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第2回令和記念西国三十三カ所霊場ツーリング [バイク]

平成に西国三十三ヵ所霊場の巡礼を果たした管理人が、令和に改元されたのを記念してもう一度1番札所から順番にバイクで訪れるというこの企画。今回は2番から5番札所の紀三井寺、粉河寺、槇尾山施福寺、葛井寺を参拝する。
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↑今回のルート
 紀三井寺は和歌山市、粉河寺はほぼ隣接する紀の川市にある。和歌山市に在住する管理人にとって、もっとも参拝しやすい札所である。
 8時40分に紀三井寺に着いた。ほぼ通勤ルートを走ったので、はるばる来たぜという感覚は皆無だ。しかし実際に寺にやってきたのは平成6年以来だ。まだ朝早く、土産物店は閉まったままだ。バイクを置く場所に苦労する。そもそも駐輪場が存在しないからだ。さいわいアドレスは原付サイズなので、自転車を停めるスペースがあればどこにでも停められるので、適当な路肩に停めた。
 駐車場は充実している。オッサンが棒を振って呼び込みをしている駐車場は一日500円。しかしその反対側にある無人駐車場は30分100円なのでだまされないようにしないといけない。
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↑バイクは適当に停めた
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↑紀三井寺
山門
 入山料200円を支払い、石段を登る。この石段は若き紀伊国屋文左衛門が結婚と出世の契機となる出会いした坂で結縁厄除坂といわれる。25段、33段、42段、61段と厄年と同じ数の石段を踏む坂が続く。
 朝早いとはいえ6人ほど参拝者を見かけた。歳をとるにつれ階段の一歩が辛くなってきた。
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↑入山料が必要
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↑階段を登る
 階段を登り切って、右側にある大千手十一面観音像を拝観した。「総漆金箔張・木造立像では日本最大」というだけあって立派なものだった。ごく最近造られたのか新しかった。
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↑千手十一面観音像
 本来であれば境内からの和歌浦の眺めが素晴らしいところであるが、あいにくの天気で鉛色の雲と木の枝が眺望を妨げていた。
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↑境内から和歌浦を望む
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↑本堂に進む
 何故かポツンと立つ電話ボックスが気になった。今や一体どれ程の人が利用しているのだろう。
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↑気になる電話ボックス
 この寺の正式名称は紀三井山金剛宝寺護国院であるが、和歌山で生まれ育った筆者にしても紀三井寺という通称しか知らない。境内に清浄水、楊柳水、吉祥水の三つの井戸からあることから名付けられた。
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↑紀三井寺の水
 関西在住の人ならば、「早咲きで有名な紀三井寺の桜は~」で始まるニュースは、春を告げる風物詩となっていることだろう。その有名な桜は本堂の前にあり、和歌山地方気象台指定の標本木の高札が格調高く掲げられている。しかし今の季節は青葉をつけたそのように重要視される木には見えない。
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↑紀三井寺の桜
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↑桜は本堂の前にある
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↑本堂
 何はともあれ参拝しなければならない。蝋燭と線香2本で100円だった。蝋燭は「先祖供養」「水子供養」「厄除」「家内安全」「商売繁盛」「諸願成就」「南無観世音」「南無大師遍照金剛」の文字が書かれていて、この中から選ぶことになる。私は先祖供養にした。写経は賽銭箱の前に白木の箱があり、そこに横から差し入れる。白木の箱には賽銭箱がある。神社と寺はありとあらゆるところに賽銭箱がある。
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↑蝋燭
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↑納経処
 御朱印を書いてもらおうと朱印帳を差し出すと、男性職員は電話に出たので、隣の職員にお願いした。
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↑今回の御朱印
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↑平成の御朱印
 この寺はやたら変わったお守りが多い。写真に映っているものだけでも「桜お守り」「ふくろう守」「ラッキーかえる」「子ども守り」「健康祈願スプーン」「夢叶いますように」「ハローキティ」「学業ちえ守」などだ。願掛けの箸は寺社では一般的だがスプーンは珍しいのではないか。営業努力を感じさせた。
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↑豊富な種類のお守り
 急な階段を降りて紀三井寺をあとにする。階段の横に「享保六年三月」と書かれた石灯籠があった。享保六年(1721年)の出来事を調べて見ると、徳川吉宗が目安箱を設置したとあった。徳川吉宗といえば紀州藩出身の将軍であり、何かの縁を感じさせた。
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↑享保六年の石灯籠
 次に参拝するのは粉河寺だ。Yahooナビの指示通り、国体道路、宮街道、県道143号線、県道9号線から岩出橋を渡り、国道24号線で粉河寺を目指した。
 ここでナビに使っているスマートフォンが充電されていないことに気がついた。よく見るとUSBケーブルが断線していた。どうやら紀三井寺での駐輪中にサイドスタンドでケーブルをはさんでしまったようだ。スマートフォンはナビの他にツーリングの通った道を記録するGPSロガー、音楽プレイヤーが作動しているので、電池容量はまだ2時間ほどしか経っていないのにもう58%まで低下していた。新しいケーブルを購入しなければならない。
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↑USBケーブルが切断
 10時30分、粉河寺の赤い山門にやってきた。この山門から道なりに真っ直ぐ進むと粉河駅に至る。すっかり寂れてはいるがそこは門前町。それなりに商店や町医者がある。例によって駐輪場はない。仕方がないので邪魔にならなさそうな路肩に停めた。去り際に気づいたが、自転車は山門を過ぎたところに停めているようだ。
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↑粉河寺山門
 粉河寺は西国第3番である以前、安土桃山時代の頃までは、隣接する根来寺、高野山と並び、当時の中央政権の介入を許さない独立国の様相を呈していた。その後、豊臣秀吉の紀州征伐によって大きく勢力は削がれてしまった。しかしその権威は江戸時代になっても無視できないものであり、そのために広い寺域を安堵されていた。
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↑広い寺域
 そんな粉河寺の境内は広く、重要文化財もいくつか存在する。特に本堂前の庭園は石垣と植栽を組み合わせた力強いもので国の名勝に指定されている。
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↑名勝の庭園
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↑庭園は本堂の前にある
 何か低く響く音が本堂から聞こえた。熱心な巡礼者が法螺貝を吹いていたのである。
 本堂の階段を登り、まずは灯明と線香をあげる。蝋燭は無地が50円、家内安全か先祖供養と書かれたのが100円となっている。線香は2本で30円だった。この蝋燭と線香の種類と値段は寺によって大きく異なることに気づき、この西国三十三所巡礼の研究対象とすることにした。
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↑願掛け蝋燭は倍の100円
 大きな賽銭箱の前にやってきた。鐘を鳴らす紐が上から垂れている。これはどこの寺にもあるが、その横に白黒赤黄緑色の紐が垂れている。「お手綱にご縁をいただいて下さい」と書いている。そういう作法かどうかは知らないが、この手綱を握りながら般若心経を読経した。
 ふと右を見ると「PayPayでお賽銭が上げられます」と書いてあった。1000円、500円、300円、100円から選ぶことができる。賽銭でよく使う50円がないのが惜しいところだ。このあたり商魂の逞しさを感じる。
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↑Paypayでも賽銭できる
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↑納経所
 写経を納めるところが見あたらないので、納経所で手渡した。職員の男性はそれを隣のお守り売り場に静かに置き、御朱印を書き始めた。2020年末までは「西国三十三所草創1300年」を記念して、特別な印をいただける。草創1300年といえば、和歌山県にある西国三十三所の寺、青岸渡寺、紀三井寺、粉河寺の三箇所のスタンプを集めると、日本手ぬぐいが進呈されるサービスを和歌山県が展開している。この手ぬぐいも無事に手に入れた。
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↑今回の御朱印
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↑平成の御朱印
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↑いただいた日本手ぬぐい
 時間帯にもよるのだろうが、紀三井寺より参拝者が多い。中には本格的な白装束を着た30歳代くらいの男女もいる。こんなのを見ると何か不幸ごとがあったのかなとか邪推したくなる。もとよりインタビューするわけにいかないからそう想像するだけだ。
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↑粉河寺中門
 粉河寺をあとにし、次は大阪府和泉市にある槙尾山施福寺を目指す。その前にセリアでUSBケーブルを買った。これでスマホの電池切れはなくなった。
 施福寺は和泉山脈の向こう側にある。ここから最短で山脈を越える鍋谷峠は道幅も狭く隘路であったが、2017年に鍋谷トンネルができてからは紀北と泉州を結ぶ最短ルートとして機能しつつある。鍋谷トンネルは最高速度50キロで原付バイクは通行不可なのだが、125ccのバイクなら通ることができる。和歌山からバイクで京都に行くにはこの鍋谷峠を抜けて、大阪外環状線、国道1号線バイパスを通るのが最短ルートとなるので、管理人はよく利用する。トンネルを抜けて外環状線の河内長野までは信号も少なく快適である。
 Yahooナビは、鍋谷トンネルを抜けると側道に降りるよう指示した。このあたりは知らない道だが、とにかくナビを信じてバイクを走らせた。
 12時00分、昭和感全開の土産物店「槙尾観光センター」に着いた。10数台分の駐車場とシャトルバスの転回場がある。あと離れたところに旅館らしき建物もある。駐輪場はなく、土産物店の横に勝手に停めた。
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↑槙尾観光センター
 施福寺は西国三十三所巡礼の中でも難関といえる。クルマで来れるのはこの「槙尾観光センター」までであり、寺はここから急な石段を登った歩いて30分のところにある。しかも手摺りも十分でなく、足元も悪い。ここは登山をするつもりで杖を持っていった方がよろしい。
 悪いことに雨が降ってきた。粉河寺を出発した頃から少し降っていたのだが、山沿いに入って本降りになってしまった。最も歩く距離が長い寺で最も雨を避けたかったところで雨に遭う。これも運命、日頃の行いの悪さの表れだろう。
 傘を差して本堂を目指す。最初は幅の広い石段で楽勝を思わせたが、山門を過ぎると登山モードとなった。雨は強く降っているはずだが、深い木立が和らげてくれる。
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↑最初は幅広の石段
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↑だんだんと狭くキツくなる
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↑最後の階段
 10数人の参拝者と行き会った。西国三十三所巡礼は昔から女性の方が多い。漏れてくる会話を聞くとそれも定年後の楽しみで始めた人の方が多いようだ。信仰心とよりも物見遊山という感じで同行者とお喋るするのが楽しいのかもしれない。だがそれも悪いことではない。もともと西国三十三所巡礼は東国の人が伊勢参り、熊野三山参りのついでに花山天皇縁の寺を巡礼することから始まっているらしい。もちろん江戸時代のことだから旅は命がけだっただろうが、信仰心より物見遊山が優先していたに違いない。
 12時30分、境内に到着した。槙尾山の狭隘な山腹に位置する寺だけに、境内には本堂の他に灯籠とあと一棟が見あたるぐらいだ。愛染堂、大師堂、不動明王護摩堂、虚空堂、大日堂などは離れたところにあり、そこに足を運ぶ人は少ない。
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↑槙尾山
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↑本堂
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↑境内は狭い
 何はともあれ参拝をしなければならない。線香が2本で30円、蝋燭は白のみで50円。写経は賽銭箱の前に拍子木のような重しを除けて積み重ねていく。
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↑線香30円蝋燭50円
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↑写経は積み重ね
 こぢんまりとしているのでお守り売り場と納経所を兼ねている。職員というか住職の方は気さくな人で、参拝者と雑談している。遠くから来ている人も多いので話しは盛り上がっているようだ。「こんな不便な小さな寺に・・」と住職が恐縮していた。しかし果たして西国三十三所の札所でなければ、このように多くの参拝者が訪れるだろうか。
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↑お守りも売っている
 御朱印を書いてもらう際、「100円の追加で菊のご紋の印を押させていただきます」と言われた。こういう場合ケチと思われるのがイヤだから拒絶するのは難しい。いい商売を考えたものだ。ここの朱印の特徴として年号が漢字一文字となる点だ。すなわち令和なら令となるのだ。私としては令和と書いてほしいところだが、寺の方針だから受け入れるしかない。前回訪れた平成時代も平だったからずっと昔からそうなのだろう。
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↑今回の御朱印(菊印入り)
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↑平成の御朱印
 雨に濡れる山道を滑るのに注意しながら下山した。バイクを置いている土産物店に着いたのは13時15分だった。
 しばらく走ったところに自販機があったのでそこでジュースを買って昼食。今回は時間短縮のため非常食の乾パンを食べた。乾パンは軽く、調理の必要もなく、必要な栄養が得られる素晴らしい食品だ。不味いという声も聞くが、これは美味しすぎると一気に食べてしまうので、意図的に風味を落としているのだ。カニヤの乾パンは海上自衛隊で使っているのと同じで、一般には入手難だが、ネット通販で手に入る。
 第5番札所葛井寺を目指し、大阪外環状線を北上する。富田林市に入ると左手にPL教団の塔が見える。通称はPLタワーで正式名称は超宗派万国戦争犠牲者慰霊大平和祈念塔という。巨大な彫刻を彫ったような異様な形をしている。
 14時30分、葛井寺に到着した。施福寺と異なりこちらは閑静な住宅街の中にあり、駅にも近く、中山寺と並び、33ヵ所の中でも最も訪問しやすい寺である。
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↑葛井寺の山門
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↑境内
 ところで葛井寺は藤井寺市にある。葛井寺の門の前の石碑には藤井寺と刻まれている。おそらく古来、どちらの表記も許されていて、市名を藤井寺、寺名を葛井寺にしたのではないかと推察する。
 1時間の乗車でトイレに行きたくなった。トイレの看板を見つけた。手洗い・烏樞沙摩閣(うすさまかく)と書いてあった。葛井寺の由緒によると、「烏枢沙摩閣(お手洗い) 葛井寺のお手洗いは仏さまがいらっしゃる一つのお堂です。不浄を清す烏枢沙摩明王は炎の功徳により身も心も清浄にします。 手を合わせてお入りください。」これはあとから知ったので手を合わせて入ることはしなかった。この一件だけでも御利益をいただけなくなるだろう。
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↑烏枢沙摩閣(お手洗い)
 太鼓の音が聞こえる。誰かがご祈祷をしてもらっているようだ。御護摩の火も燃えている。
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↑ご祈祷中
 さあ参拝しよう。まずは蝋燭と線香。蝋燭(燈明)は50円。線香は1本20円。線香は紫雲香という願掛けを書いた祈願線香もありこれは1本100円である。蝋燭の種火は蝋が下に垂れてつけにくかった。線香は灰に立てるのではなく寝かせる。浄土真宗の作法だが、葛井寺は真言宗御室派である。
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↑燈明と線香
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↑紫雲香
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↑線香は寝かせる
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↑本堂
 納経所は外陣の脇にあるため土足厳禁。写経は納経所で御朱印をいただく時にそのまま納めた。職員は写経と書かれた箱に納めていた。
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↑今回の御朱印
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↑平成の御朱印
 さてこれで今回の巡礼する寺は終了となる。バイクを置いた南大門に葵屋という土産物店がある。葛井寺の門前は住宅街となっていて、商店はこの一軒だけだ。眩しい西日を遮るように銀色の幕を張っている。お土産に葛井餅を買った。
 店のおばさんが饒舌な人で葛井餅の説明をしてくれる。吉野葛を原料にした、いわゆる葛餅だ。説明を聞きながら、寒天と小豆の2種類を試食する。試食は特に制限はなくいくらでも食べられる。試食の結果、寒天を買うことにした。670円のところを20円まけてくれた。というよりそれが定価のようだ。さらに煎餅もオマケでくれた。逆にいうとそうしなければ客が来ないのか。餅は常温で保管しても2ヶ月は保つ。食べる1時間前に冷蔵庫に入れて冷やして食べると美味しいとのこと。帰宅後、その通りにしてみたら、京都の鍵善には及ばないが美味しかった。おばさんによると添付しているきな粉はこぼれるのでお勧めしない、黒蜜がお勧めと言っていた。
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↑葵屋
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↑藤井餅
 15時18分に出発。中央環状線で堺から国道26号線を走る。
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↑この日も頑張ったアドレスV125S
 さすがに眠たくなってきた。ヘルメットのシールドを開ける。風が目に当たって痛い。一時的に目が覚めた。根本的に解決するには休憩。なるべく安く休憩したい。それならイートインのあるコンビニでコーヒーを飲むのが一番だ。しかしイートインのあるコンビニが見つからない。もう我慢できなくなって入ったコンビニは店内飲食禁止だった。
 泉南から雄ノ山峠で和歌山へ。峠を下った紀ノ川沿いにある川辺の湯というスーパー銭湯で入浴した。温泉ではないが炭酸泉が秀逸だった。いつの間にか炭酸泉はスーパー銭湯に必要なアイテムとなっている。
 車庫に着いたのは19時39分、166.2kmのツーリングだった。到着した時間が自分の感覚よりも妙に遅いのでなんでだろう考えてみたら、スーパー銭湯の寝転び湯で30分以上寝ていたようだ。バイクは想像以上に神経がくたびれるのだろう。
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↑走行距離166.2km
 夕食はかっぱ寿司にした。「安かろうまずかろう」で、スシロー、くら寿司、はま寿司に遅れをとってしまっていたが、最近、業績を回復しているという。そういうこともあって試してみたかったのである。20時を過ぎているというのに店内はほぼ満席。しかしコンベアにはほとんど寿司は流れておらず、個別の注文用の特急レーンで対応していた。食べてみると・・・、やはりかっぱ寿司はかっぱ寿司だった。
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↑かっぱ寿司
 お疲れ様でした。次回ツーリングは奈良県の壺阪寺から興福寺の5箇寺を予定している。乞うご期待。
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