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北陸新幹線が開業すると [鉄道]

 2014年度北陸新幹線が金沢まで開業する。東京ー金沢間は現状の越後湯沢で北越急行経由のはくたかに乗り換えるより、1時間短縮の2時間半で結ばれる。膨大な人口を要する首都圏と直結することによる経済効果に地元は期待している。
 しかし次のような弊害がある。
・新幹線に並行する在来線がJRから経営分離されること。
経営分離される在来線が地域利用のみとなるため経営が苦しくなること
・とりわけ北越急行の経営が一気に悪化すること
・今まで大阪からサンダーバードで乗り換えなしで行けた富山が金沢乗り換えとなること

 新幹線と並行する長野から金沢のうち、長野-妙高高原間はしなの鉄道、妙高高原ー直江津間と直江津ー市振間を新潟県が主導する第3セクターの「越後ときめき鉄道」、市振ー倶利伽羅が富山県が主導する「あいの風とやま鉄道」、倶利伽羅ー金沢間は石川県が主導する「IRいしかわ鉄道」が運営することになっている。
 長野ー妙高高原のうち飯田線が分岐する豊野以北は閑散線区なので廃止も検討されたが、雪国特有の事情と地元の反対もあって存続と決まった。直江津ー妙高高原間は妙高山など観光資源もあり、上越市内を走り一定の需要があり、また新幹線駅が途中の脇野田駅に設置されるとあって存続の意志が表明されていた。新幹線駅に寄り添うように線路の付け換えも行われ、新潟方面への乗り換えを容易にする配慮がなされる。
 直江津-金沢間は日本海縦貫線の一部をなす貨物列車の重要路線であり、沿線人口も多いことから、これを廃止することはできない。しかし特急料金を稼げる都市間輸送は新幹線に移行し、地域輸送に徹するしかない。貨物列車の為に高規格な線路と電化設備を維持し、除雪費用も手を抜くわけにいかない。旅客輸送に関しては高価な交流電車をやめ、気動車で運転するようだ。県ごとに運営会社が分割されるので、それぞれの運賃の合算となり、通しで買った場合、新幹線と大して変わらないものになるだろうし、短距離で運営会社をまたいでしまう場合など、割高となってしまう。例えば飯田ー長野間はしなの鉄道を使うよりも新幹線の方が特急料金を支払っても少し高いだけとなり、長野新幹線の上田ー長野間と同じ現象が起きるであろう。
 線路使用料を支払って貨物列車を走らせるJR貨物にしても、それぞれの運営会社に運賃を支払うことから、何も利点がないにも関わらず、コスト高となってしまう。
 通しで運営した方が新幹線との競争力もある程度確保できて、地域輸送にも貢献できるのに、そうしなかったのは、第3セクターが上下分離形式運営され、インフラを県が買い取り、運営会社に貸与することで、固定資産税などを減免し、運行コストを抑えるためだ。しかし将来的には道州制が導入され、県の合併も視野に入ってくるだろう。ここは県同士、知恵を出し合って共同で運営会社を設立できなかったかと思ってしまう。確かに運営コストは下がるが攻めの経営ができないので、増収策が限られたものになる。最後は国に泣きつくつもりかもしれないが、結果的には国民負担を意味するので、まずは地元で何とかする意識を持ってほしいものだ。
 鉄道は雪に強いので、クルマよりも信頼を寄せる住民が多く、北陸地方では乗客が少ないとはいえ、自治体が補助金を出しても維持するのは合理的な理由がある。ただ地元客だけでは先細りは目に見えている。九州新幹線開通で経営分離された肥薩おれんじ鉄道は2013年より食堂車の運転が始まる。北陸本線もいい眺めなのだから、食堂車や展望車を連結するべきだ。今の技術なら電車や気動車でもそうした車両を牽引できるだろう。こうした方策は青い森鉄道や、IGT銀河鉄道でも当てはまる。
 北越急行は北陸新幹線が開通すると一気に経営が悪化する。2013年現在、東京から金沢に向かうには、上越新幹線の越後湯沢で北越急行を通過する特急はくたかを利用するのが最速だ。しかし北陸新幹線が開通すれば、東京から金沢まで乗り換えなしだ。どれだけ運賃を安くしても、乗り換えの手間と所要時間の壁を乗り越えられないだろう。北越急行の沿線人口は希薄で、地域輸送だけではとても黒字になる見込みがない。北越急行は特急はくたかで稼いだ現金100億円を運用し、50年は損失補填できるとうたっている。けれども長大トンネルが多いことや高速運転で線路水準が高い分、保守管理費が高くつき、おそらく40年持つのが関の山だろう。
 北越急行の場合、両端の直江津ー犀潟及び六日町ー越後湯沢間がJR東日本の路線であることも不利だ。直江津以西から越後湯沢方面の旅客流動を考えた場合、JR東日本としては自社だけで移動できる長岡経由を利用させたいからだ。直江津方面から新潟への連絡は、越後ときめき鉄道となる現在の脇野田駅から新潟行きの特急が設定されると予想される。特急のスピードにもよるが、北越急行経由の約15分程度の差でしかない。北越急行としてはこの時点で特急車両は売却して、一般車両による快速が運転されているだろう。快速の車内設備で、割高な運賃に両端のJR運賃が加算されるわけだから、競争上不利となる。
 ただし沿線で一番の人口を要する十日町市への連絡を考えた場合、JR東日本とすれば北陸新幹線の飯山から自社の飯山線で十日町まで乗ってもらったとしても所要時間で、北越急行と太刀打ちできないし、前述した北陸方面からの需要よりも、上越新幹線を利用する首都圏からの乗客の方が圧倒的に多いから、北越急行と連携を模索するだろう。
 将来、北越急行の内部留保が尽きて、経営が立ちゆかなくなれば、JR東日本は利用客の少ない飯山線の十日町ー越後川口間を廃止して、北越急行の経営に乗り出すかもしれない。難工事の末に開通させて高規格に作られた北越急行を、JR東日本が見捨てるとは思えない。
 北陸新幹線金沢開業でもっとも不利益を被るのは、大阪方面から富山まで直通する利用者だろう。開業前は大阪から富山までサンダーバードに乗れば、乗り換えなしで行けたのに、サンダーバードが金沢で運転打ち切りとなるために、そこでの乗り換えが強いられるからだ。しかも九州新幹線の新八代のように在来線と同一ホーム乗り換えできず、利用者は階段の上り下りをしなければならない。JR西日本としては自社が運営する北陸新幹線に乗ってもらいたいだろうし、富山までの利用者は金沢までの利用者の半分ぐらいと思われるし、いずれ金沢以西も第三セクター化されるのに、同一ホーム乗り換え構造にするための投資をするはずはない。
 わずか15分の短縮時間のために、乗り換えの手間がかかり、運賃料金も上がるとあっては富山の人々は釈然としないだろう。高岡に至っては、新幹線の駅が現高岡駅よりも南の城端線との交点に設置される。これまでより利便性は下がるのは間違いない。
 在来線を運営する第三セクターとしては、サンダーバードの富山までの延長運転や、自社車両による快速運転が対抗措置として考えられる。しかし倶利伽羅で運営会社が分断され、運賃が割高となる上に、スピードで対抗するのは不可能だ。金沢でサンダーバードの乗り換えを同一ホームすれば対抗も可能だが、運営会社が違うために改札を設ける必要があるだろうから、結局別のホームへの移動となろう。
 つまり関西-富山間は、おそらく同一ホーム乗り換えか軌間可変車両の導入となるであろう北陸新幹線の敦賀開業まで不便なままとなる。今後は乗り換えなしで行ける首都圏経済の割合がより高まることになるだろう。これは金沢も同様である。
 その昔、北陸から新潟方面は江戸時代の西回り航路の影響で関西経済圏だった。つい最近まで夜行急行きたぐにが毎日走っていたし、かつては寝台特急つるぎもあった。また昼間の特急雷鳥は6時間以上のロングランで大阪ー新潟間を運転していた。これは三国山脈と碓氷峠が関東と新潟・北陸方面の交流を阻んでいたからだ。それが昭和初期に上越線が開通してから、徐々に首都圏との交流が増え、上越新幹線開通で新潟は完全に関東圏に組み込まれた。北陸地方もおそらく同様の現象が起きるだろう。少子化で人口減が進む我が国はより人口の多い地域への依存度が高まり、首都圏以外の地域の衰退はより激しさを増すだろう。独自の文化を持つ関西圏もその例外ではないだろう。

東京メトロのマーク [鉄道]

 もう遅いけど東京地下鉄のマークは営団時代のほうがよかった。
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 この営団のマークは過去現在の鉄道事業者のマークの中でも秀逸な出来だと思う。Subway Speed Safetyの頭文字SとTokyoのTを組み合わせ、両端を鋭くしたデザインは今を持って古さを感じさせない。これが昭和20年台の仕事だというからスゴイ。大阪の地下鉄などマルに片仮名の「コ」である。他に管理人がいいと思うのは名古屋地下鉄。トンネルに名古屋市章の八を思わせる線路を配したデザイン。
 しかしこのフランス人がデザインしたという、風呂敷包みのようなM文字も、見ているうちに見慣れてしまった。今さら元に戻すわけにいかないけど、やっぱり変えてほしくなかったな。
 ついでに名前も「帝都高速度交通営団」も格好良かったのに。リニアモーターができたら「帝都高速度鉄道」という名前にしてくれないだろうか。

軌間可変電車の実現可能性 [鉄道]

 軌間すなわちレールの幅は、新幹線で採用されている1435mmとJR在来線の1067mmがあり、この2者間では互いの車両は直通できない。そのため車両側で車輪の幅を変えて直通できるようにする軌間可変電車(フリーゲージトレイン)の開発が進められている。技術的な詳細は下記URLを参照。

↓軌間可変電車ってなに?
http://www1.tcat.ne.jp/train/kaisetu/gct/gct.htm

 しかし発表から20年ほど経過しようとしているのに、一向に実現の兆しが見えない。開発の困難な理由としては、以下の理由が挙げられる。
 まず、軌間可変機構を持つために、それぞれの専用車に比べて重量が重くなる点である。これは高速化を阻むだけでなく、騒音、軌道破壊による保守コストの増大を意味する。直線の多い新幹線の高速性と、曲線の多い在来線の両立は難しい。鉄道の車輪は曲線走行時の内外輪差を吸収するために、傾斜がつけられているが、在来線に合わせて傾斜をきつくすると、新幹線の高速走行時に蛇行動を生じてしまい、走行性が不安定になる。そのため車輪の傾斜をつけずに左右独立のモーターで駆動させたり、自動車のように差動装置を取り付けたりする必要がある。
 もうひとつは軌間を変換するのに時間がかかるという点だ。現状は10両編成で10分かかるようだが、こんな遅い変換だと、かつて九州新幹線の新八代駅でやっていたように新幹線と在来線を同一ホームで乗り換えしたのと所要時間が変わらなくなるだろう。
 スペインには1668mmの広軌と1435mmの標準軌を短時間で変換するレンフェ120系Alviaという高速電車が実用化されているが、あちらは線路幅が広く機器類の設置余裕がある上に、可変幅が小さいため条件は有利だ。また古くからフランスからスペインに直通している有名なタルゴ寝台車は無動力の客車で、独立車輪で対応している。また山形と秋田に向かうミニ新幹線は高速性を保ちながら在来線の走破性も確保しているが、あちらは在来線の幅を広げる時に軌道を強化して対応している。
 現状の軌間可変電車は重くなるため、ロングレール化など在来線の軌道を強化しなければならず、新幹線も軌道破壊が大きくなるため入線に難色を示している。
 長崎新幹線は佐賀県が新線建設に反対しているため一部在来線を利用することから、この軌間可変電車を導入する方向で検討されているが、軌道破壊を恐れて、JR西日本は山陽新幹線区間の乗り入れを拒んでいる。したがって新大阪-長崎間の運転はできず利便性は大きく損なわれる。
 北陸新幹線は敦賀まで延長した段階で、軌間可変電車を導入して、大阪-富山間などの直通運転する動きがある。しかしただでさえ重い電車にさらに耐寒耐雪設備を設けて高速化が実現できるのか不透明だ。
 管理人としては、このような欠点を抱える軌間可変電車の開発は止めるべきだと思う。
 長崎新幹線に関しては、全区間フル規格で建設する方が経済効果が大きい。軌間可変電車を導入しても博多止まりではあまり意味がないし、変換時間のロスが大きすぎて短縮効果も小さい。おまけに在来線の改良も必要なのでは、コストが合わないからだ。もしフル規格がだめなら、博多-長崎間を全区間在来線のスーパー特急を走らせる方がマシだ。
 北陸新幹線に関しては、リニア新幹線が大阪東京間に開通すれば、敦賀から米原乗り入れを考えるだろうが、当面は敦賀止まりだろう。ここは敦賀-金沢間を三線軌条若しくは四線軌条にして、フル規格新幹線を敦賀-東京間で運転し、スーパー特急を大阪-金沢間で運転すればいいだろう。三線軌条だと車両の中心線がずれるため、軌道の片減り、複雑な分岐機構、新幹線の交流25000Vに対応できる超高速車両の開発、それに北陸では雪害対策など難しい点があるが、軌間可変電車が抱えている問題に比べれば解決は容易だ。

惜別、急行きたぐに [鉄道]

 2012年3月17日、大阪-新潟間を長年走ってきた伝統ある夜行急行「きたぐに」が、ついに定期運行が終了し、臨時列車に格下げされました。車両の老朽化も進行し、昭和レトロを楽しむのでなければ、時代にそぐわないでしょうから、その臨時便も遠からず廃止となるでしょう。
 筆者は関西在住でありながら、「きたぐに」には一度も乗る機会に恵まれませんでした。その代わり並行して走っていたブルートレイン「つるぎ」「日本海」や、臨時夜行急行「越後」は乗ったことがあります。
 かつてこれだけの夜行列車が運行されていたということは、関西と北陸の経済的な結びつきの強さを感じさせます。今でこそ、東京-新潟間は上越新幹線で約2時間で完全に東京経済圏ですが、明治以前は三国山脈に遮られ交流はほとんどなく、西回り航路を通じての関西との交易が中心でした。それはつい最近まで大阪-新潟間に6時間以上もかかかる直通「雷鳥」や、とても乗り通す人がいるとは思えない大阪-青森間に特急「白鳥」が運行されていたことでもわかります。
 昼行列車では時間的損失が大きいことから夜行列車が幅を利かせていて、急行「きたぐに」はそのエース格ともいえる存在でした。種別が急行とはいえ、ここまで生き残っていたのは需要があったからでしょう。それでも近年利用客が低迷したのは次のような理由からでしょう。

1.車両が老朽化し、時代にそぐわなくなった
2.廉価な高速バスの台頭
3.東横インなど格安ビジネスホテルが普及したこと

筆者は3が一番大きいな理由のような気がします。B寝台料金(上段5250円、下段6300円)を払うのだったら、夕方出発してホテルに前泊した方が、カーテン一枚で仕切られた寝台よりも、遙かに快適に過ごすことができる。増して1万円以上しながら、B寝台と同様カーテン一枚の開放式A寝台などは物好きでなければ利用しないでしょう。1万円出せば立派なシティホテルに泊まれます。
車両をグレードアップしても客は戻ることもなく、それならサンダーバードなど昼行特急の高速化や快適性の向上をした方が、よほど利用者に喜ばれるし、JRとしても儲かるわけです。
 「きたぐに」、「日本海」の臨時便は全てB寝台で運行するようですが、前述するように寝台料金を払う一般人が多くいるとは思えません。あるとすればどうしても横になって移動したいという人でしょう。それならカーテン、シーツは取っ払って、あげぼののゴロンとシートのように運行する方がいい。ゴロンとシートは座席指定料金のみだが、やはり赤字だろうから「簡易寝台料金」として1000円徴収すればどうでしょう。


三陸流失3路線、バス専用道路を検討 [鉄道]

 東日本大震災で駅舎や線路が津波で流失した岩手、宮城県内のJR3路線について、従来の鉄道ルートに専用道路を作り、バスを運行させる「バス高速輸送システム」(BRT)で復旧させる案を、JR東日本が検討していることがわかった。

 鉄道を敷設し直すより早期の整備が可能な上、整備費用も半分以下で済むメリットがある。JR東は、実現に向けて被災自治体と協議していく方針だ。

 BRT導入が検討されているのは、不通となっている東北地方のJR7路線のうち、気仙沼線と大船渡線、山田線の一部区間で、計154キロ。線路が橋脚や路盤ごと流失するなど被害が大きく、原状回復には400億円近くかかるとみられる。今後、市街地が高台に移転すれば、ルート変更を余儀なくされるため、震災から8か月たった今も、本格的な復旧工事の着手すら困難な状態だ。

 沿岸被災地では、鉄道の代替でバスが運行されているが、朝夕を中心に通勤や工事の車両で渋滞。地元からは「通勤時間が震災前の倍近くかかる日もある」との声も上がるなど、鉄道の早期復旧を望む声は強い。

 従来の鉄道ルートをそのまま活用するBRTは、レールを敷く必要がなく、駅はバス停のような簡易な施設で済むため、鉄道より早く整備することができる。市街地が高台に移転する所や、鉄道の橋脚が津波で流された所では、一般道を使うなど、柔軟なルート設定も可能で、運行コストも安上がりだ。
----------------------(2011年11月20日08時42分 読売新聞)より引用

 先週、南三陸に行ってきました。気仙沼線の志津川、清水川、歌津駅付近を走り、津波被害のすさまじさを思い知りました。気仙沼線の被害も甚大で、海岸付近の高架線は破壊され、復旧するとすれば、新規に造る覚悟が必要です。
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↑気仙沼線清水川駅付近
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↑歌津駅南方
 津波で家が流されているせいもありますが、人家も少なく、鉄道を走らせても赤字は間違いありません。管理人は日本の鉄道に全て乗るぐらい、鉄道に愛着のある人間ですが、早くも仮復旧された国道45号線を見ると、実際は自動車交通で十分で、交通弱者対策で自治体がバスを運行する方がコスト的に有利だと思う。この付近を見る限り、気仙沼線の復旧の必要性は感じませんでした。
 ところが宿泊していた南三陸町を立ち、バスで気仙沼に向かったのですが、気仙沼市内付近は休日にもかかわらず渋滞していました。やはりバスでは定時制に欠けるといわざるを得ないです。
 そこで渋滞箇所のみ、高架によるバス専用線を走り、費用対効果の薄い場所は一般道を走るBRTは現実的な選択といえます。鉄道に深い信頼感のある東北人にとっては我慢のできないことかもしれませんが、現状のまま修復して、今回のような津波が来たら、同じことの繰り返しになります。また道路の方が修復が早いこともよくわかったでしょう。被災地では自由に路線を設定できるバスの存在感が増しているという聞きます。
 BTRに問題があるとすれば、トンネルが鉄道用だけに、バスが走った場合、排気ガス対策や安全性に問題があること。価格は高くなるがハイブリッド車の導入も考えた方がいいかもしれません。
 現在のところこの案について、国土交通省はこれを支持していますが、地元は「できれば鉄道で復旧してほしい」と要望しています。ただ陸前高田市の市長は「鉄道はいらない。三陸自動車道の全通を。」と表明するなど、結局バス専用道に落ち着くのではと思われます。
 参考までに仮設コンビニエンスストアーの写真を。頑張れ東北!
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↑清水川仮設コンビニエンスストアー
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↑志津川仮設コンビニエンスストアー

北陸新幹線の名称・駅名・並行在来線問題 [鉄道]

2014年の開業を目指して、北陸新幹線の長野から金沢まで延長工事が順調に進んでいるようだ。これに関連して管理人の考えていることを述べさせていただきます。管理人の調査力不足のために誤った情報を元にしている場合がありますが、何卒ご了承ください。

1.北陸新幹線の名称
 現在、北陸新幹線は高崎から長野まで開業している。長野オリンピック前の1997年のことである。その開業前、JR東日本は北陸への最短ルートでもないのに、「北陸新幹線」では誤乗の恐れがあるということで、「長野新幹線」で開業することを考えていた。しかし北陸の自治体から「それでは北陸新幹線が長野止まりと世間の人が誤解してしまう」ということで、JRは長野方面の下りを「長野行新幹線」、長野からの上りを「新幹線」と案内することにし、実際時刻表には「長野行新幹線」と表記されていた。ところがそんなマスメディアはそんな経緯を無視して開業当初から「長野新幹線」と表記したものだから、やがてこれが公式名称となった。時刻表に表記された「行」という字ははじめから小さかったから、JRとしてははじめからこうなることを見越していたのだろう。利用者にとってもこの方がわかりやすいから、「長野行新幹線」はたちまち廃れた。
 そして金沢まで延長されて、その名のとおり北陸への最短ルートとして機能することになり、今度こそ「北陸新幹線」となると思われた。しかし今度は長野県の各自治体が「長野新幹線」の名称を残して欲しいと要望したのである。
 管理人はJR東日本が運行する高崎-上越(仮称)を「長野新幹線」、JR西日本が運行する上越(仮称)-金沢を「北陸新幹線」とすることを提案したい。実際に長野県を中心に運行する「あさま」と、長野県内は軽井沢と長野だけにして、北陸方面への時間短縮を図る「かがやき(管理人の希望)」が運行される思われる。東海道・山陽新幹線のような関係で利用者も混乱することはないだろう。
2.上越(仮称)駅名問題
 北陸新幹線の上越(仮称)駅はJR信越本線の脇野田駅付近に設けられることになっている。仮称が上越となっているのは、それが新潟県上越市にあるからだ。新潟県は信濃川の上流方向からつまり南側から上越地方、中越地方、下越地方と称せられていて、上越地方の代表都市だから上越市を名乗っているのである。しかしこのような地方の呼びならしは地元でないと通用しないところがある。山形県でも天気予報の区分が、置賜、村山、新庄、庄内となっているが、置賜が米沢市、村山が山形市を含む地域だと知っているのは全国的には少数だろう。
 そして何と言っても上越といえば、ほとんどの人は「上越新幹線」あるいは「上越線」または「上越国際スキー場」を思い浮かべることだろう。この場合の上越は上州(上野国)と越後国のそれぞれを一字取ったものだ。それぞれの地域をむすぶ上越線が名乗るのはむしろ自然に思える。ただし高速道路は関東と越後を結ぶということで「関越自動車道」と名乗っている。
 上越市としては仮称のまま「上越」駅として、現「上越新幹線」「上越線」をそれぞれ「新潟新幹線」あるいは「関越線」と名称変更してもらいたいだろうが、世間一般人が混乱し、看板の書き換えだけでも膨大な経費を要するだろう。さすがに強気になれないようだ。
 そこで駅名問題が浮上するわけである。上越は前述の問題、脇野田は知名度の問題から却下。地元からはその地方の古名である「頸城」、隣の妙高市は上越市の旧名(上越市は直江津市と高田市の合併市)を合わせた「妙高高田」、近隣の春日山城の城主にして戦国時代のヒーロー「上杉謙信」などが候補に挙がっているという。管理人は上越(仮称)は「高田妙高」が一番いいように思われる。妙高を名乗るのは最も周辺の観光地で知名度が高いからである。東北新幹線の「七戸十和田」のようなものである。「妙高高田」にした場合、近隣の「妙高高原」と誤乗の恐れがある。また「頸城」は難読漢字で北越急行の駅名はわざわざ平仮名にしているほどだ。「上杉謙信」は悪くはないが、日本の動脈幹線名としては品位に欠ける。やはり無難な地名に由来するべきだ。「上杉謙信」を名乗るなら、第3セクター化を機に現在信越線にある「春日山」を改名したほうがいい。

3.並行在来線問題
 北陸新幹線の最大の問題である。JRが新幹線を引き受ける条件として、並行在来線の経営分離に同意することとなっているからである。管理人の結論から述べる。
1.長野-直江津間はしなの鉄道が経営する
2.直江津-糸魚川間は北越急行が経営する
3.糸魚川-金沢間は新会社「加越鉄道」が経営する


まず1だが、これはしなの鉄道が引き受けざるを得ないだろう。一時、豊野-直江津間の廃止も視野に入れていたようだが、雪害で道路運行が当てにならない地元民から猛反発を浴び撤回された。問題は現在JRが運行している篠ノ井-長野間と長野と豊野間にある長野車両基地への回送をどうするかだろう。しなの鉄道としては軽井沢から直江津まで一体経営したいから、篠ノ井-長野間の移管をJRに要請するだろう。しかしJR東日本としては長野市近郊で沿線人口がそこそこにあるこの区間を手放したくないだろう。また名古屋から長野まで乗り入れている特急「しなの」を運行しているJR東海としては、運賃が割高になるしなの鉄道への移管は難色を示すだろう。しかしJR東日本はすでに長野新幹線開業により在来線に比べて実に140%増の利用客を得ている。金沢延長によりこれはさらに増大し、おそらく越後湯沢乗り換えが主力の東京-北陸間の鉄道利用より多くの乗客を獲得できるだろう。ここは地元への貢献を第一に考えて、同区間をしなの鉄道に譲るべきである。長野車両基地への回送問題はしなの鉄道に支払う線路使用料を減免するなど柔軟な対応をとればいい。

次に2だが、北越急行は北陸新幹線開業によって最も経営に悪影響を受けることになる。つまり北越急行は越後湯沢から金沢まで運行している高速特急「はくたか」の収入によって黒字経営を果たしている会社だからである。乗り換えなしで金沢まで行けるとなると、北越急行の存在意義はないに等しい。当然「はくたか」は廃止となろう。ところで北越急行は直江津から糸魚川までの引き受けを非公式に表明している(下記URLを参照)。
ほくほく線リポート↓
http://www5e.biglobe.ne.jp/~thlt/hokuriku/hoketu/hokuetu.htm
北越急行は直江津から2駅手前の犀潟から分岐しているから、犀潟から直江津までを井原鉄道のようにJR東日本の「第2鉄道事業者」となること、また北越急行は直流車両なので、現状糸魚川から直江津寄りに設けられている交直流デットセクションを糸魚川構内の車上切り替えに変換する必要があるが、それほど困難な問題ではない。しかも上越(仮称)から越後湯沢方面への連絡は北越急行が最短となることから、糸魚川乗り換えで特急を設定するかもしれない。十日町も飯山からの飯山線乗り換えよりも快適だから利用者がいるかもしれない。
 ただ十日町にせよ、越後湯沢にせよ、都市規模が小さく、観光需要しか見込めないのが難点だ。せめて上越新幹線が浦佐ではなく十日町経由だったなら、北陸から新潟市への最短ルートとなったのに残念である。十日町経由になったのは難工事が予想されたというのが表向きの理由だが、浦佐周辺を選挙地盤とする田中角栄の意向が働いたとの噂だ。いずれにせよ浦佐より人口の多い十日町経由なら上越新幹線はもっと利用されただろうし、北越急行の開業により北陸も便利になったに違いない。北越急行は高速運転に対応するため線路水準が高く、そのくせ貨物列車を運行するだけの強度で設計されていない。実に中途半端で扱いに困る北越急行である。
 3.については、糸魚川-金沢間は新潟県、富山県、石川県にまたがっているが、富山県が大部分を占め、東北本線の青森県の青い森鉄道、岩手県のIGRいわて銀河鉄道線のように県ごとに運営するのは効率的でない。ここは各県と地元企業が出資して新会社によって運営されることになろう。もちろん経営負担を軽減されるために鉄道施設のインフラは県、車両は市町村が所有して貸与、といった措置が取られることだろう。「加越鉄道」は管理人が勝手に付けた名前だが、石川県の旧国名加賀と富山の旧国名の越中・新潟の越後を結ぶわけだから、もっともわかりやすいし、福井県(越前国)に延長されてもそのまま使える優れモノである。
 そういう「加越鉄道」だが、前述のような経営安定化策をとっても非常に厳しい経営を強いられる。ひとつは豪雪地帯を走るために、除雪経費が膨大なこと、もうひとつは貨物列車が運行されるために、高水準な線路状態を維持する必要があること、そして交流区間であるために車両単価が高いことである。どれもこれも難しい問題だ。さらに現状でもそこそこの利用率がある夜行列車、大阪-新潟間の急行「きたぐに」や大阪-青森間の特急「日本海」も残るかもしれない。車両の問題にしても、肥薩おれんじ鉄道のように、電化施設は貨物用に残し、旅客用として気動車を運行する手もあるが、貨物列車の運行数が多すぎてそれもできない。
 僅かな救いは新幹線が金沢以西の開業が不透明だという点だ。北陸本線の旅客流動は金沢・富山から東京よりも、大阪方面の方が圧倒的に多い。しかし航空機が運行がなく、高速バスも渋滞で時間の読めないので鉄道利用が多い大阪方面より、航空機というライバルが存在し、時間短縮効果の大きい東京方面への新幹線を先に建設したというわけである。実際、大阪方面は在来線最速クラスの特急「サンダーバード」が運行し、福井県などは北陸新幹線が延長されても、対東京方面の時間短縮はさほど見込めず、かえって並行在来線の経営を押しつけられるのも困るといった雰囲気である。おそらく北陸新幹線は福井止まりでホーム上乗り換えで対応するのではないだろうか。そして中央リニア新幹線ができたら東海道新幹線の容量に余裕ができるので米原延長を考えるのが得策のように思える。
 話は長くなったが、大阪-富山間の旅客が無視できないほど多いと考えるなら、サンダーバードを金沢止まりにして富山方面の乗客に乗り換えを強いるのは、金沢でホーム上乗り換えを実現しない限り、利用者の反発を受けるだろう。しかも金沢と富山の中間にある高岡市の新幹線駅は「新高岡」という少し離れたところに設けられる。城端線の連絡があるとはいえ不便である。だから、サンダーバードは大阪-富山間の運行にして、急ぐ客のみ金沢で新幹線に乗り換えてもらったらいいのではないだろうか。蓋を開けてみないとわからないが、名古屋-大阪間、及び大阪-姫路間を新幹線と並行しながら運行されている「しなの」「はまかぜ」が存在することを考えると、「乗り換えなしで行きたい」という需要が存在するはずだ。もちろん観光としては金沢から和倉温泉、富山から富山地方鉄道乗り入れによる立山までの運行も考えればいい。もちろん「加越鉄道」の運賃が加算されることになるから、新幹線との運賃・料金差は僅かな差となろうが、停車駅パターンを変えるなど新幹線にできないきめ細かい対応で可能だろう。要はこの特急料金の収入を経営安定化に当てるのである。

門司港レトロ観光線ラクテンチケーブル~九州鉄道完乗記 [鉄道]

 日本鉄道完乗を目指して、九州でまだ乗っていない2路線に乗りに行くことにした。ひとつは門司にある門司港レトロ観光線、もうひとつはラクテンチケーブル線である。そもそもこれらの路線は乗る必要がないと思っていた線である。
 門司港レトロ観光線は廃線になった貨物線を利用して、2009年に休日のみ運行の観光路線として復活。車両は北九州市が保有し、運行は近隣の第三セクター平成筑豊鉄道が担当している。
 ラクテンチケーブル線は別府市にあるラクテンチという遊園地内にある乗り物で、2008年のラクテンチ閉園に伴って休止していた。そのまま廃止かと思われたところが2009年にリニューアルオープンし、運行が再開したのである。
 復活の経緯はそれぞれドラマチックだが、私としては乗る楽しみが増えたものの、まさかの復活に余計な手間が増えたと思ったものである。九州新幹線はどうした、と思われるかもしれないが、すでに開通して1週間後に乗っているのである。
 2011年5月21日土曜日。和歌山駅から8時8分発の新大阪行きの特急くろしお4号に乗る。その日は深夜業務で、土曜日の6時半に帰宅したところであった。本来なら一眠りしてから、昼過ぎから出発したいところであった。しかしこの2路線の他に日曜日に広島で野球観戦することにしたのでそんな余裕がなくなってしまった。寝ながら移動するしかないので一計を案じた。まず新大阪までは特急を利用する。これは紀州路快速に乗った場合、寝過ごして環状線をぐるっと回ってしまう可能性があるからで、新大阪止まりの特急にしたのは、着いたら車内清掃員が起こしてくれるからである。また小倉までの新幹線はこだまを利用する。のぞみに乗った場合、速すぎて小倉を寝過ごす可能性がある。それにこだまの自由席の方が周囲の客を勘案して席を選べるし、4列シートなので快適という計算もあった。
 そのように乗った特急くろしおだが、実際には眠ることなく新大阪に到着した。
 こだま635号は20番線に待機していた。700系レールスターの車両だ。個人的にはJR東海の700系よりもこのレールスターの塗装の方が格好いいと思う。
 自由席は難なく確保した。はじめから眠るつもりでいたから、新神戸を過ぎたあたりから眠った。覚えているのは新倉敷、東広島、広島に到着したところだけだ。さすがに「こだま」で何度も「のぞみ」に抜かれる。
 それにいらついたわけではないが、新山口で一旦降りて後続の「のぞみ」に乗り換えることにした。もう寝過ごす心配はないだろう。新山口からの利用は意外に多く各ドア10人ぐらい待っている。3両しかない自由席は難なく確保。しかしやはり5列シートは狭い。
 予定より早く小倉に着いたが、14時01分発の門司港行きには間に合わず、当初予定通り、14時14分発の普通に乗ることになった。客はほとんど門司で降りて、門司港に向かうのは僅かであった。
 門司港駅の駅舎は重要文化財に指定されていて、案内板もそれに併せてレトロな感じにしている。自動改札機も茶色に塗って目立たなくしている。
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 駅前では祭りかイベントで子供達が太鼓を叩いたり踊ったりしていた。
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 駅を出て右側に少し歩いたところに九州鉄道記念館があり、ここに門司観光レトロ線の起点である九州鉄道記念館駅がある。「駅市場」というスーパーの横を抜けたところに小さなホームがあった。
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15時00分発に乗る。運賃は往復500円。30人ほどの乗客を集めている。夏休み以外は土日祝のみの運行である。駅員の数が多い。車掌も4人乗っている。両端にディーゼル機関車を配したプッシュプル編成で客車2両。島原鉄道で使われていたトロッコ列車を北九州市が買い取って、JR九州の貨物線を利用して車両を観光車両を走らせる。運行は地元の第三セクター平成筑豊鉄道に委託している。
門司港レトロ観光線の概要については手抜きながらWikipediaの記事をそのまま引用する。
北九州市が観光スポットとして整備した門司港レトロ地区には鹿児島本線の貨物支線である門司港駅 - 外浜駅間および北九州市が保有する田野浦公共臨港鉄道の廃線跡が存在しており、これらの路線を活用して観光客向けのトロッコ列車を運行するものである。
田野浦公共臨港鉄道の廃線跡ならびに日本貨物鉄道が第一種鉄道事業者となっていた門司港駅 - 外浜駅間は北九州市が買い取った。
2008年3月13日に平成筑豊鉄道および北九州市から事業許可の申請が行われ、常設の普通鉄道として特定目的鉄道の制定後初の事例として同年6月4日に事業許可を受け2009年4月26日に開業した。


速く走る必要はないので時速15キロでゆっくり進む。これは関門海峡の潮流と同じだそうだ。
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 終点のめかりの前にはトンネルがある。車内は真っ暗となる。やがて天井に魚を描いた青い照明が点灯する。座席はテーブル付きのボックスシートで明らかに家族向きなので、私は全区間で立っていた。車内は吹きさらしなので雨の日は大変だろう。
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 関門海峡を望む素晴らしい景観だが、やっぱりまだ眠いのと、ここにはかつてクルマで来たことがあるので、観光はせずに15時15分発で折り返す。
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九州鉄道記念館に入館する。戦前のディーゼルカーがあって、これの中は入ることができる。ただしスリッパに履き替える必要がある。若い女の二人組がカメラをバシバシ撮りながら興奮している。今流行の「鉄子」だろうか。男の子は誰もが一度は電車が好きになるという。息子の影響で「鉄子」になったという説がある。しかしそれなら昔から存在していて不思議ではない。女性は一般に動いているものよりも、衣服、貴金属、花など止まっているものに興味を抱く。ここはあらゆるスポーツが女性に解放されていったのと同様の現象が鉄道趣味にも訪れたとみていいだろう。マスメディアに取り上げられてからは後ろめたさどころか「最新の流行」となってしまったのだろう。
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 さて展示車両に戻ると、583系寝台特急がある。外はクリームと濃紺の月光塗装だが、中身は近郊型として利用されていた内装で一部ロングシートもある。せめて1区画だけでも寝台をセットしてもらいたかった。
 本館の展示物はこんなものだろうと思う。全体的にJR九州お得意のレトロ調に統一されている。展示物では三等きっぷに萌える。もちろん硬券で大阪ー佐世保間が1900円ぐらいだった。時代は昭和20年代だろうか。写真に撮っていないので正確なことはいえないけど。
 その後小倉まで戻り、行橋で降りた。行橋は立派な高架駅である。何故別府に行かないのかというと、行橋にあるアパホテルに泊まってポイントを貯めるためである。別府でお手頃な温泉旅館が予約できなかったという事情もあった。
 ともあれ17時30分にホテルに着いて、お酒を飲んでしっかり眠って明日に備えることにした。このアパホテルはどうやらオリジナルではなくて買収したような感じだ。オリジナルより若干広い。

 翌5月22日日曜日。
 6時15分起床。換気扇がうるさかった。雨はまだ降っていない。1階で朝食。パンとジュースとコーヒーは飲み放題。
 行橋7時31分発の特急ソニック1号に乗る。7両編成。自由席は後ろ4両。指定席の方が混んでいるくらいだ。鉛色の空が広がる。883系は初めての乗車。ガラス張りのデッキや独特の形状の椅子。振り子機能で高速運転。しかし宇佐を過ぎるとスピードはガクンと落ちた。乗客は中津までは多かったが、そこからは漸減し、別府に着く頃には5人/両となっていた。
 杵築。古い瓦葺きの駅舎。貨物列車が対向待ち。雨予報のはずだが晴れてきた。
 別府に着いた。ホームに洗面台がある。これは蒸気機関車がはき出す煤煙で汚れた顔を洗うためのものである。高架駅なのにあるのは不思議に思った。この別府駅が高架になったのは1965年で、このころはまだ九州ではバンバン蒸気機関車が走っていたのである。
 バスの乗り場はラクテンチがある西口ではなく、東口にある。ラクテンチ経由10系統の亀の井バスは10時50分にやってきた。最終的には3人の乗客を乗せて走る。ホテル亀の井を過ぎると流川○○丁目という停留所が続き、垂直に上り下りするケーブルカーが見えてラクテンチ到着。ラクテンチで降りたのは私だけであった。日曜日だというのに行楽客は少ない。
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 ちょうど9時00分発のケーブルカーが発車したところであった。ケーブルカーは20分ごとの運転。入場料はケーブルカー込みで1000円。ケーブルカー単独で乗ることはできない。遊園地は山の上にあり、それ故にケーブルカーがあるのだが、現在は「乙原ゲート」と呼ばれる山の上にも駐車場があるので、そこから入ると800円である。つまりケーブルカーの料金は往復200円ということになる。20分間テディーベアの縫いぐるみが座るベンチで待っていると、やがて3名の家族連れがあられた。わざわざ下にクルマを置いてケーブルカーに乗る。ケーブルカーに乗りたがる人はいるのである。
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 9時20分に発車する。最終的には乗客は10人。遊園地内とはいえ、鉄道事業法に基づく立派な鉄道である。駅にはその表示もある。ただ駅名票がない。鉄道事業法の届け出では麓側が雲泉寺、山上は乙原となっている。JTB時刻表にはラクテンチ下、ラクテンチ下と表記されている。
 途中降りてくるケーブルカーと対向する。まだ開園して間もないのに5人ほどの客が乗っている。まさかケーブルカーに乗るためだけに来たのではあるまい。乗務員は「手を振って~」というのはさすがに遊園地の乗り物である。やがてラクテンチ上に着いた。山上駅は観覧車乗り場と一体化している
 これで私の目的は果たしたのだが、せっかくだから遊園地を散策しようと思う。まずは駅というよりも「乗り場」の横にある展望台からは別府市内を一望できる。雨は降っていないが天気が悪い。このラクテンチという遊園地は、もともと眺望のいいところに造られたのである。
 ここでラクテンチケーブルの経緯についてWikipediaを引用してみる。
遊園地「ラクテンチ」およびケーブルカーは1929年に開業した。1954年からは別府国際観光が運営していたが、経営難に陥ったため、2003年11月に遊具機械の製作・再生および中古遊具による遊園地の再生事業を手がけている岡本製作所に営業譲渡され、遊園地は「別府ワンダーラクテンチ」となった。しかしその後も来園者数の減少に歯止めがかからず、2008年7月に岡本製作所が別府ワンダーラクテンチからの運営撤退を表明し、譲渡先が決まらなければ8月末で閉園するとしていた。岡本製作所は別の企業と譲渡交渉を行っていたものの、鉄道事業法に基づく許可の必要なケーブルカーの譲渡が難しく、自社で営業を再開することを決定し、2009年7月18日に「ラクテンチ」としてリニューアルオープンし、同時に車両の前面部分は近鉄生駒ケーブルを思わせるイヌとネコを模したものに模様替えされた。

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 次にアヒルの競走。どのアヒルが1着になるのかを当てる、馬券のようなものもある。観覧者が少なすぎて盛り上がらない。私は競馬ファンでもあるが、今年は全く調子が上がらず、とても当たるとは思えなかったので、買わなかった。赤縞のリボンを付けたのが1着だった。
 午前中の早い時間帯とはいえ、日曜日なのにガラガラである。さすがに一度は閉園になっただけのことはある。遊具は一通り揃っているし、地元の人が家族連れで来るにはいいとしても、遠方からの客を呼び込む魅力に欠ける。個人的には動物園が気に入った。私の好きなミーアキャットが柵越しでなく見れるのはとてもいい。
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 遊園地の乙原ゲートという山の上入り口の近くには民家が見える。非日常を求めてやって来た身から見ると興ざめする。
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 吊り橋を渡ったところに温泉がある。入浴料は無料。客は誰もおらず、管理人すらいなかった。「本日最初の客」であったらしく、誰も入った形跡はなかった。こんな経験は初めてある。温泉といっても掛け流しではなく、下の露天風呂は温かった。
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 10時40分発のケーブルカーで降りる。乗客は私だけ。帰りは土産物店を通るが無視する。
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 歩いて公衆浴場不老泉まで行く。別府は言うまでもなく温泉街であちこちに公衆浴場がある。小雨が降ってきたが大したことはない。不老泉の前にはゲートボール場があって2階は公民館になっている。入泉料は100円。内部は古びていい感じである。ただし湯温は42度とあるが、46度はありそうなほど熱く、私は足湯にしかできなかった。結局たっぷりつかることはできなかった。
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 別府駅まで歩く。昼食は駅ビル内の「豊後茶屋」でとり丼定食。「ソン」と名札をつけた韓国女性が厨房にいる。昨日の行橋の居酒屋の店員の日本語も怪しかったし、今や日本各地で静かに人手不足業種の外国人化が進行している。
 予定より1時間繰り上げて12時18分発の特急ソニックで小倉に向かう。指定席か自由席かで迷ったが、自由席にした。往路があまりに空いていたからである。果たして自由席で十分であった。ところでソニックの特急券の料金が妙に高いことに気づいた。新幹線の乗り継ぎ割引が九州島内では適用されないことを知った。あとで時刻表で確認した。国鉄分割民営化以降そうなっているようだ。
 小倉からは13時55分発の「ひかり564号」に乗る。「のぞみ」でなく「ひかり」にしたのは指定席の座席が広いからである。8号車4D席。奥にコンパートメントが見える。網棚にひとつだけ荷物が見えた。
 眠かったので車内販売のコーヒーを注文。新下関から乗ってきた隣の女性は足元が塞がるほどの荷物を置いている。
 14時47分広島着。広島で降りたのはマツダスタジアムで野球観戦するためである。この詳細は別項を参照。
http://umayado.blog.so-net.ne.jp/2011-05-30

はやぶさ・さくら・みずほ~新幹線愛称雑感 [鉄道]

2010年12月4日東北新幹線は新青森まで全線開業する。誰もが「はやて」がそのまま新青森行きに使われると思いきや、新型車両で運行する新青森行きに新たな愛称が公募されることになった。公募では東北人には思い入れが深い「はつかり」が1位。2位の「はつね」は東北と縁はない。これは新型車両が「初音ミク」という、ヤマハの開発したボーカル音源におけるバーチャル女性シンガーキャラと色遣いが似ているので、悪意のあるネット仲間が集中して投票した結果である。筆者は「はやて」存続を希望し、地元でも「はやて」存続希望の声もあったので、実際に存続するのではないかと期待したが、JR東日本から発表されたのは「はやぶさ」であった。同時に新型車両に描かれるHAYABUSAのロゴタイプも発表されたところを見ると、公募の結果に関わらず内部では決まっていたのだろう。新型車両による運行される列車を「はやぶさ」と称し、「はやて」は従来車両の運行が終了した時点で使われなくなるという。「はやぶさ」と「はやて」ではややこしいがどちらも新青森行きなので混乱することはないだろうという考えであろう。筆者自身は新青森開業までは「はやて」で凌ぎ、新函館開業時点で新愛称を考えるべきだという意見を述べたことがあるが、その考えは変わっていない。「はやて」はいつどこで復活するのだろうか。スピード感のあるいい名前だけにお蔵入りになるのは惜しいと思うのは筆者だけだろうか。
 それはともかく2011年3月11日開業の九州新幹線に「みずほ」復活という新聞記事を見て絶句した鉄道ファンは多かったはずだ。九州新幹線は現行の新八代暫定開業で使っている「つばめ」を九州内各停で運用し、新大阪から直通する「さくら」を主要駅停車するものと思われていた。しかし九州沿線の地元自治体は「さくら」は九州内の全ての駅で停めてほしいとの強い要望があり、それでは対鹿児島で航空機に対抗できないと判断したJR西日本は停車駅を絞った「みずほ」を設置することになったのだろう。
 それにしても「さくら」は東京-長崎・佐世保間のブルートレインの愛称であったし、戦前には日本で最初の特急列車の愛称であった。それに対して「みずほ」は東京-長崎・熊本間のブルートレインではあったものの、「さくら」や鹿児島行きの「はやぶさ」の補完列車で、戦前以来の輝かしい歴史もない格落ちの愛称である。
 個人的には「さくら」を鹿児島行きの速達用にして、「みずほ」を山陽新幹線直通で博多から熊本まで各停用、「つばめ」を線内各停にするのがいいと思う。「さくら」を九州全駅停車して、関西圏の客を呼び込もうという自治体の鼻息の荒いのはわかるが、沿線人口を考えれば、直通需要がそれほどあるとは思えず、博多や熊本で乗り換えで十分だと思える。鹿児島県知事が「『さくら』が鹿児島行きで『みずほ』が熊本行きでは誤乗の恐れがある」と息巻いていたが、世間の反応は「それがどうした」と冷たい反応だった。私も知事と同意見だけにショックを受けたものである。思えば「はやぶさ」を東北新幹線に譲渡していなければ、素直に「はやぶさ」を速達用に採用できたはずだ。JR東日本の「いまひとつ意味のない」愛称変更のお陰で、九州はとばっちりを被ったといえる。
 沿線自治体では「さくら」が来るものと想定してキャラクターグッズの開発が進められているようだ。もはや
みずほ>さくら>つばめ
の流れは変えられそうにない。しかし日本の鉄道の歴史を考えれば
つばめ>さくら>みずほ
が正しいと思うし、もはや「つばめ」が九州に土着したというのなら
さくら>みずほ>つばめ
にしてもらいたい。正式決定はまだだが、JR西日本、九州の英断を期待したい。
 それにしても山陽九州新幹線の愛称は女性名詞ばかりですね。そもそも新幹線の愛称は全て訓読み和語でひらがな4文字以内という「暗黙のルール」があるのですが。宝塚歌劇団に対応させてみるとこんな感じでしょうか。

のぞみ 月(月の満ち欠けは朔望)
ひかり 星(星からは光)
こだま 雪(雪の降る夜に木霊が響く)
さくら 花(日本の国花)
みずほ×××(日本の美称。他に「扶桑」「やまと」「秋津島」など)
つばめ 宙(空を舞う鳥)

ほら、やっぱり「みずほ」は該当なしです。

はやては存続すべし [鉄道]

 2010年12月、東北新幹線が新青森まで延長開業されます。それに関連したJR東日本の発表について驚かれた鉄道ファンも多かったのではないでしょうか。趣旨は以下のようなものでした。

1.新青森開業に伴って320km/h走行の新車両を導入する
2.新車両導入を機に現行「はやて」を廃止する
3.「はやて」に代わる新愛称を公募する

 管理人からすると、このタイミングでの愛称変更は理解に苦しみます。新函館開業なら北海道行きの新幹線となるからわかります。しかし新青森は同じ青森県の八戸から延長されるだけであまり意味があるとは思えないです。考えられる理由は以下の3点でしょう。

1.新型車両のアピールを兼ねて新愛称を導入したい
2.「はやて」は東北地方では凶作をもたらす悪風を意味する
3.突風で横転した「いなほ」事故の遺族に配慮した

ところが、青森県では「はやて」の存続を希望する声が大きく、春に予定されていた愛称の公募は、とりあえずE5系新型車両に対する愛称のみとなった。
http://www.jreast.co.jp/E5/top.html
一部の鉄道ファンは「はつかり復活」を希望する声もありましたが、多くは管理人と同じように変更する意味がないということで、「はやて」存続を希望する声が多いように思えます。管理人もそのように思うし、個人的には「はつかり」は東北本線を代表する列車とはいえ、蒸気機関車牽引のイメージが強いし、新幹線にふさわしい名称としてはやはり「はやて」がいいと思います。

ところで新幹線の現在使われている愛称は次のようになっています。

のぞみ 東海道山陽速達
ひかり 東海道山陽主要駅停車
こだま 東海道山陽各駅停車

(さくら) 山陽九州主要駅停車
つばめ 九州新幹線


はやて  東北速達
やまびこ 東北主要駅
こまち  秋田新在直通
つばさ  山形新在直通
なすの  東北各駅停車
とき   上越主要駅停車
たにがわ 上越各駅停車
あさま  長野新幹線

 東海道山陽方面がかつての名列車の愛称を散りばめた重厚な布陣になっているのに比べて、東北上越方面は悪くいえばスピード感がなく田舎っぽいのは何故だろうか。それは東北上越方面は路線が枝分かれするために誤乗を防止するためでしょう。「はやて」を除けば、かつて在来線で同区間を運転していた列車か、「谷川岳」「那須高原」「秋田小町」といった行き先を明確に想起させるものとなっています。
 そうしたなかでも「はやて」は別格。廃止は大反対です。それから「スーパーはやて」なんて芸のないのもやめてほしいです。JR北海道ではやたらと「スーパー」のついているのが多いので、何がスーパーなのかさっぱり分からないです。まさに「スーパーの安売り」です。

 ところでE5系の愛称は、実験車両と同じく

ファステックFASTECH

でいいのではないでしょうか。新幹線列車の愛称は原則ひらがな3文字で和名、すわなち訓読みに限られているけど、車両の愛称なら横文字でもいいでしょう。

ついでながら、北海道新幹線の愛称は

かむい(アイヌ民族に配慮)

北陸新幹線の愛称は

かがやき(輝き=光、そして行き先の加賀を掛ける)

でどうでしょうか?


南海電鉄紀ノ川橋梁にまつわる噂 [鉄道]

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写真は南海本線の紀ノ川橋梁です。私の携帯電話カメラで撮影したのでヘタクソでわかりにくいけど、橋脚を見れば煉瓦造り。それもそのはず、この橋は1903年(明治36年)竣工で100年を優に超える年季もの。これは左側の下流側であり、右側の橋は後で架けられたもの。しかしそれも1922年(大正11年)開通という歴史ある鉄橋なのです。

詳しいスペックは以下のサイトで確認↓
http://www.geocities.jp/pintruss/bridge/kinokawa/kinokawa.htm

歴史的には価値のある橋ですが、耐震性に大いに疑問が持たれ、県議会で危険性を指摘されたり、南海で掛け替えが実際に検討されたが「耐震性に問題はない」というお墨付きをもらったのでやめた、という話もあります。

和歌山県議会平成20年2月定例会↓
http://www.wa-net.net/userarea/swakayama/nagasaka.html

建造105年の南海紀ノ川橋梁 10年前一時架け替え方針 和歌山↓
http://sankei.jp.msn.com/region/kinki/wakayama/080308/wky0803080314003-n1.htm

管理人は阪和沿線に住んでいて、南海電車で大阪に行くことはほとんどないのですが、たまたま先日乗る機会がありました。8両編成の特急が揺れながら渡る様は少しばかり恐怖したものです。ただ、これは電車の空気バネの揺れがそうさせるのであって、橋がガタガタになっているからではない。もし橋が揺れているならとっくに大問題です。

不公平というか、JR阪和線の紀ノ川橋梁は紀ノ川大堰の関連事業として、国の負担で掛け替えが行われ、現在旧橋の撤去工事が進んでいます。
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さらに南海本線の紀ノ川-孝子間に「和大学園前ふじと台(駅名未定)」が設置されることに伴い、南海の営業はここまでにして、紀ノ川橋梁もろとも廃止する意向との噂が流れました。仮に廃止になればふじと台住民の和歌山市方面への通勤が極めて不便になるので、南海にとってもメリットがないからあり得ないし、南海の株主総会でも否定されているようです。

和歌山のふじと台に南海線の新駅(和歌山大学新駅)↓
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1421482389


南海電鉄の思惑は以下の通りではないでしょうか。

1.とりあえず現状の橋を補修しながら使う。
2.倒壊するような大地震が来たら、掛け替えを行う。
3.費用は自治体に泣きついて工面する。

問題は3の状況を作り出すことにあるでしょう。和歌山-貴志間に「和歌山電鐵」というのがあります。ネコが駅長を務めていることで有名ですね(たま駅長)。もともとは和歌山電鐵は南海貴志川線で、車両は南海のまま。現状は電圧600Vですが、変電設備を改良して1500Vに昇圧する計画があるらしいです。

和歌山電鐵、架線電圧を1500Vへ昇圧↓
http://www.kqtrain.net/a-blog/index.php?ID=1793

それにともない、JR紀勢本線の和歌山-和歌山市間を介して、和歌山電鐵を加太線に乗り入れなどが要望されているらしいです。尤も和歌山電鐵を経営する岡山電気軌道が赤字拡大の可能性がある話に簡単に乗るとも思えない。ただ和歌山県、和歌山市の負担金を見直すことで、加太線乗り入れが実現していれば、南海としては橋梁架け替えにという時に、単なる民間企業が要望するよりも、架け替え費用の工面は楽になるでしょう。

管理人の個人的な意見は、和歌山電鐵の加太線乗り入れは特筆するような利点はないように思います。ただJR紀勢線の和歌山-和歌山市間の乗り入れは面白いので是非実現してもらいたいです。車両は現状の和歌山電鐵で使っている車両に、JRの信号システムに対応するだけでいい。JRはこの区間の第3種鉄道事業となり線路使用料を徴収する。運賃は和歌山電鐵の通しとなるので、加太方面から貴志川線方面へは低廉となる。和歌山電鐵としてもJRと南海のターミナルを結び、加太方面へのアクセスがよくなることで新たなビジネスチャンスが生まれるだろう。JRは和歌山-和歌山市間の営業に全くヤル気がありませんでした。便利すれば南海に客が流れるだけであるからでしょう。また南海がこの区間を営業しても、客が梅田方面へは圧倒的に便利になったJRに客が流れる怖れがあり旨くない。したがって和歌山電鐵のような第3者が運営するのが一番相応しいといえるでしょう。

 この和歌山-和歌山市は最近高架になりました。投資を無駄にせぬためにも和歌山電鐵乗り入れは是非実現してもらいたいですね。

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