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留萌本線の想い出 [鉄道]

 JR北海道は留萌本線の廃止を検討しているという。留萌本線と聞いてどこにあるか見当のつく内地の人は多くはいないのではないか。沿線に観光名所もなく、しかも過疎化が進んでいる。廃止を打診された沿線自治体も「廃止やむなし」という雰囲気である。
 このように存続には厳しい情勢の留萌本線に、管理人は1993年7月10日と11日に乗車している。当時の日記を読み返してみると、なかなか細かい描写をしていて面白いので、若干の手直しをして、公開することにした。
題して、「留萌本線の想い出」





留萌本線の想い出


 風がでて寒くなってきた。今19時10分で辛うじて明るさがあるが、太陽は地平線の向こう側。クルマもスモールライトを点灯している。
 19時40分深川に到着。乗車時間20分。こんな短距離に特急を利用するのはワイド周遊券利用者の特権だろう。
 暗闇が夕焼けを支配しつつある。高緯度とはいえ地元和歌山とさほど変わらぬ日没時間の感覚だ。しかし40分ぐらい日が長いようだ。
 「五十番」という中華料理店で夕食。塩バターラーメンは少ししつこいものの美味しかったが、量が多くてスープを残してしまった。舌を火傷してしまったこともある。テレビの阪神-読売戦は阪神有利を伝えている。これは好ましい状況でもう少し見ていたかったが、発車時刻も近付いているので20時00分に店を出る。
 深川駅に戻ると、ちょうど3番線に私の乗る留萌行の単行ディーゼルカーが入線してきた。ホームはかなり人が待っていたので、私はボックスの反対側に座らねばならなかった。
車両 留萌線4933D キハ40 719
 この列車は留萌方面の最終列車である。もちろんワンマン列車。20時24分発。
 もう外は真っ暗で景色は見えない。こんな時間では乗り潰しを目的とした鉄道ヲタクは乗っていない。彼らは景色が見えないと気に入らないらしい。私はむしろこの終列車にこそローカル線の真の姿が見えるような気がする。この列車の乗客が必ず用事があって乗っているからである。観光的要素は微塵もない。観光客もいない。
 北海道独特の「明りの全くない」車窓に目を向けることなく、読書する。
 21時22分留萌到着。ここで15人降りて11人乗ってきた。
 ここからは海沿いを走っているようだが波の音が聞こえない。空の色と同じ黒い海である。しかしこれほど黒い海を見たのは記憶にはない。
 終着の増毛までで6人降りて、残りは終着駅まで深川から増毛まで乗り通したのは私だけであった。21時51分定刻着。客はそれぞれのいるべき場所に向かった。駅に残ったのは私だけ。駅前は寿司屋の看板だけが明るく、それと多田商店というところが商業施設である。駅本屋を右に折れると行き止まりの線路の仮想延長線上にある空き地がある。猫がいる。しばらく私と目が合った後駅本屋の方向に逃げた。さらに進むと道路が右手に急カーブしていて、カーブの向こう側に防波堤があって黒い海が横たわっている。冬場のここの波涛は凄まじいという。せめてその片鱗でも味わおうとしばらくたたづんでいたかったが、発車時刻が迫っている。タクシーもない(列車到着後には1台待っていたが)こんなところで立往生しては大変だ。
 駅本屋はボロだが別棟のトイレは新築されたようで、場違いなほどきれいだ。しかもBGM付きで「オリーブの首飾り」がかかっていた。
 列車内には乗客はいない。この列車は留萌行で深川行ではない。これは明日の留萌始発の深川行に仕立て上げるため、つまり車両運用のためで、旅客流動を考慮してのことではない。
 結局私と緑と白のラグビーのジャージのような服を着た女の子と2人だけであった。彼女も知らない間に降りていた。定刻22時19分に到着。
 出札業務も終わっていて運転士が運賃を収受した。
 窓口には6時15分発の列車に対しては出札業務を行なわない、という貼紙があった。これで私は増毛駅の入場券を買うのを諦めねばならなかった。増毛駅の入場券は「毛が増える」ということであやかり入場券として隠れた人気があり、増毛駅が無人駅となってからは留萌線の唯一の有人駅である留萌駅で発売されているはずであった。
 留萌市内の地図がなかったので、予約していたホテルニューカクセンの位置がわからない。勘で適当に歩いていたがホテルにたどり着けなかった。駅前に派出所があったが人は居なかった。
 そこでカードの入らない故障した公衆電話からホテルに位置を確認した。ここの電話ボックスは2つ並んでいたが、ひとつはヤンキー兄ちゃんが使っていた。私が電話ボックスに近付くと「びっくりしたよう」と驚いていた。
 ここからも右と左を間違えて警察署の方に歩いてしまい、迷いに迷ったが、結局23時00分にホテルに着いた。今日は歩き疲れた。脚が棒になっているのを実感できた。
 旭川で買った駅弁のイクラとウニのところを肴に北海道限定のビールを飲む。
 寝たのは0時をまわっていた。

s-93070018.jpg
↑ホテルから見た留萌市内
 翌日、5時15分起床。カーテンを閉め忘れた窓からの日差しで4時00分頃目が覚めていた。
 今日は留萌線で深川に戻る。睡眠不足でモウロウとしている。こんな状態では留萌線は居眠り確実だ。まだテレビは放映しておらず、36チャンネルではNTT札幌と字幕にあるテストパターンで時報を告げている。
 朝食は昨日の旭川の駅弁の御飯。6時00分にホテルをでる。
 昨日見た貼紙の内容に反して、駅員が窓口業務を行なっており、増毛駅の入場券を買った。これは私は1枚で十分だったが、すっかり剥げあがった父とその友人用に6枚買った。
 開いていないはずの窓口が開いている。今日はラッキーかもね。と思った。
 6時15分発の深川行は改札正面の1番線に到着していて、5人の乗客を乗せて発車。
車両 留萌線4920D キハ40 719
 予想通り昨日最後に乗った車両と同じである。
 峠下まで快速運転。ここで5分停車し列車対向。まだ6時40分だが昼間のように明るい。真布手前で樹海を抜け水田が広がる。石狩沼田で3人乗車。1972年に廃止された札沼線の跡が見えるかと思ったがそれらしきものは見えなかった。
 秩父別で3人乗車。ここまでくれば深川まであと2駅だ。この秩父別という名前からして、このあたりは埼玉の秩父からの入植者が開拓したのだろう。
 次は北一己。これは「きたいちゃん」と読む。今書いているカナ漢字変換ソフトVJE-β2.5は「期待ちゃん」と変換した。もちろん難読駅名だが、車内放送でどう聞こえるのか秘かに楽しみにしていた。ワンマンカーてテープ放送なので女性の声だ。聞いてみた感じは、聞き慣れぬせいか少し笑いがこみ上げてきた。私は「きたいっちゃん」に聞こえる。同じように車内放送の駅名で笑ったのは函館線の倶知安(くっちゃん)がある。
 ともあれ深川に到着。特急ライラック2号で札幌に向かった。

終わり

追記:「周遊券」「公衆電話」「VJE-β」といった言葉がすごく懐かしく響きました。もう22年も前のこと。でも1970年の人が22年前を見たとすれば、まさに激変でしょう。それからすると人類の進歩が緩やかになっているのかもしれませんね。
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