の「せんさんびゃくえん(1300円)」に聞こえておもしろいので録音した。そして458路バスが来た。前から乗る。センサにカードを近づけたが、タッチを促されることはなく、そのまま後ろの座席に座った。

↑せんさんびゃくえん(1300円)にしか聞こえない
 バスは渋滞する道路をノロノロとしかし着実に進む。乗客が何回か入れ替わったが、最後まで乗り通したのは私だけだった。運賃は払っていないので、車掌らしき人とバス会社の関係者にお金を払おうとしたが、いらないと言った。結果としてただ乗りとなったが、気分のいいものではなかった。
 18時ちょうど、北京南駅はすっかり夜の帳に包まれていた。オリンピックを契機に新しくなったのか近代的な装いである。地下鉄4号線の駅は階下にあった。改札口は遠く一回りしなければならなかった。しかしここまでくれば大丈夫である。あとは地下鉄の太い流れに身を任せればいいのである。
IMG_2408.jpg
↑北京南駅
 1号線王府井で降りる。北京最後の夜は北京ダックと決めていた。その中でも評判のいい、「全聚徳[火考]鴨店」に行った。19時前に着いた。かなり格式に高いレストランらしく、赤と金を基調にした立派なもので、天井の端には赤い提灯が吊っている。服務員もチャイナドレスだ。椅子に掛けた上着に金色の布のカバーが掛けられる。ひとりで入るのが場違いな感じだが、17番テーブルに案内された。北京ダックはハーフは99元であったのでそれを選択。それにビールとスープ、そしてデザートらしきものを頼んだ。
IMG_2420.jpg
↑全聚徳[火考]鴨店
IMG_2411.jpg
IMG_2419.jpg
IMG_2418.jpg
IMG_2417.jpg
↑これが北京ダック(本当はもっとたくさんあります)
IMG_2416.jpg
IMG_2415.jpg
↑これが美味しくなかった
IMG_2413.jpg
↑請求書

 北京ダックはさすがに美味であった。しかしデザートらしきものは口中に油が広がる最悪な代物だった。中華料理はデザートが弱い。月餅ぐらいしか美味しいのがない。まさにその通りだと思う。
 20時40分にホテルに戻る。風呂で頭を洗い、明日の日程を確認して23時40分に寝る。

12月14日(月) 晴
 7時30分にホテルを出る。後から考えればもっと早く出ればよかった。
 JTBの馬氏は11時にホテルに迎えに来る。それまでに戻ってこなければならない。あと行きたいところはオリンピック公園と天壇公園。天壇公園だけでもよさそうなものだか欲張った。永安里駅から国貿へ出て、地下鉄10号線で北土城で降りる。ちょうど平日の出勤時で10号線は混雑していた。恵新西街南口からはさらに混んでいて、降りられるかどうか心配になった。10号線のドア付近上部の手摺りの形状が変わっている。上から見ると、数学の積分記号のようだ。
 ところで降りるときに女の人が「アーラーシャー」と言って降りているのを聞いて、これが英語のI get off.の意味だと思っていた。しかし昨日鄭さんに聞いたら、どうやら「我下車」と言っているのであってそれなら「ウォーシャーチャwo3xia4che1(数字は声調)」が正しい。
 北土城からは8号線に乗り換える。8号線はオリンピック公園以外に用事のない線である。当然空いていて運転間隔も長い。どうやら10分間隔ぐらいだ。新聞では8号線北上と見出しにあった。2駅乗ったところにある奥林匹克公園で降りる。意外に客が降りている。南出口を上がる。さすがオリンピックの駅らしく、オブジェに凝っている。10分ぐらい歩いたところにオリンピック公園がある。テント張りの手荷物検査を受けて公園に入る。左手に通称「鳥の巣」といわれる陸上競技場。右手に水立方という水泳競技場が見える。カメラを置くところがあるのでセルフタイマーで記念撮影。鳥の巣は逆光でいい写真が撮れなかった。近くにタワーがあって登ってみたかったが時間がない。急いで撤退した。朝早くから意外と観光客がいた。
IMG_2428.jpg
↑「鳥の巣」陸上競技場
IMG_2429.jpg
↑「水立方」水泳競技場
IMG_2431.jpg
↑展望タワー
 北京オリンピックが終わってから1年経つが、これらの立派な競技施設が利用されている様子がない。後利用を考えて造られたのではなさそうだ。とにかく中国の国威発揚が第一義だったようだ。昨日の野球場などは既に廃墟になっていたが、この鳥の巣のような巨大な陸上競技場や、水立方といわれる水泳競技場は遠からず廃墟になるかもしれない。
imgs2425.jpg
↑競技場全景
 ところで地下鉄に乗って気づいたのだが、交通カードの改札でのセンサ感度に差がある。新しい8号線は問題ないが、古い1号線や2号線では、1回タッチしてもまず反応しなかった。財布から出してカードのみにも関わらずである。
 北京の地下鉄の特徴を以下に列挙する。日本より進んでいる。
・時計がディジタルでしかも秒単位。
・列車接近表示がある。
・これらは広告と一体化されていてカラー液晶で表示される。
・車内の広告は液晶が主力で、紙は限定的。
・1号線にはトンネル内にもカラー液晶の広告が流れる。
 地下鉄8号線、10号線、5号線を乗り継いで天壇東門駅へ。天壇公園は祈年殿、皇穹宇、圜丘に別れていてそれぞれに入場料が必要である。祈年殿は明清朝の皇帝が五穀豊穣を祈った建物で、天安門、万里の長城と並び中国を象徴する建物である。公園内では太極拳をしている人、男女でフォークダンスもどきをしている人、足で羽根突きをしている人、杓文字にフェルトのボールをくっつけて落とさないようにしている人、地面に水で文字を書いている人。回廊では老人がゲームを昂じている。トランプや麻雀、ドミノをやっている。祈年殿はセルフタイマーの記念撮影でもう十分だ。皇穹宇、圜丘は対角線上に立っている人の声が反響するので有名だが、その効果を確認できなかった。

Watch a??ao¬a?[コピーライト]a£?a?¬a?? in a??e!?a?≫a??a??  |  View More Free Videos Online at Veoh.com
IMG_2442.jpg
↑天壇
IMG_2455.jpg
IMG_2457.jpg
 南門から出る。公園の外の道を北上する。時間が迫っているので、駅が現れなければ、タクシーに乗るつもりだった。最後の方は走った。地下鉄「天壇東門」の表示を見たときは安心した。
 永安里駅で降りる。交通カードの残りは6元だった。ホテルに戻ったのは10時50分。もう既に馬氏は来ていた。「できるだけ急いでください」とのこと。フロントで精算を終えて、クルマに乗ったのは10時59分だった。本当にギリギリだった。
 クルマは普通の黒のセダンだった。先客がひとり乗っていた。年輩の女性でだった。向こうから話しかけてきた。生まれは北京で、里帰りなのだそうだ。年末年始は高いが、今の時期ならホテル代、一人料金を払ってもツアーの方が安いのだそうだ。実家に泊まるのだからホテルは必要ない。往路に一緒に乗った男性も出張らしかったが、同じ理由でツアーを使って出張してきたのだろう。女性はインドやカンボジアも経験があるらしい。アメリカ西海岸もあると言っていた。かなりの通である。私も負けじとロシアに行った、トライアスロンの経験がある、ゴールドコーストマラソンを走った、などと自慢げに話した。おそらく彼女が申し込んでくれたお陰で、このツアーが成立したのだろう。
 12時00分前空港に着いた。女性はさすが北京生まれだけあって、完璧な中国語をしゃべる。チェックインでは通路側の席を取ってくれた。人民元が余ったので再両替するつもりだったが、銀行で両替すると11000円でしかないが、女性はまた北京に来るということで、売り買いレートの中間の12100円で買ってくれた。安全検査はポケットに入っているものを全部出してX線検査を受けさせられただけで特に問題はなかった。しかし女性はポーチの中の食べ物を再検査をする必要があるということで、私にコートと荷物を預けて、再検査に向かった。ターミナル内には荷物と人を運ぶ赤帽のような電気自動車が走っている。そんなのを眺めていたが、待てど待てども女性は現れない。ひょっとすると荷物を預ける危ない人かなどと思ったくらいだ。待っていられないので、彼女の荷物を転がして中国の土産をいくつか買う。Tシャツとストラップと家用の天津甘栗入りのチョコレート。街中よりも高めである。
IMG_2463.jpg
↑構内に電気自動車が走る
 別れた場所にはまだいなかったので15Eゲートに向かう。その途中で女性が追ってきた。平謝りだった。彼女は椅子に座ると、南京豆や小さなミカンをくれて、中国語の観光案内を「読んで」と言って、土産物を買いに行った。南京豆は美味しかった。ビールのつまみとしてはバターピーナツよりも、剥くのが面倒な分だけ美味しく感じるだろう。悪いと思ったのかスプライトのような缶ジュースを買ってきてくれた。そしてまた公衆電話で長いこと電話していた。彼女が戻ってからトイレと家に電話しに行った。
IMG_2467.jpg
↑渡された本とジュース
 13時35分に搭乗開始。機体はB767-300、座席は17G。中央右側の通路側である。
 順番待ちで離陸が遅れている。65%の乗車率。ここで私は彼女に年賀状を送るからと自分の住所を渡した。彼女の住所も分かった。
 彼女は離陸が遅れているのは、いつも日本航空だという。全日空はいつも時間通りだと言っていた。半分地元の人が言うのだから事実なのだろう。たまたま中国航空会社の着陸が多い時間帯なのかもしれないが、とにかく北京の空港がパンク寸前なのだ。14時51分に漸く機体が動き出した。その間映画も見れず、パソコンも使えない。機内誌を読み、音楽を聴くしかない。
 15時05分、早くも機内食が配られた。昼食を食べていないので待ちかねた。内容は往きと同じで茶そばがうどんになっているだけだ。
IMG_2469.jpg
↑帰国便機内食
 パソコンを開き、いろいろ打ち込む。ワインとビールとコーヒーで眠たくなった。
 16時30分、岡山県新見上空。気流が悪いらしくやや揺れてベルト着用。18時05分、関空着との機長のアナウンス。機内にジングルベルが流れる中、17時59分に関西空港に着陸。
 荷物は意外に早く出てきた。税関も何も聞かれることなく突破。税関前はガラガラだ。関西空港の利用率の悪さを如実に示している。
  私は2階に上がり、JR阪和線で帰る。特急が環状線内の事故で遅れていた。
 19時30分過ぎに帰宅。
 その日は北京旅行で興奮状態なのか2時まで眠れなかった。
 こうして初めての中国旅行は終わった。驚いたのは人間の多さ。地下鉄はいつ乗っても満員だった。道路も渋滞して事故も多いようだ。空港も混んでて出発遅れは常態化しているようだ。中国の経済発展を目の当たりに確認できた。しかしマナーの悪さも目に付いた。これが改善されないと中国は尊敬される国にならないだろう。日本人は今はマナーが高く評価されているが、かつては歩道を横に広がって歩くとか、ゴミポイ捨てを普通にやっていた。海外の人から厳しく指摘されているうちに、マナーがよくなったものである。中国人もそのようになれると期待したいが、中国の場合、日本と違い大国である。大国意識が強くなれば「これでいいのだ」と考え、自らの行いを改めないかもしれない。筆者はそういうことになれば、結局中国は下り坂で転げ落ちてしまうと思う。マナーとは他人が見て不快に思わないことの集大成だ。中国は立派な国だと思われることが、中国人にとって一番得だと思う。

nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

nice! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。